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Tuesday Sep 26, 2023
真の父母経 第273話
Tuesday Sep 26, 2023
Tuesday Sep 26, 2023
13 今まで、私たち韓国の教会は、外国に十分な援助をしてあげることができずにいます。これから皆さんが外国に十分な援助ができるようになるまで、推し進めていこうというのです。お父様は、工場を造るまで数多くの反対を受けてきましたが、そのようなところまで考えています。
ですから、第一線、第二線に分けて自力基盤を固めなければなりません。今までは、私たちが涙と血と汗を流しながら神様の心情を学びましたが、これからは経済的な基盤を築いていかなければなりません。世界を復帰するためには、世界的な経済基盤が必要だというのです。ですから、工場を経営しようとするのです。
14 青坡洞に「統一産業」を造る時は、日本人が住んでいた家屋から出発しました。家の裏に、練炭を積んでいた半坪ほどの場所があるのです。当時は旋盤がなかったので、日本人が使っていた古い旋盤を、貨幣改革の前に七十二万ウォンで買ってきました。その時、私はそれを見て、「これが七千台、七万台の機械に増えるだろう。大韓民国の軍需産業や自動車工業にまで次々と発展させる。信じなさい!」と言いました。その当時、それを信じると思いますか。多くの人たちが、「とんでもない話をしている」と思ったかもしれません。
15 韓国の自動車工業の出発当時、「統一産業」が大きく寄与しました。私は技術世界の全権をもって、その時から韓国が産業復興できる基盤を築いたのです。当時、お父様の考えでは、そのようにするためには、「統一産業」で特製品を作るしかなかったというのです。
韓国で有名になったとしても、大したことはありません。特許品を作らなければならないのです。研究開発をして、国が必要とする物を作らなければならないというのです。だからといって、直ちに機械工業をすることはできません。それで散弾空気銃を作ったのです。散弾空気銃の開発には、お父様のアイデアがたくさん入っています。
16 日本で機械の展示会をするとき、「統一産業」が開発したシステム機械ラインをもっていって展示しました。日本は、これまでコンピューターチップのような物を作るのはファナック(FANUC)が一番だと思って誇っていたのに、その会社の社長が来て見学し、驚いたというのです。「統一産業」は何でもないと思っていたのですが、大したものだというのです。また、ドイツに私たちは四大工場をもっています。その四大工場の旋盤のような物は一番です。世界で何万トン級の船や戦艦、航空母艦などのスクリュー軸だけでも、五十メートルにもなるものがあるのです。そのような物は、どこの工場でも造れるわけではありません。
韓国の自動車工業が今日、このようになれたのは、「統一産業」があったからです。韓国の主要な自動車会社に、「統一産業」の製品が入っています。
17 私たちは、専門の機械分野で多くの経験を積まなければなりません。機械工業のための良い経験を積まなければならないのです。そのために(いろいろな所を)訪ねて回るのです。お父様は、ドイツやフランス、イギリスなどにある工場をすべて見て回りました。日本はもちろん、アメリカも同じように、すべて見て回りました。
それでは、なぜ一番大変な機械工業をしなければならないのでしょうか。早く世界的な位置に進むためです。答えは簡単です。これが最も難しいので、これを解決すれば、世界のすべての分野でチャンピオンになるのです。それを長い期間ではなく、短い期間で成し遂げようというのです。
今、「統一産業」は、あらゆる機械の自動化ができる段階に入ってきました。
18 水澤里に「統一産業」を造ってから、私は忘憂里(マンウリ)峠を越え、一日に二回通ったことは言うまでもなく、三度通った日もたくさんあります。毎日、一度は通うようになっているのです。
なぜそのようにしたのでしょうか。世界の工業界を掌握するためには、精誠を尽くさなければなりません。血の涙を絞って捧げたその精誠が天にしみ渡って、霊界に行ったすべての工業人たちがその精誠に感動し、地上にいる人々がその精誠にひざまずくようになってこそ、天の所有権になると考えたのです。ですから、そのように精誠を尽くしたのです。
私は、できる限り、清平にも毎日のように通います。精誠を尽くすためです。世界最高の指導者になるためには、いかなる面でも主人にならなければなりません。難しいからといって行かないわけにはいきません。お父様は一人で数十年間、そのことをしてきました。ですから、天が祝福するのです。これは、サタンが讒訴できないようになっています。
19 「統一産業」の工場にいる人々は、「お父様はお忙しいのに、何をしに毎日のように工場に来られるのだろうか」と思うのですが、そのように考えてはいけません。昨晩見たものと、けさ見るものには大した違いがないかもしれませんが、きのうよりもきょう、発展したものがあれば、その違いに興味を覚えるのです。同じ機械を造っても、きのうよりどれほどうまくできたかを見て、少しでも発展したことがあればわくわくするのです。これは、私たちの旗を立てることです。そのようにしてこそ、神様のみ前に賛美を捧げることができ、何らかの条件を立てられるのです。
ですから、ある基準までは、お父様がそのようにしなければならないというのです。このように進むとき、私たちが計画することに対して妨げとなるものがあれば、切られてしまうか、何かの事件が起きて、道が開かれるようになっています。皆さんの協助次第で、道が開かれたり、塞がったりするようになっているのです。皆さんは、お父様の行く道を理解できません。お父様は今、冒険をしているようですが、のちのちすべて成就されるのです。
20 私が工場に対して精誠を尽くしたのは、水澤里工場一つだけのためではありませんでした。そこに大韓民国の運命と世界的運勢を連結して祈ってきたのです。
今や、私たちの工場で生産する製品が、一つの重要な産業品目として登場し、国家と契約して生産過程に入るようになれば、お父様の責任は終わります。韓国のいかなる産業体よりも重要な産業体にすることが、お父様の願いです。これがしっかり定着すれば、急速に発展するでしょう。
21 私はこの国をつかんで、身もだえしています。国のために生きているのです。私の一族を投入し、犠牲にするのです。私は今に至るまで、大韓民国の未来のために、負債を負いながら働いています。
私は、ドイツの科学技術を移転するために、一九八〇年から一九八五年まで、ありとあらゆる侮辱を受けました。そうして、世界の先端科学技術を「統一産業」に連結し、この国、この民族が未来に進んでいける土台をつくっておきました。そのためにあらゆる風雪を経てきたのです。
ある学者はそのような内容をすべて知って、「今、韓国の自動車工場がこのように発展するようになったのは、『統一産業』を中心としたレバレンド・ムーンの功労が大きい」言ったのです。
第四節 企業体の設立と経済基盤の拡大
「一和」
真の父母様は、環境創造のための経済基盤を確立するため、国内外に数多くの企業体を立てられた。その中の一つが、一九七一年十二月に設立した「株式会社一和」である。
一和は、韓国人だけでなく、世界の人々の健康のために、韓国の特産品である人参製品を開発して普及した。真の父母様は、一九七三年八月、京畿道(キョンギド)九里市(クリシ)水澤洞(ステクドン)に社屋を竣工するとともに、「誠心誠意」という揮毫を下さった。一和は、食品部門において「メッコール」と「椒井里(チョヂョンニ)鉱泉水」、人参部門において「人参茶」と「ジンセンアップ」、「サムジョントン」、製薬部門において「牛黄清心元(ごおうせいしんげん)」などを開発、販売している。
1 国内外にない人参製品工場を造ったというのは、私たちの誇りにもなります。一和という旗のもと、新しい人参製品分野の仕事が始まりました。これからの展望は、相当に明るいと考えるのです。
「統一産業」が水澤里で長年、基盤を固めていますが、和製薬は「統一産業」よりも次元の高い立場で、新たに世界的な経済問題を解決するに当たって、私たちになくてはならない重要な基盤になると考えます。そのため、どのようにしてこの製品を世界市場に販売するかが問題ですが、外国の食口全体が一つになって販売に力を注がなければなりません。私たちが計画することが、今後、統一運動が発展していくに当たって、経済問題を解決する土台になることを願い、ここに力を注ぐのです。
2 人参は、韓国の特産物です。人間を中心として万物を見れば、一番高価な物が人参です。ですから、人参は植物界の王者だと言えます。このような点で、「統一思想」と相対的関係にあることは、言うまでもありません。韓国の特産物であり、誇りである人参に対して、私たちが報いているかというとき、報いることができていないと考えるのです。
天が人参を与えたのであれば、韓国の国民のためだけに与えたのではありません。これは、世界の人類のために与えたものです。したがって、世界の人類がたたえ得る本場の産地に住んでいる韓国の国民は、人参の価値を知らなければならず、その価値を韓国だけのものにしてはいけないというのです。これを世界の人が互いに愛し、互いに貴く感じられるようにしなければなりません。
3 いくら工場が良く、いくら資材や機材が素晴らしくても、素晴らしいこの環境を動かす主体になる人が素晴らしくなければなりません。人は一人だけではありません。一和グループ全体が合わさって一つの体制を形成し、ここから各自が「高く上がっていこう」と言わなければなりません。各自が代表的な立場で引き上げる立場になれば、左手や右手も上がるようになり、頭も上がるようになり、体も上がるようになります。そうすれば、一和は自然に国家に認定されざるを得ず、アジアに登場せざるを得ず、世界に登場せざるを得ないのです。一和グループの要員たちは、メッコールの主人にならなければなりません。「メツ(脈)」とは、「魂」のことを意味します。天運を動かせる主流のことを意味するのです。
4 メッコールは健康飲料です。国民の健康のためにメッコールを作ったのです。また、これから全世界にメッコールを販売しようと考えています。大韓民国で基盤を築けば、間違いなく百発百中、ただそのまま人類にメッコールを飲ませることができ、一和製品を飲ませることができるのです。
ところが、このような伝統的価値が眠っています。まだ目覚めていないのです。私たちの生活における莫大な経済的機運が眠っているので、これを起こし、万民を解放する飲み物として、トップに立たせなければならない責任が私たちにあるのです。

Tuesday Sep 26, 2023
真の父母経 第272話
Tuesday Sep 26, 2023
Tuesday Sep 26, 2023
第三節 釜山ボムネッコル時代と草創期の経済活動
肖像画と切手収集、販売
真のお父様が南下し、避難生活をされていた釜山凡一洞(ボミルドン)の土壁の家の時代には、金元弼がアメリカ軍を対象に肖像画を描き、活動費を準備して、困難な食口たちを助けていた。そして、協会創立の初期には、一般食口が消印の押された切手を収集して販売したり、白黒のブロマイドをカラーにして道端で販売したりする事業を通して、伝道活動のための経費に充てた。
