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Saturday Mar 05, 2022
平和経 第137話
Saturday Mar 05, 2022
Saturday Mar 05, 2022
死と闘って勝利できる希望
皆様。この世のすべてのことは過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはどのような主義や思想もすべて過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利できる希望です。私たちにそのよう希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望を一切拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。
天は正にこのような人々を助けているのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。
私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど、死について徐々に深刻になります。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド•ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、運命の関門です。
誰も避けられない道だからです。私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という単語を使った目的とは何であるか御存じですか。生の意味を知らせるためです。生の価値は、誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人には分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。
それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも最初に問う質問が、人生とは何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。
皆様。私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを見る神様は、にこにこ笑われるでしょうか。それとも驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしく思うのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間だからです。
だとすれば、神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。
神様は人間が生まれたときから、成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。
神様があるしぐさをすれば、子女たちも一緒にそのしぐさをします。神様がお笑いになれば子女たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだんと神様に似ていくのです。また、その子女たちは、成長しつつ親たちの姿に似るようになります。言葉も習い、生活規範も親たちから学ぶようになります。
もちろんこのすべてのことは、本来神様に由来したものです。だとすれば、神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、あの世に飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら、神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなって、もう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「今は逝けないが、いつかは私たちも逝く時が来るだろう」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間、人間はいつも神様に付いて回ることはできません。
真の愛のために死ぬことができなければならない
さあ、それでは何が問題でしょうか。私たちが神様に似たいと思い、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。
それで、人間は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に飛び回ることのできる日を待ち望むのです。そのように飛び回ることのできる人として生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。
だとすれば、人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。それでは、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないのでしょうか。神様の真の愛、すなわちために生きる愛のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。
皆様。皆様は一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金持ちでしょうか。皆様、一度考えてみたことがありますか。無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能のお方です。御自分の子女たちに、何でも与えようとされないでしょうか。どうでしょうか。
神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆様も関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。そうしてこそ、神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはいけないのです。
水中、地上、天上の三時代を通過しなければならない
皆様。神様が「してはいけない、しなさい!」と言うことを守る自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体であり体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければならないのです。
