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Monday Dec 06, 2021
平和経 第46話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
神様は、愛する息子、娘を地上に送られ、絶対的な一つの国家を立てるみ業を進行させてきましたが、現時点において、一つの国家を復帰できる基盤が準備できていません。常に失敗してきたので、この地上に天の人を送り、摂理を推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史なのです。
神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝しなければなりません。そのような私と国が現れてこそ、世界はその国によって収拾されるのです。
ところが、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭と氏族と民族の犠牲まで、再び継続されるのです。そのような原則のもとで、今まで神様も、歴史路程において、その国を探し出すための摂理を推進してこられたのです。ですから、国を思い、国のために生きることのできる個人がいれば、その個人の伝統を受け継いだ家庭を通して国のために犠牲になることができるようにされ、また氏族と民族がその家庭の伝統を受け継いで、国のために犠牲になることができるようにされました。このように、その国を探し出すために、今まで神様が摂理を推進してこられたのです。
皆様。今日、私たちがこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国を愛するためなのです。主権のない国の国民は哀れです。それで、イエス様が心配しておっしゃったことが、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一-三三)とおっしゃったのです。
まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか。それとも、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様が探し求めておられる国を求めなさいとおっしゃったのです。神の国と神の義を探し立てようとされる神様の望みは、人間と被造万物を離れて成し遂げられるのではなく、人間を通して成し遂げられるのです。
その望みは、真の人間を通して神様と万物が和合することでした。それで神様は、堕落した人間に、神様の代わりとなる一人の実体として、天の血統を代表する方として、イエス様を送られたのです。すなわち、イエス様は、神様の歴史的な願いを成就してさしあげるためにこの地上に最初に来られた方だったのです。四千年たって初めて、そのような立場に立てられた息子であり、一つの国の中で、ユダヤ教を中心として、ヨセフの家庭に一つの種としてこの地上に立てられたその息子が、正にイエス様でした。この時に、既にサタンは、国家を立てて神側を攻撃していたので、天の側でも、完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。ですから、神様は、一つの国を編成するために、四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることによって、世界的な基盤となり、この地球星に神様とイエス様を中心とした世界が完全に成し遂げられなければなりませんでした。
しかし、イエス様が亡くなることによって、霊的にのみその世界が成し遂げられたのです。イエス様は、三年の公生涯路程において、ユダヤ教を中心として失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しようとされましたが、十字架にかかって亡くなったので、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルがすべて崩れていきました。
結局、イエス様を殺害することによって、キリスト教は、霊的にのみ国家の基盤をもつようになり、また、イスラエル民族は、国のない民になって流浪し、彷徨ずる身となって、サタン世界の嘲笑の的となったのです。ですから、今日、霊肉ともの救いをなしたキリスト教の国は、どこにも見いだすことができません。したがって、再び来られる主は、四千年間準備してイスラエルの国を立てた神様の摂理を、イスラエル民族が理解できずに不信して失ってしまったものを復帰しなければなりません。
皆様。イエス様は、この地上に国を探し出すために来られました。一つの国を探し出すために来られたのです。しかし、イエス様は、霊肉ともの国を探し出すことはできず、ただ霊的にのみ探し出されました。ですから、今日のキリスト教は、この地上に実体の国がないのです。
これは、神様がこの地上のいかなる国、いかなる民族を中心としても、「愛する私の国、愛する私の民族」と呼ぶことができないことを意味します。今まで、神の国の基盤がこの地に立てられなかったことを意味するのです。もし、その当時、イスラエルの国がイエス様を中心として一つにさえなっていれば、息子であるイエス様を中心としたその国は神の国となるので、神様は、その国を中心として世界を復帰されたでしょう。しかし、この地を中心として霊肉を共に連結させようとした基盤は、イエス様が亡くなることによって、すなわち実体を失ってしまうことによって、霊的にのみ復帰されたのです。したがって、今までキリスト教徒たちは、国のない、主権のない民のような立場なので、どこに行っても死に直面したのです。殉教の血を流すことによって発展しました。そのように種が蒔かれたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ、発展できなかったからです。しかし、今や血を流しながら迫害を受けた時期が終わったのですが、それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として、失った実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望みながら現れたのが正に再臨思想です。
イエス様も、楽園に行って待っているのです。天の玉座の前に行くことができなかったことを知らなければなりません。イエス様は、神様のみ前に国の主権を立てて、国を治め、地上から天国まで直通できる権限をもった国をつくらなければなりませんでした。しかし、イエス様は、そのような国をつくることができなかったので、神様のみ前に直接立つことができないのです。
したがって、楽園は天国に行く待合室です。また天国は、一人では行くことができない所です。天国は、本来堕落していなければ、アダムとエバを中心として祝福を受けた家庭単位で行かなければならない所です。息子、娘たちと一緒に入っていかなければならないのです。それを復帰するために、天は二千年間闘って、今まで世界と連結できる基盤をつくってきたのですが、国の基準がないこの地上において、国の基盤を誰が受け継いで来るのでしょうか。このことのために、神様はキリスト教を中心とした新しい宗教運動を通して多くの神霊的な人たちを探し求め、募集運動をしながら今まで準備してこられたのです。
尊敬する指導者の皆様。今、人類も三〇〇〇年に向かう新千年紀に入り、新しい天運を受けています。すべての宗教人たちは心を合わせ、私が主唱した、国連内に超宗教的代表者たちによって構成された上院のような議会を併設するという提案を貫徹しなければなりません。
国連が、人類のためにできる最も崇高な仕事があるとすれば、それは、神様の真の愛を基盤とした人類の霊性回復です。これよりも大きな仕事があるでしょうか。ですから、私はこれまで、宗教界だけでなく、政治、思想、経済、文化など、各分野をすべて網羅し、良識ある指導者たちを選んで、「ために生きる人生」に関する真の愛の教育を実施してきました。
このような基盤の上で、私は、既に数万人の平和大使たちを任命しました。彼らは今、世界各地に私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」の旗を掲げて、神様と人類が強く願ってきた平和世界実現のために総力を傾注しています。全知全能であられ絶対的な神様のみ旨は、これから短期間のうちに成就されるでしょう。ここに参席した指導者の皆様も、皆様の御家庭と国を真の愛で新たに創建し、真であり、永続的でありながら、国境のない平和世界を具現する主役になってくださることを願いながら、これで私のお話を終えようと思います。天の祝福が、皆様と皆様の御家庭の上に満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第51話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