1 お父様は、釜山の凡一洞(ボミルドン)で暮らしていたとき、米軍部隊の兵士たちの肖像画を描きました。その時、布一枚に枠を作って絵を描きました。絵を描こうとすれば、ただの布ではできません。絵を描く布に塗る糊があるのですが、この糊を煮て、布に完全に塗って乾かすと布かひんと張ります。布がぴんと張り、その布の穴がすべて塞がってこそ、絵を描けるのです。その時、一枚描いてあげて四ドルもらいました。
アメリカの兵士たちは、一年半か二年半ほど滞在して帰還します。自分の故郷に帰るとき、何も持たずに帰ることはできません。ですから、持っていくお土産がなければならないのです。(それで、)「妻の肖像画をプレゼントする」と言いながら写真を持ってきて、「描いてくれ」と言うので、描いてあげたのです。
2 肖像画を、どのように早く描くかが問題でした。最初は、写真を一枚か二枚持ってきましたが、お金が必要なので、一日に二十枚から三十枚まで持ってくるようにしました。兵士たちはその部隊に一週間くらいとどまるので、その間に描いてあげなければなりません。ある時は、一日に三十枚まで描いたことがありました。ですから、お父様があらかじめ枠の中に線をすべて引いておくのです。
金元弼は、4Bの鉛筆で、枠内に書かれた線と同じように線を引いて描くのです。そのように線を引いておけば、人の形をつかむとき、その線に従って描けばよいのです。そうすれば何倍も早くなります。そのようにして唇を描いておけば、私が赤く塗り、頭も描いておけば、頭の色も私が塗ってあげました。そうしているうちに、私はそれをすべて習得してしまいました。
絵は描けなくても、やっていればすべて習得できるのです。最初は後ろから助言だけしていた立場でしたが、一つ一つ習得し、最後には頭の形だけつかんでくれれば、服のようなものはすべて私が描いてあげました。そのようにして、一日に百ドル近い大金を稼いだのです。
3 釜山のボムネッコルで避難生活をしながら、金元弼が米軍の兵士に肖像画を描いてあげたのですが、一晩で三十枚まで描きました。そのように描こうとすれば、あらかじめ私が準備してあげなければならないのですが、夜を徹しながら準備したのです。私も一生懸命しました。そのようにお金を稼いで、伝道の経費にし、開拓をしたのです。皆さんには夢のような話がいくらでもあります。そのようにして稼いだお金を、私自身のためには使いませんでした。一銭も使わなかったのです。神様も同じです。「私のために生きよ」と言われるのではありません。「人類と世界、後代のために使いなさい」と言われるのです。
4 今に至るまで、全国的に切手収集行事に参加していますが、単に小さな切手一枚を剥がしても、それはわずか数銭にもなりません。しかし、一枚の切手を剥がすという事実は、崇高な努力、崇高な行動だとみなすことができるのです。切手の収集によって賞をもらった人々を見れば、大概、若い人たちです。中学生や高校生たちがたくさんいます。これは恥ずかしい事実です。
お父様が一時、「統一教会員は誰でも、一ヵ月に三回ずつは食口同士で手紙を書きなさい」と言いました。皆さんが手紙を書くとき、四十ウォンの切手を一枚貼るのではなく、一ウォンの切手を(四十枚)貼れば、事業部に対して二倍の後援をするという結果をもたらします。このように、私たちが取るに足らない、くずになるような切手を使用したことが、このような効果をもたらすというのです。私たちの動きはささいなことのようですが、国家的に見るとき、莫大な利益をたらすようになるというのです。このようなささいな問題について関心をもつことが、統一信徒にとって今後、重要な一つの自慢の種となるでしょう。
5 今に至るまで、切手収集を通して、伝道に莫大な貢献をしています。皆さんが一枚、一枚、このように集めてくれた切手によって、昨年得ることができたお金が百万ウォン近くになりました。ですから、お父様が百万枚、二百万枚を標準にして、切手収集をしようと話したことがありました。切手を収集して収益を得るという一面ももちろんありますが、このような行事によって、互いが一つの共同目標を中心として精神を統一し、同じ生活感情をもつようになるのです。
鋭和(イェファ)散弾空気銃の製作と「統一産業」
真の父母様が世界的な経済基盤を造成するために、最初の一歩を踏み出したのは、鋭和散弾空気銃工場の設立と経営であった。協会が創立されたのち、一九五九年五月二十日、鋭和散弾空気銃製作所の認可を受けて仁川に工場を建て、これを基盤に「統一産業」を設立されたのである。真の父母様は、韓国の産業を復興させるためには、基礎となる機械工業が重要であると考えられ、「統一産業」を設立して、機械工業の世界的技術を蓄積された。「統一産業」に込めた精誠は、「統一産業」だけのためのものではなく、韓国の未来と世界のためのものであった。小規模で始めた「統一産業」の優秀な機械工業技術は、自動車と軍需産業をはじめとする韓国の基幹産業の発展に、重要な役割を果たしたのである。
6 私たちは、教会活動をするのですから、若い青年たちが関心をもって愛用できる物とは何かを考えなければなりません。そのような要点に最もかなっているものが、散弾空気銃です。これは、技術的に見てもそうであり、韓国におけるこれからの実績を見てもそうであり、私たちだけが研究している物なので、これさえきちんと発展させれば、必ずある時にヒットするというのです。
最初に私たちが特許を取得して製品を造るようになりましたが、新しい製品を造る際には、直ちに素晴らしい製品を造ることはできません。お父様もこの工業系統について勉強した人なので、それがどのような発展段階を経ていくのか分かります。新しく発明した製品を造って、その年にそれを成功させるのは絶対に不可能です。最低限、三年以上の経験が必要です。このように考えて始めたのです。
仁川に工場を造りましたが、その時は工場に何もありませんでした。助手が一人いて、工作機械だけがありました。そして、何個かのカツターとのこぎり、かんなしかありませんでした。それが散弾空気銃工場の始まりです。
7 最初に散弾空気銃を作るとき、材料に真鍮パイブを使おうとして失敗しました。それで、「ステンレスパイブを購入して使おう」と言って、その時からステンレス銃を作り始めたのです。最初は三十丁ほど作って売り始めました。ところが、散弾空気銃を売ることは売るのですが、ずっと続けようとしたところ、その費用が本当にたくさんかかりました。それで、約七年間は常に投資ばかりしました。七年が過ぎて、一九六四年から本格的に販売するようになりました。
この期間は、私たちがこれを製作するに当たって、どのような部分にミスが出てきたかという問題点を専門的に、完全に把握する期間でした。それを把握せずに大量生産をして問題が起きれば、莫大な損害を被るというのです。そのような専門分野に該当する部分を、私たちが完全に把握するまで、七年ほどかかったのです。今や、大量生産をしても問題ないという自信をもって始めました。このように、十年の歴史を経て、銃を大量生産し始めたのです。
8 散弾空気銃を初めて製作する時には、協会にいる幹部たちや食口たちも、ひそひそ話をたくさんしました。お父様の心情を心から理解する人はいませんでした。また、これに責任をもった人たちも、そのような状況でした。ですから、私が一日に二回まで仁川工場に行き来したのです。毎日のように行くので、仕事をしないわけにいきますか。
今となっては、これが企業化され、韓国で特許製品の生産に成功した会社として、一番、もしくは二番に選ばれるようになりました。このようにして発展させてきたのです。皆さんは銃を売っていますが、この銃はとても機転が利いた物です。韓国は反共国家なので、時代の気風に合ったのです。
9 基盤ができている企業体は、技術者と資金があり、また経営の経歴があります。私たちは、彼らと厳しい競争をしながら会社を発展させてきました。私たちは、資金も、技術者も、経営の経歴もないのが実情でしたが、このような実情で私たちが韓国産業界の一分野に入り込んでいくというのは、大きな冒険と言わざるを得ません。私たちがそのような状況で、世界で探し出すことができない特許品を作るために手を付けたのが散弾空気銃です。
霊的にはそれが分かったのですが、本当に奇抜なアイデアです。昔の空気銃は、作ってからかなりの時が過ぎているので、これ以上発展がなく、売っても利益は多くありません。
しかし、散弾空気銃は、これから発展性があるので作ったのです。使ってみた人たちは、「散弾空気銃が一番だ」と言います。ですから、これを販売できるのです。これは私たちに組織があるからできるのです。
10 今や軌道に乗り始め、これから二年だけ空気銃と射撃銃を作れば、外国に市場を拡大して輸出するでしょう。私が実質的に、そのような世界市場の事情をすべて調査しました。
一年に輸出できる量を最少で百五十万丁、多ければ二百五十万丁や三百万丁と考えるのです。私たちは外部の経済的援助を受けず、自力で押していける基盤を築いておかなければなりません。そのようにしなければ、この国を完全に復帰することはできないというのです。ですから、経済基盤を造成しなければなりません。これは絶対的な条件です。
11 工場を運営するに当たって最も重要な問題は、計画を立てて管理することです。その次には、組織です。工程、過程です。一つの製品が作られるためには、数十の工程を経なければならないのですが、その順番をうまく組まなければなりません。組織をうまく組もうとすれば、そこに該当する設備をきちんと整えなければなりません。ですから、完璧な組織にするためには、完璧な設備が必要だというのです。その次には、技術者です。これが三要素です。
今後、私たちは、世界のどの工場にも引けを取らない工程を備えなければなりません。競争するときは、この三つをきちんと整えなければならないのです。計画管理、組織、技術力が完全に一致してこそ、一つの製品の生産時間を短縮することができます。
特製品だとしても、それを作る工場が多くて競争の激しい事業になるときは、互いに安く作ろうとし、良い製品を作ろうとするというのです。ですから、施設と技術をしっかり備え、経営管理をうまくやらなければなりません。そこで事業の成敗が左右されるのです。
12 善なる行いをするためには、血と汗を流しながら精誠を尽くし、温柔謙遜で、兄弟に対する友愛をもち、地を愛さなければなりません。誰が反対しても、善をもって向き合うようにすれば、一〇〇パーセント、屈服するようになります。ですから、驕慢になってはいけません。まず与える人が主体です。お父様はすべてのことに対して、アベル的な責任を果たしてきました。これが私の生活哲学です。
より大きい公的なものの前に立つときは、謙遜でなければなりません。思想的な面で、お父様は霊界でも闘い、地上でも闘いました。商業的な面から見ても、精誠を尽くした面が大きくなければなりません。工場の基盤を備えるときまで努力しなければなりません。私たちがいまだ、そのように努力すべき部分が残っているので、天のみ前に「お金を稼がせてください」とは祈らないのです。

Tuesday Sep 26, 2023
真の父母経 第271話
Tuesday Sep 26, 2023
Tuesday Sep 26, 2023
富の平準化と神の国
