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Tuesday Jan 03, 2023
真の父母経 第5話
Tuesday Jan 03, 2023
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4 イエス様が地上に来られることによって、初めてひとり子という名をもつようになりました。神様が失ってしまった歴史時代、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星にひとり子が生まれたのです。しかし、ひとり子は生まれましたが、ひとり娘はいませんでした。
神様は、四千年間の救援歴史を通して、完成したアダムを再び創造したのと同じです。神様は、アダムに似せてエバを造りました。アダムの相対になることができるように、アダムを造られた原則、その青写真に基づいて造ったのです。聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それは、骨子をまねて造ったということです。ですから、完成したアダムは、この地で失ってしまったものを取り戾すことができるひとり子です。
神様は、直系の真の愛の血統を通してアダムを取り戻しましたが、エバは取り戻すことができませんでした。エバを取戻そうとすれば、今までの堕落以降の歴史を、家庭から再び復活させ、接ぎ木して国をつくらなければなりません。そのために準備しておいたのが、ヤコブからのイスラエル民族の十二支派です。選民思想を中心として、ヤコブの十二人の息子が着地し、世界に勝利の版図を拡大させたものが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教なのです。
5 イエス様が堕落した人間たちに対して、神様の息子、娘であることを示したことや、「私は神様の息子だ。神様のひとり子だ」と語った事実は、偉大なことです。そして、「ひとり子」という名が地上に現れたという事実は、神様が数千年の蕩減歴史を経てくる中で、吉報中の吉報です。それで、ひとり子を中心として、ユダヤの国とユダヤ教、カインとアベルを入れ替え、血統を入れ替えなければなりません。
しかし、イエス様は、ひとり子という名をもって来ましたが、ひとり娘に出会うことができませんでした。そのような人に出会うには、そのままでは出会うことができません。準備された基盤がなければならないのです。個人と家庭、氏族を基盤として連結されていかなければなりません。このようにして個人、家庭から血統を転換させなければなりません。
6 人類が生まれてから四千年ぶりに、この天地間に神様のひとり子が生まれました。良い知らせです。幸福な知らせです。それで、キリスト教で「福音」という言葉が出てくるようになったのです。福音とは、幸福な音信です。その時まで神様のひとり子が現れることができず、人類が神様を中心とした愛の関係を結ぶことができなかったために、人類にとってそれが恨でした。しかし、その恨を解いてあげる一人の代表的な男性が現れたので、それ以上に幸福な音信はないのです。
もしひとり子が現れていなかったとすれば、大変なことになります。歴史上にそのような人が現れたので、全人類が彼の側にならなければならず、天地も彼の側にならなければならず、創造主も彼の側にならなければなりません。ですから、その道を妨げる人は滅び、歓迎する人は栄えるようになります。
ひとり子が現れたことが幸福です。神様は、先にひとり子を送られました。それで、今までの歴史は、男性がつくってきたのです。ひとり子が来たならば、その次には、ひとり娘がいなければなりません。
7 神様は、真の愛を中心として、縦的な父母としていらっしゃる方です。垂直は一つです。横的な位置で垂直になるのは、九〇度の一点です。男性の位置も九〇度の一つであり、女性の位置も九〇度の一つです。二つではありません。人類歴史で初めて、その九〇度に合わせて愛を受けた人が、ひとり子です。
そのひとり子の前には、ひとり娘がいなければなりません。メシヤはひとり子として来て、ひとり娘を求めなければならないのです。しかし、そのまますぐに求めることができるわけではありません。アダムを通してエバを造ったので、この世の中に来て、エバを探さなければならないのです。サタンが奪っていったエバを取り戻さなければなりません。
ひとり子であるイエス様が、神様の息子として、ひとり娘を迎えて、男性と女性が九〇度の角度で一つになれる道を合わせておかなければ、天地が通じません。神様には二性性相があるので、ひとり子とひとり娘が一つになった、その場に神様が入ってきて臨在するのです。
8 神様は、アダムとエバの堕落以降、失ってしまった子女が戻ってくることを、ただ待っていることはできませんでした。神様は、人間がサタンの讒訴条件を抜け出すことができる道を探し求めてこられたというのです。その路程が、どれほど大変で、悲惨だったでしょうか。サタンが王になっている世界で、神様の立場はどのようなものだったでしょうか。
