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Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第193話
Monday Jul 03, 2023
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17 お父様には世界のために行く道が残っています。アメリカのほかに、行く道がまだあるのです。それでは、アメリカはどのようになるでしょうか。皆さんが公判廷に立って、お父様以上に犠牲になって働こうという決意を固めなければ、アメリカの行く道、アメリカの将来が暗澹としたものになるというのです。
この国がお父様とこのように向き合うのであれば、どのようにして世界の国家の前に立つのでしょうか。既に傷を負っています。公義の天理はそのように教えるのだと、お父様は教えました。お父様に責任がないというのではありません。責任を負っているので、このようなことを言うのです。皆さんがこのような荷を負わなければならないことを知るとき、皆さんに対する思いはもつと深刻になります。子女たちの将来を祝福しようとするのが父母の心です。公義の道は、そのような法度の道です。ですから、法度の道を踏んでいくべ道が残っているというのです。
18 公義の天理を皆さんが引き継いで、お父様と共に監獄生活をするという思いをもち世界がか歓迎する時まで行こうと考えてください。脱税容疑でアメリカの法廷で闘争する期間は深刻でした。「私はこのように行く」と決めて出発したのです。私は悪意をもってアメリカを呪ったことはなく、アメリカの検事と判事を呪ったこともありません。
私は、神様のみ前に行っても堂々としています。アメリカの善なる先祖たちの前で堂々としているというのです。彼らは私の味方です。これからの子孫たちはお父様の味方です。その時、自分の子孫たちが知れば、どのようになりますか。ですから、善なる人、義人が行く道は決まっていますが、悪人が行く道は定まっていません。悪人は、いつでも滅亡するのです。
19 キリスト教がローマにおいて四百年で蕩減したことと、ヤコブから今までのユダヤ教を中心とした四千年間の蕩減路程を、お父様が四十年で帰結させようというのです。イエス様の三年路程の期間に該当するのが、この三年間の法廷闘争を中心とした総攻撃時代です。逆さまに蕩減するのです。蕩減路程は、逆さまになるというのです。ユダヤ教の時代を蕩減できるキリスト教が、父母様を迎えた今、この時がそうです。お父様がアメリカの法廷で闘争する三年間は、イエス様が世界的舞台でローマと闘って築かなければならなかった勝利基盤を、(再臨の)メシヤとしての三年路程において民主、自由世界で築く期間に該当します。今が勝利によって越えていく時だというのです。
その期間にイエス様が十字架に打ち付けられたように、お父様がアメリカに来て十字架に打ち付けられるのです。打ち付けられる出来事が法廷闘争です。
ですから、第一次ニューヨーク地方裁判所を経て、第二次ニューヨーク連邦高等裁判所まで行ったのは、イエス様が死んで生き返ったのと同じです。主審判事は私の味方でしたが、副審判事二人が反対したのです。それは、長成時代に該当します。第三次の連邦最高裁判所を中心として闘うときは、世論が動いて、「先生を釈放しなければならない」と主張しました。世界的基準で自由世界全体が完全に一つになり、キリスト教全体が一つになるのです。お父様が十字架を背負う場で、アメリカ国民と自由世界、キリスト教が一つになり、右側の強盗のようにお父様を支持したのです。
20 アメリカが反対していますが、お父様はアメリカを越えて、アメリカ(が願うこと)以上の願いをもって歩んでいます。きのうよりもあすが大きく、あすよりも一年後がもっと大きいでしょう。神様の願いである、世界人類が一つになる道を整えることができるとすれば、その道を選んで行こうとするのが、お父様の思想です。最高裁判所の判決が下りたとき、「神様!次は何を下さろうとするのですか」と言ったのですが、キリスト教が統一教会のもとに帰ってきたというのです。今回、法廷闘争で監獄に行くことにより、これから受け継ぐことになる大きな祝福は何かというのです。世界人類が、お父様の側に回ってくるでしょう。
私が行く道には、世の中にない統一された家庭が付いてきており、統一された民族と統一された国、統一された世界が付いてきています。ですから、この峠を越えて立つとき、その場では、統一された世界の群れが私を待っているというのです。
私が行くこの道は、希望の道だと思います。それゆえ、お父様は十字架の道を希望と歓喜の道として行こうと思うのです。きょうという日があるがゆえに、統一の伝統が父母様から息子、娘、祝福家庭、キリスト教、アメリカ、世界へと列を成して連結されるという事実を、私は知っています。これは、次第に大きくなるでしょう。
そのように素晴らしい道を出発しているこの日に、皆さんが涙でお父様を見送るということを、私は望んでいません。
涙を流すなら、お父様以上に十倍、百倍、この国とこの世界のために涙を流しなさいというのです。心が痛み、悲しいというなら、私が出てくる時に、千人を一つにし、一万人を一つにすることのできる統一の役軍(担い手)にならなければなりません。
