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Saturday Apr 30, 2022
平和経 第189話
Saturday Apr 30, 2022
Saturday Apr 30, 2022
地上生活は霊界に拍子を合わせるための訓練
私は霊界の体験をたくさんもっている人ですが、霊界は愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛によって包まれている所です。人間は、地上で空気を吸ってガスを吐き出しますが、霊界では愛を吸いながら暮らすようになっています。霊界は、今日の人間の世俗的な愛を中心として愛し合うようにはなっていません。霊界で愛し合う愛は、真の愛です。
霊界に行ってみれば、その世界は次のようになっています。父母、夫婦、兄弟姉妹、子女に対する愛を十分にもった人、すなわち家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を享受できるのです。その人は、何の制限もなく、どこにでも、どの方向にでも行けるのです。その反対に、愛の経験のない人は心が狭く、霊界でも自分一人で孤立していて、自由が全くありません。父子間の愛は縦的な関係であり、夫婦間の愛は横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛は旋回して取り囲む関係です。この三つの関係は、互いに異なります。
ですから、地上でこの三つの互いに異なる方法で、深い愛の経験をもってこそ、制限なく縦的に、横的に、円形に旋回できるのです。例えば、父母が早く亡くなることによって、父母の愛を味わえなかった人は、とても重要な愛の経験ができなかったために、かわいそうな人であり、同じように家庭生活、すなわち夫婦関係を経験できなかった人は、生の重要な部分が不足しているので、霊界では非常にみすぼらしい人になります。また、兄弟姉妹の心情を体恤できなかった人は、すべての分野の欠乏によって、完全な愛の人生を生きられなかったので、霊界で哀れな立場に置かれるのです。
皆様はなぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛を体験するために結婚するのです。それでは、それがなぜ必要なのでしょうか。霊界に拍子を合わせる訓練をするために、家庭をもたなければならないということを知らなければなりません。愛の空気が満ちあふれた所が霊界ですが、これを感じられずに行く人は、向こうの国に行って拍子を合わせられないのです。このような愛の空気のにおいを嗅ぐ鼻がない人と同じだというのです。
皆様は、父親と母親から生まれました。その次に、さらに根本的なことは、父親と母親のおなかを借りて、神様から生まれたという事実です。皆様は宇宙の父母を通して、肉身の父母を通して、真の父母を訪ねていくのです。ですから死の瞬間は、真の父母に会いにいく歓喜の時間です。そこには、真の父母の真の愛があります。そこを天上天国と言います。そこの構成要素は愛であり、そこは父母の愛で満ちあふれているのです。
その愛は、私のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則のもと、一方的な法度に通じる愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練場です。
この地上での生活が、どれほど重要か御存じですか。一度しかありません。瞬間ですが、一度しかないのです。地上生活を永生に比喩すれば、これは一つの点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。しかし、この瞬間のときに、肉身生活を越え、霊界のために準備しなければならないのです。

Saturday Apr 30, 2022
平和経 第188話
Saturday Apr 30, 2022
Saturday Apr 30, 2022
愛のセンターを訪ねていく人生行路
人間は、愛によって生まれ、父母の愛の中で成長し、横的に愛を広げていきながら成熟するようになります。横的な愛は、異性の相対に出会って一つの段階を完成するのですが、天地の愛を代表できる基準に入れば、その結実として子女をもつのです。子女は、核心的な心情の位置で生じた愛の結果として生まれます。男性と女性が心情的な愛を与え合うことで生まれた息子、娘は、愛の核心に通じる道をつくってくれるのですが、そのセンターを通っていけば、正に神様と出会うのです。
人間は、愛の結実として子女をもつことによって、神様が万物を創造し、人間を創造された愛を体恤するようになります。また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子女を愛してみることによって、父母の心情を体恤するのです。父母が子女に注いできた愛は、物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が変わっても、歴史が変わっても変わらないのが、父母が子女に与える愛です。父母になって子女を愛することにより、神様が人間をどのように愛してこられたのかを推し量るようになり、体験を通して確認するのです。父母になり、子女を愛することによって、父母が私をどのように愛し、どれほど愛したのかを感じ、悟るようになります。そうして、老いた父母をさらに敬い、愛によって孝行の道理を果たすようになるのです。そうできなければ、父母の資格がないだけでなく、子女に対する愛も、偽善であると言わざるを得ないのです。
人間は、父母になって子女を愛してみることによって、神様が人間をどれほど愛してこられたのかを感じ、悟らなければなりません。また、神様をより一層、心から愛さなければなりません。子女よりも、老いた父母をもっと愛するべきであり、老いた父母よりも、神様をもっと愛さなければならないのが愛の秩序であり、法度であることを知らなければなりません。
人間は生まれるとき、愛によって生まれ、生まれてからは愛を受けながら、幼い時期を成長するようになります。しかし、ある程度まで成長すると父母の愛だけでは足りなくなり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心として、横的な愛を広げ始めるのです。すなわち、天宙間のすべての愛を受けながら成熟していきます。特に思春期に入ると異性間の愛を切に求めるようになりますが、異性間の愛によって、総合的な愛の圏に入るようになり、初めて愛のセンターを訪ねていけるようになるのです。
天地は球形の世界なので、横的な愛を分かち合い、回転しながら円形を一次的に形成するようになります。特に、異性を相対者として選んで愛を与え合うとき、その結実として子女が生まれて父母になるのですが、このとき、互いが相互間において愛を与え合って回転すれば、横的な愛に続いて縦的な愛も完成するようになり、球形世界を形成すると同時に愛のセンターを探し出すようになるのです。愛の運動を通して生じた愛のセンターは、すべての被造世界の存在の核でもあります。地球が存在するのも、この愛のセンターを中心に運動を続けているからです。愛のセンターは、運動を継続できる無限な力が集まった所です。このような愛の球形を通じて生じるセンターは、正にその場に神様がいらっしゃる所でもあります。ですから、世の中に存在するすべての被造物は、神様の愛によって創造され、存在し、神様の愛のセンターを訪ねていくのです。神様は、正に愛の溶鉱炉です。
三時代を生きる人生路程
人間は、母親のおなかの中で過ごしてから生まれ、一定期間を地上で生きてから死を迎えるようになっています。人間は、世の中に生まれる前に母親のおなかの中で十ヵ月を過ごします。おなかの中にいるとき、幼い胎児の自由には限界があります。胎児は、母親の栄養をへその緒を通して受け取って成長しながら、両手を伸ばしたり引っ込めたり、口を開けたりすぼめたりし、両足でばたばたするのが精いっぱいです。しかし、その胎児にとっては母親のおなかの中が自由天地であり、生の全領域なのです。その胎児は十ヵ月目に世の中に生まれて育っていきますが、それ以後の世界が、今日、私たちの暮らしている現在の地上世界であり、人間社会なのです。
人は愛のために生まれました。ですから、真の父母の愛に根を下ろし、母親と父親の保護と愛の懐である腹中で育ってから生まれ、二十歳までは分別もなく、寝床が湿っていても乾いていても父母から責められることもなく、汚い物でもそれを忘れて、すべて喜んで消化できる愛の中で育ち、そして愛の相対者に出会い、互いのために生きる天理の愛に接ぎ木しなければなりません。そのような一生の過程を通過しながら、神様の愛がどのようなものかを体験してこそ、神様の対象愛の実体圏が完成するので、息子、娘を生んで、愛するようにさせるのです。
