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Saturday Jan 28, 2023
真の父母経 第33話
Saturday Jan 28, 2023
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9 昔、私一人を亡き者にするために、私の家族に信じられない様々な霊的現象がありました。私はそのような環境の中で生まれ、様々な困難な環境を自らすべて解決してきました。もちろん両親もいて、親戚もたくさんいました。その中で従祖父(文潤國)は牧師でしたが、有名な方でした。漢文にもたけていて、中国の歴史にも精通している方でした。また、平壌神学校を出て英語もできました。西洋文明も見通すことができる、独立運動の先駆者でもありました。
そのような家庭的背景をもっていましたが、すべての問題を私一人で解決してきたのです。それは、どこの誰に相談しても分からないことです。私が将来歩もうとするその道については、両親も知らず、誰も知らないのです。その背後で、霊的現象によって一家族、親から親戚に至るまで、様々な問題が起きました。たくさんの出来事がありました。サタンはよく知っているので、私を中心に家族全体に悪影響を及ぼすのです。
10 私は、三・一運動を主導していたある家門で生まれました。私の従祖父、文潤國おじいさんがそのような人でした。私は、従祖父から「お前は、私よりも立派な孫にならなければならない」という話を聞きながら育ったのです。そのおじいさんは、私をとても愛しました。五山学校を建てたその背後には、私の従祖父がいます。
11 私の父について言えば、法がなくても正しく生きることができる方でした。もし父がどこかで急に借金をしてきた時には、その借金を返すと約束した日に、利子まで返してあげなければ耐えられない方でした。どのようなことがあっても、その約束を履行するのです。約束を遂行することにおいては、模範的な方でした。
12 私の母は、十三人の息子、娘を生みました。私の上に姉が三人もいます。息子としては私が二番目です。五人が亡くなり、残ったのが六人の娘と二人の息子でした。ですから、母がどれほど衝撃を受けたでしょうか。息子を育てて亡くし、娘たちも育てて亡くしたのです。
弟が死んで、その棺を父が運んで埋葬したのですが、私の兄は手伝うことができませんでした。父が責任をもって簡単な棺を組み立て、そこに弟の亡骸を入れて、肩に担いでいって埋めたのです。母は子供を亡くして泣いているので、父は一人で埋葬しました。そして、帰ってきても手を洗いませんでした。三日過ぎてから、ようやく手を洗って御飯を食べ始めたのです。息子を埋葬して、どうして手を洗って御飯が食ベられるでしょうか。それを見ると、父は法がなくても正しく生きていける人でした。先祖の遺言を法より恐れる人です。
13 私の母は、厚い徳のある方でした。男勝りの方で、とても激しい性格でしたが、嫁の役割は上手にこなしました。舅が朝、どこかに出掛けるというと、それに合わせて明け方から食事を作ってさしあげました。一生の間、不平も言わずに、そのようにしたのです。私は、母から多くのことを学びました。
14 私は、母にとても似ています。私の革命的な気質は母に似ているのです。父は学者です。父は、一度聞けば、最近のコンピューターのように忘れません。記憶力が優れていました。私の創造力は母に似たのですが、母方の祖父もそうでした。革命的な素質が多かったのです。母方の祖父は、自分の村で海と関連した仕事をするにも革命的でした。それで、私が六歳、七歳、八歳の時、その母方の祖父の家に行っては、祖父に付いて回りながら魚を捕ったりしたのですが、それをどれほど興奮して待ったか分かりません。
15 私の母は、赤ん坊をたくさん生みました。十三人を出産したのですが、母が語った言葉があります。「この世で『楽しい、楽しい』と言っても、ほかに楽しいことはない。赤ちゃんを生んで、お乳をあげて育てる、それ以上に楽しいことはない。年を取って赤ちゃんが生めないから、すべてがつまらなくて仕方がない」と語っていたのです。