宗教の究極的な目的は、すべての人が神様のもとで一つの家族となり、誰もが差別なく生きていけるようにすることである。真の父母様は、多くの企業を起こし、海洋開発を通して飢餓で苦しむ人々を生かし、富の平準化と技術の平準化を通して、世界のすべての国が豊かに暮らすことのできる環境創造に尽力された。特に、「裕福な人は、自分が取得した富を貧しい人に分け与え、裕福な国は貧しい国を助けて、富の平準化を成し遂げなければならない」と強く主張された。このように、真の愛に基づいた共生・共栄・共義主義が実現された世の中をつくり上げることが、すなわち神様のみ意であり、社会正義であると考えられ、一生涯、すべての人が幸せに生きていける神の国をこの地に定着させるため、渾身の力を振り絞り、努力されたのである。
14 人は、自分よりも低く、劣悪な立場にいる人を考えながら生きることができなければなりません。それだけでなく、自分よりも大変な境遇に置かれた人がいれば、その人を哀れに思い、自分の境遇に対して感謝しなければなりません。感謝するだけでなく、その人々を助けてあげなければなりません。そのように生きる人は、自分の国だけでなく、他の国からも歓迎を受けることができます。
今日、忠臣や聖人と呼ばれる人々を見れば、裕福な家の息子として、よく食べ、よく暮らしながら聖人や忠臣になった人は多くありません。彼らは、国や社会、家庭が混乱の渦中に追い立てられ、あすを見つめることができない暗澹たる混沌時代に置かれていても、その国に生まれたことを誇りとし、そのような父母をもったことを誇りとしました。そうして、誰よりも国と父母を愛しながら、自分よりもさらにかわいそうな人を救ってあげようとしたのです。そのような思いで同志を糾合し、より良い道をつくるようになれば、問題が広がるのです。そのような歴史は、国を愛した立場から出発し、父母を愛した立場から出発し、師を愛した立場から出発しました。ここから、新しい歴史は横的に国家と国家を越え、世界的に伸びていくのです。このような人々によって、歴史は発展してきました。裕福な人が、自分が豊かになったことに対して感謝することを知らず、お金をさらに集めることにばかり苦心していれば、その人は結局、滅びるようになります。「これくらい稼いだからもういい」と考え、国と民族に深く感謝しながら人を助ける裕福な人は、さらに裕福な人になることができます。裕福な人になったのに、感謝することも知らず、一人で欲を張っていては、結局、自分が掘った穴に落ちて滅びるようになるというのです。
15 聖書に、「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイ一九・二四)とあります。世界を愛し、国を愛し、民族を愛し、家庭を愛さなければならないのですが、裕福な人は、そのようにしないというのです。ですから、天国に行けないのです。
その裕福な人のお金を、私がもってきて使おうというのではありません。私は今まで、借金を背負っている状況でも、国が「助けてあげよう」と言ってきたことに対して拒絶しました。国家の財産をつくるためには、個人の財産を天に捧げなければなりません。そうすれば、個人の財産の上に国家の財産がつくので、その民族は滅びません。その家庭は滅びないというのです。精誠を踏み越えて大きくなっていくのです。そうして、統一的な国になります。天地のために、自分の国のすべてのものを捧げなければなりません。世界を捧げなければなりません。
16 世界が一つになれば、自分たちだけが良い所でよく食べ、よく暮らすようにはなっていません。平準化されなければならないのです。そのためには、裕福な人は収入の七〇パーセント、そうでない人は三〇パーセントを税金として納め、バランスを取らなければなりません。そうすれば、不平を言う人は誰もいません。キリスト教は十分の一献金を集めて発展してきましたが、次は十分の三献金をしなければなりません。
世界を救うためには、裕福な人が資金を銀行に預けて、アフリカの未開の地に施設を建てられるようにしなければなりません。一度にすべてすることはできないので、抽選制で行うのです。抽選制で行えば、不平を言いません。
17 地上の第一代の祖が完成したアダムです。真の父母です。真の父母の血統を受けて、今から入籍する順番になります。総生畜献納物を捧げることにより、神様が「ありったけの私の愛だ」と言わなければなりません。今までは祭物を裂きましたが、これからは裂きません。総生畜献納物です。自分の収入の十分の三を捧げることにより、教会を越え、国を越えて、世界まで行かなければなりません。そのため、十分の一は教会発展のために、十分の一は国のために、十分の一は世界のために捧げるのです。世界版図まで解放圏を連結させるためには、避けられないことです。
自分のすべての収入の三〇パーセントを、一生の間、天国に入って解放される時まで、捧げなければなりません。この十分の三献金を捧げることにより、十分の三が天の圏内に完全に連結されるのです。蘇生の上に長成があり、長成の上に完成があるので、完成基準を解決することにより、全体をすべて取り戻してくることができるのです。
18 東西の文化の格差と南北の貧富の格差は、今世紀に必ず解決すべき課題です。それを、何によって解決するのでしょうか。お父様が教える「ために生きる主義」によってです。「自分のために生きよ」という主義は堕落した世界のものであり、「他のために生きよ」という主義は、天の国のものです。ですから、北にいる裕福な人は、南にいる弟、妹のために生きなければなりません。弟、妹のために自分の財産を売り払い、彼らが豊かに暮らせるようにしてあげなければならないというのです。自分の弟、妹を自分以上に豊かに暮らせるようにしてあげてから、自分の息子、娘にまた投入しなければなりません。そのような場に、永遠の理想が宿ることができるのです。
西洋の人々は、今に至るまで、自分たちが万世の主体国として永遠に続くと思っていますが、天はそれを願っていません。西洋文明は先導的な立場に立ちましたが、未開の地域を開発するために、西洋文明の最高の基準を投入することには反対しました。ですから、終わりが訪れるのです。
自分が損をしても、国に投入しなければならず、世界に投入しなければならず、天に投入しなければなりません。自分の気力が残っていて、投入できることに感謝し、生きる余力をもっていることに感謝しながら、最後まで最低の立場で投入するとき、その人の子孫の中から、万国を治めることのできる富の相続者が現れるというのです。
19 地上で天の国を実現して暮らすことができなかった人は、天上世界の天の国に入っていくことができません。これが原理です。ですから、神様は、個人の家ょりも国の家を探し求めています。神の国をつくることのできる国を持ちたいと思われるのです。今日、社会主義の国家が私有財産を認めずに共有財産を願うのも、蕩減復帰時代のプログラムによって、人間が知らない間に進めていくことなのです。裕福な人が思いのままに包みをもって歩き回っていては、それを保管するのが難しくなるのです。すべて、共有物に変えていかなければなりません。エデンの園では裸で暮らしたので、最後には、自分のものもない立場に立たなければなりません。自分が持っているものをいち早く清算して、天の宝物として返しておかなければならないのです。
20 アベル国連が定着するようになれば、自分の不動産や動産を問わず、すべて同じ銀行に預けます。自分の財産を、指定した銀行に預金しておき、そこから出てくる利子の何パーセントかは、貧しい人に分けてあげるのです。お金がたくさんある人々は、貧しい兄弟たちに分配してあげ、助けてあげられるようにするのです。
不正な財産をたくさんもっている人々は、どろぼうをしたのと同じです。それを分けてあげなければ、先祖たちが平準化されません。行く道が四方で塞がっているので、これを開いておかなければなりません。地上で開いておいてこそ、霊界でも四方で解放されるというのです。ですから、解放、釈放です。地上では解放されましたが、天上では釈放されていません。天が釈放され、解放が必要ない世界になれば、人間たちがすべて天国に直行できるようになるでしょう。
21 皆さんが結婚するとき、父母が分け前を決めるのですが、そのような過程を経ずに物をもっていったとすれば、どろぼうした物になります。それは、十年であれば十年、百年であれば百年、利子までつけて、そっくり返還しなければなりません。そのようにして分け前をもらうとき、平準化されるのです。父母様も、神様の許しのもとで、分け前を分けてあげなければなりません。そのように分けられた分け前をもたなければ、その一族が霊界で引っ掛かるのです。国が引っ掛かるのです。
22 これから世界が一つになれば、移動が起きます。自分の祖国がありません。これから祖国ができるのです。砂漠になるか、どこになるか分かりません。豊かに暮らしていた国の人は、ゴビ砂漠のような所に行かなければならないかもしれません。そのような所を平原地帯にしなければならないのです。自分の本国にある土地と財産を売って、平準化させなければなりません。一つの場所で生まれ、死ぬようにはなっていません。皆さんの一生で、四ヵ国を経なければならないというのです。二十代と四十代、六十代、八十代に、一ヵ国ずつ通過するのです。四ヵ国を経て、東西南北に移動しながら暮らさなければなりません。そのような制度ができます。そのときには、自分の身内だけという意識はあり得ません。家庭単位で天に侍って、三代圏が組織化できる時代になるのです。

Thursday Sep 21, 2023
真の父母経 第270話
Thursday Sep 21, 2023
Thursday Sep 21, 2023
6 サタンの所有と神様の所有が混ざっているので、それを分けなければなりません。完全否定をしなければならないのです。自分が世の中で生きていた習慣、あるいは伝統に浸るようになれば、それが壁となり、塞がってしまうというのです。ですから、完全に清算しなければなりません。それゆえ、お父様が歴史を代表して、総生畜献納をするのです。そして、分けた世界を一つにして、神様のみ前に捧げようというのです。個人で束ね、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地を束ねるのです。
7 総生畜献納祭の祭物は、所有権を分別する条件として立てるものです。何であれ、神様の所有になる前は、「自分のものだ」と主張してはいけません。エデンの園で、サタンが神様のものを盗んでいきました。そのように盗んでいったものを、一日も早く神様の側に返さなければならないのです。そのように返せば、神様はすべてのことを赦し、それを倉庫に入れるでしょう。
お父様も一生の間、自分のものがありませんでした。天の国の民がどれくらいになるかによって、お父様の所有権が決定されるのです。その前に所有権をもてば、違法者です。
8 統一教会の年を取った人々は、自分の子女にお金を譲り渡さず、国に寄付して逝かなければなりません。それが総生畜献納物です。教会の名前にしておいて、その教会に行って、暮らしなさいというのです。そうすれば、天の教会にある財産で暮らしたことになります。個人財産時代は過ぎ去り、共同財産時代に入ります。いずれは、相続税がなくなります。相続税否定時代に越えていくのです。