人間はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、母の腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界です。私たちは腹中の水の時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代へと三時代を通過するようになるという意味です。私たちが母の腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中に残ろうとします。
なぜなら、私たちが腹中から出るときは、家がみな破壊され、私たちが栄養を取って生きていたすべてのものも崩壊していきます。そうして、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないのですから、誰がそれを好むでしょうか。生まれるその瞬間まで、みな「ノー」と言うのです。子女は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になります。母が赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを生んだことのある母親たちは、よく分かると思います。力を入れるときは、顔がいくら美人でも、ものすごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず、逃げていくほどです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに、子女が生まれてくるのです。
この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか、それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまうのですか」と抗議する人がいるかもしれません。生まれてくる赤ちゃんも「死にそうだ」とおぎゃおぎゃと泣きじゃくります。しかし、それを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると生まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ!ふうっー」と息をするようになるのです。
皆様。人間は初めに生まれるとき、水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。胎児が母の胎中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると母のおなかの中の時代では、息ができずに生きるのが大変なように感じられます。
水の中で生きているので、当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではないですか。そのために腹中の胎児は、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の胎児は、どこを通じて栄養分を供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の胎児には口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげなさいというのです。おへそをよく、軽くたたいてあげると健康になります。笑い話ではありません。
そのように運動をしなさいということです。へその運動を通して健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢をしません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口だというのです。どんどん上に上がっていくのです。
同じように、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身に宿っている私たちの霊人体は、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。
それなのに、その時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。
大変な苦痛を甘受し、母の腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、父母の愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を振り切って、無形の父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。
地上世界でも子女が生まれたのちに大きくなれば、父母と友達になれるのです。父母と愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。胎児が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。
そのような過程を経ながら地上でこのように父母と愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なずに生きている」と言えます。同じように私たちは、霊的な無限の世界に通じる、親であられる神様と愛を分かち合ことのできる霊界に、再び生まれなければならないのです。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第136話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
15.生死に対する理解
日付:一九九八年十二月十九日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントン•タイムズ•ビルディング
行事:一九九八世界平和宗教連合大会
尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださったことに、心より感謝申し上げます。この時間をお借りして、これまで各宗教がその解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対する、私の見解の一端をお伝えしようと思います。
