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Sunday Dec 19, 2021
平和経 第64話
Sunday Dec 19, 2021
Sunday Dec 19, 2021
4.天宙は私の故郷と祖国
日付:二〇〇〇年二月二日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂
行事:第二回アメリカン•センチュリー•アワード授賞式
尊敬するアメリカの上下両院の議員、外交使節、今日のアメリカが神様の最大の祝福を受けることに貢献したアメリカン•センチユリー•アワードの受賞者、そして親愛なる内外の貴賓の皆様。きょう、自由と信仰と家庭の重要性を高めるためのこの歴史的な席に、アメリカの各界各層を代表する最高指導者の皆様にお越しいただいたことを、心から感謝いたします。同時に、ワシントン•タイムズ財団の創設者として、去る一世紀を通じて、今日のアメリカが世界で最も優れた国になるようにと力を尽くした栄誉ある受賞者の皆様に、心からお祝い申し上げたいと思います。
また、きょう私の八十回目の誕生日を祝ってくださり、私が生涯にわたって成し遂げたすべての業績を高く評価し祝賀してくださった皆様に、重ねて心から感謝申し上げます。特にこの場で私は、今日まで共にいてくださり守ってくださった神様に、このすべての栄光と感謝を捧げたいと思います。
自由、信仰、家庭に対する天のみ旨を成し遂げなければならない
私は、生涯を通じ、神様の創造理想を実現するという一念で、ひたすら諸般の難問題解決のために苦心し、努力してきました。私は一九七一年、アメリカに来た時、アメリカが世界的な危機に直面していることを目撃しました。そこで、第一次五十州巡回講演を始めながら、「アメリカは、神様が抱えている三つの大きな悩みに責任をもたなければならない」と説破しました。その一番目は、共産主義からの脅威であり、二番目は、キリスト教の没落であり、三番目は、淪落の道に入っている青少年の問題でした。この意義深い日に私たちが心に刻まなければならないことは、すべての人が神様と完全に一つになることであり、自由と信仰、そして家庭に対する神様のみ旨を成就することです。私は、神様がアメリカを愛していらっしゃることを知ったので、このあらゆる兆候に対処できるアメリカにおいて、「ワシントン•タイムズ」の創刊を含む多くの活動をしてきました。
神様の心情を知り、み旨成就に全力
きょう私は、これまでアメリカのために奉仕できる機会を許諾された神様に、重ねて感謝を申し上げます。なぜなら、韓国戦争当時、アメリカは国連軍として私の祖国を救援したばかりでなく、神様のみ言を伝える中で共産圏の監獄に投獄された私に、自由をもたらしてくれたからです。
私は、十六歳(数え)の少年の頃に天命を受け、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。私が知った神様は、栄光と尊敬の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実在および人間と宇宙に対する根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とその準備として地上生活をどのように過ごすかということを知らないまま生きてきました。
神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するためにこの身を捧げ捧げて全力を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからだということが分かります。
私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回以上語り、これが既に三百巻以上の書籍として発刊されました。きょう、アメリカの最高指導者の皆様を迎えたこの意義深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。
本来、天宙は人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後の一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながら、見えない中心の位置にいらっしゃいます。
理想的な存在モデルと真の愛
人間は堕落し、落ちたサタン圏から、神様の救済により自由と解放を受け、真の息子、娘として成長したのちに、相対に出会って真の夫婦となり、さらに子女を生み、真の父母となることが正常な人生路程です。
したがって、私たちは、真の子女を否定することができず、真の夫婦を否定することができず、真の父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。ですから、人間は、真の父母と真の夫婦と真の息子、娘で構成された真の家庭を成し遂げなければならず、これが正に理想的な存在のモデルです。人間は、家庭で真の父母の愛を完全に受けなければならず、真の夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真の息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるものは何でしょうか。それは、お金でもなく、知識や権力、あるいは物質的な力でもなく、均衡の取れた神様の真の愛しかありません。
真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重されて永続することによって、永遠の均衡が形成されるのです。
ですから、真の愛を中心に、ために生きる世界は授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように与え合う作用を通して、真の愛の世界を成就するためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着できるのです。
すなわち、幸運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡を取って運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、巡り巡って再び元の形に戻っていくのです。
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Thursday Dec 16, 2021
平和経 第60話
Thursday Dec 16, 2021
Thursday Dec 16, 2021
神様と人間は父子の関係
神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。
神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。
神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。
人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。
このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。
人間と完全一体であられる神様
人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。
もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。
皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。
