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Monday Dec 06, 2021
平和経 第49話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
無理解の中で展開した平和運動
尊敬する指導者の皆様。私はこれまで神様の召命を受けてみ旨に従い、千辛万苦の中で、各分野に平和安着のための基盤を築いてきました。三十年以上も前から、「統一思想研究院」を創設して思想界を指導し、また絶対価値の探究と諸学問の調和統一のための「科学の統一に関する国際会議」を一九七二年から年ごとに三十回近く開催してきました。
「世界平和教授アカデミー」の創設と持続的な支援、「世界平和のための頂上会議」、「国際勝共連合」、「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」、「世界平和連合」、「世界平和島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合」、「南北統一運動国民連合」などの超国家的な平和運動、各種文化芸術振興運動、スポーツを通した平和運動、小、中、高、大学などの教育機関の育成、「世界平和女性連合」活動、責任言論と道徳言論具現のための各種言論機関の設立、「世界大学原理研究会」、「世界平和青年連合」、「青少年純潔運動」、「環境問題国際会議」、「国際救護親善財団」、「サービス•フォー•ピース(service for peace)」、「宗教青年奉仕団」、「ボランティア愛苑」、「世界NGO(非政府機構)連合」、祝福と真の家庭運動、天が願われる国連の平和理想の目的に対する支援と刷新運動など、救国救世運動を汎世界的に展開してきました。
無理解と迫害の中で、政府や財閥からの財政的支援なしに、このようなことを持続的に行ってきました。ひとえに、神様から委ねられた理想家庭定着のために、人類の真の父母の使命を完遂し、神様のみ旨を成し遂げてさしあげたいという一念のもとに、あらゆる分野において基盤を築いてきました。
神様の真の愛の平和理想を実現するためには、宗教間の和解と率先垂範が何よりも重要です。偏狭な各国の一部の宗教団体や教派の無理解と迫害の中でも、私が最も力点を置いて行ってきたのが、超宗教、超国家、超NGO連合との協力運動でした。
各種の超宗教指導者会議、超宗派的な神学校の設立、新教会一致運動、「世界宗教協議会」、「世界宗教青年セミナー」、「世界宗教議会」、『世界経典』の刊行、宗教間の和解のための各種会議に対する持続的な支援、「世界平和宗教連合」の創設など、いかなる犠牲も顧みず、一つの世界のために私ができることはすべて準備してきました。
ここからもう一歩踏み込んで、宗教団体間の和解にとどまらず、既に基礎を築き上げた学界、政界、言論界、財界、NGOなどの各界指導者と共に、世界平和のための統一機構である「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。一九九九年二月に「世界平和超宗教超国家連合」を創設して以来、百八十九ヵ国の多様な分野の指導者数万人を平和大使に任命しました。
平和大使たちは、私の平和思想を中心として、ために生きる真の愛を実践し、国境、人種、宗教の壁を崩す、重要な活動を行っています。エイズ予防運動、各種の奉仕活動、真の家庭運動、指導者および青少年教育、環境親和運動などの実践運動を展開しています。
私の思想は、「神主義」に立脚した「頭翼思想」です。絶対価値の基準であり、真の父母、真の師、真の主人であられる神様を絶対中心に立てる主義です。人間が生活の中で神様に対し、三大主体思想、すなわち真の父母、真の師、真の主人として霊界と地上界で侍り、その対象として生きるようになれば、遠からず真の愛の地上•天上天国となります。
神様と霊界を否認する無神論の共産主義思想は克服されなければなりません。同様に、絶対価値の縦的基準の重要性を無視する世俗的人本主義や価値の相対化を叫ぶ主張なども克服されなければなりません。
また、神様の名を借りた真の愛のない信仰生活や、利己心に基づいて本然の人権を踏みにじり不正を行うことなども、すべて克服されなければなりません。このように左翼と右翼を克服し、国と人種と宗教の壁を崩し、絶対神様を中心として、大きく統一調和させる思想こそ、私の提唱する「頭翼思想」です。
この活動に天地が協助して、理想的な一つの体系を形成しなければならないことを知っていただき、国連を中心としたすべての国家が、世界的に団結して解決すべき大転換の時期が来たことをお忘れにならないようお願いします。
現在、社会は脱イデオロギー時代となり、絶対思想の体系がない社会になりました。個人から家庭、社会、国家、世界へ、さらには天宙までつながる絶対価値観がありません。人間の考えが混沌とし、人間関係に秩序が立てられずに混乱が生じるのは、すべてここに由来しているのです。心や実生活に根本軸をもてずにいる現代人が、多元化、現代化の趨勢を迎えているので、なおさら価値観の混沌に襲われるのです。現代人は、感覚的な享楽にふけり、主体性なく気ままに生きたいという誘惑が絶え間なく襲ったとしても、決して価値生活を諦めてはならず、絶対価値を縦的軸として探し立てなければなりません。絶対価値の中心は、ために生きる、神様の真の愛だけです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第48話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
理想家庭と人間の堕落
人間は、心情的に一つとなり、真の愛の中で同位となり、生活の中で深い感情の通じる、分かつことのできない父子関係としてつくられました。神様は、愛の対象である息子、娘の人間と共に愛を完成するという創造理想を立てられました。これが真の愛の理想の成就です。
人間始祖アダムとエバを創造された神様の創造目的を要約すると、彼らが神様の真の愛、真の生命、真の血統の結実を完成した善の家庭を立てることです。アダムとエバは家庭を基盤として、子女の心情、夫婦の心情、父母の心情を育みながら、段階別に、また分性的に神様の愛を体得し、安着して完成するのです。このように創造されたアダムの家庭で、神様を中心とした真の愛の理想が成し遂げられていたなら、最初の天国家庭になっていたのです。
また、アダムとエバという真の父母の家庭を中心とする天国理想は、氏族、民族、国家、世界へ拡散すべきでした。真の愛の家庭の伝統が、世界の伝統につながっていたでしょう。その世界は、無形の絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に似て、すべての属性を相続した真の父母を中心とする世界です。そして、天の国は、神様と有形、無形の一体を成した真の父母が、縦的な軸となって、子女たちが、上下、前後、左右、内外に調和を成し、自由と平和と統一と幸福の生活を出発した世界です。
人は地上の肉身生活を終えると、霊人体は無形の世界である霊界に行きます。これは、地上生活の延長であり、そこでもやはり天国理想を完成するようになるのです。もしも、そうなっていれば、宗教を中心とした神様の救援摂理やメシヤの降臨は必要なかったのです。
しかし、不幸にもアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた神様の天国理想は、アダムとエバが堕落することによって成就されなかったのです。これは、アダムとエバがサタンを中心とした偽りの愛によって偽りの父母となったからです。彼らは神様の祝福とは関係のない、偽りの夫婦、偽りの家庭をつくり、偽りの生命、偽りの血統を子孫に伝授しました。サタンが怨讐の立場で血統を変えた恨を神様に残したのです。
こうして、彼らは神様を失ってしまい、神様に侍って暮らす聖殿を完成することができませんでした。かえって、彼らの体は悪魔サタンの巣窟となり、絶対価値を指向する霊性が零落し、無形の世界である霊界に関しても無知になりました。
先祖である彼らがこのようになったので、子孫であるすべての人類は、神様が私たちの真の父であられることが分からなくなりました。サタンの利己的な欲望を受け継ぎ、自己本位で堕落性による不義を犯しながら生きていくようになりました。本来、人類が一人の神様に侍る兄弟姉妹であることも知らず、葛藤と紛争に明け暮れ、罪を犯しています。互いに命を奪い合いながらも、それが自分自身を害することを知らずに不幸の中で生きているのです。
最初に、アダムの家庭を中心として、カインがアベルの命を奪った罪悪を受け継ぐようになった結果の世界なので、偽りの愛の子孫である人類の帰結は、家庭破綻と青少年の退廃、病魔エイズなどの不幸と罪悪と破滅です。
周囲を見回してください。心身の葛藤と価値観の混乱、犯罪と麻薬、人類の存亡がかかった家庭の危機、環境破壊、紛争と憎悪、テロと戦争、さらには人種と宗教と文明間の葛藤など、現在の危機はあまりにもひどいものです。日ごとにその程度が増し、危機が多元化、世界化しつつあります。これ以上、放置することはできません。時間がないのです。
