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Wednesday Sep 07, 2022
平和経 第337話
Wednesday Sep 07, 2022
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南北統一はどこから何によって成し遂げられるのか
ですから、南北を統一できる方案は、南と北のために死ぬことができる群れになる道しかありません。それ以外に、統一できる道はありません。心から一緒に暮らしたいという心がなければならないのです。人間はどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路はどのように行くべきか、ということを念頭において見るとき、その骨子を要約すれば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。一つになって永遠に一緒にいたいと思い、一緒に暮らしたいと思う心です。上下を問わず、一緒にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、一緒に暮らしたいという思いに徹した人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。
「一緒に暮らしたい!」という、その内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に「一緒に暮らしたい」という思いがあるでしょうか。明らかに、私たちが共に暮らすことができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。
このように見るとき、上下、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通して認定できる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛です。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万人をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。したがって、愛国者の心のように、民族と共に暮らしたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びではなく、私たちすべての永遠の喜びとして残るものでなければならないと誓う、真の心情基盤が問題なのです。真の愛と心情の関係をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。
皆様。学歴のない女性でも、博士と結婚して愛の関係を結べば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に暮らそうという情の関係をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席できる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方なので、一つになることができる生活内容をもてば、同参できる資格が自動的に付与されるのです。
それでは、南北統一はどこから、何をもって成し遂げるのでしょうか。力で屈服させれば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。そのやり方では、統一を成し遂げることはできません。たとえ韓国の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと一緒に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道は開かれるのです。北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、「あなたたちの困難と共に私は生きている。解放の一日を準備し、あなたたちの前に現れるであろう」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
皆様。その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に暮らしたいと思わず、郷土とともに慕らしたいと思わない人が国を愛するというのは偽りです。国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして、世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。
政治の指導者たちは国をどれほど愛しているでしょうか。彼らに、国民と真心から一緒に暮らそうという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。分かれた南と北がそのまま一つになることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服できる心の決意と実践が必要なのです。「本当に一緒に暮らしたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい!」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。
南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国の問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来と世界の将来を見通さなくてはいけません。
そして、「私は、あなたたちと一緒に暮らす運動を本当に展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の愛の相続者」、あるいは「み旨の後継者」になるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆様にこのようなみ言を伝えているのです。