何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。
皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時間だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一ヵ月ではなく、忙しい時は何ヵ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。
壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトィレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。
皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。
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Wednesday Dec 15, 2021
平和経 第59話
Wednesday Dec 15, 2021
Wednesday Dec 15, 2021
3.宇宙の根本を求めて
日付:一九九六年九月十五日
場所:韓国、ソウル、オリンピック•フェンシング競技場
行事:「世界平和家庭連合」百八十五ヵ国結成韓国大会
尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。
神様は宇宙と愛の根源
この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。
人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。
きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性禀を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しベと雌しベ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。
存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しベと雌しベ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。
主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。
変わらない宇宙の鉄則
未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。
それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。
千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。
博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。
アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。
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Saturday Dec 11, 2021
平和経 第58話
Saturday Dec 11, 2021
Saturday Dec 11, 2021
「世界一家族思想」の実践
満場の紳士淑女の皆様。私が始めた世界的な活動は、すべて国境を越え、人種の塀を崩し、そして超宗教的なものなので、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会員は、神様の真の愛を中心とする意識改革により、新しい世界観をもって一つの家族として生活しています。
アメリカの中で、白人と黒人の両者に摩擦と壁がない唯一の場所が統一教会です。アメリカがキリスト教思想を土台として人権と平等を叫びながら努力したにもかかわらず、解決できなかった白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本とアメリカ、そしてドイツ出身の宣教師たちが、過去の恨みと葛藤の歴史的事情を乗り越えて見知らぬ国に到着し、互いに面識もない中で三人一組の共同献身生活をしながら宣教をすることによって、「世界一家族思想」を実践しました。
そればかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教など各宗教団体の和合のために、私が毎年巨額の支援をしながら宗教一致会議を開催することで、世界各地の宗教団体の長たちから称賛を受けていることは既に知られた事実です。そして、国際祝福行事で名門大学出身の日本女性を新婦に迎えた韓国の農村青年が、村の祝宴を通じて祝賀を受けました。このように血族として結ばれる関係の中で、日韓の民族的感情が問題になるでしょうか。
統一教会が開催する集まりには、いつ、どこであろうと人種間の葛藤や民族的な差別意識や宗教的な偏狭性がありません。洋の東西を問わず、統一教会員は私の思想に従って人格が変化し、利己的な自己中心の姿勢を清算し、他のために生きて与える生活をすることで、未来の理想世界市民の標本になることを目指しています。
統一運動は、まだ十分ではありませんが、今日の実績がもつ意義は宇宙史的です。有史以来、多くの聖賢の教えがこのような実績を目標にしてきました。また、この地球上の多くの良心的な人々が、正しく生きるためにその道しるべを探してきました。そして、どれほど多くの志のある若者たちが、新しい可能性を求めて明るい未来を夢見ながらさまよっているでしょうか。しかし、それを探している中で失望し、挫折した若者たちもどれほど多いでしょうか。
実際に足を運んで見てください!偏見なしに見てください。人が動機とならずに天運が共にある基盤を研究してください。そして、明るいあすを設計し、明確な価値観を立ててください。
そして、皆様が見ているように、世界の統一教会員たちは、老若男女を問わず献身の道を行きながらも、どれほど喜びに満ちているでしょうか。特に若者たちが、混濁した世の中の荒波の中でも最上の倫理、道徳の基準をもち、自負心をもって活動するのを見てください。
奉仕の歩みで生涯を終えたい
私は、世界の統一教会の若者たちを人類の希望、神様の希望として見つめています。狭い教派や宗派の観念を越えて地球人という大きな次元で考えてみましょう。
もし私が唱導した思想によって人格が変化し、他のために生きることができるようになれば、国の将来はどのようになり、私たちにとって南北統一は難しい課題となるでしょうか。また、全世界の人類がこのみ旨を受け入れれば、平和で繁栄した世界が保障されるのではないでしょうか。
より大きなもののために生きる私の哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。神様と世界が教会のためにあるのではありません。教会が神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今、継続して奉仕する道を探しており、この歩みの連続で生涯を終えるでしょう。
もう一度、皆様の祝賀に感謝しながら、きょうこの記念式が、単に私の古稀を祝賀する場を越えて、他のために生きながら存在すべき宇宙の公道を学ぶ会合となることを願います。
皆様の仕事と家庭に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
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Saturday Dec 11, 2021
平和経 第57話
