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Saturday May 27, 2023
真の父母経 第175話
Saturday May 27, 2023
Saturday May 27, 2023
第一章 日本統治下と北朝鮮共産治下での受難と勝利
第一節 独立運動と京畿道警察部での受難
地下独立運動と収監
真のお父様は、一九四一年四月から一九四三年九月まで、日本で留学生活を送られた。そして、この期間、国を愛さない人は天を愛することができないという信念により、地下独立運動をされたのである。一九四三年十月中旬に帰国された真のお父様は、留学当時に独立運動をしたことが露見し、一九四四年十月、京畿道警察部に拘束され、翌年二月まで苦難に遭われた。
1 お父様は、日本統治下で地下運動をしました。そこから私の行く道を決めたのです。日本に行っている時には、お金持ちやあらゆる人たちからの誘惑もたくさんありましたが、お父様は誰とでも友達になることができました。
その人たちは、私が何者かは知りませんでしたが、自分たちが必要なときにはいつも私を仲間に入れました。そうしながら、私に対して、自分の胸の奥にある秘密を我知らず、ありのままに話したのです。
2 お父様が日本留学に行った時、上海臨時政府を中心として地下運動をしました。日本の特高警察の資料の中に、お父様の名前が出ているのを誰も知りませんでした。先日、日本からその資料を持ってきました。お父様が韓国を中心として三ヵ国を往来しながら独立運動をしたというのが、特高警察の記録に残っているので、今では誰もが認めるのです。
3 昔、お父様が日本の東京での勉強を終えて帰ってくる時、二十一年後にまた会おうと祈って渡ってきました。その後、二十一年ぶりに再び日本に行きました。当時、日本で地下運動をしながら、共産主義者と組んで合同作戦を行ったこともあります。ありとあらゆることをしました。
お父様の後ろには、いつも刑事たちが付きまといました。私が韓国に行くとなると、彼らは韓国にあらかじめ連絡をし、「誰々が今、韓国のどこどこに行く」と知らせるのです。このようにして、お父様が駅の改札口を出ると、会いたくない人たちがやって来て、「今、来たのか」と言うのです。今まで、そのようなことがたくさんありました。
4 日本で地下運動をした代表的な人がお父様です。二重橋のある東京の近郊に住みながら、地下運動をした人なのです。日本のことを誰よりもよく知っています。貧民窟からすべて研究したのです。日本の大臣の秘書室に入り、秘書として文書を作成する仕事をした経験もあります。その時、日本の将来は長くないと見たのです。
若い学生時代から、地下運動を奨励しながらそのような活動をしたことを、お父様は語らないので、誰も知りません。関釜連絡船に乗って往来しながら独立のための秘密交渉をしたり、釜山から新義州と中国の安東(現在の丹東)まで「ひかり」号に乗って往来しながら、独立運動の背後の人脈をつなげ、地下運動をする内部人士たちに連絡する活動をした人がお父様です。
5 お父様は、韓民族が日本統治下の四十年の受難の中にあったとき、獄中生活をしました。監獄に行ったのです。民族の解放のために監獄に行きました。ありとあらゆる口車で、「出世させてあげよう、優遇してあげよう」と言ってきましたが、お父様は苦難の道を選んできました。天が、怨讐の日本に対して関心ももたせないようにしたのです。神様が監獄に入れたのは、日本に対して完全に断ち切るための作戦でした。今考えるとそうなのです。日本政府を支持する人は、上の人たちから下の人たちまで、すべてお父様に反対する立場に追い込んだというのです。苦難の道を選んで越えてきなさいということです。
6 神様との心情関係を経て神様の保証人となり、サタンの公認を受ける立場まで開拓するために、統一家が出発しました。これは誰も知らないことです。
その背後には、あまりにも多くの悲惨な道があります。私は、日本統治時代から監獄を出たり入ったりしました。血を吐き、十本の指から血を流す場でも、「これが十ヵ国の血に代わり、十の民族の血に代わる祭物として捧げられるとすれば、どれほど光栄でしょうか」と祈りました。私が救われるよりも、私一人が死んで国が解怨成就され、国が解放されるなら、どれほど良いだろうかと考えたのです。
7 万民が共通に願い得る最高の希望であり、万民が探し求めるべき本然の目的基準は、本然の父母を探し出すことであり、本性が指向する故郷、すなわち本性の世界を探し出すことです。したがって、過去の人も、現在の人も、未来の人も、これらを勝ち取らなければ、その国に幸福が宿ることはできません。これが天理原則です。
お父様は、このために他のすべてを投げ捨てました。父母も捨てました。お父様が監獄に入った時は、日本帝国主義時代でした。ですから、その当時、お父様は、国を裏切る逆賊の立場に立つことがなくなったので、むしろ監獄に入るようになったことを感謝しました。お父様が追求していたのは天の国の主権だったので、その当時、主権があった彼らの立場からは、(独立運動を)許すことができなかったのです。日本の圧制圏内にいたので、この世的なことに対しては、一切関心をもつことができませんでした。ですから、父母を捨て、家庭を捨て、出世できる環境をすべて捨てて、失われた国を捜し出すため、この道に進み出たのです。
8 私が二十代の若者として夢を膨らませ、批判されながら歩んでいた時、母は「ああ、あの子は、勉強をさせたのに、あのようなことをしている」と言いました。私は、賢いと言われていました。次男として生まれましたが、文氏の家門では期待が大きかったのです。ですから、母は私のためにあらゆる精誠を尽くしました。ないお金を集めて外国にまで送って勉強させたのに、監獄に引っ張られていったのです。日本統治下の頃、監獄に訪ねてきて涙を流す母のことを考えても、そのようなことはしないほうがよかったのですが、そのように生きました。このような境遇にいることに対して、母は言葉を失っていました。「私は、母の息子として間違ったことはしていません。文某の家に生まれ、その家門を汚したことはありません。大韓民国の伝統的思想を中心として批判してみても、良心に呵責を受けるものはありません。私が牢屋暮らしをする身になったからといって、この息子がかわいそうだと涙を流す母は願いません。ここで忠告をして、激励てくれながら、あすの希望のために、韓民族が解放されてアジア全体の主導権を握れる道を開拓するために、いかなる冒険にも堂々と挑みなさいと勧告できる母が私には必要であって、それ以外は必要ありません。私は神様の息子であると自負する人です」と言いました。
9 私の手で大勢の人に家も買ってあけ背広もあつらえてあげましたが、両親にはハンカチの一つも買ってあげませんでした。親不孝をしたのです。親不孝と言っても、これほどの親不孝はありません。
日本統治時代に、日本から帰ってきて監獄に入っているとき、母が訪ねてきて涙を流すと、私は青天の霹靂のように怒鳴りつけました。「あなたの息子である文某という人は、小心者ではありません。私の目に映っているのは、母よりも、世界と神様の悲しみです。だから、それを晴らすためにこの道に来ているのです」と言いました。
怨讐を愛する道を行く
京畿道地域とソウルの四つの警察部を管轄する日本の京畿道警察部は、悪名高いことで有名だった。真のお父様は収監されていた期間、ありとあらゆる激しい拷問を受け、血を吐くほどむち打たれた。そして、刑事たちは、地下独立運動を行った同志の名前を言うように要求したが、真のお父様は最後まで口を開かなかった。義理と約束を果たすために、肉身の苦痛を越えられたのである。
真のお父様は、死が目前に迫る中でも、同情を求める祈りはされず、むち打たれる場でも、かえって拷問する人々を赦し、彼らの福を祈られた。
一九四五年二月に京畿道警察部から釈放されるまでの監獄生活は、将来の公的活動に備え、真のお父様と天が深く交流する期間であった。
10 お父様は、手錠もたくさんかけられました。監獄に入れば、「文某が入ってきた」とうわさが広がります。すると次の日、日本人たちがぶしつけに入ってきて挨拶をするのです。しかし、それは歓迎の挨拶ではありません。ここに来ているのか、いないのかを見るためなのです。学生時代にも、普段から警察部を出入りしていました。また、拷問台で少しも動じずに振る舞ったことのある人です。そのような歴史がたくさんあります。
お父様は、日本人から何度も拷問を受けました。彼らの拷問はとてもひどいものでした。今の若い人たちを捕まえて、あの時のように焼きごてを当てながら拷問すれば、していなことも「した」と言ってしまうでしょう。
11 日本統治下で、お父様は軍靴を履いた足でおなかを蹴られる拷問も受けました。二人が左右で手をつかみ、もう二人が上から踏みつけるのです。そのようにされれば、おなかの皮はどうなりますか。そうしてトイレに行き、一度座って立てば、どれほど苦しいでしょうか。しかし、落胆はしませんでした。「いやあ!素晴らしい!」と思ったのです。神様のためにそうなったというのは、世の中にはないことです。
それでも、釈放されて出る時には、彼らに親切に接して出てきました。五、六時間の間、激しい拷問を受けて気絶し、ばたっと倒れるとき、むしろ拷問をする彼に対して同情心が生まれるのです。その時の思いは本物です。「あの時の、あの誰々はどこにいるだろうか」と思い出されます。享楽を追い求める人たちには、このようなことをいくら説明しても絶対に理解できません

Saturday May 27, 2023
真の父母経 第174話
Saturday May 27, 2023
Saturday May 27, 2023
第七篇 真の父母様の受難路程と勝利
真のお父様は、生涯で六度にわたり、無辜の獄中の苦難を味わわれた。日本統治下で一度、北朝鮮の共産治下で三度、大韓民国で一度、そして、アメリカで一度の監獄生活をされ、その期間だけでも五年に及ぶ。六度の監獄生活は、天のみ旨を成し遂げるための苦難の路程であるが、監獄は、精神と肉体の活動が制限された所である。特に興南監獄では、寒さと飢えは言うまでもなく、窒素肥料の硫酸アンモニウムをかますに入れて運ぶという、苛酷な重労働に苦しまなければならなかった。さらに、西大門刑務所とダンベリーでの受難は、自由世界で行われた言われなき迫害であった。蕩減復帰の道は、かくも遠く険しいものだったのである。
真のお父様は、絶体絶命の危機の中でも、苦難を大きな義のための試練と捉え、神様を慰労された。特に、打たれて奪ってくる天の摂理歴史を御存じの真のお父様は、かえって監獄が神様の愛を最も深く体恤できる避難所であると語られた。このような逆説的な論理が、果たしてどこにあるだろうか。結局のところ、人類が受けるべき蕩減を代わりに背負われ、人類の救援摂理のための勝利の条件を立てられたのである。
神様が準備してきたキリスト教が責任を果たせないことにより、真のお父様は、北朝鮮の共産治下での受難を通し、新しい出発の基台を築かれた。特に、再臨主に出会うために精誠を尽くしていた神霊教団の腹中教を通して、真のお母様と縁を結ぶ機会をおもちになった。真のお父様が大同保安署で受難に遭われていた当時、共に拘束されていた腹中教の指導者は、真のお父様のみ言を受け入れなかったが、真のお母様が六歳の時に腹中教団から祝祷を受けたため、結果的に真のお父様と連結されるという奥妙な摂理的役事(働き)だったのである。
