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Saturday Mar 18, 2023
真の父母経 第80話
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十ヵ国、四十三双祝福結婚式
真の父母様は、一九六九年の第二次世界巡回路程中、十ヵ国、四十三双祝福結婚式を主宰された。そして、「世界巡回中に行われた十ヵ国、四十三双の祝福は、韓国の四百三十双と連結させ、世界に祝福を連結させる意味がある」と語られたのである。真の父母様は、二月二十八日にアメリカのワシントンDC教会で十三双(新婚七双、既成六双)、三月二十八日にドイツのエッセン教会で八双(新婚七双、既成一双)、五月一日に日本の東京教会で二十二双(新婚十二双、既成十双)を祝福された。
13 一九六八年から始まった第二次七年路程を中心として、世界が回っていきます。世界では、カインとアベルが闘っていたのと同じ立場で、右翼と左翼が闘っています。この争う世界を収拾して、新しい家庭、新しい社会、新しい国家、新しい世界を築いて、発展していかなければなりません。それが原理観です。それが、統一教会の果たすべき使命です。
こうして、一九六八年一月一日を中心として、「神の日」をこの地上に設定しました。この日は、統一教会として勝利した日です。そうして、四百三十双まで祝福してあげました。このような勝利の日を横的に、世界的に連結させなければならないので、父母様は一九六九年に世界を歴訪しながら、四十三双を祝福してあげました。これは、韓国における四百三十双の祝福と連結したものです。
四十三双を祝福してあげることにより、十ヵ国を横的な舞台に連結させたのです。韓国で成し遂げられたことを世界化しなければならないというのです。
14 四十三双の祝福は、国際結婚が多いのです。アメリカ人はドイツ人、オランダ人はイギリス人、このように国際結婚をさせました。(欧米では)同じ国の人同士では、ほとんど結婚させませんでした。世界を復帰するためには、民族的な感情や愛を超越して、世界的な感情をもたなければなりません。それで、国際結婚をさせたのです。そのようにしても、全員が「うれしい」と言うので、それを見るお父様も気分が良かったのです。
お父様が祝福をしてあげたあと、彼らに「韓国のために何をするのか」と尋ねました。彼らはみな「何でも仰せのとおりにします」と答えました。歴史上に、アジア人の一人として、ヨーロッパでこのようなことをした人は今までいません。このようなことを見ながら、「統一思想」がどれほど途方もないものかを、いま一度感じさせられました。
15 四百三十家庭を祝福することによって、大韓民国が統一教会と連結され得る立場に立つようになりました。それは、韓国の国民が、統一教会を信じてはいないのですが、四百三十家庭を中心として第三イスラエル圏の恵沢を享受できる圏内で、蕩減条件を立てたのと同じだというのです。ですから、大韓民国が選民圏になったのです。
四百三十家庭を祝福したその次は、世界的に大韓民国の領土と国民を拡大させなければなりません。ます聖地を選定しそれから四百三十家庭に接ぎ木の役事をしなければなりません。ですから、第一次世界巡回で四十ヵ国を中心として聖地を選定し、第二次(世界)巡回において四十三家庭の祝福をしました。四百三十家庭に相対する数の四十三家庭を、日本とアメリカとドイツを中心として連結させるのです。これは世界史的です。そうすることによって、世界の数多くの信仰をもっていない人類も、イスラエル圏の恵沢を受けられるようになりました。
四千年あるいは六千年の間、ユダヤ教とキリスト教の歴史を経てきましたが、そのように伝統を引き継いで信じてきた彼らと同じ恵沢圏内に、たとえ信じていなくても、平面的時代において加われる特権を与えるというのです。このような基盤が形成されました。
既成家庭の祝福結婚式
既成家庭だけの最初の祝福結婚式が、一九六三年二月八日、二十六双が参加する中、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された。そして、四月七日、二回目として、二十七双に対する祝福式が開催された。彼らは、祝福結婚式を受ける前に家庭を築いていた夫婦であり、大部分が協会の草創期に貢献した、教会の元老クラスの食口たちであった。真の父母様は、彼ら既成家庭が、後輩家庭の手本となり、垣根にならなければならないことを強調された。一方、一九九二年四月十日、「世界平和女性連合」創設大会の直前行事として、千二百六十七双の世界既成家庭祝福結婚式が行われた。この日は、韓国と日本をはじめ、三十三ヵ国から参加者が集った。特に、真の父母様は、中東のイスラーム圏九ヵ国から四十五双が参加することにより、宗教と国家を超越して祝福が公に開放されたと語られた。
