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Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第4話
Tuesday Jan 03, 2023
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10 本来のアダムは、個人であると同時に、家庭の中心であり、国家の中心であり、世界の中心です。文化も、アダムの文化です。そこから言葉が始まり、すべての関係が広がります。真の父母を中心として結ばれた関係から始まる歴史も、新しい文化創造の起源になり得るのです。ここから初めて、人類の真の歴史が始まるというのです。真の家庭と、真の社会、民族、国家、世界が顕現するのです。その伝統的思想が、いつにおいても中心になります。
今までの歴史においては、未来に希望の世界を求めてきましたが、これからは未来を見つめて進むのではありません。ここにおいて築かれたその思想を中心に、それを手本として歴史が発展していくのです。それが中心になります。このように、過去、現在、未来の中心を決定し得るものが、国を中心として設定されます。その国が成立すれば、その国の文化が過ぎ去っていくことは、永遠にありません。その国の文化は、世界的に連結され、生き生きと栄え続け、文化的源泉として残るのです。統一です。始めと終わりが同じだというのです。
真の父母は真のオリーブ
聖書の創世記に出てくる、エデンの園の生命の木と善悪を知る木は、完成した父と母を象徴する。そして、堕落せずに完成した人間始祖アダムとエバを根とした人類は、本来、地上天国で生き、死後には天上天国に行って、永遠に生きるようになるのである。神様の創造目的は、人類が神様を中心とした家庭を築き、同じ兄弟、同じ親族になることである。
堕落した人間は野生のオリーブであるため、真のオリーブである真の父母により接ぎ木され、真の人間に生まれ変わらなければならない。それにより、神様の創造理想世界、すなわちエデンの園において出発しなければならなかった永遠の理想天国が成し遂げられるのである。人類の願いは、真の父母を迎え、神様を中心とした善なる家法を代々伝授し、一つの言語、一つの文化、一つの天の主権を中心に統一世界をつくることである。
11 真の父母は、絶対的な神様の愛と血統と完全に一つになった方です。そのような真の父母が結婚して築いた家庭を真のオリーブの家庭とするならば、堕落した世界の人々は、野生のオリーブだというのです。その野生のオリーブの枝を切ってしまい、真のオリーブの枝と芽を接ぎ木すれば、それがのちに真のオリーブの家庭になるのです。そこに、神様の真の愛、真の生命、真の血統、真の良心が再び連結され、それが完成すれば、地上・天上天国が広がります。
神様は、三代目となる孫と孫娘をもつことができませんでしたが、サタンは孫と孫娘をもち、氏族をもちました。それが繁殖し、数多くの国家をつくり上げたというのです。今まで神様は、完成した一人の男性をもつことができませんでした。完成した一人の女性ももつことができませんでした。その完成した男性として来られる方が、メシヤです。メシヤがやって来て、真の父母の位置を立てなければなりません。その次に、本然の家庭を復帰することができるのです。
12 アダムとエバが人類の真の先祖になっていれば、救い主も必要なく、宗教も必要ありません。宗教が必要ない善なる世界は、神様が喜ばれる世界です。神様は、地上にそのような世界がつくられることを願われるのですが、地上にそのような世界はつくられませんでした。
堕落とは、一つになれなかったことです。そうして、真の父母になれず、偽りの父母になったのです。ですから、私たちは、悪なる父母の血統をすべて消してしまい、真の父母の血統を受けて、天に帰らなければなりません。皆さんは、野生のオリーブとして生まれました。真のオリーブにならなければならないのに、野生のオリーブになったので、これを切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木されなければならないのです。
13 天の真のオリーブとして来られる方は、皆さんを再び生んでくださる真の父母です。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。真の父母は、天の真の愛、真の生命、真の血統の根をもってこの地に顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を、きれいに根元から切ってしまい、真の愛の芽を接ぎ木する使命を果たすために来られる方が、正に真の父母です。このように、私たち人類が求めるべき真のオリーブの根は、神様の真の愛の根です。その根は、真の父母からのみ出発し得るのです。
14 真の父母は、真の愛と真の血統をもって来ます。偽りの父母は、偽りの愛と偽りの血統をつなぎ合わせてきました。堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければならないのです。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。
「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されなければ、絶対に成立しません。それは、神様も引き離すことができません。サタンも引き離すことができないのです。