天は、世の中の人が国に納めず、大衆から集めておいたお金を、一銭も彼らの子孫に渡してはいけないと言われるのです。公的財産にしなければなりません。個人の財産は教会に行き、教会の財産は国の財産に上がっていくのです。その次には、天一国を通して、天の国に行くのです。
9 万物時代の旧約時代、子女時代の新約時代、父母時代の成約時代、三つの祭物を中心として、自分の家庭と息子、娘と、万物と共に、この世界を神様のみ前にお捧げしなければなりません。それが総生畜献納物です。世界的に家庭が糾合して、万物と子女、自分の家庭を天のみ前に捧げるのです。そして、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統だけがすべてなので、神様と真の父母の愛のほかには、何も考えてはいけません。そこから宇宙が生じたので、総整理して束ね、捧げなければならないのです。真の父母を中心として、天の所有権として決定しておかなければなりません。天のみ前に捧げたすべての聖物は、神様が愛する家庭の所有として、再び受け継がなければなりません。そこから、私たちの所有権をもつことができるようになり、天国が始まるのです。
10 神様は、息子、娘のために宴の準備をして待っています。すべての人にみな分け与えることが幸福だというのです。このように、父母はすべて与えても、また与えたいという思いがあるので、霊界はいつでもそれを補充できる道があるのです。同じように、自分がすべて与えて喜び、さらに与えたいと思えば、その人は永遠なる世界の無限の福を受け、無限に与えて余りある世界が訪ねてくるというのです。お父様は働きながら、財布にお金があるとしても、私が何かを買って食ベ、息子、娘に良いものを買ってあげようという考えはもちません。み旨のために使います。お金があれば、「み旨のために使おう」と考えるのです。自分のためにそのお金を使えば、お金が泣くというのです。そのお金を自分のポケットに入れて、使ってみてください。自分の肉をそぎ、骨を削ってしまいます。それが恐ろしいのです。公金略取というのは大きな問題になるのです。総生畜献納をするのもそうです。自分たちがすべて投入し、忘れてしまわなければなりません。自分の所有権をもって誇る人が、世の中で最も愚かな人です。
11 所有は、神様の愛による血統を通して、神様の愛を受けることができ、神様の代わりに愛することのできる立場に立って、初めて決定されます。そのようになってこそ、相続権が与えられるのです。そのようにしなければ、相続を認めてくれません。社会主義社会や共産主義社会は、個人の財産を認めません。そのように国家財産をつくって、今後、主が来れば、主のみ前に、そして、神様のみ前に世界を根こそぎ、丸ごと捧げさせ、その次に再分配するのです。その時になってこそ、皆さんの所有時代に入ります。このような原理を、財閥に教えてあげなければなりません。今後、統一教会の時代になれば、世界の財閥に会って、私の講義を三、四時間、聞かせるのです。そして、「皆さんの財産は皆さんのものですか、神様のものですか」と尋ねれば、「神様のものです」と答えられるようにしなければなりません。そして、「だとすれば、神様にすべてお返ししますか、お返ししませんか」と尋ねるのです。もし返さなければ、雷が落ちるというのです。ですから、一朝一夕で世界が一ヵ所に集まってきます。
それまでは、良く暮らしなさいと、ひもを緩めてあげるのです。ひもをつるべの綱のように垂らして、風が吹くままにぶらぶらと動き回るようにしておくのですが、私が握っているのです。そこに食べる物があり、拾って食べては喜んでいますが、あとで手繰り寄せるときには、みな主人を訪ねてくるというのです。世界は一ヵ所に集まるようになっています。
12 父母様が今まで犠牲になったのは、神様に侍るためでした。これが伝統的な歴史です。ですから、自分の物質は旧約時代であり、息子、娘は新約時代です。それゆえ、犠牲にならなければなりません。夫婦も犠牲にならなければなりません。その過程を経てこそ、神様に侍ることができるのです。蘇生、長成、完成を越えて、愛の理想圏に一体化し、天上と地上の一体化圏を備えなければ、完成にならないのです。責任分担を果たさなければなりません。結論は、原理が教えてれた基準のとおりです。
私は世界の人々に、すべて分けてあげました。私の名義になっているものは一つもありません。所有権がないのです。神様に、所有権がないからです。今、サタンがもっているものをすべて神様のみ前に捧げ、神様は今まで受け取ったその財物を再分配してこそ、地上天国が顕現するのです。
13 今や、時になったので、主人を決定しなければなりません。自分が手にした物の主人になろうとすれば、自分の物をすべて天のみ前に捧げ、再び分配を受けなければなりません。自分の所有権を維持していては、祝福を受けられる立場に立てないというのです。アダムとエバが堕落せずに祝福を受けたのち、所有が決定されるようになっているのであって、所有権を与えられてから祝福を受けるのではありません。祝福を受けたのちに、自分の息子、娘を生むことができる取り分として、天からすべての万物の所有権を移譲されるようになっているのです。
ですから、皆さんも、移譲を受ける前に祝福を受けてから、祝福を受ける前に所有していた物を蕩減復帰しなければなりません。そのためには、取り戻す過程で、一時的に私たちの所有になった物を天の物として返還してから、再び分配を受けなければなりません。返還は、真の父母がします。偽りの父母がすべてひっくり返しておいたので、真の父母が返還してから、その次に、全世界の人々を祝福してあげた基盤の上で、全世界の所有権を相続させるのです。再分配です。その時から、所有権の設定が始まります。これが原理観です。

Thursday Sep 21, 2023
真の父母経 第269話
Thursday Sep 21, 2023
Thursday Sep 21, 2023
11 統一教会が今まで天に捧げ、祈り、精誠を尽くしてきたのは、国を生かそうとしてやったことであって、統一教会を生かそうとしてやったことではありません。
食口たちはみな、「お父様は事業をするといって、むやみやたらに『統一産業』を造り、私たちを苦労させる」と言いましたが、それは苦労ではありません。国を探し出さなければならないので、そのようにしたのです。国を生かすために、最高の技術力をもって始めたこの目的は、国と関係を結び、将来、それ以上に発展できる航空、宇宙工学など、科学技術世界にまで連結させるものだったので、正しいことだというのです。それは、個人の力ではできないことです。
12 ニューヨークをはじめとする、全世界で私たちが所有している財産は、神様の祝福の一部です。すべての物質は、子女たちに与えようとするプレゼントとして、神様が創造されたのです。
人間は堕落によって、本当の神様の息子、娘になれませんでした。しかし、彼らは神様の血統に復帰され、相続人としてすべての被造物を直接主管し、これを神様の栄光のために和用するようになっています。そのような時が来ます。
私は、物質をサタンのものだとして、悪いようには考えません。その物質を管理し、使用するのは人間です。それを誰が所有し、どのように使用するかが重要です。物質を所有した人が神様を中心として、善なる目的で人類の利益のために使用すれば、神様は、喜んでその人に所有権を与えられるでしょう。
13 私たちは、様々な企業体をもっています。将来、子女を教育できる教育機関もつくる予定です。そして、事業はより拡張され、組織も大きくなっていくでしょう。
私は、多くの場所に理想的な都市と村を造る計画をもっています。私たちは、経済的に相互扶助を行い、生産して働く社会を建設するでしょう。その雰囲気は、外部世界とは違います。
お金が主な目的ではありませんが、そのような事業体を立てることによって、統一教会員たちは、神様に対する責任と奉仕を共に遂行していくでしょう。
14 誰彼を問わず、過去、現在、未来を中心として、多くの人々が生きていく中で、概して貴いと考えるものとは何でしょうか。今までの歴史路程では、経済問題が登場しました。お金の問題は、日常生活から離れることのない事柄です。
経済問題というのは、家庭でもそうであり、社会生活でもそうであり、国家生活でもそうであり、あらゆる生活から離れることができないのです。常に経済が問題になってきました。経済問題を論じるときは、世界的次元で考えなければなりません。今、家庭で使うお金も必要ですが、それを広げ、国家的な経済問題や、世界的な経済問題を考えなければならないのです。
第二節 総生畜献納と経済的平準化
総生畜献納と所有権転換
世界は、人間の堕落によって、神様の主管からサタンの主管へと変わるようになった。言い換えれば、堕落の結果、神様を中心とした心情圏と血統圏、所有権が、サタンを中心としたものに変わってしまったということである。そのため、神様は、復帰摂理を通してこれを取り戻す役事をしてこられた。特に、すべての摂理を終結するために来られた真の父母様は、総生畜献納を条件として、サタンの主管圏にある物質を神様の主管圏に戻そうとされた。総生畜献納とは、誰もが自分名義になっているすべての財物のうち、一定額を天のみ前に捧げる条件を立てることであり、真の父母様は、「これがこの地において、神の国が実現し得る基盤になるという点で、絶対信仰よりさらに重要なことである」と、その重要性を強調された。
1 人間の堕落によって、神様の所有とサタンの所有に分かれました。悲痛な事実です。サタンの所有が、神様の所有に帰らなければなりません。旧約時代の万物、新約時代の子女、成約時代の父母が、天に帰らなければならないのです。旧約時代は万物の祭物時代、新約時代は息子の祭物時代、成約時代は父母の祭物時代でした。二つに裂いたものを、すべて一つにしなければなりません。そのようにすることによって、所有権がなくなります。皆さんの家庭を中心として見ても、万物は旧約時代、息子は新約時代、夫婦は成約時代ですが、この全体が天に移されなければならないというのです。
ですから、総生畜献納をしなければなりません。個人の所有権を否定し、天のみ前に捧げなければなりません。全体を神様の側に捧げることによって、天宙のすべてのものが一緒についていくので、完成圏に到達できるのです。そのように、神様の所有とサタンの所有に対するすべての境界線を分別するのが、総生畜献納です。所有権自体が転換されるのです。ですから、総生畜献納を通して、所有権意識を転換しなければなりません。神様の所有、神様の息子、娘、神様の夫婦としてお返しするとき、堕落せずに完成したアダム家庭の出発基準に立つことができるのです。
2 総生畜献納は、死亡圏を取り除き、生命圏に一体化させることです。総生畜献納祭の「祭」というのは、所有権を決定するための条件を立てることです。祭祀を執り行うのです。しかし、総生畜献納のもの自体は、生きているものなので、自分自体も生きているのです。人間が堕落せずに暮らしていたエデンの園では、すべてのものが生きていました。それらは、神様のものです。それらが死亡の圏内にひっくり返ったため、逆さまにしておかなければなりません。ですから、天のみ前に所有物を捧げるためには、自分の名前までも消せるようでなければなりません。自分の国までもなくさなければなりません。根こそぎ神様に捧げてこそ、根こそぎ神様のものになるのです。神様が相続させることのできる相対圏がないので、真の父母の前にそれを相対的条件物として与えるのです。その条件物は、死なずに生きています。その生きているものを家庭に連結し、氏族、民族、国家、世界全体に連結して捧げることによって神様のものになるのです。そこには、祭物時代がありません。そのようなものが総生畜献納です。
