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Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第194話
Monday Jul 03, 2023
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6 私は、興進君の車の事故が起きた現場を見に行きました。丘の道からトラックが下ってくる途中でブレーキを踏んだのですが、車がくるっと回ったのです。くるっと回ったので、直線で止まったのではなく、斜めに道を塞いだというのです。そして、興進君の車は右側を走っていて、興進君は左側で運転していました。運転する人は、自律神経の自動的な反応によって、瞬間的に危険を避けようとハンドルを切るのが原則なのですが、そのようには切らずに、車が斜めになっていたというのです。運転していて、なぜ反対にハンドルを切ったのかというのです。反対に切って、正面から突っ込んでいったのです。
それは、興進君が、一緒に乗った祝福二世の兄弟を愛していたからです。「あの兄弟たちには父親がいない」と言って、本当に愛したのです。夜、勉強する際にも、冷蔵庫から食べる物を探してきては一緒に食べたりしました。そのように愛したのです。「父親がいないから、私が愛さなければならない」と言っていました。その兄弟を意識して、ハンドルを反対に切ったのです。それで、興進君が代わりに犠牲になったというのです。私はそれを見て本当に感謝しました。
7 イエス様が十字架で亡くなる時、右の強盗と左の強盗がいました。それは、民主世界と共産世界です。共産主義は「神はいない」と言い、民主主義は「いる」と言います。今回、車の事故が起きて興進君が死にましたが、一緒に乗っていた二人の子供は助かりました。興進君は、本当に良いことをして逝ったのです。
いくらでも車を回すことはできたのですが、なぜ興進君は車を自分の側がぶつかるようにしたのかというのです。それが問題です。トラックの角にぶつかったのです。同乗していた二人は、「自分たちを意識してハンドルをそのように切った」と言いました。民主世界と共産世界を代表する犠牲の祭物として逝ったという理論的根拠を、ここで知ることができます。車に乗っていたその二人は、民主世界と共産世界を代表する、イエス様の右の強盗と左の強盗のような立場ですが、興進君は彼らの身代わりになって逝ったというのです。
イエス様の時代にはすべて死んでいきましたが、お父様の時代には興進君一人が祭物になったため、二人は助かり、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。
8 興進君は、国家的蕩減基盤の上で、自由世界と共産世界のために犠牲になりました。国家的基盤で共産世界と民主世界、この二つの世界を連結したのです。アメリカで事故が起きましたが、埋葬されるのは韓国でした。体は祖国に帰ってきて埋葬されたのです。それによって、興進君は、国家的基盤を築いた真の父母の勝利的基盤の上に立ったので、国家的な次元でいつでも霊界にいることができ、地上にも定着できる霊的基盤が与えられるのです。
イエス様が国家基盤を完成できなかったことを蕩減復帰すると同時に、イエス様自身が地上の国を訪ねてこられる基盤が、興進君によって連結されるというのです
9 お父様が最高裁判所で法廷闘争をするのは、イエス様が十字架にかかるのと同じです。しかし、今は十字架にかかって死ぬのではなく、十字架を背負って進む時です。イエス様の時代には、イエス様に反対してユダヤ教が砕けていき、ローマも砕けていきましたが、今は法廷闘争を中心として、キリスト教とアメリカがお父様と直接衝突するのではなく、一つになったので、イエス様の時代に失敗したことを蕩減復帰した時代に入ってきたのです
なぜ興進君が蕩減条件に引っ掛かったのかが問題です。父母様が十字架を背負っている時ですから、興進君も自動的にその圏内にいるというのです。神様とイエス様の立場を見ると、神様は父であり、イエス様は息子です。神様が十字架を背負っていくのではなく、息子が十字架を背負わなければなりません。
このような時代に、神様の代身の立場が父母様であり、興進君がイエス様の立場なので、息子であるイエス様が世界的な十字架を背負わなければならない蕩減的内容とぴったり一致しているというのです。
イエス様をサタンが打ったあとに神様が復活させたのと同じように、興進君をサタンが打ったあと、世界史的な内容として父母様が復活させたのです。ですから、イエス様は亡くなって霊的な門を開きましたが、興進君は肉的な門まで開きました。
イエス様の時代の五旬節の時と同じように、今は世界的な新しい霊肉を合わせた五旬節の時代だというのです。蕩減復帰です。キリスト教が反対したために失敗したことを、蕩減しなければなりません。イエス様が五旬節に聖霊と共に再臨し、百二十門徒と共に二千年間、キリスト教を中心としたキリスト教文化圏をつくって再臨主のみ前に奉献したならば、五旬節は必要ないというのです。ところが、反対したので、すべてが崩れたのです。
「愛勝日」宣布
真の父母様は、一九八四年一月三日午前四時、アメリカ、ニューヨークのべルベディア修練所で、文興進様が聖和された一月二日を「愛勝日」として宣布された。文興進様が祭物路程を行くことにより、死亡圏に勝つようになったことはもちろん、今までサタンが支配していた愛を神様が主管できる新しい出発の基準が立ったため、「愛勝日」と命名されたのである。
