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Sunday Aug 06, 2023
真の父母経 第220話
Sunday Aug 06, 2023
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ゴルバチョフとの会談とソ連に対する指導者教育
モスクワ大会の期間である四月十一日、クレムリン宮殿で開かれた真の父母様とゴルバチョフ大統領の歴史的会談を通し、韓国との修交、韓半島統一、ソ連内における宗教の自由拡大の問題などが議論された。真の父母様はこの場で、無神論的唯物論の未来は滅亡しかないため、唯物論を廃棄し、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるよう勧告された。そして、真の父母様の提案により、鉄のカーテンによって閉ざされていたソ連と独立国家共同体の大学生および指導者クラスの人士を、アメリカなどの海外研修に送るプロジェクトが始まった。一九九〇年七月一日から八月十九日まで、四回にわたって三百八十人のソ連の大学生が、アメリカの統一神学大学院で開かれた国際指導者セミナーに参加した。そして、一九九一年一月から二月、ハンガリーの三ヵ所で七百人が参加する中、セミナーが行われ、一九九一年七月から八月には、大学原理研究会の主催により、バルト海沿岸の四ヵ所で二千人以上の学生が参加する中、二十四回にわたってセミナーが開催された。一九九二年一月二十六日から二月九日までは、ウクライナのクリミア半島の十八ヵ所で三千百六十人の学生のため、二十七回にわたるセミナーが開催された。一九九二年三月二十日から四月一日までは、高校教師と独立国家共同体の学生のための「統一原理」セミナーが開催された。このセミナーは、二十三ヵ所で四十回にわたって行われ、七千二百二十九人が参加することにより、それまでの修練生参加入数の最多記録を打ち破った。その年の夏には、八週間にわたって独立国家共同体の五つの地域の二十六ヵ所で開かれた百二十九回のセミナーに、一万八千四十二人が参加した。
13 ソ連が生きる道は、お父様が「やろう」と言うとおりにすることです。KGBは恐ろしい組織です。私たちは言論界を中心として活動をしてきたのですが、モスクワ大会は、KGBが背後で操り、身元保証はノーボスチ通信社が行いました。お父様が調べたところ、そのようになっていたのです。ですから、強大な勢力基盤になるのです。
その人々と私たちが共同で「世界言論人会議」を主催したという事実を、ソ連の人々は理解できません。これが三大不可思議の中の一つです。
三大不可思議とは何かといえば、第一は、お父様がオクチャブリスカヤというホテルに滞在したということです。そのホテルは、キユーバのカストロや北朝鮮の金日成主席のような人々が行って滞在する所です。そこにお父様が泊まっていたという事実が、不可思議なことです。
第二は、お父様がゴルバチョフに会ったということが不可思議です。お父様を捕まえて命を奪おうとひそひそ話し合っていた人たちが、なぜそのようにできるのかというのです。言い換えれば、ゴルバチョフがどうしてお父様に会うことになったのかということです。
第三は、ノーボスチ通信社と私たちが共同で言論人大会を主催したという事実です。これは、ソ連共産党の七十三年の歴史であり得ない事実なのです。
14 ソ連訪問の一週間の期間に、ソ連の内部が完全にお父様と連結されました。ゴルバチョフを中心として、核心要員、重要なメンバーたちが連結されたのです。ですから、ソ連に行っているアメリカ大使館、自由世界のすべての大使館が束になっても、お父様がしたことはできないというのです。そのような段階まで、すべて成し遂げておきました。
この次に、お父様がゴルバチョフに会って握手しながら、「私の言ったとおりにやらなければ、ソ連を救えない」と言えば、「そのとおりです」と言える段階にまで来たというのです。私の話を聞かざるを得ません。
なぜゴルバチョフがお父様に会えば喜び、幹部たちもお父様を好むのでしょうか。ソ連を生かしてあげるために来た人だからです。そのために借金を背負っている人がお父様です。借金をしても、その国を生かしてあげようとする人、借金をしてでも、ゴルバチョフを生かしてあげようとする人は、歴史時代にクレムリン宮殿を訪問した政治家や外交官の中にもいないでしょう。
借金をしながら行うのです。ですから、良心があるすべての人は戻ってくるのです。そこは怨讐の国です。私たちにどれほど反対したでしょうか。そこには、今も反対する人が大勢います。しかし、お父様はその国に、愛をもって、天国の理想をもって行ったのです。
15 お父様がソ連に行く時、共産主義系列の大統領を七人も連れて入りました。キューバの元大統領とイエメンの元大統領、私を紹介したコスタリカの元大統領などがそうです。「頭翼思想」を中心として左右を率いていくので、ゴルバチョフが無視できないのです。自分が一番頭を痛めている国が、その国々なのです。
このようなことを既にすべて収拾し、お父様を中心として集まっているので、その雰囲気をしっかりと利用するのは、自然の法則です。
事が実現するように追い立てていくのです。仕事が上手な人は、そのようにするのです。お金を持っているからといって、実力があるからといって、仕事が上手なわけではありません。環境に合わせて、それに乗じていくようにするのが、上手ということなのです。