3 宇宙を縮小させた自己の所有権を、生きたそれ自体として、真の父母を通して神様のみ前に献納しなければなりません。自分の息子、娘を考え、将来を考えるのではなく、完全に否定しなければなりません。絶対否定圏を越えるためです。
蕩減の歴史時代には、祭物を捧げました。半分に裂けば死んでしまいます。ですから、霊界と肉界、地獄と天上が分かれているのです。生死の圏で分かれているのですが、これを一つにするためのものが総生畜献納です。生きているもので祭物を捧げるのです。生きているものを献納するのです。旧約時代も生きており、新約時代も生きており、成約時代も生きています。すべてが生きているものとして、総生畜献納をするのです。
4 愛の関係を結んでこそ、所有権が広がります。堕落した圏内の所有権は、サタンを中心とした所有権です。神様と真の愛を中心とした愛の主人になったあとに、万物を主管することができます。ですから、サタンを中心とした所有権全体を清算するために、総生畜献納をしなければならないというのです。これは、絶対信仰よりもさらに偉大なことです。絶対信仰が一代に局限されたものだとすれば、これは永遠を中心として、絶対的な基準になります。深刻な問題です。愛の主人になってこそ、霊界と肉界を管理することができます。神様も、愛の関係を結ぶことができず、血統を連結させられなければ、霊界と肉界の主人になることができないのです。
5 今までは、天が復帰の過程にあるので、サタンが所有したものを裂いて祭物を捧げました。血を流さなければならなかったというのです。これからは、血を流してはいけません。神様が、生きているすべてのものの主人にならなければなりません。ですから、総生畜献納祭です。献納祭の「祭」というのは、献納財産のことを意味します。祭物というのは、財産です。所有権をつくるための条件物です。ですから、祭祀を捧げるようになれば、サタンと神様のものに分けるようになっているのであって、それは自分の所有ではありません。アダムの所有にならなければ、すべて失ってしまうのです。それゆえ、総生畜献納をしなければならないのです。それでこそ、根こそぎ、神様が主管することができます。
神様が主管できるようにしたのです。そうして、家庭全体を国の所有として登録させなければならないのですが、国がないので、教会の所有としてすべて登録しなさいと言ったのです。それが、そのまま国の所有に越えていかなければなりません。それまでは、アダムとエバの所有権はありません。国家基準で全体を生畜献納してこそ、国家の上にある天が白由に活動できる地上天国理念が連結されるのです。ですから、「自分の所有である」という慨念をもってはいけません。

Monday Sep 18, 2023
真の父母経 第268話
Monday Sep 18, 2023
Monday Sep 18, 2023
第一章 環境創造のための経済活動
第一節 環境創造のための経済基盤の造成
環境創造と経済基盤造成のビジョン
真の父母様は、神様の復帰摂理の基盤を造成するために、環境創造が必要であると考え、世界の至る所に数多くの企業を設立するなど、経済活動を展開された。環境創造とは、再創造の役事のために、物質をサタン世界から神側に取り戻し、神の国創建のための外的環境を造成することを意味する。
特に、世界人類がすべて等しく物質的恵沢を受けるためには、特定の個人や企業、国家の利益を離れ、資源の効率的な活用と技術の平準化が成し遂げられなければならないと考えられた。
1 神様が再創造歴史を導いていくには、環境創造をしなければなりません。環境には必ず主体と対象があります。その環境の中には、人間の堕落ゆえに、自らを再創造できる資源がありません。サタンの側に奪われたというのです。これを再び取り戻してこなければなりません。再創造しなければならないというのです。
資源がサタンの所にすべて行ってしまったので、これをそのサタンの側から取り戻してこなければならないのです。「門前乞食」(家々を回って物乞いをすること)をしながらでも、すべて取り戻さなければなりません。僕の僕の道、僕の道、養子の道、庶子の道を経て、復帰の道を行かなければならないのです。
2 天は、この地上に真の父母の伝統、王権の伝統を立てるみ業をしてきました。天がそのようなみ業をしてきたので、私たちを生かすためにその方が来たのです。真の父母がそれをしてきたので、その伝統の恨の峠が残っているこのすべての村を訪ねていき、皆さんを再創造できる資源を求めるために、三年半の間、天にすべてを捧げる心情で活動しなければならないのです。
(その間は)一銭も、自分のためだけに使ってはいけません。一銭でも加えて、天のみ前に献金しなければならないのです。三年半の間は、社会的底辺の人や、長官の家、大統領の家の門前まで行って、否定されてでも歩まなければなりません。そのようにすることによって、失われた再創造の資源を天のみ前に預け、これによって再び造られる条件を立てて蕩減することにより、入れ替えるのです。
3 愛国者は、国のために命を懸けようと考えなければなりません。死の峠に到達するときまで、すべてを投入する立場に立たなければなりません。生命を投入できなければ、愛国者としての生命を得ることはできないのです。それが真理です。適当にやってはできません。これは公式です。
環境創造をするためには、どのようにすべきでしょうか。環境には、太陽の光、水、空気、土があります。皆さんが愛と生命体をもって神様の代わりに歩むようになれば、そのような環境的条件で、必ず皆さんが主体となって投入し、対象を創造しなさいというのです。平安な所にいながら福を受けることはできません。つらくても、自分がつらさを忘れてしまえば、無限の成果が出てきます。それが再創造の公式です。
無限に投入し、また投入して、忘れてしまわなければならないのであって、「私はどれくらい投入した」と、(投入したことを)覚えていてはいけません。お金もなく、何もないので、愛の涙、生命の涙、血統の涙、良心の涙を流しなさいというのです。そうすれば、神様が同情してくれます。「私」が絶対マイナスになったので、絶対プラスである神様が共にあるのです。
ですから、何かをしながら、利用しようと考えてはいけません。そのように考えること自体が間違っています。世の中の人がお父様を利用したとしても、その人と共に復興し、共に生きるために事業をしていると考えなければならないのであって、私が利益を得ようとしてはいけません。そのようにして得たものは、いくら集めてもサタン測に戻っていくのです。
4 皆さんが大きくなろうとすれば、自分自体を投入しなければなりません。これが真理であり、すべての現象世界の発展原則です。拡張し、発展しようとすれば、投入しなければなりません。純粋な投入は、純粋な発展と純粋な拡大が可能です。いい加減に投入すれば、いい加減な結果が出てくるのであり、深刻に、純粋に投入すれば、深刻で純粋な結果が出てくるのです。
これを簡単に表現すれば、「真に犠牲になりなさい」ということです。これは、真に犠牲になる道においてのみ可能です。その犠牲とは、自分自身を投入することです。「真に犠牲になりなさい」という言葉は、投入しなさいということを意味します。
5 原理は非常に膨大です。原理を通して考えれば、世の中に解けないものはありません。世界万有の百科事典のような内容を備えています。天倫の根本的なものを中心としているので、公式と同じです。このようにすべてに当てはまるのが原理です。この原理は、現代哲学や心理学にも当てはまります。また、物質世界の原則にもすべて当てはまります。企業を発展させようとすれば、経営と施設と技術の三大要素が一つにならなければなりません。すべて、このように三大原則になっています。
6 今後、世界の経済圏を誰が握るのでしょうか。それは、原料をもっている国でもありません。生産国でもありません。皆さんが知っているように、石油を中心として世界情勢を見れば、石油の生産国が完全に首をつかんで引っ張っています。発展途上国、消費国、販売市場国も、世界経済圏を握ることはできません。ですから、これらの国々が共同体制を構成しなければならない時が、遠くない将来に来るというのです。
原料を世界的に共同管理するよになれば、生産も共同管理しなければならず、販売も共同管理しなければなりません。結局は、これを全世界の人々にどのように平等に補給してあげる組織基盤をもつかによって、これからの世界経済が左右されると考えるのです
今までは、先進国や生産をする国が主導権を握ってきました。しかし、今や生産が問題となる時代は過ぎました。生産は誰でもみなできます。科学技術の、発展によって、生産が平準化されました。今に至っては、資源の供給が問題になります。生産国が全権を握って動いていた時代を越えて、今では資源が(主導権と)結びついているのです。どこもたくさん生産しようとするので、資源を中心とした体制になりました。ですから、石油問題が深刻なのです。
それでは、生産と資源、そして、供給市場の三大原則から見るとき、今後、経済の権限をどのような国が握るのでしょうか。生産国でもなく、資源をもっている国でもありません。これからは、市場を掌握する国が、経済圏を掌握するというのです。
8 国々が互いに争い、民主主義と共産主義が闘う立場にあれば、世界の経済圏を誰が握るのでしょうか。生産国でもなく、消費国でもなく、原産地国でもありません。販売組織を世界化して、思いどおりにコントロールできる思想的な団体や国家、宗教が、世界経済園を握ることのできる時が来るというのです。
今後、全世界にそのような組織が出てくれば、この組織を管理する人には誰がなるでしょうか。これには、不変の理念運動を通して歴史を動かし得る思想的な団体がなり、民族がなるでしょう。
「科学の統一に関する国際会議」を開催して世界科学者協会をつくり、その次に、世界経済人協会をつくろうと考えています。それで、今まで新しい理想世界、理想的な経済世界を夢見てきたある経済学者にお父様が会い、これからの世界経済全般の問題点について話しました。
彼らにとって最も難しい問題の骨子は、人権問題と思想問題、すなわち人の問題と思想の問題をどのように扱うかということです。国と国が競争すれば、互いに自国が主導権を握ろうとし、利益を取ろうとして権力闘争をします。
ですから、自国を中心とした立場をどのように超越するかが問題です。その問題は、新しい思想でなければ解決できないのです。
真の父母様の経済観
真の父母様は、物質というものは、神様が子女である人間に下さった贈り物であり、人間の生活に必須の要素であると考えられた。そして、人間は、誰もが差別なく、神様の下さった物質を等しく使用しながら、物質の真の所有主となるべきであり、特定の国家が科学技術と経済力を独占して、他の国を隸属させてはならないと予見され、経済的平準化を主唱された。このような経済観に基づいて、神様を中心とした共生、共栄、共義の人類共同体ビジョンを提示されたのである。
