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Sunday Feb 04, 2024
御旨と海 第1話
Sunday Feb 04, 2024
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序文
1987年 3月
レバレンド・ムーンは遥かに遠くまで及ぶ目標と広範囲な内容のビジョンを持った人です。そのビジョンはこの世界、特にそれを占有している人類が、神様との関係を結ぶために創造されたという確信に基づいています。ところが人類歴史と現在までの出来事は、私達がそのような人ではないことを全く示しています。私達は神様に喜びと栄光を帰す代わりに、あるいは互いに尊敬と愛をもって生活する代わりに、個人主義的な闘争と頑迷な無知で歴史を継承し、現在もそれに参加しています。
人類歴史を通して苦しんだのは、人類自身だけではありませんでした。親の立場と心情からすべてのものを創造した神様は、自分の子供達の人生に、より多くの惨めさをもたらした不注意な行為から来る苦痛に、間違いなく絶叫しています。人はこの神様の苦痛と人類の悲惨さを感じる時、どのように反応するでしょうか。人はこの危機に陥った世界にどのように対し、過去の偉大な予言者達や宗教指導者達がやり残した仕事を、どのように引き継ぐであろうか。「十字架をとりて、我に従え」との呼びかけを聞く人は、どのようにしてその呼びかけに真に応え、その意味するところを十二分に生き抜くでしょうか?
レバレンド・ムーンは幼いころより忍耐し、苦痛を味わいながらこれらの疑問に思いを集中させて来られました。何年もの間、聖書を研究し、熱心に祈祷し、そしてその調査結果を厳密にテストする毎日の生活を通して、これらの答えを発見されました。レバレンド・ムーンは解決するにはただ言葉を語るだけではだめであり、毎日の生活の中でそれらの言葉を現実に実行しなければならないことに気付かれました。先生が始めた、新しくかつこの世界にとって、極めて必要とされるメッセージをもたらすという骨の折れる仕事については、ある程度、文書によって示されていますが、未だに十分ではありません。
この本の中に含まれている十三の説教と数多くの抜粋は、レバレンド・ムーンのビジョンの一部です。実際、それらは神様を男性達女性達の生活の中に、そして世界を神様の懐の中に呼び戻したいと、真に願っている一人の人の大いなる希望と、実際的な計画を示しているのですから、一部でも特別のものです。レバレンド・ムーンがある企画に自らの手を付け、心情を向けるときは何時でも、それが大きな計画であろうと小さな計画であろうと、この一つの願いによって動機づけられています。それゆえに、海についてのビジョンもその例に漏れません。
レバレンド・ムーンは、人類が長い間の貧困と広範囲に及ぶ暴力のために、大きな痛手を蒙って来たことを認識しています。私達の地球の環境も同様に、何世紀にもわたって続いている、とどまることを知らない愚かな使い方、すなわち乱用によって苦しめられています。人類はその外的な技術発展を導くだけの内的感受性、霊性を発達させることに完全に失敗しています。このようにして私達は、世界基準での生存を脅かされる一つのジレンマに直面しています。
レバレンド・ムーンはこのような状態を、世界的スケールと個人的スケールの両面において癒す仕事の必要性を認識しています。善なる世界を持つためにはその中に善なる男達と女達がいなければなりません。善なる男性達女性達を持つためには、まず第一に善なる神様を中心とした家庭の中で育てられた善の子女達がいなければなりません。そのような家庭から善なるコミュニティー、社会そして国家が成長発展することができます。このようにして神様の霊を吹き込まれ、人類の手によって建設された善なる世界が展開することができます。
悲惨なことに私達は、神様の前に置かれている自分達の貴重な価値について、しばしば気がつかないでいます。それゆえにそれに従って行動することもできないでいます。言い換えれば、私達は人間の責任について無知であるし、またその厳密さを十分に証明もできません。今日の若者達は特に、死の方向に向かって進んでいるように見えます。この混沌とした世界の中に、愛なる神様の存在を経験するのは難しいと感じるのです。その結果、彼らは諦め、麻薬や未成熟で不道徳な愛や、自己目的の達成のみを追及する冷笑的な生活様式、そういう破壊行為の中に自らの絶望的生活を送っています。
レバレンド・ムーンのメッセージの要の一つは「私達には目的ある生活、つまり神様の本質である愛を体験し、それを証明する生活が与えられている」というものです。その目的は私達一人一人が人間生活の基本的責任に注意を払い、それを感謝するときに初めて実現されます。
聖書の第一巻、創世記はこの目的を三大祝福という形で表現しています。これらの三大祝福こそレバレンド・ムーンのメッセージの中心であり、それがどのようにして達成されるかということについての彼の明確な説明が、全世界の人々にインスピレーションと方向性を与えています。