15.神様の祖国と平和王国時代
日付:二〇〇四年三月二十三日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂上院講員会館
行事:第三イスラエル平和の王戴冠式および平和大使授賞式
尊敬する上下両院の議員、世界各地から来られた宗教指導者、そして内外の貴賓の皆様。公私共に御多忙でいらっしゃるにもかかわらず、きょうこのように満場の盛況を呈してくださったことに対して、深く感謝いたします。
皆様。今日、人類が直面しているすべての問題は、万有の父母であられる神様をはっきりと知り、正に私たちの家庭において、その神様に侍って暮らす真の家庭を完成するところから解決していくのです。観念的な次元の神様ではなく、実体の父母であられる神様を私たちの家庭にお迎えしなければならないというのです。そのために私たちは、まず神様と人間の関係を確立しなければなりません。神様は、真の愛、真の生命、真の血統の本体であられ、すべての人間の真の父母であられます。
本然の完成人間は自動的に天国に行く
本来、人間の堕落がなかったならば、人間は、神様の真の愛の中で完成し、神様を父母として侍って暮らす真の子女になっていました。完成した人間は、神様の愛の中で、真の夫婦の関係を結び、真の子女を生んで養育し、共に天国を形成して暮らしたのちに、家族全員が一緒に、自動的に天上の天国に入って暮らすようになっていたのです。
考えてみてください。もし皆様の家族の中で、父親は地獄に行き、母親だけが天国に行くとすれば、それがどうして天国でしょうか。父母は地獄に行き、子女たちだけが天国に入っていくとすれば、そこがどうして天国と呼ぶことができるでしょうか。天国は、すべての家族が一緒に入っていき、永遠の平和王国を完成して暮らす所です。したがって、地上においても、家庭天国を完成して暮らす所に神様が臨在されるのであり、神様が理想とされた創造理想の世界、すなわち地上天国が定着するようになるのです。
地上で家庭天国を完成する道
それでは、地上における家庭天国は、どのようにして完成するのでしょうか。第一に、家庭を形成するすべての要員は、個性完成しなければなりません。堕落によって選択の余地もなく相続するようになった堕落性を脱ぎ、自らの人格を完成しなければなりません。
すなわち、心と体の間の葛藤と闘争を完全に克服して勝利し、一心、一体、一念の境地となり、人格完成によって完全一和の世界が実を結ばなければならないのです。このような境地に到達した人に、ねたみ、嫉妬、欲心、憎悪など、あらゆる悪の要因となる堕落性は二度と根を下ろすことができません。
しかし、このような堕落性を脱いでしまうことは、決して簡単なことではありません。長くて数年、あるいは数十年間しみついた習慣である酒やたばこを断つことさえも、挫折を繰り返すのが堕落人間の姿です。数千、数万年間しつこく血統をたどって根ざしてきた堕落性を脱ぎ捨てることが、どうして簡単なことでしょうか。
人間の努力だけでは、絶対に不可能なことです。神様を絶対信仰の基準で縦的な軸として立てて侍り、生涯身もだえしても難しい闘いです。神様を自分の父母や子女以上に絶対的に愛するそのような境地において、真の父母である神様に侍っていかなければ、考えることもできないことです。神様のみ前に命までも差し出して従わんとする絶対服従の基準に立たなければ、絶対に勝つことができない闘いなのです。
歴史的に主要な宗教の教えの中には、断食、禁欲、犠牲、そして苦行を修道の基本としている理由が、正にここにあるのです。天が共にあり、霊界が協助できる換骨奪胎した新しい人の姿に再び生まれ変わらなければなりません。山川草木の前に裸で立っても、一点の恥ずかしさもなく、サタンの前に立てば、サタンがかえって逃げていかざるを得ない「正午定着」の人格を備えた、すなわち永遠に一点の影もない真の愛の人格を備えた人にならなければなりません。
天国は四大心情圏を完成した人たちが行くところ
第二に、このような人格完成を達成した個々人が集まって真の家庭を築き、その家庭の中で家族全員が共に四大心情圏を完成しなければなりません。
そのような家庭は、心と体が完全一体を完成した一人の姿と同じです。天国は、家庭単位で入っていく所だと言いました。しかし、家庭といっても、どの家庭もみな自動的に天国入城の資格を得るというわけではありません。真の家庭の基台がなければ、四大心情圏を完成する足場がなく、また四大心情圏を完成した真の人たちが、神様を中心として父子の血統をもつ家庭であってこそ、天国に入っていくことのできる真の家庭になるのです。
それでは、四大心情圏とは何を意味するのでしょうか。本来、神様の真の愛と真の生命、真の血統によって連結された真の家庭の中で、祖父母、父母、子女を中心として、三代の純潔な血統を立て、父母の心情、夫婦の心情、子女の心情、兄弟姉妹の心情を完成するとき、これを総称して四大心情園の完成というのです。
ここで、父子の愛は上下の関係を立てる縦的関係であり、夫婦の愛は左右が一つになって決定される横的関係であり、兄弟間で与え合う愛は前後の関係を代表するのです。
神様の創造理想は、このように、観念的で、望みとして残るだけの夢ではなく、真の血統を中心として、四大心情圏の完成した、家庭を単位として実体的に完成するのです。父母の心情圏とは、父母が子女を生み、真の愛で育て、教育する過程において、自然に得られる心情、すなわち父母として子女に対する真の愛の主人となることのできる心情を意味するのです。子女がいなければ、誰も父母として愛の主人の位置に立つことはできません。
次に、夫婦の心情圏とは、夫婦が生活を通してお互いを愛の主人の位置に立ててくれたことを感謝しながら、真の愛を与えたり受けたりする中で体恤する真の血統的心情関係を意味します。
夫は、自分の命を犠牲にしてでも妻のために生き、妻は、夫に対して神様に侍る心情で侍って暮らすときに、夫婦は共に真の愛を体恤するようになるのです。この真の愛の体恤の上で、初めて夫婦の完成も可能になるのです。
神様の祝福を受けて結ばれた夫婦が、初夜に愛を交わすその瞬間は、神様から真の愛の王宮、真の生命の王宮、真の血統の王宮を相続する場です。妻は、夫を通して理想的な、神様の息子を迎える位置、天の兄を迎える位置、天の夫を迎える位置、天の父母を迎える位置に立つようになるのです。
夫も、妻を通して同様な位置に立つようになります。神様の主要な属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。したがって、夫婦の心情圏を完成すれば、夫婦の関係も絶対、唯一、不変、永遠の関係となるので、そこには離婚という単語が存在できないのであり、相互間に尊敬と愛だけが花咲く幸福な生活が約束されるのです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第50話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
平和世界実現の具体的方案
尊敬する指導者の皆様。世界平和の実現は、世界次元で先に成し遂げられるものではありません。まず、人間個々人を通して実現されるしかないのです。心身統一をなした個人が求められます。
堕落によって、人間は心と体の葛藤が生じるようになりました。サタンが体を拠点として人間を掌握しながら、本性の要求と霊性から離れ、利己的、個人的欲求ばかりを追い求めるようにさせるのです。
神様の真の愛を通した血統圏にのみ、サタンの主管圏を逃れる道があります。そして、利他的にために生きる道を步むならば、サタンはついてくることができません。サタンはその本質が利己的だからです。このように堕落人間は、神様の真の愛の実践によって人格の変化を達成し、霊性を回復できるのです。観念的な神様ではなく、生きておられる神様と関係を結ぶ、真の信仰でなければなりません。
本来、神様の真の愛の対象として造られた人間は、その真の愛を自然に実践するようになっています。美、真、善などの価値は、愛の実践として現れます。神様の真の愛によって心と体が一つになった人は、喜悦と平安、満足と平和をなした個人となります。平和世界は、このような主体的な人格が優先的に求められます。