この世に生まれた人間は、胎児のときの母親のおなかの中にたとえられる宇宙で生きています。一言で言えば、宇宙という母親の懐の中で、人間の百年の生涯を生きているのです。胎児が、母親のおなかの外の人間の世界を知らなかったように、今日、地上世界で生きている人間は、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいます。ただ、母親のおなかの中の胎児が地上世界の存在について分からなかったのと同じように、自分たちが分からないだけで死後の世界もあるかもしれないという、漠然とした心証をもつだけです。しかしはっきりとしていることは、人間の死後の世界に関する心証的な証言に関わりなく、霊界は確実に存在しているということです。しかし死後の世界は、人間が感知できる五官作用の外にあるので、宗教を通した信仰をもって、不信を克服しなければなりません。
人間の人生には三時代があります。動物界にも水中時代があり、陸地時代があり、空中時代があります。すべてのものがこの三時代を経なければなりません。人も同じです。万物の霊長として、すべての万物を主管できる資格を備えるためには、人にも水中時代があって、どのような存在よりも完全な生活体を備えなければなりません。次に陸地時代があって、どのような動物よりも最高の資格をもった存在でなければなりません。その次には空中時代がなければなりません。ところが人には、翼がないのです。
翼がないのにどのようにして飛べますか。飛び回るどのような鳥よりも、どのような昆虫よりも、高く飛び、遠くにも飛べなければならないというのです。そのためには、どのようにしなければならないのでしょうか。それは、実体である肉身をもってしてはできません。いくら飛び跳ねてみても、飛ぶことはできません。しかし、人は万物の霊長であり、神様が霊的な存在なので、主管権をもとうとしたり、相対的立場に立とうとしたりすれば、その活動舞台が神様と同じでなければなりません。電気や光で言えば、光の速度は一秒間に三十万キロメートル進みます。しかし、それよりもっと速く移動できるのが人の霊人体です。
私たちはこの世に住んでいますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所はどこでしょうか。霊界です。霊界は、愛の空気が満ちあふれた永遠の世界です。ですから私たちの一生は、永遠の世界に入るために準備する期間なのです。

Friday Apr 29, 2022
平和経 第187話
Friday Apr 29, 2022
Friday Apr 29, 2022
神様の愛はどのようなものか
皆様が神様の愛を一度調べてみてください。神様の愛をどのように表現できるでしょうか。それはまるで、暖かい春の日に、空には白い雲がふわふわと浮かんでいて、地にはかげろうがぼんやりと立ちのぼり、虫が飛び回って、ありも世の中を見物しようとちょろちょろと巣を出たり入ったりし、さらさらと流れる小川のほとりには猫柳の花が芽吹き、蛙は春の日の新しい歌を歌い、群れをなして飛んでくる蜂や蝶を見て喜ぶ、そのような環境と同じです。そのような環境に酔って、まどろみそうで、気分が良くていつまでもこうしていたいと言える、そのような味だというのです。
神様が探し求められる理想相対を中心として感じる気分は、このように蝶が飛び、蜜蜂が飛んでくる花の園のようなものです。これを考えただけでも気分が良いですか、悪いですか。この鈍い男性たちは、それが分からないでしょう。気分が良いというのです。懐かしい人に会えば、手を強く握って握手します。懐かしければ、手を強く握るのです。そのように喜んでつかめば、手がほどけないというのです。女性たちは、お嫁に行って夫が自分を愛してくれれば、気分がどうか一度考えてみてください。良いでしょうか、悪いでしょうか。人は率直でなければなりません。愛してくれるなら、この世の中に羨ましいことなどないのです。ずっと夫の横にぴったりとくっついて暮らすのです。
愛は永遠です。愛は二つではなく一つです。一つになるというのです。男性と女性がカップルになって愛し合えば、ぴったりくっついてしまいます。そのようにして理想の心情まで行くというのです。それが正に、神様の愛です。そのような愛をもって暮らせば、一つになるようになっています。
男性と女性が愛し合うようになれば、ありとあらゆることがすべて起こります。神様を訪ねていける道を知り、神様の愛を本当に味わえば、どうなるでしょうか。神様の愛は、世の中のどのようなものとも比較できません。そのような愛を味わった人がいれば、どのような苦難もその人を占領できず、どのような悲しみもその人を占領できないでしょう。そのような絶対的な解放圏があるはずです。これを探し出すことが問題です。
神様の愛は、大きく三大愛として現れます。それは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三大愛が一つに一致する中心が、神様の愛です。
愛と喜びの相続のための神様の祝福
神様にとって、一番の栄光の新しい朝は、肉身をまとえるときです。そして、愛することのできる人(夫婦)をもつときであり、その次には、孫を愛せるときです。息子、娘より、孫を愛せるときがさらに栄光のときです。ところで、神様がアダムを造ってどれほどうれしかったかということを、どのように教えてあげたのでしょうか。「いやあ!私はこんなにうれしかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子、娘を生むことによって教えてあげられるのです。人は幼いとき、父母の愛がどのようなものか分かりませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるのです。「私の父母が、私を育てるとき、このように愛してくれたのだな」ということが分かるようになっています。ですから、子女が配偶者を得る日は栄光の日であり、その息子が子女を目にする日が栄光の日なのです。
神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ることができなければならず、夫の愛を知り、夫に侍ることができなければなりません。子女の愛を知り、子女に侍ることができなければなりません。子女に命令するだけではなく、侍ってみることもできなければならないのです。理解することもできなければなりません。それでこそ、神様の愛を理解できるのです。子女がいなければ、未完成状態です。神様の愛が分かりません。神様が子女としての人間を、どれほど愛したか分かりません。また、夫になってみなければ妻が分からず、妻になってみなければ夫が分かりません。子女も父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分からないのです。ですから、息子、娘がいなければ、真の父母になれないのです。
父母が子女の結婚を願うのは、子女に父母の愛をすべて相続させ、伝授してあげたいからです。父母は死んでいきながら、子孫にその実体を残しておきます。ですから、子孫が必要なのです。愛は永遠に続くのです。愛は人間の最高の願望なので、万民が両手を挙げて相続しようとします。その愛を残しておくことにより、霊界でも堂々と神様のみ前に出ていけるのです。そのような愛を完遂できる所が家庭です。家庭を通して天国に行くというのは、すなわち、愛の一体圏が形成されるということです。
人間は、原理原則に従っていかなければなりません。春になれば種を蒔き、夏になれば生い茂り、秋になれば実を結び、冬になればすべてのものを整理して、新しい生命の根源を自分の内心に備えなければなりません。そのようにしてこそ、再び春を迎えるようになるとき、またこれが植えることのできる種になるのです。これは何の話かと言えば、これから皆様は父母となり、皆様のような息子、娘を生まなければならないということです。
皆様の息子、娘を、皆様のように育てなければならないというのです。
皆様は、息子、娘がいなければなぜ寂しいのでしょうか。それは、循環の回路が途切れるからです。鳥が雛に餌をあげるのを見れば、母鳥のこの上ない愛を知ることができます。東洋では、大人に対しては礼儀正しく敬い、息子、娘にはこの上ない愛を惜しみません。息子、娘を生んで育ててみることによって、父母が子女をどれほど愛したのかを悟るようになるのです。人間は誰でも、結婚したのちに子女を生んで育ててみなければなりません。そのようにしてこそ、子女の愛と父母の愛を所有できるのです。
息子、娘を生んで育てることを忌避する人が多くいます。自分たちが結婚し、離婚するときに息子、娘が妨げになると考えているので、子女をもつことをはばかるのです。しかし人間は、生まれて四位基台を造成しなければ、神様が人間を愛する心情を知ることができないので、天国に行けないのです。

Wednesday Apr 27, 2022
平和経 第186話
