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Saturday Feb 17, 2024
御旨と海 第16話
Saturday Feb 17, 2024
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人々を一カ所に集めるにはいろいろな方法があります。例えば、ハイキングとかランニングとか音楽など、先生は皆さんに、一緒にいる人を楽しくさせる人間になって欲しいと思います。石木のように、無表情で不活発ではいけません。あらゆるものに関心を持ち、簡単に興奮するような人でなければ駄目です。そうなればすぐに人々とうまく付き合えるようになります。先生がそうなのです。先生は心から楽しむことができます。だから先生といると興奮してきます。先生は決して皆さんを退屈させることはありません。
山登りをすることがあれば、先生は誰よりも速く登ります。皆さんと一緒に運動場に出るならば先生はどんな人よりも以上走ったり、跳んだりします。先生はあらゆるものに好奇心を持ち、熱狂的にあらゆるものを学ぼうとします。誰かと友達になりたければ、皆さんはその人と同じ分野で活発に行動をしなければなりません。もし皆さんに何も秀でたものがなければ、外へ行って誰かに喧嘩を売った方が家の中にじっと座って、何もしないでいるよりもずっと良いのです。少なくとも皆さんは何かをやっているし、そこから何かを学ぶことができます。
皆さんは人から殴られることもあります。そういうことがないと、人生というものが理解できないのです。それに人に殴られるのもそれほど悪いものではありません。殴られることによって、それがどういうものかを味わうことができるし、頭を使わせられるので、人生において物事を早く判断できる人間になります。ある状況下では皆さんは敏速に物を考え、即座に何かの行動をとれるようでなければなりません。それがチャンピオンです。チャンピオンはどういう状況の下でもとても活動的で、物事を極めて速やかに決定できなければなりません。またチャンピオンは前進すべきか、後退すべきかを知り、それを行動に移さなければなりません。
先生は六十歳を超えましたが、何かを話したり、興奮したりしている時は、誰も先生がそのような年だとは思いません。先生は二十歳みたいです。そしてそれはとても素晴らしいことです。皆さんはチャンピオンにならなければなりません。皆さんが優しくなりつつあるならば、初めは荒々しくなって、それから後に優しくならなければなりません。人生のあらゆる面を経験するのです。皆さんは人材が必要です。そうですね。どういう人が必要ですか。神様は皆さんのことを心配され「この人達が伝道に出ていくならば、自分と同じタイプの人しか連れてこないのではないか」と考えておられるかもしれません。神様はその人が皆さんの手中に陥らないように守ろうとされるかもしれません。ただ座って何もしない人を、神様はこれ以上求めてはおられないのです。皆さんは神学校を卒業して、修士の資格を持っています。もし誰かが近づいてきて皆さんに怒鳴りつけても怒鳴り返さなければどうなりますか。皆さんはただそこに座ってそれを黙って聞いています。皆さんは海へ出ていくつもりならば、夏の間そこでどういうことが行われるか、まず知っておくべきです。漁師達は絶えず喧嘩をしています。釣り糸が絡まって、船同士がぶつかりそうになるという緊張した瞬間が訪れます。その時皆さんは叫び声を上げ、非常に激しい言葉さえも使わなければなりません。そういう場合には、皆さんは自分の権利を守る必要があるのですから、叫び声を上げたとしても何も悪いことではありません。
何か尋常でないことが起こりつつある時、真っ先に叫び声を上げるのは先生です。もし相手が叫び返してきたら、先生はもっと大きな声で叫び返します。先生の方が正しいのだから彼らも耳を傾けざるを得ません。ニューホープ号の他のメンバー達、例えば大貫などはそんな大声を張り上げないのです。しかしある場合には、大声を張り上げて義を通した方が遥かにいい時もあります。山上では皆さんが大声を上げれば、少なくとも山彦が返ってきます。しかし、ある人達は山がすることすらやらないで、黙ってそこに座ったままでいます。山は自然です。人間も自然でなければなりません。岩ですら力には力で答えてきます。皆さんは岩とか、木材よりも優れているのではないですか。先生は一度、一晩中眠れない経験をしたことがあります。太陽が登るのすら待ち切れなくて、それが昇るや否なある人の家へ行って、戸を押し開け「私達はこの問題を今すぐに話し合う必要がある」と言いました。まあ先生は職業柄こういうことは普通ならやりません。しかし先生は心に何か引っ掛かるものがあり、しかも先生の方が正しいという確信があれば、それについて何かしないわけにはいきません。時には先生は宗教指導者であることを悲しく思う時があります。先生は攻撃的性格ですが、神様のために忍耐しなければなりません。しかし、時々先生は「どうして私は宗教指導者にならなければならなかったのだろう」と自問することさえありました。
先生にとって誰もがただ座って一日に三度、一年に三百六十五日間食事をし、しかも何もやらないといことが不思議でなりません。「彼は、あるいは彼女は一体どういう人なんだろう」と先生はただ不思議に思います。しかし先生が呼べば、彼らは問題なくここに来ます。それほど速やかに応じて会合にやってくる彼らが、どうして同じ熱意で外へ行き、人々と接触しないのだろうかと先生は不思議に思います。
他人の尊敬と友情を勝ち取ろう