16 モスクワに行って、お父様ははっきりと宣言しました。ソ連が生きる道は、ただ宗教的な道しかないというのです。お父様は、生涯を宗教指導者として過ごしてきました。共産主義世界の真ん中であるモスクワで、はっきりと宣言したのです。ですから、共産主義の指導者たちが驚きました。ゴルバチヨフもそれを聞いて同じように驚いたのです。
最後のバンケットでは、「ソ連は絶対に神様を知らなければならない。その新しい道を発見することが、ソ連が新たに復活する道である。再び帰らなければならない。そのようにしなければ道がない!取り除かれてしまう!」と、さらに強烈に話したのです。「神様を受け入れなければ終わりだ」と言いました。
「ソビエトの共産主義圏内にいるすべての人々は、共産主義を嫌っている。だから、皆さんは七十年前に戻らなければならない。原点に帰るべきである。ロシア帝国がどれほど繁栄していたことか!」と、このように宣言したのです。共産主義の中心に向かって対抗したのです。
17 お父様がソ連を訪問し、モスクワ大会を通して、共産主義を根本的にひっくり返しておきました。ゴルバチョフに会って、「マルクスとレーニンの銅像を撤去しなさい」と言ったのです。
「これを撤去しなければ、あなたが、これから世界的な歴史に記録を残す指導者だと言ったとしても、共産主義の名によって侵害されたすべての傷を埋める功を立てることはできない」と話しました。その功を立てられる条件になるので、彼は銅像を壊し、撤去してしまったのです。モスクワからマルクス、レーニン、スターリンの銅像を降ろさせた人が、正にお父様です。
18 お父様はソ連に行って一週間滞在し、帰ってくる時には涙を流しました。「モスクワよ、元気でいなさい。いずれまた来よう。あなたたちが待ち疲れる前に、私は来よう」と言ったのです。そうして、出発する時に歓声が聞こえました。ソ連から霊界に行った数多くの霊人たちの歓声が聞こえてきたというのです。「どうか、また来てください」と言う声でした。ですから、普通の人ではありません。それゆえ、統一教会には希望があるというのです。
今後、ソ連における統一教会の基盤と活動は、劇的に拡大されることを体験してきました。皆さんも、ソ連の衛星国家とソ連に対して関心をもたなければなりません。既に一九七〇年代から密使を送りました。アメリカ、イギリスなど、ヨーロッパの先進国の若者たちを教育して送ったのです。その人が、不意に消えてどこに行ったかと思っていたのですが、今見てみると、ソ連の宣教師になっており、その衛星国家の宣教師になっていたというのです。みな離れてしまったと思ったのに、そのようなことをしていたというのです。そのような歴史を経てきた師です。皆さんも、そのような道を行くベき責任の時代が来ました。
19 お父様は、ソ連のゴルバチョフと偶然に会ったのではありません。会わざるを得ないようにして、会ったのです。その夫人にまで会い、その指揮下にいる重要な人々にすべて会ってきました。十二年前からそれを計画しました。彼らは、ソ連の衛星国家を啓蒙した人がお父様であることを知っています。ソ連の共産主義が、お父様によって今そのようになったことを、すべて知っているのです。
一九八八年にゴルバチョフがアメリカに来た時、国会で演説することになっていたのを、誰がさせなかったのですか。お父様が背後で「ワシントン・タイムズ」を通してさせなかったのです。二年前にそのようにしたのですが、その人が、お父様を自分の奥の間まで親切に案内せざるを得ないことを理解したのです。
今やお父様が黙っていても、ソ連はお父様に付いてこざるを得ません。それで、ソ連政府の重要な幹部二百人をアメリカに連れてきて、教育することを計画してきました。有名な教授たち、経済学の博士たちを連れてきてプログラムを組み、教育することを約束してきたのです。
20 私は、モスクワで飛行機が離陸する十五分前に、ゴルバチョフが遣わした文部大臣に会いました。彼はお父様に、「あなたは共産主義を滅亡させるために先導的な立場で闘争歴史を残しましたが、宗教者であれば、滅ぶのを見て喜ぶ人ではないでしょう。共産主義が生きる道とは何でしょうか」と尋ねました。それで、「必ず、もう一度神様を崇拝しなさい」と答えました。
それを手伝うために、三千五百人から四千人近いソ連の青年指導者をアメリカに連れていき、数ヵ月間にわたって教育したのです。時がいつでもあるのではありません。
CIAは、お父様に対して、「共産主義者たちを連れてきて教育し、アメリカに広めようとしている」と騷ぎましたが、結局はお父様を信じました。ソ連を料理し、アメリカを先導して指導した実績基盤があったので、反対する名目がなかったのです。KGBの副委員長まで来て、教育を受けて帰りました。野党の党首も来ました。
そのような中、ゴルバチョフ政権の時に三日間のクーデターが起きたのですが、三千人の大学生のうちの有志が戦車の前に横たわり、動員されたクーデター軍を阻んだのです。のちに、ソ連の文部大臣がお父様に、感謝するという内容の手紙を送ってきました。そのような歴史を経てきたのです。その背後に、どれほど多くの苦しみがあったか分かりません。
21 一九九〇年十二月十三日に、ソ連とその衛星国家の党首たち五十八人が、アメリカを訪問しました。ソ連と衛星国家は互いに怨讐です。ところが、彼らが教育を受けてからは、互いに完全に一つになり、ムーン・パーティー・クラブ(Moon Party Club)、文党をつくって帰っていきました。
ヨーロッパの衛星国家をソ連と一つにし、共産圏を一つにできるのは、お父様の思想しかないというのです。このクラブをつくって、衛星国家が連合戦線を広げ、世界的にお父様の思想を中心として、国策、国家の施政方針を定めていけるように宣布するという覚悟をして、帰っていったのです。