10 お父様が事業をしてお金を稼ごうとするのは、そのお金を貧しい人々が豊かに暮らせるように使うためです。それで、経済的な基盤を中心として、お父様が築いた最高の科学技術を世界の万民解放のために分け与えるのです。それが平準化です。
先進国が弱小国を自国の下に引き入れようとするのですが、そのようにしてはいけないというのです。横に連れてきて、くっつけなければなりません。平らに連結しなければならないというのです。このようにするので、先進国の人々は、お父様に対して「先進国を破壊しようとする者」という烙印を押して、反対するのです。お父様は、世界の平準化を主張している人です。私がすべての国を対等な位置に立ててあげようというのです。
今までヨーロッパはアフリカを搾取し、万年にわたって僕の立場に立てるための政策を展開し、またアメリカも、南米を隸属化するための政策を用いてきました。これを私が打破してしまおうとしているのです。

Monday Sep 18, 2023
真の父母経 第267話
Monday Sep 18, 2023
Monday Sep 18, 2023
第十篇 環境創造と海洋摂理、中南米摂理
神様は、堕落した人類を救うための復帰摂理を進めてこられた。神様の復帰摂理は再創造摂理であるため、サタン世界に奪われた環境を復帰しなければならない。真の父母様は、草創期から環境創造のために、経済基盤を造成する多様な活動を展開された。特に、科学技術の平準化運動を通して、世界的懸案である先進国と発展途上国の両極化を緩和させるため、先進技術をもった企業体を引き継ぐなど、多くの努力を傾けられた。
真の父母様は、神様が太初に構想されていた人類共同体の実現のため、草創期から直接、船で海に出られ、全身で荒波を越えながら精誠を尽くされた。そのような中で、海洋ビジョンを提示し、多くの投入をされたのである。特に、韓国の麗水と巨文島、アメリカのアラスカとハワイなどの地を海洋摂理の中心基地とし、海釣りを通して人材を訓練しながら、海洋資源の開発に対する構想を明らかにされた。
まず、真の父母様は、海洋の水産資源を開発し、人類の食糧問題を解決するために、魚類とオキアミを利用した高タンパク質の食糧である魚粉を生産し、飢餓で苦しむ開発途上国を援助された。同時に、海洋趣味産業を積極的に推進し、沈まない船の開発や世界釣り大会も開催された。
人類共同体の実現のため、摂理的に重要な地域が中南米である。真の父母様は、プロテスタント圏の北米とカトリック圏の中南米を一つに束ねることにより、平和世界の建設を早めようとされた。そのために世界のすべての組織と経済力を動員し、中南米の国々を積極的に支援されたのである。特に、ウルグアイにホテルと銀行など多くの企業体を立て、「南北米統一連合(CAUSA)」と「中南米統合機構(AULA)」を設立して南北米の統一運動を展開し、また、中南米の指導者たちを教育された。
真の父母様は、ブラジルのジャルジンを中心に新しい希望農場を建て、パンタナールとプエルト・レダ地域をモデルとして開拓し、理想的な共同体を建設しようとされた。ジャルジンに世界平和理想家庭教育本部を建てて世界祝福家庭四十日修練を実施される一方で、レダ地域に日本人の国家(的)メシヤたちを派遣して、理想村の建設を推進された。また、真の父母様は、南米でサンパウロ宣言、ジャルジン宣言を発表するなど、復帰摂理の終結に向けて様々な儀式を執り行われた。

Monday Sep 18, 2023
真の父母経 第266話
Monday Sep 18, 2023
Monday Sep 18, 2023
9 父母を中心として、父子関係だけでなく、前後関係がすべてつながることができます。カインとアベル、これが公式的な原理です。ですから、圓球ピースカップです。ピースカップは一人ではできません。二人でなければなりません。圓球も、ピースカップがアベルなので、アベルに付いていこうとすれば、一つにならなければなりません。肉界だけでなく、霊界まで一つにならなければなりません。
統一教会が霊的な事実をはっきりと知らなければ、どうして圓球になりますか。地球のアベル的基準を前にして、霊界がカインの立場に降りてきて、アベルに侍らなければなりません。これが一つになるのです。神様までも、誰が解放するのでしょうか。アベルが解放するのです。降りてきて一つになるので、解放されるのです。ですから、カインとアベルをあらゆる方面に編成すれば、一瀉(いっしゃ)千里で世界は一瞬にして回っていくのです。
10 平和の王と女王は父母の位置であり、平和の子女はカインとアベルの位置です。その下は千万に枝分かれしても、定着できるのです。安着ではなく定着です。その種は、どこに持っていって植えても、芽を出すことができます。そのような種を残していかなければなりません。それが総論になります。ですから、圓球ピースカップです。子女を代表しては、カインピースカップとアベルピースカップです。王と女王、二人が一つになって和合し、一体になる家庭の定着は、永遠に天の国の種として発展していけるのです。
アダムとエバの位置が王と女王の位置であり、カインとアベルの位置は息子と娘の位置です。一代と二代が一つになって定着する家庭さえ形成されれば、そこに定着したものが永遠の種になります。理想家庭といえば、王と女王、そして息子、娘によって形成された種のような基盤であり、その基盤の上で、千や万に分かれた個性真理体が出てくるのです。
第四節 「世界平和武道連合」と「統一武道」
武道の重要性と教育
真の父母様は、一九九七年三月二十三日、アメリカのワシントンDCにあるヒルトン・ホテルで、「圓和道」を中心とした世界の武道家たちが参加する中、「世界平和武道連合」を創設された、「世界平和武道連合」は、全世界四十ヵ国以上で基盤を整え、平和の社会、国家、世界の構築に貢献するための様々な活動を展開してきている。二〇一二年二月二十五日には、韓国にその本部を移し、出帆式が行われた。真の父母様は、この地に平和世界を実現するためには武術が必要であるとされ、特に「青少年の体と心を訓練することに、武術が寄与しなければならない」と語られた。
1 今後、世の中で戦争が終わるようになれば、スポーツと芸術に関心が注がれるでしょう。血気盛んな世界の若い青年たちの力を発散させる道がありません。スポーツだけが、これを発散させることができます。スポーツの中でも、武術をしなければなりません。なぜ武術が必要なのでしょうか。悪魔が力をもって世界を支配したので、今からは天の力を中心として、武術のチャンピオンにならなければならないのです。そこに思想まで一致した体と心をもって、天の権威を中心として家庭で定着し、氏族、民族、国家まで定着しなければなりません。
ですから、毎年チャンピオンを選ぶ大会をしなければなりません。武術大会で小学校チャンピオン、中学・高等学校チャンピオン、大学チャンピオンが出れば、その武術のチャンピオンは、先生になることができるのです。大学のチャンピオンになった人は中学・高等学校の先生をし、国を中心として、大統領まで教育することができます。そのようにすることによって、武術を中心として、悪魔に破壊されるこの世界を守らなければなりません。
2 若い人たちが最も好むものは体育です。スポーツと芸術、その次には武術です。文化が発展するほど、スポーツ種目も発展していきます。ですから、同時に、自分の体と心を訓練することに標準を合わせて平面に一元化すれば、あるレベルに到達してからは跳躍しなければなりません。一遍に自分の願いどおりになることはありません。段階を経ていかなければならないのです。
3 お父様は、思想的な面でも肉体的な面でも、世界的に勝利できる、才能ある人を育てなければならないと考えています。私たちは、善を備えた、歴史にない強い勇士にならなければなりません。善は停止しているのではなく発展していきます。発展するためには、底力がなければなりません。
韓国には正道術という武術があります。その武術には、十三メートルの高さから飛び降りる訓練もあります。落下しながらあお向けに倒れるのではなく、落下していても攻撃しなければなりません。皆さんに、そのような訓練をさせたら良いと思っています。例えば十三メートルの三倍以上、四十メールのてっぺんから落ちても死なないというぐらいの自信と思想をもたなければなりません。お父様が皆さんを訓練させるとすれば、非常に厳しい訓練をさせたいと思います。
4 今すぐに「圓和道」をしなければならない時点に置かれています。これを急いで世界化しなければなりません。そのためには、皆さんが強烈に活動を展開できる人々にならなければなりません。「圓和道」は天から始まりました。
「圓和道」は今後、第一に、外的体育の武術的基台を造成しなければなりません。あらゆるスポーツ分野で、武術に通ずることにより、完全な基台を造成しなければなりません。
第二は、内的・霊的価値の涵養です。人間世界には、心、内的なものがあり、その次には霊界があります。内的・霊的価値の涵養とは何でしょうか。「圓和道」を通して肉体運動をすることによって、その時々に学ぶすべての動作を通して、原理の深い所を次第に掘り下げていくことが可能だというのです。
第三は、世界統一です。二つの世界を統一するのです。二つの世界とは霊と肉の世界のことを意味するのですが、圓和道を通して精神武装が可能です。肉的世界と霊的世界の精神武装も可能だというのです。
第四は、民主と共産、両世界の青年の(精神)武装を定着させられるということです。どこに行っても、この武術をするようになれば追い出されません。この「圓和道」を習ってみれば、すべてが自然なのです。自然でありながら、すればするほどおもしろくなります。それを連結するようになれば、体育にもなり、すべてのスポーツの根本動作と連結されると考えるのです。ですから、民主と共産、両世界の青年の(精神)武装を定着させられるのです。昔の花郎道(ファランド)と同じように、武術自体を学ぶことが霊的教理に精通する道になるのです。
「圓和道」と「統一武道」
世界の武道の中で、「圓和道」は、真の父母様が教えられた授受法による原理と円環運動を中心として、原理的内容と一致し得る体育としての武術である。真の父母様は、「圓和道」ついて、「多くの円の調和、すなわち圓和を通して愛の人格者となるよう訓練する武術である」と語られた。また、「圓和道」と「統一武道」は、「統一思想」、平和思想を基に発展させなければならないことを強調された。
5 「圓和道」は武術です。武器を持って闘うのではありません。体自体で運動をすることによって最高の気力をもつことができ、いかなる武術にも対処できる防御のための武術が「圓和道」です。これは直線運動ではありません。直線運動には調和がありません。水切りをするとき、腰のところで石を握り、このように回して素早く投げれば遠くにジャンプしていきます。この運動は、宇宙が運動をするのと同じで、その拍子に合わせ、度数に合うように相対的立場ですれば、最高の武術基準を体得して、何でも防御できる勝利者の権限を備えることができるのです。
6 統一教会員たちは、教会に入れば、霊的体験をするようになります。霊的な体験をしなければなりません。そして、お父様の教えを霊的にたくさん受けなければなりません。そのような体験を一〇〇パーセントしなければならないのです。皆さんがそのような基準で専門的な分野を研究するようになれば、その分野で無限に発展できるように教えてあげるのです。