誰がこの世代に責任をもつことができるのでしょうか。世界問題を根本的に解決する代案を提示する指導者はどこにいるのでしょうか。神様を見失うことによって、人間は真の愛も、平和も、幸福もみな失ってしまいました。人間は、神様を抜きに人間同士で、不幸から脱して平和を成し遂げようと、畏い歴史をかけて努力してきましたが、これは根本的な誤りでした。人間の力だけで危機を脱出することはできません。真の平和と幸福は、神様の真の愛、真の生命、真の血統に根源を置いています。
神様の創造のみ旨は絶対です。神様は、アダムとエバの堕落によって誤ったものを、再び原状に戻されます。したがって、神様の救援摂理は復帰摂理であり、その目的は堕落前の本然の世界の回復です。言い換えれば、神様の真の愛を探し立て、彼らに再び祝福結婚を受けさせて、本然の世界を探し立てることです。そのようになれば、その真の家庭を起点として、真の氏族、民族、国家、世界が形成されるのです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第47話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
14.神様と平和統一世界
日付:二〇〇二年十二月二十七日
場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン•ナショナル•ホテル
行事:「世界平和超宗教超国家連合」聖職者会議
世界各国から来られた元•現職の国家元首と高名な宗教指導者、各界の代表者、各国の平和大使、そして尊敬する紳士淑女の皆様。平和世界の実現という人類の共同理想を中心として根本を探究する、この意義深い会議に御参席くださいまして、誠に感謝申し上げます。
いつにも増して平和と安全が切実に、かつ緊迫して求められる時にあって、各界の指導者である私たちは、神様を遠ざけたまま、世界的な寫藤と戦争、罪悪と不幸の問題を解決すべき厳粛な責任を、共同で背負った立場に立っています。
神様は真の愛の本体
きょう私は、これまで天意に従い、生涯を捧げて究明してきた、人類の難問題に対する根源的な解決法案に関する一端をお話ししようと思います。このみ言は、既存の神学的な研究や書物に基づいたものではありません。私が血のにじむような苦闘の中で、直接神様や霊界と交信しながら、体恤して究明した根本原理です。
神様と交信しながら天意に従う道は、一般の人が常識で理解できるような道ではありません。しかし、人が本心を開いて、深く洞察すれば、現実の中に生きて働かれる神様のみ旨と霊界を感知する新境地があるのです。
平和理想の根本を探究するこの大会は、現代人の苦難と絶望、そして現代の危機状況を分析する集まりではありません。病状の根本を探り、治癒しなければなりません。そのためには、宇宙の根本である神様と人間との本然の関係を知らなければならず、歴史の中で、生きて摂理してこられた神様のみ旨を悟らなければなりません。
神様は、真の愛の本体であられます。真の愛は、無条件に与えてはまた与え、投入しても記憶せずにさらに投入し、ために生きては、またために生きる属性をもっています。神様が創造された大気の中で、義人と悪人が共に呼吸できるように許容されたのは、絶対愛の神様であり、真の愛の本体であられるからです。自然の恵沢のもとに、善人も悪人も共に農業を営み、生活しているのです。
また、全能性と絶対性を先立たせて罪人を即決処分できる神様なのですが、真の愛で抱いてこられながら、罪人たちが悔い改めることを、長い間、耐え忍んで待ってこられました。創造主であり、本当の父であられるのに、御自身を不信し、背き、ひいては存在しないと主張し、死んだと考える群れから、ありとあらゆる悪ロを言われながらも、相対がなければ愛を完成できないがゆえに、変わることなく忍耐してこられた父なる神様であられます。
尊敬する指導者の皆様。神様が不平を言われるのを聞いたことのある人はいますか。言い訳をする神様に会った人はいますか。太初から、真の愛の理想の絶対基準を立てられ、御自身自らその理想に絶対服従されながら創造され、摂理してこられた神様です。あらゆる濁った水や残りかすのようなものをすべて受け入れても完全に浄化できる海のように、創造の原則から外れた人間世界を完全な善に浄化できる絶対の真の愛の主体として、真の愛の相対関係のために毅然として摂理される神様であられるのです。
神様は真の愛を中心とした絶対なる真の父母であり、絶対なる真の師であり、絶対なる真の主人です。ですから、神様はその真の愛を与えることのできる対象を必要とされました。それが創造の動機です。神様の創造は必然でした。真の愛の創造理想は、一人で成し遂げる理想ではありません。神様御自身の気高く善なるみ旨を、人間と共に喜ばれるための理想です。
真の愛の神様を正しく理解すれば、今日、罪を犯し、争う不幸なこの世界は、神様の本来の計画ではなかったことが自明になります。神様の創造のための精誠と投入はこの上ないものでした。自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てられ、絶対投入されました。
被造物はすべて、神様がこの上なく精誠を尽くし、投入してつくられた愛の対象です。その中でも、最も貴い被造物である人間は、真の愛を中心として、神様に最も近い関係、すなわち父母と子女の関係でつくられました。神様は無形の真の父母であられ、人間は実体対象である息子、娘です。
真の愛の世界には、大小、高低の分け隔てがありません。真の愛で一つになることは、上下や階層がなく、完全に、また全体的に調和一体となることです。さらには、主体と対象が一体となったその結果は、断絶なく永続するものです。このように、真の愛の中における主体と対象には、同位権、同参権、同居権があり、相続権が存在するようになります。
人間は、神様の愛の中で完成し、神様の絶対父母、絶対師、絶対主人の位置を相続するようになっているのです。このように神様は、御自身の子女である人間が、真の愛の理想を完成することによって、御自身と一つになって共に住み、御自身のすべてのものを相続するようにされました。
ために生きる真の愛の中でのみ、真の自由と平等が、平和と統一が、理想と幸福が永遠になることができるのです。ですから、真の愛は、宇宙万象、特に生命をもつすべての存在の力と生命の源泉であり、喜びと幸福の源泉なのです。真の愛は、喜楽と希望と平和の絶対要因です。
しばしば神様と人間の関係は、その尊厳性や神聖さにおいて、永遠に格位を異にする関係であると理解されています。もちろん、創造主と被造物としての立場の違いはありますが、何よりも優先する本然の関係とは、真の愛の父母と子女、性相と形状、主体と対象、内外の関係なのです。
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Monday Dec 06, 2021
平和経 第45話
Monday Dec 06, 2021
Monday Dec 06, 2021
皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。神の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛を受ける道が現れないのです。国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。哀れな立場に立つようになります。あえなくやられることがいくらでもあるのです。ですから、神様が願われる国はどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国がどこにあるのか、これが問題です。
私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠の天の国を築くためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福地国家を築くためです。その国は、神様を中心として、直系の子女たちが天命に従い、すなわち神様の命令と王権をもって治めるそのような国であることに間違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、皆様御自身が、そのような国の民になることができなかったという事実が悲痛なことではないでしょうか。私たちは、そのような一つの国をもつことができなかったことを嘆息しなければならず、そのような国で暮らすことができないことを嘆かなければならず、そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、悔い改めなければなりません。
そのような主権と国と国土を立てるために、人類は、歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程で、数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交替してきたという事実を、私たちは知っています。そのように犠牲になった数多くの人たちの中で、天の側にいる人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい霊人たちは、いつかはそのような国、そのような世界が成し遂げられることを願うに違いありません。人類が堕落したのち、歴史は、神様が主管されるのではなく、サタンが主管するようになったのです。
