Episodes
Thursday Sep 19, 2024
イエス様の生涯と愛 第27話
Thursday Sep 19, 2024
Thursday Sep 19, 2024
二、結婚を中心としたイエス様の恨
新婦を探し出すべきだったイエス様
神様のみ旨とは何でしょうか。今まで四千年のユダヤ教の歴史を経ながら、神様は苦労して何を探し求めて、何を復帰したのかというと、堕落する前の血統が汚されていない息子、アダムです。アダム一人、一人の息子を探し出したのです。それゆえコリント人への第一の手紙では、イエス様のことを「後のアダム」としています。
神様の救いの歴史は、再び取り戻していく復帰歴史なので、このように四千年の歴史を神様が苦労して、人の世に理解されないその道をたどって、初めてひとり子イエス・キリストが現れたのです。このような事実は、堕落せずに神様の愛を受けられるアダムの立場を復帰したということを意味するのです。
神様は天理の原則に従って、運行されるということを知らなければなりません。アダムを捜し出して新郎になったので、何を捜さなければならないでしょうか。サタン世界からエバ、新婦を捜してこなければならないのです。アダムが誤り夫の役割ができなかったことによって、エバに命令できる立場を、責任を履行できずに奪われたので、サタン世界から捜してこなければならないのです。これを捜してくるためには戦わなければならないのです。
それを準備するために、国の基盤から、教会の基盤から、氏族の基盤から、家庭的基盤を神様が準備しなければならないのです。そうしてヨセフの家庭とザカリヤの家庭を準備したのです。
イエス様の新婦を準備すべきだったマリヤ
創造の原則を見れば、アダムをまず造り、そのアダムを中心としてエバを造られました。ゆえにマリヤは息子を協助して、息子の新婦を探さなければならなかったのです。マリヤはそうしなければならないのです。イエス様はもちろん、マリヤも協助して新婦を探さなければならないのです。
そのようなことを見ると、マリヤは責任を果たせなかったということが分かります。ある日マリヤが、ガリラヤのカナの祝宴の場で、イエス様にぶどう酒がなくなったと言うと、イエス様は「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」と言われました。その言葉は、他人の結婚に何の関係があるのかということなのです。つまりイエス様が結婚する時になったのに、なぜマリヤは知らずにいるのかというのです。結局、マリヤは責任を果たせなかったのです。
イエス様が結婚をしていれば、イエス様の息子と娘は、神様の孫と孫娘になるのです。神様の尊属(血族)になるのです。ある人は、イエス様を神聖なる神様だと言いますが、それこそ精神障害者です。邪教の中の邪教です。イエス様が私たちのような世の人として来られて結婚するというのに、何だというのでしょうか。それに対して、「おお、我々の神聖なる神様が結婚するとは」と言って失望するというのです。なぜ結婚すると神聖ではないのでしょうか。男性も女性も、最も神聖なことは結婚することです。
もしイエス様が結婚して、息子、娘を生んでいたら法王には誰がなるでしょうか。ペテロのような人がならなければならないでしょうか。イエス様の直系の息子、娘が、ローマ法王にならなければならないのです。そうなっていれば、自然と世界の王になっていたはずです。
このように地上に基盤を築こうとしたイエス様が亡くなったので、イスラエル圏を失ったキリスト教は、霊的イスラエル圏のみを築くようになったのです。それゆえ神様には、基盤を備え得る土地がありません。教会が、イエス様の占有できる王国ですか?ですから追われてきたのです。
神様は、アダムを通してエバを造られました。救いの摂理歴史は再創造歴史なので、原理どおりにしなければなりません。それゆえマリヤは、イエス様の新婦を迎えるために準備しなければなりませんでした。ところがその責任を果たすことができなかったので、イエス様はやむを得ず家を出たのです。家を出て、乞食の群れのような人々を集めたのが十二弟子です。一族でイエス様の新婦を探し出してあげていたならば、その一族の人々が十二弟子になるようになっていました。イエス様は何もせずに、「あれはあなたがして、これはあなたがしなさい」と任せればいいのです。ばかばかしく、あちこち歩き回りながら、あんなに苦労して弟子を求めることはしないのです。当時のユダヤ人たちは、祭司長ザカリヤ家門の洗礼ヨハネの言葉なら、みな従うようになっていました。それゆえ一度にすべてを引っ張ってくることができたのです。
そうなっていたらイエス様は、ユダヤ教徒と律法学者、祭司長たちと一つになって、彼らにサタン側国家であるローマ帝国に対して反旗を翻すように言ったでしょう。世界的なアベル国家である小イスラエルを中心として、世界的な大サタン国家であるローマを屈服させよと言うのです。
当時のローマは四通八達した世界文化の中心地だったので、ローマさえ屈服させれば、キリスト教とイスラエルを中心として、その時、既にみ旨は成就されていたのです。亡くなったイエス様が四百年でローマを征服しましたが、もしイエス様が生きていらっしゃれば、四十年でローマを征服できなかったでしょうか。おそらくイエス様は、八十歳になる前にローマを完全に料理していたことでしょう。