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Sunday Nov 21, 2021
平和経 第28話
Sunday Nov 21, 2021
Sunday Nov 21, 2021
三十六万組の国際合同祝福は世界平和の祭典
今や世界は、大変遷を避けることのできない時に至りました。これを宗教的用語で表現すれば、「人類歴史の終末」に至ったと言えるでしょう。しかし、私の言う「終末」という言葉は、暗澹(あんたん)と滅亡を意味するものではありません。
創造主であられる神様の立場から見る「終末」とは、誤った世界、すなわち堕落世界の終息であり、これに続く正しい世界、すなわち創造本然の世界の新しい出発を意味するのです。ですから、「終末」とは、正に望みであり、希望なのです。
それでは、この物質文明から精神文明への歴史的転換は、何によって実現されるのでしょうか。それは、神様の真の真理の出現によって始まるのです。真理は光であるといいます。暗い夜を解放する道は、夜が明けて朝に太陽が昇るようにすることです。その歴史の転換の太陽が中天に昇りつつあります。それがすなわち私が発表した「統一原理」であり、真の愛の大真理なのです。
私は、神様の召命を受け、神様がかつて人類歴史の背後に隠しておかれた天宙の大原理を発掘するに至りました。それは人間が歴史にわたって渇望してきた大真理であり、すべての人間が真の愛に回帰し、真の世界平和を具現できる大原則でした。あたかも医者が病気を治そうとすれば、まずは病気の原因を究明しなければならないように、この原理は、今日の人類社会が塗炭の中で苦しみ、非原理的世界を築き上げるようになった人類始祖の堕落の経緯を明白に究明してくれました。原因が究明されたので、次にその処方を用いることができるのです。私はこれまでの四十年間、その処方をもって東奔西走しながら、これをこの世界に伝播することに専念してきたのです。
私はきょうここにおいて、そのいくつかの大原理を明らかにしようと思います。しかし、このようなかたちでは、皆様は到底深く理解することができません。皆様は真剣に「統一原理」を研究する必要があるのです。自分の永遠の生命と本当の世界平和がここにあるとすれば、それは何よりも先行すべき優先的努力でなければならないと思います。
その第一の大原則は、神様は生きておられ、その神様は人類の父母であるということです。人間と神様の関係は親子関係です。神様が私に示してくださった一番目の真理は正にこのことでした。
第二に、神様の本質は真の愛ですが、真の愛を具体的に現すために、天地万物と人間を創造されたのであり、また人間は神様の対象存在だということです。神様は、無限の真の愛を条件なく人間に注がれようとされるのです。
第三に、神様は、無形の父母であられる御自身の実体として地上に真の父母を立て、人間はその真の父母と一体理想を完成することによって、真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、永遠に救われるという大原理です。
ところが驚いたことに、今私たちは、その真の父母の時代に生きているのです。人類歴史を見ると、これほどまでに恵まれた時代は以前にもなく、以後にもあり得ません。そう考えると、私たちこそ、天運に乗って生まれた幸運の世代にほかなりません。
私と私の妻は、二日後の八月二十五日にここソウルにおいて、真の父母の名で三十六万組の国際合同祝福結婚式を挙行する予定になっています。私はこの祭典を、真の世界平和の祭典と呼んでいます。今日、真の世界平和がない理由は、その原因が家庭制度の崩壊にあると言えます。神様の真の愛と一体理想を完成していない限り、私たちはその家庭を真の愛の家庭とは言うことができません。
世界百六十ヵ国で、人工衛星を通して同時に挙行されるこの祝福結婚式は、無形の父母であられる神様のもとに実体として来られた真の父母様をお迎えし、人類が縦的に真の愛の鎖を掛ける儀式です。同時にこの儀式に参与する人たちは、国境と人種と宗教を超越しているので、これはまた、真の父母の前に一つになる真の兄弟姉妹、すなわち横的な同胞愛の鎖を掛ける儀式にもなるのです。
人類始祖アダムとエバの堕落によって失った神様の真の愛、真の生命、真の血統によって復帰する人類の大転換儀式になるのです。ですから、六千年間、悪魔サタンの束縛と主管圏の中で呻吟していた人間たちが、初めて真の解放を受ける感激の瞬間でもあるのです。つながれていた足かせが断ち切られ、神様の真の愛の自由天地の中に帰ってきて、ホサナの歌を歌う歓喜の祭典、その祭典がこの時代に真の父母の顕現によって可能になったのです。
真の平和は創造本然の世界に復帰すること
皆様。この儀式はまた、神様のみ前に結婚によって結ばれた男性と女性が互いに純潔を誓う儀式でもあります。真の家庭の破壊は、純潔の破壊を意味します。不倫の愛が人類始祖の堕落の原因だったので、その子孫である今日の人類は、淫乱が渦巻く中でその不倫の愛の供え物になってきました。
これがすなわち今日、世界的現象として現れているフリーセックス、同性愛、背徳的な愛の関係の現象であり、今日、人間社会における愛の乱脈の様相は、動物の世界を彷彿させるのです。
このように堕落した人類を、偽りの先祖の血統から完全に解放することによって、今や人類は神様本然の純潔の世界へと復帰できる時が来ました。そして、このように世界を解放する転換の軸となる方が真の父母なのです。
新婦は、新郎が世界の全男性を代表する神様の息子であり、真の父母の実体分身であると考え、彼を主体として立てて純潔の愛を誓います。新郎は、自分の新婦が世界の全女性を代表する神様の娘であり、真の父母の分身であると考え、純潔の愛を誓います。
このように結ばれた夫婦の間に、エイズのような恐ろしい人類破壊の疾病がどうして浸透できるでしょうか。できません。エイズは「終わりの日」に人類の純潔を試しているのです。しかし、私たちの社会はエイズに対する解決を、神様のみ旨とは関係なしに、ただ、コンドームや特殊な薬を発明して解決しようとしています。しかしエイズは、そうしたからといって解決できる問題ではありません。この問題の真の解決は、道徳性の回復にあり、真の愛の回復によってこそ可能なのです。
エイズは、紀元二〇一〇年までにその感染者数が十億に達するという報告が、ハーバード大学のダナ•ファーバー研究所から発表されています。これは人類の存亡を脅かす数字です。エイズは、ただ人類が神様の願われる真の愛に回帰する時にのみ解決されるのです。これは男女の純潔な愛を意味します。私が語る純潔とは、一時期女性だけに強調されていた封建的な純潔のことではありません。神様の大原則から見た男女共通の純潔のことをいうのです。
それは、男性と女性が結婚前まで共に貞操を生命視し、これを守りながら理想的相対を探し求め、祝福を受けて結婚したのちには、主体と対象が限りなく愛し合いながら永遠に暮らす一男一女の理想です。
私は今日、女性よりもかえって男性たちの純潔を強調したいと思います。今日世界の男性たちが無節制な愛に転落することによって派生する被害が、全人類の幸福を破壊する原因になっていると言っても過言ではありません。
真の父母と真の愛の革命
