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Thursday Apr 27, 2023
真の父母経 第126話
Thursday Apr 27, 2023
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第五節 「神の日」宣布
「神の日」宣布の意義と背景
真の父母様は、一九六八年一月一日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、歴史的な「神の日」を宣布された。「神の日」は、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」を探して立てた勝利的基盤の上で宣布された。真の父母様は、一九六〇年、神様の祝福の中で聖婚式を挙げられて以降、第一次七年路程を勝利で締めくくられたのち、「神の日」を宣布されたのである。真の父母様の聖婚後、八年目となる正月一日に、この日は、神様の創造理想が実現し、神様が地上に安着される、歴史始まって以来、初めて迎える喜びの日であると語られた。
1 「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」はありますが、まだ「神の日」はありませんでした。神様は天地を創造されましたが、その天地の中で、神様を中心として喜べる日は迎えられませんでした。ですから、一九六八年一月一日を「神の日」として設定しようとするのです。
2 一九六八年一月一日は、神様が初めて愛を中心として霊界を統合し、地上を統合するために着陸された記念の日です。神様の愛を中心として父母の絆が結ばれたその父母を、「真の父母」と言います。
一九六八年一月一日は、初めて神様が、地上で創造理想を中心として願われた日であり、アダムとエバが神様の愛を中心として一体となることによって、歴史始まって以来、初めて神様が地上に着陸できる喜びの日です。その日が「神の日」です。
天下がすべて反対しても、この日は神様にとって、歴史始まって以来、創世以後、初めての喜ばしい日であり、良い日なのです。
3「神の日」に対する歴史的動機を探ってみれば、一九六八年に統一教会で制定したためにできた日ではありません。この日は、神様が天地を創造する前からありました。ただ現れていなかっただけであって、神様の創造理想の中にあった日であり、神様が万物を主管できる栄光の位置に登場する時、自動的に生じ得た日です。ですから、神様は、その願いの基盤の上に万物を造り始めたのです。
神様は、造られた万物を見て「この上なく良(善)い」と言いました。「神の日」が成し遂げられれば、万物自体が愛の条件になり得るので、その日を祝い、高めるという意味で、「良(善)い」と言ったのです。創造の偉業に喜びと賛美の条件が伴うのは、「神の日」を中心として語られたからです。
神様がアダムとエバを造って、万物をその指揮下に入れ、主管しなさいと祝福した動機とは何だったのでしょうか。神様は、御自身のみ旨が成就されたあと、直系の子女であるアダムとエバが、神様に侍る家庭を編成する日を迎えることを願いました。神様は、その日を中心として、アダムとエバを祝福するのです、その日以前には、永遠に残る喜びと栄光はあり得ないというのです。
4 第一次七年路程の期間に、何をしたのでしょうか。家庭に入り込むサタンの因縁をすべて切らなければなりませんでした。そのような過程を経て、一九六八年を迎えながら、神様が訪ね得るこの家庭を中心として、民族と国家と世界を代表する立場で、サタンの讒訴条件を内外ですべてえり分けなければなりませんでした。それを平面的な立場でえり分けると同時に、過去の歴史路程において、来ては逝ったアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様が果たせなかったことを中心として、内的な蕩減をしなければなりません。
これができなかったことによって、キリスト教が二千年間、十字架の路程を歩んできたので、私たちもこれを内的、あるいは実体的に蕩減しなければなりません。これをした期間が第一次七年路程です。このようにして、一九六七年を越え、ようやく一九六八年の一月一日を「神の日」として設定したのです。
5 世の中では、誕生日を迎えて祝い、結婚記念日を迎えて祝いますが、「神の日」を迎えられないとすれば、人間としては祝賀の日々を迎えることができません。私たちが祝える日がないというのです。
しかし、今までそのような日々を祝うことができたのは、より良い日を国家的な日として、より良い日を世界的な日として立ててきたからです。世界における労働の日や女性解放の日などの日は、すべて「神の日」を探して立てるための方便的な祝賀の日です。その祝賀の日々は、それ自体で喜びを享受する日ではなく、今まで「神の日」を探し求めてくる過程で必要な方便的で条件的な祝賀の日であって、絶対的な名称を使える祝賀の日にはなり得ません。人間が最高に祝える日は「神の日」です。
ですから、人間は、神様を祝う日、神様が喜ばれるその日を迎えられなければ、いくら良い日があっても、その日を祝うことはできないというのです。しかし願うその一日を前にして、その日を憧憬しながら、世界的な喜びの日として(その日と)連結させるために祝う記念の日であるとすれば、その日は(祝うことを)許されるのです。
