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Saturday Feb 12, 2022
平和経 第111話
Saturday Feb 12, 2022
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主体と対象が一つになるのが愛の作用
人間を見るとき、人間は二重構造になっています。人には心の作用があります。心を見ることはできませんが、それは誰も否定できません。また、体も作用をしています。これはみなよく知っています。
この体がなぜ作用し、心がなぜ作用するのですか。これを主体と対象として考えるならば、一つは男性型であり、一つは女性型です。プラス的なものは見えない内的な私、マイナス的なものは見える外的な私です。それがどうなりますか。それぞれ異なる作用をします。皆様、一度手を握ってみてください。様々な形態で手を握ったでしょう。このように上げて握る人がいて、このように下ろして握る人がいます。
すべてのものが連結されるためには、主体と対象の観念圏内で動くので、必ず円形運動をします。主体と対象を基準とした作用圏内では、絶対不可避な作用をしなければならないからです。それで、どの一面であろうとすべて円形に似ているのです。
男性と女性を見れば、相対的であると同時に、根本的に作用が異なります。概して男性は背が高く、女性は背が低いのです。両手は、運動することを中心として、関係を保ちながら一つになっていきます。二つが作用するのですが、出会うところから愛の作用を成立させることができると見るのです。独りではできません。二つが共同目的をもって和合できるところから愛の作用が爆発します。それでは、どうしてその愛が爆発する作用が必要なのですか。運動をすれば必ず消耗が生まれます。力学で入力と出力を見るときに、出力は必ず入力より小さいのです。したがって、このような原則の作用世界において、いかに作用を永続化させるかということが、極めて重要な問題です。
ですから、偉大な科学者である神様は、互いに異なるすべての作用が接触するとき、爆発的な作用を加えることを考えないでしょうか。この二つが合わさることのできる次元において、作用の決着点から関係が結ばれるものが愛の作用です。おもしろい話です。ですから、もし二人がぶつかり合えば、押し出すというのです。来ては戻り、愛によって押して戻すというのです。ですから、連続作用を拡大する主流的な作用圏の行為を継続すると見るのです。
ですから、一つのプラスがあれば一つのマイナスがあります。このプラスとマイナスがどのように合うのですか。合わせるのは主体と対象による作用です。マイナスは作用しますが、絶対に損をするようには動きません。これは、自分にプラスになる基準を探すためです。プラスを探して、より大きなプラス圏内に発展し、より大きな最高の欲望の目的、最高の価値の終着点に向かって走っていくのです。そうすることで、より高い次元にある愛の位置に進んでいこうという結論が出てくるのです。
すべての存在の最後の目的は神様の愛
今日、人間の欲望というものは、すべて党派的です。経済学者は経済、知識人は学問、政治家は権力、あるいは世の中の自分の欲望、家門、歴史的背景、環境的要件などなど、とても多様な環境に引っ張られて党派的に作用しています。それは、それ自体で終わってしまうのです。人は欲望をもっていますが、ここから根本問題が生まれています。自分が主体だからです。自分が主体になって、「お前も私のところにきて、私に従いなさい」と言っています。
今日、世界人類の弊害は何ですか。お金がないことが弊害なのではありません。知識がないことが弊害なのではなく、何かの社会組織の主権がないことが弊害なのではありません。自分を中心として引っ張って、自分に従わせようとすることが弊害です。個人個人がすべて自分を主張すれば、プラス•マイナス理想の形成基盤が、一度に完全に崩れるというのです。作用は作用どおりに行い、自らを完成させながら、それがもう一つの主体と対象の関係に連結される道に行かなければなりません。
すべての存在物が自分を中心として一つになろうといえば、止まってしまうことになります。この中に入ろうといえば止まってしまいます。ぶつかってしまいます。ここでは、大宇宙の形成は不可能なのです。ですから、神様がいるならば、神様はどのような考えをもたなければならないのでしょうか。これを連結させるためには、いつも「ために生きなさい」というでしょう。ために生きる行路を行かなければならないというのです。
すべての存在は、より大きな目的のためにあります。個人は家庭の目的のために、家庭は氏族の目的のために、氏族は国家の目的のために、国家は世界の目的のために、世界は霊界があれば天地の目的のために、天地は神様の目的のために前進しなければならないのです。神様の目的それ自体は何かというと、愛の目的です。すべて愛の進路があります。一つの細胞から、微生物なら微生物から、すべてが一つの支流のようになって、本流に流れて大河を形成し、大海に連結される偉大な愛の流れがあります。この流れの原則と内容を公認しなければ、大海に行くことができないのです。このような内容を先に知ったので、すべてを新しく革命しなければならないというのです。大革命が起こるでしょう。
孝子は必ず苦労の道を通ります。受難の道を通るには、その受難と苦労を超越して、価値のある内容に消化させていくことができる、ある刺激的な力の源泉がなければなりません。これを付加できる、その主体は愛です。有名な学者の先生方も、これを否定できないでしょう。
愛国者とは誰ですか。同じ理屈です。国のために国民を愛し、主権者を愛するときに、この宇宙の原則の愛の要素と一致化できる和合の実体として、国を抱く人です。その民を愛で抱くところでは、頭をたたかれてもうれしいというのです。
皆様。聖人とはどのような人ですか。国ごとに愛国者が大勢います。国ごとに偉人が大勢います。それでは、聖人と愛国者と偉人とは、何が異なるのですか。聖人というものは、天に侍り、人類を愛した人を言います。人類を愛するとき、天地の大道と一致する道に接近させる旗手の立場に立った人が聖人です。聖人で終わるのではありません。その次には、天子(聖子)にならなければなりません。天子の道とは何ですか。神様と人類の受難の道を収拾して、愛の目的を決着させることができる人こそ天子、すなわち神様の息子だということができるのです。
統一教会は何を主張するのですか。「私」を中心として、宇宙の愛の本然の道に順応できる道に入って、私がいるのは父母のためであり、子女のためであり、民族、国家、世界のためにいるというものです。このように、より高い愛の段階に発展することです。それで、最後には一つしかない神様の愛を占領できると見るのです。
このように見るときに、このような思想でのみ統一できるというのです。その位置に進めば、一つになるようになります。しかし、皆様の心と体は、この作用がうまくできません。それは、堕落して人間が故障したからです。それで、実存哲学で言う「極限状況」をいかに克服するかということが問題です。それを愛で克服しなければなりません。
「今日の知識人と宗教」という主題について、現在の立場で皆様が考えるべきことは何でしょうか。愛を必要とする人は、いくら優秀な学者や博士、世界の政治家、あるいはいくら聖人だとしても、神様を信じる宗教から抜け出すことはできないという結論が出てきます。その愛が必要でなければ、宗教の道、神様を求める道を無視してもよいのです。
それで、皆様がきょう、この場に来られたので、私の話を一度参考にして、皆様の生活において、あるいは社会において、人倫や道徳、各分野にこのような内容を適用すれば、大韓民国と世界は新しい次元の発展基準、理想と幸福の基準が拡大するのではないかと思います。そのような意味で、少しの間お話しいたしました。ありがとうございました。
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