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Monday Jun 06, 2022
平和経 第225話
Monday Jun 06, 2022
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21.言論の規範と記者の責任
日付:一九八九年三月二十三日
場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショアハム•ホテル
行事:第十回「世界言論人会議」
尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。ワシントンDCで開催される第十回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことを、誠にうれしく思います。今年は、選ばれた主題の発表者だけではなく、参加者の皆様が、歴代のどの会議よりも立派な方々がいらっしゃると聞いております。皆様にお会いできて、誠に喜ばしい限りです。ほとんどの方は、今回初めて参加されたことと思います。私が皆様にお会いして喜ぶように、皆様も私に会って喜んでいただければ幸いです。
皆様も御存じのように、私は本来、宗教指導者です。それにもかかわらず、私の活動領域は宗教に限られていません。私は言論に対しても、多大な関心をもっています。一九七五年以来、私は世界各地で多数の新聞社と出版社を設立してきました。
一九七五年に、日本の東京で日刊紙「世界日報」を創刊し、一九七六年には、ニューヨークで「ニューズ•ワールド」紙と「ニューヨーク•シティー•トリビューン」紙を創刊しました。アメリカの主要都市でスペイン語の日刊紙「ノティシャス・デル•ムンド」も発行しました。一九八一年からは、ウルグアイのモンテビデオで、日刊紙「ウルティマス•ノティシャス」を製作し、中東地域では「ミドルイースト•タイムズ」紙を発行しました。しかし私は、アメリカの首都ワシントンDCで、代案の声を出す人物として最もよく知られています。百二十八年の歴史をもつ「ワシントン•スター」紙が廃刊になってからは、ワシントンには、ただ一つの新聞だけが残りました。
「ワシントン•タイムズ」は創刊して七年にも満たないですが、優秀な新聞として成長し、秀でたデザインと編集内容で多くの受賞経歴をもつようになりました。この新聞は、アメリカで最も多く引用される三大新聞の一つとして、AP通信社によって選ばれました。
ワシントン・タイムズ社はまた、週刊誌「インサイト」と月刊学術誌「ワールド•アンド•アイ」を発刊しています。さらに、私が行ってきた韓国では主要日刊紙「世界日報」を創刊しました。この新聞は二ヵ月足らずで、発行部数が百万部を超えました。私はこのような出版物の発行に加え、言論の倫理と責任に関連した問題を探求するために、一九七八年に「世界言論人協会」を創設しました。
ここで、宗教指導者がなぜ多くの資金を投入して言論事業に力を尽くすのかという疑問があるようです。私がそのようにする理由はとても簡単です。それは言論によって支配される時代だからです。電波媒体と印刷媒体は、今まで地上に知られた最も強力で影響力ある伝達手段です。
紛争に苦しみ、互いに異なるイデオロギーが衝突する世界で、私たちが平和に暮らすのか、それとも戦争に巻き込まれるのかを決定する上で、言論は重大な役割を果たします。私の究極的な目標と願いは、恒久的な平和、言い換えれば真の価値観、すなわち真の愛に基づいた平和を実現することです。このような目標の達成は、軍事力によるよりは、言論の活動によるほうがはるかに大きい可能性をもっています。それだけに、この会場には、全世界から来られた最も影響力のある方々が集まっていると言ってこそ、正確な表現になるでしょう。言論人は人類の将来を、より良い方向か、または悪い方向に導いていける影響力をもっています。
言論は、強大な力を保有してはいますが、多くの自由国家では、世界の大多数の職業と比べ、顕著なほどにその言論活動を規制する法律がほとんどありません。そのような状況において、言論の自由という名のもとで強大な力を振りかざすことを念頭に置かずにはいられません。したがって、言論人たちは絶えず自省する努力を傾けなければならないということは自明の理です。
自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。
創造主であられる神様は、人生の目的を既に定めておられます。人間の精神的幸福は、神様がお立てになった法度に従って人生の目的を実現してこそ得られます。人間がこのような原則から外れるならば、自然法則を違反したときのように自己の破滅を招くことになるのです。
私がこのようなことを話すのは、人間というのは、言論人や学者、聖職者、さらには夫や妻などの区分を問わず、誰もが神の子だからです。私たちは、自分たちを創造してくれた神様の息子であり、娘なのです。人間の神性と特有の尊厳性は神様に由来しているのです。人間の第一の責任は、神様から賦与された人間の価値を守るために、自由を行使することです。これを履行するためには、私たちは神様から賦与された根本的な道徳律に従って生きなければなりません。