21 み旨の道を歩みながら監獄生活をたくさんしましたが、私の生命が絶えない限り感謝して行こうという立場で歩んできました。ですから、それを喜びとして迎え、その結果は天のみ前に委ねるのです。私は死ぬしかないとしても、み旨を立てられた神様のかわいそうな立場を考えるのです。そうして、私にこのような苦痛を与えて峠を越えさせ、かわいそうな神様の摂理を継承するようにさせたと考えるのです。
今の時も同じです。この世界、精神世界が、お父様を中心として一つに統合されていくこの時に有終の美を飾るためには、犠牲を覚悟していかなければならないというのです。そのような伝統の道が残っていることを知らなければなりません。
第二節 文興進様の聖和と「愛勝日」の宣布
祭物として逝った文興進様
真の父母様は、一九八三年十二月十四日から二十三日まで、北朝鮮の赤化統一の野心を退けるために、韓国の八大都市で勝共決起大会を主管された。当時、真の父母様を暗殺しようとする群れが、最後の大会の場である光州に派遣されたという情報により、緊張が高まる中で行われた講演の時間に、次男である文興進様がアメリカで交通事故に遭い、一九八四年一月二日、聖和された。キリスト教国家が反対し、共産主義の脅威が増大する状況で、真の父母様に代わって蕩減の祭物になられたのである。
1 一九八三年十二月、韓国で、全国八大都市勝共決起大会を通して、全国民を完全に一つにする運動を行いました。また、世界とキリスト教を代表する七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」の代表たちを集めて一つにしました。そのようにして、全国を完全に席巻したのです。サタンと激戦を繰り広げました。ですから、韓国全体がお父様の運動によって完全に沸き立ってしまいました。このようにしてサタンを治めようというのです。
その時、父母様の家庭は混乱時代でした。父母様の家庭が全世界を代表し、家庭的攻撃を受ける時だったのです。ところが、サタンはお父様を直接、攻撃できそうにないので、興進君を攻撃したのです。最後の光州勝共決起大会で講演する時間に、興進君の自動車事故が起きました。
2 私が一九八三年の十二月に韓国へ行くことに、アメリカも関心をもち、日本も関心をもっていました。三ヵ国が一つの方向に引っ張られたのです。
サタンがお父様をいくら侵犯したくても、蕩減条件を立てて越えたので、お父様が勝ったのです。民主世界が統一教会に反対しましたが、その反対する人たちに対して私が蕩減条件を立てて勝ちました。しかし、お父様の子女はまだ皆さんの代表の立場なのです。それで、興進君がそこで相対になったというのです。
サタンはいつも、最後にたたきます。全国八大都市勝共決起大会が成功裏に終わるその時間に、興進君の自動車事故が起きました。最後の光州大会の時、お父様が講演をするその時間です。十一時に始まるのに、十時には会場がぎっしり埋まってしまいました。お父様に危害を加えようとする工作員が活動できないよう、超満員になってしまったのです。動くこともできないほど、ぎっしりと埋め尽くされていました。工作員たちを自然に防ぐ、良い環境になったのです。ですから、サタンは仕方なく、お父様が最も愛する息子を連れていったのです。
3 お父様が韓国に帰ってきて勝共決起大会をするのですが、最後に残った所が光州でした。その時、霊通する人々は、お父様に対して「光州には行ってはいけない」と言いました。共産党がすべて集まり、お父様を隅に追い込んで一気に捕まえようとしているので、行ってはいけないというのです。「行ってはいけない」と言われて、行くのをやめるでしょうか。公的な人は、命を差し出して行くのです。ところが、天が役事しました。座っていた人が立ち上がれないほど、会場が超満員になったのです。それが、保護を受けられる道だったというのです。その時に多くの問題がありました。正にその時間に、興進君の自動車事故が起きたのです。
4 興進君の犠牲により、多くのことが成し遂げられました。彼は一番の孝行息子でしたが、今や真実で清い神様の子女として、神様の懐に抱かれたのです。もし興進君の犠牲がなかったならば、二つの不幸な大事件が発生していたかもしれません。北朝鮮が韓国を武力で侵犯したかもしれないし、お父様が地上における生涯を終えていたかもしれません。
しかし、韓国で勝共決起大会を通して勝利したため、サタンがお父様をこれ以上侵犯することはできなくなりました。ですから、韓国で勝利を収めるのと同じ時刻に、興進君を犠牲の祭物として要求したのです。
5 興進君は、二番目の息子として生まれ、お父様の保安問題に対して誰よりも心配した人です。お父様の前にもし悪者の頭が現れて銃を撃つならば、自分がその銃弾を代わりに浴びなければならないと考えていました。
イースト・ガーデンで祝福家庭を動員して、その訓練をしました。夜、祝福家庭を四方に配置し、秘密裏に襲撃させるのです。このようにして、警護員が本当に警護員としての仕事をするかということまで試験しながら、お父様の保安問題について心配したのです。
さらに、シカゴの「科学の統一に関する国際会議」では、警護員と共に夜を微して警護をしたこともあります。警護員を信じることができないというのです。子女が父を思う心情的基準とは程遠いと考えていました。もし銃弾を浴びなければならない場面に立てば、その人々は逃げていくけれども、「私は違う!」と言うのです。そのような精神的訓練を祝福家庭に行い、そのような行動ができるようにする訓練までしました。お父様のために命を捧げようというのです。