私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあることを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そして、この地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。したがって、私たち人間は神様から生まれたので、いずれにせよ再び神様がおられる霊界に帰らざるを得ないのです。
死は根源の世界への回帰
皆様。韓国語ではおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」と表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。
だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。
宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな沢を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大海へと流れていきます。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通して、より高まる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。
それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年の時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経て、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし、霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。
学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならない単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校の評価が決まるのです。しかし、単位が足りなければ足りないほど、その学生は学校が立てたその基準から遠ざかります。
このようにあらゆることは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯をすべて懸けて単位を取る準備期間だということになります。
すなわち、私たちの一生において責任を追及するある基準に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。ところが、ほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるのかないのか、神様が存在するのかしないのかも知らずに生きているのです。
人類は一つの兄弟、一つの国民
皆様。私たちはいずれにせよ、いつかは霊界に行くようになっています。その霊界は一つの国です。地上世界のように、いくつもの国に分かれているのではありません。
だとすれば、霊界で生活する内容はどなっているのでしょうか。例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が生命維持の絶対的な条件となります。だからといって、魚も一カ所だけで棲むのではありません。魚の中には淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって産卵する場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。
私たちの体と心も、このように互いに通じなければならないのです。人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖であるアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になり得ていたという意味です。そのようになっていたならば、アダムの生活風習は、そのまま人類歴史を通して継承され、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたでしょう。
人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬかもしれないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド•ムーンの話は正しかった!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいることを知らなければなりません。私たちは永遠の世界に行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。
一般的に霊界に行く人にも、二通りの人がいます。自分のもって生まれた運命のとおりに生きてから逝く人と、自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の中には、早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに逝く人たちがいます。
もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立て、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習い、その人のように生きようとするでしょう。そのようになれば、人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。
人間の中には、希望をもって生きる人もいて、希望をもてずに生きる人もいます。この希望は、人間を中心とした希望と天を中心とした希望の二種類に大別することができます。
私たちは生まれたその日から、母の懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、母の懐を離れるようになります。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子女も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。
人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢を重ねるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのです。