真のお父様の受難は、新たな摂理を進める契機となった。特に興南監獄での受難は、イエス様の十字架での死を蕩減復帰する摂理的条件を立てられたもので、出獄して南下したのちに行われた「世界基督教統一神霊協会」創立の基盤となった。そして、ダンベリーでの受難を通しては、アメリカのキリスト教聖職者を一つに束ねる奇跡を生み出された。併せて、真のお母様は、心情的にお父様と一体となってダンベリーの受難路程を共に歩み、世界的蕩減復帰摂理を勝利へと導かれた。このように恨と迫害の歴史を越えて勝利されるまで、真の父母様は血と汗と涙の「天路歴程」(天国に向かって歩む道)を歩まれたのである。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第142話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第一章 真の父母様の世界巡回
第一節 第一次世界巡回
最初の世界巡回とその意義
真のお父様は、一九六五年一月二十八日に韓国を発ち、歴史的な第一次世界巡回路程に出発された。そして、日本、アメリカ、カナダ、中南米五ヵ国、ヨーロッパ十七ヵ国、中東六ヵ国、アジア八ヵ国の順に訪問され、日本を経由して、十月十日に帰国された。第一次世界巡回は、モーセの時、カナン復帰のために四十日間、エリコ城を偵察したように、世界的カナン復帰のために四十ヵ国を連結しなければならない摂理的意義をもって、行われたのである。
1 「世界基督教統一神霊協会」を創立し、政府に登録するとともに、民族的基盤を立てました。今後は、世界的な祭物の立場を立てなければなりません。神様がアダムに「万物を主管しなさい」と語られたみ言を、お父様を中心に韓国で実現し、それを世界に連結させていかなければなりません。
お父様は、堕落以前の基準で祝福の条件を立てました。ですから、霊界は堕落する前の天使長の立場を探して立て、地上は堕落する前のアダムの立場を探して立てたのです。この基準を立てることにより、霊界は地上を協助することができます。堕落していないアダムに、天使が協助したという条件を立てるためです。
それで、世界四十ヵ国を巡回し、二百五十六日目に帰ってきました。四十掛ける六の二百四十に、四掛ける四の十六を加えれば二百五十六です。四数と六数を復帰しなければならないからです。ですから、世界巡回を終えて帰ってきた日の十月十日は、意味があるのです。
2 一九六五年の内に、十二ヵ国に宣教に行かなければなりません。それに無理があることは分かっています。しかし、復帰の時期はいつでもあるのではありません。それは、海の真ん中の一点の水しぶきのようなものです。粟一粒のような基準が海全体の価値に相当するような時が、復帰の時期です。その時期は一度しかありません。
人とお金はいくらでもあり、また、あすでも千年後でも、いつでもあります。しかし時はいつもあるのではありません。この時期に宣教に出ていくことには無理があるというのはもっともです。無理をしないで復帰することはできません。犠牲は当然のことなのです。復帰は、使って余ったものでするのではありません。血を天の側に捧げなければなりません。自らの血と力の原動力、これをもって復帰するのです。
3 カインとアベルが立てなければならない天的な位置と中心を、韓国で蕩減して立てなければなりません。このような分野に向かって総進軍しなければならないということが、七年路程での使命です。今や氏族基準と民族基準を立て、国家基準を立てて、世界的な時代に越えていくべき時が来ました。今は、一つの国家の思想がその国に局限される時代ではなく、世界的な問題になる時代です。ですから、統一教会に対する天的な意義がどれほど大きいかをよく知らなければなりません。
私たちは今まで、堕落した世の中に橋を架け、摂理的な基盤を築いて上がってきました。一九六〇年から一九六七年までの七年路程が終わると同時に、統一教会は世界的なカナン、すなわち世界的なイスラエルに向かって進軍しなければなりません。ですから、これに対する準備のために、お父様は四十ヵ国を歴訪する際、十四ヵ国に統一教会の宣教部を設置したのです。
4 一九六五年から、ドイツの統一食口たちがその近隣の国々に配置され、開拓伝道に出るようになりました。宣教国が十四ヵ国を超えなければなりません。一九六七年には四十ヵ国以上の基盤をつくり、世界的な作戦を立てようとすれば、そのような材料と計画が必要なので、その国々を訪問したのです。
私たちの本郷、私たちの祖国、私たちの世界を成し遂げるために、これは私たちが求めていくべき最後の目的地です。私たちが行くこの道は、間違いなく神様のみ旨に役立つ道であり、伝統を残すことができる歴史的な基盤を築く道になることを知って、ためらうことなくこの道を行かなければなりません。世界的な舞台で血と汗を流すことを本望と思って行かなければなりません。
5 お父様は、第一次世界巡回の期間に、歴史上、最も多くの波瀾、曲折があることを予想しました。そうでなければ、お父様が行くべきみ旨の道とは違います。押し寄せてくる台風の中で道を築き、安息をもたらすことができなければならないからです。静かな所で道を築けば、その人は台風を知らない人になります。一気に押し寄せてくる台風と怒濤の中を、かき分けていくことができなければなりません。
六千年間、その波がうねり、人類を襲って死亡の世界に追いやる苦役があったので、その波を静めて、遮ることができなければなりません。ですから、きょうも骨身にしみる心情で、心の真ん中に強い衝撃を受けながらも歩んでいるのです。
6 第一次世界巡回路程で、私が世界を見て回って帰ってくる時、心で深く感じたことがあります。今日、世界について「ああだこうだ」と言う人は多くいます。しかし、そのようなことは問題になりません。天が志す目標が重要です。ですから、私たちは、天が願われる立場に立ち、アベル的な基準でカインに代わって祭物になり、民族的な責任と世界的な責任を果たす世界的な祭物にならなければなりません。国のためにカインを屈服させ、世界のために祭物になろうという立場に立たなければなりません。そのようにしてこそ、天国がつくられるのです。
7 お父様は、世界を巡回するとき、多くの十字架を目にしながら、私の使命はあのすべての十字架をなくすことであると再確認しました。子女たちを通してでも、なくしてしまうでしょう。キリスト教は、十字架の道理ではなく、復活の道理です。そのような意味で、イエス様は祭物を捧げず、未来の希望の条件として(自らが)ゲッセマネを越え、カルバリを越えていったのです。
8 統一教会は、多くの困難に遭い、今後、三千万民族(韓民族)が遭遇する困難の峠を先に越えていかなければなりません。それが祭物の道です。祭物となって犠牲になることによって、死ぬしかない民族を生かすことができ、贖罪することができるのです。祭物になった人が困難な峠を越えながら、先に打たれ、先に犠牲になり、神様のみ前に血を流すことにより、その恩賜を受けて民族が復帰されるのです。また、それによって、祭物になった人は恩賜を受け、復活することができます。統一教会員たちは、そのような道を行かなければなりません。このような使命を若い人々が果たさなければならないのですが、やりたくないと思っています。
今回、民主世界を中心として世界を巡回しながら見てみたことは、ほかでもありません。どの国に神様はいらっしゃることができるのか、どの民族を神様は愛することができるのか、ということを考えながら見て回ったのです。どの民族も、神様を愛さなければなりません。今は、環境的に神様を忘れてしまいやすい社会的条件がそろっています。
9 お父様は、第一次世界巡回路程で、四十ヵ国を回りながら、大韓民国のためにたくさん祈りましたが、世界のためにもたくさん祈りました。ある国を訪ねていけば、その国の人々は、お父様を大韓民国の人とばかり考えます。彼らのそのような考えが何ヵ月、何日、何時間続くか、それが最も気になりました。歴史的・文化的背景が異なる環境で生きてきた人を、どのように感じるのか、日本に行く時に最も心配したことがそれでした。
お父様が、「私は韓国人であり、あなたたちは日本人だ」という感情をもてば、彼らもそのような感情をもつというのです。そのようになれば、いくら世界主義を主張しても、世界主義について実感できません。ですから、正にこのような問題に対して多くの祈りを捧げました。他の所に行ってぶつかるのは問題ではありません。最も原則的なことが問題です。日本に行っても、アメリカに行っても、どこに行っても、「他の国」という観念から抜け出さなければなりません。
四十ヵ国、百二十ヵ所の聖地を選定
真の父母様は、一九六二年十月五日から七日まで、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会を中心として、ソウル一円に五つの聖地を選定されたあと、そこの土と石を採取され、一九六五年に世界四十ヵ国を歴訪しながら各国の聖地を選ばれた際、そこに韓国から持ってきた土と石を埋められた。これは、韓国の首都ソウルの聖地を世界に連結し、精誠と勝利の基盤を同等な基準で分配するためであった。そして、真のお父様は、「三十六家庭、七十二家庭を探して立てて民族的中心をつくり、世界国家型である百二十家庭を立てたため、世界国家摂理時代に入る中で、四十ヵ国に百二十の聖地が必要だ」と語られた。聖地の選定は、人間が堕落する前に天地万物を創造した基準と同じである。それゆえ、アダムの勝利圏における心情基準で、天の子女の立場である宣教師を各国に派遣できるようになり、世界的活動基盤が整ったのである。
10 お父様の前には、神様の主権、神様の民、神様の地を探し出すべき世界的な使命が残っています。これを中心として忠臣になり、孝子になることが第二の使命であり、聖別をしなくても活動できる環境をつくることが第三の使命です。
この三つの使命を中心として、奉献式をしなければなりません。このために、聖地をつくらなければなりません。そうして、これを中心として一つになり、天と連結できなければならないのであり、そのためにお父様は、神様に代わり、イエス様と聖霊に代わる基準を探して立てなければなりません。そのあとで初めて奉献式をすることができるのです。
11 これから、統一教会の運勢は、国家を経て、世界的な運勢へと成長していくでしょう。もしこの国、この民族が受け入れなければ、世界が受け入れるでしょう。これから世界万民がもろ手を挙げて歓迎する歓声が、三千万の民族の胸に響く日が必ず来ることを確信します。
このような日を迎えるために、韓国に勝利の基盤を整える聖地を選定するようになったのです。聖地の選定は、蕩減復帰の原則によって、または神様の創造法度に従って行うのです。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第141話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第六篇 世界巡回と世界宣教
神様は、再臨のメシヤをこの地に送って人類を救い、世界平和を実現するための環境を、あらかじめ造成された。科学文明の発達によって地域間の交流を円滑にし、政治、経済、文化など、全般にわたって宗教的価値を保護し、信仰の自由を基本権として認める自由民主主義を発展させてきたことが、その良い例である。そして、神様は、第二イスラエルであるキリスト教の中心国家としてアメリカを選ばれた。
真の父母様が一九六五年一月以降、世界巡回に発たれたのは、世界復帰のための基台を造成するためであった。特に、第一次と第二次の巡回が聖地の選定と宣教部の設置、祝福結婚式の主宰など、宣教基盤の準備に重点を置いたものであったとすれば、第三次の巡回は、アメリカのキリスト教再建に重点を置いて進めたことに大きな意味がある。第一次の巡回中には、アメリカの四十八の州を巡回しながら、五十五ヵ所の聖地を選定するなどして精誠を尽くされ、第二次の巡回の時には、アメリカを中心にした世界宣教のため、本格的な準備をされたのである。