第二に、平和世界は、制度や権力、物質や知識、または何らかの外形的な要因によって成し遂げられるものではありません。ために生きる真の愛によってのみ成し遂げられます。真の平和と統一と幸福は、ために生きる愛の関係を離れては見いだすことができません。これが創造の根本原則です。対象のために無条件に与え、投入し、愛することが、神様の創造の動機であり目的でした。
人間は、神様に似て、ために生きる存在として造られました。人は、ために生きる道でのみ、中心存在となり、平和統一の主体となり、愛と理想の永遠の主人となります。絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に出会い、神様から相続を受け、真の父母、真の師、真の主人となる道は、ひたすら、ために生きる真の愛の生活だけです。真の愛によって、ために生きれば、自然に葛藤と分裂が克服され、全体が和合して統合されます。この道は、闘って勝ち取るのではなく、自然屈伏させて永遠の統一を成し遂げる道です。
第三に、平和世界の基本単位は、国家ではなく円満な家庭です。神様に侍る人格、すなわち心と体が一つになって調和した男性と女性が、神様の祝福のもとに夫婦となった家庭が、その単位となります。人類の歴史が始まって以来、真の父母を通して初めて探し出された家庭です。真の愛で家庭の構成員が調和一体を完成した、和気あいあいとした家庭です。このような家庭が繁栄し、平和な氏族、民族、国家、世界を形成していくようになります。一なる神様のもとに、真の愛を中心として人類は一家族となり、天宙が一つになることが、本来の神様の理想でした。
真の父母を中心として家庭の問題が解決する所が、平和世界の基台となる所です。真の愛の祝福家庭理想のもとには、既に国家と人種と宗教の壁はありません。
人類は、神様を求めなければなりません。無形の真の父母が分からない無知から抜け出さなければならないのです。この宇宙の無窮で奥妙な秩序の中に生きていながらも、創造主の偉業に対して感謝できない悖逆(はいぎゃく)を、これ以上繰り返してはいけません。堕落した人間は、自分の生命の主人が自分自身であるという傲慢から抜け出し、神様の真の愛の前に自ら霊性を啓発しなければなりません。
天地父母の伝統的な道に従おう
神様は真の父母であられます。永遠無窮に真の愛をさらに大きく投入しようとされる心情を、絶対的なものとして固めて生きられる神様を発見しなければなりません。御自身の絶対、唯一、不変、永遠の真の愛、真の生命、真の血統を完全に相続させる対象として、人類をつくられた神様の情を知らなければなりません。
そうして、絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様と真の父母を、私たち個人、家庭、国家、世界、天宙の絶対価値の軸として立てなければなりません。そして、個人的な生活から家庭、氏族、民族、国家、世界的な生活が根本とならなければなりません。
真の愛によって、ために生きる道である天地父母の伝統的な道を、千年、万年、変わることなくついていきたいと願うようでなければなりません。そうなれば、家庭問題、社会問題、人種問題、宗教間の葛藤問題など、解けない問題はありません。
創造理想世界である神人一体の心情世界になって生きる時代が来なければなりません。人のために生きることが、自分のために生きることよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代、自己中心の利己主義時代が後退し、共生、共栄、共義の利他主義の世界を創建しなければならないのです。
私たちは、この目的のために神様と霊界について正しく知り、さらには、全世界に天道を証しながら人類を正しく指導し、神様の真の愛、真の生命、真の血統に連結された天宙大家族を形成し、神様の祖国と故郷を、地上と天上とに創建しましょう。絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の真の愛で、地上天国と天上天国を完成し、神様の王権を奉献してさしあげましょう。
神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国の上に共にあることを願いながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第49話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
無理解の中で展開した平和運動
尊敬する指導者の皆様。私はこれまで神様の召命を受けてみ旨に従い、千辛万苦の中で、各分野に平和安着のための基盤を築いてきました。三十年以上も前から、「統一思想研究院」を創設して思想界を指導し、また絶対価値の探究と諸学問の調和統一のための「科学の統一に関する国際会議」を一九七二年から年ごとに三十回近く開催してきました。
「世界平和教授アカデミー」の創設と持続的な支援、「世界平和のための頂上会議」、「国際勝共連合」、「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」、「世界平和連合」、「世界平和島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合」、「南北統一運動国民連合」などの超国家的な平和運動、各種文化芸術振興運動、スポーツを通した平和運動、小、中、高、大学などの教育機関の育成、「世界平和女性連合」活動、責任言論と道徳言論具現のための各種言論機関の設立、「世界大学原理研究会」、「世界平和青年連合」、「青少年純潔運動」、「環境問題国際会議」、「国際救護親善財団」、「サービス•フォー•ピース(service for peace)」、「宗教青年奉仕団」、「ボランティア愛苑」、「世界NGO(非政府機構)連合」、祝福と真の家庭運動、天が願われる国連の平和理想の目的に対する支援と刷新運動など、救国救世運動を汎世界的に展開してきました。
無理解と迫害の中で、政府や財閥からの財政的支援なしに、このようなことを持続的に行ってきました。ひとえに、神様から委ねられた理想家庭定着のために、人類の真の父母の使命を完遂し、神様のみ旨を成し遂げてさしあげたいという一念のもとに、あらゆる分野において基盤を築いてきました。
神様の真の愛の平和理想を実現するためには、宗教間の和解と率先垂範が何よりも重要です。偏狭な各国の一部の宗教団体や教派の無理解と迫害の中でも、私が最も力点を置いて行ってきたのが、超宗教、超国家、超NGO連合との協力運動でした。
各種の超宗教指導者会議、超宗派的な神学校の設立、新教会一致運動、「世界宗教協議会」、「世界宗教青年セミナー」、「世界宗教議会」、『世界経典』の刊行、宗教間の和解のための各種会議に対する持続的な支援、「世界平和宗教連合」の創設など、いかなる犠牲も顧みず、一つの世界のために私ができることはすべて準備してきました。
ここからもう一歩踏み込んで、宗教団体間の和解にとどまらず、既に基礎を築き上げた学界、政界、言論界、財界、NGOなどの各界指導者と共に、世界平和のための統一機構である「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。一九九九年二月に「世界平和超宗教超国家連合」を創設して以来、百八十九ヵ国の多様な分野の指導者数万人を平和大使に任命しました。
平和大使たちは、私の平和思想を中心として、ために生きる真の愛を実践し、国境、人種、宗教の壁を崩す、重要な活動を行っています。エイズ予防運動、各種の奉仕活動、真の家庭運動、指導者および青少年教育、環境親和運動などの実践運動を展開しています。
私の思想は、「神主義」に立脚した「頭翼思想」です。絶対価値の基準であり、真の父母、真の師、真の主人であられる神様を絶対中心に立てる主義です。人間が生活の中で神様に対し、三大主体思想、すなわち真の父母、真の師、真の主人として霊界と地上界で侍り、その対象として生きるようになれば、遠からず真の愛の地上•天上天国となります。
神様と霊界を否認する無神論の共産主義思想は克服されなければなりません。同様に、絶対価値の縦的基準の重要性を無視する世俗的人本主義や価値の相対化を叫ぶ主張なども克服されなければなりません。
