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Thursday Oct 05, 2023
真の父母経 第280話
Thursday Oct 05, 2023
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アメリカ水産事業の発展
真の父母様は、アメリカで沿岸警備隊がいる三十カ所にオーシャン・チャーチをつくって訓練し、アメリカの水産事業、趣味を兼ねた海洋観光事業を準備された。また、セイロ組織の全米化と水産事業販路の世界的基盤を築こうとされた。
このような海洋摂理のために、造船所と水産物加工工場を建て、若者たちに販売の訓練をされた。五大洋で獲れる魚を一時に供給するための組織を編成して、アメリカの水産市場を主導しようとされたのである。また、「国際海洋産業(IOE)」という水産物運輸事業も始められた。
30 私たちは、アメリカで沿岸警備隊がいる三十ヵ所に基地を造り、「オーシャン・チャーチ」という名前で新しい教会組織をつくって活動しています。そうして、その地方に行き、魚を獲るすべてのことを革新するのです。改革をしようというのです。
座って他の人に付いていく人は改革ができません。立ち塞がって、「私の話を聞いてみなさい!」と言える人が改革をするのです。そのようにしようとすれは、そのような人を育てなければなりません。
31 私が、アメリカで海洋を開拓するために、アメリカにないものを一つつくったのですが、それがオーシャン・チャーチです。最も重要な所に、三十のオーシャン・チャーチをつくりました。
そうして、水産事業もするのですが、海洋観光事業をしようと思います。これから世界的に観光事業を行うつもりです。趣味を兼ねた観光事業、それをするために、オーシャン・チャーチをつくって訓練させたのです。
32 アメリカで経済基盤を築くに当たって、選択した二つの事業は、セイロ(世一路)組織全米化運動、その次に水産事業販路の世界的基盤を築く運動です。これを、どのようにしてすべて行うかが、現実的問題として登場しました。機械工業が現在、西欧文明の中心だとするならば、水産事業には主人がいません。これが内容において、主体と対象の関係になっています。そのような意味で原理的です。
ですから、私は、損害を受けても水産事業に投資をし、セイロの発展のために投資をするのです。教会が犠牲になっても、ここに投資して、基盤を再創造する努力をしなければならないというのです。
33 「ニューホープ」という私たちの船は、アメリカ東部においてマグロ釣りで有名であり、南米でもうわさになりました。私がそのようなことをするのも、水産事業を開発する人材を育成するためでした。そのままではできません。私が自ら、二十四時間、船に乗って回りながら若者たちを教育したのです。最初は、「船に乗りなさい」と言えばみな逃げ出し、言うことも聞きませんでした。ところが、私が時間さえあれば話をし、四年、五年が過ぎ、七年たつと、女性たちまでも「私がキャプテンになる」と言うのです。そのような雰囲気をつくりました。
そのようにしながら、造船所を造り、水産物加工工場を造り、そして、販売できるように訓練させました。移動バンを中心として、販売訓練をさせたのです。一年間で、網を作り、船を造り、魚を釣って、その次には魚の販売までしたのです。釣った魚が売れなければ、加工工場を中心として処理しなければなりません。シーフード・レストランまで造らなければなりませんでした。そのようなものを中心として、水産事業の基盤を築いたのです。
34 私はベリータウンに行って、鯉を数千匹獲りました。池の水をくみ上げると大きな亀が六匹も出てきましたその亀たちを、ハドソン川に放してあげました。また、最初に獲った鯉も放してあげました。鯉を前にして、「君たちは愛を通して生まれ、愛のために死ぬのが道理なのだから、愛する人々のために生きるのが良いか、死ぬのが良いか」という問題について考えたのです。
(そして、)「このように見れば、君たちは犠牲になるのだが、将来、アメリカの水産業を発展させ、統一教会の人々がこれから君たちを通して、神様のみ前にさらなる忠誠を尽くし、人類をより愛することのできるエネルギーとなり、肉になると思う。君たちは魚として生まれたが、私の息子、娘と同じように、アメリカ国民と同じように考えてあげられる肉になり、心になる。そのようになれるように愛してあげるのだが、それも嫌か。君たち鯉は、愛する息子、娘、アメリカ国民の血となり、肉にならなければならない」と言ったのです。
35 アフリカ人が喜び、南米の人が喜び、アジア人が喜ぶ五大洋の魚を、私たちが一時に供給できる組織を編成して、アメリカ市場を占領し始めました。例えば、アフリカ人がレストランに行って魚を食べるとき、自分が食べてきた魚、自分の味覚になじんだ魚を求めます。ところが、レストランにその魚がなければ、その客は帰ってしまうのです。ですから、今、五大洋で獲った魚をレストランに補給できる運動をしようというのです。
アメリカの人々は一日八時間働くので、午後五時になればレストランの門をすべて閉めますが、私たちは二十四時間、営業するのです。また私たちと関係のあるレストランに品切れになった材料があれば、私たちと関係のある他のレスランから補給してあげるのです。ですから、誰も私たちにかないません。それで、水産業界では、お父様の評判が高いというのです。
