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Monday Jul 10, 2023
真の父母経 第197話
Monday Jul 10, 2023
Monday Jul 10, 2023
9 私がダンベリーから出たあと、そこの責任者が、「一人の影響がここまで大きいとは思いませんでした」と語っていたという話を聞きました。お父様が監獄にいる間、酒を飲んでいた者たちは、酒を飲むとき陰に隠れて飲み、大麻のようなものを吸うときもお父様の目に映るかと思い、森の中に入って隠れて吸い、けんかをしていても、お父様が来るとやめたのです。なぜ囚人たちが、それほどおとなしくなったのか分からないというのです。
ところが、お父様が出ていって三日もたたないうちに、昔のとおりに戻ってしまったというのです。それを見て、「このような監獄世界で、語ることなく影響を及ぼして帰っていくとは、あの一人の人がどれほど偉大な力をもっていたのだろうか!」と話し、それが話題になったというのです。それは、私がした話ではありません。法務省の調査官たちが行って調べ、私に報告したのです。
私は監獄に行っても、どこに行っても、愛を中心として何かを残そうと身もだえしています。そのようなつらい人生行路を歩んでいくというのです。そのような世界の歴史的な代表者がお父様です。
10 私がアメリカに行って、ダンベリーでの監獄生活をしていなければ、アメリカのことがよく分からなかったでしょう。ダンベリーは小さな社会ですが、その国の一番悪いものと一番良いものがすべてありました。一番良い人と一番悪い人に会うことができました。私が彼らを心情的に一致させ、ひざまずかせて訓示できる立場に立ったのです。それは未来にアメリカ国民を教えていける心情圏の蕩減条件基盤になりました。ここでアメリカを完全に学び、知ることができました。その囚人たちは、ため息しか出ないのです。アメリカに対して、自分たちは間違ったことをしていないと思っています。
そこの監獄にいる賢い囚人たちは、会議をして、私がそこに入って間違ったことをすれば、私の命を奪おうと約束していました。そこでは、一晩のうちに人一人の命を奪うのは簡単です。普通なのです。それを私は知っています。その社会と闘うことなく、同化させていかなければなりません。結局、六ヵ月後には、彼らがみな、私を尊敬するようになりました。それがお父様の能力です。
11 ダンベリー刑務所にいる時、私は昼食時間にもよく仕事をしました。そのように過ごしているので、刑務所の炊事場の責任者が私の所に来て、「もう昼食の時間ですから、早く食事をしてください」と声をかけてくれました。人は、そういうものなのです。私が昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと、私のところに来ては促して食事をさせてくれ、自分の物をよく分けてくれたりしました。人の良心は監獄でも同じです。そのように生きれば、監獄に行っても友達ができ、私を擁護する人が現れるというのです。皆さんは、このことを忘れてはいけません。これは最も貴い話です。
天からそのように受け取ったので、受けたとおりに、その伝統を伝授しなければならないのです。他のために生きようとする人は滅びません。(そのようにして)滅びの道に進めば、宇宙が保護します。死の道に進めば、反対に命を奪おうとした人が死ぬのです。うまくいかないように思え、滅びるように思え、消えてしまうように思えるのですが、生き残り、栄え、発展するというのです。反対なのです。それは、神様が保護するからです。宇宙が保護するからなのです。
12 私は監獄生活もたくさんしましたが、全体のために生きる生活をしたところ、監獄で私のために命を差し出して従う人々をたくさん目にしました。工場で働くときも、彼らはお父様のそばに来て働こうとします。
ダンベリーでもそのように過ごしていると、ある人が「お父様と親しくなりたいのだが、近づき難くて話ができない」と言ったそうです。何度も私の所に行ってみたのですが、口が開かなくて話ができなかったというのです。それが不思議だというのです。お父様にはそのような何かがあります。
荒々しく拳を振り回していた人々が、なぜそのようになったのか分からないというのです。それでも、私に対して好感をもつのです。お父様には不思議な力があるということです。
神様の心情と、神様はどのようにいらっしゃるかを知り、全体のために生きようとしていくと、話をしなくても自然に権威がつくのです。
13 ダンベリー刑務所にいる人々の年齢の割合を見ると、三十歳前後の人が多くいました。それを越えると、だんだん少なくなっていきます。そこに入ってきた人の中の相当数が、麻薬のゆえに来た人々です。そして、大概、キリスト教の信仰をもっていた人々です。ほとんとがプロテスタントかカトリック信者の家庭の人々なのです。
