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Monday Nov 14, 2022
平和経 第397話
Monday Nov 14, 2022
Monday Nov 14, 2022
神様を中心とした新しいモデルを探すべき
皆様。大韓民国の主人は誰でしょうか。大韓民国を誰よりも愛し、大切にする人です。ですから、皆様が誰よりも大韓民国を大切にし、愛するようになれば、主人になるまいとしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神様が願う平和の時代がやって来るのです。私たちは神様の恨を解いて、神様を解放してあげなければなりません。
そして、神様が自由に万国を統治するに当たって、少しでも差し障りのある障害物があるならば、自分が責任をもってすべてを取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管する堂々たる絶対者として侍るという信念をもった若者がいるならば、その人は実に偉大な若者です。そのような若者によって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。
皆様が、実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、限りない希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の土台になるのです。取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが、互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければなりません。そのような基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱することがなければ、そのような基盤を通して、世界に平和の天国が連結されるのではないでしょうか。
東西南北を中心として、四方に広がって立てれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されなければならないでしょうか。牢獄からつくられなければなりません。牢獄に入って、イエス様のように主管性を復帰した基準と本性的基準の自律的な平和の心情をもって、感謝の歌を歌ったことがありますか。それが問題になるのです。
神様はかつて、使徒たちがそのような立場にいるとき、それを天国化するために牢獄の門を開け、自由に行動できる権限まで賦与したのではないでしょうか。神様は、皆様がかつてのその使徒たち以上に希望と期待をもつ資格を備えることを願っています。終末には、新しい創建の方向を、現世と反対にしなければ生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。それが新しい統一の歴史的な方向性です。第三者を犠牲にしてきた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和は訪れないのです。
私たちは、いかにして十字路を越えるのでしょうか。自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく、国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。それを段階的に、正常に何ら妨げるものがなく行路を通過していくならば、すべての怨讐が待ち受けている十字路は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由化が形成されるようになり、天地に平和の王国、神様の願われる理想世界が実現されるのです。
この世界でも、神様を中心とした新しいモデルを探さなければなりません。家庭での父母が子女を愛する道理が、今日、人倫と道徳の原則になるのではないでしょうか。父母、夫婦、子女の関係を中心とした、統一教会で言う「四位基台」の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を、いかにして決定するかということです。
統一と平和の世界、そして真の愛
世界を掲げて統一と平和を夢見るには、そのような基本問題が残っているので、これを決定しなければ統一世界の到来は不可能です。個人的な男性の形態と女性の形態を中心として、家庭的な形態を形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆様は知らなければなりません。自分が犠牲になり、自分の家庭や国が犠牲になったとしても、国家や世界が良くなる新しい価値観をもって出発できる、そのような思想的な体系があるならば、その思想的な体系を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。
一つが上がれば、別の一つは下がるのであり、一つが下がれば、別の一つは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので、罪悪から脱出できる一つの方向性を備えて勝利の天国を創建する時がやって来るのです。包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、「怨讐を愛しなさい」と語られました。
これまでサタン世界には平等圏がありませんでした。その平等圏をつくる作戦とは何でしょうか。サタン世界で他のために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら、打った人々を屈服させ、恩恵を与えることによって完全な平等圏が生じるのです。怨讐の対決圏を解消する舞台を、このように築いてきたので、ここに初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まります。
天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシヤや、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を負わせ、犠牲を払わせてきたのです。ですから、多くの聖人たちがやって来て、その部分を死で塊めていきました。多くの国々が栄えては滅んでいったのは、その谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等をつくりました。平等とは、平和だということです。
本来、神様の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバが一つになることによって、神様が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う「四位基台」です。この四位基台を完成する基盤を失ったので、いかなる歴史時代を経たとしても、これを設定しない限り、人類の平和やユートピア、理想世界というものを描いてみたところで、何の役にも立たないのです。原則を否定し、原則を離れては、理想郷はあり得ません。
二千年間、ローマ帝国の迫害時代に、形容し難い迫害の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマをのみ込んで余りあったキリスト教が、今日、自由主義のアメリカでは、第二次世界大戦以後の数十年間で、どうしてあんなにも衰えてしまったのか、それが謎です。ユダヤ教が神様を信じ、愛しているのに、なぜヒトラーが六百万人を虐殺したのでしょうか。理解のできない謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったからです。「終わりの日」に、民族を中心として、神様の本然の真の愛と接触点をもたなくなる時は、サタンの餌食として完全に砕けていくのです。
それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知識人たちも語っていますが、世界を指導する人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力と政治力を中心として指導する能力のある人はいくらでもいます。お金がなく、政治体制がなくて、それができないのではありません。神様の理想に通じる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこから初めて平和の起源と私たちの本心が安息できる理想郷が出発するのです。
真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地において、神様の心情に通じる真の愛であれば十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れるとき、大宇宙は私の友となるのであり、そのような真の心情に徹して天下に現れるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。今後、人間世界に理想世界がどのように訪れるか分かりますか。真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は見いだせないのです。
ローマを見てください。アメリカを見てください。アメリカはお金がなくて滅びるのではありません。真の愛の器官の主人が誰なのか、何に由来して創造されたのかを今まで知らなかったのです。サタンのゆえに知らなかったのです。それを明らかにするために、天地のすべての邪悪でよこしまな性の問題で、サタンがめちゃくちゃにしたすべてを一掃するために、真の父母の名をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。
寒帯地方からの風が温帯地方に吹きつけることによって、温帯圏内のすべての木の葉は枯れ落ちるのです。それで冬になって、実まですべて落ちるようになります。しかし、そのような中でも生命をもつ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えます。
解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎えるその時代において、真の生命の種をこの天地に蒔けば、二度と冬を迎えることのない解放の温帯圏に進出するようになるのです。統一教会の思想とぴったり一致します。
自分自身を是正するためには、困難な道を歩まなければなりません。南北を統一するほうが簡単でしょうか、自分の一身を統一するほうが簡単でしょうか。南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、内的な自分自身の統一はできません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現することができません。世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の見込みはいつでも、どこでも見いだすことができるのです。
過去と現在を照らし合わせてみると、結果は必ず一つの目的に向かって進むのです。一つの目的とは統一であり、平和です。一つの平和なのです。二つではありません。しかし、私自体は統一をいつ実現するのでしょうか。私が統一できないのに、統一された世界を管理できるでしょうか。それは理論的に通じません。ですから、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻です。宇宙史的な問題なのです。
アダムの時には国がありませんでした。自分の家庭さえ収拾すればいいのです。家庭さえ正しく立てればいいのです。結局は、良心と肉身の一体と家庭の一体です。夫婦、男女が一つになることが、世界的な問題です。これが一つになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解くならば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体を完成すればよいのです。
この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うからです。男性と女性は二人で闘うようになっています。ですから、世界平和の基地はどこでしょうか。韓国でもなく、日本でもなく、アメリカや世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争するその拠点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。