また、神様の名を借りた真の愛のない信仰生活や、利己心に基づいて本然の人権を踏みにじり不正を行うことなども、すべて克服されなければなりません。このように左翼と右翼を克服し、国と人種と宗教の壁を崩し、絶対神様を中心として、大きく統一調和させる思想こそ、私の提唱する「頭翼思想」です。
この活動に天地が協助して、理想的な一つの体系を形成しなければならないことを知っていただき、国連を中心としたすべての国家が、世界的に団結して解決すべき大転換の時期が来たことをお忘れにならないようお願いします。
現在、社会は脱イデオロギー時代となり、絶対思想の体系がない社会になりました。個人から家庭、社会、国家、世界へ、さらには天宙までつながる絶対価値観がありません。人間の考えが混沌とし、人間関係に秩序が立てられずに混乱が生じるのは、すべてここに由来しているのです。心や実生活に根本軸をもてずにいる現代人が、多元化、現代化の趨勢を迎えているので、なおさら価値観の混沌に襲われるのです。現代人は、感覚的な享楽にふけり、主体性なく気ままに生きたいという誘惑が絶え間なく襲ったとしても、決して価値生活を諦めてはならず、絶対価値を縦的軸として探し立てなければなりません。絶対価値の中心は、ために生きる、神様の真の愛だけです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第48話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
理想家庭と人間の堕落
人間は、心情的に一つとなり、真の愛の中で同位となり、生活の中で深い感情の通じる、分かつことのできない父子関係としてつくられました。神様は、愛の対象である息子、娘の人間と共に愛を完成するという創造理想を立てられました。これが真の愛の理想の成就です。
人間始祖アダムとエバを創造された神様の創造目的を要約すると、彼らが神様の真の愛、真の生命、真の血統の結実を完成した善の家庭を立てることです。アダムとエバは家庭を基盤として、子女の心情、夫婦の心情、父母の心情を育みながら、段階別に、また分性的に神様の愛を体得し、安着して完成するのです。このように創造されたアダムの家庭で、神様を中心とした真の愛の理想が成し遂げられていたなら、最初の天国家庭になっていたのです。
また、アダムとエバという真の父母の家庭を中心とする天国理想は、氏族、民族、国家、世界へ拡散すべきでした。真の愛の家庭の伝統が、世界の伝統につながっていたでしょう。その世界は、無形の絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に似て、すべての属性を相続した真の父母を中心とする世界です。そして、天の国は、神様と有形、無形の一体を成した真の父母が、縦的な軸となって、子女たちが、上下、前後、左右、内外に調和を成し、自由と平和と統一と幸福の生活を出発した世界です。
人は地上の肉身生活を終えると、霊人体は無形の世界である霊界に行きます。これは、地上生活の延長であり、そこでもやはり天国理想を完成するようになるのです。もしも、そうなっていれば、宗教を中心とした神様の救援摂理やメシヤの降臨は必要なかったのです。
しかし、不幸にもアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた神様の天国理想は、アダムとエバが堕落することによって成就されなかったのです。これは、アダムとエバがサタンを中心とした偽りの愛によって偽りの父母となったからです。彼らは神様の祝福とは関係のない、偽りの夫婦、偽りの家庭をつくり、偽りの生命、偽りの血統を子孫に伝授しました。サタンが怨讐の立場で血統を変えた恨を神様に残したのです。
こうして、彼らは神様を失ってしまい、神様に侍って暮らす聖殿を完成することができませんでした。かえって、彼らの体は悪魔サタンの巣窟となり、絶対価値を指向する霊性が零落し、無形の世界である霊界に関しても無知になりました。
先祖である彼らがこのようになったので、子孫であるすべての人類は、神様が私たちの真の父であられることが分からなくなりました。サタンの利己的な欲望を受け継ぎ、自己本位で堕落性による不義を犯しながら生きていくようになりました。本来、人類が一人の神様に侍る兄弟姉妹であることも知らず、葛藤と紛争に明け暮れ、罪を犯しています。互いに命を奪い合いながらも、それが自分自身を害することを知らずに不幸の中で生きているのです。
最初に、アダムの家庭を中心として、カインがアベルの命を奪った罪悪を受け継ぐようになった結果の世界なので、偽りの愛の子孫である人類の帰結は、家庭破綻と青少年の退廃、病魔エイズなどの不幸と罪悪と破滅です。
周囲を見回してください。心身の葛藤と価値観の混乱、犯罪と麻薬、人類の存亡がかかった家庭の危機、環境破壊、紛争と憎悪、テロと戦争、さらには人種と宗教と文明間の葛藤など、現在の危機はあまりにもひどいものです。日ごとにその程度が増し、危機が多元化、世界化しつつあります。これ以上、放置することはできません。時間がないのです。
誰がこの世代に責任をもつことができるのでしょうか。世界問題を根本的に解決する代案を提示する指導者はどこにいるのでしょうか。神様を見失うことによって、人間は真の愛も、平和も、幸福もみな失ってしまいました。人間は、神様を抜きに人間同士で、不幸から脱して平和を成し遂げようと、畏い歴史をかけて努力してきましたが、これは根本的な誤りでした。人間の力だけで危機を脱出することはできません。真の平和と幸福は、神様の真の愛、真の生命、真の血統に根源を置いています。
神様の創造のみ旨は絶対です。神様は、アダムとエバの堕落によって誤ったものを、再び原状に戻されます。したがって、神様の救援摂理は復帰摂理であり、その目的は堕落前の本然の世界の回復です。言い換えれば、神様の真の愛を探し立て、彼らに再び祝福結婚を受けさせて、本然の世界を探し立てることです。そのようになれば、その真の家庭を起点として、真の氏族、民族、国家、世界が形成されるのです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第47話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
14.神様と平和統一世界
日付:二〇〇二年十二月二十七日
場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン•ナショナル•ホテル
行事:「世界平和超宗教超国家連合」聖職者会議
世界各国から来られた元•現職の国家元首と高名な宗教指導者、各界の代表者、各国の平和大使、そして尊敬する紳士淑女の皆様。平和世界の実現という人類の共同理想を中心として根本を探究する、この意義深い会議に御参席くださいまして、誠に感謝申し上げます。
いつにも増して平和と安全が切実に、かつ緊迫して求められる時にあって、各界の指導者である私たちは、神様を遠ざけたまま、世界的な寫藤と戦争、罪悪と不幸の問題を解決すべき厳粛な責任を、共同で背負った立場に立っています。
神様は真の愛の本体
きょう私は、これまで天意に従い、生涯を捧げて究明してきた、人類の難問題に対する根源的な解決法案に関する一端をお話ししようと思います。このみ言は、既存の神学的な研究や書物に基づいたものではありません。私が血のにじむような苦闘の中で、直接神様や霊界と交信しながら、体恤して究明した根本原理です。
神様と交信しながら天意に従う道は、一般の人が常識で理解できるような道ではありません。しかし、人が本心を開いて、深く洞察すれば、現実の中に生きて働かれる神様のみ旨と霊界を感知する新境地があるのです。
平和理想の根本を探究するこの大会は、現代人の苦難と絶望、そして現代の危機状況を分析する集まりではありません。病状の根本を探り、治癒しなければなりません。そのためには、宇宙の根本である神様と人間との本然の関係を知らなければならず、歴史の中で、生きて摂理してこられた神様のみ旨を悟らなければなりません。
神様は、真の愛の本体であられます。真の愛は、無条件に与えてはまた与え、投入しても記憶せずにさらに投入し、ために生きては、またために生きる属性をもっています。神様が創造された大気の中で、義人と悪人が共に呼吸できるように許容されたのは、絶対愛の神様であり、真の愛の本体であられるからです。自然の恵沢のもとに、善人も悪人も共に農業を営み、生活しているのです。
また、全能性と絶対性を先立たせて罪人を即決処分できる神様なのですが、真の愛で抱いてこられながら、罪人たちが悔い改めることを、長い間、耐え忍んで待ってこられました。創造主であり、本当の父であられるのに、御自身を不信し、背き、ひいては存在しないと主張し、死んだと考える群れから、ありとあらゆる悪ロを言われながらも、相対がなければ愛を完成できないがゆえに、変わることなく忍耐してこられた父なる神様であられます。