しかし、本来この世の中の主人は、神様がならなければなりませんでした。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管される世界であり、神様が主管される国であり、神様が主管される家庭であり、神様が主管される個人になっていたでしょう。ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界であることを知らなければなりません。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な愛の世界を築くことができず、また、絶対者であられる神様が、本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その立場を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いていかれるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。
しかし、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が望まれるその国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることのできるその国を立てるために、人間が知らない中で、歴史を通して時代を動かしてこられました。神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育てていかれました。ところが、アダムの堕落によって一から始まった歴史は、四分五裂してしまったのです。これを収拾して連結していくのが救援摂理歴史です。アダムは、すべての人間の先祖なので、アダム個人を失うことは、全体を失うことと同じです。したがって、これを再び呼んで立てなければなりません。再び立てられるその方は、氏族と民族と国を放棄して忘れてしまうことができる、つまり、神様のみ旨のためだけに生きていく人でなければなりません。
皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通した目的をもっています。皆様もよく御存じのキリスト教の歴史をその代表的な例として、一度見てみましょう。ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属するのを望まず、国に属していましたが、その国に縛られずに自分が希望していた国を探していきました。彼は希望の国を探し立てるために、あらゆる試練と逆境を経なければなりませんでした。ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。ノアに託された神様の願いは、神の国と神の義を求め、個人的な環境を克服していくことでした。
彼が春夏秋冬、一日も欠かさず、百二十年の試練過程を通過したその苦衷はいかなるものだったでしょうか。家庭も彼を理解しませんでしたが、ノアはそれらいかなる攻撃の矢もすべて受けながら、百二十年を貫いていきました。神の国と神の義を求める前に、自分勝手に飲んだり食べたりしていては、あとですべて蕩減を受けなければならないという原則をノアはよく知っていたのです。神様はアブラハムとサラを立て、カルデアのウルを発つようにさせました。アブラハムは、ハランが、自分たちの住むべき所であるとは思わず、神様の啓示をもってカナンに無条件に信じて向かって行きました。またサラは、パロ王に引っ張られていってもアブラハムを決して恨んだりはしませんでした。
このように、希望の国に向かって行く彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せても、変わることはありませんでした。ヤコブは、自分に下された祝福には、希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を打ち砕くことはできませんでした。そのように、み旨は個人、家庭、氏族と拡大され、預言者たちは、次第に世界的な希望をかけて進んでいったのです。イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって彷徨する立場になり、霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。
しかし、メシヤは、天と地のすべての障壁を崩して、一つに統一しなければならない使命をもってこられる方です。この地を中心として構成された理念国家は減んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨です。アダムを中心として願われた神様の望みは、アダムの個体だけにとどまるのではなく、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国を築くことでした。メシヤが成し遂げようとした目的の国が、イスラエルの不信によって壊れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるのです。
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Sunday Dec 05, 2021
平和経 第44話
Sunday Dec 05, 2021
Sunday Dec 05, 2021
13.神様の祖国と一つの世界
日付:二〇〇二年十月十六日
場所:韓国、京畿道、九里市、中央修練院
行事:天上地上和合統一大会
全国から集まった宗教界、政治界、学界の指導者の皆様、そして高名な平和大使の皆様。きょう皆様は、平和世界に対する希望を抱いてこの場に集いました。私は、この意義深い席において、「世界平和超宗教超国家連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と一つの世界」に関するみ言をお伝えしようと思います。
今日、この地上に生きている人間たちは、神様があらかじめ告げてくださった神の国と神の義を見つけることができずにいます。ですから、神の国と神の義を探し出すことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生きては去っていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。
それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残されるようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場におかれるようになりました。すなわち、神の国と神の義の中心である父と家庭、そして国家に関して詳細に知らない人間に転落してしまったので、神様は、そのような無知に陥った人類を悟らせ、その父と家庭と国家がどのようなものかということを教えるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。
ですから、神の国と神の義を探し立てることが、いまだに私たちの希望として、また目標として残るようになったのです。この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもありません。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。それで神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。したがって神様は、ある一時を迎えて特定の国を探し出されました。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。
皆様が望まれる神の国とはどのような国ですか。その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がありません。
国がなければ国籍をもつことができないのです。国がなければ入籍できる基盤もないということです。ですから、現世において私たちがすべきことは、国を探し出すことです。この地上に天の国を編成し、その国籍をもって国を愛し、民族を愛する真で善の父母の血統を受け継いだ勝利の息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を導いて暮らしたのちに死んでこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。
国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべて無駄になるのです。ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題であることを、皆様は知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受ける国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子となり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を、いつももって暮らさなければなりません。真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないという意味です。