しかし、今日の堕落した世界、不倫の愛が波打つこの世界が、神様が念願とされた本然の真の愛の秩序に戻ることは、人間の力では不可能です。これを可能にするものが神様の力であり、その神様の力の顕現がこの地上における真の父母の出現なのです。
人類の真の父母は、地上に顕現し、真の愛の革命の火をつけました。その革命的過程を経ずに真の愛の秩序を立てることはできません。この真の愛の革命の烽火は、今その炎が高々と燃え上がっています。国際合同祝福結婚式こそ、この真の愛の革命の炎を燃え上がらせる祝祭であり、地軸を揺るがす新世界創造の広場なのです。
今は三十六万組ですが、これが三百六十万組になり、三千六百万組になり、三億六千万組、三十六億組へと広がっていくとき、人類社会から初めてエイズが撲滅され、神人が一体化した純潔な真の愛の世界が実現されるのです。これは単なる夢ではありません。神様の地上天国建設の大きな摂理の中で、その実現は必至の事実です。人間の業ではなく、それは神様のされるみ業だからです。
尊敬する指導者の皆様。今日、二十世紀の科学は、世界を一つの小さな地球村に縮小させました。人類はこの地球村で暮らす地球家族です。ここには本来、真の愛の理想世界だけがなければなりませんでした。今や世界人類の真の平和は、このような神様の創造本然の世界への復帰によって達成されることを肝に銘じなければなりません。
皆様がこのような真の平和の使徒になってくださることを切に願います。私は、きょう皆様が真の平和の使徒であるだけでなく、私が生涯を捧げてきた真の世界平和の事業における貴重な同志になってくださったことに対して、感謝を捧げる次第です。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が満ちあふれることをお祈りします。
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Friday Nov 19, 2021
平和経 第27話
Friday Nov 19, 2021
Friday Nov 19, 2021
7.真の平和世界
日付:一九九五年八月二十三日
場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル
行事:第三回「世界平和会議」
尊敬する議長、尊敬する元、現職の国家元首ならびに紳士淑女の皆様。きょう私は、第三回「世界平和会議」の開幕の冒頭において、参加者の皆様に深い敬意を表しながら、世界平和に対する所信を披瀝できることを誠にうれしく思います。
中南米大陸に対する切なる忠告
今回の第三回「世界平和会議」は、過去のどの時よりも絶大な関心を呼び起こしています。皆様が、遠路はるばる旅行しながら、真の世界平和の働き手となることを希望して、このような盛大な会議を可能にしてくださったことに対して、衷心より感謝を捧げる次第です。
私は今年に入って、中南米大陸に神様のみ旨があることを知り、中南米二十三ヵ国を歴訪しながら、真の世界平和の模索に全力投球しました。私は行く国ごとにその国の主要人士たちと会い、私の所信を披瀝し、そのうち八ヵ国では、その国の大統領と単独会談をし、温かい友情の中で、世界平和について共に意気投合する貴重な機会をもちました。私はこの中南米の各国で「真の家庭と私」という題目で講演をしました。
私は、このように中南米大陸を東西南北に駆け巡る間に、多くの理想を描いてみました。中南米三十数ヵ国の国家社会が、真の平和を実現して理想国家を築くために、何をすべきか、どうあるべきかを考えてみたのです。
中南米大陸は、無限の潜在力をもっています。そこには無限の資源があります。そこには尽きることのない無限の人力があります。肥沃な平和の楽園、雄大な山と大自然、創造本然の汚染されていない美しい大自然!二十一世紀には必ず開花する、南米の全盛時代を夢に描いてみました。
このような無限の可能性を秘めた中南米大陸にお願いしたい切なる忠告があります。それは「先進諸国の前轍を踏んではならない!」という忠告です。現在、開発途上にある国々は、盲目的に開発された国々が犯した誤謬を犯してはならないということです。
私がなぜこのような忠告をしようと思ったのでしょうか。それは、既に開発された国々の前途が暗澹たるものであるのを見ているからであり、その先進諸国が、人類が心から願う幸福をもてずにいるからです。
二十一世紀は本然の世界へと帰っていく世紀
私はその標本としてアメリカを例に挙げようと思います。私は、アメリカを心から愛している者です。またこれまでの四半世紀を主にアメリカで過ごしながら、世界平和の土台をアメリカにつくろうと心血を注いできた者です。
私は、このアメリカを正しい方向へと導くために全力投球する中で、アメリカから迫害も受けてきました。しかし、アメリカを愛する心、世界平和のためにアメリカに期待する心は、今でも少しも変わりはありません。
一九六〇年代に私が初めてアメリカに行った時でも、世界中の人類は、アメリカのようになることを望みました。『大草原の小さな家』のような家族愛あふれる農村の家族、日曜日になると全国津々浦々から響き渡る讃美歌の声、正義の使徒スーパーマンは、正義というアメリカ精神を象徴するものであり、高層楼閣が立ち並ぶ都市の通りには、紙くず一つ見ることのないほどに秩序整然としており、美しかったのです。その当時、全世界はアメリカを羨望の目で見つめていました。
それから三十数年が過ぎた今日のアメリカはどうなったでしょうか。輝いていたアメリカは色あせてしまったのです。解決できない難問題が山積しています。その中でも、人間の道徳性の衰退と犯罪の増加は、注目に値するものになりました。殺人、麻薬、暴動、離婚、幼児虐待および誘拐、若年未婚者の妊娠など、アメリカから流れてくるニュースは、信じられないものがあまりに多くあります。これは、アメリカを愛する私の胸を痛めています。
現在、このような現象は、単にアメリカでのみ起きているのではありません。暮れていく二十世紀のあらゆる先進諸国は、今一様に悩みの中で苦しんでいます。その原因はどこにあるのでしょうか。その原因は、先進諸国がみな物質文明の極致を謳歌する中で、今ではその物質文明の罠にはまつてしまったことにあるのです。
物質が精神を支配し、心を支配していった結果、人間の心霊が物質の奴隷になってしまったのです。そして、その結果は真の愛の没落です。物質的に豊かであり、都市には高層の楼閣が立ち並んでいますが、人間の心は砂漠のように荒れ果て、そこでは真の愛のオアシスは見いだすことはできないので、人間の生活は殺伐この上ないものになったのです。そこには真の愛がないので、人間の利己主義ばかりが生い茂るようになりました。この利己主義の最大の被害者は美しい大自然です。
私はこの平和会議の一つの主題として、地球と人間の環境の回復に関する討議も含めましたが、私たちの自然環境は、今ではもう破壊されるだけ破壊され、水と空気は汚染されており、人類を保護してくれていたオゾン層まで破損されているのですから、このままいけば人類は、自ら構築した物質文明のために自滅を免れることができない境地にまで至るでしょう。
しかし、何と言っても物質文明が与えた極度の被害は、あらゆる国家社会の基礎となる家庭の破壊にあります。家庭は社会の細胞です。私たちの体の中にある数十兆の細胞一つ一つが健全であれば、その体は健全な体ですが、その細胞が破壊されれば、その体全体が弱くなり、結局はその体も破壊されるのです。