第一祝福は、各人が真の子女、その神様のイメージの人になることを私達に命じています。つまり「生めよ」です。第二祝福は、神様を中心とした結婚と家庭を通して表現される男と女の成熟した永続する愛の達成によって、これを発展させることを私達に命じています。つまり「殖えよ」です。従って子女達は螺旋形に拡大する愛と、安全な環境の中で育てられることができます。この最初の二つの祝福の上に築かれる第三祝福は、宇宙の中で人類が適切な位置を占めるように勧告します。つまり「地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と空の鳥と地を動くすべての生き物を治めよ」。人類は実際、貪欲と利己主義の代わりに、神様の慈愛によって力を与えられ、神様を中心としたこの世界の管理人となります。本質的にはこれらが人類の責任であり、各々が成熟される時それは素晴らしい人生の祝福となります。
レバレンド・ムーンは、このこととさらに多くのことを心に抱いて、アメリカにやって来ました。彼はこの国の若者達に特別な関心を抱いてやってきており、この関心の大きさは多くの彼の説教の中に示されています。先生は驚くほど多くの数の企画を始めたけれども、先生の努力の中心ポイントはこの国の若者達を育てることであり、そうすることによりアメリカの未来にそして世界の未来が御旨の方向へ、つまり地上天国設立の方向へ向かうようになることです。
オーシャン・チャーチは、そのような企画の一つです。レバレンド・ムーンがしばしば言われるように「未来の関心のある人は誰でも、海洋に目を向けなければならない」からです。レバレンド・ムーンは、公式には一九八〇年にオーシャン・チャーチを始められましたが、既に海洋での活発な漁業活動に十年以上の期間を費やして来られました。しかし先生が海へ行くのは単に漁をするためではありません。先生は祈祷と瞑想をするためにそこへ行かれました。先生はあらゆる種類の苛酷な条件の下で行われたこの期間の重労働の中から、現在のオーシャン・チャーチの摂理の中で展開されている具体的な計画を設定することができました。ここに述べられた説教は、それらのアイデアの発展を記述したものです。
海洋は、世界の中でもっとも豊富な資源です。それはまた、世界でもっともデリケートな資源です。海洋を正しく使用するために、男達も女達ももっとも優れた人になるように訓練を受けなければなりません。もしそれ以下の基準で海洋が用いられるならば、それもまた取り返しのつかない時点に至るまで略奪され、汚染されるでしょう。現在、既にそうされているその他の被造世界の数多くの側面と同様に、この道を免れることはできないでしょう。
レバレンド・ムーンの願いの一つは、海へ行く人達は、それに関連したコミュニティーと事業が正しく鼓舞されて、海へのアプローチの仕方をうまく結合することにあります。もし私達が自分は善なる家庭の立場にいるべきだと理解したならば、私達は全体の利益のために海洋を用いたいと思うはずです。さらに私達は、適切な保存と管理による海洋資源のバランスのとれた開発に、関心を持つでしょう。レバレンド・ムーンの説教の多くが、海洋の持つ可能性と同様、それを保護し管理する必要性についても触れています。「海洋資源が、世界の飢えを十分に満たすために大いに利用されるようになる」というのが、彼の最大の希望の一つです。
これらの問題やその他の関連した問題の解決の始まりは、献身した個々人です。以下の説教の中で、レバレンド・ムーンが海洋のあらゆる側面を、教育のための一道具と考えておられることに気がつくでしょう。どのような細かいことも、この目的にとって重要でないものはありません。先生は若い男性達女性達に船の管理方法を訓練する際、全世界に責任をもつ精神をもってそれを行なうように要求します。また先生はマグロ捕りの方法について詳細に語る際、しばしば困難で時には危険であるようなことを、未来に横たわっている、より大きくて冒険的な企画に取り組む精神をもって成し遂げるように彼らに要求しました。
レバレンド・ムーンにとって海洋は教室であるにとどまりません。それは教会の大聖堂でもあります。それは毎日の現実を学ぶ場所であるにとどまらず、心を塞ぎ、思いを堕落させるものがほとんど存在しない場所でもあります。海洋の上に出ると、現代生活からの圧迫も見栄もなく、若者の心は自然に開放されていきます。海では自然の力が人間よりも遥かに大きいのです。太陽が海上に昇る時、全水平線が開け放たれ、心は偉大な思想へと啓発されます。波が船を揺り動かす時、生活のリズム自体が心の中で鼓動を始める。人は様式、力、美そして豊富さを持った、偉大なパノラマの一部を感じないわけにはいきません。そこでは神様の存在が鋭く感じられ、また明確に知ることができます。畏怖の念は普通の経験、ほぼ毎日の出来事です。
以下の説教によって、レバレンド・ムーンがその存在の確信に触れる、まさにこれらを体験しているということを、あなたは知ることができます。ためらうことなく、先生は自分の経験を共にいる人達、そして彼の後に来る人達のために、あらゆる可能な方法で分かち合っています。海に出て行く伝統は、実際的な責任を担った詩的な心の伝統でもあります。私達が読者にお薦めするのは、そういう伝統の精神だからです。