しかし、神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。サタンの王権に勝利したのちにこそ、天の国が成立するからです。私たちは、神の国を仰ぎ慕います。それは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠の愛が存続できるところです。また、自分自らが誇れるところであり、自己の価値を一〇〇パーセント認定されるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから、人間は、天の国を慕い、憧憬するのです。
私たちが行かなければならない道は、心から行きたいと思う道であり、私たちが探し求め、築かなければならない国は、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが所有すべき財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。また、私たちが泣くときには、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶときにも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追い求めなければならない、最高の望みであり、願いなのです。
人は誰でも、自分の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らず、神の国と神の義のために、希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いで理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。
皆様には、そのような国がありますか。ないので、その国を探し求めて築かなければならないのではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国です。万民が行くことのできる国です。この国を成し遂げるにおいては例外がありません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するのです。そのようにして個人を統一でき、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、神様が彼らをすべて主管されるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨とならざるを得ません。
もし地上で国家の復帰を自分の生涯において果たすことができずに死ぬ場合、皆様は、霊界に行っても、天の国に属した人としての価値をもつことはできません。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それが本来、神様の創造基準だからです。
皆様。私は今、地上に羨むものがありません。世の中のものには関心がない人です。ただ、「神様が保護できるその国において死ななければならないのではないか。私がそのように生きてから逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが私の願いなのです。
そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければならない道です。
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Sunday Dec 05, 2021
平和経 第43話
Sunday Dec 05, 2021
Sunday Dec 05, 2021
神様の最後の警告を深刻に受け入れるべき
絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、論理的にも可能な説明です。ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。
堕落した人類を救おうとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を一〇〇パーセント治める生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって神様は、歴史的に、時代や文化、そして地域的な環境や条件を考慮して、必要適切な宗教を許されたのです。そして人間は、宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道を一つ一つ開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいとい宗教えはありません。この世で裕福に暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七•ニー)と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊かさと権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができます。宗教によってその方法は異なるかもしれませんが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を主管して生きることができる道に導くことが、宗教の使命でした。このように神様は、六千年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人、賢人も、どのようにすれば私たちの心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就できるかを明らかにして教えることができなかったのです。どうしたら心を中心として体を完全に征服できるのか、ということについて教えることができませんでした。
人類は、平和の基盤を見いだすことのできるところ、すなわち、父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、兄弟が永遠に一つになり、父母と子女が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる心と体の統一点を提示できなかったのです。しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地が待ち望んできた人類の真の父母が、今やこの地上に顕現して、すべての貢任を一人で負い、復帰摂理を成功裏に遂行しているからです。混沌と放蕩によってもつれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。
皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上、天上天国が連結されるのです。
霊界のメッセージの忠言
私たち夫婦は、人類の真の父母の資格をもって、既に全霊界を統一しました。四大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、ムハンマドはもちろん、彼らの高弟級の百二十人ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「統一原理」と「統一思想」を学んだのちに送ってきた彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って「原理セミナー」を修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。
今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永生のために準備しなさいというメッセージです。つかの間の地上生活で、貴い一生を浪費せず、誰もが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備して来なさいという忠言で満ちています。
皆様。これは何を意味するのでしょうか。第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を、燃える炎のような目で見守っていらっしゃる神様であられます。
御自身の懐を離れてサタンのもとへ行った人類が、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。放蕩息子になって離れていった子女が、懺悔の涙とともに父の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の父母様を慰め、真の父母様に侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。
