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Thursday Sep 22, 2022
平和経 第351話
Thursday Sep 22, 2022
Thursday Sep 22, 2022
3.アメリカは神様の希望
日付:一九七六年六月一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。
きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキー•スタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。
今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。
救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。
ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。
それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。
アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。
皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。
アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。
愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。
皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。
皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。
一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。