Episodes
Monday Jul 10, 2023
真の父母経 第196話
Monday Jul 10, 2023
Monday Jul 10, 2023
23 イギリスで、責任者が報告した内容があります。ある婦人が、霊界で興進君と共に活動している背景を教えてくれたのですが、聖フランチェスコはイタリアで死んだにもかかわらず、一度もイタリアに行けなかったというのです。ところが今回、興進君が霊界に来て配置することによって、初めてイタリアに行けるようになり、「どれほどうれしいか分からない」と言っているというのです。
また、ドイツの南部にいた一人の主教は、ドイツで死んだもかかわらずドイツに行けなかったのですが、興進君に「ここで監督しなさい」と言われ、ドイツに来て働くようになり、「真の父母様に協助できる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたというのです。その報告はすべて、お父様が語ったことと一致するのです。
霊界にいる人々は、興進君のことが分かりませんでした。「あの東洋の少年は誰だ。イエス様がそわそわしている」と言って不思議そうにしているので、興進君が「私が興進である」と言ったそうです。
するとイエス様が、「自分はオールド・キリスト(Old Christ)であり、興進君はヤング・キリスト(Young Christ)である」と言ったというのです。
第三節 ダンベリー刑務所での受難と獄中生活
聴聞会での証言とダンベリー収監
一九八四年七月二十日、アメリカのコネティカット州ダンベリーにある連邦刑務所に収監された真のお父様は、収監の前日に発表した声明書を通し、この事件の発端は脱税問題ではなく、政府の権力濫用による宗教迫害であると主張された。これに先立ち、六月二十六日には、アメリカ国会の上院司法委員会憲法小委員会の聴聞会で、堂々と無罪であることを証言された。
1 私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました。
神様は一九七一年、私に対して、「アメリカに来てキリスト教信仰の復活運動を展開し、この国の霊的基盤を回復させなさい」と命令されました。アメリカで信仰なき生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時期に、霊的覚醒を起こすために私を送られたのです。私自身は、共産政権の監獄で、死ぬ直前の状況まで耐え抜きました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせる神様のみ旨のためであれば、むしろ監獄に行くことを願います。皆さんが私の活動を理解するならば、本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たと信じられるでしょうか。
事件の発端は、税金問題ではなかったのです。これは、政府による教会内の問題に対する侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信念と活動以外に、いかなる理由もありません。これから私は教会の世界本部を、この国のために祈り続けるダンベリー刑務所に移すでしょう。私が神様に感謝することは、人類の歴史上、最も困難な時期に、私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的な覚醒運動に火をつける道具として用いていらっしゃるということです。神様の祝福がアメリカに臨むことをお祈りします。
2 私がダンベリーを訪ねていく時、世界の統一教会員たちは、「お父様が行かれたらどうなるのですか」と言いましたが、「今から新しい世界が始まることが分からないのか。ダンベリーの向こう側に天が何を準備しているか皆さんは知らないが、私はきょうそれを目にしている。アメリカの全国民が頭を下げ、世界の人類が屈眼する希望の土台を築く太鼓の音の響きが、皆さんには聞こえないのか」と答えました。夢を抱いてダンベリーを訪ねていったというのです。
監獄に入る時は、アメリカの朝野に影響を与える力をもった男が、敗者の悲しみの道を行くかのような姿でしたが、私は敗者ではありません。「あすの朝が明け、この門を開いて出てくれば、あなたたち(アメリカ政府)は秋を迎え、私は春の園を迎えて、新しい芽を出すだろう。あなたたちは、この青い園に足を踏み入れることができないという千年の恨を抱くだろう」と言いながら、堂々と夢の道を歩んだのです。
3 一九八四年七月二十日は、本当に永遠の歴史の中から抜いて消し去りたい日でした。お父様はダンベリーに出発する瞬間にも、皆さんを激励し、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。二十日の夜十時にイーストガーデンを出発し、ダンベリー刑務所までお供いたしました。何回も唇をかみながら、固く決心しなければならないと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙をこらえることはできませんでした。車から降りる前にも、御自身に差し迫ってくることについては少しも心配されず、かえって私(お母様)を慰めるため、とても気を遣われる姿を目にしながら、私はただただ、どうすればよいのか分かりませんでした。
お父様は出発する前に、「私は監獄まで解放しに行く」と語られ、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈りなさい」というみ言を何度も繰り返されました。そして、二十二日のきょう、早朝にお父様が私に電話を下さり、皆さんに「神様の召命を受けた者として、キリスト教を燃え上がらせよ」と伝えてほしいと言われました。お父様の自由を保障できるかどうかは、皆さんにかかっています。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今までしてきたことと、また、今指示しているすべての内容を、あらゆる精誠と積極的な活動によって、必ずや成就してください。皆さんの精誠に神様が感動し、サタンは手を挙げ、歴史は新しい時代を迎えるでしょう。(真のお母様、1984/7/22)
