Episodes
Friday Nov 08, 2024
イエス様の生涯と愛 第73話
Friday Nov 08, 2024
Friday Nov 08, 2024
イエス様のみ旨を引き継ぐべきだった弟子たち
復活された直後、イエス様はどのような心情だったでしょうか。三日目に復活した彼の心情は、天の前に面目ない祈祷を捧げざるを得ない悲しい心情でした。四千年間苦労された父と、多くの苦労をした預言者や烈士たちに対すると、一方ではうれしく思いながらも、一方では限りなく悲しく涙を流さなければなりませんでした。このようなイエス様の心情を知らなければなりません。
天の聖徒たちは喜びましたが、イエス様は悲しかったのであり、神様もうれしくもありましたが一面悲しい心ももたれたのです。今日この地に生きている人々の中には、このようなイエス様の心情を知る人は一人もいません。けれどもこれを知って、心の中で新たに決心をしなければなりません。
決心をするものの、何を決心するのでしょうか。イエス様がこのようになった原因と動機は、民族のせいでも天のせいでもありません。ただサタンのせいでした。イエス様はこのサタンを踏みにじり、失った使徒たちを捜すために乗り出したのです。一時は命を懸けて誓いまでした使徒たちが、イエス様の死体や墓までも悪なる人たちに守らせてしまったことを考えると、イエス様が普通の人であったならば、彼らを捜しに行かなかったでしょう。
しかしイエス様は、ただただ怨讐サタンに対する憤慨心と、怨讐サタンの懐にある弟子と民族と人類を取り返さなければならないという一途の心をもっていたので、彼らを探しに出たのです。また四千年の間、裏切った人間に対する悔しさを耐えに耐えながら摂理してこられた父を見つめたとき、哀れな人間を探さなければならないという悲壮な決心を抱いて、イエス様は彼らを捜しに出たのです。このようなイエス様の悲壮な決心を抱かなければなりません。
また残っている使徒たちに、もう一度サタン対して闘うべきであるという心の決心を鼓舞させたイエス様は、いつまでも彼らと共にいるわけにはいきませんでした。み旨を引き継いで、長い歴史路程を行かなければならない弟子たちが、言うに言えない血の路程とゴルゴタの十字架の峠を越えなければならない状況を見つめるイエス様の悲しい心情と心の苦しみは、十字架を越える時と同じものでした。またイエス様は、四十日が経過すると愛する弟子たちを怨讐の地に残したまま、行かなければならない悲しい心情を抱かれたのです。
では、地にいた聖徒たちは、果たしてどのような気持ちだったのでしょうか。来られたイエス様の悲しみと、行かざるを得なかったイエス様の悲しみが分からなければならなかったのに、彼らはただ愛する先生と別れることだけを悲しがったので、それを見つめるイエス様の心情は、言葉では言い表すことができないほど悲痛なものだったのです。
では、どのような心をもたなければならないのかというと、イエス様が逝かれたのちのことを自ら引き継いで、サタンと生死を駆けた闘いをすることがあったとしても、一寸の譲歩もしないという覚悟のもとに、鉄石のように変わらない心の所有者にならなければなりません。そうしてイエス様が亡くなりつつも、安心できず、心配なさったその心情を、皆さんが直接体恤して、代わりに解いてさしあげなければならないでしょう。
もし、その当時の使徒たちが終始一貫した心をもって、イエス様と共に十字架にかかったとすれば、神様はイエス様一人だけを復活させるということはできなかったことでしょう。そうなったとすれば、全使徒たちが復活したはずであり、今日のようなキリスト教にはならなかったはずです。
それならば、今やこのような使徒たちが残した使命を自分が引き継ぎ、サタンに憤慨したイエス様の心を皆さんの心とし、十字架を越えたイエス様の決心を皆さんの決心としなければなりません。
そうして十字架を死なずに生きて越えることによって、復活の姿で現れる第二の使徒にならなければなりません。そうして六千年間神様を困らせてきたサタンを、一朝一夕に打ち破ってしまえる使徒にならなければならないのです。そして悲壮な決心をもって、死の道を歩むようになっても、サタンと闘って勝利し、その痕跡を残すことができなければなりません。