ひとり子イエス・キリストを、サタンの讒訴条件を免れた位置で誕生させるまでの神様の苦労は、到底言い表すことができませんでした。その時、イスラエル民族がひとり子であるイエス様と一つになっていたならば、ローマを越え、世界に進むことができました。真の父母にならなければならなかったのです。
しかし、ユダヤ教とイスラエル民族が責任を果たせなかったので、イエス様は「再び来る!」と言われました。神様は、四千年ぶりにひとり子を探して立てましたが、ひとり娘は探し立てられなかったのです。神様がアダムとエバを創造したように、ひとり子がいれば、ひとり娘もいなければなりません。イエス様と聖霊の摂理が、正にそれです。
私たちは、原理を通して、中心人物や民族が責任を果たせないとき、神様が代身者を立てることを学びました。したがって、イスラエル民族が責任を果たせないことによって、ひとり娘を立てることができなかったので、神様はひとり娘を別に育ててこられたのです。
9 人間世界で神様が愛の主人であれば、その愛を中心とした神様の家庭がこの地上になければなりません。その神様の本郷の地があれば、その本郷から本郷の一門が始まり、その一門から民族が始まり、その民族から国家と世界が始まり、それによって、地上に天国が広がるでしょう。
人間の本郷は、人類が願い、神様が願う所であり、天地が和合して万宇宙の存在が「幸せでうれしい」と言い得る所、神様が踊りを踊ると同時に、万宇宙が神様を中心として踊れる所です。そのようにできる日を迎える本郷が現れていたならば、今日、この世界は、不幸な世界にはならなかったでしょう。
神様の愛を中心とした息子、娘すなわち、ひとり子とひとり娘が、神様の愛を中心として完全に一つとなって家庭を築いたならば、その血統を受けて生まれた息子、娘たちは、心と体が一つになっているのです。
10 イエス様は、イスラエルの国を中心として、世界を平和の王国にするためにこの地に来られましたが、いくら彼に能力があり、実権があって、それを成し遂げると考えたとしても、家庭を築くことができなければ失敗するのです。
世界は、家庭が集まってできるのです。この家庭は、心と体が闘う人たちでは築けません。いくら絶対的な権威をもって死の峠が迫ってくるとしても、天道を捨てる人になるならば、神様が願われる家庭を築くことはできないのです。
心と体が一つになったひとり子が、心と体が一つになったひとり娘を迎えて家庭を築くのです。家庭をつくるまでは、世界を復帰したとしても、それをまた失うようになります。家庭は、血統が連結されたものです。民族全体が血統で連結されれば、同族になるのです。
11 イエス様がこの地に来られた目的は、新婦を迎えることです。愛を中心とした人格的な新婦を求めようとしたのです。ですから、キリスト教を代表して、世界的なキリスト教の舞台に新郎を迎え、その新郎を中心として結婚してこそ、新郎と新婦の愛圏がつくられるのです。新郎と新婦が一つになり、神様が取り得る愛園が始まります。
ひとり子の愛圏をもって、ひとり娘の愛圏を手にすると同時に、このひとり子とひとり娘を中心として、新郎と新婦の愛圏が確立します。いくら国が大きく、歴史が長く、優れた文化背景をもっているとしても、それは問題ではありません。
神様を中心としてひとり子とひとり娘が一つになる、夫婦の愛の基準が貴いのです。
堕落によってこれを失ってしまったので、これを取り戻さなければ、世の中の万事は無意味なものです。したがって、神側においてひとり子とひとり娘となり、新郎と新婦として夫婦の愛圏をつくらなければなりません。夫婦の愛圏が成立すれば、自動的に子女の愛圏が成立するのです。
12 イエス・キリストは、「私は神様のひとり子だ。神様は私の父だ」と言いました。ひとり子というものは、神様の初愛をそっくりそのまま受けたということです。神様のひとり子はいたのですが、ひとり娘がいません。ひとり娘に出会うことができなかったので、神様の初愛をすべて受けるひとり娘に出会うために、イエス様は再臨するのです。
再臨主が来て「小羊の婚宴」、すなわち婚姻をしなければなりません。神様の初愛をそっくりそのまま受けた男性と、神様の初愛をそっくりそのまま受けた女性が、家庭をつくらなければならないのです。その位置が、堕落していないアダムとエバの位置です。
13 メシヤは、神様の本然の直系の息子の立場で、神様の愛、絶対愛を中心として、生命の種をもって来る方です。その息子を再び探して立てることが、神様の救援摂理史の主目的です。
メシヤは、この地上に来るとき、何ももってくることはできません。彼には国もありません。何もないのです。相対を失ってしまったので、相対もいません。エバとカイン、アベルを失ってしまったので、主人の役割を果たせないのです。それで、それを取り戻しに来るのです。ですから、キリスト教は、新郎として来られるメシヤを迎える新婦の宗教です。
キリスト教の核心真理は、驚くべきものです。イエス様のことをひとり子と言いました。ひとり子とは、アダムのことです。堕落したので、ひとり子がいなくなり、ひとり娘がいなくなったというのです。ひとり娘は、サタンに奪われました。神様が造ったものを、サタンがすべて台無しにしたので、それを取り戻さなければなりません。アダムを中心としてエバを造ったのと同じように、天の新しい息子の種を送って、エバを再び創造しなければなりません。