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Saturday May 20, 2023
真の父母経 第178話
Saturday May 20, 2023
Saturday May 20, 2023
第三節 平壌刑務所と興南監獄での受難
平壌刑務所収監と公判
共産治下の宗教抹殺政策は極限に達した。真のお父様は、キリスト教団の嫉みと誣告(ぶこく)(故意に事実と異なる内容で人を訴えること)により、一九四八年二月二十二日、平壌内務署に拘束され、四月七日の公判では社会秩序紊乱などの罪で、五年の刑を言い渡された。しかし、判決文の中に出てくる「虚構」という表現については異議を提起し、修正するようにされた。真のお父様が伝えた真理は、決して虚構ではないからである。真のお父様は、法廷を出られる際、悲しむ食口たちに手を振って、彼らを慰められた。
1 お父様が教会運動をすると、すぐに食口たちが増えました。当時、北朝鮮当局の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。また、キリスト教の牧師たちは、自分の教会の信徒たちがたくさんお父様のところに来たので、私を告発しました。その結果、三回目の投獄に遭うことになりました。平壌の内務署に拘束された日が一九四八年二月二十二日です。
2 一九四八年四月七日は、お父様にとって忘れられない公判の日です。キリスト教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策によって、二月二十二日に平壌内務署に拘禁され、二月二十五日には髪を刈られました。共産治下で宗教公判が行われるというのは、あり得ないことです。公判は、四月三日から四月七日に延期されました。四月三日は、拘禁されて満四十日になる日でした。
3 私が平壌の内務署で公判廷に立つことになった時、北朝鮮にいるキリスト教の牧師たちが来てありとあらゆる罵声を浴びせました。それで、「あなたたちの子供と私の子供のうち、どちらが立派になるか見てみよう。あなたたちの教える教会員と私が教える教会員と、どちらが優れているかを見てみよう。死んでも私のほうが優れているだろう」と考えたのです。そのような、人が知ることができず、人が感じられない衝撃を、いまだに忘れていません。寝ながらも、そのようなことを考えるのです。その場で、天のみ前に私が孝の道理、忠の道理を尽くそうと誓ったその誓いを、どのように実践するのかというのです。疲れようにも疲れていられません。くたびれようにも、くたびれている暇がありません。忙しいというのです。ですから、彼らが考えもつかないことをするのです。話もせず、じっとしているからといって、意気地がないのではありません。私の行く道が忙しいので話さないのです。正しくないことを見たら我慢ができない人です。
4 お父様が平壌の刑務所に入っていくとき、食口たちは自分の夫が死ぬよりももっと切実に心配しながら、「先生、今行ってしまったら、いつまた来られるのでしょうか」と言いました。しかし、お父様は、「私が行って会わなければならない人がいる」と答えました。その時、そこに行けばある人と出会うだろうと約束されていたのです。足が震え、嘆息し、痛哭する怨恨の道であるにもかかわらず、その道を行きました。それは、希望する天国に行く道だからです。このように喜びの心で行けば、地獄も天国に変わるのです。神様もそのような心をもっているでしょう。それで、そこで出会わなければならない人たちとすべて会い、新しく決意しながら第二次の出発をしたのです。
5 平壌刑務所にいる時、裁判を受ける日が、本来は一九四八年四月三日でしたが、共産党が教会を弾圧する口実をつくろうとして期日が遅れ、四月七日になって受けました。その日は、食口たちが一緒に集まりました。しかし、彼らはその時から分裂し始めました。
刑を受けて監獄に行く時は、かえって希望に満ちた足取りでした。なぜなら、刑務所にも神様があらかじめ準備した人がいるからです。
監獄には午後三時頃に入り、入ってから三日目となる日に、金氏という青年に会いました。彼はもともと、日本統治時代に陸軍士官学校砲兵科を卒業し、日本軍砲兵大尉として服務していた時に終戦を迎えた人です。終戦後、彼は北朝鮮人民軍に入隊し、砲兵司令官の腹心の部下として服務していましたが、その時に国家機密漏洩罪で死刑宣告を受け、死ぬ日を待つのみでした。その上、自殺を企てたものの、それが発覚し、鎖でつながれていました。
彼の話によれば、ある日、夢の中に白髪の老人が現れ、自分の名前を呼びながら、「お前は絶対に死なない。お前は南から平壌に来た青年を迎える準備をせよ」と教えてくれたそうです。しばらくして砲兵司令官の保証のもとで、彼に対する処罰は死刑から四年八ヵ月に減刑されました。それから再び夢の中にその老人が現れ、「教えたとおりに信じていない」と叱責しながら、「幾日もせず、南韓から来た若い先生に会うだろう」と教えてくれたというのです。
6 平壌刑務所で、天から直接の命令を受けた人に会いました。彼は、霊界からの教えを通して、私に関する証を直接受けていました。私に会うことが既に一年前から、天の約束として準備されていたのです。このように真を追求し、大きな希望の基盤を築かせようとするので、ここまで天が根を張るのです。