事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固たる信念をもてずにいるのです。私たちは一生の間、あらゆる希望を抱いて生きますが、結局、死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちは、きょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。
人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生観として、死さえも乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日、この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第135話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
堕落と復帰
今日の現実はどうですか。戦争と葛藤、暴力と麻薬など、あらゆる不正と弊害が人類を不安にさせています。より一層深刻なのは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増して、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が、人類社会の根底を揺るがしているということです。これはすべて、堕落に起因したものです。アダムとエバが、成長期間に純粋な愛の理想を汚したためです。エバが、蛇すなわちサタンによって果実を取って食べたということは、エバが原理を外れた愛の行為で堕落したことを象徴します。
アダムとエバは、愛する父母であられる神様を不信し、結果的にサタンに対して従順となり、偽りの夫婦になり、偽りの父母から人類歴史がスタートするようになったのです。彼らの子孫は暴力と殺人、罪と苦痛の中に陥る結果を招いてしまいました。このようにアダム家庭から人類が受け継いだ遺産は、罪と偽り、不浄な愛、暴力、殺人などでした。今は終末を迎えて、アダムとエバが蒔いた種の結果が、世の中に満開になって実を結んでいるのを見ることができます。神様の心情はどれほど悲しいでしょうか。
神様はどのようにしてでも、本来計画された真の愛の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理のために宗教をお立てになり、善の版図を広めてきました。神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結する総責任を負って来られるお方です。ですから、メシヤは真の父母として来られなければなりません。真の父母の使命は、人類を真の愛で重生させて真の人に回復させ、真の夫婦となり真の父母になるようにすることです。
宗教の責任
神様のみ旨に逆行する世界の問題は、誰が収拾しなければなりませんか。不正と罪と苦痛の現実を変える責任は、宗教指導者たちが引き受けなければなりません。私は神様の召命を受けた日から、この責任に自分自身を捧げてきました。私は、原理と摂理の道を徹底して守りながら、人類の具体的な人生に時間と空間を超越して深々と浸透してきた悪に向かって、挑戦してきました。私はいつも、私自身と自らのすべての基盤を使って、他の宗教と世界の偉大な宗教指導者たちと協力を図ることに最善を尽くしました。そのようにする間、一度も神様に対する責任を果たさなかったことはありません。
「世界平和宗教連合」の創設を主唱した一九九〇年の「世界宗教議会」(サンフランシスコ)において、神様の創造目的、真の愛の根本、そして真の父母の役割を説明しました。社会倫理を正しく立て直して退廃文化を一掃し、真の愛と真の父母主義を実践しようと訴えました。真の愛による理想家庭を取り戻し、社会倫理を正しく立て直すことは、この時代の宗教指導者たちに賦与された貴重な責任です。
また、宗教指導者たちは、世の中の不法と不正などをなくすために先頭に立つ責任があります。世界的に澎湃(ほうはい)した不法と不平等、不条理を傍観したまま、宗教だけが理想郷に向かって現実の泥沼を抜け出すことはできないのです。儀式に溺れた信仰から生活信仰に変え、人間がその精神的荒廃から本性を取り戻せるよう、宗教者が模範を見せなければならないと思います。
そして、宗教指導者たちは他の人々のために、無制限の犠牲的生活を送り、またそのままそれを教えなければならない責任があると思います。まだこの世界には貧困と飢餓状態にある人が大勢いて、不平等が深刻化しています。これに対する宗教者の責任は、非常に大きいといえます。
私は過去二十年間、海洋資源の開発のために直接先頭に立って船に乗り、物心両面で多くを投入しながら努力しました。高蛋白質のフィッシュ•パウダー(魚粉)を開発することに成功し、人体に大切な製品を研究し、開発することを続けています。このすべての成果は、既に「国際救護親善財団」(IRFF)を通して、アフリカなどの地に効果的に支援されています。そして、今年初めから、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンの四ヵ国に広い土地を準備し、「新しい希望農場」を始めました。地球上から飢えの惨状をなくすという私の決意を実践しています。農業開発と海洋企業を通して食糧を生産し、低開発国家を支援することに、教団が互いに連合し協力すべきだと思います。教団が先導するこのような人的物的投資を通して、真の愛が実践されれば、世界に希望を与えることができると思うのです。
神様の真の愛による投入と注入がなかったなら、宇宙は生じませんでした。宇宙の存在法則は、主体が対象のために生きることです。ところが、堕落した世界では、主体が対象のために生きるのではなく、むしろ自己中心に利用しようとするので、滅びるのです。宗教は相手を先に喜ばせたあとに、自分が喜ぼうとする天理原則を教育し、実践しなければなりません。
尊敬する宗教界の指導者の皆様。「世界平和宗教連合」は宗教間の和合と世界平和のために、建設的に一緒に仕事をしていかなければなりません。「世界平和宗教連合」が世界の良心のような機能を果たさなければならないのです。政治、経済、教育など、世界の各界の指導者たちに助言し、指導するだけでなく、模範を示すべきでしょう。偉大な宗教は迫害と殉教の土壌の上に立てられ、創始者の貴い伝統基盤の上に立ったので、私たちは、犠牲を忌避することなく宗教本来の名誉を探し立てなければなりません。
最後に、私は今回の「世界平和宗教連合」の議会が、理想世界の実現のための宗教の責任に対する深い議論とともに、大きな成果を上げるだろうと思います。皆様と皆様の家庭、そして皆様が行われることに、神様の祝福が常に共にあることを願います。ありがとうございました。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第134話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