Wednesday Apr 27, 2022
Wednesday Apr 27, 2022
第二章 愛を中心とした人生行路
人間はなぜ生まれたのか
「生命が先か、愛が先か」というとき、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在の起源に先立って愛の流通がなければ、存在価値は出てくることができません。
生命が先ではなく、愛が先です。先になったものの前に、あとになるものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当然なのです。このように収拾しておかなければなりません。「それでは、人生を正しく生きる道はどこなのか」という問題が出てきます。人生は愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく、大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、さらには私たちの父母が公認できる大宇宙の愛の中に生まれ、その中で愛し、死んでいくのが、人生の目的だと見るのです。
人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それでは、父と母の希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが私です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛をすべて受けて、全宇宙の中心的な存在として生まれたのが、正に私です。愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生における最高の目的です。自分の家庭において、宇宙の中心である愛の使命を果たすのが、最も価値あることです。
人がなぜ生まれたのかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は愛ゆえに生まれ、また愛から生まれたのです。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは、生命の源泉だからです。皆様は、父母の愛の中から生まれました。お金を数えるところや知識を追求するところから生まれたのではありません。このように愛の中から生まれたので、愛によって結実しなければなりません。それで子女が必要なのです。夫婦が一つになり、息子、娘という相対がいるとき、完全なのです。人間自身も、愛を離れては存在できません。ですから、私という存在は、愛を土台として生きていくと言えるのです。
すべての万物も、その存在の始まりは神様の愛から出発しています。万物の存在が愛を土台として始まったとすれば、被造世界の中心存在である人間は、より一層、愛によって出発した存在であることを否定できません。人間は、愛から出発し、愛によって完熟するので、愛の基準を離れては生きられない存在なのです。
愛を中心とした創造本然の人生
人間が存在する理由とは何でしょうか。人間が存在する理由は、愛から始まりました。それでは、人間が存在する目的はどこにあると思いますか。それは、愛の理想を完成することにあります。人間は愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を築いて拡張させ、連結して完成させることが目的になるのです。すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そのためには、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後、左右、上下に連結されなければなりません。
私たちはいくら絶対的な存在を確定し、いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしくなければ何の意味もありません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活は、目的のためにするのです。その目的を成就したというとき、そこには存在それ自体以上の新しい何かがあるはずです。男性なら男性、女性なら女性を中心として見るとき、彼らにとって何よりも貴いものは何でしょうか。愛です。愛だけが、これと連結させられる幸福の要因になるのです。人が目的をいくらよく立てたとしても、その目的を主管する主体的な愛の権威を立てられなくなるときには、再び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が、愛より上にはなり得ないのです。
皆様は、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいて、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。人間は何のために生きるのでしょうか。「愛のために生きる」と言えば、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の実として生まれ、愛しながら生き、永遠の愛である神様の懐に帰るようになっているというのが、創造本然の人生です。愛によって生まれ、愛の中で成長し、その次に、再び異なる次元の愛に連結されるのです。
誰でも、父母の愛を離れ、相対の愛を訪ねていきます。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦同士いくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女が必要です。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が人生の根本であり、神様の愛を中心とする創造理想を実現する根本の道です。
生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長し、愛する妻に出会ってまた愛し、その愛の中で死んでいきます。これが人生です。ですから、悲しみと苦痛はあり得ないのが、本来の人生だというのです。
本来、宇宙の根本位置は、愛を中心として総合的に、縦横に同時に結合する基準ができることで、父母の愛と夫婦の愛、子女の愛が一つになる位置となります。その位置は、全宇宙が集中する場となり、全宇宙の細胞の方向が集中する場になります。霊界のすべての霊人が、ここに集中します。それだけでなく、この位置を誰も侵犯できないように保護するようになっているのです。ですから、この位置が破壊されれば、大変なことが起こります。それで、完全に保護を受けるためにはある形態が必要なのですが、その形態を統一教会の用語で「四位基台」と言うのです。
人間の永遠の生命の要素は愛
人間は胎児のとき、母から供給される栄養を受けただけでなく、愛を供給されました。そのように、地上で暮らしている人間も、宇宙(自然)から物質的な栄養を供給されるだけでなく、生命の本質的要素である愛を神様から供給されているのです。
すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては愛が生命の要素になるのです。私たちの希望は、永遠に愛と共に欽慕しながら暮らせる地上天国と天上天国が建設されることです。
男性や女性が行く道は、愛のゆえにあり、愛のためにあります。私の道は、愛の道です。愛を得るために、愛を守るために、愛の環境圏を築くために行くのです。女性が化粧をし、マッサージをするのも、愛のためです。何かを願うのも、仕事をするのも、すべて愛のためです。高貴な愛を得るために、苦難に打ち勝っていくのです。
私たちは生まれるときから父母の愛を受け、父母が生存している限り、少年時代、青年時代、壮年時代、どの時代においても、愛するのです。父母の愛を受けて成長すれば、横的な夫婦の愛が各自に起こるようになっているのです。
結婚とは何でしょうか。男性は女性について知らなかったことを学び、女性は男性について知らなかったことを学ぶために、家庭という愛の学校に入学するのです。すべての履修単位がAプラスになってこそ、夫も喜び、妻も喜ぶのです。さらに、息子、娘を生むのは、世界を愛する方法を学ぶためです。息子、娘がいなければ未来と連結されません。未来の世界と連結できる教育の材料として、息子、娘を与えたのです。そして、先祖や祖父、祖母に孝行するのは、霊界からの教育を受けるためであることを知らなければなりません。愛を中心として、これらすべてのものが連結されます。祖父と祖母、夫と妻、息子、娘が一つの愛を中心としてすべて連結されているのです。
私たちは、愛を中心として霊界の千万代の先祖までも尋ねて、行き来し、遠い子孫までも通じるのです。それが、霊界の組織であり、宇宙の組織になるということです。すべてのものがここに征服されてしまうのです。愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だと言えるのです。