Saturday Dec 11, 2021
Saturday Dec 11, 2021
2.宇宙の公道を学ぶ会合となることを
日付:一九九〇年二月一日
場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場
行事:真のお父様古稀慶祝記念式
尊敬する内外の貴賓の皆様。世界百三十数ヵ国の代表者、国内の各界指導者、そして紳士淑女の皆様。公私にわたり忙しい日程にもかかわらず、きょう私の七十歳の誕生日を祝うために、このような盛大な席を準備してくださったことを感謝しつつ、特に天意に動機を置いた私の生涯を祝賀する皆様のお心に感謝申し上げます。
神様を動機として生きてきた七十年の生涯
先立って、多くの代表の方々が多くの賛辞で私の過去の業績を褒めたたえてくださいました。しかし、きょうのこの記念式が過去の功績だけを賛美する場であれば、大きな意義はないと思います。私の行跡が未来に、ある希望的な動機を付与するのか、人類の将来を明らかにすることにどんな意義があるのか、さらには宇宙を経綸される神様の摂理とどのような関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決まらなければならないと思います。
天命に従って、前人未到の孤独な開拓の道を駆けてきた私の生涯が、多くの人々の無理解と反対の中で、外的に波瀾万丈だったことは周知の事実ですが、私の心の世界では、どのようにすれば神様が願われるとおりに生きることができるのか、どのようにすれば神様のみ旨を果たしてさしあげられるのかに焦点を合わせ、そのために一刻を争う緊張が連続していました。神様を除いては説明することができない私の生涯だったのです。
国家の運命はもちろん、さらには世界の運命と直結された私の行路において、神様と深い内情で通じながら過ごしてきた事情と神様と共に体感した最も深い場での悲しみも、最も大きな痛みも、最高の喜びも、鮮やかな記憶として回想され、特別な情感で神様に深く感謝申し上げつつ、この日のすべての栄光を、生きていらっしゃる私の父、神様に捧げようと思います。
これまで、私が世界的に築いた基盤に対して「驚異的な業績である」と語るのは率直な表現でしょう。しかし、私は外形的で可視的な基盤そのものよりも、その中のどれ一つも私自身を中心としていなかったという点と、現在よりは未来を、個人より全体を、小さなことよりはもっと大きな目的のために築いたものとして、天と地と歴史が公認する基盤であるという点に誇りをもちます。徹底して神様が動機となり、厳しい風霜と曲折の中でも神様が守ってくださったからこそ、成し遂げることができた基盤であるという点が貴いのです。
他のために投入してきた生涯
私の過去七十年の星霜は、決してたやすい道ではありませんでした。世の中に友もなく、師もいない、本当に一人だけの孤独な道でした。私が数多くの逆境と生死の境をかき分けてきながらも、勇気を失わずにいられたのは、神様との深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地を知ることができないなかで、密かに助言を常に与えてくださった神様は、私の生きる動機そのものであり、生命力の源泉でした。
私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでした。わき目も振ることができず、世論に気を遣うこともできず、日々神様の願いを思いつつ、細胞がしびれる一体感で、その方の創造理想を成し遂げてさしあげようと、その目的に向かって、一心不乱に駆けてきました。
満場の皆様。私にかけられた神様の願いとは何でしょうか。本来堕落がなければ、神様は無形の真の父母であり、人間は子女になっていたはずです。人間は、真の愛の縦的な父母である神様と真の愛の横的な父母であるアダムとエバから、真の愛と生命と血統を受け継いだ真の生命体として、愛の過程を通じて生命の種を子孫に連結するようになっていたはずです。
そして、堕落とは、人間始祖が神様の縦的な真の愛のもとで、横的に真の愛を完結することができず、天使長に侵犯され、偽りの横的な愛を生み出したことです。この堕落の結果として、神様は愛する子女を失ってしまったのであり、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した命として生まれざるを得なくなったのであり、悪魔は偽りの横的な愛を条件に、個人から世界に至るまで人間を不当に管掌してきています。
神様は、このすべてのものを原状に復帰する救援摂理をしていらっしゃいます。それで、原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主である真の父母に人類を接ぎ木して復帰するのです。
本来神様は真の愛の完全投入で創造をされたように、再創造過程である復帰摂理でも、ために生きて完全投入してこられることを知ったので、私も天命に従って生涯を捧げてこの原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、徹底的に他のために生きながら投入し、完全投入してみたところ、今日の基盤が成し遂げられました。
現代科学技術の発達は地球星に大きな変化をもたらし、今後さらに大きな変化を予告しており、これに対して人類は英知を集めて対処すべき緊迫した状況に置かれています。一言で言えば、現代文明は重大な危機を迎えるかどうかの分かれ道に置かれているのです。この問題に対して人類は、まず超国家と超人種、そして超宗派的に、すなわち汎世界的なアプローチで共同の努力をしなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、直面している問題がすべて汎地球星の問題だからです。
その次に、現代社会の病弊、特に倫理、道徳と人間性の退廃の問題、人種戦争や宗教戦争の危険性などは、すべて人間の本質の中に内在した病弊なので、その主体である人間の意識革命、人間改造の次元からアプローチして解決しなければなりません。決して、体制や制度上の問題だけではないのです。
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Saturday Dec 11, 2021
平和経 第56話
Saturday Dec 11, 2021
Saturday Dec 11, 2021
統一教会は何が違うのか
このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの何かを創案しなければなりません。ですから、今後訪れるその世界においても、問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の心と体に平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的基準を、どのようにして私の心情の中に確立するか、これを私たちがどのように活用するかということが問題だというのです。
皆様が毎日ぶつかる問題は、心と体の闘いです。私個人でこの闘いが終わっていないので、家庭でもやはり同じことが起きるのです。私一個人を見れば、心と体が二つに分かれていて、家庭を見れば、妻や夫も同じなので、四人がいるのと同じです。十人なら十人がそのようになるとき、分裂するようになっています。これを一つに結束させることができ、天倫と人倫を結束させることができるものが愛です。これを、原理を中心として実証的に体得できるかできないかということを長年にわたって分析し、実践しながら今まで闘ってきたのです。
今後、世界に残る主義とは、どのような主義でしょうか。自分の民族のために働く主義ですか。違います。きょうこの場にも宗教協議会の役員が集まっていますが、自分の宗派のための宗教協議会をつくろうと言えば、宗教協議会は滅びます。自分の宗教団体を尊重するよりは、国と世界に連結され、数多くの宗教を包容できる、より大きな愛に出会わなければならないのです。