6 「神の日」とは何か知っているでしょうか。世の中の何が反対し、何がどうだとしても、妻の夫に対する心が変わってはいけません。夫が行く道を行こうという思いが変わってはいけないというのです。
エバが、信じることができない立場で堕落したので、神様が信じ得る立場に立たなければならず、また、神様が信じ得る立場とともに、夫が一〇〇パーセント信じ得る立場に立たなければなりません。
エバがアダムを滅ぼしたので、女性は一〇〇パーセント信じることができない歴史を経てきたのですが、初めてお母様を神様が一〇〇パーセント信じ、お父様が一〇〇パーセント信じることによって、「神の日」を設定できたというのです。それが一九六八年です。
7 サタン世界に対して、決定的な勝利の基盤を内的にも外的にも整えたので、初めてエデンにおける「神の日」を定めるようになりました。本来、完成したアダムとエバが愛の絆を結んだならば、「神の日」が始まったでしょう。そのように始まらなければならなかったのですが、第一次七年路程が終わることによって、初めて「神の日」を宣布するようになりました。ですから、完成基準の父母の絆を中心として、神様の愛と一致できるのです。
「神の日」が定められることによって、神様の愛を中心として新しい家庭が出発したその基準は、エデンの園で堕落せずに成熟したアダムとエバを神様が祝福し、愛の絆を結んでくれた基準に匹敵するというのです。そのため、サタン世界が讒訴をしたり、蕩減条件を提示したりするのではなく、天の権限をもって天使長を統治できる家庭的時代圏に上がるようになりました。今や時が変わったというのです。
8 「神の日」は、人間始祖が夢にまで願っていた完成段階の位置に立てる日であり、創造本然の世界が願う日であり、神様が万物を造って願われた日です。被造物と創造主が願っていた日です。したがって、この日は、アダムとエバが祝福の目的を実現できるその日になります。また、この日は、人類の善の先祖になるアダムとエバが、たとえ個体は違っても、神様を中心として生命の一体化を実現できる基点になる日です。
アダムとエバが神様と分離された立場で(神様とは)異なる生命の絆を継承し、悪の先祖として出発した、あらゆる恨の条件を越えて善の立場に上がり、神様の新しい生命の絆を備え、神様の愛を中心として再出発できる立場に立つようになることによって、初めて「神の日」が設定されたのです。
神様の主管権回復時代
真の父母様は、「『神の日』宣布を契機として、サタン世界が天の国の王権、父母の王権、子女たちの王権、万物に対する王権の支配下に入った」と語られた。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布することによって、すべてのものが神圏、真の父母圏、真の子女圏、真の万物圏に属しているため、いかなるものも、サタンが略奪していくことはできないということである。
この日をもって、真のお父様の二十一年路程と、食口たちの第一次七年路程を締めくくり、第二次七年路程を迎えるようになった。
9 神様が救援摂理をしてきた基盤は、死亡圏であり、悪の主管圏でした。神様が直接主管できる基盤を喪失したのです。神様は、愛によって造ったこの天地万物の愛の主人としてアダムとエバを立てておいたので、アダムとエバと万物が一体になれば、その基盤の上で、神様が直接主管することができます。しかし、万物の中心である人間が神様の愛と一体になることができず、サタンと一体になったので、神様が直接主管できる基盤がサタン世界に移されたのです。
サタン世界の非原理的な愛の因縁を通して築かれたこの世界は、神様との関係が断たれた世界なので、神様は創造原理によってこの世界を収拾してこなければなりませんでした。
10 「神の日」が探し出されるまで、七年の歳月がかかりました。父母様がこの七年路程を行かなければなりません。神様に出会うのは直接主管圏ですが、原理結果主管圏の三段階を経て、十数の段階を越えるようになるとき、愛を中心として神様と連結されるのです。その日を訪ねていこうとするので、七年の期間を費やしたのです。
一九六〇年、父母様の聖婚式以降、子女たちを率いてすべての日を定め、満七年になって八年の最初の日となる一九六八年一月一日を、ようやく「神の日」として定めたので、そこから父母様は、世界的に影響を及ぼしていくことができます。世界的な宗教として、統一教会が成長していけるというのです。
11 人類と神様が出会える道を失ったのは、人間始祖の堕落によって家庭を失ったからです。失った家庭を探し出して、一九六八年一月一日を「神の日」として設定することにより、神様の直接主管圏内に入るのです。このように、神様の直接主管圏内に入ったので、この位置は、アダムとエバが堕落したこととは関係のない位置です。この位置は、天使長も完全に屈服しなければならない位置です。
ですから、今やサタン側の長子の基準を蕩減復帰し、神側の長子の基準を立てた立場なので、サタン自身も完全に屈服しなければならない時代に入ったのです。一九六七年までは、アベルがカインを屈服させてこなければならないので、神様は愛する人を犠牲にして、蕩減復帰してくる時代でした。