36 アメリカにおいて「国際海洋産業(IOE)」は、アメリカの水産事業家たちが競争の対象として注目する会社になりました。魚も獲りますが、今や運輸事業までしなければならないというのです。それがある基準にさえなれば、ハワイと東京の間を直行し、ヨーロッパと南米を巡回できる船ができます。
現在、世界に多くの国々がありますが、問題はアメリカです。輸出入をするに当たって、アメリカが世界的な代表なので、このアメリカを中心として連結しなければなりません。各国が往来しながらアメリカに品物を降ろし、帰るときは空の船で帰ります。そのように空の船がどの港にでも行けば、私たちのメンバー数百人が出てきて、一瞬にして品物を載せてあげられる組織を備えるのです。そのように、「運輸事業で世界人類を生かすための奉仕活動をする」と言えば、全世界の国家が後援するようになるのです。
第三節 釣りと精誠
釣りは精誠を尽くすためのもの
真の父母様は、二〇〇四年四月二十四日から八十五日間、麗水の海と貯水池で、昼夜なく釣りをしながら特別精誠を捧げられた。釣りには、堕落した人間を救おうとされる真の父母様の一念と精誠が込められている。特に、真の父母様が釣りをされるのは、釣り自体のためではなく、神様の摂理をかけて、最高の精誠を捧げるためであった。そして、真の父母様は、釣りをされながら精神を集中し、瞑想しながらみ旨の成就のための構想を練られた。このような過程を通して、心と体が一つになって神様と連結されることによって、霊的に深い対話も交わされた。その一方で、多くの経験を通して体得された釣りの要領を食口たちに教育し、伝授されたのである。
1 お父様は、魚を釣ろうと思って釣りをするのではありません。精誠を尽くせば、行く道に光がさしてくるのです。一人で、世界的な仕事を抱えて処理しなければなりません。世の中に相手がいません。精誠を尽くすことが、精神を統一することなのですが、これは恐ろしいことです。精誠を尽くし、最高に努力する人が、頂上を占領できるのです。
2 世の中の人ができないことをしてこそ、霊界から協助するのです。並外れたものでなければ、サタン世界と変わらないので、天が役事できません。並外れていてこそ、役事するのです。
お父様も、訳もなく精誠を尽くしながら、このようにしていると思いますか。世の中の人が海に行ったり、陸地に行ったり、高い山に登ったりする、その基準以上にしなければならないと考えるので、天が協助するのです。お父様は、その基準を失わないようにするために、釣り竿を持ち歩くのです。釣りが目的ではありません。
3 私たちが海に出て釣りをするのは、世の中を釣るということです。精誠を尽くすのです。皆さんも海を愛さなければなりません。精神を集中するには、釣りが一番早いのです。お父様が経験したことです。釣り竿を仕掛けて峰を眺めながら考えるのです。「あの峰が、天のみ前に精誠を尽くした人と焦点を合わせる、その日が来ることをどれほど期待しただろうか。それが正にこの時間である。ここに精神を集中し、この釣り竿を動かして万民の救いの道を開いていくのに同調することにより、お前たちも解放される」と考えます。そのように、万物を中心として考えるのです。飛んでいくかもめを見ても、話しかけながらそのような決意をするのです。「ぶれることのない中心、統一基準において摂理的なみ旨の終結を願う志の前に、お前たちが協助し、万物全体が真の父母の代わりに一つの標的の対象となって、精誠を尽くした代身者として動きなさい」と考えます。雨が降ろうと雪が降ろうと、関係ありません。暴風が吹き、雷が落ちて騷がしい中でも、i釣りをするのです。それを忘れてしまおうというのです。そのような生活をします。昔、グロスターで「ニューホープ」に乗ってワシントン大会成功のために精誠を尽くしたことが,忘れられません。「ニューホープ」の二階に座り、二十一日間、釣りをしても魚が一匹もかからなかったのですが、それでも心は変わりませんでした。自分の思いではありません。空中に浮かんでいるかのようでした。みな深刻でした。そのようにしていたところ、神様が助けてくださり、奇跡が起きたのです。
4 海で船に乗りながら、一人で話をするときがあります。心が話すことを聞くのです。我知らず独り言を言うのですが、それを聞いてみると、預言になっています。きょう起きることあす起きることを、自分がぶつぶつ語るというのです。船に乗っていれば、自分も知らないうちに独り言を言うようになります。それが預言になるのです。啓示の言葉です。
心と体と、いつでも一緒に友達になれるのは、船に乗るときです。船に乗れば、海に私一人しかいません。水平線しかなく、船と私一人しかいないのです。主体がどこにいますか。体と心しかありません。ですから、そこで九〇度を探し求めれば、神様もそれを願うので、すぐに連結されるのです。体と心が一つになれば、直接霊界と接触できる近い距離になるので、そのようなことが可能なのです。
神様が地上を訪ねたいと思う所は、体と心が一つになった所しかありません。そこから神様の役事が始まるのです。心が体と一つになって言葉を話すのです。そのようなことが、どのような地域でも可能です。祈るときより、もっと早いと思うのです。