4 お父様の恨がいくら多いといっても、神様の恨に比べることはできません。「(天の恵みを)そっくりそのまま与えよう」と思っていたら、監獄に行くことになったのです。日本帝国主義の統治下でも監獄に行き、北朝鮮に入っても監獄に行き、大韓民国に来てからも監獄に行き、アメリカに行っても監獄に入ったのです。ソ連、中国の監獄まで見据えながら行動しました。死ななければ、監獄に行くのです。
しかし、私は死ねません。監獄に行くようになっても、滅びることはできないというのです。私が監獄に行けば、監獄の壁を貫いて出てくるのです。アメリカのダンべりーの監獄に入る日、世界の統一教会員たちが来て、止めどもなく涙を流すのを目にして唖然としました。「皆さんはダンベリー刑務所の鉄の門だけを見つめている。ダンベリーの塀の向こう側の世界は見ることができずにいるが、私はそれを見つめている」と言いながら監獄に行ったのです。
解放のラッパの音が聞こえ、刈り入れの収穫の歓声が聞こえてきます。見ていなさいというのです。間違いなく跳躍が起きるのです。跳躍が起きなければ、跳躍が起きるように指導して教えなければなりません。今や、アメリカが私の世話にならなければならない時が来たのです。
5 神様が人を愛するとき、愛のふろしきを倉庫に残しておいて、八〇パーセントだけ愛したとすれば、欲深い人はじっとしていません。倉庫をすべてかき分け、なめ尽くすように探してみて、間違いないというときに、初めてこちらに振り向くようになるのです。人間はそのように欲深いというのです。神様は、神様の愛を残らず受けさせるために、そのように欲張りな人間を造りました。ですから、愛に乗っていく欲心は、千年の歴史が歓迎するのです。それゆえ、私は、愛に乗ってアメリカに行ったのです。
今、前面では反対していますが、また裏面では歓迎するのです。上は反対しますが下は歓迎し、現在は反対しますが未来には歓迎するというのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか。ですから、私は心配しませんでした。監獄に入って横になっていても、どれほど気持ちが楽だったか分かりません。よく消化できます。どれほど気楽か分からないのです。他の人々は「死ぬ」と言って大騒ぎなのに、私はよく眠ることができ、よく食べることができました。監獄が問題ではありません。
尊敬を受けたダンベリー刑務所での収監生活
真のお父様は、世界的なゴルゴタの峠を越えるときも、決して挫折されなかった。罪なき監獄生活ではあったが、かえって模範的な生活を通し、刑務所にいる人々に大きな感動を与え、アメリカのために祈られた。アメリカに対する神様のみ旨があるがゆえに、アメリカを愛さざるを得なかったのである。真のお父様は、ダンベリー連邦刑務所に収監されている期間も、中断することなく摂理を率いられ、真の愛の生活を通して、囚人たちからも尊敬を集められた。特に、刑務所の雰囲気を一新して愛の環境をつくられた。
6 ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三ヵ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。
それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。
7 アメリカの監獄に行って愛そうという心をもった人が、監獄にいる一人の人を愛すれば、それはアメリカの国民全体を愛したという条件的立場に立つのです。その場には天地が同伴します。ですから、私はアメリカを愛したというのです。誰よりも愛しました。誰もが嫌だと思う監獄の囚人たちを、私は誰よりも愛したのです。そのような(愛の)表題を掲げて出てきて叫んでも、それに対して、「違う」と言うことはできません。そこにいた人々が証するのです。
差し入れをもらって、良いものがあれば、私のところに持ってきてくれようとするのです。そのような監獄生活を送るのは簡単なことではありません。人のために尽くしてあげなければなりません。ために生きるところから新しいものが創造されるのです。そして、ために生きる人が、その創造されたものを所有するのです。天理原則がそのようになっています。ですから、神様の創造は、ために生きる心情圏の園から始まったというのです。
8 ダンベリー刑務所に入っている時、どのようなことがあったでしょうか。統一教会を信じたのち、出ていったという人が、手紙を送ってきました。その人は七年間ファンダレイジングをしながら苦労し、あることがきっかけで離れたのですが、離れてみると、その七年間に学んだことによって、空腹の時には稼いで生きていける人になり、困難な時も自分が同情されることを願うのではなく、同情できる人になったそうです。
また、「統一原理」は、天下において合わない所がないというのです。その人は大学院を出たのですが、大学に行っても、そこの先生が未来のための道を示してくれたことはなく、自分の父母も、誰も、未来のために道を示してくれなかったそうです。しかし、たった一人、東洋から来たお父様からこのようなことを学べたので、心から感謝しますと書いてありました。
私はその手紙を監獄で読みながら、「よし!レバレンド・ムーンは死んでいない」と思いました。お父様は、死にゆくアメリカの人々を復活させ、新芽が芽生えるようにしているというのです。国を愛する若者たちを、アメリカの新しい未来のために支柱となる核心的な要職に配置したので、このアメリカは刷新されるでしょう。