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Saturday May 20, 2023
真の父母経 第167話
Saturday May 20, 2023
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第六節 アメリカ議会招請講演とウォーターゲート宣言
アメリカ議会招請講演
真のお父様は、アメリカ議会の招請により、二度にわたって講演をされた。当時、真の父母様に対する関心が高まる中で、上下両院議員が招請したのである。一九七四年十月八日、真のお父様は、国会議事堂のダークセン上院ビルにて「神様の摂理の中にあるアメリカ」というテーマで講演された。この日は、上下両院議員百八十五人が参加し、み言を傾聴した。この講演は、九月十三日、上院外交分科委員長などが、上下両院議員十二人の連署による招請状を真のお父様に送付し、上下両院議員全体に公文を送ることによって実現した。二回目は、一九七五年十二月十八日、上下両院議員たちの招請を受け、アメリカ国会議事堂のコーカス・ルームで、二百人が参加する中、「アメリカを中心とした神様の計画」というテーマで講演された。
1 私は、アメリカ国会に行って講演する準備を今まで(渉外チームに)させてきました。これまで六ヵ月間訓練してきたのは、その目的のためです。それで、一九七四年十月八日に、私が国会に行って講演をすることになっています。ところで、アメリカ社会では、「レバレンド・ムーンは神秘の存在だ」と言っているのです。国会の上下両院議員たちも、一度も私の講演を聞かないまま、どこかに行ってお父様に関する話が出たとき、答えることもできずに口を閉じていれば恥をかいてしまう、そのような段階に入ったというのです。
今回、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーテン大会で、そのような雰囲気が相当に高まりました。上下両院議員が来ることができなければ、その補佐官でも必ず送ることにしたというのです。「どのような話をしたのか知らなければいけないので、送ることにした」という報告を聞きました。ですから、「レバレンド・ムーンに対して、上下両院議員の皆さんが協助してください」と言えば、間違いなくワシントン大会のために協助するだろうと思います。
2 ホワイトハウスから、国会の上下両院議員たちとアメリカ国民たちが統一教会の思想をもって武装すれば、どのようになるでしょうか。建国の中心に当たるキリスト教が没落するこの時に、キリスト教を再起させることができ、破錠しかけている家庭と倫理を再起させることができ、青少年を再起させることができ、すべてのものを復活させることのできる原動力になるでしょう。
個人的にそのような人になれば、世界的代表者になり、家庭的にそのようになれば、世界的代表家庭になり、アメリカ国民がそのようになれば、数多くの国家を代表する歴史上になかった国民になり、アメリカがそのようになれば、世界はその圏内で一つにならざるを得ないと考えるのです。
この国会にいらっしゃる上下両院議員の皆さんは、この思想がレバレンド・ムーンの思想であるとは、夢にも考えないでください。これはレバレンド・ムーンの思想ではありません。これが、神様のみ旨の中で人類に通告しなければならない、一つの深奥な真理であることを知り、これを国会に適用し、この国家、国民に対して国民思想として適用すれば、アメリカがそれこそ「神様のもとの一つの国家」という言葉のように、名実共に世界の主体的国家になることは間違いないと思います。
そうすれば、その国こそ、地上天国に違いありません。そこに、真の理想と真の愛と真の幸福と真の真理が存在できるのです。
3 何としてでも、韓民族の将来のためにアメリカの朝野に影響を及ぼし、私たちの基盤を拡大していかなければなりません。ですから、ニクソン大統領を支持した問題を経て上下両院の基盤をつくり、国連の舞台で活動し始めたのです。何としてでもアメリカ議会に足を踏み入れておこうと、彼らの前に行って講演までしました。それとともに、政治(家)だけではなく、政治的影響力をもった人々を通して国民との関係基盤を確保し、世論全体の基盤が必要だったので、そのような世論基盤を築き、今やアメリカで私は相当に有名になりました。
私が最初に彼らに会った時、「二年間でこのような旋風を巻き起こすが、あなたは信じるか」と言うと、「信じられない」と鼻で笑いました。アメリカで自分こそが実力者だと考え、二十年以上の功績を積んで、今や上院議員の立場にいる人々なので「外国から来た青二才のレバレンド・ムーンという人物が、アメリカで二年間に何をどうするのか」と、鼻先でせせら笑ったのです。