神様がいらっしゃるとすれば、神様は直ちに大韓民国を救うことと世界を救うこと二つの内のどちらを先にされるでしょうか。大韓民国と世界について考えてみるとき、大韓民国と世界を共に必要とする立場なら、大韓民国を救うことも必要だと思いますが、大韓民国を捨てて世界を救おうというのが神意だというのです。このような観点で、人倫、道徳を中心とする善や主義も同じです。自分を中心として引き寄せてはいけません。自分を捨てなければなりません。民族のために生きる立場に立つときは、忠臣になるのです。世界のために生きる、精神的な面と生活的な面の両面でために生きることができる人は、聖人になるのです。
そのような意味で、大韓民国が迫りくる太平洋時代に新しい旗手になろうとしていますが、大韓民国を第一とする政策を行えば滅びるというのです。アジアを中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのような政策を土台として、世界を中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのように一つの国家なら国家の政治や文化、宗教がみな、そのような精神で進んでいかなければならないのです。
統一教会が発展する理由も、個人が幸福になるためには、まず世界が幸福でなければならないという精神をもっているからです。これが既成の宗教と違うのです。個人が救われるためには、まず世界が救われるようにしなければなりません。宗教的な信念を中心として体得したものがあれば、それを自分のものとして体系化するよりも、どのようにすれば世界的な内容を中心として神意の心情的分野まで関係を結んで実践できるか、ということが問題です。
今まで皆様は、統一教会に対して多くのうわさを聞いてこられたことと思います。しかし、そのうわさが問題ではありません。今日この大韓民国の三千万民族が、あるいは数多くの宗派が、統一教会の文先生一人を打って栄えることができるなら、打ちなさいというのです。私が願うのは、大韓民国のための救援ではありません。世界のための救援です。神様のみ旨が世界を救うことであれば、世界を救うための大韓民国になり、大韓民国を救うための統一教会にならなければならないのです。そうであってこそ、統一教会も良くなり、大韓民国も良くなるのです。
宗教は国家と世界を救うことができなければならない
悪とは何でしょうか。自分を中心として引き込むことです。善とは何でしょうか。自分を捨てて無限に与えることです。そのような人であってこそ、聖賢の隊列に立つことができます。歴史を見れば、国家を中心とする偉人はたくさんいました。韓国を中心として見ても、李舜臣将軍のような方も偉人の隊列に入る堂々たる権威を備えています。ところが、あくまでも大韓民国という特定の国家を中心として見るときの偉人であって、聖人にはなることができないのです。聖人は、神様を基盤にして教えた道理を中心としなければ、聖人になることができません。
皆様も御存じのとおり、宗教的な指導者たちが聖人の道理をもてばもつほど、その人は超民族的であり、超国家的であり、超世界的です。それが聖人の教えです。一日の生活もそのような観点で、一生もそのような観点で実現させていくのです。そうすれば滅びないという観点で統一教会を発足させました。
統一教会の歴史を見れば、これまで三つの政権の迫害を受けてきました。自由党、民主党、そして革命政府からも圧迫を受けてきました。また、皆様も御存じのように、既成の教団から弾圧を受けてきました。ここに来られた宗教団体の指導者たちも、今まで統一教会を異端視してきました。それでは、どうして異端の輩として社会に物議を醸し出しているのかというのです。「統一教会を指導する文という人は独裁をしている」、あるいは「文先生は独裁主義者だ」といううわさが立っています。そして「統一教会の発展のために何かをしている」と言っています。勝共連合を結成して対国家的、対社会的な活動をしていることに対しても問題になっています。一般世論が誹謗中傷する内容を見れば、「統一教会でしていることは、自分の教派の宣伝であり、統一教会が国家的なある野心をもってやっているのは間違いない」と言うのです。そのような観点で統一教会を見ているので問題になっているのです。
最終的には、大韓民国と世界を救うことができる宗教にならなければ滅びてしまうでしょう。人々に「その宗教団体は信じられない」という認識が入れば滅びるというのです。宗教の和合運動を通じて新しい理想的な家庭から氏族、民族、国家、世界をどのように形成するかということが、今後において必要な問題であることを理解してくださるようお願いします。
今まで申し上げたこのような意味で、統一教会を創設したのです。新興宗教で未熟な点が多く、また社会から指弾を受けていることを私はよく知っています。しかし、文という人は、皆様が理解しているような人ではありません。今は、皆様が批判できる内容は、既にすべて批判し尽くしたと思います。今まで、問題の一団体として出発し、時が過ぎ去ることによって今日に至ったのです。
最後に宗教協議会の皆様に一つ申し上げたいことは、統一教会は、宗教協議会の世話になる教団ではないということです。大韓民国の世話になる統一教会でもありません。世界の世話になる統一教会でもありません。世界と大韓民国が世話になるようにし、宗教協議会が私たちの世話になるようにする宗教団体として残ろうというのが、私の所信であると同時に、私たちの志を中心として活動する全員の立場です。
このような点で、自分の主張を中心として相手に誤解を受けることも多かったと思います。今、この時間以降、そのようなことがあれば、皆様が兄弟の立場で接してくださり、この団体が良い意味で国と世界に貢献できるよう協助してくださることを願ってやみません。このように時間を割いてくださったことに対して感謝申し上げつつ、これで挨拶を終わらせていただきます。
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Saturday Dec 11, 2021
平和経 第55話
Saturday Dec 11, 2021
Saturday Dec 11, 2021
本然の神様と人間の関係回復のために創立
歴史は聖賢や義人たちを通じて導かれてきたので、人類歴史と世界を代表して主張してきた聖賢たちの教えが、今日人類歴史とどのように適合するかということが問題です。もし神様がいるとすれば、その神様は出発と同時に一つの方向を備え、過程を経て、一つの世界を成し遂げてくるはずです。その背後に天倫の摂理があるとすれば、その摂理に従っていくべき人類歴史路程も、その方向とどのように一致させるかという問題を考えざるを得ないのです。
ですから、神様と人間の本然の関係をどのように復帰すべきか、また、どのようにして神様の愛を中心とする人類歴史にすべきか。個人や家庭、あるいは特定の民族、ある特定の文化的背景など、人類歴史に関係する全般的な内容をどのようにして神意による世界観と一致させるかということが問題になったので、今日の統一教会を創設するようになったのです。これが、統一教会を創設した根本の動機です。それでは、そこに私たちが関連するだけでなく、神様を父として自覚できるそのような境地が可能なのでしょうか。また、そのような愛を受けることができる位置で、思想を中心として世界を一つに統一させる内在力をもつことができるのかということが問題とならざるを得ません。
家庭には必ず、父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台になるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を実現するためだったに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが、家庭において情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。
