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Tuesday Nov 29, 2022
平和経 第409話
Tuesday Nov 29, 2022
Tuesday Nov 29, 2022
四大心情圏と三大王権
したがって、真の家庭主義の核心は、人間関係の一番の根源になり、真の家庭を完成するために絶対必要条件となる四大心情圏の完成と三大王権の完成です。四大心情圏とは、子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏をいいます。人間はこの地に誰かの子女として生まれ、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、子女を生むことによって父母となる過程を経ていくようになっています。したがって、四大心情圏と三大王権の完成は、家庭の枠の中で成し遂げることができるように創造されているのです。
それでは、まず子女の心情圏の完成とは何を意味するのでしょうか。人間は、誰もが選択の余地がない状態で、誰かを父母とする子女として生まれます。大統領の息子として生まれることや、世界最高の美人の娘として生まれることなど、それは私たちの選択権ではありません。しかし、生まれたその瞬間から、私たちは宿命的に父母の保護を受けて成長するようになります。
父母に仕えて、一緒に暮らしていきます。この中で私たちは、父母のために命までも捧げようという、子女としての父母に対する愛と孝の道の心情を習得して育っていくのです。
父母が直接教えてくれるのでもなく、学校で習うのでもありません。子女のために献身的に真の愛の生活をしている父母の姿を見て、体恤して悟るのが子女の心情です。成長して分別がついていく中で、この子女の心情は完成されるのです。父母のためにすべてを捧げ、永遠に捧げる生活の基準を完成するのです。父母が口を開く前に父母の心を読み取り、父母の願いどおりに侍って仕える生活をするのです。父母の目を見ただけで、その心情を推し量り、真の子女としての道理を尽くす生活の姿です。横的な真の父母であられる肉親の父母にだけでなく、縦的な真の父母であられる神様にも同じ絶対的基準の子女の心情を捧げる生活です。子女の心情圏の完成は、このようにして成し遂げられていくのです。
次に、兄弟の心情圏の完成もまた、一つの家庭で兄弟姉妹同士が調和して暮らしながら、父母の生活の姿から体恤し、学んで完成する真の愛の心情圏です。父や母に似ていく心情圏です。人間関係でいえば前後の関係です。兄が主体なら、弟は対象の立場です。
しかし、兄を絶対的価値の主体の立場に立ててあげるのは、対象である弟です。兄を父のように仕えて敬い、姉を母のように信じて頼る、そのような美しい兄弟の心情圏が完成するのです。兄は弟に対して、あたかも父母が子女を愛する心情で面倒を見てために生きる生活であり、弟は兄や姉に対して、父や毋に仕えて侍るように敬って侍る真の愛の実践です。
互いに足りない点を補い合い、良い点は育て、学び合う真の兄弟愛が完成するのです。誰も引き離すことのできない血を分けた兄弟姉妹間の愛であり、心情圏です。このように、真の家庭圏で真の子女の心情圏と兄弟圏を完成した子女たちは、世の中に出ていっても、清くて明るい太陽のように輝く生活をするようになります。大人たちに会えば、自分の父母に侍るような同じ心情で敬って仕えるのであり、青少年たちには、自分の兄や弟のために与えるように、真の愛を分けてあげながら暮らす子女、万人から愛される子女となるのです。
いつどこで誰に会っても、人よりもう一つ多く与え、いかなる仕事をしても、人よりも一時間多く仕事をし、いかなる状況でも、自分のことよりも、人の立場や境遇をまず考慮して譲歩する真の愛と心情の所有者として尊敬を受けるのです。たとえ年齢は幼い姿だったとしても、老若男女を問わず、誰もが信じて頼る中心人物になります。このように一つの家庭の垣根の中で体恤した兄弟の心情圏の完成は、人間の永生における絶対的な価値を育てていくようになるのです。
夫婦の心情圏回復と祝福
次に、夫婦の心情圏の完成はどのようにして成し遂げられるのでしょうか。親子や兄弟の関係とは異なり、夫婦の関係は、初めから血縁で結ばれた絶対的関係ではありません。育ってきた環境や境遇が異なる一人の男性と一人の女性が互いに出会い、新しい生を一緒に創造していく、実に革命的な決断と決心で結ばれた関係です。
しかし、夫婦の関係は、真の愛で一心一体になれば、血縁よりも強い、絶対的な関係に変わるのです。夫婦関係の中には無窮無尽な宝物が隠されています。一度天を中心として夫婦の関係を結んだなら、永遠に別れることができない絶対関係になるのです。
アダムの家庭を見ると、アダムとエバは共に同じ神様の息子と娘ですが、エバはアダムの妹の立場で出発しました。アダムはエバの兄の立場でした。しかし、彼らは成長して夫婦になったのです。同じように、夫婦間の関係は一つの血を分けた兄弟姉妹の次元で始まらなければならないのです。
共に神様を真の父母として生まれ、永遠に侍って生きなければならない宿命をもっているのです。ここになぜ離婚という魔の手が伸びてくるのでしょうか。天が見守っており、良心が監視して待ち構えているのに、どうして畏れ多くも自分の永遠の喜びの伴侶を捨てることができるでしょうか。神様の愛が、絶対、唯一、永遠、不変であるように、夫婦間の愛も、絶対であり、唯一、永遠、不変なものです。神様の創造原則、すなわち天理がそうなっているのです。
心身一体で夫婦の心情圏を完成した夫婦は、神様の喜びであり、宇宙の願いです。真の父母の心情圏を完成させる絶対的な必要条件です。神人愛一体を完成させる絶対価値的基準の真の家庭の土台です。したがって、夫婦の位置は、神様と子女が一つになった位置であり、兄弟が一つになった位置であり、父母が一つになった位置なのです。四大心情圏の絶対的主体の位置であり、対象的位置でもあります。妻にとって夫というのは、理想的な天の息子を迎えさせてくれる位置であり、天の兄を迎えさせてくれる位置であり、天の夫、天の父を迎えさせてくれる絶対的な位置です。夫にとっての妻も、同様に絶対的存在です。
しかし、人間始祖の堕落によって、この神聖な人間関係の枠は粉々になってしまったのです。ですから、原理原則の根源であられる神様は、原理と原則から外れない範囲内で、堕落した御自身の子女たちを再び復帰しなければならない、悲しい恨の心情をもっていらっしゃることを知らなければなりません。
ですから、神様の真の愛を中心として、人類の救世主、メシヤとして顕現された真の父母から祝福結婚を受けて真の夫婦が誕生する結婚式は、六千年間積もった神様の恨を解いてさしあげる解放•釈放の瞬間であり、その家庭の幸福が約束される新しい出発の瞬間になるのです。

Tuesday Nov 29, 2022
平和経 第408話
Tuesday Nov 29, 2022
Tuesday Nov 29, 2022
7.真の父母は神様と人類の希望
日付:二〇〇四年十二月二日
場所:韓国、江原道、龍平リゾート
行事:第二回「蒙古斑同族世界平和連合」世界大会
尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。「蒙古斑同族世界平和連合」運動に参加するために、この場までお越しいただいた皆様に心から感謝申し上げます。
メシヤと真の父母
私が創設したこの連合運動は、また一つの世俗的な国家をつくろうというものではありません。新しい民族主義運動の出発でもありません。蒙古斑同族圏の糾合運動を通して、すべての塀と国境を撤廃し、六十億の人類を一つの家族に結び合わせようとい平和合と統一の運動です。
したがって、私はきょう、いまだに暗闇の中で一寸先を見ることもできないまま生きている人類に、天が特別に下さった真理のみ言をお伝えしようと思います。心の扉を開き、天が下さる真理を受けて、この乱れた時代において選ばれた人となれるようお願いします。「真の父母は神様と人類の希望」という題目でお話しいたします。
皆様。本来、神様は人間にとって、師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、父母の中の父母、すなわち真の父母であられます。しかし、人類の先祖であるアダムとエバの堕落によって人間は、神様を失って孤児になってしまった自分たちの立場さえも悟ることができないまま、数千年を生きてきました。教えを下さる真の師を失い、従い仕えて生きなければならない真の主人を失い、忠誠を捧げなければならない真の王を失い、永遠の真の血統を伝授してくれる真の父母を失った嘆きの歴史でした。
ですから、堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。堕落とは無関係な方であり、サタンの讒訴圏を抜け出た方です。天の真の愛、真の生命、真の血統をもって本然のアダムとして来られる方です。国家的基準で息子圏を代表したメシヤとして顕現される方です。これがまさしくメシヤの降臨です。
来られるそのメシヤは、完成したアダムの資格で来られるので、まず神様が絶対的基準で愛する真の新婦を迎え、真の夫婦の位置まで進まなければなりません。
神様の創造理想を完成しなければならない本然の夫婦理想を完成する位置です。その土台の上に、純粋な天の血統を受け継いだ真の子女を生むようになるのです。その子女は、二度と堕落の前轍を踏まない、永遠の善の血統を初めて受け継ぐ子女なのです。
真の愛と真の家庭主義
しかし、メシヤの使命はここで終わるのではありません。真の父母の位置まで進み、絶対的な真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建できるのです。この目的のために、堕落の後裔である六十億の人類は、誰もが例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。心情的な接ぎ木はもちろん、伝統的な接ぎ木をしなければなりません。
それでは、どのようにして接ぎ木されるのでしょうか。皆様は、堕落性を受け継いで生まれた野生のオリーブの木です。野生のオリーブの木は、百年、千年待っても、真のオリーブの木に変わる突然変異は起きません。永遠に野生のオリーブの木として残るだけです。その血統が変わらない限り、野生のオリーブの木であるという境遇から抜け出すことはできないのです。したがって、六千年育ってきたこの野生のオリーブの木を幹まで無慈悲に切り捨て、その位置に真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければならないのです。その芽が成長して木になれば、そこには真のオリーブの木の実が実るのです。
同じように、堕落した人類は、罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの木の芽を接ぎ木する祝福結婚を受け、真の血統を出発させなければならないのです。