しかし、今や彼らが信じるほどになりました。私が話すことは、うそではないと考えているというのです。この間、私がしたことは、大したことではありません。しかし、彼らに同情される統一教会の文某になっては絶対に発展できません。私が助けてあげなければならないのです。ですから、何はともあれ、助けになることをたくさんしたのです。
ウォーターゲート事件とアメリカの覚醒
一九七二年六月、ニクソン大統領再選のための秘密工作班が、ワシントンDCのウォーターゲートビルの民主党全国委員会の本部事務室に、盗聴装置を設置したことが発覚した。これにより、ニクソンは、大統領職を辞任する一九七四年八月まで、苦境に立たされた。真の父母様は、アメリカの精神と信仰、価値観が一大危機に直面したと判断され、一九七三年十一月三十日、「許せ、愛せ、団結せよ」という旨の「ウォーターゲート宣言」を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の全面広告で発表された。この事件によって、アメリカの経済的危機が招来し、世界的な指導力が喪失することを憂慮され、この隙を狙った国際共産主義が勢いを増すことがないように警告されたのである。そうして、真のお父様は、一九七四年二月一日、ホワイトハウスの大統領執務室で、ニクソン大統領と会談された。
4 一九七二年と七三年を中心として、アメリカの大統領が気勢をくじかれました。お父様は、ニクソン大統領に対するウォーターゲート宣言を行いました。そこで、お父様と一つになれば、生きる道があるというのです。ですから、お父様は上院議員と下院議員たちに対して、一人残らず、すべて手紙を書きました。これは偶然の事件ではありません。二年目にホワイトハウスと私たちが交差する点をもったという事実は、歴史的な事件です。ウォーターゲート事件を論じるときは、必ず歴史的に、お父様の名前が残るようになっています。これは、いくら否定しようとしても否定できません。
5 アメリカが、ウォーターゲート事件を中心として混乱した時、私は「神様に帰ろう」と叫びました。神様に帰るためには赦しを受けなければなりませんが、赦しを受けようとすれば、アメリカ国民も赦しなさいというのです。これが「ウォーターゲート宣言」です。赦しなさいというのです。他人の罪を赦せなければ、自分も赦しを受けられません。個人的に、教会的に、挙国的に、ニクソン一人を条件とし、「あなたたちもそのような姿の罪人なのだから、まず悔い改めて、ニクソンも赦しなさい」と言ったのです。
お父様がアメリカでニクソンの赦免問題を呼び起こしたのです。民主世界が没落するようになるのは、キリスト教が没落するからです。キリスト教が没落するのは、すべての国家の問題、すべての世界の問題を神様に談判して対処せず、自分の意向によって進めているからです。エデンの園で堕落する状況と同じなのです。
6 お父様自身が一人でアメリカの地に進み出た時は、一個人として現れました。天の命令を受け、三年という期間のうちに、二億四千万近い国民に、お父様の意思を伝えなければなりません。聞こうと聞くまいと、うわさを立てて知らせてあげなければなりません。それをどのようにするのでしょうか。基盤はなく、協力者もいない上に、反対までされる状況でした。そのような環境をどのようにして切り開いていくのでしょうか。直行しなければならず、心臓部を貫いていかなければならないというのです。ですから、行くやいなや有名な上院議員たちに会いました。下院議員たちにも会い、それから著名なアメリカの人士たちにもたくさん会いました。
その次は、ホワイトハウスをどのようにして切り開いていくかということでした。そこからしなければならないと考えたのです。そのような時、ウォーターゲート事件が起きました。ウォーターゲート事件を中心として、私が手を付けることになったのです。全国民が反対し、全国民が希望をなくして落胆する立場にいるので、ここでキリスト教思想を中心として、一つの方向を提示しなければならないと考えたのです。
7 私は長い間、数多くの宗教と宗教者たちを訪ねてみました。数多くの地方議員、有名な人士たちに、みな会ってみました。そして、その国の名士たちにもみな会ってみました。彼らの胸の内には、世界を救おうという考えは全くありませんでした。ウォーターゲート事件の時も、まかり間違って転べば、アメリカはどん底に落ちてしまうというのです。