Wednesday Apr 27, 2022
平和経 第185話
Wednesday Apr 27, 2022
Wednesday Apr 27, 2022
家庭は天宙主義を完結させる最終基準
すべてのものは、一つから多くのものに分かれ、結局、一つの大きなものに統合されます。すなわち、一つから様々に分かれ、一つに統合されるのです。ここからまた分かれて、より大きなものになる反復運動です。そこには家庭がありますが、形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦になった所であり、その夫婦を一つにする所です。氏族は家庭を一つにする所であり、民族は氏族を一つにする所です。民族が合わさって一つの国家にすべて入ります。しかし、どこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開すれば、横的な世界になるのです。
ですから、どのような社会だったとしても、家庭を除くことはできないのです。家庭を復帰できなければ、世界を復帰できません。その次には、その家庭を中心に天宙主義を完成しなければなりません。天宙は、天地を総合したものです。天と地は、人間において体と心と同じです。この体と心が一つにならなければなりません。一つの主体があれば、一つの相対が必要なように、一人の男性には一人の女性が必要だというのです。男性と女性が一つになった所が家庭です。この一つの家庭を中心としなければ、神様の愛の基盤が定まらないのです。
天宙主義というのは、体と心を合わせたのちに、神様の愛の本体になる家庭を築き、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は、家を意味します。それで、天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要だというのです。
皆様が家庭において一つになれなければ、天宙主義と関係ありません。家庭こそは天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌えず、幸福を賛美できない人は、この地上においても霊界に行っても、不幸な人になるのです。
天国は、どこからできるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。それでは、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義です。このようになってこそ、天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻は、すべて理想的な家庭を願ったみ言です。また、万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは、理想的な夫に出会うことです。
女性がいくら博士になって世界に対して大きなことを言ったとしても、その女性の願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会い、かわいい息子、娘を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。
それでは、天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったならば、世界はアダム主義になっていたでしょう。そのアダム主義が、正に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の主義はあり得ないのです。そのため、統一教会は心情的な問題を、この本然の理想的な家庭の範疇の中において、真の父母という理念を中心として、天の主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の関係が残っている限り、統一教会は滅びません。

Tuesday Apr 26, 2022
平和経 第184話
Tuesday Apr 26, 2022
Tuesday Apr 26, 2022
家庭は心情的な訓練場
私たちは、心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せる所がなければ、生きられないのです。自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては、心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうして、その喜びを他の人に誇れなければならないのです。その喜びは、一次的な喜びであって、二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜べないというのです。結局、家庭がなければならないのです。
家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では師を中心としなければなりません。父母は自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、このようにして情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校とは何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場であれば、学校は社会生活のための実験的な訓練場です。だからといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかと言えば、国に帰結するのです。
国には国王がいます。人々がみな、大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、その次にどこに行くのかと言えば、より大きな所に行くのです。大統領と言えば、蘇生と長成の段階を越えて、三つ目の完成段階の結実です。種は根から始まって、循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲いて実を結ぶのです。そのため、学校は国のための貴重な棟梁、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強は、訓練です。ですから、学校は訓練場であり実験場です。訓練は、実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはいけません。
家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです。
皆様が家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって、良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を関係づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。
人間の永遠の本郷は家庭
家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。母と父がいるから良い所であり、姉や兄がいるから良い所であり、弟や妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷にもっと思いを馳せるのです。大韓民国が好きでありながら、大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です。
その心情は、愛によって結びつけられています。上には母と父が結びつけられており、左右には夫婦の関係が結びつけられており、下には息子、娘、親戚が立体的な愛によって固く結びつけられているところが本郷です。人は、真の愛を中心として幸福の基点を最高に求めるので、本郷を慕わざるを得ないのです。
それでは、神様の本郷はどこでしょうか。この地球星において、神様の本郷の地はどこなのでしょうか。愛の神様であれば、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこかというのです。それを知るためには、神様がその基点を整えるために、どのように準備してこられたのかを知らなければなりません。神様の家庭を整えられる、本郷の基点になる所は、他の所ではありません。神様を本当の父だと知っている息子がいる所です。すなわち、神様の愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して、完全な家庭を築く所です。