14.宗教と理想世界
日付:一九九五年八月二十一日
場所:韓国、ソウル、ヒルトン•ホテル
行事:「世界平和宗教連合」第三回世界大会
尊敬する全世界の各教団の最高指導者の皆様。国内外の貴賓、宗教界の学者、そして宗教指導者の皆様。韓鶴子総裁と私は、皆様を温かく歓迎するとともに、皆様が韓国にとどまる間、満ち足りた時間をもつことを願います。
世界の宗教の核心主題は理想世界
「世界平和宗教連合」の第三回世界大会の主題は「理想世界の実現と世界の宗教の責任」です。「理想世界」は、今まで世界のあらゆる宗教の核心主題でした。各宗教は悪の実体を認め、悪と無知の世界に対する代案を教えています。この代案の世界が正に理想世界なのです。
理想を追求するのは、単に宗教にだけ限定された現象ではありません。なぜなら、全人類は宗教性を離れても理想を追求しており、理想の実現が不可能なときでさえ理想を追求しているからです。
しかし、どのような努力と立派な意図があるとしても、天の法度に背いてこれを追求するならば、何の効果もなく、かえって害になる結果をもたらすようになるでしょう。ですから、神様をはっきりと知り、創造理想とそのみ旨を明確に知らなければなりません。
私たちは、誤った理想の追求がもたらした悲劇を、無神論的共産主義によって胎動された、今世紀の様々な災難を通して明確に経験しました。共産主義は、神様を否定し、神様がいない理想的な人間社会をつくろうとした空想的な社会運動でした。民主体制は、共産主義より優れてはいますが、民主体制もまた、神様の摂理を無視するとすれば、継続して腐敗し、衰退してしまうでしょう。
善の道と神様の法度は一つであり、同一です。人間の善と理想は偉大な神様と直接的な関係なしには、成就することも維持されることもできません。このような理由で、どこの誰でも理想を追求するとすれば、神様のみ旨と宗教の重要性を理解しなければならないと言うことができます。
私は幼い頃から、人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探し出そうと必死に努力してきました。私は、神様が理想の実現が不可能で、罪と苦難、そして不和がいつも猛威を振るう世界を創造されたとは、信じることができませんでした。私は、私が経験する世界がなぜこのように悪で満ちているのか、理解できませんでした。私の青少年期の経験を詳しく皆様にお話し申し上げる時間はありません。私の青年時代は真理に向かう渇望に満ちていたと話すことで十分でしょう。
私が明らかにした「統一原理」は、平凡に得られたものではありません。「統一原理」の根本は、徹底的な祈りの中で、霊界の聖人や賢人たちとの交流は言うまでもなく、神様との深い交わりから見いだしたものです。サタンとの血みどろの闘いを通して得た勝利なのです。私はこの「統一原理」を教えて実践するために、生涯の一瞬一瞬を捧げています。「統一原理」は全世界に伝播され、人をして、生きていらっしゃる神様と新しい関係を結ばせ、その人生を変化させています。
神様の理想と真の愛の家庭
私たち人間は、神様によって創造されたので、理想世界に向かう熱い望みをもって生まれました。「理想世界」と言うとき、その「理想」とは、本来神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、あるいは富のために世の中を創造したのではありません。神様は、権力や栄光、富に対する欲望はありません。しかし、神様は、いかなる欲望ももたないというのは、正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。愛を体恤するためには、神様も関係を結ばなければならないからです。真の愛の体恤は、主体と対象の関係を通した経験でのみ可能です。どのような存在も、独りで孤立していては、愛を感じることができないのです。
愛の関係は、自由に与え合うことができる存在だけが結べます。神様は、神様と自由に愛を与え合うことのできる存在、すなわち神様の愛の完全な対象体として人間を創造されました。人間は、真の愛の主体性をもつように創造された、神様の息子と娘です。ですから、神様は人間の真の父母でいらっしゃいます。神様は人間を神様の真の愛に同参させ、その愛を相続する存在として立て、その垣根として万物世界を創造されました。神様と人間はすべて、真の愛を通して最高の喜びと幸福を経験できるのです。
神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを希望されました。神様は、彼らの生物的な成長と栄養供給のために、環境を満遍なく、あらかじめ備えておかれました。しかし、神様のより深い関心は、人間の内的性稟と人格にありました。彼らは愛の経験を通して、神様の真の愛に似て完成するのです。神様は、愛の力を内的であり非物質的な力の中で、最も強力なものとして創造されました。そのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤するということは、人間が神様に似て一体となり、完成するということです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉になる理由も、ここにあります。
アダムとエバは、神様の愛の中で真の人になったのちに、お互いが真の愛で真の夫婦になり、それから子女をもって真の父母になるようになっています。人間が神様の利他的で無条件的な父母の愛を伝授された人格完成体となるとき、真の父母になります。
人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得します。生活の中の経験を通して、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛を順次的に体得するようになっているのです。この四種類の愛と心情がとどまる基台が家庭なので、家庭は人間の愛と幸福、そして生命と血統の基地になるのです。このように真の愛の家庭は、人間の願いであると同時に、神様の創造目的の根本でもあります。人間の個体や家庭、そして社会や環境の真の完成は、家庭の中で真の愛の具現にその根を置いています。神様の真の愛の実体となった人間は、神様のみ旨に背いたり、他の人を侵害したり、または万物世界を悪用することができなくなります。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第133話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
