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Friday Nov 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第67話
Friday Nov 01, 2024
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死の場で唯一の新婦の立場に立った右の強盗
イエス様の時代において、どちらがカインで、どちらがアベルでしょうか。国について見れば、イスラエルがアベルでありローマがカインです。本来イスラエルの国とイエス様が一つになっていれば、ローマを四十年間で屈服させることができました。死んだイエス様が四百年で屈服させたのを見ると、イエス様が生きていらっしゃるときに一つになっていたら、四十年で完全に屈服させて征服したはずなのです。しかしイスラエル民族は、イエス様と一つになれなかったので、これを成し遂げられなかったのです。
イスラエルの国が反対すれば、ユダヤ教がアベルになり、イスラエルの国はカインになるのです。またユダヤ教が反対すれば、ユダヤ教がカインになり、イエス様の氏族がアベルになるのです。しかしその氏族も反対することによって、イエス様の氏族がカインになり、イエス様の家族がアベルになるのです。ところが、家族たちまでも反対しました。
ではカインとアベルは、どこで探さなければならないのでしょうか。カインとアベルを復帰しなくては、イエス様の立つ位置がありません。父母の位置に上がることができないのです。これは原理原則なので否定できません。
イエス様の親や兄弟姉妹もイエス様を捨て、また十二弟子、そのうち三弟子までもがみなイエス様を捨てて逃げてしまいました。イエス様が十字架で亡くなるとき、イエス様を中心として右の強盗と左の強盗が争いました。このみ言をよく聞かなければなりません。イエス様は父母の立場なので、イエス様を中心としてカインとアベルを復帰しようとすれば、カインの立場にある人がアベルの立場にある人に屈服しなければなりません。ここで右の強盗はアベルの立場であり、左の強盗はカインの立場です。
そうして十字架にいるイエス様を前に争うのです。すなわち父母の位置を復帰できるか否かの戦いが起きたのです。まず左の強盗がイエス様に向かって、「おい、うわさになって大騒ぎしたと思ったら、手首に釘を打たれたのか。おれとどこが違うというのか。お前はキリストではないのか。それなら自分を救い、またおれたちを救ってみろ」と言って非難しました。
そのとき右の強盗が左の強盗に向かって、「おい、こいつ、おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。当然おれたちは死ぬべき罪を犯したのだから、それに対する報いで死ぬのだが、イエス様はその行いが正しくないものはない」と叱責したのです。もし右の強盗がイエス様を証しながらここで後退していたら、イエス様は復活することができなかったはずです。
イエス様は家庭をもてなかったので、家庭的な基盤を築くことができませんでした。けれども右の強盗が最後までイエス様の味方に立って、左の強盗の陣営を押さえつけたので、アベル的な立場でカイン側を屈服させたという条件を立てたことになったのです。したがって復帰したという条件は立てたのですが、これは霊肉を中心とした復帰の基盤ではなく霊的な復帰の基盤だったのです。
そこでイエス様は、自分を証する右の強盗の立派な信仰を見て、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・43)とおっしゃいました。ここで初めて霊的な世界を中心とした楽園に入ることができるようになるのです。これは霊肉を中心とした地上で起きることではありません。ですからキリスト教は、地上の楽園ではなく、霊界の楽園を中心として歩んできているのです。