ですから、この地球上で真の家庭制度が破壊されていくことは、すなわち世界人類全体の破滅が遠くないことを意味するのです。今、私たちの社会は、本来神様が設計され、創造されたものとは正反対の道を走っているのです。
二十一世紀は、どちらにしろ神様が意図される創造本然の世界へと帰っていく世紀です。物質文明の時代は過ぎ去り、精神と心が主人となる精神文明の時が訪れるのです。その二十一世紀が今や五年後に迫ってきています。
このとき、開発途上にある国々は、開発国の前轍を踏まずに、先進国を教訓として物質文明の罠にはまることなく、心と精神が主人となる世界に直接突入してくれることを熱望しながら、私が絶叫したいと思っていた忠告の内容をお話ししました。
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Wednesday Nov 17, 2021
平和経 第26話
Wednesday Nov 17, 2021
Wednesday Nov 17, 2021
真の愛で一つになった夫婦は地上•天上天国の出発地
夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。
ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。
このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちの育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に真の愛を体恤することによって、喜びを感じるようになります。神様の愛は絶対的なので、夫婦は分けられないのが天理原則です。このような原則を失ってしまった堕落した人間世界を復帰して、本郷に滞らなければなりません。そのようにすることによって、「世界平和連合」がその目的を達成できるのです。こうして、家庭天国は国家天国へ、国家天国は世界天国へ、さらに天上天国へと完全解放し、平和の世界へと展開されるのです。
結婚して、夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭になって、平和と理想の出発基地となるのであり、片側である男性と女性は一体となり、神様の相対として、神様の理想愛を完成させるようになります。すなわち、真の愛を中心として、神様は人間を無限に価値ある存在として完成させるので、神様も真の愛を完成させ、神様の創造理想である永遠の理想の愛が宿る理想家庭を立て、理想世界を完成しようとするのです。神様とアダムの家庭を中心として見れば、神様は第一代の先祖、アダムは第二代の先祖、アダムの子女は第三代の先祖の立場です。神様は祖父の立場であり、アダムは父母の立場であり、アダムの子女は息子、娘の立場です。
三代が一つの家庭に定着するので、祖父は天上天国の神様の代身であり、地上世界と天上世界にいる王と女王の立場であり、父母は現在の地上天国を代表した家庭の中心である王と女王の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子と王女の立場です。このようにアダム一族は、神様を中心とした王族になって暮らしたのち、天上天国である永遠の世界に移つて暮らすようになっていたのですが、これが人間の成就すベき目的なのです。
また、家庭を中心として見るとき、祖父母は過去を代表した天の国の王と女王の立場にあるので、神様のように侍り、父母は現在の全世界の家庭を代表した王と女王のように侍り、子女は未来の王子、王女のように愛して暮らしたのち、永遠の天国に入るのです。そこにおいてのみ、永遠の人間の欲望と自由、希望、平和、幸福が完成するようになるのです。
世界平和を成就する道
尊敬する各国の代表の皆様。皆様は、生涯の重要な時期を、皆様の国家の発展と世界平和のために渾身の力を尽くして努力された方々です。皆様のそのような献身的な苦労によって、今日人類は過去よりもはるかに進歩した環境と条件で暮らせるようになりましたが、いまだに私たち人類すべてが待ち望む自由と平和の理想世界は実現しておらず、今、この時間にも民族、人種、宗教間の葛藤と対立によって、世界の至る所で多くの人々が飢え、苦痛を受けて死を迎えているのです。
私は、宗教指導者として早くから神様の召命を受け、人類を戦争と罪悪から救い、平和世界を定着させなければならないという一念で生涯を生きてきました。きょう私が皆様に先ほどお話ししたことは、このような私の召命から出てきた、平和に対する平素の所信と哲学である「頭翼思想」の一端です。世界平和は、権力指向の政治的イデオロギーやその他の物理的力の論理では、決して実現できないというのが「神主義」と「頭翼思想」の観点です。
平和は、神様の真の愛と真理を、個人から始まって家庭、家庭から社会、国家、世界におけるすべての人類が共有し、共に実践することによって、人類は兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を形成するときにこそ実現できることを、はっきりと悟らなければなりません。
このような観点から、「世界平和連合」の創設目的は、神様を中心とした個人の心身統一と夫婦を中心とした家庭から本当の平和の教育と実践が行われることによって、社会と国家、世界の平和を具現しようというところにあります。私たち全員が家庭天国を完成し、ひいては世界平和の主役になることを願う次第です。神様の祝福が皆様と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
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Wednesday Nov 17, 2021
平和経 第25話
Wednesday Nov 17, 2021
Wednesday Nov 17, 2021
家庭は四大心情圏を体恤する基盤
親子関係の真の愛は縦的であり、夫婦関係の真の愛は横的であり、兄弟関係の真の愛は前後の立場で、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦には上弦と下弦、横には左弦と右弦、前後には前弦と後弦の全体を連結した一つの中心点で統一されるのです。その点が球形体の中心点になります。
いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのでしょうか。神様を中心として人間が結婚し、初愛を結ぶ場がすべての完成の結実点であり、中心となるのです。ですから結婚とは、天地人の合徳(和合)であり、縦横、左右、前後の全体を完成するものです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。
ですから、アダムとエバの夫婦は、神様が最も愛する実体対象である第二先祖であり、第二創造主の立場に立つので、神様が第一創造主として感じるものをすべて相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場で、神様の代わりに喜びを感じるのです。第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。