真の父母様は、一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに到着されたのち、まず初めに七大都市講演を通して、神様の摂理国家としての覚醒と、キリスト教の責任を明確にし、共産主義の脅威などについて提起された。この当時、日刊紙に講演会を知らせる広告を掲載し、イエス様の十字架の死をテーマにした十万ドルの懸賞小説の公募を発表するなど、アメリカ社会に大きな衝撃を呼び起こした。特に、一九七四年九月十八日のニューヨーク、マディソン・スクエア・カーデン大会と、五万人が参加した一九七六年六月一日のニューヨークのヤンキー・スタジアム大会、三十万人が集まった同年九月十八日のワシントン大会を通して、神様のみ旨とビジョンを満天下に公表された。
真の父母様は、成功裏に進むアメリカ宣教に合わせ、一九七五年二月、日本で開かれた世界宣教師会議において、世界九十五ヵ国に宣教師を派遣することを決定され、百二十七の宣教国を確定された。そして、各国の世界統一十字軍を動員し、一九七五年、韓国で「希望の日」晩餐会と救国世界大会を成功裏に開催された。
一九六七年六月には、韓国の幹部を帯同して来日されるなど、数回にわたって日本を訪ね、宣教活動を督励された。また、日本は、一九九四年から九七年までに数次にわたって約一万二千人の女性宣教師を百五十ヵ国に派遣するなど、エバ国家、母の国としての責任を果たすために努力したのである。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第178話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第三節 平壌刑務所と興南監獄での受難
平壌刑務所収監と公判
共産治下の宗教抹殺政策は極限に達した。真のお父様は、キリスト教団の嫉みと誣告(ぶこく)(故意に事実と異なる内容で人を訴えること)により、一九四八年二月二十二日、平壌内務署に拘束され、四月七日の公判では社会秩序紊乱などの罪で、五年の刑を言い渡された。しかし、判決文の中に出てくる「虚構」という表現については異議を提起し、修正するようにされた。真のお父様が伝えた真理は、決して虚構ではないからである。真のお父様は、法廷を出られる際、悲しむ食口たちに手を振って、彼らを慰められた。
1 お父様が教会運動をすると、すぐに食口たちが増えました。当時、北朝鮮当局の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。また、キリスト教の牧師たちは、自分の教会の信徒たちがたくさんお父様のところに来たので、私を告発しました。その結果、三回目の投獄に遭うことになりました。平壌の内務署に拘束された日が一九四八年二月二十二日です。
2 一九四八年四月七日は、お父様にとって忘れられない公判の日です。キリスト教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策によって、二月二十二日に平壌内務署に拘禁され、二月二十五日には髪を刈られました。共産治下で宗教公判が行われるというのは、あり得ないことです。公判は、四月三日から四月七日に延期されました。四月三日は、拘禁されて満四十日になる日でした。
3 私が平壌の内務署で公判廷に立つことになった時、北朝鮮にいるキリスト教の牧師たちが来てありとあらゆる罵声を浴びせました。それで、「あなたたちの子供と私の子供のうち、どちらが立派になるか見てみよう。あなたたちの教える教会員と私が教える教会員と、どちらが優れているかを見てみよう。死んでも私のほうが優れているだろう」と考えたのです。そのような、人が知ることができず、人が感じられない衝撃を、いまだに忘れていません。寝ながらも、そのようなことを考えるのです。その場で、天のみ前に私が孝の道理、忠の道理を尽くそうと誓ったその誓いを、どのように実践するのかというのです。疲れようにも疲れていられません。くたびれようにも、くたびれている暇がありません。忙しいというのです。ですから、彼らが考えもつかないことをするのです。話もせず、じっとしているからといって、意気地がないのではありません。私の行く道が忙しいので話さないのです。正しくないことを見たら我慢ができない人です。
4 お父様が平壌の刑務所に入っていくとき、食口たちは自分の夫が死ぬよりももっと切実に心配しながら、「先生、今行ってしまったら、いつまた来られるのでしょうか」と言いました。しかし、お父様は、「私が行って会わなければならない人がいる」と答えました。その時、そこに行けばある人と出会うだろうと約束されていたのです。足が震え、嘆息し、痛哭する怨恨の道であるにもかかわらず、その道を行きました。それは、希望する天国に行く道だからです。このように喜びの心で行けば、地獄も天国に変わるのです。神様もそのような心をもっているでしょう。それで、そこで出会わなければならない人たちとすべて会い、新しく決意しながら第二次の出発をしたのです。
5 平壌刑務所にいる時、裁判を受ける日が、本来は一九四八年四月三日でしたが、共産党が教会を弾圧する口実をつくろうとして期日が遅れ、四月七日になって受けました。その日は、食口たちが一緒に集まりました。しかし、彼らはその時から分裂し始めました。
刑を受けて監獄に行く時は、かえって希望に満ちた足取りでした。なぜなら、刑務所にも神様があらかじめ準備した人がいるからです。
監獄には午後三時頃に入り、入ってから三日目となる日に、金氏という青年に会いました。彼はもともと、日本統治時代に陸軍士官学校砲兵科を卒業し、日本軍砲兵大尉として服務していた時に終戦を迎えた人です。終戦後、彼は北朝鮮人民軍に入隊し、砲兵司令官の腹心の部下として服務していましたが、その時に国家機密漏洩罪で死刑宣告を受け、死ぬ日を待つのみでした。その上、自殺を企てたものの、それが発覚し、鎖でつながれていました。
彼の話によれば、ある日、夢の中に白髪の老人が現れ、自分の名前を呼びながら、「お前は絶対に死なない。お前は南から平壌に来た青年を迎える準備をせよ」と教えてくれたそうです。しばらくして砲兵司令官の保証のもとで、彼に対する処罰は死刑から四年八ヵ月に減刑されました。それから再び夢の中にその老人が現れ、「教えたとおりに信じていない」と叱責しながら、「幾日もせず、南韓から来た若い先生に会うだろう」と教えてくれたというのです。
6 平壌刑務所で、天から直接の命令を受けた人に会いました。彼は、霊界からの教えを通して、私に関する証を直接受けていました。私に会うことが既に一年前から、天の約束として準備されていたのです。このように真を追求し、大きな希望の基盤を築かせようとするので、ここまで天が根を張るのです。
このような天の事情を考える時、私がこの道を排斥し、この道を遠ざけようという気持ちがあれば、天倫の前に立つことができない反逆者になることを徹底して信じました。私が考える前に、天はそこで大きな関係を私と結ばせるために準備していたのです。しかし、(その人が)我知らず反逆する立場に立つことを悟れていないのを見るとき、とても興味深いことでした。
7 お父様が入った監房に、金氏という人がいました。その時、お父様の年は二十九歳で、彼も二十九歳でした。一九四八年四月二十八日の明け方に、愛する息子が死刑宣告を受けるや、心を痛めて病にかかった上に、交通事故に遭って死んだ金氏の父親が夢の中に現れ、彼を連れて、宮殿のような所に行ったそうです。そこには階段があったのですが、階段を上るたびに聞いたことのない音が聞こえたといいます。階段を三段上るたびに三拝をしながら上がっていくと、そこにはまぶしい玉座があり、その上に一人の青年が威厳をもって座っていたというのです。彼の父親が「顔を上げてあの方を見なさい」と言うので、そちらの方を見上げたのですが、さしてくる光彩があまりにもまぶしくて、はっきりと見ることはできなかったそうです。
金氏は、お父様に初めて会った瞬間から心が引かれ、お話を少しでも聞いてみたい衝動を感じていたのですが、三日目にしてようやく、「お話を聞かせてほしい」と懇願しました。お父様は金氏に、今まで歩んできた路程を「ロレンス」という仮名で、三日間、聞かせてあげました。そうしながら、ここに神様が約束した人がいることを知りました。その人が正に、監房長の金氏だったのです。
お父様は彼に「あなたは誰にも言えない自分だけの心配事をもっているでしょう?」と言いながら、その心配事が何か尋ねてみました。その問いに彼は驚き、それまであったすべての内容を詳細に打ち開けて、自分が夢の中で見た、玉座に座っていた青年が正にお父様だったことを初めて悟るようになりました。
8 お父様が平壌刑務所にいる時には、私が男のムーダンであるといううわさが立ちました。相手が話す前に既に分かって、尋ねるので、そのようなうわさが立ったのです。このようなわさを共産党当局も耳にして、お父様のことが恐ろしいのか、取り調べをする時も、三人以上の看守が見守っていました。
お父様は平壌刑務所から興南監獄に入る時に、サタン世界から神様の世界に越えていける一つの結果をもたらすために、このような現象が起こるのだと思いました。そのような所に行っても、正体を明らかにせず、内外で変わってはならないと考えたのです。イエス・キリストが万邦に、世界の前に、人類の胸の中で灯火(ともしび)になることができたのは、自分の生命を左右する環境でも消えることのない心情をもって死の関門を突破したからです。
それが今日の歴史と文化の起源になりました。すなわち、文化世界を創造する起源になったというのです。統一教会も、そのような基盤から出発したということを知らなければなりません。
獄の中の獄、興南監獄に移監
真のお父様は、一九四八年五月二十日、平壌刑務所から、獄の中の獄と呼ばれる「興南特別労務者収容所」(通称、興南監獄)に移監された。収監番号は五百九十六番であった。興南監獄は、寒さと飢え、重労働を伴う途方もない作業量ゆえに、普通の人には耐え難い所であった。特に、監獄内のアンモニアガスと粉塵が汗と反応して、肌がむけてただれる皮膚病と肺病により、一年で収監者の四〇パーセントが死にゆく現実の中でも、真のお父様は肉体の健康を維持され、同僚たちよりもはるかに多くの労働量をこなされた。死の影がちらつくこの場所で、真のお父様は知恵と愛で苦難を克服されたのである。
9 お父様が興南の監獄に手錠をはめられて行くとき、平壌に残る食口たちが手を振りながら見送ってくれたことが忘れられません。私は涙を流しませんでしたが、彼らは子供が死んでいくのでもなく、夫が立ち去るわけでもないのに、ひたすらすすり泣いて涙を流しました。それがどれほど悲壮だったでしょうか。それを見ながら、「天を訪ねていく人は不幸な人ではない」と思いました。
私がどんなに鉄格子の中で苦難を受けたとしても、私を訪ねてくれる旅人、監獄を訪ねてくれる彼らは、自分の血族を越え、民族愛を越えて、天上の心情圏を地上の監獄と連結させるに当たって、恥辱を物ともせずに行動した人たちです。これは驚くべき事実です。
10 興南は、潮風が吹くと砂利が飛ぶような所です。ですから、肌が出ているところは、何でもいいので覆いたくなります。突き刺すように入ってくる風が、どれほど怨讐か分かりません。朝早く九百人以上の囚人たちが労働に動員されて出ていくとき、出掛ける前に検査をします。単衣(ひとえ)の服を着た人たちを、明け方五時から七時頃まで二時間以上、その寒い所に座らせておくのですから、どうなるでしょうか。「ウォウォウォウォー」と声を出して震えます。それは本当に痛ましいです。我知らず「ウォウォウォー」と震えるのです。いくら声を出すなと言っても、そうなります。
お父様が過ごした部屋には三十人以上いました。夏には、下から水がしみ出てきます。そこでも私は、一番暑い所、一番臭いがする最低の場所で過ごしました。そこで、寒い冬のことを考えるのです。冬の主人になれる人が夏を支配することができ、夏の主人になれる人が冬を支配することができます。困難を支配できてこそ最高の富を支配できるのです。天はそのような富む者をつくろうとするのです。