そのような若者たちがそのようになったという事実は、ブロテスタントの指導者である牧師やカトリックの神父たちが、責任を果たせなかったことを意味します。彼らが悔い改めなければならないと切実に感じました。私がアメリカで新しい旗を掲げて現れて、そのように腐敗し、死の道に落ちていく若者たちにどれほど影響を及ぼしているのか、良い面で影響を及ぼしているのか、悪い面で影響を及ぼしているのかという問題を中心として、深刻に分析せざるを得ませんでした。
14 私が監獄に行っている時、本当におもしろかったのは、必ず天が相対する者を連れてきてくれたということです。本当に不思議です。ダンベリーに入ると、あるイタリア人がいたのですが、彼は私に会うと、訳もなくうれしくなるというのです。なぜそうなるのか不思議だというのです。御飯を食べて働きに出れば、お父様がいるかいないか一度来て確認してこそ心が安らかになるのですが、それはなぜかというのです。自分の妻と初めて愛する時も、このようなことはなかったと言いながら、本当におかしいというのです。
お父様といれば天下万事に心配がなく、一人で離れていれば、だんだん心配になるというのです。それで、私が寝るとき、その人が夜を徹して護衛をするということが起きました。それは、命じたからといってやりますか。お父様を保護しなければならないことが分かるというのです。自分は眠らなくても、守ってくれました。それは、自分から願ってするのであって、強制ではありません。自分の心がそのようになるのです。
15 お父様は、一度決定して実行したからには、その結果が悪かったとしても、不平を言いません。私はアメリカに来て迫害を受け、ダンベリーに行ってきましたが、それに対して不平を言わないのです。それがアメリカ社会を知り、アメリカ人を知り、西欧社会の制度を知るのに役に立つことはあっても、損害にはならないというのです。ですから、アメリカの人たちが知らない監獄の世界まで、私は知っているのです。
アメリカの実情を誰よりもよく知る人です。監獄まで知っているというのです。その監獄まで、これから天国化しなければならないのですが、その使命は簡単ではありません。
私が監獄にいた時、監獄にいる人の中で私に従ってこようとする人が本当にたくさんいました。だからといって、私が説教をしたわけでもありません。話はしませんでしたが、毎日過ごす生活を通して彼らに影響を与えたのです。ダンベリーにいた人々に、私が「集まりなさい」と言えば、恐らく監獄から出てきた人は、みな来るだろうと思います。多くのアメ力人たちは、(お父様のことを)「嫌だ、嫌だ!」と言うのですが、監獄にいる人々はお父様を歓迎したというのです。
16 ダンベリーの監獄に大きな岩があるのですが、今も懐かしく思うのが、そこに座って休めたことです。土曜日と日曜日は休まなければなりません。かといって、寝てばかりいられません。夏は部屋に座っていると息苦しいので、山のやや小高い場所にある岩の所に行って寄り掛かって座り、グウグウいびきをかきながら居眠りをして、はっと目を覚ましたことが何回もあります。それがどれほど懐かしいか分かりません。今まで私は、そのように寝てみたことがありませんでした。心置きなく、四肢を伸ばして眠ることができますか。公的な人は大変なのです。
17 アメリカの監獄に入っても、心配はしませんでした。監獄がどれほど気楽か分かりません。私は、以前は三時間しか寝なかったのですが、そこでは八時間寝なければ御飯をくれないのです。ですから、眠れなかったことをすべて蕩減しました。遊ぶこともできないほど忙しく生きてきたのですが、そこでは、休みの日になると、終日二十四時間、遊ぶしかありません。一日中、本を読んでも、誰も恨み事を言いません。ですから、「神様、ありがとうございます」と言ったのです。反対のことが起きるというのです。
分かってみれば、こちらからあちら側に行かせるための天の作戦でした。私がすることを、サタンはできないのです。私は二つの面をすべてこなしましたが、サタンは二つの面をこなすことができません。一つの面の専門家にしかなれないので、両面の専門家には負けるしかないのです。解放圏に向かっていくときにサタンが付いてくることができないので、アメリカが屈服し、世界が屈服するのです。今や、私に反対する人はいません。
18 イエス様も、十字架上で「怨讐を愛しなさい」と語り、お父様も、ダンベリーでアメリカ国民に対する愛の基準を立てました。お父様は、ダンベリーで怨讐を愛しました。ダンべリーに入ってみると、囚人たちが何人か集まって座れば、みな刑務所の職員たちを批判し、政府を批判していました。ところが、お父様は批判をせず、同情して彼らを感化させました。結局は、彼らが尊敬できる愛の環境で束ねたのです。お父様の愛に同化させました。愛はすべてのものを治めるのです。お父様は監房にいるのですが、彼らは我知らずお父様を尊敬し、お父様の愛に包まれていくようになったのです