そのようにして出発した真の血統は、真のオリーブの実である真の子女を得るようにさせるのです。堕落人間にとっては、この道だけが、真の父母の愛を通して生まれ変わり、真の愛、真の生命、真の血統を相続できる唯一の道なのです。
このように、真の子女が生まれて真の父母が生じれば、自動的にそこには真の家庭が定着するのです。ここから正に真の家庭主義が創出されます。真の家庭主義は、神様の真の愛主義です。
国境を超越し、すべての平面的な世界を超越して、主体と対象の間において互いに与え合う生活です。与えても、与えたことを忘れて、絶え間なく与える愛です。受けた人は受けたもの以上にさらに加えて返す発展的な愛です。このような犠牲的で崇高な真の愛の関係が継続されて拡大されれば、その世界が正に真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界として発展するのです。さらに進んで真の霊肉界、すなわち真の天宙が安着するのです。
真の愛の力は、このように途方もなく、推し量ることのできない宇宙創造の力です。結局、真の愛の力だけが神様の創造理想世界、すなわち地上天国と天上天国を創建できるのです。また理想世界は、誰かが大きな権力を握って号令する世界ではありません。その世界は自動的に私たちの心が動いて、神様の愛に呼応して和動する万民兄弟主義世界です。私たち全員が望む世界は、いったい何なのでしょうか。
皆様。神様も成長過程を経て完成しました。人間が成長過程を必要とするのも、神様に似ているからです。真の家庭主義を、より具体的に人間の成長の温床となる家庭の枠の中で見てみましょう。エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされていた真の家庭の典型でした。無形であられる神様の存在を実体として現すための四位基台の創造でした。
創造主である神様は、御自身を主体の位置、人間を対象の位置として創造され、神様の心の中にだけ存在した無形の子女、無形の兄弟、無形の夫婦、無形の父母を、アダムとエバの創造を通して実体として完成しようとされたのです。アダムの家庭を中心に実体の子女としての真の愛の完成、実体兄弟としての真の愛の完成、実体の夫婦としての真の愛の完成、そして実体の父母としての真の愛の理想を完成し、無限の喜びを感じようとしたのです。

Monday Nov 28, 2022
平和経 第407話
Monday Nov 28, 2022
Monday Nov 28, 2022
絶対信仰、絶対愛、絶対服従
それでは、堕落の後裔となった人類が、果たしてどのような方法で、堕落性を脱ぎ、相対を通して絶対価値観を探し立て、個人、家庭、国家、世界的次元で、神様が願われた平和天国をこの地上に創建できるのでしょうか。
第一に、神様に似なければなりません。神様が宇宙万象を創造されるとき、どのようにされたのでしょうか。神様御自身が打ち立てられた創造の原則と秩序を絶対的基準で信じて、服従されたのではないでしょうか。その上に、また絶対的基準の真の愛を植えつけてくださいました。
皆様の人生も、これからこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践すれば、天上の五大聖人はもちろん、皆様の善の先祖たちが総動員されて、皆様の幸福を保障してくれるのです。皆様が父母のために、夫婦間が互いのために、兄弟姉妹たちが互いのために、このような絶対的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこに、どうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追い求める非原理的な根が伸びるでしょうか。皆様が絶対的基準にさえ立つならば、天も絶対的基準で皆様を保護し、守ってくださるのです。
第二に、人類は選択の余地なく堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔であるがゆえに、皆様の個人の人生において、三大革命を完遂するという課題が残っています。蕩減革命と良心革命、心情革命のことです。「蕩減革命」とは、皆様のすべての内的•外的所有権を完全に蕩減して勝利し、その蕩減圏を超越する基準を立てるようにしなさいということです。過去において、サタンの支配圏時代だった「先天時代」に習得したすべての習慣と思考までも、果敢に振り払う革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいということです。
その基盤の上に、新しい「後天時代」を生きる座標である絶対価値観的な真の愛を実践し、永遠に神様の真の子女として生きなさいということです。さらには、皆様のすべてのもてる物や外的な所有権も、一旦天のものに帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別したあと、再び天の祝福として相続する革命的な実践過程を経なければならないのです。すなわち、二度とサタンが所有権を主張できない聖別された財産として、天の富を積んでいきなさいという意味です。
「良心革命」とは、何を意味するのでしょうか。良心の声に絶対服従するという内的な革命です。皆様の中で、今も善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑とが、絶えず葛藤を続けているという事実は否定できません。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用をはっきりと知らなければなりません。
また良心は、皆様の一挙手一投足を、さらに皆様の思いまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆様の師よりも先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。
このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様自身が呵責を受けます。皆様の霊人体にほこりがかかり、垢がつき、傷がつくのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に抱えていかなければならない、恐ろしい荷物です。したがって、革命的な次元で、自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて、神様のみ前に進むその日まで、傷がなく、澄んで、きれいな霊人体を大切にしなさいという至上命令なのです。
「心情革命」の意味は何でしょうか。神様は、人間を御自身の子女として創造されたと述べました。そうであれば、神様と皆様をつなぐひもは、何のひもでしょうか。父母と子女の間の愛であり、心情です。父子の間で心情が通じなければ、どうして父母と子女が、愛と尊敬の関係を維持できるでしょうか。
数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷になっています。このような束縛から抜け出すためには、赦し、与える真の愛の生活を、粘り強く継続していかなければなりません。そのようにして、神様の心情的な所有圏内に帰着できなければならないのです。
皆様の心情のひもが、今もサタン世界の虚栄を追い求める利己的な個人主義に縛られているならば、皆様の将来は、非常に暗澹たる絶望と嘆息の道になるのです。しかし、ために生きる人生、すなわち人のために先に譲歩し、与える、生産的な生き方をするならば、皆様の心情のひもは、神様の心情と永遠に一つになるのです。
言い換えると、偽りの父母との心情的な因縁を完全に切って、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受け、天の真の血統を確保しなさいという意味です。
第三に、皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「〇」なのか「X」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。皆様の一生も同じです。推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「〇」と「X」の概念で分析し、点検して、採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「〇」は「X」を包容し、消化することができます。しかし、「X」は「〇」を包容することができません。
皆様の答えが「〇」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、深く広い生です。
しかし、皆様の答えが「X」の時は、不安と焦燥、恨みや猜疑心などの否定的な要素で心がいっぱいに満ちた、恥ずかしい姿なのです。心や考えが狭く、閉鎖的で、周囲の誰も目に入らない、利己的で個人主義的な生の姿です。
したがって、皆様の選択は火を見るよりも明らかです。毎時、瞬間ごとに、「〇」をもらう生活を営まなければなりません。一カ所もゆがんだり、角ができたりしない、完全無欠の「〇」をもらわなければなりません。いつ、どこに投げても、中心と九〇度の直角を形成する「〇」の姿にならなければならないのです。
明るく燃える太陽を見上げても恥ずかしくなく、広大無辺の宇宙に対しても堂々としており、森羅万象を前にしても一点の隠すものがない、真の「〇」を探し立てる人生を送ってください。「〇」は、和合と統一と平和の象徴です。「X」が死亡を象徴するならば、「〇」は愛と生命を意味します。体と心が完全に一体になったとき、皆様の姿は「〇」として顕現するのであり、体と心が葛藤により混乱を引き起こすとき、皆様の姿は、「X」として現れるのです。
後悔のない人生を生きよう
皆様。今や人類は、神様と真の父母様に感謝と栄光をお返しすべき時を迎えました。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放•釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、永遠に感謝と賛美をお捧げしなければなりません。太初に、アダムとエバの失敗によって、罪悪と血で染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出して、天の貴い召命の前に、悲壮な覚悟で立ち上がる時が来ました。
皆様はきょう、この場になぜ来られることになったのかを、もう一度、深く考えてみてください。主催側の招請を受けて、晩餐に参加するためですか。自分の意思であろうと他人の意思であろうと皆様は、既に天の召命を受けました。この場に立ったレバレンド•ムーンが、十六歳(数え)の青年の身で、突然天命を受け、神様を解放•釈放してさしあげ、人類をサタンの束縛から救い出すための八十年の生涯を、血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様もこれからは、「超宗教超国家圏の解放と安着」の崇高なみ旨を成就するため、生命を捧げる覚悟で立ち上がらなければならないのです。