尊敬する指導者の皆様。神様が不平を言われるのを聞いたことのある人はいますか。言い訳をする神様に会った人はいますか。太初から、真の愛の理想の絶対基準を立てられ、御自身自らその理想に絶対服従されながら創造され、摂理してこられた神様です。あらゆる濁った水や残りかすのようなものをすべて受け入れても完全に浄化できる海のように、創造の原則から外れた人間世界を完全な善に浄化できる絶対の真の愛の主体として、真の愛の相対関係のために毅然として摂理される神様であられるのです。
神様は真の愛を中心とした絶対なる真の父母であり、絶対なる真の師であり、絶対なる真の主人です。ですから、神様はその真の愛を与えることのできる対象を必要とされました。それが創造の動機です。神様の創造は必然でした。真の愛の創造理想は、一人で成し遂げる理想ではありません。神様御自身の気高く善なるみ旨を、人間と共に喜ばれるための理想です。
真の愛の神様を正しく理解すれば、今日、罪を犯し、争う不幸なこの世界は、神様の本来の計画ではなかったことが自明になります。神様の創造のための精誠と投入はこの上ないものでした。自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てられ、絶対投入されました。
被造物はすべて、神様がこの上なく精誠を尽くし、投入してつくられた愛の対象です。その中でも、最も貴い被造物である人間は、真の愛を中心として、神様に最も近い関係、すなわち父母と子女の関係でつくられました。神様は無形の真の父母であられ、人間は実体対象である息子、娘です。
真の愛の世界には、大小、高低の分け隔てがありません。真の愛で一つになることは、上下や階層がなく、完全に、また全体的に調和一体となることです。さらには、主体と対象が一体となったその結果は、断絶なく永続するものです。このように、真の愛の中における主体と対象には、同位権、同参権、同居権があり、相続権が存在するようになります。
人間は、神様の愛の中で完成し、神様の絶対父母、絶対師、絶対主人の位置を相続するようになっているのです。このように神様は、御自身の子女である人間が、真の愛の理想を完成することによって、御自身と一つになって共に住み、御自身のすべてのものを相続するようにされました。
ために生きる真の愛の中でのみ、真の自由と平等が、平和と統一が、理想と幸福が永遠になることができるのです。ですから、真の愛は、宇宙万象、特に生命をもつすべての存在の力と生命の源泉であり、喜びと幸福の源泉なのです。真の愛は、喜楽と希望と平和の絶対要因です。
しばしば神様と人間の関係は、その尊厳性や神聖さにおいて、永遠に格位を異にする関係であると理解されています。もちろん、創造主と被造物としての立場の違いはありますが、何よりも優先する本然の関係とは、真の愛の父母と子女、性相と形状、主体と対象、内外の関係なのです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第45話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。神の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛を受ける道が現れないのです。国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。哀れな立場に立つようになります。あえなくやられることがいくらでもあるのです。ですから、神様が願われる国はどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国がどこにあるのか、これが問題です。
私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠の天の国を築くためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福地国家を築くためです。その国は、神様を中心として、直系の子女たちが天命に従い、すなわち神様の命令と王権をもって治めるそのような国であることに間違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、皆様御自身が、そのような国の民になることができなかったという事実が悲痛なことではないでしょうか。私たちは、そのような一つの国をもつことができなかったことを嘆息しなければならず、そのような国で暮らすことができないことを嘆かなければならず、そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、悔い改めなければなりません。
そのような主権と国と国土を立てるために、人類は、歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程で、数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交替してきたという事実を、私たちは知っています。そのように犠牲になった数多くの人たちの中で、天の側にいる人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい霊人たちは、いつかはそのような国、そのような世界が成し遂げられることを願うに違いありません。人類が堕落したのち、歴史は、神様が主管されるのではなく、サタンが主管するようになったのです。
しかし、本来この世の中の主人は、神様がならなければなりませんでした。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管される世界であり、神様が主管される国であり、神様が主管される家庭であり、神様が主管される個人になっていたでしょう。ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界であることを知らなければなりません。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な愛の世界を築くことができず、また、絶対者であられる神様が、本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その立場を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いていかれるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。
しかし、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が望まれるその国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることのできるその国を立てるために、人間が知らない中で、歴史を通して時代を動かしてこられました。神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育てていかれました。ところが、アダムの堕落によって一から始まった歴史は、四分五裂してしまったのです。これを収拾して連結していくのが救援摂理歴史です。アダムは、すべての人間の先祖なので、アダム個人を失うことは、全体を失うことと同じです。したがって、これを再び呼んで立てなければなりません。再び立てられるその方は、氏族と民族と国を放棄して忘れてしまうことができる、つまり、神様のみ旨のためだけに生きていく人でなければなりません。
皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通した目的をもっています。皆様もよく御存じのキリスト教の歴史をその代表的な例として、一度見てみましょう。ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属するのを望まず、国に属していましたが、その国に縛られずに自分が希望していた国を探していきました。彼は希望の国を探し立てるために、あらゆる試練と逆境を経なければなりませんでした。ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。ノアに託された神様の願いは、神の国と神の義を求め、個人的な環境を克服していくことでした。
