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Wednesday Aug 10, 2022
平和経 第294話
Wednesday Aug 10, 2022
Wednesday Aug 10, 2022
14.「鮮文ピースカップ」創設の意義
日付:二〇〇二年六月十二日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:「鮮文ピースカップ」創設大会晩餐会
尊敬する内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょうのこの場で、皆様と貴い時間を共に過ごすことができ、心からうれしく思います。特に今回、韓国と日本において開かれている第十七回ワールドカップ大会に参席され、そのお忙しい中でも、本大会に参加してくださった指導者の皆様に、重ねて心からの感謝をお捧げいたします。
平和世界実現のために精誠を尽くした八十年以上の生涯
きょう六月十二日は、ワールドカップが開幕して十三日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱くしています。連日、異変と波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種や理念、国境を超越し、感動と友情の祝典が繰り広げられています。
きょう、私たちがこの場に集まって深く考えてみることは、スポーツを通じた人類平和実現の道を模索しようということです。今まで私は、聖書の記録のように、「平和をつくり出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれる」(マタイ五•九)というみ言の実践と天意に従い、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど、各分野において、八十年以上の生涯をただ一つの道、神様に侍り、神様のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和の世界を実現するために、あらゆる精誠を尽くして生きてきました。
皆様もよくご存じのように、和平や平和という問題は、今まで長い歴史の期間を通して、全世界がすべての手段や方法を動員し、あらゆる努力を注いできましたが、ある一つの国家の政治力や経済力、軍事力だけでは、完全に解決できるものではありませんでした。
問題は、最も近い家庭から氏族、民族、国家、そして世界を越えて天宙までも含めて通用する根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。
真の理想、真の愛、真の生命、真の血統、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に、人間の希望です。それでは、理想であれ、幸福であれ、愛であれ、平和であれ、その起源は、どこにあるのでしょうか。それは、ただ一つ、相対のために奉仕し、犠牲になって、ために生きるところにあります。そこに根本真理があるのです。
宇宙の根本原則はために存在すること
宇宙は、神様のように互いに、ために生きて存在することを根本秩序として存在しています。神様は、知恵の王であられ、全能のお方です。ですから、すべての存在世界において、真の愛と真の幸福と真の平和を成し遂げるためには、その世界で主体と対象が互いに、ために生きては、またために生きる、そのように存在するようになっているのです。
すべての存在は、二重目的をもつ連体です。存在の中心には、より大きな全体のために生きようとする性相的な目的と、自体を保護し、自体を存続させようとする形状的な目的があります。
例えば、陽子と電子の作用によって原子が存在し、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子でできた栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して動物の餌になります。動物と植物の問においても、酸素と炭酸ガスを交換します。蜂と花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が互いに授受作用をして、一定の距離を維持しながら公転と自転によって運行されています。
このように、すべての存在は、互いに、ために存在しているという宇宙の根本真理があることを、私はいち早く悟りました。この原則が適用される場、言い換えれば、父子の関係にこれが適用されるならば、真の父母がそこに存在するようになり、真の息子、娘がそこに存在するようになるのです。
ために存在するのが、宇宙の根本原則です。この原則の上に立ってこそ、すべての幸福と平和と理想と真の愛が完成するのです。
互いにために生きなければならないという公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して互いにために生きる世界を成し遂げるならば、その世界が正に私たち人間が願うユートピア的真の愛の世界であり、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界だということは間違いありません。「ために存在する」というこの原則を掲げていくならば、どこにも通じない所がないのです。
もし皆様が霊界に行くことになったとしても、ために生きる真の愛を実践したならば、神様は、天地の中心存在としていらっしゃるので、そのお方から千年、万年福を受けて暮らすようになり、それ以上の幸福はないことを知ることができます。
ために生き続ける存在は中心存在となり、中心存在となることによって、完全に統一的な環境や平和の世界をここで造成できるという事実を、私たちは知らなければなりません。いくら数多くの宗教があり、数多くの教典があったとしても、その核心の教えは、「ために存在せよ」というこの一言に帰着するのです。
真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教はどのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神様のために生きて、先に犠牲になろうという宗教が真の宗教であり、理想的宗教であり、万民を平和の場に導き、幸福の場に導く宗教であるという結論も、皆様は知ることができるでしょう。
相対的概念から生まれる平和
平和は、相対的な概念から生まれる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福になることはできません。このように考えると、私が一つになろうとするところから幸福が生まれるのであり、平和や、私たちのあらゆる理想的な要件も、私が一つになろうとするところから関係が結ばれ、出発がなされるのです。
人の力だけでは、人間世界において平和の紐帯を結ぶことができません。なぜかというと堕落した人間は、それぞれ自分だけがうまくいくことを考えます。互いに利用しようと考えるのです。自分の利益を追求し、自分を中心として良いものを結びつけようとします。
ここに来られた皆様はそうではないですか。指導クラスの人士だとしても、自分を中心として主導権の争奪戦を行い、自分の利益のために闘って大騒ぎしています。今までのこの世の中では、これが私たちの生活の本質的な基礎になっているのです。自分だけのために生きる世の中では、闘いに終わりはなく、継続されるのです。
ここで、私たちの体の構造を見てみましょう。この目は、自分のために生きようとして生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。口は自分のために生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。この耳は自分のために生じたのでしょうか。相対世界の音を聞くために生じたのです。
鼻は自分のために生じたのでしょうか。手は自分のために生じたのではありません。さらには、男性と女性の生殖器官自体も、自分のためではなく、夫のものは妻のために、妻のものは夫のために生じたのです。平和は、そこから、すなわち、ために生きようとするところから生まれるのです。母親の体は、母親だけのためのものではなく、夫と子女のために存在するようになっています。
一つの平和な世界、ために生きる世界をつくるために、私は妻と共に、全生涯を通して様々な方面に努力を注いでいます。その中でいくつか代表的な例を挙げるならば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越し、未来世界の基盤を固める超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)、超与野党教育活動をしてきました。また「世界平和統一家庭連合」では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。学術分野においては、アメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に尽力しています。
さらに、言論分野においては、既にアメリカの「ワシントン•タイムズ」とUPI通信社をはじめとして、韓国と日本では「世界日報」、そして南米、北米のすべての国々をカバーする言論機関をつくり、やがて世界百八十五ヵ国に拡大され、世界が一つになって協力する上で、大きく寄与することになるでしょう。