では皆さんは何が必要なのですか。人ですか。それとも金ですか。皆さんには人が必要です。「ああ、余り何もやりたくない。ここにじっと座って子供が生まれるのを祈願していよう」と考えているのですか。そのように考えたことがありますか。皆さんは配偶者探しに出かけなければならないとまず考えるべきでしょう。それから考えられないほどの陣痛の苦しみを経験しなければなりません。その後、赤ん坊がよく泣くので皆さんは疲れ果ててしまうでしょう。皆さんは世界を抱擁しょうとしているんだということをまず考えなさい。それは一飲みで大きな魚を飲み込もうとしているようなものです。その魚は皆さんの胃袋に留まっているでしょうか。皆さんはそれを消化する力も持っていますか。まず第一に皆さんは決意しなければなりません。それから何度も何度も挑戦してみることです。人を復帰するつもちならば、自らを全部投入しなければなりません。その人を昼食に誘い、それからまた夕食にも誘うのです。そしてそれを次の日も繰り返します。そのように毎日毎日その人の面倒を見ます。とにかくそれをやってみるんですね。友達になることです。
お金がなくなったら、資金づりの方法をその友人達に教えることができます。皆さんが三十分間で夕食代と映画代を儲けることができると知ったら、彼らは感銘を受けるでしょう。何もできないことはありません。どんな時でも、そしてほとんどどんなことでもできなければなりません。それが本当の人生を送る秘訣なのです。一人の男と一人の女がいたとして、その男が女に「ここにいなさい。昼食代を作ってくるから」と言ったとします。そして実際に彼が出かけていって十分間でそのお金を作ってきたら、その女性は心から感激するでしょう。
昼食代を得ようとしていた時、路上に一人の紳士が立っていたとします。最初、彼は皆さんのことを不審がるかもしれませんが、皆さんは微笑んで次のように話しかけます。「あなたは恋をしたことがありますか」と。彼は皆さんを見つめ、恋をしていた頃のことを思い出します。それから皆さんは彼に「もし彼女を昼食に誘わねばならないのに、そのお金を持っていなかったならば、あなただったらどうしましたか」と質問します。このやり方で皆さんの事情が理解できれば、彼は喜んでその金を出すでしょう。一つだけ確かなことは、そのような積極的な若者が先生に近づいてきたならば、先生は喜んで百ドル札を上げるということです。もしその女性がこれらのことに批判的であるならば、彼女はその若者に相応しくないということになります。彼は彼女と分かれ、すぐに別の人を見つけるべきです。
いろいろなやり方があると思います。たくさんあります。皆さんは予行演習なしに即座で芝居ができるようでなければなりません。皆さんが誠実ならば、全く知らない人の所へ行って「ああ、あなたは私の妹みたいだ。あなたといると、家で妹と一緒にいるような気がします」と言うことができます。皆さんが本当に誠実ならば、彼女は恋に思わないし、皆さんの言うことに耳を傾けるでしょう。自分はドラマの中に今いるんだといつでも考えなければなりません。その瞬間に皆さんは俳優です。ちっんとした重大な理由がありさえすれば、皆さんにできないことはありません。
立派な考えさえ持っていれば、皆さんはほとんど何でもすることができます。皆さんの考えが皆さんの行動を導いてくれます。この世にはいろいろな生き方がありますが、先生が知らないことはほとんどありません。あまり外には現さないけれども、先生はとてもたくさんのことを知っています。もし歌が上手ならば、皆さんは町の真ん中で歌うこともできます。皆さんが上手ならば、いつかは誰かが関心を持つようになります。ある人がやってきて皆さんの歌に耳を傾けるでしょう。その人も秘かにそういう事をやりたいと思っていたのだけれども、今まで一人ではできなかったのです。それからその人は皆さんと一緒に歌い始めるでしょう。
しばらく経ってからその人は皆さんに親しみを感じるようになり、どこに住んでいるのかと尋ねるようになります。皆さんは自分の住んでいる所を教えてもいいけれど、その人には何も尋ねてはいけません。するとその人は「帰宅の途中でも私の家に寄りませんか」と言うようになります。最初から皆さんが期待していたのはそれだったのです。だからその招待を受けます。三、四時間も経てば夕食の時間になります。辞退する必要はありません。そのようにして皆さんは人々と友達になることができます。
腹が立つのは皆さんが全くお利口さんだということです。人生は石垣のように、ただじっと座っているものではありません。皆さんは親友達とは冗談を言い合うけれども、その冗談を全く知らない人にまでも広げなければなりません。皆さんは親友達とはいつも冗談を言い合っているけれども、もし多くの人々に一緒に働いて欲しいと思うならば、精いっぱい努力して新しい親友を作らなければなりません。もし市長に会いたいならば、必ずしもアポイントメントを取る必要はありません。二、三日、市役所の前で彼が出てくつのを待てばいいのです。そして時が来たら彼の所へ歩み寄って「あなたが市長さんですか。あなたは私より立派な人ではありませんね。それにあなたは私ほどハンサムでもない」と言うのです。皆さんは彼よりももっと頭がいいんだということを言います。そうすると彼は立腹して「一体、君は私が知らないもので何か知っているものがあるのか」と聞いてきます。それから皆さんは急いで質問します。「神様を見たことがありますか。私がお世話しましょう。あなたは神様を見ることができます」あるいはキャラメルとかキャンデーを持って行って、それを彼に与えることができます。もし拒むようなことがあれば、アメリカにおいてすら、それは無礼なことです。だから皆さんは「あなたは有能は市長ではない」と言うことができます。彼が年上の人だったら「私がいつの日かあなたの義理の息子になるかもしれません。そうならないとどうして言えるでしょうか」と彼に言えばよいのです。そういえば彼の注意を引くかもしれません。いずれにせよ、皆さんや彼の未来がどうなるか誰にも分からないのですから、そう言ってもいいんですね。もし彼が皆さんを気違いのように扱えば、そのために腹が立ったことを彼に率直に伝えればいいのです。