彼が春夏秋冬、一日も欠かさず、百二十年の試練過程を通過したその苦衷はいかなるものだったでしょうか。家庭も彼を理解しませんでしたが、ノアはそれらいかなる攻撃の矢もすべて受けながら、百二十年を貫いていきました。神の国と神の義を求める前に、自分勝手に飲んだり食べたりしていては、あとですべて蕩減を受けなければならないという原則をノアはよく知っていたのです。神様はアブラハムとサラを立て、カルデアのウルを発つようにさせました。アブラハムは、ハランが、自分たちの住むべき所であるとは思わず、神様の啓示をもってカナンに無条件に信じて向かって行きました。またサラは、パロ王に引っ張られていってもアブラハムを決して恨んだりはしませんでした。
このように、希望の国に向かって行く彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せても、変わることはありませんでした。ヤコブは、自分に下された祝福には、希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を打ち砕くことはできませんでした。そのように、み旨は個人、家庭、氏族と拡大され、預言者たちは、次第に世界的な希望をかけて進んでいったのです。イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって彷徨する立場になり、霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。
しかし、メシヤは、天と地のすべての障壁を崩して、一つに統一しなければならない使命をもってこられる方です。この地を中心として構成された理念国家は減んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨です。アダムを中心として願われた神様の望みは、アダムの個体だけにとどまるのではなく、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国を築くことでした。メシヤが成し遂げようとした目的の国が、イスラエルの不信によって壊れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるのです。
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Sunday Dec 05, 2021
平和経 第44話
Sunday Dec 05, 2021
Sunday Dec 05, 2021
13.神様の祖国と一つの世界
日付:二〇〇二年十月十六日
場所:韓国、京畿道、九里市、中央修練院
行事:天上地上和合統一大会
全国から集まった宗教界、政治界、学界の指導者の皆様、そして高名な平和大使の皆様。きょう皆様は、平和世界に対する希望を抱いてこの場に集いました。私は、この意義深い席において、「世界平和超宗教超国家連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と一つの世界」に関するみ言をお伝えしようと思います。
今日、この地上に生きている人間たちは、神様があらかじめ告げてくださった神の国と神の義を見つけることができずにいます。ですから、神の国と神の義を探し出すことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生きては去っていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。
それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残されるようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場におかれるようになりました。すなわち、神の国と神の義の中心である父と家庭、そして国家に関して詳細に知らない人間に転落してしまったので、神様は、そのような無知に陥った人類を悟らせ、その父と家庭と国家がどのようなものかということを教えるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。
ですから、神の国と神の義を探し立てることが、いまだに私たちの希望として、また目標として残るようになったのです。この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもありません。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。それで神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。したがって神様は、ある一時を迎えて特定の国を探し出されました。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。
皆様が望まれる神の国とはどのような国ですか。その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がありません。
国がなければ国籍をもつことができないのです。国がなければ入籍できる基盤もないということです。ですから、現世において私たちがすべきことは、国を探し出すことです。この地上に天の国を編成し、その国籍をもって国を愛し、民族を愛する真で善の父母の血統を受け継いだ勝利の息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を導いて暮らしたのちに死んでこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。
国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべて無駄になるのです。ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題であることを、皆様は知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受ける国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子となり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を、いつももって暮らさなければなりません。真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないという意味です。
しかし、神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。サタンの王権に勝利したのちにこそ、天の国が成立するからです。私たちは、神の国を仰ぎ慕います。それは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠の愛が存続できるところです。また、自分自らが誇れるところであり、自己の価値を一〇〇パーセント認定されるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから、人間は、天の国を慕い、憧憬するのです。
私たちが行かなければならない道は、心から行きたいと思う道であり、私たちが探し求め、築かなければならない国は、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが所有すべき財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。また、私たちが泣くときには、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶときにも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追い求めなければならない、最高の望みであり、願いなのです。
人は誰でも、自分の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らず、神の国と神の義のために、希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いで理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。