皆様。あの東の空に輝かしく昇る太陽のように、今、天運が全世界を照らしています。数千、数万年間覆っていた暗闇のとばりが、ついに晴れつつあるのです。皆様の心の中には、既に天命が根を下ろしています。避けることのできない宿命の道です。
勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる時が来ました。レバレンド•ムーンも皆様も例外なく、いつかは霊界に行くことになります。きょうお聞きになった天のみ言を深く胸に刻んでくださり、今からは、ぜひとも後悔のない人生を生きなければなりません。これが、私がアメリカを離れつつ最後に皆様にお伝えする天のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そしてこの摂理の国、アメリカに永遠に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

Monday Nov 28, 2022
平和経 第406話
Monday Nov 28, 2022
Monday Nov 28, 2022
個人完成は心と体の統一から始まる
このように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。
しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。
本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。
歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。
その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。
しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。
天倫の秘密を明らかにしたレバレンド•ムーン
天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンド•ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンド•ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。
皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。
結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。
いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。
これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。
世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。
心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう

Saturday Nov 26, 2022
平和経 第398話
Saturday Nov 26, 2022
Saturday Nov 26, 2022
平和の起源は正に「私」
それでは、どうすれば平和の世界が訪れるのでしょうか。第一の条件は何でしょうか。一つになる起源を見いださなければなりません。それを見いだせなくなるとき、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身が一つになったのかと問うとき、一つになった私を発見できないのです。心と体が闘うでしょう。男性と女性が闘う時、幸福ではあり得ず、平和ではあり得ず、希望はあり得ないのです。
「終わりの日」になればなるほど、心の分野と体の分野とに分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。心と体が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。
統一教会では、神様の内的に統一された真の愛の動機を解き、神様のように真の愛で、よりために生きる論理的な形態を備えているので、思想界や宗教界が追随できない体系として、「終わりの日」において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地になるのです。
神様の、ために生きる真の愛によって神人一体になり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳(和合)を成し遂げ、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対して存続できる人はいません。ですから、みな歓迎するようになっているのです。
それでは今後、世界はどのようになるのでしょうか。今、世界に住んでいる万民は、老若男女を問わず、一つの世界を願っています。その一つの世界は、戦争する一つの世界ではなく、平和で自由な立場での一つの世界です。そこには民族の分裂、あるいは人種間の紛争や文化の違いからくる習慣的な相違による壁のようなものがないのです。
それで世界の万民は、一つの真の愛の文化圏と対応して、自由で平和な一つの国を願っているのです。平和の世界は一つの世界です。平和を目的とした世界に向かう道は、二つあるのではありません。老若男女が願う希望の世界、平和の世界は一つの世界です。しかし、民族を見ても、その中に様々な団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党と与党、そしてありとあらゆる党が現れて、各自が自分たちの道を行こうとするのです。ですから、方向がどれだけたくさんあるでしょうか。そこで問題が生じるのです。
歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を追求しながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりの日に至っては、希望をもってあすにはより次元の高い一つの世界に向かって進む立場で指導できる人がだんだんと少なくなっているのです。
すべての学問を超越し、社会の構成と体制、あるいは慣習を超越して決定しなければならないことは、始まりがどこからかということです。始まりは、真の神様でなければなりません。その神様自体が始まりから過程を経て、神様が人間を創造したとすれば、創造主の理想実現というその目的地まで到達する道を再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかと言えば、平和の世界は一つの世界だからです。人間が進む方向と神様が進む方向との二つの方向があるとすれば、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に結論は、一つの方向にならなければならないのです。
ですから、人間を中心とした世界を打破し、真の神様第一主義の世界を確定しなければ、一つの平和の世界に向かう道を発見できないのです。ですから、心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が、私たちの人生において最も大切な問題です。
心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。私自身において、心と体が絶対的に統一された平和の基準を確立することが、宗教指導者の目的であり、そのようにならしめることが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義の目的なのです。ですから、皆様がいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、この世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内においては、永遠の神様のような心と体の統一は果たすことができないのです。
神様の真の愛、真の生命、真の血統と平和世界の創建
個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなければ、理想的な宗教や天国といったものは、すべて夢にすぎないのです。神様を中心として真の神様の子女一体圏を見いだすところに統一の起源があるのです。神様は心と体が闘いません。
それでは、人間はどうして心と体が闘うのでしょうか。心身が一つになって、平和の大王である父と息子が一つにならなければなりません。神様の真の愛、真の生命、真の血統が一体になる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子が一つになるところで、真の愛、真の生命、真の血統が一つにならなければならないのです。堕落した私たちは、本然の神様と天の国の理想的な環境圏をはっきりと知らなければなりません。
神様自体とみ旨から見た天国と一体になろうと懸命に努力するところから、父なる神様のようになる道を見いだすことができるのです。そこにおいてのみ、平和の個人、天国と一体になって暮らす、父と子の喜びの平和世界ができるのです。
ですから、今から再臨主である真の父母がこのすべての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体になるようにすることによって、地上•天上天国を完成するのです。霊界に行った聖人、賢人たちを中心としたすべての人々が、この道を共に願っているのですが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一致圏を教えてあげることによって、地上•天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。
愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の皆様。人類の真の父母となるメシヤが再臨するこの時代、韓半島の南北が、銃剣ではなく愛と真理によって統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖賢と先祖たちが降臨し、直接私たちと通じ合って暮らすようになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に幸せな人たちです。
今こそ全人類は、人種と理念、そして国境を超越して、平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくださることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので、参考にしてくださり、全体的な内容は配布された冊子を通して研究してくださるようお願いします。