それでは、その本郷の地には、誰がいなければならないのでしょうか。会いたい人々がいなければなりません。父母がいらっしゃらなければならず、兄弟がいなければなりません。そして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、一瞬だけではなく、永遠に一緒に暮らしても嫌にはなりません。そのような所を訪ねていかなければなりません。そこが、宗教で目指す天国です。
私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にどこの誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいつどのようなときに訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私が困難に遭えば、その大変な事情に同情しながら慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそうでなければ、本郷が懐かしく、喜んで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情は消え、かえって嘆息の思いをもって帰ってくるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。

Monday Apr 25, 2022
平和経 第183話
Monday Apr 25, 2022
Monday Apr 25, 2022
愛の王国に入籍するための愛の修練場
愛の王国を築くことが、神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようというのが神様のみ旨だというとき、小学校の卒業から大学、修士、博士卒業までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見れば、祖父と祖母が住む世界、その次に、叔父と叔母が住む世界、兄と姉のような人たちが住む世界、青少年が住む世界、子女たちが住む世界があります。ですから、老年から壮年、中年、青年、少年が集まって住むこの場は、形が大きく、数が多いだけであって、家庭を拡大したものなのです。
家庭は天国に入っていける最小単位の修練所であり、教材です。人類を自分の兄弟姉妹のように愛し、父母のように愛し、息子、娘のようにために生きられる家庭だけが、天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあります。
家庭は、霊界に行く時に天の国の平和の王宮に入籍する権利を得るための愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように、全世界の人を愛せば、それが天国に続くまっすぐな道となるのです。したがって、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)というのが第一の戒めです。第二は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)というものです。神様を愛して人類を愛せば、すべて終わるのです。それができなければ、いくら修養してもすべて無駄です。
宗教者がいくら修業を積んだとしても、神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、宇宙を愛することを知らなければ、すべて落第だというのです。家庭において、全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そのようにできる訓練場として引き継いだのが、皆様が成長した、母と父が住む家庭だというのです。
ですから、自分の妻を愛する以上に父母を愛し、息子、娘を愛し、人類を愛し、神様を愛せば、すべてOKです。だからといって、自分の妻を捨てなさいというのではありません。そのようにすべての人を愛せば、その愛を受けたすべての人々が、自分の妻を愛するようになるのです。それ以上、栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです。
家庭は天国のモデルであり教科書
子女の立場にいる人は、どのような運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は、過去の生きた歴史を代表します。その次に、父母は現在を代表します。そして、子女は未来を象徴します。そこには東西も入っており、南北も入っています。そして、全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものなのです。ですから、祖父を愛し、祖母を尊敬するのは、過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶためです。父からは現在を学ぶのであり、子女を愛するのは未来を学んでいくことです。祖父と祖母、母と父を通して、何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。「祖父と祖母は年を取っているが、二人が真の愛と一つになっていて、母と父が一つになっているから、私たちもあの方々のようになって、未来に引き継ごう」というのです。ですから、真の家庭にならなければ、絶対に未来に引き継ぐことができないのです。
家庭のこの三代を見れば、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は、現在と未来を代表した真の家庭にあります。動物世界を見ても、雌を愛し、雄を愛しますが、これは宇宙の愛を学べる教科書です。祖母がいなければ不安定です。祖父がいなくても不安定であり、どちらがいなくても不安定です。二人が一緒にいてこそ、そのまま天の国に移っていくのです。祖父母、父母、子女がいてこそ、そのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に入っていけるのです。天国のモデルであり教科書が、真の家庭です。
家庭は、天国を築くための教材です。天がつくっておいた教材です。世界のどこに行っても、祖父の年齢の人を自分の祖父のように愛せば、その人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛する人は、どこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線が生じないのです。万国の若者を自分の息子、娘だと思う心をもてば、その人は、十二の真珠門があり、十二の方向があっても、天国のどこにでも通じるというのです。ですから、家庭は天国と関係を結ばせるための教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、すなわち聖子になるのです。人間は皆、そのような欲望をもっています。
皆様は五色人種の息子、娘を抱き、その孫と孫娘を抱くことができなければなりません。そうして、神様の真の愛をもって、真の父母として世界の人を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。神様の愛を中心とした本然の父母の関係の中で、真の愛の家庭基準を代表できる立場に立つことにより、初めて天国に入っていけるのです。
家庭は三時代の愛が結集した核心体
歴史を抱き、現代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから、神様が今まで六千年を経ながら探し求めてきた最後の基点が、正に家庭です。その家庭は、愛が連結された、愛によって結束した家庭です。存在するすべてのものは皆、真の愛の主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛の関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが、神様が創造当時にアダムとエバに与えた本来の使命でした。
神様は、男性のアダムと女性のエバとしてだけで終わるのではなく、互いに結合して築く新しい家庭を夢見られたのです。これが、神様が男性と女性を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから、真の家庭を探し求め、その家庭圏内で神様の愛を中心として、この世で充足を感じられる境地に入って生きてこそ、天国も無事に通過するのです。そのようになってこそ、この世界も越えられるのです。