このような点で見るとき、イエス様は再臨という命題を残して逝きました。今まで二千年、キリスト教の歴史は再臨理想に従って、イエス様が再び来られる一時を求めてきました。その一時の中心は何でしょうか。それはキリスト教で言う「小羊の婚宴」であると見ることができます。それでは、「小羊の婚宴」とは何でしょうか。漠然としています。それは、神様と人間の一致した愛が出発することです。人間で見れば、男性と女性が一つになることです。この二つが一つに結束し、理想的な世界に向かって神様の愛をたどっていくことができる基礎を準備しなければ、神様の愛を中心とする世界的な目的を果たすことができないのです。
ですから、来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければならないのですが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにしても、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけません。したがって、万民が共有できる神様の愛を中心とし、人類全体が願う最大の愛を中心とする一つの真の家庭が出現しなければならないのです。そのような家庭が出てこなければ、氏族を編成できないのであり、そのような氏族が出てこなければ民族を編成できないのであり、そのような民族が出てこなければ国家や世界を形成できないのです。ですから、神様が人類に提示した救援摂理において、人間が相対できる最高の基準と神様として願う最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。ですから、統一教会には「祝福」や「合同結婚式」といった言葉があるのです。皆様も、そのような言葉を何度も聞いていらっしゃると思います。
それでは、その家庭は、どのような原則のもとに結束しなければなりませんか。神様を中心とする本然の真の男性と女性が一つにならなければなりません。そのような具体的な内容を、統一教会では教えています。その家庭は、自分個人を中心とするのではなく、世界を代表できる圏内で広がっていかなければなりません。
そのような内容を生活圏内で自覚して実践できる家庭を、この地球上に形成しておかなければなりません。そのようにしなければ、新しい民族、国家、世界を形成できないので、神様の愛と人間の愛が世界を中心として新たに出発できる基点を模索するために、今日様々なうわさのある教会として知られる統一教会が出発したのです。
世界が必要とする宗教
これまで、悪いうわさも多くありました。ところが、私自身が皆様の前に一つはっきりと申し上げたいことは、統一教会は滅びないという事実です。人意的なものは滅びます。しかし、天意による天倫の内容と神様の愛を保障する宗教であれば滅びないというのです。真というのは、理想的な内容が備わっていなければなりません。すなわち真の属性をもった内容と関係を結ばなければ真の価値が現れないというのです。
今までの宗教は、あくまでも個人救援を目的とし、個人を悪から救う内容を教えてきました。しかし今、世界が必要とする宗教は、個人を中心とする宗教ではなく、家庭を構築する一つの基盤を準備できる宗教です。天意によって保障され、人意によって公認され、天情と人情が一つになった位置で、いかなる試練にも耐える家庭救援の出発が歴史上に新たに現れれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、ある一カ所、例えば韓国という特定の民族を中心とするのではなく、超国家的、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として行う運動です。そのような運動をする宗教があるとすれば、それは今後において絶対必要な宗教ではないかというのです。
皆様も御存じのように、今までアメリカが、民主主義を中心として歴史時代の主導的な役割を果たしてきました。アメリカが天意によって立てられて民主主義を主導できる国として復興したとすれば、アメリカだけを第一としてはいけません。世界の中にアメリカがあるのです。神様は、ある特定の民族が世界を主導する民主主義の形態を許諾することはできません。
アメリカが、民主世界において宗教的な責任を負い、政治、経済、文化において弱小民族を救援する立場に立って今日まで来ていれば、世界的な限界線まで行くことができたはずです。アメリカの国民を犠牲にしてでも世界を救う立場に立っていれば、アメリカは必ず世界を主導できていたはずです。ところが、皆様も御存じのとおり、アメリカは「ニクソン•ドクトリン」を掲げて、アジアの問題はアジアに任せるという立場で後退する政策を施行しました。これは民主主義の限界を超えていこうという立場ではなく、後退する立場なので、アメリカは今後、世界が警戒する運命を避けられないというのです。
共産主義もやはり同じです。共産主義は、世界を制覇するという途方もない思想体系をもってきました。この思想は、スラブ民族を中心として、ソ連を中心として世界を制覇するというものです。このような立場で見れば、この共産主義は悪の立場に立ちましたが、世界を一つにするというその思想体系は民主主義を追い越す主義になるのです。したがって、世界の人々を中心とする共産主義以上の主義が出てこなければならないというのです。それでは、天の道理と人間が願う最高の道理とは何でしょうか。それはすなわち、超国家的、超民族的な新しい世界観をもった一つの教団が出てくれば、その教えを中心として、私たち個人の生活から絶対的な次元に至るまで天倫と一致できる生活の鉄則が必要だというのです。
ですから、大韓民国なら大韓民国を中心とする世界的使命があるはずです。世界のために生きることができる大韓民国にならなければなりません。それでは、今、世界が私たちの生活圏内に入ってくる現時点において、大韓民国やアメリカや世界各国が必要とするものは何でしょうか。ある限界点以下にある国家や、特定の主義を中心とする主張では、この途方もない時代的な流れを消化することはできません。必ず天倫と通じる主義が必要です。そこには数多くの国家と数多くの宗教、数多くの民族、数多くの氏族、数多くの家庭、数多くの個人が、すべてその圏内に吸収されるべきです。そのようなことができる内容を備えた新しい運動が必要な時が近づいていることを私は感じました。
それでは、これが可能なのか、これで結束できるのかというのです。このような問題は、今後、皆様が統一教会について研究してみれば、ある程度分かるようになるでしょう。この世界を救うためには、どこに問題があるのでしょうか。この社会が問題ではありません。「私」自身が問題です。私の心と体が闘うので、世界的にも、それと同じ形態で唯物論と唯心論が出てこざるを得ないのです。これが世界的に止揚統一される時期になったのです。このような時を終わりの日というのです。
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Saturday Dec 11, 2021
平和経 第54話
Saturday Dec 11, 2021
Saturday Dec 11, 2021
1.統一教会の創立意義と背景
日付:一九七〇年七月十五日
場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部
行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問