天も地も、共に永遠の世界で天地父母様に侍り、大家族を形成した天上と地上の天国世界で、真の愛で兄弟となって平和と幸福の中で暮らせるようお祈りいたします。神様の限りない祝福が、皆様の家庭と国家と世界に満ちあふれることを願う次第です。ありかとうございました。

Friday Nov 25, 2022
平和経 第405話
Friday Nov 25, 2022
Friday Nov 25, 2022
堕落はフリーセックスの根
今日、皆様が身を置いている周囲を一度、見回してみてください。極度の利己的な個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳性と価値を弊履のごとく投げ捨てて、肉身の享楽を追い求め、挙げ句の果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で人生を終えているではありませんか。人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽だけを追い求めるという、とんでもない放蕩の道は願いません。「宇宙と国家、町や近隣、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けながら暮らしたい」と思うのが、天が与えた本心の指向する人生です。
しかし、それとは正反対の道を突き進んでいるので、良心は燃え尽きてしまい、本心との相克を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が日に日に増えているのが、今日の現実ではないですか。「自分のまいたものを、刈り取る」という歴史的教訓が、ぴったり一致していることを目撃するのです。
アダムとエバがエデンの園で何の種を蒔いたのでしょうか。フリーセックスの種、すなわち不倫の性関係による種を蒔きました。それで彼らは、堕落直後に下半身を覆ったのです。したがって、秋の収穫期である「終わりの日」には、青少年たちの間にフリーセックスの風潮が世界的に蔓延する現象が必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、誰一人として神様のみ前に帰ることができないようにしようと発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的だからです。
皆様。幼い子女たちも、親がしまっておいたお菓子をつまみ食いしているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本能の作用です。もし、アダムとエバが善悪の実を取って食べたとすれば、罪を犯した手や口を隠さなければならないのに、なぜ下半身を隠したのかということです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたことを否定できないのです。血統関係による問題だけに、神様もどうすることもできない悲劇でした。
皆様。天国と地獄は、どこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、礼拝堂でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になったのです。それが、天地をひっくり返す、人類歴史上、最大の悲劇を引き起こしてしまいました。
目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、自動的に天国に行くのです。どこの誰がこの事実を否定できるでしょうか。
疑問が生じたのであれば、私が天理を記した『原理講論』を熟読し、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンド•ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広がっています。フリーセックスが、自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。
今までは、多くの文学作品や言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向にありました。しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教人、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国の病、フリーセックスを追い出さなければなりません。
世界平和のための礎石を据えるのも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、始祖となるアダムの家庭が重要だということを銘記しなければなりません。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたことも、今や時が訪れたからです。
地獄となってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践だけが絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければなりません。
家庭の大切さと真の愛
皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の真の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人たちによってつくられた本然の家庭になったとき、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるのです。真の愛が欠如した自由は、決して真の自由ではありません。
私たちがある家に客として行ったとき、不自由さを感じるのは、まだその家と深い真の愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、真の愛の関係が四方性を備えていないので、ぎこちなく、不自由さを感じるのです。そうだとすれば、本然の家庭で最高最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのでしょうか。永遠の真の愛の主体だからです。
真の愛を中心に、一生の間、関係を結ぶことができる最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。私たち人間が生まれて、最初に喜びを与え合う相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。私たちがうれしいとき、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流される方が、本然の父母です。ですから、世の中では、父母のいない子を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。
そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値のある存在になるのです。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の真の愛を与え合う夫婦でなければなりません。
たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠の次元の真の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の真の愛になれば、その真の愛こそが、家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。
しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わるならば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦には、必ず本然の子女がいなければならないという意味です。「夫婦二人だけで幸福に暮らそう」と考えて子女を生まなければ、人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる真の愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として、本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。
ですから、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の真の愛なのです。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲になり、真に愛すれば、その愛は、家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての本然の真の愛になるのです。
このように、本然の家庭において三代圏を形成し、本然の父母による子女のための犠牲的な本然の真の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるのです。
世の中では、どのような人を幸福な人だと言うでしょうか。何をもって幸福の基準とするのかということです。外的にほかの人がもつことのできない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人でしょうか。皆が羨むほど、たくさんのお金をもっていれば、幸福なのでしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む位置に上がったからといって幸福なのでしょうか。
絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体になることはできないということです。結局、真の愛で一つになった本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の真の子女がいるとき、その家庭において真の幸福は始まるのです。
皆様。天国はどのような所でしょうか。神様の「創造原理」によれば、天国は、先にこの地上世界で完成されなければなりません。本来、人間は、肉身をもって地上で天国生活をし、その肉身を脱げば、自然に霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。
そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。