愛の家庭圏を形成するためには、絶対的でなければなりません。自分が一つの時代において一人の相対を愛するのは、神様が世界に対するのと同じです。ここにおいて父母と夫婦と子女が一体となり、天宙を代表して「私たちの愛を見習いなさい」と言うことができ、子孫に対して「私たちに従いなさい」と言うことができ、内外共に主張できる心の本郷、天情が通じるその場所は、天地に記憶されるでしょう。
今まで神様は、何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様を手本とし、御自身が造った世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表できるものはありません。父母と一つになるのは、歴史と現実が出会うことです。ここで私は、父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができるのです。ですから、私は三時代の愛を体験できるのです。この三つの愛が結集した核心体が、正に家庭です。
それでは、天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他の所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏から外れたものではないというのです。ですから、皆様が自分の妻や夫を抱くときは、世界のすべての男性と女性を代表した二人が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭です。皆様は、そのように生きていく道を訪ねていかなければなりません。父母を愛するのは歴史と現在を連結させることであり、神様が訪ねてこられる道を整えることです。ですから、父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な私を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが、父母を愛することです。また、自分を中心として子女を愛することは、現実と未来を連結させることです。そして、このような愛を、千年、万年たたえるようにしようという思想が「統一思想」です。

Saturday Apr 23, 2022
平和経 第182話
Saturday Apr 23, 2022
Saturday Apr 23, 2022
14.天国を開く門 真の家庭
このみ言は八大教材教本の一つであり、私たち人間が生きていくうえで必要なみ言を、真の父母様がまとめてくださったものです。
第一章 家庭は天国の中心モデル
家庭はすべての存在の中心モデル
人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様は上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形を備えるのです。
皆様の上下、左右、前後の関係、そして家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱うにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。
これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭モデルを築くのです。
モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心です。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様まで行かなければならないというのと同じです。皆様は、宇宙の中心になりたいという気持ちがあるというだけではなく、そのようにもなれるのです。このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。
兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として仕事をするとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけないというのです。
この中心点が狂えば、上下、左右、前後の関係の均衡がすべて崩れるのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まですべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となって、調和と統一を成し遂げる家庭になるということです。
真の愛が永遠に変わらない限り、この中心核も変わらないで永遠に回るようになり、真の家庭理想が成就されるようになります。また、すべてのものが核から連結されるので、この中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等な価値になるのです。祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになります。
この愛を中心として見るとき、父子関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟関係も一体であると言うのです。一つの体です。何を中心としてこのような関係を一体であるかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。
家庭は宇宙の愛に接することができる愛の教材
宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは、神様が愛する息子、娘が愛の理想を探し求めていけるように、教材としてつくっておいたものです。それで、すべてが相対的構造です。鉱物も主体と対象の関係として作用します。原子もそうです。陽子と電子も、主体と対象の関係として作用します。作用しなければ存続できません。運動をしなければ、、永続、存続できないというのです。ですから、宇宙は人間を中心として、その中点に到達できるように創造された世界だというのです。
宇宙は、家庭を拡大したものです。愛を完全に完成した家庭を見れば、上中下(父母、夫婦、子女)があり、左右があり、前後があります。これが原則です。それで、上下と言うときは父母と子女のことを言い、左右と言うときは夫と妻のことを言い、前後と言うときは兄弟のことを言うのです。このような全体が、何によって一つになれるのでしょうか。力や知識やお金でもできません。それでは、どのようなものでできるのでしょうか。真の愛です。これは間違いない真理です。そうでなければ、球形にならないのです。
上中下の関係は、私たちの家庭において愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。そのようなことを、社会に出て実践しなさいというのです。どのように愛するべきでしょうか。イエス様も「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二•三九)と言いましたが、どのようにすればよいのでしょうか。漠然としています。世の中に出ていって、老人に接するときは、皆様の祖父、祖母のように侍りなさいというのです。自分の母と父、息子のように接しなさいというのです。世の中に出れば、そのようにしなければなりません。上中下と前後、左右の関係に当たる人たちが、世界という展示場に展示されているのです。人の博覧会が世界だというのです。皆様がそのような愛をもってすべてのものを愛することができれば、その中に神様が共にいらっしゃるのです。
天国とは何でしょうか。自分の家庭のように、世界の人を愛せる所が天国であり、そのような人が天国の民です。祖父母、父母、自分たち夫婦、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材が家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです。
私たちは、宇宙の愛を学ばなければ生きていけません。神様は教本や経典のようなものをつくり、「あなたの祖母、祖父を愛しなさい。地上にいる祖母と祖父は、霊界の祖母と祖父を代表して送ったので、その祖母と祖父を愛せば、全体を愛することにしてあげよう」と公約するのです。その次には、「あなたが母と父をこの上なく愛することを、この世界の数多くの母と父を代表する教本のように愛するモデルとしたので、全体を愛したという条件にしてあげよう。また、男性として女性を愛したことは、世界の男性が世界の女性を代表して束ねて愛したものとして認めてあげよう」と言うのです。またその次は、「あなたの息子、娘を愛したことで、全体の息子、娘を愛したことにしてあげよう」と言うのです。ですから家庭は、その訓練を受ける訓練所です。経典による世界愛の訓練過程なのですが、その訓練を受けた人に、「今から世の中に一度出て、あなたの祖父と祖母のように、世の中の祖母と祖父を愛せるか」と尋ねたとき、「はい」と言えば、その人は世界を救えるのです。