ですから、苦労しましたが、それが祝福でした。そのように反対の実績が得られたのは、蕩減復帰において一致したからです。そのような祝福の実績を残さなければならないというのです

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第177話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第二節 平壌大同保安署での受難
真のお父様は、天が備えられた韓国のキリスト教指導者の不信により、新たな基盤を築くため、一九四六年六月六日、北朝鮮の平壌に到着された。真のお父様の伝道集会は神霊的な恩賜に満ち、多くの信者が押し寄せた。すると、キリスト教の指導者たちによる密告と共産政権の宗教弾圧がかみ合い、平壌到着から二ヵ月後の八月十一日、真のお父様は、韓国政府のスパイであるなどの容疑で、大同保安署に収監された。当時、許浩彬(孝彬)をはじめとする腹中教の幹部たちも大同保安署に収監されていた。
1 お父様が二十七歳の時は、共産世界の平壌に行って闘った時期です。その時代と今の時代とを比較してみれば、皆さんは幸福な人たちです。その時だけでも、七十人以上のキリスト教の牧師が団結してお父様に反対しました。北朝鮮の共産治下でキリスト教がキリスト教連盟をつくり、共産党と一つになって反対する環境で、彼らと向かい合って闘いました。私たちの理念さえもてば、どこに行っても核心要員を引き抜ける力がつきます。
その時、私は平壌の景昌里という所にいたのですが、それぞれの教会では「景昌里に行くとハンサムな異端の男がいるが、彼の話を聞いただけでだまされてしまう」といううわさが立ちました。特に「女性たちは行ってはならない」と、大々的に宣伝されたのです。
2 お父様は、共産党の統治下にある北朝鮮に入っていったのですが、すぐに捕まりました。私が南側から来たので、李承晩の手先だというのです。しかし、いくら調査をしてみても、根拠をつかむことができませんでした。それで、「男のムーダン(霊媒)である」とか「社会を乱す」などと言って捕まえ、閉じ込めたのです。
その時、本当に何度もむちで打たれました。拷問もたくさん受け、ひどい扱いをたくさん受けました。そのような道を歩んできた人です。とても劇的な場面が数多くありました。それらを、希望に満ちたあすを築くための一つの過程だと考えれば、貴重な時間だったのです。
3 サタンは、個人を使って私を攻撃させ、家庭を使って最も憎むように仕向けます。国家をも使って、どうしたら命を奪えるかと、その方法を探し求めています。イエス様の命を奪ったようにとんなことをしてでも命を奪おうとするのです。
ですから、私に反対するために、すべてが動員されました。共産治下の北朝鮮に入って、監獄暮らしをしました。私を韓国のスパイに仕立て上げ、「李承晩政権の手先だ」と言いながら、あることないこと、ありとあらゆる言葉を浴びせかけました。「北朝鮮政権を略奪するための回し者だ」と言うなど、ありとあらゆることをしたのです。命を奪おうとして放り込んだというのです。
その時、「ああ、神様のみ旨も何も、大変でできそうにもない。すべて放棄しよう」と思っていれば、そこで終わっていたでしょう。しかし、「世界が滅びる前に、私が滅びる立場に行くことはできない。世界が残っている限り、生き残らなければならない。いかなる拷問を受けたとしても、死の境地に出くわすことがあっても、神様のみ名によって、神様のみ旨を成し遂げるために闘うのだ」と考えました。
4 私は平壌で共産党に捕まり、手錠をかけられて監獄に引っ張られていきました。日本統治下の時には、日本の警察官に引っ張られて監獄に行ったこともあります。
私は、希望に満ちた心をもって監獄に行きました。なぜなら、監獄に行けば、ある人に会う約束になっていたからです。霊界を通して、ある人に会うように予定されていました。その人に会うために喜んで入っていったのです。そこに行けばこのような人に会えると思うと、それが正に希望の出発になるのです。
5 腹中教の許浩彬氏は、一生涯あらゆる精誠を尽くして信仰の道を歩んでいきました。その背後の歴史を見ると、皆さんには想像のつかない道を歩んだのです。宗教者を怨讐のように扱う共産党の圧制下で激しい拷問を受けても、自分たちの信仰心を守っていきました。
その拷問を受けた内容は、言語に絶するものです。蒸し暑い夏の季節に、彼女たちは苧麻(からむし-ちょま、まお:麻織物の原料)のチョゴリ(薄手の服)を着た身でどれほどむちを打たれたのか、その服が穴だらけになったという話を聞きました。数十回も気絶し、彼女の弟は拷問に耐えられずに死んでいきました。四十人以上の責任者も投獄され、悲惨な状況で拷問を受けました。お父様もそのような立場で、同じ団体の一員とみなされて、投獄されたのです。
6 蕩減復帰原理によって、お父様は、私を待って準備していた集団に会いに行くことはできませんでした。イエス様が亡なられた理由は、彼が新婦を迎えられなかったからです。イエス様を迎える新婦が準備されていなかったからです。それが、イエス様の亡くなった原因でした。
ですから、再臨主が来る時、その準備された集団は、新婦の位置で準備したものをもって訪ねてこなければなりません。もし、その準備された集団の指導者だった許浩彬氏が、主がいらっしゃる所を知るために神様に祈っていたならば、神様がその人にその場所を教えてあげていたでしょう。ですから、お父様は彼らが来るまで待っていました。彼らのいる所に行くことはできないというのです。
その期間にお父様は、アンナのような女性に会いました。その女性は、二つの立場の業をしていました。彼女は、時には天の側で業をし、時には中間の立場で業をしたのです。天の側でなければ中間の立場です。お父様は、その年を取った女性に出会ったのち、許浩彬氏に人を送り、お父様が誰なのかを祈ってみなさいと伝えました。しかし、許浩彬氏は、一つの大きな兆候を期待したのであって、一人の若い男性などは期待してもいませんでした。お父様は、許浩彬氏に特別な人ではなく、普通の人を送ったのです。許浩彬氏は、その人が大きな使命をもっていることを悟れず、彼を送り返しました。そのあとにも、一人の若い女性をその集団に送りましたが、許浩彬氏からは何の反応もありませんでした。その時、許浩彬氏は、自分の集団の幹部たちが一堂に会したとき、自分が受けた「春香が監獄で彼女の夫に会ったように、お前も監獄で主に会うだろう」という啓示を説明していたのです。
7 お父様が平壌で許浩彬氏に会おうとした当時、北朝鮮は共産主義者たちが占領していました。その時、共産主義者たちは、許浩彬氏の集団が人々からたくさんの寄付金を集めて、良い服を作り、良い家を買ったことを知るようになりました。それで、彼らはこの集団の指導者たちを宗教的詐欺師として告発し、彼らを監獄に放り込んだのです。
そして、その時にお父様も、その集団と関係があると告発されました。実際には、何の関係もありませんでしたが、そのように告発されたのです。そうして監獄に入ることになり、その集団の指導者と同じ部屋に閉じ込められました。
許浩彬氏のもとでその集団を率いていた一人の男性が、同じ部屋にいるという状況になったのです。その日が一九四六年八月十一日です。
その集団の指導者たちは、共産主義者たちによって、とても苛酷な拷問を受けました。共産主義者たちは、あらゆる宗敎を抹殺しようとしたのです。
大同保安署での受難と釈放
真のお父様が大同保安署で受けた拷問は、非常に苛酷なものだった。一週間眠らせない、棍棒で袋だたきにするなど、特殊な拷問が加えられた。真のお父様は、百三日目となる一九四六年十一月二十一日、半死半生の状態で釈放された。信徒たちは、お父様が多くの血を吐いて、瀕死の状態に陥っていたため、亡くなられたあとの問題まで議論していたが、奇跡的に回復された。その後、集会所を移転され、引き続きみ言を伝えられた。
8 お父様は、共産党から一週間眠らせないという拷問も受けたことがあります。拷問を受ける時は、「こいつ、お前が耐えるか、私が耐えるか見てみよう」と思い、おもしろい時間だと考えました。普通の人たちは、一週間眠ることができないと、うつらうつらしながらすべてを話してしまいます。
お父様は、目を開けていてもよく眠ります。それを研究しました。その時、訓練をしたので、今も眠気がすると、その方法を利用するのです。また、拷問を受けて、あざができたり、痛いところがあったりすると、それをほぐす方法を研究したので、疲れた時にはその運動をします。私は今でも、普通、一日に一時間だけ眠れば、持ちこたえられるのです。
9 平壌で開拓する時、キリスト教の牧師と長老の夫人たちがお父様のところに押し寄せるので、七十人以上の牧師が投書して、お父様を監獄に放り込みました。南側から来たスパイとみなし、ソ連の共産党まで来て取り調べをするのですが、ひどい拷問を受けました。彼らは真っ赤な部屋で一週間眠らせません。三日眠れなかったら人は狂ってしまいます。
真っ赤な部屋に一人で入れておき、白い座布団に座らせて、三日から一週間、睡眠を取らせないのです。お父様は、「お前が私を眠らせないようにできるか」と思いながら、目を開けて眠りました。眠る訓練をしたのです。目を開いたまま眠るのです。当時、「文某は男のムーダンで妖術まで使うので、聖書に出てくるような奇異なことがそのまま起こる」とうわさになっていたので、横に見張りがいました。
10 お父様は、力もあり敏捷です。できない運動がありません。私が運動するという時には、何をしても三等以内に入らないものがありません。そのような能力のある男でしたが、袋だたきに遭ったのです。
東西南北の十二方位すべてから打たれても、ただ黙って打たれなくてはならない時が一度や二度ではありませんでした。ありとあらゆる拷問を受けました。そのような拷問を受けて打たれても、「打て!こいつら!」と言って耐え抜きました。棒でたたかれても、「打ってみろ!こいつら!」と言ったのであって、情けなく「ああ、助けてくれ!」とは言いませんでした。机の脚(の角材)でたたかれても、「お前が折れることはあっても、私は折れるものか」と思いました。たたかれて歯が半分ほど欠けてしまったこともあります。
お父様がそのような恥辱の場で流した汗は、何の汗でしょうか。大声を張り上げたとすれば誰よりも張り上げ、血を流したとすれば誰よりも流しました。涙を流したとすれば、誰よりも流したというのです。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第176話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
12 忠臣とは、どのような人でしょうか。国のために誰よりも多くの犠牲を払った人が、より輝く忠臣になるのです。孝子とは、どのような人でしょうか。生涯を捧げて、その生命が尽きるほど父母のために生きる人が孝子です。生命を捧げた人と捧げていない人のうちで、どちらがより孝子かというと、生命を捧げていない人は、孝子になる資格がありません。そして、国のために生命を捧げた人が忠臣です。生命を捧げていない人は、忠臣として扱いません。私たちは生命を捧げる覚悟をして歩むのです。
お父様は、正義のために、命を既になげうっていたのです。小心者ではありません。私は、日本統治下で学校に通いながら闘った人です。私が監獄に入れられ、口を割ってしまえば、七十人の同志たちの首が飛ぶようになっていました。しかし、答えませんでした。約束をしたら、その約束を履行する人なのです。あらゆる手段、方法を動員して加えられる拷問を受けながら、たとえ死ぬとしても、口を開きませんでした。
