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Monday May 13, 2024
御旨と海 第101話
Monday May 13, 2024
Monday May 13, 2024
偉大な文学
海ではどのような種類の人々が見出だされるでしょうか。勇気ある男に従う勇気ある男達です。では女達についてはどうでしょうか。
もし夫が非常にひどい下痢になって寝ているとしたら、夫に対して、どうか家にいて漁に出るのは延期してくださいと頼むでしょうか。それとも、彼女は立ち上がって「よし、では私があなたに代わってその使命を続けます」と言うでしょうか。もしその女性がそのような決意を持っているならば、船の舵輪すらも目を覚まして、今まで多くの男達の荒っぽい手で扱われて来た後なので、そのような柔らかい女性の手が触ってくれることを幸せに感じるでしょう。皆さん、女達がそのような使命を引き受けるときには、海の水ですらも皆さんに対して、荒々しくありたいとは思わないでしょう。彼らはそのような美しい女性に対して良くありたいと思います。また海の跳びはねるしぶきですらも微笑んで「私はあなたのスカートにすがりつきたい」と言うでしょう。
詩のような光景ではありませんか。このようにして偉大な詩や文学が生まれたのです。先生が海について話し始めると、まだまだ話すべきたくさんの話や伝説、神話があります。時々、先生は鳥に向かって話しかけます。すると鳥達も先生の考えていることに従うかのようにこちらに飛んで来て、止まったりするのです。そして先生が「さあもう行きなさい」と思うと、鳥達は突然飛び立って行くのです。
文学というものは、そのような自然との交わりを表現しながら書かれるものです。被造物は人間に対して「もしあなたが、私が離れたとしても愛してくれるなら、私はあなたから離れて行きましょう」と言います。人間と被造物はお互いに慕いあっています。それは丁度男性と女性のとの間の愛のように慕い合うのです。
もしある男性とある女性がエンパイヤ・ステート・ビルの頂上、地上百二階の所でデートをすれば、それは非常にロマンチックです。しかし、なぜそのようなデートがロマンチックだと考えられるのでしょうか。それはそのような高い建物はユニークであり、その二人の男女は地上の最も高い地点の一つで出会っているからです。誰も注目していないとしても、彼らは自分達が世界のトップにいる王様と女王様として出会っているかのように感じるのです。
ある男女が南極点で出会ったとしましょう。その周りには誰もいません。すべてが氷と雪だけです。ペンギンだけがお互いにキスをしています。そのようなことは想像するだけでもロマンチックな瞬間です。何か信じられない位刺激的な経験をするためには、普通の人達がしないようなこと、ユニークで挑戦的で、特別のことをしなければなりません。そういうことなくして皆さんは、刺激ある陶酔と美を得ることはできません。
アラスカ
先生は最近、アラスカへ二回行って来ました。アラスカは住んでいる人もほとんどいない神秘的な処女地です。そこは、熊や、野生の動物の土地です。大部分の人達は、アラスカは雪や氷河に覆われ、また海岸線はギザギザとしていて、白鯨やアシカやオットセイのいる所だと考えています。ある日、先生は小さな島へ行き、そこで何匹かのアシカに出会いました。彼らは先生を見るや否や、歓迎の声を上げ「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ」と叫び始めました。彼らは一斉に声を上げ、その声は非常にユニークな響きでした。しかしそこには二つの区別すべき声がありました。一つは雄の声、もう一つは雌の声でした。それらが一つに調和して、すばらしいコーラスを作っていました。
そこには鯨やハリバットもいました。ハリバットというのは平目のような平べったい魚で、三百ポンドにもなるのです。おそらく、ハリバットのことを知らない人が多いでしょう。だから神様は「お前達は哀れな者だ。私が生き物を創って、お前達に与えたのだ。お前達はここへやって来ようともしない。お前達は私の創った物を見ようとさえしないし、それを楽しもうとさえしない。お前達は哀れな者達よ」と考えておられることでしょう。
神様は勇気ある人々に関心があります。神様御自身が冒険好きであり、また神様は我々人間をそのような者として創られたのです。
アメリカの女性