ここで神様は第一創造主であり、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダムとエバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。
このようにアダムとヱパを中心として見るとき、上下(父子関係)が連結されれば、左右(夫婦)、前後(兄弟)が連結され、家庭が完成するのです。この場が、神様を求めて個々人の心身が統一され、男性と女性が統一され、神様を中心として安着できる神様と子女であるアダムとエバが統一された基盤となることによって、平和と自由と幸福と希望が結集される基地になります。アダムとエバをして、有形実体の第二創造主の立場で実体的第三の創造主を刺激的に体恤させたのが、アダムとエバの子女繁殖なのです。
こうして代々、子女、兄弟、夫婦、父母の四大心情圏を体恤させる基盤が家庭です。家庭はすべての真の愛を完成させる基地です。そうして、家庭において神人愛一体を完成し、天地を所有できるようになるのです。すなわち理想的子女、兄弟、夫婦、父母が出発する源泉地となるのです。
ここにおいてのみ、心身統一の男性と女性が現れることができるのであり、また理想的な男女一体を完成した夫婦を見ることができ、理想的な父母が出発できます。また、真の家庭を中心として子女、兄弟、夫婦、父母が完成するモデルが創造されるのです。
このような理想型を、国家と世界を越えて天宙まで拡張、展開するのが、神様の創造理想です。したがって、国家は家庭よりも大きな家庭型であり、世界は国家よりも大きな家庭型であり、天宙も世界よりも大きな家庭型になるというのです。
天宙は四大心情圏を完成した家庭から出発
ですから、家庭、国家、世界、天宙にも、四大心情圏に代わる子女、兄弟、夫婦、父母の型をもつことができるので、家庭より大きな国家には数多くの家庭が入るようになり、家庭は国家のために存在し、世界は数多くの国家が入っているので、国家も世界のために存在し、世界はもっと大きな天宙のために存在し、天宙はもっと大きな中心者である神様のために存在しなければなりません。
ですから、家庭において四大心情圏を完成した基準がより大きく統一されれば、一体理想が実現し、その土台の上に平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって、心身統一と、男女を中心とした家庭統一が重要なのです。神様も成長してこられたというのです。無形の心の中にあった子女、兄弟、夫婦、父母を、実体のアダムとエバとして創造し、子女、兄弟、夫婦、父母となり、第二の自己として体恤されることによって、真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。
私たち人間も、神様のような喜びを感じるために存在しているので、誰もが、ある人の子女、兄弟、夫婦、父母の立場にいるのです。人間は誰でも四大心情圏を中心として家庭を形成するので、家庭は理想的な心情圏を体恤するための基地なのです。
私たちも、神様のように実体の四大心情圏を体恤する人のみが、地上天国と天上天国のどこでも一つになることができます。そのような理想的な人間になるために、家庭を願うようになるのです。このように、人間は心身統一と夫婦統一を絶対に要望します。個人の心身統一ができなければ、すべての面で不合格者になります。そのようになれば、自然と家庭統一はできず、家庭で脱落、国家で脱落、世界と天宙と神様から脱落するので、神様を中心として必死に努力してこそ、心身統一と家庭統一が可能なのです。
皆様御自身は、神様の代身者、第二の神様の立場にいることを知らなければなりません。そうして人間は、誰もが同じように本然の家庭を求め、愛の巣を復帰しなければなりません。
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Monday Nov 15, 2021

Sunday Nov 14, 2021
平和を愛する世界人として 第69話
Sunday Nov 14, 2021
Sunday Nov 14, 2021
紛争のない世界を夢見て
私はずっと以前から、宗教が一つになり、人種が一つになり、国家が一つになる世界を主張してきました。数千年の人類歴史は、この世界を分裂させるような出来事の連続でした。宗教が変わり、権力が変わるたびに国境で分けられ、戦争が起きましたが、今は世界が一つになる時代です。これからの世界は国際平和高速道路を通して完全に一体にならなければなりません。
国際平和高速道路は、韓国と日本を海底トンネルで連結し、ロシアと北米大陸を隔てるベーリング海峡に橋を架け、全地球を一つにする大事業です。そうすれば、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、またイギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで自動車で走っていくことができます。全世界のどこでも、行き止まることなく毛細血管のように連結されるのです。
世界が一日生活圏に変われば、誰でも簡単に国境を越えて行き来することができます。誰もが行き来する国境は、これ以上境界としての意味がありません。宗教も同様です。互いに他の宗教との間で往来を頻繁にすれば、お互いに理解する心が生じ、衝突がなくなり、宗教間の壁が崩れます。また、全世界の多様な人類が一日生活圏に入って暮らすようになれば、人種の壁も崩れます。見た目が異なり、言葉が異なる人種の間にも意思の疎通がなされ、それこそ世界の文化が一つにまとまる文化革命が完成するのです。
シルクロードは、単に絹を売り、香料を買う貿易の道ではありませんでした。東洋と西洋の人種が出会い、仏教とイスラーム、ユダヤ教、キリスト教が出会う場だったのであり、彼らの互いに異なる文化が混合して新しい文化が誕生する場でした。これから21世紀は、国際平和高速道路がそれをやり遂げるでしょう。
ローマが興隆できたのは、世界のあらゆる道がローマに通じていたからです。それほど道が重要なのです。それで、道ができれば歴史が変わるのです。国際平和高速道路が完成すれば、世界は物理的に一つになることができます。道がそのようにしてくれるでしょう。世界を一つに結ぶことの重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。私があまりにも先を行っていると思う人たちもいるでしょう。しかし、宗教者は未来を見通して準備する人なのですから、先を行くのは当然です。そのために世の中に理解されず、苦難を受けたとしても、宗教者であれば当然、未来に備えることの先頭に立たなければなりません。
しかし、国際平和高速道路が完成するためには、多くの国の協力が必要です。日本の侵略を受けた経験のある中国は、日本と高速道路で連結されることをそれほど望みはしないでしょう。しかし、中国を通さずに世界と通じることはできないのですから、中国の心を変える努力をしなければなりません。誰がするのでしょうか。21世紀の国際平和高速道路の牽引車となる私たちが先頭に立ってしなければなりません。