13 日本統治時代、私はありとあらゆる拷問を受けても、白状しませんでした。京畿道警察部の主任がいくら拷問しても、白状しなかったのです。「話さない」と言えば、それでおしまいです。三百六十五日、いくらでもやってみなさいというのです。何度気絶して意識が戻ったとしても、「なんだ。ちょっと眠らせてくれ」と冗談を言うのです。「もっと寝ていたいのに、どうして起こすんだ、こいつら」と言うのです。そうしているうちに、拷問とも友達になりました。
誰が来ても、「おいおい、そうやったら痛くない。こうやって、こうやりなさい」と言いました。明らかに解決できそうにないので、一言言ってあげるのです。そうして、「お前たちが無理に印を押させたことを、公判廷に出たら私が話す」と言いました。男なら、自分が決意したとおりにしなければなりません。このような男です。そのような人なので、今まで迫害を受けてきても滅びませんでした。
14 お父様は、決して寂しいとは思いません。寂しく思ってはいけないのです。日本統治下の時から監獄に入って、たくさんの拷問を受けました。頭が切れて体が血だらけになるほど、ありとあらゆる拷問を受けたのです。そのたびに神様は、耐え抜ける秘法を教えてくださいました。
ある時は十二時間取り調べを受け、拷問を受けて這って進むこともできないほどになり、何度も気絶しては意識が戻る、そのような過程を繰り返しても、私は口を開きませんでした。サタンが世界を占領して天の秘密を探り出そうとしましたが、私は何も言いませんでした。
すべてが私の一言にかかっているので、死んだとしても絶対に口を開くことはできませんでした。角材で身の毛がよだつ拷問を受けても、話さなかったのです。
義理を果たすことができなければなりません。一度約束をしたら、自分が滅びたとしても守らなければなりません。このように拷問を受けたあと、一晩過ぎれば、その日は悲しい日であると同時に、忘れられない日として残るのです。
15 お父様は、むちで打たれ、血を吐き、皮膚が腫れ上がるような場でも、「この血は、歴史を裏切った先祖の血です。私にはまだ行く道が残っていますので、背負う十字架があるならば、もっと負わせてください」と祈りました。これは、どれほど男らしい祈りでしょうか。今までそのような路程を歩んできました。
「耐え忍んで進みますが、いつの日か報いる日がやって来るでしょう。ですから、父よ、耐えてください。韓民族を審判しようとされるならば、最後の審判をされる前に、私に通告して審判してください。また、世界を審判しようとされるならば、最後に私に通告して審判してください」と言ったのです。
自分の不運を嘆いたり、自分の身の上について愚痴をこぼしたりするような人に比べれば、どれほど立派な男でしょうか。歴史時代に一度現れ、霊界に行っても、世界的にあがめられる人になってみなさいというのです。どれほど素晴らしいことでしょうか。
そのようにできる時は一度しかありません。この時を逃せば、もうないのです。その機会をつかまなければなりません。
16 運動がどれほど素晴らしいことか分かりません。疲れてつらいときは、用を足しに行って、きっかり五分間だけ運動すればすっきりします。そのようなことを学んだので、獄中でも死にませんでした。拷問を受ける場に行ったとしても死ぬことはないのです。
拷問を受けるときには、必ず血を流していかなければなりません。水を飲ませて、おなかでもどこでも、ぎゅっぎゅっと踏みつけるのです。ですから、それに耐えるためには、まず浣腸をして、小便の代わりに後ろから抜くように、抜け道をつくらなければなりません。そのためには、血を流していかなければならないというのです。
神様はどれほど知恵の王か分かりません。非常に疲れると鼻血が出るでしょう。鼻血が出なければ脳出血になるのです。鼻血が出るのは、その防止策です。疲れたときには血圧が高くなることを知っているので、噴出するのです。
それと同じように、拷問を受けるときには、抜け道をつくるために必ず血を流さなければなりません。ですから、唇をかむか、舌をかむかして血を流し、穴を開けておかなければなりません。そのようなことを私が教えて、多くの人を助けてあげました。私のような人の生涯路程は、楽な道ではなく、簡単な道ではありません。今まで数多くの死の道がうねって続いてきましたが、その峠をすべて越えました。
17 お父様は、日本統治時代の末期に刑事たちから無数の拷問を受けました。国を愛することを知らない人は、神様を愛することもできないのです。ですから、日本で独立のための地下運動をしました。そのような闘争をして故郷に行くと、誰それが帰ってきた、ということを日本の警察は不思議なくらいによく知っていて、付いて来るのです。
警察に捕まって取り調べを受けるときには、血を吐きながら、何度も死の境をさまよいました。しかし、共に活動した同志たちに対する責任と義理のために命を懸け、「私一人で闘った」と言いました。殺すと脅かされても口を割りませんでした。「言わない」と言ったら言わないのです。(日本の統治から)解放された時、すぐに京畿道の警察部に勤務していた人たちを整理することもできました。しかし、滅んで涙を流しながら行こうとする彼らだったので、そのまま送り出してあげました。
18 植えなければ刈り取ることはできません。怨讐を生かすために、夜に逃がしてあげた歴史が残っているので、日本の若者たちは、お父様に対してその恩を返さなければなりません。日本の国が返さなければなりません。ですから、二十代に監獄生活をしたことに対して、神様に有り難く思うのです。
日本の監獄に入ったので、韓民族の悲惨さが分かりました。すべて教育です。日本がどれほど悪いかを、監獄に入って知ったのです。いくら愛国者の話や本を通して知ったとしても、実感が湧きませんでした。それを信じることができなかったのです。本は勝手に考えて書くことができます。
しかし、監獄に入り、拷問を受けて血を流す過程で、その同志たちと共にいながら、初めて韓国の悲惨な状況が分かるようになりました。このような民族を誰かが解放しなければならないという義務感をもつようになったのも、監獄に入ってからでした。監獄が、お父様にとっては偉大な先生になったのです。復帰摂理路程で、誰一人として触れることができない礎石を据えられた一時でした。
19 お父様は、我が民族が日本統治下で、日本人たちにどれほど虐殺されたかをよく知っています。ですから、日本人たちのことを考えただけでも(怒りと悔しさで)身震いがします。しかし、アジアで日本を無視することはできません。アジアで三国路線を広げるためには、敗れはしましたが、日本は必ず必要な国だというのです。民族性から見ても、間違いなくドイツ民族以上の団結力が生まれるでしょう。
復讐してはいけません。復讐で始めればまた復讐で終わり、そうして、結局は滅びるのです。それゆえ、統一教会は新しい世界をつくるために、「統一理念」を中心として、まずこの国と民族を救わなければならないという新しい糾合運動をしたのです。
20 世の中がいくら反対しても、私は滅びません。私を監獄に閉じ込めても、私の心と私の理念は、閉じ込められません。私を打ちなさいというのです。打てば、今まで私が神様のみ前に歩んできた道と、神様が築いてこられた道とが連結されるのです。
ですから、「打つなら打て!私がお前を憎むか憎まないか」と言いながら、怨讐を愛する心がどれだけ強いかを鑑定しなさいというのです。むちで打たれ、血を吐きながらも、「ああ!よく打たれた。歴史的な怨恨の人類に代わって打たれた。私は打たれて忘れ、記憶にとどめておくことはしない」と言い、「神様!彼らをお赦しください」と言いました。その立場を通過しなければなりません。そのためには、自らを犠牲にする立場に自分を立てなければならないのです。そうすれば簡単です。
日本統治下で、私は十二時間近く拷問を受けて血を吐いたこともあり、十五分間で人を狂わせる、生涯忘れられない拷問も受けました。それでも、奇跡的に生きて出てきたのです。
しかし、私は、彼らに対して怨讐のように接することはしませんでした。彼らに福を祈ってあげてから行く責任が私に残っているので、彼らの何を見て福を祈ってあげるかを、その監房で悩み、研究したのです。
それでも、人には良心があるので、私を拷問した人が、朝、人々がすべて出ていったあとで、誰にも分からないように謝罪するのです。それを見ると、人間は誰もが同じです。彼らも、良心はだますことができないというのです。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第173話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
19 アメリカの(キリスト)教会を見ると、若い人々がいません。ですから、若い人々を私たちのような人々に育てて、その教会に送らなければならないと思います。その次に、共産主義の脅威に対する防備に、誰かが責任をもたなければなりません。私たちの兄弟が今、鉄のカーテンの中であるとか、共産圏国家の地下で命を懸けて闘っています。彼らの中の一人がお父様に遺書を送ってきたのですが、「お父様、最期の時が迫ってきました。いつか霊界でお目にかかります」という内容の手紙でした。このような闘いをしているのです。誰が共産主義を防ぐのですか。私たちしかいないというのです。
20 一九八〇年十二月に、アフリカで私たちの宣教師が犠牲になりました。その報告を聞いて、「君は、自らの行くべき道を行ったのだ。その国の統一教会の先祖になるだろう」と言いました。「君がもし、私のような立場で、世界のためにそのように死んだのであれば、世界の先祖になるだろう」と思うのです。私も、そのような道を歩んでいます。その人のために同情しなくても、彼は誰よりも公的な人生を生きたのです。
21 ある宣教師が、アフリカで暗殺されました。今まで拠点となる地がなくて、多くの苦労をしました。共産勢力が、父母様に従う人々を見たところ、すべて問題だったので、暗殺したというのです。暗殺するとき、「お前の願いは何か」と尋ねたところ、「願いはない。私は、私たちの父母様がいらっしゃる所に向かって敬拝をしてから逝くことができれば、何の後悔もない。私は勝利者として、父母、親戚、故国を離れて、アフリカの奥地で一人逝くとしても、悲しむことはしない。愛の道理である天道を明らかにして逝くのだから、死ぬとしても、恐ろしいことがあるだろうか」という遺言を残して逝きました。その人は日本人です。
愛が慕わしくて、「愛の天国に行く」と言って国境を越え、世界の孤独な場で死の道を行くとしても、死を恐れることなく行けるその男性は、どれほど歴史的な人物でしょうか。そのように行動したのは、父母様を通して愛の道を知ったからです。愛の道において教えてくれる教育が、本当の教育です。愛の場において約束したことは、千年、万年たっても忘れないのです。霊的な体があり、肉的な体があれば、霊肉の細胞がすべて共鳴する場で愛の心が通じる過程では、そのようになるというのです。ですから、愛を中心として、愛し合う間柄で約束したことは、千年、万年たっても忘れません。
22 皆さんが宣教に出て困難にぶつかるたびに、お父様が獄中生活をしながら迫害を受け、今も法廷闘争をしていることを思えば、相当な力を得ることができるでしょう。それが困難でも克服しなければならず、自分が責任を果たさなければならないことが分かるでしょう。
皆さん自身が、お父様の生涯を通して影響を受けたのと同じように、皆さんの生涯を通して、後代が影響を受けるというのです。同じです。そのようなことを、今後、歴史に記載する材料にしなければならないのですが、誰にでもあり得る普通の材料は、歴史に残りません。悲惨で唖然とするような材料が、歴史に残るというのです。
アフリカや南米など、このような開放されている社会は問題になりません。しかし、閉鎖された社会にいる私たちの食口の中には、今、監獄に入っている人もいて、あるいは死刑になった人もいるのです。このような事実は、これからの歴史に非常に大きな影響を与えるでしょう。
