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Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第10話
Sunday Sep 01, 2024
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第二章 イエス様の誕生とその目的
ー、イエス様の降臨の目的
神様の理想とイエス様の降臨
人間を救うためにこの地に来られる方とは、どのような方でしょうか。その方は人間を代表する立場にあるだけではなく、神様と永遠に切れない因縁を結んで現れる主人公であられます。
このような因縁と使命を帯びて、この地に降臨された方が正にイエス・キリストであられます。ですから、イエス様は福音を伝播しながら、「私は神様の息子だ」とおっしゃったのです。また、「神様と一体になっている」とおっしゃいました。
これは、驚くべきみ言です。普通の人には類を見ないみ言です。ですから、神様と愛を中心とした血統的に因縁をもって現れたキリストであられたので、歴史にない中心として、新しい変遷の役事を起こすまいとしても起こさざるを得なかったのです。そのような面で、イエス様の血と肉は、父の血と肉であり、すべてが父のものだったと言えるのです。このように神様とイエス様とは、切っても切れない因縁が結ばれていたのです。
ではなぜイエス様は、そのような方でなければならなかったのでしょうか。堕落した人間は罪悪の血統を受けて生まれたので、父の血肉に代わって接ぎ木をしてあげられる一人を、神様はこの地に送るしかなかったのです。このような摂理的な必然性によってイエス様は、この地に来なければならなかったのです。
イエス様がこの悪なる世に来られて叫ばれたみ言は、地の言葉ではありませんでした。イエス様のみ言は、今までなかった真なる真理のみ言であり、地上にあったものとはあまりにも異なる新しい理念であり、革新的な事実を提示するものでした。
神様は、自らの内的な理想を実体的に感じ得る一つの中心存在として、人間を創造されました。それで神様によって秘められた天の美と天の愛と天の栄光を、人間であるアダムとエバの生活を通し、生涯を通し、永生の路程を通して成し遂げ、いつの時も絶えることのない喜びの世界をつくろうとなさいました。
人間が堕落することによって、神様が意図されたそのような本然のみ旨は、根本的に途絶え、人間は願ってもいなかったサタンを神様の代わりに立てて、そのサタンの主管圏内にとどまるようになりました。神様に栄光と喜びを返し、神様に侍る生活をすべき人間が、神様の代わりにサタンを中心として、サタンに侍って従う侮辱の歴史を繰り返してきたのです。
神様には、人を中心として取り戻すべき栄光が残っており、人を中心として愛すべきみ旨が残っており、人を中心として勧告すべきことが残っているので、今まで摂理してこられたのです。サタンは反対に、神様の栄光、神様の愛、天の生命を破壊するための戦い、今日、人間を自らの手中に縛りつけて、これを神側に渡すまいとする戦いを続けてきているのです。
それゆえ、今や神様は、人を立ててサタンを恨み得る一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様にお返しすべき栄光を中心として、神様の代わりに人間から愛を受けているサタンに対して、抗議し得る条件を立てなければならないのです。
また神様の代わりに、サタンが全体の生命の権限をもっているので、神様はこれも抗議できる人を立てなくてはならないのです。このような責任が神様に残っているのです。神様が探し求めていらっしゃる創造本然の人間、サタンに対して攻撃できる一人の主人公が現れなくては、再び神様に栄光を返す道がなく、愛を返す道がなく、生命を返す道がないのです。
この一人の中心存在をお立てになるために、神様は四千年間、苦労しながら摂理をしてこられました。そうしてついに神様は、万民の前に探し求めてきた一人の信仰の中心、人間の代表的な中心を、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の生命を証するためにお立てになったのです。その方が誰かというと、イエス・キリストだったのです。