先生はこういう特別の経験をした後で、アメリカの女性達はどうあるべきかについて考えてみました。アラスカで、先生はある夫婦に出会いました。その男性はそこにずっと住んでいます。そこで先生は、なぜこの夫婦がそこに住んでいるかを知りたいと興味を持ちました。「なぜ、あなたはここに住んでいるのですか」と尋ねました。「なぜなら、我々は自由が好きだからです。完全な自由を愛するからです」と答えました。彼らが説明するには、ニューヨークやその他ではちょっとどこかへ行こうとすると、すぐに誰かにぶつかります。あるいは、いつも誰か他の人の領地に足を踏み込んでしまいます。そうすると彼らは「だめだめ、それに触らないでくれ」と言います。しかし彼らが言うには、アラスカでは何年走り続けたとしても誰にも迷惑がかかりません。だから「全くの自由です」と彼らは言うのです。それはすばらしいことだと思いませんか。アラスカは法律的には、アメリカ合衆国に属していますが、この夫婦のようにそこに住んでいる人達は、文字通り国境がないのです。
先生がその女性を見ると、彼女は非常に小さくてやせていました。しかしこのアメリカ女性は、腹のある人でした。彼女はビジョンを持っており、また普遍的な心の持ち主でした。彼女は自信と確信を持っています。だから熊狩りに行く時でも、彼女は熊をやっつけることができるのです。それで先生は思いました。「これこそまさに、西部開拓のアメリカ人をして、新しい地平線へと駆り立てた女性の精神だ。これが開拓者魂だ」と思ったのです。
では彼女はどうしてこのような男性に出会い、結婚するようになったのでしょうか。彼女が打ち明けてくれた所によると、彼女は世界中を旅行して歩いたということです。そして、世界中で様々なタイプの人、文明人であり教育のある人を始めとしていろいろな人に会いました。その後彼女はアラスカに来て、心が素朴で欲のない人達に出会いました。海に出かける人達は漁師でした。また、山に出かける人達は猟師です。しかし、ここには漁師と猟師の両方を合わせた人が生きています。この男性はその心の素朴さと自然で欲のない性格によって、彼女の心を完全に虜にしました。そこで彼女は彼と結婚し、それ以来、その環境の下で生活しています。ここにおいては、彼が何をしようとも裸のまま、つまり心のまま誠実であることができます。だから、彼らが隣人に会う時、あるいは知らない人に会う時でも彼らはすべてのものを愛する以上に愛してきました。
普通は、ある漁師が自分の良い釣り場を持っていると、それを自分だけのものとして隠したがります。ところがこの人が言うには「ここは漁師の天国だ。あなたはもっと大きなものを釣ることができますよ」と言いました。この人は本当に他の者を助け、他の者に奉仕しようとしていました。先生がそこにいた時も、彼は他の人のために、餌や道具を準備し、そして先生の一行に大きな魚を釣らせようとしました。彼らは先生達が大きな魚を釣ることを望んでいました。
その日は、たくさんの魚が釣れました。先生はとてもその人に感謝し、その日の終わりに、彼に感謝の印として贈り物を上げようと思いました。ところがその男は「いや、結構です。皆さんを手伝うことが私にとっての光栄であり、特権です。もしそれを私にくださると私の栄光が失われてしまいます」と言いました。先生は後で使いをやって、どうかその贈り物を受け取ってくれるように説得しました。しかしその人は受け取ることを断固として断わりました。しかし遂にその謙遜な人は譲って、自分はレバレンド・ムーンの美しい心を見たから、その贈り物を受け取りますと言いました。そこで先生は「長い間経って、ようやく久しぶりに自分は真のアメリカ人に出会った」と思いました。
鮭
いろいろ検討した結果、鮭こそがムーニーの魚となるべきであり、鮭こそがムーニー・スピリットを象徴するものであると決定しました。雄と雌の鮭は、並んで共に川を上がり産卵の場所まで泳いで来ます。彼らがはるばるそのような旅をする目的は、卵を生むということです。そして、夫婦は卵を産む場所で川底を掘り始めます。産卵の間、雄は雌を守るようにその周りを泳ぎ回ります。やがて彼らの皮膚の色と筋肉が変化し始め、そして卵を産むという使命が完遂された後は、彼らは命を捧げて死んでしまいます。彼らの体はやがて腐敗し、そして卵からかえったその小さな魚のための飼料となるのです。
これが彼らの運命ですが、卵を産むことによって繁殖することに成功します。それは愛のためなのです。彼らは恐れることなく、共にその運命に向かって進んで行きます。これは本当に見るのは美しいことです。先生はこのような鮭の中に理想的な夫婦のイメージを見ました。すべての人類が鮭のように生きる時、神様の住み給う所が人間と共にあるようになり、神様は人間の中で幸せとなられるでしょう。なぜ神様は鮭を創ったのでしょうか。それは人間を教育し、人間が従うべき模範を見せるためでした。では、結論を言いましょう。オーシャン・チャーチは、神様の理想を教えるために創られました。海の被造物を通し、海に対する真の愛と海に対する真の主管ということを得ることができます。各自は、神様と共に共同の創造主となり、神様の創造という偉大な御業に参画し、そして被造物を友として理解することができるようになります。