23 開放された社会に宣教師が出掛けていますが、一般の統一教会員たちが知らない間に、閉鎖された社会にも宣教師が入っています。そのような人の中においても、国際祝福結婚式に(直接)参加すべき人がいるのですが、そこでこの日を記憶しながら、国際祝福結婚式(の日)に臨んでいるのです。
そのような人々によって伝道された人たちは、どれほど父母様に会いたいと思うでしょうか。しかし、父母様に会うことができずに帰っていくのです。このような大衆集会の場に参加することを願うのですが参加できないというのです。道端で会ったり、どこかで会い、互いに指示をしたり、受けたりして行かなければなりません。そのような事実がいくらでもあるのです。
皆さんが苦労した記録もあると思いますが、閉鎖された社会の背後で、このような過程を経てきながら宣教をした記録も多いということを、いつも覚えておかなければなりません。開放された社会に行っている宣教師たちが大変だとしても、そこに行っている宣教師たちほどではないというのです。彼らはそこにいる間、一瞬も気を抜くことができません。真理の言葉を語っても、その一言ゆえに、自分のすべてが破綻することがあるというのです。
24 共産世界で暮らして霊界に行った人々が、「統一教会が世界的な使命を担ったとするなら、共産世界にまで入ってきて伝道をしなければならないのに、なぜしないのか」と讒訴する可能性があります。今も、共産治下の監獄に私たちの食口がいることを知らなければなりません。
一九七六年にアメリカのベルベディアから全世界に宣教師を送り出したのは、世界から迫害を受けようというものでした。お父様が問題になる中で、宣教師たちが全世界的に迫害を受けるのです。ですから、霊界や世界の人々が、「レバレンド・ムーン!そのような真の道があるならば、その道を私たちの国民に知らせなければならないのに、なぜ知らせてくれなかったのですか」と讒訴することはできません。宣教師たちが出向いているので、讒訴できないというのです。お父様が言ったことが事実であるとすれば、統一教会に神様の祝福の日が待っていることは間違いありません。
左翼勢力の組織的反対
フランスの統一教会爆破事件は、共産勢力が介入していたことが明らかになった。この事件に対しては、アメリカの国会議員と朝野の人士たちまでもが問題視した。また、あるときはベルベディア修練所も爆破するという情報が人り消防署と警察が動員されたこともあった。ニューヨークでは、真の父母様に対する反対デモが起こった。このような反対勢力は、大部分、国際左翼勢力がその背景に存在していた。
25 一九七六年一月二十三日、フランスのパリにあるヴィラ・オプレの統一教会で爆破事件が起きました。これは摂理的に見るとき、相当な被害だと考えることもできますが、私はそのようには考えません。かえって、良い兆候であると見るのです。統一教会、少数の人々が属しているこの団体を、全世界の共産勢力とキリスト教が攻撃するという事実は、強者が弱者を攻撃するものだという結論が出てきます。
「ニューヨーク・タイムズ」の記事を見て分かるように、共産勢力と保守主義のカトリックやプロテスタントの信者たちがデモをするなど、私たちに反対していると言いますが、それは全体的な傾向から見るとき、大衆が私たちに同情する良い内容だと思うのです。強者が弱者をたたけば、弱者が間違っていたとしても、一般の人々の心理は、弱者に同情するのです。統一教会は一つも間違っていません。
今回も、統一教会をなくそうという声が上がったときフランスの警察は、「国家に被害をもたらすことをしていないので、宗教の自由を許す国として、何もすることはできない」と言いました。このようなことを見ても、一般の人々がそのような観点で統一教会を詳細に理解するようになり、それは弱者を陥れるためにしたことだという認識さえもつようになれば、大衆は完全に私たちの側に付くようになると考えるのです。
26 フランスの教会爆破事件によって、男性食口と女性食口が負傷しましたが、彼らは英雄になりました。そして、フランス人ではなく、オランダとノルウエーから来た人が負傷したというのは、さらに歴史的なことです。
外国人たちが犠牲になったというのは、国際(伝道)機動隊の伝統がしっかりと立つ良い歴史的材料だと見るのです。私たちがフランスのために、ヨーロッパのために活動していてこのようになったことをフランス国民が知れば、フランス国民は、オランダにも頭を下げなければならず、ノルウエーにも頭を下げなければなりません。
国際(伝道)機動隊にアメリカ人が多くいて、フランス人、ドイツ人が多くいるとしても、他の国から来た一人がこのようになれば、その一人のゆえにその国は、世界的な尊敬を受ける国家になるというのです。このような観点から、これは驚くべき事件です。
この爆破事件によって、国際(伝道)機動隊は命を捧げるとともに、死ぬまで天のために闘ったという伝統を立てることができ、輝く新しい歴史的な基準が残されるという事実を考えるとき、彼らは世界の歴史における英雄になったというのです。
27 今までは、サタン側が統一教会を打つとしても、言葉で打ってきました。言葉で打っただけであって、暴力を行使して統一教会を破壊することはありませんでした。ところが、フランスで起きた爆破事件は、蕩減をして天が踏み越えていくに当たって、かえって良い条件になったのです。
フランスで統一教会が爆破されたという事実は、統一教会が歴史的な蕩減条件を立てるに当たって、一つの条件になったというのです。サタンが、打ってはいけない領域を打ったというのです。それは、私たちが攻勢をかけていける一つの条件になります。ですから、反対し、迫害するすべての出来事は、偶然に起こるのではありません。結局は、統一教会が勝利できる、外的条件を天が立てていくのです。
28 一九七六年六月のヤンキー・スタジアム大会を中心として、大きな闘いか起きるでしょう。反対勢力があらゆる方法で私たちを包囲することも知っています。ありとあらゆることをしようとするでしょう。そして、一九七六年のワシントン大会さえ越えれば、歴史的な転換時代に入ります。
今から約四ヵ月残りました。残ったこの期間を中心として、ひっくり返す段階に越えていくと見るのです。自分たちが不利な立場に追いやられることが明らかなので、最後の発悪をするのです。
パリの統一教会がテロに遭ったのもそうです。アメリカでもそのような現象が起きる可能性があります。ベルベディア修練所も爆破すると言われ、消防署から人が来たり、警察が動員されたりすることがありました。フランスでそのようなことが実際にあったので、信じざるを得ないのです。
それは、保守的なキリスト教と共産党が共謀して行ったというのです。それを「ニューヨーク・タイムズ」が正式に報道したので、もはや「共産党が背後で操っている」と私たちが白昼に宣伝しても、アメリカ国民は反対できなくなりました。今や、有利な条件を中心として、越えていく段階にあるのです。
29 一九七五年、アメリカのニューヨークで、お父様に対する反対デモが起きました。ありとあらゆる人々が来て大騒ぎになりました。「デイリーニューズ」は、五日間、四面にわたってシリーズで私たちに関する記事を載せました。トップを走る新聞社でそのようにしたとすればこれは衝撃的な事件です。それほど、私が問題になっているのです。これからは攻勢をかけて越えていきます。天倫の時になれば、アメリカではなく全世界が何を言っても、天のみ前に押し寄せるようになるのです。
30 統一教会に、なぜ若い人々が入ってくるのでしょうか。白人の若者が徐々にたくさん入ってきています。サタンの側で統一教会のレバレンド・ムーンを最も憎むのですが、憎んでいる人々の息子、娘たちが入ってくるというのです。それはあだ討ちです。恨を解くことです。
サタンは神様の息子、娘を捕まえて殺しましたが、天の側は怨讐サタンの子女たちを連れてきて、殺すのではなく、生かしてあげるのです。それが違います。それで、「反対父母の会」ができました。
歴史始まって以来、自分の息子、娘を拉致するという出来事がどこにあったでしょうか。二十世紀に、先進国の代表国家と言われるアメリカで、最も極悪なことが起きています。これは歴史にないことです。
31 「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」が統一教会に反対し、全面的な攻勢を仕掛けてくる際に、記事を見てみると、「反対父母の会」というものがあります。若者たちがお父様に付いていくので、統一教会の洗脳工作によってみな狂ってしまったと悪宣伝するための「反対父母の会」、若者たちを拉致していって逆洗脳するという「反対父母の会」があるのです。その「反対父母の会」がある一方で、私たちは、それに対処するための「賛成父母の会」という組織をもっています。
ところが、言論機関は、「反対父母の会」に三百五十人が集まれば、丸をさらに一つ付けて三千五百人と伝え、三十五人集まれば三百五十人と報道するのです。私たちはその時、七百人近く集まって「賛成父母の会」の会議を行ったのですが、これは丸を一つ抜いてしまい、七十人だと書いたのです。
これは、アメリカの言論界に、既に共産勢力が浸透していることを意味します。共産勢力によって完全に左右されるアメリカの言論界だと見なければならないのです。そのような闘いをしています。これは、すべての言論界を結集して、お父様打倒運動をしようということを示しています。一九七六年が最大の激戦の時期でした。
32 統一教会では、孝の道理を教え、忠の道理を教え、聖人の道理を教えています。
神様の息子になろうとすれば、国家主義的愛国者の名をもっているだけではいけません。世界のために生きた愛国者の名をもたなければなりません。孝子にしても、世界のために生きた孝子の名をもたなければなりません。一般社会の父母たちが見る観点や国家が見る観点とは異なるので、統一教会は反対されるのです。反対する父母たちが出てくるのは、共産勢力が操っているからです。父母たちが世界的な反対活動をするのは、現在の日本の反対父母たちがしているのではありません。日本共産党などが、世界的共産党の背景を中心として反対しているのです。
33 アメリカで裁判があるので、ドイツとイギリス、フランスでも裁判が起こっています。共産党がそのように操っているのです。世界に連合戦線を展開しながら、共産勢力が私を捕まえてしまおうとしているところに、民主世界が協助しています。私は、本当に素晴らしいことが起こったと思います。法廷闘争で負けてはいけません。勝てば、統一教会の宣教歴史で、血を流すことはなくなります。イエス様がローマの元老院に行って、闘って勝ったという証拠、そのような事実を残していたならば、キリスト教は殉教の宗教にならなかったでしょう。それを私は知っています。後代の子孫たちが行く道で血を流すことを防ぐ責任を、私が果たそうと身もだえしているのです。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第168話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第三章 日本特別巡回と世界宣教師の派遣
第一節 エバ国家、母の国である日本の責任
日本がエバ国家となった背景
真のお父様は、一九四五年八月十五日、韓国が光復を迎える中、キリスト教を基盤として神様のみ旨を本格的に展開しようとされた。そして、このような構想が実現する場合、第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランスを中心に、世界へ進出しようとされたのである。これらの三つの国が、アベル国家、エバ国家、カイン国家として一つになれば、世界復帰は難なく実現されるだろうと考えられたのである。
しかし、キリスト教の不信によって、このような構想が現実化されなくなると、神様は、イギリスの代わりに日本をエバ国家として立て、新しい摂理を展開された。母が子女を生みお乳を飲ませて養育するように、日本がエバ国家として、アジアをはじめとする世界を養い、育てる国になれるよう、日本を祝福されたのである。