第二に、霊界の実在を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいというむちとしてのみ言です。神様が見守り、数千、数万の聖人や賢人、そして皆様の先祖が、皆様の日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、誰があえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。
今からは、遠からず皆様も霊的な体験をすることになるでしょう。皆様の先祖が動員されて、皆様の生活と考えまでも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの統一信徒たちは、既に生活の中でこのような境地を経験しています。
愛する祖国の同胞の皆様、そして本大会を見守る世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。人類の真の父母であるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人と賢人と先祖が降臨し、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に恵まれた人たちです。
今後、全人類は、人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するに当たり、召命された責任を果たしてくださることを促しながら、きょうの私のお話を終えようと思います。神様の限りない祝福が皆様の家庭と国家に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。
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Thursday Dec 02, 2021
平和経 第41話
Thursday Dec 02, 2021
Thursday Dec 02, 2021
神様を解放しなければならない私たちの責任
それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。今日、私たちの周辺で、堂々と我がもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、正に私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。
他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や都合だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落が引き起こした行真の片鱗なのです。しかし、これは、創造当時に神様が計画された本来の目的ではありません。神様もこのような世の中を願われず、人間もこのような世の中に生まれて暮らすことを願いませんでした。したがって神様は、このような悲惨な歴史、悲しみと苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すことを目的として立て、この堕落した世の中を収拾してこられているのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。
堕落したアダムとエバの子孫に転落した人類になりましたが、人間には誰しも本然の世界を指向する本心が残っているので、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、困難であるとしてもかなえざるを得ない理想として残されたのです。神様は、堕落した人類に、時代に従って、新しい理想と新しい心情を取り戻してあげるために、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。
もし、そのような理想を成就する一日が、天と地に訪れなければ、また、天と地を動かすことのできる中心存在、そしてその中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天地が一つになって一つの目的を指向できる道を開くことができなければ、この地上に真の自由と平和と理想が訪れないのです。そうなると、人間は蕩減復帰の歴史過程から抜け出すことができなくなるでしょう。
このような事情があるので、神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想をもってお訪ねになることもできません。反対に祭物の時を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創造理想もこの地上でその実を結ぶことはできないのです。
ですから、私たちは、神様の胸にしこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげる責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。私たちは、堕落した人間なので、堕落以前の本然の状態を取り戻し、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場を取り戻し、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を取り戻さなければならないのです。
私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活できるその立場を取り戻し、その立場に立たなければならないようになっています。この課題を成就するために、今日の私たちには、新たに救援摂理が残るようになったのです。
全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなければ、神様の愛を中心として人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着できる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理において、多くの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史を綴ってきたという事実を知らなければなりません。
しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。
絶対者、創造主によってつくられた万物も、創造主の愛を受け、また創造主と一つになることが目的です。したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を身代わりする位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれる証票であることはもちろん、万物と人間を結んでくれる鎖でもあるのです。
ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないのです。蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失したとき、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。そのような条件を立てることを「蕩減」といいます。
しかし一般社会では、「蕩減」という言葉をそれほど重要視していません。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて、私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためなのです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、喉が張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要なく、「神様の解放」や「人類の解放」といった単語も必要ない世界になっていたでしょう。
堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。
イエス様は、この地に来て何をしたでしょうか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架を中心として愛を施すことに我を忘れて逝った人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました。皆様の人生においても、愛を受けようという方向性から、愛を与えて生きようという方向性に転換し、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるでしょう。愛を受けようという意識ばかりをもった人々が暮らす所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないのです。
すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じ、接することのできる人格体になれば、皆様は死亡の世界で苦しむ多くの民を見るとき、涙なくして向き合うことができないはずです。青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見るとき、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、我知らず与えようとする愛の発露なのです。
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Thursday Dec 02, 2021
平和経 第42話
Thursday Dec 02, 2021
Thursday Dec 02, 2021
自由と平和の前提条件は統一
自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活について一度考えてみてください。二人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受できるでしょうか。夫婦が一つになれなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。
個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けるのではなく、愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界は訪れることはありません。変わることのない神様のみ前に、いつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒瀆です。変わることのない愛の前に、変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒瀆です。
私たちは、神様と苦楽を共にできる基点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一できる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動が、正にこのような運動なのです。これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。これは、私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく、宿命的なのです。宿命は変わらないものです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶対に逃れられない天命です。
皆様。私たちが人生を生きながら、誰でも一度は平和の起源、あるいは幸福の起源がどこなのか、という疑問をもったことがあるはずです。果たして平和と幸福の起源はどこでしょうか。それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。問題はどこにあるのでしょうか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観をもつかということが、限りなく重大な問題なのです。
私たちの小さな胸の中では、六千年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第一次世界大戦も激戦であり、第二次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争だったのです。長くて五年を越えることのない戦争でした。
ところが、皆様自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているのです。
しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。高い天も恐れずに立ち塞がっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。
睡眠を主管しなければならず、食欲を主管しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くからこの道を出発しながら「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」という標語を掲げて、一生の間、闘ってきたのです。
聖書では、今日の人類を「孤児」と言いました。国家も「主人がいない国」と言いました。皆様の心は、ほんの一時でも真の平和を享受したことがあるでしょうか。皆様の国には主人がいるでしょうか。
昨今の政治の現実を見てください。この国、この民族を真に愛し、生命を捧げて統一を成就しようとする真の愛国者をどこに見いだすことができるでしょうか。心の病にむしばまれていくこの国の若者たちを救ってあげる思想や理念を、誰が提示できるというのでしょうか。実に切なく、悲痛な思いを抑えるすべがありません。このようなことは、すべて私たち個々人において、一心一体一念の基準を立てることができていないことに由来するものです。心と体の統一なしに、いかに家庭の和睦や国家と世界の平和を願うことができるでしょうか。
私たちの本心が平和と幸福と統一を願うのは、永遠不変の真理です。しかし、問題は私たちの肉身です。心を包んでいる器なので、好き勝手に脱ぎ捨ててしまうこともできず、時々刻々と色合いも、方向性も変わってしまうこの体を、どのように扱うかということが鍵です。
堕落人間の体はサタンの王宮です。それで、使徒パウロも、「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ七・二三、二四)と嘆きました。
私たち自身を深く見つめてみれば、善と悪の二つの目的を指向する要素が内在しているのを発見することができます。善を指向する心があるかと思えば、正反対に悪を指向する体があります。これを解決できなければ、歴史的に怪物のような怨讐である体は、いつまでもそのまま残り、永遠に私たちを苦しませるでしょう。使徒パウロの嘆きも、正にこの点を指摘しているのです。
心身一体を通した人格完成
皆様。世界平和を成就する道は、戦争ではありません。お金と権力と知識もその解答ではありません。国連の力でもできません。利己的な個々人の欲望と自国の利益にばかり血眼になっている国連の舞台では、何も期待できません。
私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。
世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。人間の心と体の分裂が拡大すればするほど、それに従って葛藤と苦痛も大きくなります。私たちの心は、神様の監視所であり、体はサタンとの一線です。したがって、私たちは、心と体の不一致を狭め、衝突を避け、ついには一つに統一させなければならないのです。私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。
皆様。世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の衝突と戦争に至るまで、推測できないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。いくら大きな問題でも、調べてみれば結局、男性と女性の問題に集約されることは否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大され、各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性に関わる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておくならば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるでしょう。
神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとされたのです。彼らがもし堕落せずに神様のみ旨どおりに成長し、人格完成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築き、罪悪と苦痛のない理想天国を創建したでしょう。
その世界が正に永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流し、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことのできない絶対善主権の世界になったのです。そのような世界で、どうして心と体の葛藤を想像することができ、家庭の不和を心配できるでしょうか。数千年間、天と人類を弄んで蹂躙してきた悪魔サタンが出現するようなことはあり得ないのです。このように、最初のボタンをかけ違えた人類歴史ですが、天は私たちをお捨てになりませんでした。失ってしまった子女を取り戻す復帰摂理に、六千年問心血を注いでこられたのです。ただの一度も、御自身の人間創造を後悔したり、サタンに翻弄され挫折したりすることなく、ただ一途に、真の愛と許しの心情で復帰摂理を展開してこられたのです。