本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続させてあげることができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ってあげることができてこそ、真の本然の家庭であると言うことができるのです。
本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いにために生きる生活を実践する真の愛の本然的関係が形成されるとき、その家庭は天国家庭になります。その中でどれか一つが欠けても、本然の家庭単位の天国は不可能です。夫婦の間で、互いを愛する以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛する以上に祖父母を愛することによって、真の愛の価値観を中心とした伝統が立つのです。
本然の家庭が天国の典型であると述べました。したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、国民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです。

Friday Nov 25, 2022
平和経 第404話
Friday Nov 25, 2022
Friday Nov 25, 2022
6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教•超国家圏の解放と安着
日付:二〇〇四年十月二十六日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ライ•ブルック•ヒルトン•ホテル
行事:アメリカ四大都市特別巡回講演
尊敬するアメリカと全世界の宗教界、政治界、言論界、そして学界の指導者の皆様。私は、きょう万感の思いでこの場に立ちました。かつて、摂理の国であるアメリカのキリスト教を覚醒させ、他宗教を糾合して世界救援の足場とする天命に従ってこの国を訪れたのですが、既に三十四年の歳月が流れました。
天命を受けてやって来たアメリカ
皆様の中には、私のアメリカ到着時の最初の警告メッセージを、今でも記憶している方がいらっしゃることと思います。「レバレンド•ムーンは、この病めるアメリカを手術するために、そしてアメリカの火事を消すために、この国に訪ねてきた」と堂々と天上天下に宣布しました。
一九七〇年代初頭、摂理の国であるアメリカの二十一主要都市で「希望の日」の巡回講演を通して、私は二億七千万のアメリカ国民に大覚醒を促しました。アメリカから神様が離れていらっしゃることを警告したのです。白昼に横行する殺人と強姦、白人と黒人の人種間の紛争、青少年の堕落、極度の利己的な個人主義の拡散、共産党問題、宗教間の対立と葛藤など、これらの問題を清算し、新たに生まれ変わらなければ、この国に希望はないことを、はっきりと警告しました。
そして、このような問題の解決策は、政府や学校で見つけ出せるのではなく、まず心ある宗教指導者たちが一つになり、超宗教•超国家的に力を合わせなければならないということを叫びました。それから三十有余年が過ぎた今日のアメリカは、どのような姿になっているでしょうか。私がこれまで、アメリカをつかみ、世界平和を実現するために、どれほど多くの汗と涙を注いだかということは、神様だけが御存じです。
きょう、この場に参席された皆様が、正に私の汗と涙の結実として選ばれた方々です。しかし、アメリカには、まだ険しい道が残されています。レバレンド•ムーンは、アメリカ人ではありません。私は、既に天の指示を受け、祖国復帰のために、韓国に場所を移して天の摂理を進めています。
今、この国の将来は、皆様のような良心的な指導者の手にかかっています。どこの誰が皆様の国を救ってくれるのでしょうか。アメリカの将来に対して、夜眠ることもできずに心配し、犠牲までも甘受しようと立ち上がる政治家や思想家に、どこで出会うことができるでしょうか。ここにお集まりになった皆様以外にはいません。皆様が奮い立ち、二億七千万のアメリカ国民を導く機関車にならなければならないのです。
そのような意味で、私はきょう、「摂理史観から見た価値観的和合と超宗教•超国家圏の解放と安着」という題目で、天がこの時代に下さった新しいみ言の一端をお伝えしようと思います。どうぞ、このメッセージを胸深く刻み、今からは、この国アメリカと人類のために、皆様が行くべき方向と目的を設定する価値観として考えてくださるようにお願いします。このメッセージは、単に皆様とアメリカだけのものではなく、六十億人類、そして全霊界にまで宣布する「召命的天命」であり、選択の余地のない絶対的真理の新しいみ言です。
神様の絶対相対圏として創造された人間
皆様。神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、独りでいることを願われなかったので、まず天宙を人間のための環境創造の一環として創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが、正に人間です。神様は、その対象である人間が神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも成功し、立派になることを願うではありませんか。これはすべて、神様が祝福として下さった父母の伝統的愛なのです。子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の愛、真の生命、真の血統の結実となる真の子女を繁殖して、真の家庭において、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て喜びを感じることが、神様の創造目的だったのです。
真の愛の主人になる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にし、投入して忘れる真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、その上で一〇〇パーセント投入されたのです。絶対相対圏を絶対価値圏として立てるのです。真の愛の主人は、独りで成就するのではありません。必ず対象を通して成就されるのです。
そして、この絶対的価値圏の真の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、永遠に父母が真の愛の主人になることができないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を御自身の真の子女として、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。そうして、絶対主体と絶対対象の価値観が生じて、完成するのです。
宇宙の秩序を見ると、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。そのような点から見るとへレニズムに基づいた弱肉強食による「適者生存」の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる、絶対服従の対象として、主体的な真の愛の主人として完成させようとする絶対価値観を、彼らは見落としているのです。
また、真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の「創造原理」は、闘争による生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で、相互授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求する「原理」です。小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。
個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして国家は世界のために生き、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。このように絶対的価値圏は、先に互いが相手を真の愛の主人格として立ててあげる、そのような真の愛の完成を成就させるためのものなのです。
サタンの発悪と利己主義
したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底してその根を絶やさなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同様です。それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲になって与える代わりに、自分のために人を犠牲にし、自分の利益ばかりを追求することは、破廉恥な行為です。それは、堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中に、巧妙に入り込んだサタンが人類に植えつけた毒きのこなのです。
一身の栄達と慰安のために、「目には美しい」からといって、一度、自由行動を取ってしまえば中毒にかかり、一生、苦労しても抜け出すことが困難な悪の計略であり、罠です。私たちの体を見ても、自由に「自分のもの」であると主張できる部分は一つもありません。
父母の愛によって生まれた私たちは、九九•九九九パーセントが母親の血と肉と骨です。残りの〇.〇〇一パーセントは、父親の精子と見なければなりません。そこで私たちが、どうして「自分のもの」と主張することができ、利己的な個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外がありません。
「前」と「後」について考えてみてください。「前」という言葉自体が、既に「後」を先有条件として認めているものであり、また「上」という言葉も、「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」と言うときは、「右」を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在が先にあって成立するものです。
すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです。男性がいなければ女性は必要ありません。同じ脈絡で、女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。結局、自分のためにのみ生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。
また、人間の五官について考えてみてください。皆様の目が、目そのものを見るために生じましたか。目、鼻、耳、口、手、すべてが相対のために生まれました。そうだとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続させるその力とは何でしょうか。それは、真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために生じた必要な道具にすぎません。このように、自分のためにのみ生まれたものは一つもありません。