皆様には、そのような国がありますか。ないので、その国を探し求めて築かなければならないのではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国です。万民が行くことのできる国です。この国を成し遂げるにおいては例外がありません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するのです。そのようにして個人を統一でき、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、神様が彼らをすべて主管されるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨とならざるを得ません。
もし地上で国家の復帰を自分の生涯において果たすことができずに死ぬ場合、皆様は、霊界に行っても、天の国に属した人としての価値をもつことはできません。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それが本来、神様の創造基準だからです。
皆様。私は今、地上に羨むものがありません。世の中のものには関心がない人です。ただ、「神様が保護できるその国において死ななければならないのではないか。私がそのように生きてから逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが私の願いなのです。
そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければならない道です。
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Sunday Dec 05, 2021
平和経 第43話
Sunday Dec 05, 2021
Sunday Dec 05, 2021
神様の最後の警告を深刻に受け入れるべき
絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、論理的にも可能な説明です。ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。
堕落した人類を救おうとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を一〇〇パーセント治める生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって神様は、歴史的に、時代や文化、そして地域的な環境や条件を考慮して、必要適切な宗教を許されたのです。そして人間は、宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道を一つ一つ開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいとい宗教えはありません。この世で裕福に暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七•ニー)と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊かさと権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができます。宗教によってその方法は異なるかもしれませんが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を主管して生きることができる道に導くことが、宗教の使命でした。このように神様は、六千年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人、賢人も、どのようにすれば私たちの心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就できるかを明らかにして教えることができなかったのです。どうしたら心を中心として体を完全に征服できるのか、ということについて教えることができませんでした。
人類は、平和の基盤を見いだすことのできるところ、すなわち、父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、兄弟が永遠に一つになり、父母と子女が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる心と体の統一点を提示できなかったのです。しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地が待ち望んできた人類の真の父母が、今やこの地上に顕現して、すべての貢任を一人で負い、復帰摂理を成功裏に遂行しているからです。混沌と放蕩によってもつれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。
皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上、天上天国が連結されるのです。
霊界のメッセージの忠言
私たち夫婦は、人類の真の父母の資格をもって、既に全霊界を統一しました。四大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、ムハンマドはもちろん、彼らの高弟級の百二十人ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「統一原理」と「統一思想」を学んだのちに送ってきた彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って「原理セミナー」を修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。
今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永生のために準備しなさいというメッセージです。つかの間の地上生活で、貴い一生を浪費せず、誰もが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備して来なさいという忠言で満ちています。
皆様。これは何を意味するのでしょうか。第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を、燃える炎のような目で見守っていらっしゃる神様であられます。
御自身の懐を離れてサタンのもとへ行った人類が、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。放蕩息子になって離れていった子女が、懺悔の涙とともに父の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の父母様を慰め、真の父母様に侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。
第二に、霊界の実在を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいというむちとしてのみ言です。神様が見守り、数千、数万の聖人や賢人、そして皆様の先祖が、皆様の日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、誰があえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。
今からは、遠からず皆様も霊的な体験をすることになるでしょう。皆様の先祖が動員されて、皆様の生活と考えまでも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの統一信徒たちは、既に生活の中でこのような境地を経験しています。
愛する祖国の同胞の皆様、そして本大会を見守る世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。人類の真の父母であるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人と賢人と先祖が降臨し、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に恵まれた人たちです。
