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Saturday Dec 03, 2022
平和経 第417話
Saturday Dec 03, 2022
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実在する霊界
皆様。人間には心と体があり、心の上位には霊人体があり、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は実在されます。そして、人間は、真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。
このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、全体歴史を代表した存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値を備えるようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知れば、生きていくときに、心を先に立てて従っていく人生を生きていくべきだということが明確になるでしょう。
それで皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知し、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従して生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されるのです。神様の創造がそのようになっています。
人間の構造をよく見ると、神様は、本来人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり、主人として立てるために霊人体を創造されました。したがって、人間は、地上界で百年くらい生きて肉身の役割が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長です。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷なのです。
霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的存在です。
人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きて死ぬのですが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食ベ、裕福に暮らす人も、結局、死ぬのではないですか。したがって、皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を形成して暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体になった人生の土台の上で、初めて完熟した霊人体が結果として実っていくのです。
皆様。秋になって、倉庫に入っていく、よく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。無精で見識のない主人に出会った果樹園の果物は、あらゆる疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物というわけではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。
木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を形成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。
また、地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様の姿は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿です。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れるのです。
神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自分の審判官になるということです。このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で、快楽ばかりを追い求める背徳の人生で終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるよう願います。しかし、霊人体自体が真の愛の人生を主導し、実践できるのではありません。皆様の霊人体は、必ず体と心の円滑な授受作用によって展開する肉身の人生を土台とした真の愛の人生を通してこそ成長し、完熟し、完成するのです。
しかし、皆様の中では、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、争っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか。百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間を、そのように不完全な状態で創造されたのではないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切り、内なる人である良心の道に従って人生の勝利を達成することが、皆様の人間たる義務であり、責任だということを知らなければなりません。このような人生を生きる人は、天運も共にあり、霊人体を完成することもできるのです。
皆様。天国はどのような所で、地獄はどのような所だと思いますか。どのような人たちが入っていく所が天国でしょうか。間違いなく存在するとすれば、そこはどこにあるのでしょうか。天の向こう側の銀河系の外でしょうか。それとも、人間の想像力の所産でしょうか。人間ならば誰でも、一度くらいは自問し、苦悶してみた内容でしょう。
一言で言えば、天国とは、神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容となっている世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って次の世界の霊界に移っていく人生を生きる人たちの世界です。したがって、その世界には、反目や嫉視があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。お金や名誉、あるいは権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜ぶことは全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。
天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸して暮らす世界です。いつも、どこでも、生命が躍動する世界です。構成員のすべてが真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も、真の愛のために存在されるのです。
そうだとすれば、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛とは、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたことすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛が真の愛です。神様の人類創造は、何の見返りも期待せず、条件もつけずに与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造です。