ですから、ために生きて徳を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそが、神様の創造理想にかなう生き方なのです。私たち人間は、相対のために創造されたので、当然、相対のために生きてあげるのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。
神様は、エデンの園に人類の始祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない真の子女を繁殖するようにして、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたみ旨があったのです。
しかし、問題は、アダムとエバの堕落にありました。彼らの堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じてしまいました。神様の愛と生命と血統を保全して伝授すべき彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統を伝授する存在に転落してしまったのです。したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得なくなりました。
本来、地上世界で、アダムは神様の体となり、エバは新婦にならなければならなかったのですが、堕落によって自分たちの心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になってしまったのですから、そのような悲惨な状況を見つめられる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。堕落は、自らを地獄へ葬り去る行為です。人のものをも奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的な個人主義の祖になりました。

Friday Nov 18, 2022
平和経 第401話
Friday Nov 18, 2022
Friday Nov 18, 2022
天一国に入籍すべき宿命的課題
天の国の大勢の高官から称賛を受け、すべての人が新しい国である天一国に入籍し、新しい国民として入っていかなければならない宿命的な課題が厳然として残っている事実を知らなければなりません。このような使命を完遂できずに死んで霊界に行けば、それが引っ掛かるのです。ですから、生きている間にすべてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。
皆様の五官のすべてを百回、千回燃やしても越えていけないその道に、誤謬を残した自分の一生であり、摂理史だったという事実に、誰が責任をもつことができるのでしょうか。神様が責任をもつことができるでしょうか。神様は責任をもつことができないのです。神様が責任をもつことができるのであれば、アダムとエバを最初から堕落するように放ってはおかなかったのです。
再創造の主人は誰でしょうか。神様ではありません。皆様自身であり、皆様の家庭です。ですから、「天一国主人、私たちの家庭」というのです。神様がつくられた至極小さな動物から天上世界、大宇宙、すなわち太陽系の一千億倍を越える宇宙全体が、神様の愛の圏内において秩序的な存在としてペア•システムになっています。これらすべてを、サタンが血を汚すことによって分けてしまいました。
したがって、真の父母が再びより分けて再創造しなければなりません。皆様も、神様の真の愛で植物を愛し、動物を愛し、地を愛して、真の主人になれなかった恨を解かなければならない解怨の責任があるのです。ですから、新しい人生観、新しい宇宙観、新しい天宙観が確立されるのです。本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのです。それができていないので、蕩減する過程において、どのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで家庭堂を立てて、そのことを遂行しているのです。
真の父母の生涯は恨の路程
神様が行きたいと思っていらっしゃるのですが、私たちが代わりに祭物になり、越えていける道を開拓する王子の中の王子であり、王女の中の王女であり、天地の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭に間違いないという自覚をもって行かなければなりません。そうして、神様の愛を受けることができ、神様の心情圏内に千年、万年とどまりながら、恨に満ちた神様と向き合うとき、面目がないと涙を流し、一身全体が血と汗で燃やされても足りないことを感じなければなりません。そのようにして行くのが天を訪ねていく王子、王女の道であり、責任を果たせなかった家庭が、その失敗の責任を免れるただ一つの道であることを知らなければなりません。
皆様自身を中心として、神様までも私が創造し、私が自らの手によって破壊したので、天の国と天の宮殿までも自らの手で再び建設し、その上で解放された神様と千年、万年暮らし、堕落していなかった家庭より、千倍、万倍の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭になると思えば、そこに地獄があり得るでしょうか。それ自体が天の国の王宮の中心部となって、神様が地上のどこにでもついて来て、王宮のようにお住まいになることができるのです。
レバレンド・ムーンも、この統一教会を立てて導いてきながら多くの苦労をしましたが、今までの苦労は、苦労ではありません。深く、広く、高く恵みを体恤し、それを感謝できる心情圏を体得する、そのような立場まで経てきたので、そのように感じることができたのです。その立場に立ってみたことのない人には分かりません。神様はレバレンド•ムーンに誇るものがありません。神様の出発過程を解放し、神様が息子として愛する立場に立つことができなかったのです。それを取り戻し、神様を神様の位置に立て、すなわち神様を父の位置に立ててさしあげ、子女として愛を受けることができなければならなかったのです。ところが、子女が堕落することによって、そのようになることはできなかったので、それが人類の行くべき恨の歴史だったというのです。神様の婚姻届、神様の出生届をしなければ国がありません。
真の父母様の生涯も、やはり恨の路程でした。真の父母は、神様と同じ価値基準で歴史性を帯びて摂理してきたので、今後世界がその内容を知れば、毎日のように痛哭するようなことが起きるでしょう。ちょうどイスラエル民族が嘆きの壁で涙の悔い改めをしているのと同じように、痛哭するというのです。この道を越える恨の解放圏を備えなければなりません。
ついに神様が天地をすべて解放し、結婚式ができる時代圏に入ってきました。神様が婚姻届をしたので、その息子、娘たちも出生届ができるのです。神様が、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの三代圏を越えて、それができるようになることによって、神様が本然の位置に戻られるのです。
天一国の民は天の国の皇族
今や皆様は、天地父母であられる真の父母様の勝利圏の上で、結婚届と出生届ができる二つの権限を、完全に相続できるようになりました。そのように暮らすことを決意して、寝ても覚めても忘れずに一心、一体、一念、一和の生活をする天一国の民となれば、天の国の皇族になることは間違いないという事実を信じて実践してくださることをお願いします。
選民圏を代表した第一イスラエルの「エルサレム宣言」、第二イスラエルの「ワシントン宣言」、そして第三イスラエルの「ソウル宣言」の発祥の地となる鮮文大学の現場において開催された「ラステイング•ラブ•コンファレンス」に参加した二世圏の指導者の皆様、そして、「ソウル宣言」に参加するため、きょうこのリトル•エンジェルス芸術会館の大劇場に席を共にしてくださった一世圏の世界の指導者の皆様に、深く感謝申し上げる次第です。
皆様は今後、天の選民圏を受け継ぐ一世と二世の指導者です。ぜひとも、皆様全員が一体になり、国連の刷新とともに、新しい「アベル国連」の再創造のための歴史的な聖業に召命されて、きょうこの「ソウル宣言」の現場に立っていらっしゃることを、心に刻んでくださるようお願いいたします。このすべてを神様に感謝しながら、参席者の皆様の家庭と皆様の国に、神様の大きな祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

Thursday Nov 17, 2022
平和経 第395話
Thursday Nov 17, 2022
Thursday Nov 17, 2022
成約時代の開幕とアメリカでの活動
私たちの心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。それで、使徒パウロさえも、肉身の欲求と霊の欲求の葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な聖職者たちも、そのような葛藤ゆえに苦しんできました。成約時代が開かれながら直面した主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを共に成就するかということです。それで再臨主が必要なのです。
神様は、再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で和合できる基台が必要でした。その基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教的連合国はアベル圏であり、国粋的軍国主義の影響下にあった枢軸国はカイン圏です。連合国が勝利した直後、アベル圏の国家は敗戦国を包容し、キリスト教を中心として統一された平和世界を創建するための基台の潮流が形成されました。神様は再臨主を迎える基盤を造成することができたのです。
ところが、このようにすべての準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方は激しい迫害と全世界的とも言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、イスラエルの民が、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨を待ち望んでいたように、キリスト教徒たちは、イエス様が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。