ベーリング海峡に橋を架けることはどうでしょうか。途方もないお金がかかりますが、それも心配することはありません。アメリカがイラク戦争に注いだお金があれば十分に橋を架けることができます。これからは、戦争を起こして人類に苦痛を与えるようなことはあってはなりません。戦争を起こし、数百兆ウォン(数十兆円)のお金を乱費するのは、道理に背く凶悪なことです。今や私たちは、「銃剣を溶かして鋤や鍬を作る時」です。
国際平和高速道路は、世界を一つに結ぶグローバル統合プロジェクトです。一つになるということは、単に互いに離れた大陸を海底トンネルと橋でつなぐということだけなく、世界が平準化されるという話です。技術を独占し、その利益を独占するとき、世界の均衡は崩れます。国際平和高速道路は、世界の地下資源と人的資源の不均衡を調節し、等しく豊かに暮らす富の平準化を成し遂げてくれます。平準化とは、高いものは少し低いところに引き下げ、低いものは少し高く引き上げ、互いの高低を合わせることです。そのためには、より多く持っている人、より多く知っている人の犠牲が必要です。平和世界の建設は、一過性の善意や寄付ではできません。絶えず自己を犠牲にし、自分が持っているものを惜しみなく与える真実の愛こそが平和世界をつくっていくことができるのです。
しかし、国際平和高速道路を建設すること自体は、世界を物理的に疎通させることにすぎません。人は心と体が一つになった被造物です。私たちが生きる世界も、物理的な疎通と共に情緒的な疎通が一緒になされてこそ、完全な統一が達成されます。
第二次世界大戦が終わった直後に創設された国連は、これまで世界平和のために多くのことをしてきました。しかし、創設60周年を超えた今、国連はその本来の目的を失い、力の強い国々の利益のために働く場所となりつつあります。世界中で発生する紛争を解決するために設立された国連は、一部の利益ではなく、世界の利益を優先する組織でなければなりません。強大国が自国の利益を優先して他国を力で抑圧するとき、紛争はまた別の紛争を呼び起こすだけであるにもかかわらず、今の国連としてはどうすることもできません。
このような欠点を補完しようとすれば、今後国連は、上院と下院の両院体制に変えなければなりません。今のように各国の政治・外交分野の代表者たちが世界の問題を論議する下院と、超宗教的な代表者たちが集まって平和問題を論議する上院がなければなりません。超宗教的な代表者は必ず、諸宗教について十分に学んだ開かれた心を持つ宗教指導者でなければなりません。彼らは、政治家のように狭い視角から特定の国家の利益ばかりを考えたりはしません。全人類を懐に抱く愛の心で人類の幸福と世界平和のために努力する超宗教的な指導者たちが、世界各国に派遣された外交大使と力を合わせて、これ以上紛争のない世界、愛で一つになった世界をつくっていかなければなりません。
「宗教者がなぜ世界の問題に首を突っ込むのか」という反対意見もあるでしょう。しかし、今の時代、世界は宗教によって深い自己省察の域に達した宗教者の関与を切に求めています。世の中に蔓延する不義と罪悪に立ち向かい、真の愛を実践する人たちが、まさに宗教者です。世界情勢に対する分析力を備えた政治指導者の知識と統治能力が、霊的な眼識を備えた超宗教指導者の知恵と一つになるとき、世界は初めて真なる平和の道を見いだすことができるのです。きょうも私は、世の中のすべての人が宗教と理念、人種の壁を超え、「平和を愛する世界人」として生まれ変わるように祈っています。
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Sunday Nov 14, 2021
平和を愛する世界人として 第68話
Sunday Nov 14, 2021
Sunday Nov 14, 2021
幸福の源は「為に生きる」人生
子女は両親の血と肉を受けて生まれます。両親がいなければ子女はいません。ところが、この世の中に一人で生まれたかのように個人主義を主張する人がいます。誰からも何の助けも受けない人だけが個人を主張し、個人主義を語ることができます。世の中に自分だけのために誕生したものは何もありません。あらゆる被造物はお互いのために誕生しました。私はあなたのためにいて、あなたは私のためにいるのです。
自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。
私が建てた学校には、どこでも3つの標語が掲げられています。1つ目が「昼12時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もないきれいな人生を生きなければなりません。
2つ目は、「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。
最後の3つ目は、「One Family Under God!(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。
南太平洋には全部で14の島国があります。その中のマーシャル諸島共和国に行って大統領に会ったとき、私が尋ねました。
「本当に美しい地ですが、国を導いていくのに困難が多いのではないですか」
すると大統領は大きく溜め息をつきました。
「人口もわずか6万人だけで、島で最も高い所が海抜2メートルにすぎず、海面が1メートル上昇しても国全体が水浸しになってしまいます。しかし、最も深刻な問題は教育です。裕福に暮らす家の子供たちは皆、アメリカやヨーロッパに行って教育を受け、故郷に戻ってきません。貧しい家の子供たちは、きちんとした教育を受ける学校がないので、いくら優秀でも指導者になる素養を積み上げることができません。結局、私たちのような島国の悩みは、未来を導いていく人材を育てることができないことなのです」
マーシャル諸島共和国の大統領の嘆きを聞いた私は、すぐにハワイのコナに島国の子供たちのための「ハイスクール・オブ・ザ・パシフィック」という学校を建てました。各国から選ばれた子供たちに高等教育を受けさせ、必要であれば大学への進学も支援します。ハワイまで行き来する飛行機代、学費、寄宿舎費を提供することはもちろん、コンピューターも買い揃えて最高の教育をします。島国の学生たちを勉強させるのに条件はたった一つ、学校を終えたら必ず自分の国に帰り、国と民族のために奉仕しなければならないということです。それが唯一の条件です。
「為に生きる」人生を生きるということは、時として個人の犠牲を前提とします。数年前にわが教会の宣教師が南米を巡回する途中で大きな地震が起きたことがあります。宣教師夫人が真っ青になって私を訪ねてきました。「どうすればよいですか、先生。あまりにも心配でどうしたらよいか分かりません」と言って涙ぐんでいるのです。それで私がどうしたかといえば、肩を叩いて慰労するどころか、怒鳴りつけました。
「今あなたは夫のことを心配しているのか? それとも、夫が修羅場で何人の命を救っているだろうかと心配しているのか?」
夫の安否が心配なのは当然です。しかし、宣教師の夫人ならば、それ以上のことを心配できなければなりません。夫を安全に守ってくださいと祈禱するのではなく、夫がより多くの命を救えるようにしてくださいと祈禱しなければなりません。
この世の中に、自分だけのために存在するものは一つもありません。神様は、この世界をそのように創造されていないのです。男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。自然は人間のためにあり、人間は自然のためにいるのです。この世界のあらゆる被造物は相手のために存在し、作用します。ですから、相手のために生きなければならないというのが天の道理です。