このような天の事情を考える時、私がこの道を排斥し、この道を遠ざけようという気持ちがあれば、天倫の前に立つことができない反逆者になることを徹底して信じました。私が考える前に、天はそこで大きな関係を私と結ばせるために準備していたのです。しかし、(その人が)我知らず反逆する立場に立つことを悟れていないのを見るとき、とても興味深いことでした。
7 お父様が入った監房に、金氏という人がいました。その時、お父様の年は二十九歳で、彼も二十九歳でした。一九四八年四月二十八日の明け方に、愛する息子が死刑宣告を受けるや、心を痛めて病にかかった上に、交通事故に遭って死んだ金氏の父親が夢の中に現れ、彼を連れて、宮殿のような所に行ったそうです。そこには階段があったのですが、階段を上るたびに聞いたことのない音が聞こえたといいます。階段を三段上るたびに三拝をしながら上がっていくと、そこにはまぶしい玉座があり、その上に一人の青年が威厳をもって座っていたというのです。彼の父親が「顔を上げてあの方を見なさい」と言うので、そちらの方を見上げたのですが、さしてくる光彩があまりにもまぶしくて、はっきりと見ることはできなかったそうです。
金氏は、お父様に初めて会った瞬間から心が引かれ、お話を少しでも聞いてみたい衝動を感じていたのですが、三日目にしてようやく、「お話を聞かせてほしい」と懇願しました。お父様は金氏に、今まで歩んできた路程を「ロレンス」という仮名で、三日間、聞かせてあげました。そうしながら、ここに神様が約束した人がいることを知りました。その人が正に、監房長の金氏だったのです。
お父様は彼に「あなたは誰にも言えない自分だけの心配事をもっているでしょう?」と言いながら、その心配事が何か尋ねてみました。その問いに彼は驚き、それまであったすべての内容を詳細に打ち開けて、自分が夢の中で見た、玉座に座っていた青年が正にお父様だったことを初めて悟るようになりました。
8 お父様が平壌刑務所にいる時には、私が男のムーダンであるといううわさが立ちました。相手が話す前に既に分かって、尋ねるので、そのようなうわさが立ったのです。このようなわさを共産党当局も耳にして、お父様のことが恐ろしいのか、取り調べをする時も、三人以上の看守が見守っていました。
お父様は平壌刑務所から興南監獄に入る時に、サタン世界から神様の世界に越えていける一つの結果をもたらすために、このような現象が起こるのだと思いました。そのような所に行っても、正体を明らかにせず、内外で変わってはならないと考えたのです。イエス・キリストが万邦に、世界の前に、人類の胸の中で灯火(ともしび)になることができたのは、自分の生命を左右する環境でも消えることのない心情をもって死の関門を突破したからです。
それが今日の歴史と文化の起源になりました。すなわち、文化世界を創造する起源になったというのです。統一教会も、そのような基盤から出発したということを知らなければなりません。
獄の中の獄、興南監獄に移監
真のお父様は、一九四八年五月二十日、平壌刑務所から、獄の中の獄と呼ばれる「興南特別労務者収容所」(通称、興南監獄)に移監された。収監番号は五百九十六番であった。興南監獄は、寒さと飢え、重労働を伴う途方もない作業量ゆえに、普通の人には耐え難い所であった。特に、監獄内のアンモニアガスと粉塵が汗と反応して、肌がむけてただれる皮膚病と肺病により、一年で収監者の四〇パーセントが死にゆく現実の中でも、真のお父様は肉体の健康を維持され、同僚たちよりもはるかに多くの労働量をこなされた。死の影がちらつくこの場所で、真のお父様は知恵と愛で苦難を克服されたのである。
9 お父様が興南の監獄に手錠をはめられて行くとき、平壌に残る食口たちが手を振りながら見送ってくれたことが忘れられません。私は涙を流しませんでしたが、彼らは子供が死んでいくのでもなく、夫が立ち去るわけでもないのに、ひたすらすすり泣いて涙を流しました。それがどれほど悲壮だったでしょうか。それを見ながら、「天を訪ねていく人は不幸な人ではない」と思いました。
私がどんなに鉄格子の中で苦難を受けたとしても、私を訪ねてくれる旅人、監獄を訪ねてくれる彼らは、自分の血族を越え、民族愛を越えて、天上の心情圏を地上の監獄と連結させるに当たって、恥辱を物ともせずに行動した人たちです。これは驚くべき事実です。
10 興南は、潮風が吹くと砂利が飛ぶような所です。ですから、肌が出ているところは、何でもいいので覆いたくなります。突き刺すように入ってくる風が、どれほど怨讐か分かりません。朝早く九百人以上の囚人たちが労働に動員されて出ていくとき、出掛ける前に検査をします。単衣(ひとえ)の服を着た人たちを、明け方五時から七時頃まで二時間以上、その寒い所に座らせておくのですから、どうなるでしょうか。「ウォウォウォウォー」と声を出して震えます。それは本当に痛ましいです。我知らず「ウォウォウォー」と震えるのです。いくら声を出すなと言っても、そうなります。
お父様が過ごした部屋には三十人以上いました。夏には、下から水がしみ出てきます。そこでも私は、一番暑い所、一番臭いがする最低の場所で過ごしました。そこで、寒い冬のことを考えるのです。冬の主人になれる人が夏を支配することができ、夏の主人になれる人が冬を支配することができます。困難を支配できてこそ最高の富を支配できるのです。天はそのような富む者をつくろうとするのです。
ですから、苦労しましたが、それが祝福でした。そのように反対の実績が得られたのは、蕩減復帰において一致したからです。そのような祝福の実績を残さなければならないというのです