Saturday Apr 16, 2022
平和経 第181話
Saturday Apr 16, 2022
Saturday Apr 16, 2022
交叉祝福結婚
尊敬する貴賓の皆様。人類は今、執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として人生を終える愚を犯してはならないということです。野生のオリーブの木では、千年生きても、野生のオリーブの種を生産するしかない悪循環が続くからです。それでは、私たちはどこから野生のオリーブの木の立場から脱出する道を見いだせるのでしょうか。
天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。血統を変えなければ、種を変えることはできないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階の祝福を経るようになっています。人種、文化、国境、宗教の壁を飛び越え、神様のもとの人類一家族をつくる大役事です。
神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境が存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。これらすべてが、数万年の間、人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔、サタンの術策に過ぎないのです。
交叉祝福結婚を通して絶対「性」の人生を完成することが、正にこの地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることをはっきりと教えてあげなければならないのが、皆様の使命です。そうして、皆様の家門と氏族が、全員共に絶対「性」の完成を通して、祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。
皆様。今、皆様の位置は違います。真の父母様がお許しになった聖酒式を通して血統転換し、祝福を受けて真の家庭を探し立てる道が大きく開きました。
真の父母様の平和運動
世界の指導者の皆様。私は、きょうこの貴い場を借りて、もう一度、人類の平和天国創建のために、そして神様の祖国と本郷の設定のために、実に摂理的で革命的な新プロジェクトを宣布しようと思います。
歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ワールド•ピース•キング•ブリッジ•海底トンネル」を完成し、世界を解放、釈放させる一日生活圏にしようというのです。
これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和理想世界王国を、この地球星に創建しようというのです。
アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家、そしてすべての宗教が一つになって共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和王国を創建するにおいて、決定的な役割を果たすようになるでしょう。
愛する祝福家庭の皆様。皆様は今、歴史上、最も恵まれた貴い時代に生きています。歴史の中で生まれては逝った数千億に達する皆様の先祖が、霊界で何よりも願い、待ち望んだ後天開闢の時代、すなわち平和理想世界王国時代の出帆を宣布します。四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖が総再臨し、皆様の天の道を導いています。悪なる者が適当にやって裕福に暮らす、そのような不条理で腐敗した世界が威勢よく振る舞う時代は、もはや過ぎ去っていくのです
私たち全員の究極的目標である、神様を中心にお迎えして暮らす「神の国」と「神の義」を探し立てなければなりません。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和して互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真のモデル理想家庭と同じ姿である平和理想王国を意味するのです。すなわち、人類が今までユートピアとして願ってきた神様の主権の国が、正に「神の国」だというのです。
人類が一つの家族となり、互いに心の塀を崩し、天宙的次元で国家間の国境までも除去しようという共生共栄共義社会の実現運動も、このように一つの家庭から始まるのです。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において天宙平和王国の創建を早める摂理的召命であるという点を、肝に銘じなければなりません。
世界の火薬庫である中東でも、レバレンド•ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが、新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド•ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド•ムーンの主導のもとで急速に進行しています。
しかし、私は決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。この地球星に毒きのこのように君臨してきた様々な国境と壁を完全に撤廃し、万人が共に手を取って暮らせる平和理想世界王国を創建しなければならないのです。
私たちの使命
皆様。天地開闢の後天時代は、天と真の父母様が大きく開門してくださいました。しかし、この恵まれた栄光の時代を花咲かせ、実を結ばせるのは、今や皆様の手にかかっています。
「アベル国連」の立場を確立していく「天宙平和連合」の旗のもと、「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使となってください。天が下さった祝福家庭とこの恵まれた地球星を、皆様でなければ誰が育て、守り抜くのでしょうか。
皆様。後天時代は、真の父母様から受ける祝福結婚を通して、アダムが堕落によって失ってしまった真の血統を取り戻さなければならない時代だと言いました。個人、家庭、氏族、民族、国家の五段階を経て、祝福摂理を完成すべき時代だというのです。世界的次元で三代圏の理想家庭を探し立て、後天時代の祝福家庭の使命を完遂しましょう。イエス様がこの地に来られ、死ぬ前に成し遂げようとされた願いも、正にこの三代圏の理想家庭を探し立てることだったのです。
したがって、氏族的メシヤと国家的メシヤは、真の父母様を中心として一つになり、カイン圏を代表した政治圏とアベル圏を代表した宗教圏の歴史的な流血闘争を、永遠にこの地において終息させなければなりません。世界人口の七四パーセントを占めている「蒙古斑同族連合」も、その役目を果たし、国家単位の祝福を通して世界を復帰し、人類の最初の家庭から始まったカインとアベルの闘争を終息させる摂理的なときになったことを肝に銘じてください。
皆様、真の父母様を中心としてカイン•アベルの二人の息子が一つになり、本然の立場で天宙平和の王であられる真の父母に、復帰された本然の理想家庭を奉献すべき摂理的召命のときが来ました。人類の先祖の堕落によってサタンに差し出してしまった兄弟権と所有権までも、絶対「性」の完成を通して真の理想家庭を立て、再び天に還元させる天命が皆様と共にあるときが、正にこの時代であることを特に肝に銘じてくださるようにお願いします
皆様は今、摂理的第四次アダム心情圏の時代である解放、釈放時代、すなわち後天開闢の時代に入っています。蕩減復帰の染みで汚れた旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利した、影のない正午定着時代であり、アダムの堕落以前の本然の理想世界を創建していく時代です。平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を形成した全体、全般、全権、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。
皆様。万民の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女となってください。救世主、メシヤ、再臨主が必要ない永遠の解放と釈放の世界で、天宙平和の王であられる真の父母様に侍り、真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和理想世界王国を創建しましょう。絶対「性」の戒めを固守して真の家庭を完成し、真の父母様が勝利された三代圏蕩減復帰の完成を相続して、堕落圏以前の本然の世界を完成しましょう。