1 第二次世界大戦の直後に連合国と枢軸国が一つになり、新婦圏、すなわちキリスト教文化圏が新郎であるお父様に侍っていれば、四十年の悲哀の歴史はなかったでしょう。その時は、真の父母のモデル的な基準を中心として、世界的な勝利基盤の上で、すべての家庭を七年以内にここに直結させることができる摂理的な時でした。ところが、エバ圏、言い換えれば、新婦のキリスト教文化である西欧文明圏が、来られる再臨主であるお父様に侍ることができず、一つになれなかったために失敗したのです。一つになれなかっただけでなく、反対することにより、完全にサタン世界に戻りました。
ですから、お父様は荒野に追われた立場に立ち、再び上陸することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家を形成しました。そうして、今まで世界的な迫害の過程で、世界の反対圏に蕩減条件を立ててきたのです。世界的な迫害圏、世界を代表した家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏、天地のすべての反対を、四十年間、通過してきたというのです。
2 第二次世界大戦後のイギリス、アメリカ、フランスを見れば、エバ国家であるイギリスは、島国として、いつでも大陸を恋い慕います。アメリカは、イギリスが生んだアベルです。旧教が新教を生んだのです。フランスは、連合国側のカインです。その反対のサタン側は、日本、ドイツ、イタリアです。このように、連合国と枢軸国が対峙したのです。このように二つに分けて植えたものを、総合的な収穫期を迎えて清算しなければなりません。サタンを完全に屈服させなければならないのです。しかし、イギリス、アメリカ、フランスがお父様に反対したため、すべて失敗しました。そのようになっていなければ、当時、日本やドイツが神側に立つ道はありませんでした。アメリカを再び選択したのは、蘇生、長成がなければ成約時代が完成されないからです。再臨主が立つためにも、アメリカを復帰すればユダヤ教とキリスト教、旧約と新約を復帰したことになるので、これを再び整理しなければならなかったのです。ですから、アメリカを再び選んだのです。第二次世界大戦後に、アメリカと日本とドイツが世界的な権限をもつようになりましたが、それは、お父様がアベル国家とエバ国家、カイン国家として、それぞれ選択したからです。
3 世界を一つにするためには、民主世界圏内にカイン・アベル国家、その次には、アダム・エバ国家がなければなりません。それで、世界的に、韓国がアダム国家です。アメリカを中心としたキリスト教文化圏がお父様を受け入れていたならば、エバ国家はイギリスになるのです。
イギリスと世界のキリスト教文化圏を中心として一つにするのですが、キリスト教が反対することによってそれができなかったので、アジアに帰ってきて、韓半島を中心として怨讐の国である日本が登場したのです。復帰時代に入り、日本がエバ国家の立場なので、世界の終末時代に経済圏を整える母の責任を担うのです。エバによって失われたものを、日本が取り戻さなければなりません。
4 過去には、韓国と日本が互いに怨讐関係にありました。しかし、蕩減復帰をしようとすれば、一番愛する人と一番憎む人、一番愛する国と一番憎む国を、天のみ前で互いに相対的な立場に立てなければなりません。そのようにしなければ、天地を復帰することができません。
韓国を中心としては日本、アメリカを中心としてはドイツが、相対的な立場です。したがって、韓国はアダム型国家であり、日本はエバ型国家です。また、アメリカは天使長型国家であり、ドイツはサタン側の天使長型国家です。ですから、韓国が一つになれば、この四つの国を復帰することができるのです。この四つの国が一つになれば、世界が復帰されます。このようになることにより、霊界と肉界を復帰できるのです。天宙と世界を復帰するためには、この四つの国が祭物にならなければなりません。この四つの国を復帰するためには、韓国が祭物にならなければならないのです。
5 イエス様は、霊的勝利の基台だけをつくりましたが、父母様は霊肉を合わせた世界的な統一圏摂理によって、ここまで上がってくることができました。一九七二年から三年間、私たちが結束し、日本でも一生懸命に動けば、日本は世界的に認められる国になるでしょう。なぜなら、日本がエバ国家だからです。
今から日本は発展するでしょう。三年の期間が過ぎれば、発展するようになるというのが原理観です。ですから、それを迎えるために、特にそれを成就するために、(伝道)機動隊を編成したのです。早く人材を養成しなければなりません。
エバ国家から母の国へ
新世紀の到来を目前に控えた一九九四年から九七年まで、約一万二千人の日本女性宣教師が、世界宣教のため、約百五十ヵ国に派遣された。真の父母様は、世界巡回のたびごとに、彼ら宣教師を激励された。そして、このような基台の上で一九九八年一月一日、「日本をエバ国家から母の国に昇格させる」と発表されたのである。
6 これから、アメリカは長子権の国、日本は母の国、韓国は父の国になります。韓国と日本とアメリカ、この三国は一つの国です。一九九八年四月十七日、きょうから一つの国であると考えればよいでしょう。この三つの国が一つにさえなれば、全世界をコントロールするのは問題ありません。この三つの国が一つになれば、残りの国々はすべて、あとから付いてくるようになっています。統一された平和世界が、この地上に現れるようになるのです。それが正に地上天国です。
7 父母様が選んだエバ国家が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で父母様の命令に従う以上、長子の国であるアメリカが父母の国と一つにならなければなりません。母の国日本、息子の国アメリカが一つになって、父母様に付いてこなければなりません。すべて怨讐です。韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、アメリカとドイツが怨讐です。怨讐の国が一つになるには、愛によってために生き、塀をすべて崩してあげなければなりません。そのようにしてこそ、そのあとから付いてくるのです。それが摂理の清算原理です。
8 エバの国である母の国と、アダムの国である父の国が出てこなければならず、長子権の国が出てこなければなりません。アダムとエバは、堕落していなければ長子権です。その次に、父母権、その次に、王権です。個人的長子権、個人的父母権、個人的王権と国家的長子権、国家的父母権、国家的王権と宇宙的長子権、宇宙的父母権、宇宙的王権、このようになります。ですから、アダム家庭では、長子権がカインであり、父母権がアダムとエバであり、それが将来、王権になります。その次は、先祖です。神様を中心として先祖になるアダムとエバなのです。それを失ってしまったので、これを蕩減復帰しなければなりません。ですから、世界的な長子権がアメリカになっており、世界的なエバ権が日本になっており、世界的なアダム権が韓国になっています。共に暮らさなければなりません。それゆえ、アメリカも自己所有ではありません。息子の所有ではないのです。また、エバの所有、母の所有ではありません。息子の所有、母の所有がある前に、まず父の所有がなければなりません。
9 世の中には、父の国や母の国、長男の国というものがありません。父母様が韓国と日本とアメリカを、父の国と母の国、長男の国と定めました。ですから、エバは、母と父と兄の三者を思慕しなければなりません。エバにはお兄さんが必要であり、お母さんとお父さんが必要です。今から日本は、長男を養育しなければなりません。そして、母の国として、父の国と一つになる環境をつくっていかなければなりません。エバが堕落することによってすべて壊れてしまったので、それをまたつくり、元どおりにしておかなければならないのです。
10 韓国人は、韓国にだけいてはいけません。日本やアメリカに行って、(生活環境を)切り替えて暮らすのです。また、世界の人々が韓国、日本、アメリカに入籍するのです。入籍すれば、国家観をすべて忘れるようになります。アフリカの人々が入籍するようになれば、アフリカ人ではありません。歴史的環境であるとか、貧富の格差であるとか、伝統的なすべてのものが変わるのです。
ですから、韓国と日本とアメリカの三国を中心として、父の国、母の国、長子の国の伝統を受け継がなければなりません。父と母と長子を通して循環が起きるのです。
11 エバ国家である日本は、タマルとマリヤの世界的な結実体です。世界的な結実体というのは、国家を中心としたマリヤとタマルの立場にいるということです。タマルは民族的な解放、マリヤは国家的な解放の立場にいました。お母様は、天宙の解放のための立場にいます。そのような責任があるので、サタン側の長子である世界だけでなく、サタン的なすべてのものを否定して、反対に、天の側の宗教圏を抱いたのです。
そのように神様に付いていくためには、世界的なサタン圏を完全に切ってしまい一八〇度、反対側に回っていかなければ、エバ国家、母の国の国民として、責任を果たすことができないというのが原理観です。これは、救援摂理の最終的な結論です。母の国としての責任を果たすためには、民族的なタマルの使命圏と国家的なマリヤの使命圏を越えていかなければなりません。そのようにしなければ、母の国として定着できないのです。
12 日本は母の国です。いつでも、父の国の意向に従っていける母の国にならなければなりません。アメリカが長子権に立っているなら、父母の国の意向に従っていく国にならなければなりません。また、母の国が日本であるとすれば、父と天の父母の幸福のために祭物の道を行かなければならず、すべてを犠牲にし、祭物として捧げることのできる奉献の伝統が立っていなければなりません。父に侍って暮らすことのできる生活的な中心国家にならなければならないのです。父の国のための母の国であり、母の国のための長子の国にならなければなりません。その次に、万国があれば、万国全体が父の国の安寧のために歩調を合わせなければなりません。

Saturday May 20, 2023
真の父母経 第167話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第六節 アメリカ議会招請講演とウォーターゲート宣言
アメリカ議会招請講演
真のお父様は、アメリカ議会の招請により、二度にわたって講演をされた。当時、真の父母様に対する関心が高まる中で、上下両院議員が招請したのである。一九七四年十月八日、真のお父様は、国会議事堂のダークセン上院ビルにて「神様の摂理の中にあるアメリカ」というテーマで講演された。この日は、上下両院議員百八十五人が参加し、み言を傾聴した。この講演は、九月十三日、上院外交分科委員長などが、上下両院議員十二人の連署による招請状を真のお父様に送付し、上下両院議員全体に公文を送ることによって実現した。二回目は、一九七五年十二月十八日、上下両院議員たちの招請を受け、アメリカ国会議事堂のコーカス・ルームで、二百人が参加する中、「アメリカを中心とした神様の計画」というテーマで講演された。
1 私は、アメリカ国会に行って講演する準備を今まで(渉外チームに)させてきました。これまで六ヵ月間訓練してきたのは、その目的のためです。それで、一九七四年十月八日に、私が国会に行って講演をすることになっています。ところで、アメリカ社会では、「レバレンド・ムーンは神秘の存在だ」と言っているのです。国会の上下両院議員たちも、一度も私の講演を聞かないまま、どこかに行ってお父様に関する話が出たとき、答えることもできずに口を閉じていれば恥をかいてしまう、そのような段階に入ったというのです。