きょう皆様がこのように、貴いみ言を通して、神様に対してより深く学び、知るようになったということは、偶然ではありません。この場まで皆様を導いてきた天と先祖に対して、感謝する心をもたなければなりません。今、私たちの最優先課題は、心身の一体化を通じて私たち自身の人格完成を成し遂げ、サタンの支配下で四分五裂した家庭を収拾して、真の家庭を探し立てることです。上は一代目の位置にいる祖父母に対して天のように侍り、二代目の父母の前に絶対服従しながら、三代目の立場に立った子女たちは、絶対夫婦となって、子女を罪なく純粋に養育し、一つの家庭において三代家庭圏を立てるようになれば、天はその家庭と永遠に共にあるようになります。皆様の家庭は、神人合徳の境地において、人類に永遠の平和と幸福をもたらす揺籃となるでしょう。
皆様。本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。この心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。
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Monday Nov 29, 2021
平和経 第40話
Monday Nov 29, 2021
Monday Nov 29, 2021
12.平和の根源は神様
日付:二〇〇二年八月十日
場所:韓国、光州、新陽パーク•ホテル
行事:天地父母統一安着生活圏韓国大会(真のお母様)
愛する祖国の兄弟姉妹の皆様、そしてこの歴史的な大会を見守っている世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。私たちは、いよいよ実に歴史的で摂理的な時を迎えました。六千年間、天と地がこれほどまでに待ち望まれてきた平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたということです。
天は、歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許可され、人類は、その宗教圏内で平和の世界を成就するために、不断の努力を傾けてきました。しかし、人類はきょうも、あらゆる不条理と不道徳の中から抜け出すことができずに、うめき苦しんでいます。津波のように押し寄せる堕落の風潮を食い止めることができないまま、激しい波にのみ込まれる自らの姿にふと気づき、驚愕を禁じ得ないのが現代人たちの姿なのです。それでは、私たちには永遠に希望がないというのでしょうか。私は、夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その預言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。
人間の創造と堕落
私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。
どうか心の扉を開き、無知と混沌で綴られた今日の終末期を生きている皆様に下さる天の警告を、謙虚に受け入れる知恵を見せてくださるようお願いします。
本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず、真の愛が何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。それだけでしょうか。今まで六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。
このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。
これらはすべて人間堕落の結果なのです。世界中の数多くの国家の中には、環境が良くなくても良い種をもつ国家がありますし、環境が良くても悪い種をもつ国家があります。もしこの世界がすべて良い種を受けていたとすれば、すなわち、もしこの世界がもともと良い木から採れた良い種を、良い環境で育てていたなら、今日のこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界になっていたに違いありません。しかし、不幸にも私たちが暮らしているこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界にはなっておらず、善悪が混在する世界になっています。周囲に現れる環境は、善の環境というよりは悪の環境になっています。このように周囲が悪の環境に取り囲まれているので、いくら種が良くても、良い実を結ぶことができないのです。
人類歴史を見ても同じです。人類が善であるためには、まず人類を形成している個々人が善でなければなりません。堕落していなかったなら、私たち人間は、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜び得るそのような人々として育ち、そのように育った人類なら、この地上に創造本然の文化世界を開花させ、文化世界を創造したその中で、私たち人類は、平和で、幸せに暮らしていたでしょう。万物が春夏秋冬の季節に従って巡ってくるのと同様に、人類歴史もまた、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界になるべきだったのですが、堕落することによって、人間の世の中では、人々が喜び得る希望のとき、栄光の一日を迎える喜びの出発ができなかったのです。
人間始祖アダムとエバから生まれたカインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた子女ではありません。神様の真の血統を伝授されるアダムとエバが、堕落行為を通してサタンの偽りの血統を受け継いだがゆえに、彼らから生まれた子女たちは、神様の子女ではない、悪魔サタンの子女になるしかない運命のもとに生まれついたのです。ですから、イエス様もヨハネによる福音書第八章四十四節で「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と戒めたのです。
アダムとエバは、神様のむちで追い出された私たちの最初の先祖となりました。しかし、本来アダムとエバは、神様から「愛するアダムよ、愛するエバよ、私はあなた方を、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために造ったので、あなた方は平和と幸福の主人であり、父母であり、王である」という祝福を受けるべきだったのです。言い換えると、アダムが、千秋万代、永遠に変わることなく地上の王として、また天上の王として立たなければなりませんでした。天地が生じ、神様と人間の関係が生じたのち、初めて真の主人、真の父母、真の王の名をつけられる方が誰かというと、正に私たちの始祖アダムだったのです。
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Sunday Nov 28, 2021
平和経 第39話
Sunday Nov 28, 2021
Sunday Nov 28, 2021
11.あふれる感謝と愛を込めて
日付:二〇〇二年二月十五日
場所::韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル
行事:二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連舎二〇〇二総会」(真のお母様)
尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。私の祖国、韓国で開催される今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の開会式典で皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。
絶対的道徳性教育をしてこられた文鮮明総裁
私は生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起こるのを目撃しました。韓国に初めて来られた方々は、韓国の文化を経験し、飛躍的に発展した韓国の姿を御覧いただくことを願います。私たちは新千年紀を迎え、過去の暴力と苦痛を清算し、現代科学技術を総動員しながら世界の平和と繁栄が訪れることを期待しました。
しかし、昨年、韓国で起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明と調和する精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を解決できずにいるという事実です。
今日の世界は相対的道徳観にあふれていますが、私の夫である文鮮明総裁は全生涯を捧げて神様に対する絶対信仰と絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛に根本を置いた絶対的道徳性を教育してきました。