天宙的理想圏である解放•釈放圏を安着させるモデル理想家庭と本然の絶対、唯一、不変、永遠の太平聖代を享受する善の王国を建て、億万歳の賛美を受ける天宙平和の祖国となりますように!神様の祝福が、皆様の家庭と国家と世界に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。
平和メッセージが完成した日、二〇〇六年十一月十五日、巨文鳥にて
天正宮博物館にて、二〇〇七年一月八日、午前四時四十二分、完成完結を宣布した記念日

Thursday Apr 14, 2022
平和経 第179話
Thursday Apr 14, 2022
Thursday Apr 14, 2022
第二は、夫婦間において、生命よりも貴く守るべき絶対モデル「性」、すなわち絶対貞節の天法です。夫婦は、天が定めてくれた永遠の伴侶であり、子女を生むことによって真の愛、真の生命、真の血統を創造する共同創造主の絶対、唯一、不変、永遠性の本源地なのです。
一人では、千年生きても子女を生めないというのが天理だからです。婚前純潔を守り、純粋な天の夫婦として結ばれた人たちが、どうして天道を外れて浮気をすることができるでしょうか。神様が人間を御自身の子女として創造されたそのみ旨を知っているなら、想像することもできない背信と悖逆(はいぎゃく)であり、自ら破滅の墓を掘る道です。人間堕落の結果としてもたらされた創造理想圏外の結果です。
皆様。絶対「性」は、このように天が人間に賦与された最高の祝福です。絶対「性」の基準を固守しなければ、人格完成、すなわち完成人間の道が不可能だからです。さらには、神様も人格神、実体神の位置を立てるためには、完成人間を通して真の家庭的絶対「性」の基盤を確保しなければ、不可能だからです。
絶対者であられる神様が、私たちの人生を直接主管され、私たちと同居し、共に楽しまれるためには、御自身の対象であり、子女として創造した人間が、神様のように絶対「性」的基準で完成した家庭の姿を備えなければなりません。絶対「性」を中心とした家庭という範疇の中でこそ、祖父母、父母、子女までの三代圏を含んだ、人間の本然の人生の理想的モデル「性」の関係が創出されるのです。この基台の上でこそ、神様の永生はもちろん、人間の永生も可能になることをはっきりと知ってくださるようにお願いします。
したがって、絶対「性」を中心としたアダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し遂げ、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様との完全一体を成し遂げていたならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されていたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されていたでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの絶対「性」を中心とした結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバが神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形と無形の二つの世界で絶対「性」を中心とした、人類の真の父母になっていたでしょう。
それでは、アダムとエバの堕落以来、歴史を通して神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何であるか、御存じでしょうか。天の血統権を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまいました。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆つている六十五億の人類が、神様とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。
血統の重要性と真の愛
皆様。生命より貴く、愛ょりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その結実が血統だということです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。
したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように絶対「性」の関係を通して創建されるのです。
皆様。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを肝に銘じてください。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道は、正に父母と子女のモデル血統関係しかないという事実を、はっきりと知らなければなりません。
しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなった、そのような凄絶な世界になってしまった事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きている群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。
このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。堕落によって血統権、長子権、所有権がサタンの手中に落ちてしまったのです。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。
皆様。真の父母の使命を完遂すべきレバレンド・ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが失敗したすべてのものを蕩減復帰し、完成すべき第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主の使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。
神様の宇宙創造がそうだったように、それは少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。どこの誰とも相談できない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。数えきれないほど反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、不死鳥のように再び立ち上がってモデル「性」を立てなければならなかった人生でした。
かつて日本留学時代に地下で独立運動を行っていたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ言を伝播していた時、そして自由国家として誕生した李承晩政権下においても、さらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド•ムーンの波瀾万丈の人生、すなわちモデルとしての「性」を完成するための人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。
かわいそうな天のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救ってあげるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情を見つめ、一言でも投げかければ、私の涙は滝のように流れるでしょう。
血統権と長子権、そして所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法は何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によって、初めて可能なのです。
それでは、真の愛とは、どのような愛なのでしょうか。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということ自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。
真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。
神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権と相続権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。