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Friday Oct 21, 2022
平和経 第375話
Friday Oct 21, 2022
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神様の救援摂理とメシヤ思想
内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったということを知らなければなりません。堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。
ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と言って自覚しない限り、復帰の道はありません。漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできないのです。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできません。
皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。自分自身を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないのです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が再臨主なのです。
人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。その主流の骨髄を調べてみると本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。
主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族は、イエス様を十字架にかけて殺害することによって流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。
メシヤ思想は世界救援、理想家庭、真の父母の回復
それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させる思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」も、新郎と新婦が真の夫婦の段階を経て、真の父母になることを意味するのです。
サタンを中心とした偽りの父母によって、神様が理想とされたアダムの家庭が失われました。神様が望まれた真の家庭、真の氏族、真の国家のすべてを失ってしまったのです。ですから、今日、地上にメシヤを遣わし、その失われたものを取り戻そうとするのが摂理観なのです。
そのような使命のために来られた方、その方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと反対する群れを祝福したのです。ですから、イエス様の生涯は三十三歳で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。
人類文明の発達史とその結実地
内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最も強大な国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類の文化史を見ると古代文明の発祥は、主に熱帯圏で始まりました。
マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。文明論から見れば、人間が堕落しなかったなら、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるベきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる涼帯文明圏に入りました。それが自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。秋の季節に当たる涼帯文明が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後、戦後の冷戦体制は終わったものと考えましたが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。
本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。
それでは、誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。
そのような文化史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。
そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類の課題として残されている南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド•ムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。実際に、私が生涯を通して人種と理念と国境を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。