数多くの宗教指導者、ビリー・グラハムのような世界的に有名な人々が、国の先頭に立って国民運動を起こし、それを防がなければならない立場であるにもかかわらず、彼らは、夢にもそのような考えをもつことができずにいたのです。
ですから、東洋の一角で生まれた文という人が責任をもったのです。しかし、それは適当にやってできることではありません。命を懸けて神様に談判し、神様が願われることが何であるかを探ったのです。私は政治家ではありません。神様のみ言に従って行動する人です。国を守り、世界を守り、進むべき方向を誰かが言わなければならないようになっているのです。それを知ったので、冒険の道を覚悟しました。統一教会は、最後の決断を下したのです。
8 お父様は一九七二年、アメリカの七大都市で初めてみ言を宣布しました。その基盤の上で、一九七三年に二十一ヵ都市を掲げて、闘っていきました。この期間に、ウォーターゲート事件を中心として、六十日前にこれが提示され、二十一ヵ都市巡回路程を一月二十八日に締めくくりました。その後、ワシントンDCに来て、ニクソンにまで会うことになりました。
私が会おうと言って会ったのではなく、ニクソン大統領がその日にちを決め、自ら会うことを求めてきたのです。偶然に会ったのではありません。どこかの国の元首がニクソン大統領に会おうとすれば、一年半も前にあらかじめ、すべて約束しておかなければならないのに、私とこのように会ったのは歴史的な事件でしょう。一月三十日に国会に送る教書を発表するため、二週間、誰にも会わずにスケジユールをすべて空けておき、教書発表が終わって二月一日、あらゆる国家の代表者たち、いかなる大使たちも押しのけて、お父様に会ったのです。
会った時、お父様は、ニクソンと向き合って、「一緒に祈りましょう」と言いました。ニクソンも頭を垂れて祈りました。歴史的なその会見の直前に祈りを捧げたというのは、歴史的な事件です。劇的な会談をもちました。お父様が話をする中で、彼は、この国で誰よりも自分を愛し、自分のために心配している人がお父様であることを知って深く感謝しながら、本当に心を激しく揺さぶられ、喜んでいることを、如実に感じることができました。これを見れば、歴史的な事件に違いありません。ローマ皇帝がイエス様を招待して会うのと同じ立場だというのです。
9 アメリカ自体が、ウォーターゲート事件によって真っ逆さまに落ちていくのを、お父様によって止めることができるのです。お父様によって、キリスト教に新しい方向を提示し、アメリカを中心とした民主世界に新しい方向を提示して、彼らが志を立てるようになりました。私がニクソンに会ったので、このことが可能なのです。お父様は、神様のみ旨によってニクソンに会いました。ですから、彼に会って祈りを捧げたのです。それは偶然の出来事ではありません。人々は知りませんが、その摂理時代において、大きな峠を越えることが既に決定されていたのです。
10 私は、ニクソン個人を見て支持したのではありません。大統領職を支持したのです。これは、アメリカ国民が今後、知らなければならない問題です。国の主権者が新しい政策を立て、その国の運命を決めるときには、特権をもたなければなりません。そのような意味で支持したのです。
ニクソンがいたならば、ベトナムとカンボジアがあのようにはなりませんでした。私が予想したとおりになったのです。数十億ドルに達する武器を共産世界に丸ごと渡してしまう、国家的な恥になることをしたというのは、民主世界を指導する国家として惨敗だというのです。
11 私がニクソンを支持したのは、ベトナム戦争をアメリカの勝利で終わらせるという目的があったからです。早く終わらせなければならないというのです。そうすれば、アジア防御圏が延長されると考えたのです。ですから、ニクソン・ドクトリンを修正しなければならないという結論に達しました。ニクソン・ドクトリンのとおりになれば、韓国の安全保障の問題は自動的に下火になっていくのです。アメリカとアメリカ大統領が一つになり、アジアと一つになる道を神様が願っていらっしゃるのに、アメリカと大統領を分立させ、これを破綻させようとしているというのです。
ですから、私は、「許せ、愛せ、団結せよ」と主張しました。そうすれば、そこでキリスト教がニクソンと一つになり、全国民と一つになるでしょう。私が主張したことが動機となってそのようになれば、お父様と一つになるのです。お父様がアメリカを救い、一つにした功労者として登場するというのです。そのようになれば、ニクソンは私に相談するようになります。そのようになっていたならば、このウォーターゲート事件は即刻、解決したでしょう。