超宗派的、かつ超教派的な韓国宗教協議会を組織したことに対し、心から称賛申し上げる次第です。この宗教協議会を中心として、すべての宗教が新たに心を合わせ、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださるようお願いします。併せて、宗教協議会を創設された皆様が互いに協調するという意味で、世界基督教統一神霊協会を宗教協議会に加えてくださったことに対しても感謝申し上げ、御多忙中にもかかわらず、周囲の難しい環境を退けて、当協会を訪問してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。ぜひ宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会において新しい中心の役割を果たせる求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って、多くの貢献をしてくださることを心からお願いするものです。
神様のみ旨によって創立された統一教会
今、私が、御来賓の皆様に一つ申し上げたいことは、なぜ統一教会を創設することになったのかということです。この問題を中心として、簡潔に申し上げたいと思います。私がこの教会を創設するようになった動機は、人意、すなわち人による意志よりも、神意、すなわち神様のみ旨によって出発したということです。
今日のこの社会や歴史は、人意だけで形成されていないことは、皆様がよく御存じのことと思います。ここには必ず、神意を中心とした、ある大きな意志を中心として、一つの目的を指向しているのです。そのような意味で、人の意志だけで教会が創立されては、歴史の流れや今後の新しい世界に貢献できないと考え、神意に立脚して新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることができる一つの組織体が宗教であり、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければなりません。
それでは、神意とは何でしょうか。神様のみ旨というのは、ある特定の社会を中心としたものではなく、超民族的であり、超宗派的であり、超国家的な性格を帯びているものです。そのような目的を中心としなければ、神様が願うみ旨を完結できないことを、私たちは歴史を見ることによって知ることができます。そのような意味で、人意もやはり、ある個人の意志やある団体の意志を中心としたものではなく、神様のみ旨と一致できる世界的な内容を備えたものにならなければなりません。これを内外で統合することに宗教の使命があると思います。
それでは、神意と人意を一致させるためには何がなければなりませんか。神様の愛と人間の愛が合わさることができる内容がなければなりません。神様が人間と一つになれる愛は、ある特定の個人や特定の民族、特定の国家を中心としたものではなく、超国家的な立場で、人類と世界を愛する心情的な紐帯を備えなければならないのです。ですから、神意と人意の一致点を明確にしなければならない宗教は、人意を中心とするのではなく、神意を基盤として、神様を中心とした愛に人間の意志をどのように結束させるかということが問題とならざるを得ません。
そのような意味で、神様のみ旨と人間の意志は宗教という形態を備えて結束させなければなりませんが、その中心は必ず愛でなければならないのです。その愛は、ある特定の民族や特定の国家だけでなく、世界を越え、すべてのものを超越した愛でなければなりません。そうでなければ、真の宗教の基盤を世界的に形成できないというのです。
それで、今までの歴史は聖賢たちを中心として動いてきました。彼らは、人意的な立場だけでなく、天意を介在させた立場で主張した人々です。彼らが目的とするところは、ある特定の民族だけでなく、世界的な限界線を越えていました。それを教えてくれるのが、聖賢たちの道理です。その道理を中心として、天意と人意が一致できる内容を連結させてきたのが宗教です。それで、聖賢は、天倫を基盤として人倫を結束させる基準を立ててきたのです。ところが、これは、あくまでも世界的な限界線を越えることのできる道理であってこそ、聖賢の道理になるのです。そのような聖賢の道理を中心として、今日の人間は道義的な分野で人倫、道徳を立ててきたのです。
神様が願う愛の世界である家庭
このような点から見るとき、神様と人間が一つになろうとすれば、その中心位置はどのような位置になるべきか、ということが問題になります。それでは、神様が願う愛と人間が願う理想的な愛が結合できる決定的なその中心はどこかという問題を考えてみるとき、神様がいるとすれば、神様と最も近い位置とならざるを得ません。その神様の愛に接触する基盤は、個人を中心とした愛の基盤ではないので、あくまでも世界と連結される愛の基盤にならなければ、神様の愛と人間の愛が結合できないのです。
そのような意味で、神様の愛と人間の愛が結束できる最も近い位置とはどこでしょうか。神様を中心として人意が従っていく位置、言い換えれば、神様の愛を中心として人間の愛が順応する位置です。そのような神様の愛を中心とした、最も近い位置を追求してみるとき、その位置は、神様の真の息子になる位置にならざるを得ないのです。
そのような神様の真の息子がいるとすれば、その息子を中心として神様の真の娘が必要なはずです。その息子、娘を中心として神様が愛することができる真の家庭、神様が愛することができる真の氏族、神様が愛することができる真の民族、神様が愛することができる真の国家、神様が愛することができる真の世界を追求していかなければならないと考えたので、神様と人間の間に世界的な基準の愛の関係をどのように結束させるかという問題を中心として、今日の統一教会が発足するようになったのです。神様の愛は、必ず歴史過程を経てこそ成し遂げられるのですが、その過程は必ず聖賢たちが主導してきたことを私たちはよく知っています。ですから、聖賢たちは天倫を中心とする神様の教えをもって、今まで人類を導いてきているのです。
それでは、今まで歴史上に生まれては逝った聖賢たちの中で、より偉大な聖賢とは誰でしょうか。もちろん、その経典の教えも重要ですが、それよりもっと重要なことは、神様と人間が最も近くなる道を教えてくれる宗教が必要だというのです。そのような点から見るとき、それを教える宗教はどのような宗教でしょうか。歴史過程において今まで残されてきた宗教を中心として見るとき、他の宗教よりもキリスト教が高次元的な立場で紹介されたのではないかと判断したので、キリスト教を中心とする統一教会を発足させることになったのです。
イエス様を中心として見ても、彼は神様を求めるとき、漠然とした神様よりも、具体的であると同時に生活の中で近くに接することができる神様を求めてきたのです。それで、イエス様は神様に対して「私の父」と言いました。心情的な関係において、父以上の位置はありません。ですから、イエス様は、神様と人間の関係を父子の位置にまで導いて結束させる心情的な基盤を築いたのです。これはすなわち、神様が願う愛で結束した世界を成し遂げるためには、必ず心情的基盤がなければならないことを意味しているのです。その位置は、父子関係以上の位置でなければならないのです。
ですから、イエス様は、「神様は私の父である。私は必ず来なければならないひとり子である。万宇宙の中で神様の愛を最初に受けることができる人は私だけである」という主張をしたのです。このように見るとき、キリスト教がどの宗教よりも神様の心情を中心として具体的な内容を備え、神様と最も近い位置で説破しているというのです。イエス様は「私は花婿であり、あなた方は花嫁である」という立場で語られました。これは、神様との関係を結束させるときに、どの宗教よりも最も近くなる基点を説破したものです。また、信じて従った信徒たちに、「互いに兄弟である」と言いました。この言葉は、万民は一つの兄弟だという新しい宗教理念なのです。