幸福は必ず相対的な関係においてのみ成立します。生涯を声楽家として生きてきた人が、無人島に行って声が嗄れるほど歌を歌ったとしても、聞いてくれる人がいなければ幸福になることはできません。私がある相対のために存在しているという事実を悟ることは、人生の尺度を変えるような一大事です。私の人生が私のためのものではなく、誰かのためのものであるとすれば、今までの生き方とは全く違う道を行かなければなりません。
幸福は、人のために生きる人生の中にあります。自分のために歌を歌ってみても全然幸福ではないように、自分のためのことには喜びがありません。いくら小さくて、取るに足りないことでも、相手のために、人のためにするとき、幸福を感じるのです。幸福は、「為に生きる」人生を生きる時にこそ発見できるのです。
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Sunday Nov 14, 2021
平和を愛する世界人として 第67話
Sunday Nov 14, 2021
Sunday Nov 14, 2021
すべてのものは天からの借り物
私に対して世の中では、世界的な金持ちだとか億万長者だとか言いますが、それはよく知らずに言う話です。私は生涯、一生懸命に働いてきましたが、自分のために建てた家は一軒もない人です。私の妻や子供たちのためにためた財産もありません。成人なら誰でも持っている一本の印鑑さえありません。
人が眠るときに眠らず、人が食べるときに食べず、人が休むときに休まずに働いた、その代価は何かと尋ねたいでしょう。しかし、私は金持ちになることを願って働いたのではありません。お金は私にとって何の意味もありません。人類のために、貧困で死んでいく隣人のために使われないお金は、一枚の紙切れにすぎません。一生懸命に働いて稼いだお金は、世界を愛し、世界のために働くところに使われてこそ、相応しいのです。
私は、宣教師を外国に送り出しながらも、多くのものは与えませんでした。それでも、私たちの宣教師は、世界のどこに行っても上手に生きていきます。生きていくには、ごく基本的な生活用品だけが必要です。寝袋一つだけあれば、十分に生きていくことができます。大切なことは、何を持っているかではなく、どのように生きるかです。物質の豊かさだけが幸福な人生の条件ではありません。悲しいことに、現代の韓国語では、「チャル・サンダ」(良く生きる)という言葉が、どういうわけか物質的な豊かさばかりを意味する言葉に変質してしまいました。本来、幸福な人生とは良く生きることであり、それは意味のある人生を生きるということです。
私は、礼拝や特別な行事がある日でなければ、ネクタイをしません。格式を備えた正装もあまり着ません。家にいるときは、普通のセーター姿です。たまにこのようなことを考えます。西洋社会でネクタイにかかるお金がどのくらいになるだろうか。ネクタイに付けるピンやワイシャツ、カフスボタンはどれほど高いだろうか。世の中の人たちが、皆ネクタイをしないでそのお金を飢えている隣人のために使えば、世の中はもう少し暮らしやすい所になるでしょう。高いことだけが問題ではありません。いま外で火事が起きたとします。セーター姿の私とネクタイを結んだ人では、どちらが先に飛び出していくことができるでしょうか。私はいつでも飛び出していく準備ができている人です。
私は、毎日入浴することも賛成しません。入浴は3日に1度で十分です。靴下も毎日洗って履くことはしません。夜になると、靴下を脱いでズボンの後ろポケットに入れておきます。翌日に履くためです。ホテルに行けば、浴室に掛けられているタオルの中で、一番小さいものを1枚だけ使って出てきます。小便は3回した後にトイレの水を流し、トイレの紙は1枚を3つにたたんで使います。このような私を見て、原始人とか野蛮人と言ってもかまいません。ご飯を食べるのもそうです。私は、おかずを3種類以上置いて食べません。私の前にご馳走が並べられ、あらゆるデザートが置かれていても、手が出ません。ご飯も山盛りにして食べません。器の5分の3くらいがちょうどよいのです。
私が韓国で最も好んで履く靴は、大型ディスカウントショップで49000ウォン(約4000円)で買ったものです。毎日穿くズボンは、買ってから5年を優に超えたものです。アメリカで私が最も好んで食べる食事はマクドナルドです。金持ちはジャンクフードと言ってあまり食べません。私は2つの理由からマクドナルドを好みます。値段が安くて、時間が節約できるからです。子供たちを連れて外食するときも、マクドナルドに行きます。私がマクドナルドによく行くとどうして分かったのか、マクドナルドの会長が毎年年賀状を送ってくるのです。
「お金を大切に使い、何でも節約しなさい」
いつも食口たちに強調することです。アイスクリームや飲料水のようなのも、買って食べずに水を飲みなさいと言います。そうやって節約して自分だけがお金持ちになりなさいという意味ではありません。国を助けるために、人類を助けるために大切にするのです。どのみち、この世を旅立つときは何も持っていくことができません。私たちは皆、その事実をよく知っています。それなのに、何をそのように握り締めようとするのか理解できません。私は、生涯に手にしたものをすべて差し出し、身軽にこの世を旅立つでしょう。天の国に行けば金銀財宝があふれるほど散らばっているのに、地上から何を持っていくのでしょう。私たちが暮らしている世界より、もっと良い世界に行くと考えれば、地上のものに執着する理由がありません。
私が生涯、好んで歌う歌があります。誰もが皆知っている流行歌ですが、その歌を歌うたびに、故郷の家の野原に寝転んでいるように心が平安になって、涙がしきりに出てきます。
白金の宝石で飾られた王冠をもらっても
土臭く、汗まみれの麻布の上着に勝るものはない
純情の泉が湧き出る私の若い胸の中では
好きなように、柳の枝を折って笛を吹き
私の歌の調べに合わせて雀も鳴く
世の中を買えるほどの黄金をもらっても
麦畑を耕してくれるまだら牛に勝るものはない
希望の芽が吹く私の若い胸の中では
好きなように兎たちと話をし、
私の歌の調べに合わせて歳月も過ぎていく
(孫露源作詞、白映湖作曲「心の自由大地」)
幸福は常に私たちを待っています。それでも私たちが幸福を探し出すことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。欲に眩んだ目は前を見ることができません。たったいま地面に落ちた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくして、ポケットが破れたことも分かりません。私は今も興南監獄で生活していた時のことを忘れません。いくら卑賤な所でも、興南監獄よりは楽で恵まれています。すべてのものは公的なものであり、天のものです。私たちは、ただ管理しているにすぎません。
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Friday Nov 12, 2021
平和を愛する世界人として 第66話
Friday Nov 12, 2021
Friday Nov 12, 2021
