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Wednesday Mar 16, 2022
平和経 第145話
Wednesday Mar 16, 2022
Wednesday Mar 16, 2022
第四篇 人類を救う真の家庭運動
1. 1.真の家庭と私
日付:一九九五年六月七日
場所:ブラジル、ブラジリア
行事:中南米十七ヵ国巡回講演
今晩、ブラジルに来て貴賓の皆様にお会いし、このような歓迎パーティーの場をもてたことを、心から感謝申し上げます。
皆様はたくさんのうわさを聞いて御存じかと思いますが、ここに立っているのが、正にレバレンド•ムーンという者です。世界に多くの問題を起こし、多くの話題を提示しながら今日まで歩んできたのは、天に侍ってきた歴史的事実ゆえであると言わざるを得ません。きょう、ひと時の間お会いし、喜びの環境の中でお話ししようと思うのは、「真の家庭と私」という内容です。世界で問題となっているのは家庭ですが、真の家庭とはどのような家庭かということを中心として、お話ししたいと思います。
真の家庭とはどのような家庭か
「今、私たちが生きている世界は、善の世界か、悪の世界か」と尋ねてみれば、誰もが「悪の世界である」と答えるでしょう。なぜ、悪の世界なのでしょうか。全世界の歴史を見ても、ブラジルの歴史を見ても、どの国の歴史を見ても、戦争の歴史が続いてきたという事実を、私たちは知っています。戦争を通して争うという事実は、一つの平面的な基準から落ちていくということです。そして、世界が悪であるとすれば、ブラジルという国も悪であるという話であり、ブラジル人も、私たち自身も悪であると言わざるを得ないのです。
私たち自身をよく見れば、私たちの体と心も闘っているという事実を否定できません。そうだとすれば、この闘いの起源はいったいどこにあるのかということが問題にならざるを得ないのです。私自体内に紛争があって平和の基地をもてないときは、いくら家庭が平和で、国と世界が平和だとしても、幸福になり得ないというのです。
皆様が御存じのように、第一次、第二次、第三次世界大戦も終結しました。また、戦争中でも、いくらでも休戦はできますが、私たちの体と心を中心としたこの闘いは、昔から歴史を経て、現世はもちろん、未来まで続く闘いであることを、私たちはまるで知らずにいたのです。このような問題を中心として考えるとき、神様がいらっしゃるのであれば、私たちの体と心の闘いが、なぜこのように歴史性を帯びて続くようになったのかということが大きな問題になります。人間が罪を犯したというとき、罪を犯した人がそれを蕩減しなければなりません。罪を犯したこと自体に神様が責任を負い、干渉することはできないのです。
それでは、体と心が闘う起源地はどこでしょうか。私たちの生命は父母から受け継ぎましたが、また父母をさかのぼっていけば、第一代の私たち人類の先祖の位置までさかのぼるようになります。すなわち、第一代の先祖であるアダムとエバの夫婦の愛に問題があったために、このようになったと見るのです。生命の起源は父母の愛によって始まります。ですから、私たちの生命が出発する前からこのような闘いが始まったと見るならば、父母が愛し合うその場が問題になったという事実を、私たちは考えざるを得ません。アダムとエバの愛が喜びの愛になれずに、相反する愛の起源となって生命の根が打ち込まれたことによって、私たち人間自体の紛争が始まったと言わざるを得ないのです。
聖書は、アダムとエバが堕落することにより、エデンの園から追い出されたと記しています。追い出された人類の先祖が、子女を繁殖したのは事実です。追い出したアダムとエバについていって、神様が結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。誰のもとで結婚式をしたのだろうかと考えるとき、堕落することによってサタンのもとで結婚式をしたということを、私たちは認めざるを得ないのです。
体と心、夫婦、子女統一を願う真の父母
堕落は、サタンによってエバが誘惑され、その誘惑されたエバがアダムを誘惑したところから始まりました。ですから、私たちの先祖であるアダムとエバが愛を中心として夫婦関係を結ぶとき、喜びの関係ではなく、相反する関係で結ばれることにより、その関係に根を置いている私たち人間も、体と心の闘争の起源を連結せざるを得ないという事実は、何よりも理論的なのです。
堕落は淫乱によって始まりました。このような願わない愛の関係によってサタンと一つになり、善の先祖になれず悪の先祖となって、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。このようなことが事実であれば、私たち全人類の堕落した子孫が、家庭を越えて、氏族を越えて、国家と世界まで発展した今日、五十億の人類はサタンの子孫であり、悪の父母の血統を受け継いだことを否定できないのです。私たちの体の中に、神様が最も嫌うサタンの血が蠢動しているという事実を、誰も考えられませんでした。これが問題です。
それでは、この根をどのように清算するのでしょうか。サタンが愛の根をどこに打ち込んだのかというと、体、すなわち肉身に根を下ろしたのです。もし堕落していなければ、体と心が一つになるのは自然の道理です。堕落することによって、天に相対する良心のプラスと、これに反対する体のプラスが衝突しているために、ここから闘争の歴史が始まったという事実を、私たちははっきりと認識しなければなりません。
このため、神様は善悪の分立歴史を展開せざるを得ないのです。神様は公的であられるので、全体のために生きる道を選びながら、愛と平和の目的に向かう反面、サタンは私的立場を取り、全面的に善の側を破壊しようとする立場に立って、憎悪と戦争で永遠に人類が天の側に行けないよう、天と地上世界を滅ぼそうとしています。神様は、サタン側に回った人類を打てないので、人類を取り戻すために天の側が打たれて取り戻し、サタンは打って奪われる作戦を取らざるを得ません。サタンは私的なことを中心として、憎悪と闘争によって天を滅ぼすための破壊を、歴史を通して行ってきており、天は反対に公的な立場で、愛と平和によって再創造してきているのです。
終末になれば、サタンは人類を支配してきた立場を天の側に奪われるようになるので、「神はいない」という無神論を提示して、人本主義と物本主義、そして共産主義の出現を助け、天の側の右翼とサタンの側の左翼の闘争を世界的に展開したのですが、天の側の勝利によって、第二次世界大戦以後、キリスト教文化圏の勝利と平和の世界に転換する大変革時代を迎えるようになるのです。
今の時代は個人主義の王国時代です。真の愛を中心として願う天の家庭を完全に破壊させたフリー•セックス時代と父母否定時代であり、夫婦否定時代と子女否定時代であり、ホモやレズビアンなど、天の側を完全に破壊する地上地獄の時代ですが、これを天国に転換するためにメシヤの再臨があるのです。そのため、メシヤは真の父母として体と心の統一、夫婦統一、子女統一を願うのです。