10 父母様が共産世界と民主世界の頂点で、興進君に責任をもち、一九八三年十二月三十日(現地時間)に病院を訪問して統一式をしてあげました。その場は、並大抵の深刻さではありません。誰よりも愛した立派な息子が突然、霊界に逝くのですが、涙を流すことはできません。統一式をしてあげたあと、葬儀を執り行う三日間にも、涙を流せないのです。その期間に「愛勝日」、(愛が)死に勝ったという式をしたのですが、父母様がそこで悲しんではいけないのです。
アダムとエバが誤ることによって死亡の谷間と死亡の地獄、天上世界の地獄と地上世界の地獄をつくり、神様と人間を分け隔てたこの峠を切り開くのです。その頂点に立ち、整備して息子を捧げました。ですから、どれほど深刻でしょうか。時間を遅らせることができるならば遅らせたいのが父母の心ですが、既に起きたことなので、そのようなときは、ためらうことなく、父母として天のみ前に喜びの心をもって送ろうというのです。お母様にも、「涙を流したら大変なことになる」と言いながら、「涙を流してはいけない」と言いました。そのように韓国で聖和式を行い、送り出してから、父母として涙を流したのです。すべて送り出してから、その行く道に対して祝賀の涙を流したというのです。
11 皆さんが自分の生命より以上に父母様を愛する限り、サタンはこれ以上侵犯できません。興進君が、皆さんに代わって逝ったからです。その上で、興進君以上に父母様を愛する皆さんになれば、サタンは身動きできないのです。今までサタンが愛を支配しましたが、これからは、神様が愛を支配するというのです。ですから、そのような基準で天と一つになり、「愛勝日」を宣布しました。
今や、皆さんが活動することに比例して、サタン世界が早く崩れ落ちていきます。ですから、「愛勝日」を中心として三年間は昼夜なく走らなければなりません。昼夜なく走りなさいというのです。そうして、興進君が昼夜なく、休むことなく民主世界の若者たちと共産世界の若者たち、霊界のあらゆる先輩、後輩たちを動員して活動しているので、それに負けないように活動しなければなりません。そのような決意をしなければなりません。
「愛勝日」が出てくることによって、カインがアベルを歓迎できる時になりました。昔は、愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は、愛すれば福を受けるというのです。昔は、カインがアベルを愛すると、サタンに命を奪われて苦労しましたが、今ではもう、そのような時は過ぎ去りました。神様が福を下さる時が来たというのです。
12 一九八四年一月三日、「愛勝日」を設定してあげることにより、原理結果主管圏と直接主管圏内で、サタンの愛によって塞がっていたものを取り除いてしまいました。そのように取り除いてしまい、神様の愛をもつようになれば、地獄でもどこでも、境界線がなくなるのです。どん底まで思いどおりに降りていけます。そのようにして、上がってこなければなりません。天の世界の人に、サタン世界の人が屈服するようになっているからです。ですから、「愛勝日」です。
天の愛が過去・現在・未来圏まで身代わりして、サタン世界の死亡圏を取り去り、一掃してしまわなければなりません。そのようにしてこそ、それが勝利したことになるのです。「愛勝日」です。その場は、祭物になった息子を前にして、その息子に対して悲しい思いを抱いてはいけない難しい場です。その道を行かなければなりません。ですから、責任者たちは、興進君のようにしなさいというのです。皆さんが興進君のように仕事をしなければなりません。興進君はお父様に似ているといいます。神様が今に至るまで休んでいないように、お父様には二十四時間、復帰の一念以外はありません。実践しなければなりません。きれいに整備しなければならないというのです。興進君のようにしなければなりません。
13 あの国(霊界)では、興進君が愛の主体になっています。これは直接主管圏内です。堕落圏内を抜け出して逝ったので、神様が「私の息子である。サタン世界を越えた私の息子である」と言って愛することができる息子だというのです。ですから、お父様が幼かった時に愛せなかった歴史も蕩減するのです。
神様が興進君を愛するのは、真の父母を愛することなのです。今まで愛せなかったことに対しても、愛したという条件を立てることによって、すべてのことが解けて越えていくというのです。ですから、イエス様を解放し、お父様が過去に神様の愛を受けられなかったこと、完成級の位置で愛を受けられなかったことを、解怨成就できる基準になるのです。
イエス様が三十三歳で亡くなったので、三十三歳以下の若者たちは、イエス様の恵沢を受けられずに霊界に行きましたが、興進君が行くことによって、十代圏全体が愛の圏内に入っていけるようになるのです。十代圏が長成期完成級に連結されたので、原理結果主管圏がサタン圏の干渉から抜け出す時代に入ってきたというのです。
長成期完成級が、アダムとエバが堕落した年齢ですが、それを連結させることにより、十代はもちろん、幼かった時から、堕落していない圏内に越えていくようになるのです。それを蕩減してあげたのです。原理結果主管圏内にいるサタンが地上で権限を行使できず、後退する時代に入ってきたということです。
原理的に見るとき、真の父母様の息子をサタンに引き渡す条件はありません。犠牲になってはいけないのです。同じように、神様の息子であるイエス様を渡す必要はなかったのです。しかし、イスラエルの国とローマとユダヤ教を救うために、引き渡したのです。このように、父母様が興進君をサタンに渡さなければならない何の条件もありませんが、キリスト教、自由世界、全世界のために、興進君を渡したのです。