今後、全人類は、人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するに当たり、召命された責任を果たしてくださることを促しながら、きょうの私のお話を終えようと思います。神様の限りない祝福が皆様の家庭と国家に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。
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Thursday Dec 02, 2021
平和経 第41話
Thursday Dec 02, 2021
Thursday Dec 02, 2021
神様を解放しなければならない私たちの責任
それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。今日、私たちの周辺で、堂々と我がもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、正に私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。
他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や都合だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落が引き起こした行真の片鱗なのです。しかし、これは、創造当時に神様が計画された本来の目的ではありません。神様もこのような世の中を願われず、人間もこのような世の中に生まれて暮らすことを願いませんでした。したがって神様は、このような悲惨な歴史、悲しみと苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すことを目的として立て、この堕落した世の中を収拾してこられているのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。
堕落したアダムとエバの子孫に転落した人類になりましたが、人間には誰しも本然の世界を指向する本心が残っているので、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、困難であるとしてもかなえざるを得ない理想として残されたのです。神様は、堕落した人類に、時代に従って、新しい理想と新しい心情を取り戻してあげるために、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。
もし、そのような理想を成就する一日が、天と地に訪れなければ、また、天と地を動かすことのできる中心存在、そしてその中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天地が一つになって一つの目的を指向できる道を開くことができなければ、この地上に真の自由と平和と理想が訪れないのです。そうなると、人間は蕩減復帰の歴史過程から抜け出すことができなくなるでしょう。
このような事情があるので、神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想をもってお訪ねになることもできません。反対に祭物の時を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創造理想もこの地上でその実を結ぶことはできないのです。
ですから、私たちは、神様の胸にしこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげる責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。私たちは、堕落した人間なので、堕落以前の本然の状態を取り戻し、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場を取り戻し、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を取り戻さなければならないのです。
私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活できるその立場を取り戻し、その立場に立たなければならないようになっています。この課題を成就するために、今日の私たちには、新たに救援摂理が残るようになったのです。
全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなければ、神様の愛を中心として人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着できる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理において、多くの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史を綴ってきたという事実を知らなければなりません。
しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。
絶対者、創造主によってつくられた万物も、創造主の愛を受け、また創造主と一つになることが目的です。したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を身代わりする位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれる証票であることはもちろん、万物と人間を結んでくれる鎖でもあるのです。
ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないのです。蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失したとき、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。そのような条件を立てることを「蕩減」といいます。
しかし一般社会では、「蕩減」という言葉をそれほど重要視していません。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて、私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためなのです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、喉が張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要なく、「神様の解放」や「人類の解放」といった単語も必要ない世界になっていたでしょう。
堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。
イエス様は、この地に来て何をしたでしょうか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架を中心として愛を施すことに我を忘れて逝った人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました。皆様の人生においても、愛を受けようという方向性から、愛を与えて生きようという方向性に転換し、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるでしょう。愛を受けようという意識ばかりをもった人々が暮らす所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないのです。
すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じ、接することのできる人格体になれば、皆様は死亡の世界で苦しむ多くの民を見るとき、涙なくして向き合うことができないはずです。青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見るとき、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、我知らず与えようとする愛の発露なのです。
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