アメリカは、個人の自由に高い価値を与える国です。アメリカ人とアメリカに住む人は誰でも、好きなだけ神様をあがめることができ、集会の自由があり、いかなる内容でも出版したり話したりすることができます。同時に、アメリカの建国の父たちは、自治という概念を強調しました。私たちは今日のアメリカにおいて、自由があふれている反面、自治が欠如していることを発見します。
言論が自由でなければならず、独立的でなければならないことは自明です。そして、独立的な言論は、道徳的な言論にならなければなりません。それでは、道徳言論とは何を意味するのでしょうか。道徳言論とは、神様から与えられた人間の権利と尊厳性を保護し、維持しながら、増進させるために自由を行使する言論です。人間の権利と尊厳性の保護が、すべての倫理と道徳性の基準にならなければなりません。
ですから、道徳言論は、人権と自由の守護の最前線に出なければならず、いかなるたぐいの不正に対しても対抗しなければなりません。このようにすることだけが、世界平和を保障する最善の方法なのです。道徳言論は、あらゆる形の抑圧に対抗する闘いの先頭に立たなければなりません。さらには、道徳性の回復という次元において、腐敗と人種差別主義に対抗し、不当に差別や迫害を受ける人々を保護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用と猥褻な書籍、その他、私たちの社会における多くの破滅的な悪習と対抗して闘うときに先頭に立たなければなりません。そうして、道徳言論は、私たちの社会の良心にならなければならないのです。
今年の会議には、ソ連と中国の言論人の代表の方々が初めて参加しました。私たちは、ソ連と中国から皆様をお招きできたことを誠にうれしく思います。共産主義世界は、急速に変化しています。私は、ソ連のグラスノスチとペストロイカという新しい開放・改革政策と中国が採択した改革政策に賛辞を送ろうと思います。ソ連と中国のこのような変化に対しては、両国の言論が主導的な役割を果たしています。「世界言論人協会」は、皆様が参加する今回の会議において、自由で公開的な討論が行われるように進んで努力をしています。
民主主義世界と共産主義世界は共に、腐敗と貪欲、搾取など、諸般の問題を解決するために努力しています。しかし、この両世界ともが、依然としてこの目標を実現することができずにいます。私の見解では、両社会は共に根本的な問題を抱えています。両世界は、自分たちの問題を、神様を排除したまま解決しようとしています。神様は忘れられた存在なのです。私たち人類が神様を捨ててしまったことは、今世紀の最も深刻な問題です。皆様が全体主義や無神論的世俗主義の名のもとで、神様から離れるならば、いかなる場合においても自己破滅という同じ結果を招くようになります。共産圏と西側諸国は、このような根本的な問題と闘っているのです。
私は、言論が抑圧を受ける所では、言論の自由な表現を増進するために、そして言論の自由が既にある地域では、責任言論を具現するために「世界言論人協会」を創設しました。さらに一歩進んで、私がこのように意味ある団体を立てたのは、真実報道の精神を鼓舞し、言論に携わる人たちが、妥協しない真理の闘士になるようにすることにあります。
私たちは、「世界言論人会議」をほぼ毎年開催してきており、言論人のための世界視察旅行を数回推進しました。このような実態調査の旅行の対象国家には、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中米国家などが含まれます。言論人たちはこのような旅行を通して、現地の実状を取材し、世の中を直接体験できる機会をもつようになります。諺に「百聞は一見にしかず」という言葉があります。この言葉のように、言論人たちは事実を正確に報道するために、常に世の中の状況を見ていなければなりません。私たちが今回の会議で数日間にわたって議論するテーマは、「自由で道徳的な言論活動の考察」という重要な内容です。
最後に、皆様は、テレビや皆様の新聞で、私に関する内容をたくさん御覧になっていることと思います。皆様はレバレンド•ムーンに関する興味深い話が、新聞の販売部数を上げ、より多くの視聴者をニュース番組に引き込むのに役に立ったという事実を認めるでしょう。
このように私は、長い間、皆様のお役に立ってきたのですから、今度は私が何か一つお願いをしたとしても、御了解くださるのではないかと思います。そのお願いというのは、私の思想と生涯を一度研究していただきたいということです。心の扉を大きく開いて、一度研究してください。そして、皆様御自身で結論を下してください。今回の会議は、そのような研究を始めるのに絶好の場となるでしょう。
ワシントンDCに滞在しながら会議に参加する間、楽しい時間をお過ごしください。御参加くださったことに感謝申し上げ、神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあることを祈ります。