16 既成家庭とは、この世において自分たち同士二人で結婚して築いた家庭です。その家庭が、神様の願う家庭として認められるためには、原理的な立場から見るとき、男性ならその男性が、神様が家庭を中心として探し求めてくる歴史において、代表的な中心者にならなければなりません。さらにまた、歴史的な伝統を引き継げる男性にならなければなりません。アベルからノア、アブラハム、モーセに至るまで、私たちの先祖たちが神様の歴史を支えた伝統的起源を、そっくりそのまま引き継ぐべき代表的存在が、家庭をもった人なのです。
それでは、その家庭を代表する男性が身につけていくべき思想や生活観、生涯路程とは、どのようなものであるべきでしょうか。既成家庭を中心として愛していた、その愛以上の立場に、男性が先に立たなければなりません。それにより、昔家庭をもって夫婦同士で愛し合っていた立場を否定して、新たに結ばれた夫婦として、歴史時代にない新しい愛の絆を立てなければなりません。
17 既成家庭は、既成家庭ではない家庭の垣根にならなければなりません。言い換えると、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられ、家庭的摂理においてアベルが信じられる家庭にならなければなりません。
過去においては違いました。過去にはお互いに反発の要因になりました。しかし今は、問題があれば訪ねていって相談することもでき、相談だけではなく、自分を訪ねてきた家庭を誰よりも心配し、保護してあげられる家庭にならなければなりません。家庭として見れば、兄の家庭と同じだからです。カインは兄です。アベルは弟です。皆さんはすべて兄弟たちです。既成家庭が兄ですが、これは願わざる兄の立場に立ったのと同じです。
したがって、祈るにしても、どちらがたくさんしなければならないのでしょうか。過去にはアベルたちが、よりたくさんしました。カインを救うために、アベルが天のみ前に多くの精誠を捧げたのです。しかし、今の時代は、カイン家庭がアベル家庭のために、より多くの精誠を捧げなければなりません。
18 大抵、既成家庭は、今まで暮らしてきた習慣的な生活をそのまま保っていきやすいのです。昔と違うところがありません。祝福を受けて変わったこととは何かというのです。昔のその男性と同じ立場、その女性と同じ立場にいるので、まかり間違えば常習化しやすいのです。そのような立場にとどまってはいけません。新たに家庭を編成したので、その家庭は昔の家庭よりも歴史的な家庭にならなければなりません。男性が女性のために生き、女性が男性のために生きるとき、昔とは異ならなければなりません。昔は自分たち二人だけのために生きましたが、今は自分たちだけのために生きるのではなく、神様のために生きなければなりません。
アダムとエバは、神様のために生きられなかったことによって堕落し、悲しみの家庭として出発しました。既成家庭の人たちが、そのような神様の秘められた心情を解いてさしあげ、解怨成就してさしあげられる夫婦になる時、神様はその家庭を基盤として新たに訪ねてくる息子、娘を中心として、希望がもてるのです。
19 既成家庭で育っている子女は、祝福を受ける以前の子女とは違います。また、父母とも全く違います。そのように格段の差を決定し得る責任は、まず男性にあり、その次に女性にあります。夫婦がこの責任を十分に果たさなければなりません。また、この夫婦がすべきこととは何でしょうか。妻は、堕落した男性に侍る立場に立ってはいけません。また、男性は、堕落した妻に侍る立場に立ってはいけません。結局は、堕落しなかったアダムとエバの基準を立てて、初めて侍ったと誇れなければなりません。ですから、既成家庭は、昔と次元が異なる立場にいる家庭であることを知らなければなりません。
祝福を受けた家庭として、なおかつ既成家庭として、再び結ばれたその家庭が、天のみ旨を中心として一つにならなければなりません。一つになれなければ、天のみ前にそれこそ面目がありません。
過去においては、天のみ旨を知らない立場で悲しみの歴史を綴ってきました。み旨を中心として新たに結ばれても、昔の伝統と習慣に染まった生活形態を反復すれば、それは天のみ前に二次的な悲しみを呼び起こすのです。そのようなことがあってはいけません。ですから、昔とは著しく変わらなければなりません。新しい歴史の流れをわきまえて、新しい伝統を樹立すべき責任が既成家庭にあるのです。
20 既成家庭は、新しく祝福を受けた家庭の人たちが、よく見ていることを知らなければなりません。新しく祝福を受けた家庭の人たちは、自分たちだけで新たに家庭を出発したので、家庭に関することをよく知りません。また、子女を育てることにおいても、既成家庭と比較し、まねしやすいのです。このような点から見ると、既成家庭は極めて重要な立場にいます。ですから、既成家庭は、過去とは違う立場に立って模範にならなければなりません。過去とは異ならなければならないというのです。著しく違わなければなりません。著しく違うものにならなければ、天の家庭、天が願う家庭として立つことはできません
また、カインの立場だとしても、自分一人ではありません。新しく祝福を受けた家庭の前に、カイン的な家庭として模範にならなければならず、そこにプラスにならなければなりません。このような伝統が、統一教会の既成家庭を中心として成立しない限り、今まで自分たち同士で結婚した世界の数多くの家庭は、復帰される道がないのです。