神様が願う愛の世界は、必ずこのような基準を通らなければならないのです。神様が愛することができる個人、その個人で構成された家庭、その家庭で構成された氏族、その氏族で構成された民族、その民族で構成された国家、そしてその国家を通じて構成されるべき最後の目的地である世界の範囲まで連結させるためには、そのような心情的な基盤を土台としなければ結束させることができないのです。これは、歴史過程に必ず現れなければなりません。
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Wednesday Dec 08, 2021
平和経 第53話
Wednesday Dec 08, 2021
Wednesday Dec 08, 2021
16.ために生きる生活で平和世界を創建しよう
日付:二〇〇四年九月十六日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:アメリカ財界指導者投資使節団招請晩餐会
著名なアメリカの財界指導者の皆様、大韓民国の政界、財界など、各界の指導者、そして紳士淑女の皆様。きょう、神様を中心とする絶対価値観のもとで生きてきた私が設けた晩餐に、御出席してくださったことを心から歓迎します。
生涯にわたり天命に従って平和世界の実現のために尽力してきた私は、最近、光陽湾圏経済自由区域に指定された全羅南道麗水市華陽面一帯に、人類和合と統一の理想を中心とする大規模観光リゾート開発を提唱しました。今から、その基本精神の一端をお話ししようと思います。
平和理想は、歴史を通じて万人の願いでしたが、人類は、ただの一度も恒久平和を実現することができませんでした。それは、今まで人類が、共有できる絶対価値観を立てることができず、無知と混沌、分裂と闘争の中で生きてきたからです。変化し、葛藤する人間自体の中から、絶対価値観が出てくることはできません。絶対者、造物主、神様にその根源を置かざるを得ないのです。
愛の本体であられる神様は、御自身の絶対愛の対象として人間を創造されました。愛の主人や主体の位置は、独りで成し遂げられるものではなく、相対を通して成立するのです。私たちが相対や隣人のために生きなければならない根本原理がここにあります。この愛の絶対価値観は、いかなる政治理念や経済原理よりも上位にあり、時代を超越する天理です。
宇宙を造られた神様、法度を立てられた神様とはどのような方でしょうか。宇宙を通じて、誰よりもために生きる代表的な立場に立った方です。ですから、その方に出会おうと思えば、ために生きなければならないのです。その方は、知識の大王ですが、知識をもってきなさいとはおっしゃいません。能力や権力、あるいはお金や物質の主人であり大王ですが、それをもってきなさいとはおっしゃいません。「ために生きたのちに来れば、誰でも私のそばに来ることができる」とおっしゃいます。神様は、自己本位の独裁者ではありません。神様は、人間のために投入されました。ですから、人間の本心は、千年、万年、神様に従っていこうとします。ために生きる天理のもとにある宇宙の存在世界の前で、他のために存在することが自らの存在位置を定めることになるのです。
ために生きることによってのみ、東洋と西洋に通じることができ、古今に通じることができるのです。自己本位で利己主義的にのみ活動すれば、悪をもたらしますが、全体のために活動するときは、発展をもたらします。
善と全体のために歩むときは、すべてのものが調和するようになります。個人も門を開き、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も、天の国も門を開いて歓迎するのです。真の人生が行く道に一つの公理として立てるベきものは、「ために生きよ」ということです。これは、どこにでも通じる原則であり、万古不変です。孔子やイエス様、釈迦牟尼やムハンマドのような聖人の前に神様が現れて、「あなた方はどう思うか」とお尋ねになれば、「そのとおりです!」と答えるはずです。それが、真の姿で人間が生きることのできる宇宙の法則なのです。
また、歴史的な伝統として残すことができる実績とは何でしょうか。犠牲精神によってために生きた実績だけが、今日の世界に残されてきました。そのような人々が、聖人として、偉人として、忠臣として、あるいは孝子として残されました。このような犠牲精神のもとでのみ功績が残るのです。犠牲になることは、功績を残すことになるのです。
レバレンド•ムーンの思想が、今後二十一世紀において主体思想として登場できるのは、今までの「自分のために生きよ!」という中において、正反対の「他のために生きよう!」という原則を発見したからです。ですから、人類の希望は、私たちの統一運動以外にはありません。「自分のために生きよう」という世界ではなく、「利他的に生きよう」というこの群れのあとを、これからの世界は、数千、数万年従っていくでしょう。「自分のために生きよ」と言うところには、世界は従っていきません。従いたくないと思うのです。
それでは、どのようにして調和統一をするのでしょうか。暴力やお金、あるいは権力や知識でするのではありません。愛を中心とするために生きるところにおいて、万事が解決されるのです。真の愛を中心としてために生きていくところで、悪魔の世界が天国に再創造されていくという結論です。
「私」が人を屈服させる方法は、闘って勝とうとするのではなく、その人のために「私」が父母、師、主人の立場で先に考えてあげることです。そのような道は「私」が勝つ道です。三年だけでも真心からために生きてあげてみてください。間違いなく「私」の言うことをよく聞くようになるでしょう。そのような宇宙の原則的な作用が、人間の本心を動かしていることを知らなければなりません。
よりために生きなければなりません。よりために生きる人が責任者になるのです。十人の中で誰が中心になるのかというと、他の人たちのために最も多くの愛を施し、ために生きる人です。その人には、他の人たちがみな訪ねていくのです。一般的に、ために生きることは、損をするよくないことだと思いがちです。しかし、主人になり、中心者になり、相続者になることを知らなければなりません。天理がそうなのです。
アメリカの指導者の皆様、そして国内の高名な指導者の皆様。私はこれまで、無理解と無数の迫害にもかかわらず、当代において、世界百九十一ヵ国に、超人種、超宗教、超国家的な基盤を築くことができたのも、また神様と霊界の公認を受け、地上で人類の真の父母と平和の王として公認を受けることができたのも、先にために生きて与える真の愛の天道を実践してきたからです。相対のために与える真の愛によってのみ、和合統一が成し遂げられ、平和の理想が結実します。私は、天道に従い、真の愛、真の父母、真の家庭の実践原理によって人類を指導してきました。
祝福結婚行事を通じた理想家庭実践運動や、超国家、超人種、超宗教的な平和運動も、すべて先に模範を示しながら、ために生きて投入する真の愛の運動です。今まで犠牲的な投資を通して築いた、世界各国の各レベルの教育機関を通じた愛天愛人愛国の建学理念の実践も、ニューズ•ワールド•コミュニケーションズ社を基盤とする、「ワシントン•タイムズ」、「UPI通信社」、「世界日報」をはじめとする世界的な言論機関の育成も、責任言論と公正言論を通して、ために生きる真の愛で世の中を正しく指導しようとするものです。超宗教平和運動、思想指導運動、文化芸術活動、技術平準化運動、超宗教超国家的な学術科学振興運動、奉仕活動、青少年指導と女性運動、スポーツ育成など、私が創設したすべての運動の基底には、真の愛の実践原理があります。ビジネス分野にも、人類共生という大きな目標のもとに、単なる利潤追求を越えた、より高い絶対価値のための明確な動機と方向性をもっています。
人は、天道が願う真理の道、真の愛の道を行かなければなりません。必ず行かなければならない真の愛の道は、人間が繰り広げるいかなる活動や事業よりも優先される根本となります。いくら財産や大きな力をもっていたとしても、ために生きた基盤がなければ、それは一時的であり、消滅せざるを得ません。反面、施して利他的に生きる生活は、自然と主体と中心者をつくりあげるのです。