私は正道術が一番だとは思いません。それ以上に発展できるように教えてあげる道があるというのです。正常な軌道に入れば霊界から教えてくれ、お父様が現れて教えてくれるようになります。それ以上に教えてくれるのです。それが誰も知らない、目に見えない統一教会の長所です。
7 私たちは、大学をつくり、中学・高等学校をつくっています。ここで「圓和道」を教えて、世界的な武術圏に発展させるようになれば、この「圓和道」はテコンドーや正道術、柔道、レスリングを越えていくようになるでしょう。
「圓和道」さえ習えば、すべてできます。これにより、若者たちを中心として、健康や体育、すべてのスポーツ文化を収拾し、私たちの原理の内容を中心に教えることができる基盤になるのです。完全なマイナスは完全なプラスを誘発し、完全なプラスは完全なマイナスを創造します。外的な武術を中心として心身が一致する理論的体制を備え、それを体育の形態として展開させれば、その体育を通して学ぶ過程で、自動的に原理を習得するようになるのです。
8 これから、二世たちは、オリンピック思想の伝統を受け継ぎ、外的には健康で、内的には愛に満ちあふれていなければなりません。愛が満ちあふれるようになれば、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を代わりに担うことができます。
愛国、愛世、愛天を代わりに担うことができる愛に満ちあふれた人格者にならなければなりません。そのためには、思想も、統一的な理論を通して統一の心情圏を形成するのと同じように、運動も、原理的内容と一致する武術基盤を確保しなければなりません。それで、「『圓和道』を始めなさい」と百二十ヵ国に指示したのです。お父様も長年、自分の体力を保つために、この円和運動をしています。授受法的円和運動、円滑に行う運動をしているのです。
9 「統一武道」は、既存の武術全体を一つにし、特殊なスポーツとして定着できなければならないのであって、一つの分派になってはいけません。「統一思想」と平和思想を基本とした武術として発展させなければなりません。スポーツもそうであり、すべての分野がそうでなければなりません。芸術も、そのようにしなければなりません。霊界に基盤ができ、バックグラウンドができて押してくれるようになれば、即座に発展します。霊界が協助するため、発展するのです。その基礎を築くのが難しいのです。

Monday Sep 18, 2023
真の父母経 第265話
Monday Sep 18, 2023
Monday Sep 18, 2023
セネ・サッカーチームとソロカバ・サッカーチーム
真の父母様は、サッカーは全世界の人々が好む運動競技であり、平和世界実現のために必ず必要であると考えられ、二〇〇〇年四月四日、サッカーの強国であるブラジルのソロカバ・サッカーチームを引き継がれた。一九九一年二月二十一日に創団されたソロカバ・サッカーチームは、引き継ぎ後、ブラジルの一部リーグに昇格するなど、大きな成長を遂げた。セネ・サッカーチームは、一九九九年十二月十五日、ブラジルのジャルジンで創団され、幼少年のサッカーチームも運営している。
7 ブラジルでは、サッカーが産業基盤と同じです。ブラジルはサッカーに対して、国全体が熱意をもっています。また、中南米三十三ヵ国全体が、一つの国のような熱意をもって取り組んでいるのです。そこで誰が一つの国に勝つかというのです。
ですから、ブラジルが世界最強チームとして有名ですが、ブラジルでプロサッカーチームをもつというのは、空の星を取る(非常に難しいことの例え)くらい大変なことなのです。また、私がその時、サッカーチームをつくらなかったならば、どのようになっていたでしょうか。
そのあと、ブラジルサッカー協会は、外国人がブラジルに入ってきてサッカーチームをつくれないようにしました。法で定めてしまったというのです。なぜでしょうか。私がそのようにして一気にブームを起こせば、問題になると考えたのです。自分たちが世界の特権的立場でビジネスをしていたのに、外国人たちが入ってきてこのようになれば、問題が大きいので、最初から法で定めてしまいました。今、外国人としてお父様だけがブラジルにサッカーチームをもっています。
8 私がブラジルでセネとソロカバというサッカーチームを運営しているのですが、問題になりました。「レバレンド・ムーンが突然、一年間でこのようなことができるのか」というのです。ブラジルはサッカー王国です。産業復興や経済復興を通して得る収益より、サッカーを通した収入がもつと多いというのです。ですから、(私が)サッカーチームを引き継ぐやいなや、非常事態になったというのです。それが、私たちの文化祝典にまでも関係を結べる道です。
9 サッカー王になって何をするのでしょうか。国を探し出さなければなりません。中南米に三十三ヵ国ありますが、誰がその国々を束ね、一つの国にするのかというのです。ペレを中心としてできるなら、ペレを中心として束ねるのです。
世界の六大州を束ねることができる最も早い道、世界を代表して国家を越えることができるのがスポーツです。オリンピックやサッカー大会のようなものです。そのようになっています。ですから、私がサッカーを重要視するのです。今、ブラジルで私がソロカバとセネ・サッカークラブを運営し、問題になっています。天が助けてくれるというのです。天が同調してこそ上がっていくのであって、そうでなければ上がっても引っ掛かってしまいます。
それを通して、お金を稼ごうとするのではありません。サッカーを通して南米を一つに束ね、世界六大州の一州として、アメリカよりも先に天のみ前に捧げれば、アメリカを追い越していくようになります。スポーツによって連合した連合国家を天のみ前に捧げれば、そのスポーツ選手たちが国家の主流思想を引き継いでいくのです。
第三節 鮮文ピースカップと圓球ピースカップ
ピースカップとピースクイーンカップ
真の父母様は、心情文化世界の具現のため、二〇〇二年六月、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館において、鮮文ピースカップサッカー大会を創設された。ピースカップは、「鮮文平和サッカー財団」が開催する国際クラブサッカー大会であり、二〇〇三年から二年ごとに大会が開かれた。第一回、第二回、第三回の大会は韓国で開催され、二〇〇九年の第四回大会はスペインのマドリードとアンダルシア、第五回大会は二〇一二年七月、韓国の水原で開催された。一方、二〇〇六年からは、国際女子サッカー大会であるピースクイーンカップも二年ごとに開催された。
1 鮮文ピースカップは、どこから来たのでしょうか。お父様から来たのではありません。天から来ました。それゆえ、いい加減に考えてはいけないというのです。いい加減に考えれば、問題が生じます。
摂理がそうだから、そのようなことをするのであって、それをして利益になることはありません。皆さんのように考えれば、利益になることは一つもないというのです。
2 お父様はサッカーに関心をもって、一和天馬チームをつくり、ブラジルでも有名なソロカバ・チームを引き継いで運営しています。平和の世界になれば、スポーツが問題になります。スポーツの強い国が、世界に影響力をもつようになるのです。ですから、二〇〇三年に宗教オリンピック大会を行うつもりです。日韓ワールドカップサッカー大会が開催されている真っ最中の六月十二日に、「鮮文ピースカップ大陸連合協会」というサッカー協会をつくりました。既に有名になりました。サッカー王国と言われるブラジルから有名なペレを連れてきて、「FIFA(国際サッカー連盟)を刷新しなければならない」と言いました。
3 アメリカの人々は、アメリカンフットボールやバスケットボール、野球など、ボールを中心として行う競技を好みます。サッカーはイギリスから始まったので好ましく思わなかったため、今まで無視してきました。しかし、サッカー大会がオリンピックよりも人気があるので、今や対等な位置に立ちました。
対等な位置に立って平準化されるのです。平準化されたこの世界を中心として、南北米を私がまとめようとしているのです。
南北米の力さえあれば、ヨーロッパはいつでも相対的に付いてきます。世の中を平準化するため、二〇〇三年にサッカー大会を行うのですが、それが鮮文ピースキングカップです。
4 今後は、スポーツと芸術で、若い人たちがエネルギーを発散させなければなりません。私たちは、既にそれを準備し、行っています。これから、ピースカップサッカー大会を二年に一度ずつ行うつもりです。クラブ大会なので、国家代表を超越しています。上手にやれば、喜んで楽しむことができるのです。一年間で私たちが基盤を築いたことは、驚くべき大事件です。
国家代表を何ヵ国かから一人ずつ選ぶようになれば、互いに競争して、送り込もうとするでしょう。国際的な権威を立てるには、絶対に必要なことなのです。
5 私がピースカップ、ピースキングカップサッカー大会をつくりました。FIFAに「ピースキングカップ大会を私が創設する」と言うと、「FIFAよりも有名になってはならない」と言うのです。女子サッカーを中心としても、「女子ピースカップ、ピースクイーンカップ大会をつくる」と言うやいなや、また大騒ぎです。
私はピースクイーンカップ大会で、「この時間、女性世界から平和の旗を掲げるサッカークラブが登場するので、これから希望をもってください!ピースクイーンカップ大会を出発します」と宣言するでしょう。
6 芸術分野と体育分野が、今後、世界を指導できます。それで、私たちは「世界文化体育大典」を行うのです。そこにオリンピックという名前を使おうとしたのですが、IOCに反対されて使えずにいます。芸術分野と体育分野を束ねるに当たって、オリンピックという名前の代わりに、新しい名前をつくらなければなりません。それで、鮮文ピースカップ大会をつくるのです。
太陽と月のカップ、父母のカップ、天地父母のカップです。そのカップは、芸術分野とスポーツ分野が合わさったものです。体育だけをするのではなく、芸術分野、音楽や舞踊のような分野の世界チャンピオンをつくるのです。
カイン・アベル圓球ピースカップ
圓球ピースカップは、国境、人種、宗教の壁を越え、人類の平和と和合を図るために準備された祝祭の場である。二〇〇九年八月十五日、京畿道の城南総合運動場で「東西南北圓球ピースカップカイン・アベル天宙連合大会」が開催された。続いて、二〇一二年三月二十三日、「カイン・アベル圓球ピースカップ天宙連合大会」が、京畿道の南揚州(ナミャンヂュ)体育文化センター総合運動場で開催された。圓球は、一つの中心を基準に、上下、左右、前後が九〇度で完全に一つとなり、どこにも偏らない均衡を形成することを意味し、圓球ピースカップは、真の父母様を中心に完全に一つとなって開催する平和の祭典を意味する。
7 圓球ピースカップ大会は、オリンピック大会よりも偉大です。オリンピック大会の花であるマラソンは、ギリシャの兵土がペルシアと繰り広げた戦争の勝利報告を国に伝えるために、約四十キロメートルを走ったことを記念するためにつくった競技種目です。こうして、この体を中心として、国に捧げられる最後の峠を越えるに当たって貢献したことが、オリンピックの伝統歴史になりました。それ以上にしなければなりません。ですから、圓球ピースカップは、オリンピック大会以上の行事として出発することを、既にお父様が発表しました。