グローバルリーダーは世界を懐に抱く人
志を立てることは、木を植えることと同じです。家の庭にナツメの木を植えれば、家の庭にナツメが実り、裏山にリンゴの木を植えれば、裏山にリンゴが実ります。どのような志をどのような所に植えるのかを考えてみてください。皆さんがどのような志を立ててどこに植えるのかによって、ソウルのナツメの木にも、アメリカのリンゴの木にもなれるのです。もちろん、南太平洋のヤシの木にもなることができます。皆さんが植えた果物の木のように、未来に皆さんの志が実を結ぶのです。どうか、その実がどこに実ればよいかを考えながら志を立ててください。
志を立てるときは、心を広く持ち、必ず全世界を見渡してみてください。貧困と疾病がなくならない苦痛のアフリカを見て、宗教問題で銃口を向けて生きているイスラエルとパレスチナを見て、麻薬の原料であるケシを栽培して辛うじて生きているアフガニスタンも見てください。極度の貪欲さと利己心によって世界経済を窮地に追いやったアメリカも見て、地震と津波が絶えないインドネシアも見てください。そして、その国々の間に、自分自身を立たせてみてください。自分がどの国、どの事情に適合するのかを考えてみてください。もしかすると、新しい宗教紛争が起きるインドが適合するかもしれません。もしかすると、旱魃と飢餓で苦しむルワンダかもしれません。
志を立てるにおいて、自国の狭い国土を恨むような愚かなことをしないでください。皆さんが行うことによって、自分の国はいくらでも広げることができ、ひょっとすると、国境が完全になくなるかもしれません。私たちがアフリカで活躍すれば、アフリカは自分たちの国になります。ですから、世界を舞台にしてやれることを探してみてください。おそらく、今まで皆さんが夢見てきたよりも、はるかに多くのことを発見できるでしょう。一度だけの人生を世界が必要とすることに投じてください。冒険をしなければ宝島に行くことはできません。自分の国を超えて世界を舞台に志を立てることを願っています。
1980年代に私は、韓国の大学生を日本とアメリカに送りました。毎日のように催涙弾が飛び交う祖国を離れ、より広い世界、多様な世界を見せるためでした。井の中の蛙は、井戸の外にもっと広い世界があることを知りません。
私は、「グローバル」という言葉も知らない時に、グローバルを夢見た人です。日本留学に出発したのも、より広い世界を見るためでした。かつて、日本留学から戻った後、中国の海拉爾に行ってモンゴル語と中国語、ロシア語を学ぼうと計画したのも、世界的に生きるためでした。私は、今も飛行機に乗って世界中を飛び回っています。1日に1カ国ずつ忙しく回っても、世界を回ろうとすれば、半年以上かかります。
世界のどこにでも人が暮らしていますが、状況は千差万別です。ご飯を炊く水がない所もあり、水が多すぎる所もあります。電気が通っていない所もあり、つくった電気をいまだに使うことができない国もあります。何でもそうですが、一方にはあふれ、一方では足らない、そのようなことが世界にはたくさんあるのです。問題は、余っていたり、足らなかったりするものを、公平に分配する役割をする人が少ないということです。
資源も同様です。ある国には石炭や鉄鉱石が山のように積まれています。石炭を掘るために中に入っていく必要もありません。ただ山のように積み上がっている石炭の固まりから、スコップで掘り出せばよいのです。しかし、韓国には石炭も鉄鉱石もありません。無煙炭を掘り出そうとすれば、命がけで数十メートルも坑道を掘って土の中に入っていかなければなりません。
技術もそうです。アフリカにはバナナが自然によく育つ所がたくさんあるので、バナナさえ食べていれば飢えることはありません。ところが、バナナ農場を造って大量にバナナを育てる技術がないために飢えているのです。韓国はバナナに適した気候ではないのに、立派にバナナを栽培しています。私たちのこのような技術は、アフリカの貧困を解決するのに大きな力になるのです。韓国のトウモロコシ栽培技術が、北朝鮮の飢餓の解決に役立ったことも同じ話です。
最近流行している言葉の中に「グローバルリーダー」という言葉があります。「英語を流暢に話してグローバルリーダーになりたい」と言いますが、実際にグローバルリーダーになる道は、英語の実力にかかっているのではありません。英語は意思疎通の道具にすぎず、本当のグローバルリーダーは世界を自分の懐に抱く人でなければなりません。世界の問題に全く関心がないのに、英語で意思疎通ができるからといってグローバルリーダーになることはできないのです。
グローバルリーダーは、地球上のあらゆる問題を自分の問題と考え、それを解決しようとする開拓者の精神を持たなければなりません。安定的で固定的な所得に執着したり、退職後の年金と平安な家庭生活を夢見たりする人は、グローバルリーダーになることができません。未来に何が待っているかよく分からなくても、世界が自分の国であり、全世界の人類がすべて自分の兄弟だという意識があってこそ、グローバルリーダーになることができるのです。
兄弟とは何でしょうか。神様はなぜ、私たちに兄弟を下さったのでしょうか。兄弟は全世界の人類を象徴します。私たちは家庭の中で兄弟を愛する経験を通して、人類を愛する人類愛、同胞愛を学びます。兄と姉を愛する心がそのように広がるのです。お互いに愛を分かち合う家庭の姿は、人類が互いに融和する姿と同じです。たとえ自分が空腹でも、兄弟のためにご飯を残すことのできる愛が兄弟愛です。グローバルリーダーは、まさに人類を相手に兄弟愛を施す人です。
今は「地球村」という言葉さえ昔の言葉になりました。地球はすでに一つの生活圏です。人生の目標が、大学を出て月給をたくさんくれる会社に就職し、安定して生きていくことだとすれば、子犬ぐらいの成功を収めるようになります。しかし、アフリカの難民救護に命をかけて取り組めば、虎のような成功を収めるでしょう。どちらを選択するかは各自の心にかかっています。
私は今も世界を飛び回っています。一日も休む時間はありません。世界はまるで生きている生物のように絶えず変化し、問題を引き起こします。私は、そのような問題のある、暗くて奥まった所を訪ねて回ります。私が訪ねていく所は、景色がよくて楽な所ではありませんが、私は暗くて、大変で、孤独な所で幸福を感じます。
私は、皆さんの国から本当の意味のグローバルリーダーが出てくることを願います。国連を導いていく政治リーダーが出てくることを願い、紛争地域の争いを防いでくれる外交リーダーが出てくることを願います。道端を徘徊して死んでいく貧しい人たちの世話をするマザー・テレサのような救いのリーダーが出てくることを願います。また、私のように、人々が顧みることのない土地と海を開拓し、新しい世界を広げていく平和のリーダーが出てくることを願います。夢を持って志を立てることがそのスタートです。冒険心と開拓精神を持って、人が夢見ることのできないような夢を持ち、意味のある志を立てて、人類のためのグローバルリーダーとなることを切に願うものです。
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Wednesday Nov 10, 2021
平和を愛する世界人として 第65話
Wednesday Nov 10, 2021
Wednesday Nov 10, 2021
青少年よ、志を立てれば人生が変わる!