第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒たちに新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、キリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。この宗教指導者たちは、私の夫と一つになるどころか、逆に夫に付き従う人が増えるのを妬みました。彼らは私の夫の話を聞こうともせず、盲目的に反対しました。甚だしくは夫に関するうそや虚偽を広めました。彼らは夫の人格を抹殺しようと、夫の教えとは正反対の淫教であるとか貪欲だとのうわさを広めたのです。悲劇的にも、世の中は神様が選ばれた代表を拒み、その方を荒野へと追い出してしまいました。
第二次世界大戦後、キリスト教が私の夫と一つになることができなかったので、キリスト教の道徳的権威は、驚くほどに失墜しました。アメリカや、キリスト教に基盤を置くその他の国々もまた、文化的、社会的に深刻な危機を迎えていました。そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアべル圏とに分かれました。イエス様の左にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側です。右の強盗のように神様の存在を認める民主主義はアベル側です。
冷戦時代における最初の戦闘は韓国動乱でしたが、その戦争に国連の旗のもとに自由世界十六ヵ国が参加しました。一九八八年のソウル•オリンピック前までは、互いに敵対的だった百六十ヵ国は、平和的に一つの所に集まることができませんでした。結局、一九九一年に世界的次元のカイン側とアベル側を代表する韓国と北朝鮮が国連に同時に加盟することによって、それぞれ百六十番目と百六十一番目の加盟国となったのです。韓国は、神様が真の父母を送った国なので、韓国からこのような多くの調和と和合が達成されるようになるのです。
過去四十年の冷戦の期間中、私の夫は、失ったメシヤを迎えるための基台を再び探し立てるために、すべての障壁を崩す闘争をしました。その期間、人々は私の夫を完全に誤解しました。夫は、神様のみ旨のために、北朝鮮の共産主義下で送った三年の収容所生活をはじめとして、無辜の投獄生活を六度もしました。そればかりかマスメデイアは、「私利私欲のために若者たちを洗脳する残忍な怪物のような存在である」と言って、夫を罵倒してきました。
文鮮明牧師こそ世界で最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える人がいるでしょうか。私の夫が受けてきた苦労を思うと私の胸は張り裂けそうです。しかし、夫はいつも、「神様は、御自身の摂理のために迫害を受けてきた人たちを慰労しておられる」と言って、私を安心させてきました。夫と私は、過去の失敗を復帰するために、蕩減の道を歩んでいます。過去二十年間、私の夫は、二千年前のイスラエルの国とユダヤ教の立場に代わる、韓国と統一教会を中心として、旧約時代を蕩減するために苦労をしてきました。その基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な次元で真の父母の聖婚式を挙行しました。
その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。この国は、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラエルの国と密接な関係にあるため、摂理史において非常に重要な役割を担っています。ですから、その後二十年間、私たちは新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。旧約、新約、成約時代のすべての摂理は真の父母を中心として完結されなければならないことを考えたとき、イスラエルとアメリカと韓国は、神様に選ばれた国だという共通の運命をもっています。ですから、民主世界と自由世界を代表するアメリカは、無神論的共産主義国家である北朝鮮と民主主義とキリスト教が栄えている韓国の統一のために活動しなければなりません。
紳士淑女の皆様。神様が、アメリカ自体のためではなく、世界を救うためにアメリカを祝福されたことを知らなければなりません。アメリカの初期における清教徒たちは、富を求めてアメリカに来たわけではありませんでした。彼らは、この地で神様に侍り、より誠実にキリスト教の信仰を続けるためにアメリカに来ました。アメリカが祝福を受けた目的を想起できなければ、アメリカに対する神様の祝福は中断されるでしょう。
神様は、摂理歴史を導いてきた力が何であるかを、夫と私に悟らせてくださいました。神様が私の夫に啓示してくださった真理は、「統一原理」の中に含まれています。「統一原理」は、摂理史的観点から人類歴史と聖書の内容を考察し、数千年間解けなかった疑問に対する答えを提示しています。
その内容を真剣に研究した人たちは、これこそが、神様の下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面する問題に対する唯一の解決策を提示していることを発見しています。さらには、共産治下の旧ソ連でも、政府指導者と数千人の若者たちが、私たちの教えを学ぶことで、新たな人生を見つけました。結局のところ、彼らは共産主義思想の抑圧から解放され、彼らの国を救う霊的な真理を渇望していたのです。
女性の重要な役割と祝福
敬愛する皆様。第二次世界大戦後、キリスト教の基盤が失われたことによって、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。それで、一九九二年四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。去年、私は真の母の心情で、第二次世界大戦中に、世界的カイン側を代表する国家だったドイツ、日本、イタリアと、世界的アベル側を代表する国家だったアメリカとイギリス、そしてフランスを含む世界の十二ヵ国を巡回しました。
これらの国で、ロシアと中国のときと同じように、私は百万人を超える女性指導者たちに、「共に真の父母を迎える基台を築きましょう」と力説しました。このような基盤の上に、今、夫と私は、最初の真の父母として成約時代の到来を宣布することができました。この場に来られたすべての方が、私たちの導きによって真の父母となることを願います。
各家庭が立ち上がり、全世界の救援摂理を完遂するメシヤ的使命を果たすべき時が来ました。皆様の家庭を復帰したのちには、皆様の社会と氏族と国家を復帰しなければなりません。私たちは、このような使命を果たす人を「氏族的メシヤ」と呼びます。成約時代には、母の役割が非常に重要になるでしょう。母は、子女と夫を一つにし、家族を真の父母に連結させなければなりません。私たちは既に、数千人の氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界的に成し遂げられるでしょう。
すべての完成した家庭で、祖父母は神様と善なる先祖に代わって、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表する王と女王の位置に立つようになります。そして子女は、すべての未来の子孫を代表し、王子と王女の位置に立つようになるのです。これら三代が一つになるとき、過去、現在、未来の三世代が一つの所で調和して暮らすようになるのです。このような理解の基台の上で、最初の真の家庭の出現を皆様にお伝えすることができ、大変光栄に存じます。十三人の子女と二十人の孫をもつ私たち夫婦は、神様と人類のために、私たちの人生を完全に捧げています。この三代は、祖父母が聖書でいう生命の木の中心の根となり、父母はその中心の幹となり、子女はその枝となります。
皆様も、真の家庭と理想国家、そして理想世界を建設するための私たちの努力に協力し、この生命の木に接ぎ木されることを心から願います。成約時代が到来することで、アダムとエバを創造し、再び神様と共に暮らそうとされた、神様の本然の目的を、私たちが完遂するようになるでしょう。このようなことを知って、私たちは、個人的に心と体が一つになり、家庭においては夫と妻が一つになり、父母と子女が一つにならなければなりません。そうすれば、私たちは神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。
一九九二年、私たちは韓国で、神様のため、互いのため、世界のため、自らの人生を捧げることを誓う三万組の合同祝福結婚式の主礼をしました。今日、多くの家庭は、父母が子女を効果的に指導できずにいます。特に、愛や結婚などの私的な問題において、そのようになっています。しかし、私たち夫婦は、世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な方法で、彼らの尊い愛の夢を実現させてあげました。そのように、神様を中心とした家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。
そのような家庭を形成していけば、社会の没落現象はなくなります。確実に神様の子女となった人たちは、これ以上アルコールや麻薬の誘惑の奴隷となることはないでしょう。さらには、夫婦間の愛の神聖さを理解することで、不倫と乱婚に対抗し、強く立ち向かう道徳的な力をもつようになります。最終的にその力が合わされば、戦争、人種の偏見、世界的飢餓を根絶できるのです。このような基盤の上に、私たちは真の幸福と自由と平和を享受する世界を建設できるはずです。
敬愛する皆様。この国の指導者として、皆様は、深い心情で心の扉を大きく開き、このメッセージの意味を御理解してくださることを願います。神様の理想を完遂することによって、すべての人が神様の祝福の場に至ることを心からお祈りします。アメリカに神様の祝福が共にあることを願います!どうもありがとうございました。

Thursday Nov 17, 2022
平和経 第394話
Thursday Nov 17, 2022
Thursday Nov 17, 2022
2.真の父母と成約時代
日付:一九九三年七月二十八日
場所:アメリカ、国会議事堂
行事:アメリカ議会招請講演(真のお母様)
敬愛する上下院議員、ならびに尊敬する紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださったことに、深い感謝の意を表す次第です。皆様はこの偉大な国家の指導者として、アメリカと世界を、やがて来る千年王国へと導く責任を担っています。平和と繁栄の未来に対する約束は、きょう私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。