8 ワールドカップやオリンピックを凌駕できるのが「圓球」です。それが「圓球」というものです。「圓」という字は、四角(国構え)の中に各々の人(員)が入っています。個々人、個性真理圏のすべてのものを包括するというのです。個性真理体が「圓」の字の中に入ります。入らないものがありません。圓球とオリンピック大会さえ支配するようになれば、世の中のすべての人間の趣味や楽しいことは、この圏内にすべて包括されるのです。「圓」という字がそうなっています。個人(員)という言葉が入っています。二つの四角(国構えと口)と「貝」の字です。「貝」という字は、「目」を支えています。
カインとアベルが神様を持ち上げなければなりません。絶対の中において、唯一、不変、永遠が支えなければ、絶対という言葉自体が成立しないのです。すべて道理にかなった言葉です。圓球ピースカップ、その名前自体を見るとき、オリンピック大会は問題ではありません。「圓球ピースカップカイン・アベル天宙連合大会」は、決着をつけることができる表題です。

Sunday Sep 17, 2023
真の父母経 第264話
Sunday Sep 17, 2023
Sunday Sep 17, 2023
12 第二次世界大戦直後、キリスト教文化圏を中心として登場し、七年以内に世界を統治できる基盤を失ってしまいましたが、私はこれを自力で復帰しました。ソ連とアメリカが私を歓迎して支持する段階に入ってきたというのです。第二次(世界)大戦直後に失ってしまった神側のオリーブ畑であるキリスト教文化圏を、初めて父母様を中心とした統一教会の基盤を通して神側に復帰したので、ここに接ぎ木(の役事)さえすれば、全世界は復活するのです。
それで、一九九二年から祝福を公開するのです。それが「世界文化体育大典」です。四十日修練を受け、真の父母を認め、神様を絶対に信じ、真の父母に従って永遠なる神様の愛と生命と血統の新しい種を授かるという誓約をして進み出れば、天に帰っていけるのです。
13 摂理の一環として始まった「ハンマダン体育大会」は、神様を中心とした新しい青年文化創建運動として、天の側に立った心が悪魔側の体を治める統一的心情圏を回復し、ばらばらになった世界を一つに統一して、神様の恨を解いてさしあげる若者たちの広場にならなければなりません。皆さんは未来の主人公として、ひいては天の王族として、強く雄々しくなければなりません。暗闇を退け、悪を審判する正義の旗手にならなければなりません。
大学原理研究会が中心になり、世界的に蔓延している淫乱と暴力の波を清算し、新しく神聖な善の革命を成し遂げなければならないのです。神様を中心とした世界の青少年たちが中心となり、本然の子女、兄弟、夫婦、父母の心情圏を回復し、過去の王、現在の王、未来の王として、三大王権を復帰した真の天の王族になって、永遠なる生命の道を行かなければなりません。
14 統一教会が主張することは、政治世界でも問題を起こし、宗教世界でも問題になっています。ですから、いつでも先頭に立たなければなりません。政治圏でもカインとアベルが一つになり、宗教圏でもカインとアベルが一つにならなければなりません。そうして、ここで一つになったすべてが、歴史的ないかなる勢力圏よりも強くなければならないのです。このすべてのものを、個人では束ねることができません。家庭で束ねなければなりません。このような面において設けたのが、第一回「世界文化体育大典」です。
そこには、二世たちとすべての分野の世界最高の指導者たちが来るのです。彼らと二世たちは、縦的な面から見れば、カインとアベルです。世界のすべての指導者たちが、カインの立場だというのです。長子権復帰をするために、次子と長子をひっくり返すのが(今回の)祝福行事です。一九九二年八月二十五日の祝福式をする前日にすべての人の前で真の父母とメシヤ宣布を行いました。大韓民国と日本、アメリカで宣布をしたのです。ですから、真の父母を中心としてカインとアベルが一つになり、宗教圏と政治圏が一つになるのです。文化圏全体が一つになります。世界は混乱していますが、統一教会の新しい統一文化圏は、今まで世界に向かって、個人から世界が行くことのできる道をつかんできています。
15 今後、世界に残された最も恐ろしい戦争は、人種の戦争です。皆さんは「イエローパワー」というものを知っていますか。これは、真の父母が現れてアジアを動かし、人種の戦争を防止しようということです。世界を救わなければなりません。そのようにしなければ、平和の世界を探し出すことはできません。ですから、世界平和を強調するのです。それが神様の目的です。このすべてのものを中心として、「世界文化体育大典」をするのです。
この大典は、オリンピック大会を凌駕しなければなりません。なぜなら、オリンピックは体を中心とした大会だからです。神様がいません。しかし、「世界文化体育大典」は、世界に文化を植えるのです。すべての文化の中心が宗教なので、宗教を中心として行うのです。宗教を中心として精神を強くし、体を率いていくことができてこそ、正常な人間に戻ります。そのようになれば、新しい文化が創造されるのです。それを真の父母が行うのです。
16 主要記念日には、世界的に有名な芸能団体を呼んで、大会を行わなければなりません。祝賀式自体が、世界的な芸能団体の競演大会になるのです。そのように競演大会をして、一等を選ばなければなりません。学術分野から始まり、各分野のトップを選ぶのです。世界のトップたちを参加させて表彰するのです。そのようにすれば、世界の関心を集めざるを得ません。それが、「世界文化体育大典」です。文化オリンピックだというのです。一週間、各分野で競演するのです。ですから、世界が注視できるように、最高クラスの人々を立てて表彰しなければなりません。
17 「世界文化体育大典」は、文化オリンピックです。オリンピックですが、スポーツだけを競うのではありません。学術分野であれば学術世界のオリンピックチャンピオン、物理学であれば物理学世界のオリンピックチャンピオン、文学であれば文学世界のオリンピックチャンピオン、数百種類の種目を中心として、選出していかなければなりません。お父様は、オリンピック大会やサッカー大会に関心をもち、また芸術世界にも関心をもっています。今やみな、頂上の位置に上がりました。この「世界文化体育大典」を宗教者オリンピック大会にしようと考えています。
第二節 サッカーチームの創団と運営
一和天馬サッカーチーム創団
真の父母様は、一九八九年三月十八日、サツカーを通した世界平和の実現を旗印に、一和天馬サッカーチームを創団された。一和天馬サッカーチームは、一九九三年から九五年まで、韓国プロサッカー大会で三連覇を記録し、九五年にはアジアクラブ選手権優勝、九六年には、アジアスーパーカップとアフロアジアクラブ選手権のチャンピオン大会で優勝することにより、アジアサッカー連盟から、九五年と九六年のアジア最高クラブ賞を受賞した。また、一九九〇年代の三連覇に続いて、二〇〇一年から〇三年まで、再びKリーグで三連覇を果たすことにより、サッカーの名門チームとして定着した。
1 私たちのサッカーチームの名前は一和です。なぜ「一和」としたのでしょうか。その名前が良かったので、私がサッカーチームの名称にしました。一和とは、一つに和する、統一されるという言葉です。化学の「化」の字は、その本質が変わます。材木が燃えてほかの物(灰)になるとき「化学作用」と言います。一和の「和」の字は、本質が変わりません。千万種類の素性と個性がありますが、和合するのです。
2 一和天馬チームをつくったのは、良いことでしたか、良くないことでしたか。宗教指導者がほかのことに手を出したのです。私と何の関係がありますか。韓国民族の気概を高めるためには、仕方がありませんでした。世界にそのような力を誇り得るモデルとして、先頭に立たなければなりません。サッカーはそのような面で代表的な種目です。
もしサッカーチームをつくらなかったならば、韓国サッカーは見る影もなくなっていたでしょう。サッカーチームをつくり、韓国で三年連続優勝し、その次にはアジアチャンピオン、アジア・アフリカチャンピオンになって、有名になったのです。南米に行ってブラジルチームともゲームをし、アルゼンチンチームともゲームをするのです。
3 若い人々は、未来の世界に向かって前進していくべきなのですが、どのように刺激して気迫をもたせてあげるかが問題です。このような意味で、体育が必要なのです。体育というのは、一気に気迫を創出する偉大な力をもっています。それで、このことを考えながら体育に関心をもったのです。昔からそうでした。
スポーツ選手たちが、ほかの人より少し勝って、すべての競争者を押さえて勝利した時に感じるその気迫、気分というのは、経験してみなければ、いくら説明しても分かりません。ですから、体育はそのような面で必ず効果があるというのです。それで、スポーツを奨励するのです。文化オリンピック大会や宗教団体を中心とした体育大会のようなものを、お父様は今までリードしてきました。それでは、なぜサッカーに関心をもつのでしょうか。サッカーには、複雑で多様な妙技があるからです。
4 若い女性たちもサッカーについて知り始めれば、とても味をもつようになります。イギリスやイタリア、ドイツのような国のサッカー場に行ってみれば、本当に素晴らしいのです。サッカーは国民の熱気を刺激します。そのような運動は生きているので、若い人々を連合して衝撃的な爆発を起こすことができます。それがサッカーだというのです。そのような意味で、サッカーに関心をもつのです。
ここに一年でどれほど多くのお金がかかるか分かりません。たとえお金がかかっても、これは私たちが社会に向き合うときの足場になります。今までは、宗教が社会とは隔離されていました。社会から逃避してきたのですが、私たちは社会に向き合うのです。宗教が体育を中心として、特にこのサッカーを中心として社会に向き合おうというのです。
5 気持ちを奮い立たせるにはスポーツがいいのです。ワールドカップサッカー大会のようなものがそうです。一つのゴールが決まるのを見て、十万の観衆が熱狂するのです。それを考えてみてください。バレエや舞踊のようなものも同じです。感動するので「拍手をするな」と言っても拍手をするのです。誰かが「拍手をしなさい」と言うのでしょうか。心から湧き出て、自らするのです。
「ゲームをしているのはどこのチームだ」と言うとき、「統一教会のチームだ」と言えば、統一教会のことを考えます。また、「そのチームは誰が率いるのか」と言うとき、お父様がするといえば、統一教会のことを好きになるでしょう。
そのようにして、世界を巡回しながら、いつでもサッカーのゲームをするのです。春夏秋冬、同じサッカーをしても、季節によって気分が違います。このように、一つの目的の世界へと大衆を動かし、率いていくことができる気分をいつでも創出できるのが体育であり、芸術だと考えるのです。
6 私たちは、サッカーでお金を稼ごうというのではありません。そのお金で、サッカー界の教育機関をつくらなければならないのです。芸術団体の教育機関、その次に、スポーツ界の教育機関をつくって、徹底した思想を入れなければなりません。道義的な面で基盤を築かなければならないのです。