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Friday Mar 10, 2023
真の父母経 第75話
Friday Mar 10, 2023
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第二節 祝福結婚の相対決定とその条件
祝福結婚のための基準と条件
真の父母様は、「千年、万年、努力を重ね、天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見る中で祝福結婚式に参加しなければならない」と語られた。そして、祝福に先立ち、原理修練と伝道、断食精誠などの基本的条件を立てなければならないことを強調されたのである。また、祝福結婚式には、必ず両親から承諾を受けて臨まなければならないと語られた。
1 祝福を目の前にしている皆さんは、過去から現在に至るまで、自分の生活を批判してみなければなりません。皆さんの中には、祝福に対して自分なりに考える人が多くいます。「教会でいつも行われるのが祝福だ。私自身もこのような条件が成立していて、教会に入ってきて何年過ぎたから、そこに該当する資格をもつ者になっただろう」と思うかもしれませんが、そのように考えてはいけません。
この日は、神様が六千年間、願ってこられた一日です。ですから、この一日を迎えることにより、失ってしまった息子を探し出し、失ってしまった娘を探し出すようになるのです。彼らを通して、神様の愛を連結できる一致点が整い、ここから神様のみ旨を展開できる横的な基盤が用意されるのです。このように、神様の心のうちに一致し得る心をもち、祝福の一日を迎えるために準備する息子、娘がどれほどいるかというのです。
2 神様は、サタンがアダムとエバを侵犯することにより、栄光の一日を迎えられませんでした。ですから、神様は、サタンに侵犯されたアダムとエバを凌駕し、祝福を受けられる夫婦をもたなければなりません。サタンが神様の息子、娘を訪ねていって再び奪う立場に立てば、神様は威信を立てることができません。
ですから、皆さんは、自分の事情をもって祝福を受けようとしてはいけません。祝福は、神様が認定せざるを得ない位置から出発しなければなりません。これが、堕落した人間として取るべき態度です。そうであるにもかかわらず、そのようにできないときには、敗者として残るのです。皆さんがこの場において一度誤るようになれば、皆さんの子孫が引っ掛かり、また、先祖まで引っ掛かるのです。
3 統一教会に入ってくれば、恋愛できないようになっています。堕落とは、神様を抜きにして、人間が自分たち同士で愛し合ったことです。自分たちだけで愛し合ったのです。今日の世界は自由な社会なので、「結婚は自分たち同士でしなければならない」と言いますが、そうではありません。エデンの園でアダムとエバが堕落しなかったならば、神様の立ち会いのもとで結婚式をしたはずです。主礼は神様が務めるのです。
アダムとエバが幼い頃は、兄妹のように分別なく過ごしましたが、成長してみると、自分たちが相対的関係にあることが分かり、思春期圏内に入るようになります。女性を見ても、時が満ち、男性を見ても、時が満ちているというのです。男性は顔に髭が生えるのを見れば分かり、女性も外形を見れば分かるようになっています。
時になれば、自然に神様が夫婦の契りを結ばせてくださるのです。夫婦の契りを結ぶのは、神様の立ち会いのもとで行われるのです。愛の主人は、アダムでもなく、エバでもありません。愛の主人は自分ではありません。神様なのです。
4 愛は一つです。その愛と向かい合える夫も一人であり、妻も一人です。皆さんは、結婚する前に恋愛をし、不倫な愛の関係を結んだことがあれば、悔い改めなければなりません。そのような考えが残っている限り、皆さんは神様の愛の圏内に入れません。本来、神様の愛を先に体験しなければなりません。
皆さんの記憶の中に、昔、愛していた人がいれば、その人の名前まで忘れてしまわなければなりません。「その名前を知っているような気はするのだが、忘れてしまって思い出せない」というほど、その愛がどんな愛であっても、すべて忘れてしまわなければなりません。夢の中でも、そのようにならなければなりません。そのようにならなければ、祝福結婚ができないのです。
ですから、昔、愛したそれ以上の心をもって神様を愛することができ、教会を愛することができ、真の父母に対してそのような思いが湧き出る境地に入らなければなりません。まず、神様を愛し、真の父母を愛するのが原則です。世の中の愛の観念が残っていてはいけません。
5 皆さんは、これから清算することがたくさんあります。統一教会に入ってきて、「私は誰々と結婚する」という考えはもてません。そのような人は、いまだにサタンの愛の綱をぶら下げているのです。きれいに清算しなければなりません。純粋に育ったアダムとエバのように、一人の男性、一人の女性として、神様を父母と思い、その真の父母の愛を受けなければなりません。そのような立場に立つようになれば、霊界と肉界の統一が起こるのです。それは原理的です。原理がそのようになっています。
6 祝福結婚の相対決定は、天がして、父母がするのです。すなわち、アダムの父である神様がするのです。そのような点で、韓国の伝統的な婚礼式は、天法に近い結婚方法です。(韓国ではもともと)父母の承諾がなければ、絶対に結婚できませんでした。これは絶対的です。
ですから、自分の好きな人がいれば、直ちに父母に報告しなさいというのです。その人が好きだという言葉が口から出る前に、まず父母の公認を受けなさいというのです。二人がつき合ってもよいと認めてくれれば、それは大丈夫でした。報告して恋愛をするのは、罪になりませんでした。しかし、報告をしないでするのは、認められなかったというのです。