今回、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーテン大会で、そのような雰囲気が相当に高まりました。上下両院議員が来ることができなければ、その補佐官でも必ず送ることにしたというのです。「どのような話をしたのか知らなければいけないので、送ることにした」という報告を聞きました。ですから、「レバレンド・ムーンに対して、上下両院議員の皆さんが協助してください」と言えば、間違いなくワシントン大会のために協助するだろうと思います。
2 ホワイトハウスから、国会の上下両院議員たちとアメリカ国民たちが統一教会の思想をもって武装すれば、どのようになるでしょうか。建国の中心に当たるキリスト教が没落するこの時に、キリスト教を再起させることができ、破錠しかけている家庭と倫理を再起させることができ、青少年を再起させることができ、すべてのものを復活させることのできる原動力になるでしょう。
個人的にそのような人になれば、世界的代表者になり、家庭的にそのようになれば、世界的代表家庭になり、アメリカ国民がそのようになれば、数多くの国家を代表する歴史上になかった国民になり、アメリカがそのようになれば、世界はその圏内で一つにならざるを得ないと考えるのです。
この国会にいらっしゃる上下両院議員の皆さんは、この思想がレバレンド・ムーンの思想であるとは、夢にも考えないでください。これはレバレンド・ムーンの思想ではありません。これが、神様のみ旨の中で人類に通告しなければならない、一つの深奥な真理であることを知り、これを国会に適用し、この国家、国民に対して国民思想として適用すれば、アメリカがそれこそ「神様のもとの一つの国家」という言葉のように、名実共に世界の主体的国家になることは間違いないと思います。
そうすれば、その国こそ、地上天国に違いありません。そこに、真の理想と真の愛と真の幸福と真の真理が存在できるのです。
3 何としてでも、韓民族の将来のためにアメリカの朝野に影響を及ぼし、私たちの基盤を拡大していかなければなりません。ですから、ニクソン大統領を支持した問題を経て上下両院の基盤をつくり、国連の舞台で活動し始めたのです。何としてでもアメリカ議会に足を踏み入れておこうと、彼らの前に行って講演までしました。それとともに、政治(家)だけではなく、政治的影響力をもった人々を通して国民との関係基盤を確保し、世論全体の基盤が必要だったので、そのような世論基盤を築き、今やアメリカで私は相当に有名になりました。
私が最初に彼らに会った時、「二年間でこのような旋風を巻き起こすが、あなたは信じるか」と言うと、「信じられない」と鼻で笑いました。アメリカで自分こそが実力者だと考え、二十年以上の功績を積んで、今や上院議員の立場にいる人々なので「外国から来た青二才のレバレンド・ムーンという人物が、アメリカで二年間に何をどうするのか」と、鼻先でせせら笑ったのです。
しかし、今や彼らが信じるほどになりました。私が話すことは、うそではないと考えているというのです。この間、私がしたことは、大したことではありません。しかし、彼らに同情される統一教会の文某になっては絶対に発展できません。私が助けてあげなければならないのです。ですから、何はともあれ、助けになることをたくさんしたのです。
ウォーターゲート事件とアメリカの覚醒
一九七二年六月、ニクソン大統領再選のための秘密工作班が、ワシントンDCのウォーターゲートビルの民主党全国委員会の本部事務室に、盗聴装置を設置したことが発覚した。これにより、ニクソンは、大統領職を辞任する一九七四年八月まで、苦境に立たされた。真の父母様は、アメリカの精神と信仰、価値観が一大危機に直面したと判断され、一九七三年十一月三十日、「許せ、愛せ、団結せよ」という旨の「ウォーターゲート宣言」を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の全面広告で発表された。この事件によって、アメリカの経済的危機が招来し、世界的な指導力が喪失することを憂慮され、この隙を狙った国際共産主義が勢いを増すことがないように警告されたのである。そうして、真のお父様は、一九七四年二月一日、ホワイトハウスの大統領執務室で、ニクソン大統領と会談された。
4 一九七二年と七三年を中心として、アメリカの大統領が気勢をくじかれました。お父様は、ニクソン大統領に対するウォーターゲート宣言を行いました。そこで、お父様と一つになれば、生きる道があるというのです。ですから、お父様は上院議員と下院議員たちに対して、一人残らず、すべて手紙を書きました。これは偶然の事件ではありません。二年目にホワイトハウスと私たちが交差する点をもったという事実は、歴史的な事件です。ウォーターゲート事件を論じるときは、必ず歴史的に、お父様の名前が残るようになっています。これは、いくら否定しようとしても否定できません。
5 アメリカが、ウォーターゲート事件を中心として混乱した時、私は「神様に帰ろう」と叫びました。神様に帰るためには赦しを受けなければなりませんが、赦しを受けようとすれば、アメリカ国民も赦しなさいというのです。これが「ウォーターゲート宣言」です。赦しなさいというのです。他人の罪を赦せなければ、自分も赦しを受けられません。個人的に、教会的に、挙国的に、ニクソン一人を条件とし、「あなたたちもそのような姿の罪人なのだから、まず悔い改めて、ニクソンも赦しなさい」と言ったのです。
お父様がアメリカでニクソンの赦免問題を呼び起こしたのです。民主世界が没落するようになるのは、キリスト教が没落するからです。キリスト教が没落するのは、すべての国家の問題、すべての世界の問題を神様に談判して対処せず、自分の意向によって進めているからです。エデンの園で堕落する状況と同じなのです。
6 お父様自身が一人でアメリカの地に進み出た時は、一個人として現れました。天の命令を受け、三年という期間のうちに、二億四千万近い国民に、お父様の意思を伝えなければなりません。聞こうと聞くまいと、うわさを立てて知らせてあげなければなりません。それをどのようにするのでしょうか。基盤はなく、協力者もいない上に、反対までされる状況でした。そのような環境をどのようにして切り開いていくのでしょうか。直行しなければならず、心臓部を貫いていかなければならないというのです。ですから、行くやいなや有名な上院議員たちに会いました。下院議員たちにも会い、それから著名なアメリカの人士たちにもたくさん会いました。
その次は、ホワイトハウスをどのようにして切り開いていくかということでした。そこからしなければならないと考えたのです。そのような時、ウォーターゲート事件が起きました。ウォーターゲート事件を中心として、私が手を付けることになったのです。全国民が反対し、全国民が希望をなくして落胆する立場にいるので、ここでキリスト教思想を中心として、一つの方向を提示しなければならないと考えたのです。
7 私は長い間、数多くの宗教と宗教者たちを訪ねてみました。数多くの地方議員、有名な人士たちに、みな会ってみました。そして、その国の名士たちにもみな会ってみました。彼らの胸の内には、世界を救おうという考えは全くありませんでした。ウォーターゲート事件の時も、まかり間違って転べば、アメリカはどん底に落ちてしまうというのです。
数多くの宗教指導者、ビリー・グラハムのような世界的に有名な人々が、国の先頭に立って国民運動を起こし、それを防がなければならない立場であるにもかかわらず、彼らは、夢にもそのような考えをもつことができずにいたのです。
ですから、東洋の一角で生まれた文という人が責任をもったのです。しかし、それは適当にやってできることではありません。命を懸けて神様に談判し、神様が願われることが何であるかを探ったのです。私は政治家ではありません。神様のみ言に従って行動する人です。国を守り、世界を守り、進むべき方向を誰かが言わなければならないようになっているのです。それを知ったので、冒険の道を覚悟しました。統一教会は、最後の決断を下したのです。
8 お父様は一九七二年、アメリカの七大都市で初めてみ言を宣布しました。その基盤の上で、一九七三年に二十一ヵ都市を掲げて、闘っていきました。この期間に、ウォーターゲート事件を中心として、六十日前にこれが提示され、二十一ヵ都市巡回路程を一月二十八日に締めくくりました。その後、ワシントンDCに来て、ニクソンにまで会うことになりました。
私が会おうと言って会ったのではなく、ニクソン大統領がその日にちを決め、自ら会うことを求めてきたのです。偶然に会ったのではありません。どこかの国の元首がニクソン大統領に会おうとすれば、一年半も前にあらかじめ、すべて約束しておかなければならないのに、私とこのように会ったのは歴史的な事件でしょう。一月三十日に国会に送る教書を発表するため、二週間、誰にも会わずにスケジユールをすべて空けておき、教書発表が終わって二月一日、あらゆる国家の代表者たち、いかなる大使たちも押しのけて、お父様に会ったのです。
会った時、お父様は、ニクソンと向き合って、「一緒に祈りましょう」と言いました。ニクソンも頭を垂れて祈りました。歴史的なその会見の直前に祈りを捧げたというのは、歴史的な事件です。劇的な会談をもちました。お父様が話をする中で、彼は、この国で誰よりも自分を愛し、自分のために心配している人がお父様であることを知って深く感謝しながら、本当に心を激しく揺さぶられ、喜んでいることを、如実に感じることができました。これを見れば、歴史的な事件に違いありません。ローマ皇帝がイエス様を招待して会うのと同じ立場だというのです。
9 アメリカ自体が、ウォーターゲート事件によって真っ逆さまに落ちていくのを、お父様によって止めることができるのです。お父様によって、キリスト教に新しい方向を提示し、アメリカを中心とした民主世界に新しい方向を提示して、彼らが志を立てるようになりました。私がニクソンに会ったので、このことが可能なのです。お父様は、神様のみ旨によってニクソンに会いました。ですから、彼に会って祈りを捧げたのです。それは偶然の出来事ではありません。人々は知りませんが、その摂理時代において、大きな峠を越えることが既に決定されていたのです。
10 私は、ニクソン個人を見て支持したのではありません。大統領職を支持したのです。これは、アメリカ国民が今後、知らなければならない問題です。国の主権者が新しい政策を立て、その国の運命を決めるときには、特権をもたなければなりません。そのような意味で支持したのです。
ニクソンがいたならば、ベトナムとカンボジアがあのようにはなりませんでした。私が予想したとおりになったのです。数十億ドルに達する武器を共産世界に丸ごと渡してしまう、国家的な恥になることをしたというのは、民主世界を指導する国家として惨敗だというのです。
11 私がニクソンを支持したのは、ベトナム戦争をアメリカの勝利で終わらせるという目的があったからです。早く終わらせなければならないというのです。そうすれば、アジア防御圏が延長されると考えたのです。ですから、ニクソン・ドクトリンを修正しなければならないという結論に達しました。ニクソン・ドクトリンのとおりになれば、韓国の安全保障の問題は自動的に下火になっていくのです。アメリカとアメリカ大統領が一つになり、アジアと一つになる道を神様が願っていらっしゃるのに、アメリカと大統領を分立させ、これを破綻させようとしているというのです。
ですから、私は、「許せ、愛せ、団結せよ」と主張しました。そうすれば、そこでキリスト教がニクソンと一つになり、全国民と一つになるでしょう。私が主張したことが動機となってそのようになれば、お父様と一つになるのです。お父様がアメリカを救い、一つにした功労者として登場するというのです。そのようになれば、ニクソンは私に相談するようになります。そのようになっていたならば、このウォーターゲート事件は即刻、解決したでしょう。