皆様の中の多くの方々は、既に私の夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁を知っておられることと存じます。しかし、きょうは私だけが知っている総裁について御紹介しようと思います。
夫との四十二年間の結婚生活を経てきたこの時点で、神様以外には、夫のことを私ほどよく知っている人はいないでしょう。
平和世界実現のための人生
総裁が教えている絶対価値と御自身の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。私は、総裁が朝から晩まで、ただ他のために生きるその生き様と、人間生活のすべての分野で塀を崩し、究極的には神様と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範される姿を見守ってきました。
私が初めて夫に会った時を考えてみても、世界はまだ軍事力を軸にした二つの世界、すなわち東西冷戦によって韓半島は六•二五動乱の悲劇に遭い、南と北が二つに分かれている時でした。
数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が建てた初めの教会を見ても、捨てられた紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地面の上に立てた土壁の家でした。そのような状況でも総裁は、神様がこの地に新たな希望を下さるという約束に対していささかも疑いませんでした。
北朝鮮の共産治下の監獄暮らしの中、残酷な拷問で何度も死の峠を越える時や、他の宗教団体の指導者たちの偽りの告発によって韓国で牢屋暮らしをされる時も、総裁は自分が処した苦境ゆえに神様に助けを求めるような祈祷は、絶対にされませんでした。
かえって神様を慰労され、必ず神様のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回も誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけでした。そして、いかなる苦境に処したとしても、例を挙げれば、食べるものがなくて飢える時や、キリスト教と言論、そして政府までもが共謀して夫を迫害する時も、神様に対する愛と人類に対する哀れみは、より一層大きくなるばかりでした。
歴史上の預言者たちがそうだったように、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。天に対する絶対信仰の手本を見せてくださいました。十六歳(数え)になられた年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた、純潔と自由と喜びが充満する世界に人類を導くべき使命を帯びて選ばれたことを悟られました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために絶対信仰に基づいた生の原型を広げてこられたのです。
犠牲と絶対的服従の道
総裁は、天から召命を受けたその日から、言い表すことができない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んでこられました。その中でも最も胸を痛めたことは、救ってあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくる時でした。
それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり、躊躇されたりしたことがありません。そして、自ら手本を見せ、神様に対する絶対服従の道を教えていらっしゃいます。何よりも、私の夫が解き明かす絶対愛に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものであると思います。数多くの宗教指導者たちや学者たちも、自分たちの教団における建立や教理伝播のために献身しています。ある方たちは、慈善事業や人道主義的なことを大々的に行われた方もいます。
しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に厳しかった時でも、総裁の教えには変化がありませんでした。「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の三分の二を人助けのために使いなさい」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注がれました。神様の願いがすべての宗教を一つにすることであることを御存じであるからです。
総裁は、統一教会の運動自体のためよりもはるかに多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してこられました。一九七五年に創設した統一神学大学院の学生たちは、自分の教団の教理を学ぶことよりも、はるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、またそれらの教理を学んでいます。
アメリカ政府が不当に総裁を断罪し、監獄に送ろうとするさなかにおいても、文総裁は、「ワシントン•タイムズ」を創設して、アメリカが冷戦を終息させて世界平和のための摂理的な役割を果たせるように援助したのです。皆様も御存じのように、総裁は、世界的に多くの他の言論機関にも財政的な支援を惜しまれず、今も継続して、統一教会自体の出版事業に使うよりもはるかに多くの予算を、それらのために注いでおられます。
総裁の不屈の意志と、自分のことを心配する前にまず人のために犠牲になる、そのような生き方は、神様の無条件的な愛に起因しており、これこそ、愛の真の意味であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことのできる解決方法であると私は確信します。
絶対愛の見本を示した総裁
総裁は、自ら手本を示すことによって絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係こそは、背信や離婚があり得ず、今日、世界的に蔓延している性病から防御する、唯一で真の道なのです。
総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育しながら見せてくださった、確固として不動な献身的姿について誤解する人もいました。ある時は、その絶対的基準のゆえに、もう少し易しい道を選ぼうとする人たちのねたみと嫉妬によるでっち上げの非難もたくさんありました。
しかし、時が過ぎていきながら、だんだんと多くの人々は、正と不正、そして善と悪については折衷や妥協はあり得ず、私たちの生命と神様のための献身的な愛には、少しの譲歩もあり得ないことを悟るようになりました。
私は一生を通じ、総裁との安らかな時間をほとんどもつことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば、私はこの世の誰の妻よりも大きな夫の愛を受けて暮らしてきました。総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの実を結びました。
夫自らが見せてくださったとおり、私の家族は神様のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければならないと教えてこられたのです。
十三人の子女と二十人を超える孫たちがいますが、私たちは、家族ぐるみの休暇を一度も過ごしたことがありません。しかし、私の家族は、神様の御加護の中で、感謝の生活をしています。
真の夫であり、真の父母である文総裁
私たちが初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員と共に暮らしていた時でした。誰よりもまず、夫は芝生を刈る機械の操作法を学ぼうとしました。自分一人でカーペットを敷く方法を体得されもしました。芝生一つ一つを刈りながらも、神様と人類に美しい芝生の庭を贈ろうという心情で臨まれました。カーペットに打つ釘一つ一つにも、同じような心情を注がれたのです。
また、私たち夫婦の生き方は、他の人たちとは異なりました。一生を通した犠牲的な生涯の結果として、世界的に数百万の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は、神様が御自身の献身的な息子、文鮮明総裁のことを本当に誇りにしていらっしゃるだろうと思います。
きょう、私の生涯で初めて、このような公式席上で、あふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様に御紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。紳士淑女の皆様。私と共に、この「世界文化体育大典」の創始者であり、神様の真の息子であられ、真の夫であられ、真の父母であられ、真の師であられる私の夫、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。ありがとうこざいました。
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