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Sunday May 08, 2022
平和経 第201話
Sunday May 08, 2022
Sunday May 08, 2022
4.科学の調和と絶対価値の探求
日付:一九七六年十一月二十七日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン•ホテル
行事:第五回「科学の統一に関する国際会議」
尊敬する議長、著名な科学者、そして教授、学者の皆様。きょう、このように第五回「科学の統一に関する国際会議」に参加された皆様を心より歓迎する次第です。特別にこの会議に引き続き参加してくださった皆様。誠にうれしく思います。
皆様は、多年にわたって絶対的な価値の問題を討議してこられましたが、今年も「絶対価値の探求」というテーマのもとに、きょう再びここにお集まりになりました。
人間と宇宙万象の存在の始原
絶対的な価値を究明しようとすれば、人間と宇宙万象の存在の始源を明らかにしなければなりません。宇宙の始まりが「有」からか、「無」からかということが問題になりますが、皆様も御存じのように、自然科学も、社会科学も、哲学や宗教も、無の世界から真理を探求するのではなく、有の世界からある原因的存在を探し出し、そこから始まって生成された人間を含む森羅万象の存在と運行の原理を見つけだそうというものです。結局、存在の内容を明らかにし、存在物の間を関係づけることによって、すべての存在の理由と価値を探し立てようということなのです。
物質形成に必要な最小単位を元素とすれば、それは有として規定されています。その元素形成の基本が無であるはずはなく、絶対に有から始まったという論理が成立するのです。現代科学は、物質の最小単位である原子までも、その根本となるある力によって存在すると見ていますが、その力もやはり有から生じたという結論に達するのです。
極小から拡大した大宇宙であり、原因から出発した結果だという観点から考えるとき、私たち人間も原因的な存在ではなく、あくまでも結果的な存在なので、その原因的な存在が必ずあるということが分かります。
無から有が発生したという一部の学者たちの非論理性を是正し、起源となる絶対有から小有、大有に生成、発展したという論理体系を立てるということは、すなわち、この上なく科学的な存在がまず存在し、それが万有の原因となり、その結果である小有から大有までを連結して有機的に作用するようになるということなのです。
このような点から見て、従来の進化論は再検討されなければなりません。進化しようとすれば、作用しなければならず、作用しようとすれば、力によってのみ可能なのですが、それならば、作用しながら、より大きい力を生み出すことができるのでしょうか。作用では力を消耗するだけであって、より大きい存在をつくり出す力が生じるということは絶対的に不可能なことです。力は作用すれば消耗するのが原則なのですが、それが退化するのではなく、逆に進化することが可能なのか、そしてより価値ある、高次元的なものへと発展する方向性をもてるのか、ということが問題です。
相応作用と相克作用による宇宙の発展
一見進化のように見えますが、宇宙万物の段階的生成過程において、ド•フリースの言う突然変異とい説明は決して成立しません。より価値のある発展的なものになろうとすれば、そこに第三の力が加えられずしては不可能なことです。今日、すべての動物が進化せず、人間で進化が停止したとすれば、結果的な存在である人間を生み出した第一原因的な存在の究極的目的が、明らかに人間だったということは否定できません。ここで私たちは、まず「第一原因的存在が先にあった」という論理を確立できるのです。
次は、この宇宙の中で、存在が先か、力が先かが問題になります。いかなる存在も、何らかの力なしでは、生存し、作用することができません。各存在の個体内で作用する力と存在と存在の間の作用を可能にする力があります。それでは、このような力はいかにして生じるかということが問題です。力が生じるためには、それに先立って、何らかの主体と対象がなければ絶対に生じることができません。
すなわち、主体と対象の関係が先有条件となって、力が生じるのです。例えば原子にも、主体である陽子と対象である電子があって、初めて作用するのです。力の作用は、主体と対象が一つになるための目的から始まるものなので、力が先か、主体と対象が先かと問う場合は、間違いなく主体と対象が先であって、力の作用は、主体と対象が一つになるための過程的現象なのです。
そして、この主体と対象との関係の差と軽重によって、力の作用がそれぞれ異なるので、様々な力が作用するたびに、その方向性と目的性が変わるようになっており、それによって多種多様な存在世界が形成されるのです。このように、いかなる主体と対象の間の力の作用にも、方向性と目的性を帯びて作用するようになっているのは、第一原因的存在の中で基本的な主体と対象が先に存在し、方向性と目的性を帯びて作用しているからなのです。
個体内で主体と対象が完全に一つとなった存在は、他の存在と関係を結ぶために、主体的立場、あるいは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より大きな方向性と目的性を帯びた存在へと発展するのです。主体的存在と対象的存在が作用するところでは、常にある共同利益のためにやりとりしながらより大きな存在に発展するのです。