7 一番幸福なのは、純潔な女性と男性が、神様の喜ぶ場で、天上のみ旨に従って礼式(結婚式)を挙げることです。そのような人は、天地の幸運児です。天下の人生行路と万事において、成功した人です。
そのようにできなければ、断腸の思いで、天地がひっくり返る切実な悔い改めをしなければなりません。そうして、清い心と体をもって、「父よ、私は恥ずかしい身です。どうすればよいでしょうか」と言うとき、父は、「そうか、私はお前の気持ちをすべて知っている。赦そう。そのようなつらい峠を越えてきたことが、父の喜びである」と言われるというのです。
ですから、そのようなことをすべて知り、赦すという天の同情の力が、自分自身にとどまるようになった上で、祝福の場に参加しなければなりません。
8 理想的なものは、きょうあるのではなく、あすにあります。ですから、私たちが「理想的な相対だ」と言えるものとは何でしょうか。二人が良いからといって、理想的な相対になるのではありません。未来の子孫のことを思うところに、理想的な相対がいるのです。結局は、反対です。
「天のために最も理想的な相対だ」と言える人とは、どのような人でしょうか。一番の極と極、最も嫌いな人同士が出会って一番好きになれば、ここから最も良いものが出てくるというのです。み旨のために生き、神様のために生きて多くの苦労をすれば、福を受けるのと同じです。世の中の結婚観とは反対です。そのような立場においても、「私は反対のものを感謝して受ける」と言い、「私はどのような女性、どのような男性に対しても、神様と共に理想的に愛し、暮らす」と言えば、神様は正反対の人とも結婚させてくれるのです。父母様が、そのような立場で祝福をしてあげた人もいます。彼らが一つになって暮らしさえすれば、傑作の息子、娘が出てくるというのです。
一つの時代が良かったなら、もう一つの時代は悪いのです。理想的な相対は、天上にいるのではなく、地獄のどん底にいると考えなければなりません。そこから新郎、新婦を求めなければなりません。
9 祝福は、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏個人として、福を受ける立場に立つためのものではありません。ある一人の人が、祝福の場に臨むためには、何を先に備えるべきでしょうか。ここには必ず、まず備えなければならないものがあります。祝福は、個人のためにしてあげるのではなく、その個人を通して氏族、民族、国家、世界に代わる新しい家庭をつくるようにするためにしてあげるのです。その家庭は、自分の個体、金氏なら金氏だけのための家庭ではありません。その金氏だけの家庭ではなく、民族と国家に代わり、さらには世界に代わり得る家庭です。このような家庭を築かなければ、祝福が成立しません。
なぜなら、人類の先祖、アダムとエバは、個体としては二人ですが、歴史的な始発点に立っているため、その二人だけで終わるのではありません。その二人を通して、新しい家庭と新しい氏族、民族、国家が必ずや顕現するでしょう。このような世界的な基盤が決定する場が、正に祝福の場なのです。
10 統一教会の祝福を受けるためには、先に、様々な条件を具備しなければなりません。まず、万物を復帰したという条件を立てなければなりません。次に、サタンから自分自身を取り戻したという条件を立てなければならず、さらに、三人の信仰の子女がいなければなりません。最低限、三人の子女がいなければならないのです。なぜなら、堕落したからです。そして、堕落した人間を復帰するためには、創造原理による再創造過程を経なければなりません。七年間で、このようなすべての内容を備えられなければ、祝福の場に出ていくことはできません。
堕落したので、神側に再創造しなければならないのです。再創造しようとするなら、神様に代わる立場に立たなければなりません。そして、人間を再び造ろうとするなら、神側に属した物質がなければなりません。その物質を通して、自らを再び造る過程を経ることができます。ですから、必ず三年以上、万物を主管する訓練をしなければならないのです。世界から、自分を再創造する物質を集めなければならないというのです。自分の体を犠牲にしながら、そのような基盤を築くのです。
その基盤の上で、三年半の間、サタンと闘って勝たなければなりません。サタンがいくら迫害しても、落ちていかず、神様のみ前に永遠に立てる自分自身を探して立てると同時に、この期間に三人の息子、娘、すなわち信仰の三子女を探し出さなければなりません。霊界の協助を受け、霊界と縁を結ぶべき立場なので、信仰の三人の息子、娘をこの期間に探し出さなければならないのです。この条件を備えなければ、堕落していない本然の完成した夫婦になることはできず、完成した本然の夫婦にならなければ、天国に入ることはできません。
11 皆さんの中で、断食をしてみた人は分かると思いますが、断食はそれほど簡単なことではありません。しかし、統一教会では、正式な教会員になろうとすれば、一週間の断食祈祷をしなければなりません。普通の人たちは、一週間ないし八日間、御飯を抜けば、大概は死ぬと考えています。
私たちがこのようなことをするのは、何のためでしょうか。生命を懸けた一つの目的を中心としているという事実を確認し、自信をもつためです。これは、神様ゆえにするのであり、人類ゆえにするのです。また、サタンゆえに断食をします。サタンに対する防御線だという確固たる信念の中で、私たちは断食をするのです。また、私たち個人にとっては、このような絶食をすることにより、生活の恐怖心をいつでも除去できるというのです。私たちは、このような自信をもつために、断食をします。
一つの目的と一つの世界的なみ旨のために、「一週間、断食するとしても、私は前進する」という信念をもつことは、偉大な伝統になるでしょう。