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Thursday Nov 07, 2024
イエス様の生涯と愛 第72話
Thursday Nov 07, 2024
Thursday Nov 07, 2024
第六章 イエス様の復活と神様の願い
ー、イエス様の復活と聖霊降臨
イエス様の苦痛の三日路程
イエス様が死んだのち、三日間苦痛を受けたという事実はどういう意味でしょうか。天地が死亡圏に残っていて、地獄も死亡圏の因縁をもっているので、イエス様が天地を主管するためにはこの死亡圏を下からも越え、上からも越えなければならなかったのです。それゆえ地獄のような最もどん底の境地に行って苦痛を受けたとしても、それを越えて生命の因縁を追求し、神様を慰め得る希望の道を行かなければならなかったのです。
したがって、イエス様が地獄のようなその環境を経ることによって、希望の天国に向かって再出発できる道が整えられたのであり、地上でも捨てられ、追い込まれて死の道を行きましたが、希望の道を残せたのです。それゆえイエス様が、三日路程を行かざるを得なかったのです。このような事実を私たちは知らなければなりません。
三日間イエス様は、地獄を見物しに行ったのではありません。地獄を知らない彼ではありませんでした。そこに行って判決を下し、死亡の世界から生命の世界へと行ける道を開いたのです。そうして死亡の地獄世界であるこの地上に、勝利の基盤を築いたのであり、天国に行ける起源をつくり上げたのです。
指導者を失った弟子たちの悲しみ
イエス様は復活されたのち、四十日間この地に聖霊を送ることを約束して昇天されました。イエス様に従った弟子たちは、イエス様の復活された栄光の姿を見て、神様の約束のみ旨が成就するものと思って喜んだのですが、イエス様は彼らにいつ再び来るのかという、はっきりとした話をされないまま昇天してしまったのです。
では当時の弟子たちの心情は、どうだったのでしょうか。愛する主を釘付けにした不信のイスラエル民族とユダヤ教の一団に対する、言うに言えない敵愾心が煮えくり返っていたでしょう。復活された主のみ旨、神様のみ旨ならば、身が粉となり骨が溶けることになろうとも、最後の勝利のために、復活された主に従って行こうという覚悟をもったことでしょう。
そのような覚悟、すなわち主が去っていかれたのちに、天に対して切に敬い慕ったその心、死ぬようなことがあっても、あるいは困難な十字架の道が遮られていたとしても、この道を打開しなくてはならないという覚悟をもって、弟子たちはあの人この人に対するたびに、お互いに激励し合ったことでしょう。それでこのような心情に徹していた弟子たちにイエス様は現れて、聖霊を送ってあげることを約束されたのです。
その後、マルコの屋上の間に集まった百二十人の門徒は、背後で天が役事するという想像もつかない体験をしてから、歴史的なすべての摂理のみ旨を抱くことができ、またイエス様の三十年の私生涯路程と三年の公生涯路程で感じた内的心情を体恤し得る段階に入るようになったのです。
そうして彼らは、イエス様を裏切ったという罪責感に浸らざるを得なかったし、この地に来られたあのイエス様は、自分たちがあのように対してはならない天のひとり子であったことを悟るようになったのです。
さらに彼らは、イエス様がこの地に万民の救い主として来られたということをはっきりと悟れば悟るほど、心の中に鉄石のような固い覚悟と決意をしたのです。そして兄弟と兄弟、使徒と使徒、信徒と信徒がお互いに励まし合って、一つのみ旨を中心として、一つの心で一つの目標に向かって動くようになったのです。自分たちが追求する一つのみ旨のために、お互いが心を交わし合って一つになり、百二十人門徒はそれぞれ違いますが、父のみ旨に対して行く方向とその動く行動は、一つの姿として現れるようになったのです。
このような現象が使徒たちのうちに起こり、彼らの心は燃え上がったのですが、それから彼らはどこに向かって叫ぶようになったのでしょうか。彼らは、イエス様に反対したイスラエル民族に向かって叫び始めました。それだけではなく、イエス様を不信する数多くの人類に対して、新たな決心と覚悟をもって、新たな誓いで、自分たちが一つになっているその心をくじく者はいない、ということを示しました。
このように自分たちが、まず天の前に固く誓って覚悟した姿で現れるときはもちろんのこと、いかに迫害が激しい環境であっても確固たる中心をもって現れるとき、天は彼ら一人一人をイエス様の代わりの存在に立てて、使命を引き継がせたことを知らなければなりません。
このような心をもった人は、一人だけではありませんでした。主を失った悲しみが大きければ大きいほど、その心に徹したのであり、神様のみ旨が強く動けば動くほど、その心には天を裏切った群れに対する敵愾心が強くわき上がり、彼らを一朝一夕に粉砕して、天のみ旨をすぐにでも成し遂げてさしあげようという覚悟でした。天に対してこのように現れるようになるときに、ここには人間の力ではなく、神様の力が現れるようになったのです。
ここで人間としては、到底想像もできない神様の直接的な権能の行使が、無知な民、不信の民、悖逆(謀反)の民に示されたということを私たちは知らなければなりません。