私たちが見慣れない人に会えば、「あなたは誰ですか」と尋ねるように、神様も私たちに尋ねられます。そして、神様は、「私は青年です」という答えを一番喜ばれます。なぜなら、人生で最も大切で、最も楽しい時が青年時代だからです。青年時代は未来のための安息の土台にならなければならず、新しい時代を開く礎石にならなければなりません。
ところが、最近の青年からは、情熱を見いだすことがだんだんと難しくなっています。人生の目的を見つけ出すことができないまま、無駄にあちこちきょろきょろと見回すかわいそうな青年が増えています。歴史上、偉大な指導者は、皆幼い頃から人生の目的が明確でした。彼らは、幼い頃に胸に抱いた目的を生涯大切に持ち続け、それを成し遂げようと熾烈な人生を生きました。寝て、起きて、活動するすべての人生の営みが、未来の舞台を準備するためのものだったのです。今、果たしてどれだけの人がそのような人生を生きているでしょうか。
私たちは全員、偉大な人間として創造されました。何の意味もなく皆さんがこの世界に出てきたのではありません。神様は、自分のすべての愛を注いで私たちをつくりあげられたのです。ですから、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。神様がいらっしゃるので、私たちは何でもすることができるのです。
神様を愛することにより、私の人生は完全に変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族の問題より人類の苦痛を先に考える人になったのです。また、神様がつくられたすべてのものを愛そうと努力しました。山にある木も愛し、水にいる魚も愛する心で見ました。世の中のすべてのものから神様のみ手を感じようと、感触を鋭敏にしました。
そのように、心を神様の愛に合わせて変える一方、使命を果たそうと、私が備えるべき強健な体をつくるために努力しました。いつ、いかなる時に神様が私を呼ばれても、即座に走っていける準備をしたのです。サッカー、ボクシング、韓国の伝統武芸と、私が指導して作った円和道で体力を養いました。円和道は、まるで舞踊をするように体を柔らかく動かす円形運動で、直線よりも回転のときにより大きなパワーを出せるという原理を活用したものです。
今も私は、筋肉と骨の節々を伸ばすストレッチを行い、私が直接開発した呼吸法で一日をスタートします。世界を巡回して講演するために、それさえする時間がなければ、トイレにいる時間を利用してでも必ず運動をします。若い時は一日に30分やれば十分だったのですが、年を取ってからは一日1時間に運動量を増やしました。
2008年、私が乗っていたヘリコプターが不時着するという事故を経験しました。ヘリコプターが黒い雲に包まれたかと思うと、あっという間に山の斜面に強く打ち付けられてしまいました。ヘリコプターがひっくり返り、体が安全ベルトに縛られたまま逆さまにぶら下がりました。私は反射的に両側の肘掛けをしっかり握りました。もし私が、日頃運動を怠っていたら、逆さまにぶら下がった瞬間、腰が折れてしまっていたでしょう。体は健全な精神が宿る器です。体を鍛練することは怠ってはいけません。
勉強が好きで学校に行く学生は多くないでしょう。親が行きなさいと言うから行くのであって、勉強がしたくて学校に行くのではありません。最初は皆そうです。しかし、訳も分からずに学校に通っていると、勉強の味が分かるようになります。その時からは、勉強も自分からするようになり、自分の行く道も自分で求めていきます。分別がつくようになるということです。
ところが親は、子供が分別がつくようになるのを待ちきれず、「勉強しなさい。少しは落ち着いて勉強しなさい」と激しくせきたてます。勉強して未来に備えなければならないことを、親はよく知っているからです。このままでは勉強する時期を逃し、何の備えもないままに未来に直面してしまうのではないかと心配するのです。
しかし、勉強して未来に備えることよりももっと大切なことは、志を立てることです。無条件に勉強に追い立てられる前に、将来自分が何をしたいのかを決め、自分がどれくらい役に立つ人間にならなければならないかを自ら悟らなければなりません。最近の青少年は大部分、志を立てないまま勉強にばかり没頭しています。
ある日、英語の勉強を熱心にしている学生がいたので、私は尋ねました。
「何のためにそんなに熱心に英語の勉強をしているのか」
と言うと、その子が答えました。
「大学に行くためです」
このように愚かなことがどこにありますか。大学は目的ではありません。大学は、何々の目的でどんな勉強をしなければならないというときに行く所であって、それ自体が目的にはなり得ません。
また、お金をどのくらい稼ぐかを人生の目標に掲げないでください。私は今まで、月給を一銭ももらったことがありません。それでも、私はこのようにご飯を食べて生きています。お金は何かをするための手段なのであって、目標ではありません。お金を稼げば使い道がなければなりません。目標もなくお金ばかりを手にすれば、そのお金は必ず無駄に消えていってしまいます。
職業は、全面的に自分の素質と趣味に沿って決定しなければなりません。消防士になろうと、農民になろうと、サッカー選手になろうと、政治家になろうと、それは皆さんの心次第です。私がお願いしたいのは、職業を超えた話です。サッカー選手になってどのような人生を生きるのか、農民になってどのような人生を生きるのかを尋ねているのです。
志を立てるということは、自分が生きていく人生の意味を決めることです。農民になろうと思うなら、新しい農法を実験しながらより良い品種を作り、人類の飢餓問題を解決するという志を立てなければなりません。サッカー選手になるにしても、自国の名を世界万邦に轟かせ、サッカーをやりたくてもできない子供たちのためにサッカー教室を開き、彼らの夢を育てたいという意味のある志を立てなければなりません。
世界的なサッカー選手になろうとすれば、血のにじむような訓練を経なければなりません。しかし、もし皆さんの心に抱いた志が明確でなければ、世界の頂点に立つまでのつらい訓練に耐えることができません。志があってこそ、自分を守っていく力が湧き、特別な人生を生きていくことができるのです。
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