ですから、成約時代を迎え、真の父母様による祝福結婚を通して、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰することができるのです。本然の基準である神様の真の血統につながれて、野生のオリーブ畑であっても真のオリーブ畑にならなければならず、真の愛を中心として、真の父母様と一体、一心、一念にならなければなりません。
15 真の父母とは、完成したアダムとエバのことを言います。そのアダムとエバから家庭、氏族、民族、国家、世界、地上天国と天上天国が連結され、神様まで解放されなければなりません。真の父母は、すべてのことを完成できる立場にいます。神様が地上に送られた最も貴い方です。その真の父母に絶対信仰、絶対愛、絶対服従で従っていけば、自動的にすべてのことを克服していけるのです。父母は、愛、生命、血統を相続させます。その愛、生命、血統を相続するのが、息子、娘です。すべての宗教の目的も、地上に真の父母の完成基盤を築くことです。
人類を救う唯一の方法は、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることなのです。偽りの父母がそれとは異なる愛、生命、血統を連結させて堕落した世界になったので、地獄に落ちるようになりました。それを一八〇度転換させるために、真の父母が現れて、真の愛、真の生命、真の血統を連結するのです。祝福を通して神様の真の愛を連結し、真の生命を連結し、真の血統を連結するのです。野生のオリーブに真のオリーブを接ぎ木するのが祝福です。
真の父母は、この世界の偽りの子女、野生のオリーブのような子女たちに真のオリーブを接ぎ木して、堕落していない実として収穫し、天の国の倉庫に再び入庫しなければなりません。これが、この地上でメシヤが果たすべき責任です。メシヤは、真の愛を中心として、真の息子、娘の種をもって来るというのです。
堕落することによって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の因縁を通して、神様が願わない怨讐の子女となりました。
このように、血統的に偽りの愛の因縁が結ばれたので、救援摂理を通してきれいにするのです。
第二節 再臨主である真の父と聖霊の実体である真の母
真の父母になるべきひとり子とひとり娘
神様の願いは、アダムとエバが創造本然の姿のまま成長、完成し、真の家庭を築くことであった。神様は、絶対愛によって精誠を尽くし、御自身のすべての願いを懸けて、ひとり子アダムとひとり娘エバを造られた。しかし、堕落が起きたため、神様は彼らに代わる存在として、まずひとり子であるイエス様を送られた。創造の順序に従い、本然のアダムを先に復帰されたあと、そのアダムを通してエバを復帰しようとされたからである。したがって、本然のアダムに代わる、後のアダムとして来られたイエス様は、本然の後のエバを探し出し、夫婦になることによって、人類の善なる始祖である真の父母にならなければならなかった。
1 イエス様の思想の中で最も偉大なことは、神様が自分の父であり、自分は神様のひとり子であると主張したことです。ひとり子ということは、父なる神様の初愛を占有しているということです。初愛を受けられる立場に立ったというのです。
神様がキリスト教を世界的な宗教にせざるを得なかった理由は、イエス様が「私は神様のひとり子である」と主張する立場に立ったからです。ひとり子というのは、神様の愛を強調した言葉です。ひとり子は、神様の初愛と結ばれた個人なのです。
2 エデンの園のアダムは、神様のひとり子です。エバは、神様のひとり娘です。彼らが成長し、春の日になって花が咲くとき、二人が互いに春の歌を歌いながら、「あなたは私のお兄さんではないですか」、「あなたは私の妹ではないですか」と言えば、神様はどのようにするでしょうか。明るく咲いた花が香りを漂わせるようになれば、神様が(二人を)結んでくださったでしょう。
神様が結婚式をしてあげることによって成し遂げようとしていた創造の最高の理想が、アダムとエバを中心として成し遂げられるのです。彼らがひとり子とひとり娘としてよく育ち、思春期まで行こうとすれば、期間が必要なのです。
3 イエス様は、「私は神様のひとり子だ」と言いました。ひとり子に必要なのは、ひとり娘です。イエス様がこの地上で世界を救うために出発しようとすれば、一人ではできません。家庭の土台を整えなければなりません。
ひとり子だと主張したイエス様の目的は、世界を統一して号令することです。それをする前に家庭をつくらなければならないのです。イエス様は、家庭をつくることができませんでした。ですから、この地上の人間たちを救おうとすれば、「このようにしなければならない」と言える家庭が出てこなければなりません。一つのモデル家庭が出てこなければならないのです。
イスラエルの国を救う前に、家庭をつくらなければなりません。もしイエス様が、神様のひとり子としてひとり娘に出会って結婚式をするとすれば、その結婚式の主礼は、間違いなく神様がしてくださるのです。救援摂理の最高の目的は、神様が愛する一つの家庭をつくることです。それで、神様の愛を中心として、ひとり子とひとり娘の立場で成長し、神様を父としてお迎えできる場で祝福を成し遂げ、人類の真の先祖の基盤を整えるのです。その場を失ってしまったので、再び取り戻さなければなりません。