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Tuesday Sep 10, 2024
イエス様の生涯と愛 第16話
Tuesday Sep 10, 2024
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イエス様は原罪がなく生まれたので、サタンの讒訴から完全に抜け出しているのです。サタンの讒訴を抜け出すと同時に、サタンを完全に屈服させたのです。天使長を屈服させたのです。このように屈服させた立場が、神様の息子として堂々と立てる本然のアダムの立場なのです。
息子に生まれて、その次にはどのようにすべきでしょうか。新婦さえ選べばよいのです。ヨセフの家庭を中心として新婦を迎えなければなりません。ヨセフの家庭はダビデの子孫です。その家庭がイエス様と一つにならなければなりません。その家庭が一つになれば親戚も一つになり、親戚が一つになれば氏族が一つになり、氏族が一つになれば民族が一つになり、そうなれば国家も自然と一つになるのです。
イスラエルの思想を中心とし、ユダヤ教を中心とし、選ばれたダビデの子孫を中心としたヨセフの家庭で、マリヤを中心としてイエス様を完全に神様の願いどおりに、エデンの園においてアダムとエバに天使長が侍るべきだったように、ヨセフあるいはマリヤが、イエス様に侍るべきだったのですが、侍ることができなかったがゆえに、ここで事件が起こったのです。
天の家庭の中心である救世主
イエス様はいかなる存在なのでしょうか。堕落によって失った人類の真の父になり得る存在でした。長い歴史とともに、み言の実践的基盤の上に立てられたみ言の実体として、父に代わる存在として来られた方でした。ですからイエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)とおっしゃったのです。
ただイエス様だけが道の中心であり、心の中心であり、心情の中心なのです。なぜでしょうか。イエス様が父という内容をもっているからです。それゆえイエス様は、万民の救世主であり、天地を代表する方なのです。したがってそのみ言を通して父の姿を、そのみ言を通して父の心を、そのみ言を通して父の愛をたどっていくのがキリスト教なのです。
イエス様はこの地上に来られました。無限の理想を抱いて来られました。イエス様が願った希望があるとするなら、それは神様の代わりとしての希望でした。神様の希望とは何でしょうか。創造理想、創造目的を成し遂げることです。イエス様がその希望を抱いて、個人の立場で現れた当時の環境は、善なるものではありませんでした。
み旨の前に立てなかった環境は、イエス様に対して反旗を翻しました。イエス様は、その場で倒れるようなことがあったとしても、自分の心中に抱いた志操だけは地上に残していかなければなりませんでした。ですから聖書によれば、イエス様は「私はあなた方の父であり、あなた方は私の子女である」という因縁を強調されているのです(イザヤ書九・6)。
真の父母は、真の父と真の母がいなければなりません。イエス様が亡くなられたのちに、母格として来られた方が聖霊です。
この地上で霊肉を合わせた実体として、息子、娘を祝福できる一日をもてずして逝ったことが、イエス様の悲しみです。語るべきみ言を語り尽くせず、天国の家庭の基準を立てられずに通ったことが、イエス様のです。天国の家庭を築けなかったので、家族を中心とした氏族、氏族を中心とした民族、民族を中心とした国家、国家を中心とした世界を築けなかったのです。
国家的基盤を備えなければならなかったユダヤの国であり、選ばれたイスラエル民族でしたが途絶えてしまい、イエス様はユダヤ教団から追われるようになりました。天もどうにもできない、惨めな反逆者として追われたイエス様でした。のちには十二使徒にまでも裏切られるイエス様となったのです。地上に天の心情に通じ得る一つの血族も因縁を結べずに逝ったことが、イエス様の悲しみだったのです。
神様の願われた神様の家庭を建設できなければ、神様が願われる民族も立てられず、民族を立てられなければ、国も世界も立てられないがゆえに、家庭を探し求めるために闘ったイエス様は、そのみ旨を果たせずに逝くときに、人類の前に「私は新郎であり、あなた方は新婦」という命題を残されたのです。それが何の意味か分かりますか。家庭が神の国の中心であるということなのです。