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Wednesday Jun 22, 2022
平和経 第251話
Wednesday Jun 22, 2022
Wednesday Jun 22, 2022
原因を知ってこそ治療ができる
疾病に苦しむ人を救うためには、その疾病の原因を探り出して治療しなければならないのと同じように、人間社会がこのような罪悪と不幸の苦痛から解放されるためには、この罪悪と不幸の根本原因を明らかにして治さなければなりません。その根本原因こそが人間始祖の堕落、すなわち原罪です。したがって、原罪という病気の原因を除去しなければ、人間世界から罪悪と不幸の根を抜き取ることはできないのです。どんなに多くの偉人や英雄、博士学士、政治家、哲人が現れて、法律や制度の改善、倫理道義教育などでこの世界を正そうとしても、人間堕落の原因、すなわち原罪を解明しなければ、それは不可能です。どんな薬を使っても効き目がありません。罪悪と不幸の根本の根が生きており、引き続き生えてくるからです。
しかし、宗教では私たちに人間が堕落したという事実を教え、この堕落の内容を明らかにして人間を罪悪から完全に救援しようとされる神様の摂理を直接、間接的に教えてくれています。ですから、すべての宗教は、この罪悪世界を善の世界へと変化させ、救援する最も積極的な処方なのです。
「宗教」という言葉は、すべての教育と教えの中で最高の教えであるという意味です。孔子、釈迦、イエス、ムハンマドのような四大聖人の教えをはじめとした各宗教の創始者たちの教えは、時代と環境を超越して人間の良心と道徳を守り、文化を発展させてきた原動力でした。したがってすべての宗教は、罪悪の世界を清算し、神様と人間が望む理想世界建設のために共に働く存在であり、協力者なのです。その中でも、神様の救援摂理が最も直接的に啓示されている経典が、正にユダヤ•キリスト教の聖書です。
罪悪の血統を清算する復帰摂理
聖書によれば、人類の歴史は、人間始祖アダムとエバが堕落し、偽りの父母となることによって喪失した神様の創造目的を再び回復しようとされる復帰摂理であることを知ることができます。偽りの父母になったアダムとエバに代わり、全人類を生み変えるために、メシヤ、すなわち真の父母が来られなければならないというのが、聖書でいうメシヤ思想の要点です。
アダムは人類の真の父にならなければならず、エバは人類の真の母にならなければならないというのが、神様の創造本然の目的でした。この創造目的を再度原状回復するために、神様はアダムを再創造される摂理をせざるを得ないのです。これがまさしく、イスラエル選民を準備してイエス様を誕生させた摂理の骨子です。
神様は、アダムとエバが堕落してサタンの血統を中心とした人類が生み殖えると、すぐに善と悪の血統を分立する役事を行われました。アダムの家庭で、神様の相対的立場にいる次子アベルと、サタンの相対的立場の長子カインを分立し、カインがアベルに自然屈伏するようにさせることによって、創造本然の秩序を原状回復しようとされたのですが、カインがアベルを殺害することによって、長い間にわたって善悪分立の闘争歴史が展開するようになったのです。
ノア、アブラハム、イサクを経てヤコブの代になり、母リベカの協助により、双子の兄エサウを自然屈伏させることによって、ヤコブはイスラエル選民を立てる決定的役割を果たしました。ヤコブの息子ユダにより、その嫁タマルはペレズとゼラという双子の兄弟を身ごもりました。ペレズは、タマルの腹中でゼラと争い、先に生まれようとするゼラを押しのけ、自分が先に生まれた息子です。善悪闘争である長子と次子の争いは、腹中で弟が兄に勝ち、長子として生まれる腹中復帰を成就させたのです。
腹中復帰によって生まれたペレズの血統を通じて約二千年後に誕生したお方が、メシヤとして来られたイエス様でした。イエス様を身ごもり、生むときには、母マリヤの命を懸けた冒険と精誠がありました。神様の救援摂理は、すなわち復帰摂理なので、サタンになったルーシェルの誘惑によって不倫な性関係を結んで堕落してしまった結果、人類に伝承された罪悪の血統を清算する、そのような復帰摂理を行わざるを得ませんでした。それが正に、カインとアベルからイエス様が誕生されるまでのイスラエル選民の歴史だったのです。
したがってイエス様は、堕落によって偽りの父の立場に落ちたアダムを、善悪分立闘争の復帰路程を経て蕩減復帰した基台の上で、人類の真の父、すなわち第二の善の人類始祖として来られたのです。ですからイエス様は、その相対格であるエバの立場にいる女性を復帰して夫婦となり、子女を生み、万物を主管される位置まで進まなければならないのです。これがまさしくイエス様がメシヤとして来られた目的でした。
アダムとエバを創造され、「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」とおっしゃった神様の三大祝福を復帰するために、イエス様がメシヤとして来られたということです。イスラエル選民は、父として来られたお方をメシヤではないと不信し、十字架で処刑してしまいました。
これはどれほど啞然とする親不孝であり、途方もない罪悪でしょうか。十字架で亡くなられたイエス様は、再びこの地上に来ると再臨を約束され、それと同時に「再び来るときは新郎として来るので、地上の人類は新婦の装いをして待たなければならない」という内容を語られました。
ヨハネの黙示録第十九章を見ると、そのイエス様の再臨は、地上に来られ「小羊の婚宴」をされると記録されています。これは正しく、エデンの園のアダムとエバが堕落していない家庭を築くために、真の夫婦と真の父母の位置を復帰するという内容なのです。