御存じのように、今日のこの世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちた世界です。私たちは、家庭破壊や社会における道徳的退廃の問題などに直面しています。私たちは、このような問題に関して、幾度となく論議してきましたが、その解決策はいまだに見つかっていません。それはなぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、現象的な面だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするためには、神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に処している事実を知らなければなりません。
神様の創造理想と偽りの歴史の出発
神様は、真の愛を体恤するために、この世をお造りになりました。神様は、アダムとエバとして知られている人類始祖を創造されました。彼らは、真の愛によって自分自身が完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統をもつ完全な家庭を築かなければなりませんでした。アダムの家庭で神様の真の愛の理想が実現されていれば、メシヤが必要ない世界になっていたはずでした。初めて完成した彼らの家庭が、すべての家庭の標本となり、その家庭が氏族、国家、世界へと拡大したのです。そうなれば、その世界は真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたでしょう。
ところが、不幸なことに、このような神様の理想は実現されませんでした。聖書の教えによれば、人間の堕落によって、アダムの家庭全体を失ってしまいました。第一に、アダムとエバが、サタンを中心とした自己中心的な偽りの愛で偽りの父母になることによって、真の父母の位置を喪失しました。第二に、カインがアベルを殺害することによって、真の子女の位置を喪失しました。
その最初の家庭が自己を中心として愛することにより、彼らは善よりも悪を繁殖するようになったのであり、偽りの生命と血統を子孫に相続して、偽りの世界をつくり上げました。ですから、神様の救援摂理歴史が始まったのです。神様は、御自身の真の愛を中心とした真の父母を復帰するために、アダムとエバに代わる一人の男性と一人の女性が必要でした。そうしてこそ、神様の本来の計画に従って真の家庭が形成されるのです。
本然の家庭を復帰するために、神様は、カインとアベルが一つになるようにして、真の子女の位置を先に取り戻し、それから、真の母と真の父の位置を取り戻すというように、人間が堕落するようになった経路とは反対の経路で役事(働き)されます。真の父母を復帰するための基台として、カインとアベルを和解させることが復帰歴史の全路程を通して続いてきた神様の公式でした。堕落によってもたらされた憎悪を取り除こうと、神様は人間始祖の堕落後、二人の兄弟を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立たせる役事をしてこられました。
神様の戦略は、カインに打たれたアベルがそれを耐え忍ぶことによって、カインを抱き、失った祝福を取り戻すことでした。そうすることによって、神側はサタン側に勝利し、神様の位置を復帰してきました。この公式に従って、神側の男性と女性は、大きな苦痛を受けてきたのであり、神様の摂理上、前面に立った宗教は、サタン側から最も過酷な迫害を受けてきたのです。
最初の家庭の侵犯と復帰路程
紳士淑女の皆様。このように自己中心的な不貞の愛のために、人類初の家庭は侵犯を受けるようになり、利己主義と貪欲の歴史が続いてきたのです。神様の復帰歴史は、個人次元から始まります。サタンもまた、それを知っているので、個人次元からその努力を集中して反対します。これこそが、この「終わりの日」に、自己中心的個人主義が人々の生き方を支配する理由です。
人々は、周囲の人から次第に疎遠になるのを感じるようになり、国家や社会、さらには家族に対する責任感さえも、さほど感じなくなっていきます。増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません。
一九六〇年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です。
愛とは、純粋な感情の刺激から誘発されます。しかし、フリーセックスは、純潔や真の情緒を破壊します。私たちは、不倫や離婚という犯罪にどれだけ多く接してきたでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。性的に虐待を受ける幼い子女たちは、どんな悪夢にうなされているでしょうか。
エイズの犠牲となった死亡者数が日ごとに増加していく中、学校では妊娠の危険性のない安全な性生活を教え、婚前性交は避けられないと言って学生たちにコンドームを配っているのが現状です。乱婚に寛大な社会は、神様のみ旨とは絶対的に相反する所です。
一方、神様のみ旨に従って生きる人たちは、先ほどお話しした例とは一八〇度異なった人生を生きます。歴史を通して、自己犠牲的で神聖な道を歩んできた人たちは、反対側の世界の人々から、激しい反対と迫害を受けてきました。その一つの例として、統一教会を挙げることができます。統一教会の信徒たちは、純粋で、自己犠牲的に生きようと努力してきました。統一教会は、戦争で引き裂かれ、暗鬱だった韓国で生まれ、世界的なひどい迫害にもかかわらず、わずか三十八年で世界的レベルの宗教運動へと発展し、神様が教え導き、助け続けていらっしゃることを証するに至りました。
紳士淑女の皆様。宗教では、過ったことは、復帰過程を経て回復できると教えています。「統一原理」では、蕩減を払うことによって、過ったものを取り戻す方法について説いています。堕落したエバは、自らの過った行為を正すために、自らに課せられたすべての責任を負わなければなりませんでした。それは、エバが真の父母を復帰するための基台として、まず、子女であるカインとアベルが一つになるようにすることを意味します。
カインは、アベルが神様の代身者として選ばれた人だという事実を悟って、弟と一つにならなければなりません。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダムの家庭を復帰する機会を失ってしまいました。そこで、神様は、堕落したエバの位置を取り戻すことのできる別の女性を待たなければなりませんでした。聖書に出てくる女性の中で重要な一人が、イサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母として、リベカはエバがアダムの家庭で立っていたのと同じ位置にいました。
しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。カインがアベルの命を奪ったように、長子エサウはヤコブが祝福を受けたことを知って、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの協助によって、結局この二人の兄弟は抱き合って和解しました。
この和解は、摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは神様の血統を象徴的に純潔にする意味にすぎませんでした。すなわち、神様の血統の実質的な純粋性は、腹中で取り戻さなければならなかったのです。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にいたことを理解すると、イスラエル選民の血統の中からイエス様がお生まれになった理由を理解することができます。タマルは舅であるユダをだまして、ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、二人の息子が母の腹中から互いに先に生まれようとして闘ったことが記録されています。
タマルが出産で苦しんでいるとき、ゼラの手が母の腹から先に出て、産婆がその手首に赤い糸を結びました。するとゼラの手は再び母の腹中に引っ込み、もともと弟となるはずだったペレズが先に生まれました。このようにして次子が長子の位置を、生まれる前の腹中で復帰したのです。伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。今、私たちが知っているように、神様はイエス様を誕生させるために、サタンから神様の血統を取り戻す役割を果たすように、彼女たちを祝福されたのです。
こうして二千年が過ぎたのちに、聖母マリヤがタマルの勝利圏を相続する立場で現れました。彼女はしかるべき蕩減を払い、アベルを長子の位置に復帰することによって、家庭、氏族、そして国家的次元へと拡大されたカインとアベル的存在を一つにする責任を担っていました。その当時は、正式な結婚以外の方法で子を身ごもった女性は、石で打ち殺すのがならわしとなっていました。マリヤは命の危険を顧みず、神様の召命に応じてイエス様を懐妊しました。
マリヤの信仰とリベカとタマルの役事で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対する主管権を主張できませんでした。ですから、イエス様は、神様の完全な直系の血統をもった真の息子の位置でお生まれになったのです。イエス様が神様の最初の息子として、聖人の中の聖人であられ、神様の真の血統の先祖となられる理由がここにあります。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。
また、マリヤには、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていた、イエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにする責任がありました。多くの人々が洗礼ヨハネに付き従い、彼は多くの人々に尊敬されていました。そのような洗礼ヨハネがイエス様と一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして認めるときに、重要な要因でした。彼らが一つになっていれば、「小羊の婚宴」のための基台が造成されていたのです。そうすれば、イエス様は人類の真の父としての位置を確立し、新婦は人類の真の母となっていたはずでした。さらには、地上天国が建設されていたでしょう。
洗礼ヨハネは、イエス様に洗礼を与えるとき、明らかに啓示を受けたにもかかわらず、イエス様と一つになることができませんでした。洗礼ヨハネの協助なしにユダヤ民族がイエス様を信じ、付き従うことは不可能なことでした。結局、イエス様は独りで、御自身が誰であるかということを宣布する困難な道を歩まれました。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のための霊的救いの道だけでも成就するために、御自身の生命を捧げることを決意されました。しかし、イエス様は、霊的救いと同様に、地上で肉的救いの道を開くために、救世主が再び来られなければならないことを知っていました。