利己的な打算を越えて、共に生きるべきマクロ的な平和思想と南北和解、そして韓半島の平和に焦点が合うならば、実に貴重なものを多く得るだろうと信じます。神様の再創造摂理の原則に従い、力や自己本位の生活が主導し勢力を得ていた先天時代が過ぎ去り、今や、絶対価値観が理想的に結実する後天時代が到来しました。
神様の永遠の平和王国を中心とした後天時代は、すべての障壁が撤廃され、ために生きる真の愛で生きる人が主人となり、中心となる時代です。皮膚の色、言語、慣習、領土間の偏狭による利己的な葛藤は、すべて消えていくでしょう。
今私たちは、絶対価値観を中心として、お互いにために生きながら、共に生きていく理想世界を創建する時です。皆様全員が天道に従い、利他的な生活によって事業を行うことにより、神様の永遠の祝福を受けることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。
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Tuesday Dec 07, 2021
平和経 第52話
Tuesday Dec 07, 2021
Tuesday Dec 07, 2021
真の愛の三代圏が天国の基本モデル
次に、子女の心情圏とはいかなるものであり、またいかにして得られるのでしょうか。家庭では父母が中心となります。家庭における父母の位置は、神様の位置です。父母なくして生まれた子女というのはあり得ません。したがって、父母と子女の関係は、人間の意志で規定される人倫の次元を越え、天倫が結んでくれる関係であると言わざるを得ません。
ですから、父子の関係は、横的関係ではなく縦的関係なのです。人間の努力で変えることもできる運命的関係ではなく、絶対的で永遠の宿命的関係なのです。子女は、父母を縦的な神様の位置に迎えて暮らしながら、真の愛の心情を学び、体恤するようになります。
父母から相続された愛と生命と血統が、神様が根源になっていることを自然に学んで身につけるのです。このように父母の生き様を見て学んだ子女たちは、成長して、堕落性とは無関係な真の夫婦となり、その後には、彼らも真の父母の位置を獲得するようになります。このように、真の愛の心情を中心として三代圏を引き継ぎながら反復する家庭単位の球形運動が、正に天国建設の基本モデルになるのです。
最後に、兄弟姉妹の心情圏は、真の父母に侍って一家族を形成して暮らす兄弟と姉妹が、真の愛に基づいて神様と同じ心情圏を形成することを意味します。
先ほど、兄弟姉妹の関係は、前後の関係を代表すると話しました。真の愛を中心として真の夫婦となり、真の人生を生きていく真の父母に家庭で侍って暮らす子女たちは、兄弟姉妹間においても、自動的に天倫の秩序を守って生きる道理を悟るようになります。
弟は兄に父親のように侍り、兄は弟に対して愛の心情で世話をしてあげるようになる美しい姿です。兄が前を代表すれば、弟は後ろを代うするのです。兄が父親の立場を代表すれば、弟は母親の立場を代表するのです。このような、兄弟姉妹の心情圏の完成は、彼らが社会生活をする中においても、愛と奉仕で「ために生きる生活」を実践躬行する根幹になるのです。
真の家庭を立てることの重要性
尊敬する貴賓の皆様。このように、四大心情圏を完成した真の平和家庭王国の数が増え、真の平和氏族王国となり、真の平和民族王国、真の平和国家王国、さらには真の平和世界王国を完成するようになるとき、その世界が正に神様が理想とされた創造本然の世界であり、地上天国であり、きょうこの場でレバレンド•ムーンが宣布する永遠の地上平和王国になるのです。真の家庭を立てることが、このように深刻で重要な天命であるという事実を、今まで人類は知らずに生きてきたのです。
しかし、今は時が変わりました。世界の至る所で、レバレンド・ムーンの教えを受け、平和王国の建設のために奮然として立ち上がる各界各層の指導者の数が、幾何級数的に増えています。たとえ命を失うようなことがあっても、必ず純潔を守り、真の家庭を築いてみせるという若い知性ある人たちの喚声が、天地を揺さぶり動かしています。
既に世界的に数億組の祝福家庭が送り出されており、彼らは、倫理と道徳が急速に崩れていく地球星を守る役割を果たしています。それだけではありません。霊界では、私たちよりも一歩先に進んで、平和王国時代を力強く開いていきつつあります。
五大聖人をはじめとして千二百億組以上の祝福家庭が、昼夜を問わず地上界を協助しながら、迫りくるその一日のために準備しています。創造原理によれば、地上界で先に神様の理想世界を完成するようになっているのです。
真の愛の革命完遂と神様の祖国
今日の人類は、堕落の後裔ではありますが、限りない神様の愛と霊界の協助によって、今ではどのような天国が創建されなければならないのかを知るようになりました。したがって、今や霊界で成就しているこの奇跡のような出来事を鑑(かがみ)として、真の愛の革命を完遂する時代圏に入っているという事実を肝に銘じなければなりません。
皆様も、今からは、心の扉を大きく開き、天がこの時代に私を通してくださる天の秘密のみ言を受け入れるべき時になりました。この場に立ったレバレンド・ムーンは、皆様と同じ肉身をもって生きる一人の人間でもありますが、天の摂理から見れば、六十億の全人類を救援し、天のみ前に原状回復させる天命を受けて地上界に降りてきた神様の全権大使であることを知らなければなうません。
霊界の五大聖人たちをはじめとして、大勢の指導者たちはもちろん、マルクスやレーニンのような共産主義者たちの魁首や、地上界であらゆる蛮行と殺傷を行ったヒトラーやスターリンのような独裁者たちまでも、私の教えに救われ、心を入れ替えて新しい人に生まれ変わりました。
地上であらゆる栄華と富貴を享受していった歴代の帝王と大統領たちはもちろん、世界的な名声を博した言論人たちさえも、この天宙史的な真の愛の革命の隊列の先鋒に立ちました。彼らはみな、レバレンド•ムーンの「真の家庭理想」の教えに新しい覚悟を誓う決意文を地上界にまで送ってきています。
レバレンド•ムーンこそ人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であると、天上天下に宣布しています。彼らの決意文は、既に地球星の津々浦々にまで響き渡っています。
尊敬する貴賓の皆様。今ではもうすべてが時間の問題です。皆様の周囲を一度見渡してください。前後左右、どこに未来を約束できる希望を見いだすことができるでしょうか。誰彼を問わず、私たちはみな、遅かれ早かれ、すべてのものを子孫に譲り渡して旅立たなければならない期限付きの人生を生きているのではないですか。真の家庭理想を皆様自身の家庭において完成し、子女たちの永遠の平和と幸福を保障してあげることよりも、貴く価値あることがどこにあるでしょうか。神様が数千年間待ち続けてこられた平和王国をこの地上に建設することに、誰が躊躇するというのでしょうか。
私は、もう八十五歳の老齢になりました。しかし、この崇高な天命を完遂し、地球星が神様の真の家庭で満ちあふれるその日まで、中東地域から銃声が途絶え、平和と歓喜の祝砲が響き渡るその日まで、そして、私の祖国韓半島から聞こえてくる統一万歳の声が、太平洋を越えてこのアメリカにまで響き渡るその日まで、レバレンド•ムーンは誰よりも先頭に立って走るでしょう。
世界六十億の人類を代表し、きょうこの式典に参席された高名な指導者の皆様も、レバレンド•ムーンと共に手をつなぎ、人類の念願であり、神様の創造理想である平和王国をこの地上に創建する主役になってくださることを願う次第です。ありがとうございました。
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