母の顔を見ると、多くの苦労をしてかさかさになった顔です。様々な風霜をすべて経た母親の顔です。しかし、愛らしい赤ん坊を育てた、その苦労の姿がいいと言うのです。愛は困難と犠牲を伴いますが、その犠牲を忘れさせるのです。真の愛を実践すれば、犠牲になったことを忘れるようになります。そのような犠牲が肥やしとなり、肥料となるのです。また、自分の肉となり、骨となって、喜びになります。愛になるというのです。
16 私の兄は、弟の私に対しては、絶対的でした。カインの立場で完全に蕩減できる基台が自然に造成されたのです。兄の信仰は徹底していました。八・一五解放と六・一五動乱が起こることをあらかじめ知っていました。あらゆる困難な問題を、霊界の指示を通して解決するという、信仰態度を身につけていました。私の兄は、「歴史上に数多くの兄がいて、数多くの弟がいたが、自分の弟は歴史的な弟である」と思っていました。ですから、私が何か言うと、それを絶対視して、従ってくれました。
私が平壌にいる時のことです。その時は、復帰摂理の途上において、とても大きな役事があったのですが、私が頼んだことは、普通の考えでは信じられないことだったにもかかわらず、兄は様々な内容を整えて弟のために手助けをしました。その頼みがどれほど難しいことであっても、躊躇せずに助けてくれる兄でした。
17 兄は霊界に通じていたので、知っていました。「兄弟関係はどの家にもみなあり、一族の誰もが縦横に関係をもっているが、兄弟の中で私の弟が歴史で一番の弟だ」と、それだけは分かっていたのです。霊界からそのように教えてくれたというのです。
ですから兄は、私がしようと言うとおりに、すべてしました。「家を売る」と言えば家を売り、「牛を売る」と言えば牛を売り、学費がなければ土地を売ってでも出してあげようと、一つも反対しようとはしませんでした。ですから、カイン・アベルを復帰したのです。
第二章 真のお母様の聖誕
第一節 真のお母様の聖誕とその背景
聖誕の宗教的背景
神様は、ひとり子である再臨主をこの地に送られ、ひとり娘、実体の聖霊である天の新婦を送るための摂理を進めてこられた。特に、天は復帰されたエバを送るために神霊教団を立て、多くの準備をされた。それゆえ、真のお母様の誕生の背景には、神霊運動が韓半島において大きく広がっており、お母様の家庭はその中心に立っていた。真のお母様は、一九四三年二月十日、陰暦一月六日、母方の実家である平安南道安州郡安州邑(アンジュウプ)信義里(シニリ)二六番地において、父・韓承運(ハンスンウン)氏と母・洪順愛(ホンスネ)大母様(テモニム)のもと、一人娘として聖誕された。
1 摂理歴史の中心人物を見れば、母の役割がどれほど重要か、私たちはよく知っています。アブラハム、ヤコブ、モーセ、イエス様なども、その妻や母親の果たす役割によって、新しい歴史をつくり、花咲かせました。しかし、内的には、悲惨で苦痛に満ちた恨の歴史をつくってきたのです。私(お母様)が生まれたことや、今日までのことも、すべては偶然ではありませんでした。解放前に有名だった李浩彬(イホビン)牧師が啓示を受けて、仲人を務め、父と母を結婚させたのです。
2 普通の子は、生まれると「おぎゃあ!」と泣きますが、私(お母様)は泣かずに「ラッラ、ラッラ」と言ったそうです。すると趙元模おばあさんが、「この子は大きくなったら音楽家になるようだ」とおっしゃったそうです。
また、大母様が最初のわかめスープを飲んで、私を抱いて眠りにつくと、角の生えた真っ黒なサタンが近寄ってきて、「この子が生まれたことによって私は死んでしまう」と言いながら、赤ん坊の命を奪おうとしたそうです。それで大母様は、「サタンよ、退け!この娘は、私にとって本当に大切な娘なのに、どうしてお前は命を奪おうとするのか」と叫んだそうです。
よほど大声で叫んだのか、祖母が「まあ、お前は気が弱っているようだ」とおっしゃったそうです。大母様が「そうではなく、角の生えたサタンが来て、赤ちゃんの命を奪おうとしたので、大声で叫んだのです」と言うと、祖母は「それは不思議なことだ」とおっしゃったそうです。
ですから、大母様は、「この世に生まれるなり、サタンが命を奪おうとするところを見ると、この子は精誠を尽くして育てなければならない。今後、世俗に染まらないよう、清く美しく育てて主に捧げなければ」と思われたそうです。