神様の真の愛は投入して、また投入しても、その投入したことを忘れる愛です。神様御自身も愛の相対を創造されるとき、神様御自身がために生きる立場に立って、御自身が所有しているすべてを百パーセント投入して、また千パーセント、万パーセントをさらに投入したいと思うのです。なぜなら、愛の相対と愛する子女は、自分よりも優秀なことを望むからです。このように真の愛が行く道は、与えてまた与える道です。真の愛の化身体である真の父母が行く道も、他から受けようとする道ではなく、人のために犠牲になる道です。
神様の救援摂理のために立てた宗教が見本を示すべき道も、この一つの原理です。人の生命は愛の理想を中心として育まれたものなので、人間の生命の本質は愛です。
ですから、愛を本質として生まれた生命は、神様がそうであられたように、ために生きる生活を送らなければならないのが天理です。それで人間は、真の愛のために生まれた存在だと言うことができます。真の愛はために生きるところから始まります。
創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛を備え、それにそのまま感応しながら生活するようになっています。言い換えれば、心は真の愛を中心として神様に感応し、体はその心に自動的に共鳴するのです。心と体が闘うことのない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま受け継いで体感するところにあります。
心と体が統一体になる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。心と体が真の愛を中心として統一されるところから、真の自由と平和の理想が出発できるようになります。そして、心と体が統一された基盤の上で、自由で平和な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げることができるのです。ですから、世界と国家の中においてではなく、個人の心と体の間において平和の基点を探さなければなりません。
尊敬する宗教界の指導者の皆様。昨日は世界全域から集まった三万以上のカップルが神聖な祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統確立を誓いました。皆様も参観しましたが、その行事がある一教団の重要な結婚儀式とだけ考えてよいでしょうか。性道徳の紊乱、青少年の脱線、そして家庭破綻で社会がその根元から揺れる現実を、何によって解決しますか。
サタンと人間始祖がばらまいた不倫が歴史的に実を結んでくるとともに、天道と人倫を破壊し、人間を獣にする地上地獄の終末的現象が起きているのです。このような悲劇は、不倫が美化されるようなフリーセックスを容認する風潮や、極端な利己主義により一層深刻化しつつあります。現実世界は精神的、道徳的に深刻な危機に置かれており、秩序正しい家庭が崩壊するだけでなく、次世代を担当する青少年の心と体を害しています。
家庭は創造理想の基本単位
このような人類の危機は、神様の真の愛と真の生命の主人であられるメシヤ、真の父母様を通してのみ解決されます。神様が願われる結婚観は、世の中の風潮に反して、神様のみ前に永遠の一夫一婦制、愛と性の尊厳、神様の祝福、そして子孫のための結婚を強調します。世界百六十ヵ国以上で人種と国境を越えて、神様の愛を中心として永遠の夫婦と家庭理想を成し遂げようとするこの運動は、人類の明るい未来であり、希望なのです。
神様の創造理想の基本単位は家庭です。家庭は、国家と社会を形成する基礎になります。人種を超越した神様の真の愛によって、世界一家族理想は平和世界の具現と直結します。人類は、神様の真の愛の理想のもとで祝福家庭をつくり、模範となる夫と妻になるとき、善の子女をもって正しい倫理を実践することができるのです。
このようになるとき、真の愛が実を結ぶ理想的な家庭が完成し、理想的な社会、国家、世界を形成していくことができます。そして、国際合同結婚行事を通して本然の家庭を復帰することによって、現代社会の慢性的な弊害を根本的に解決していきつつあるのです。
世界から来てくださった宗教界の指導者の皆様。今、宗教が世の中でその指導力を発揮する時になりました。指導力とは、盲信的で、かつ偏狭から来る傲慢で独善的な態度からは出てくることはできません。真の指導力は、天のみ旨に自分を従属させ、利他的であるときに生じるのです。宗教者たちは、この時代の状況と様々な非道に対して責任を感じ、深い自己省察がなければならない時だと思います。
今まで宗教者たちは、愛の実践において手本になることができず、自分個人の救援や宗派の利益に汲々とするあまり、全世界の救援のために尽力できなかったことを悔い改めなければなりません。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が求められている時です。神様は私たちを呼んでいらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを熱望していらっしゃるというのです。
すべての宗教が一心になって、神様の人類に対する熱望を代弁して実行しなければなりません。信じる者たちは儀式や教理の論争を越え、生きていらっしゃる神様との深い霊的対話と交流を通して心霊が成長することを、神様は望んでいらっしゃいます。
宗教は、情熱をもった人間が関係を結ぶべき霊的秩序を確立し、これを制度化して論理的に表現する人生の形態を、この世の中に創造しなければなりません。宗教指導者たちは自らの浄化の先頭に立ち、さらに他教団の指導者たちと互いに尊重し合いながら、影響力のある宗教協力体を育てていかなければなりません。
教団間の和合を通した世界平和の実現
尊敬する宗教界指導者の皆様。私は昨年、「世界平和宗教連合」を創設するときまで、千辛万苦の困難を乗り越えてきました。誰も果たすことができなかった教団間の大和合と神様のみ旨を中心とした世界平和の実現という目標をおいて、私は四十年以上、ために生き、与える献身の路程を歩みました。
特に世界各国の偏狭な一部教団の迫害と歴代政権の無理解の中でも、終始一貫した歩みによって、超教派運動をはじめとして、超宗派的な神学校設立、世界的な新しい教会一致運動、世界宗教協議会活動、『世界経典』刊行、教団間の和合のための様々な会議の持続的な支援、世界宗教議会創設など、私ができることは、これまであらゆる犠牲を顧みず、すべて行ってきました。
私はこのようにして、何をしようというのでしょうか。私の宗教議会開催も、「世界平和宗教連合」の組織活動もすべて、人類の父母であられる神様のみ旨を成し遂げてさしあげようという一念なのです。私が願うことは、自覚された宗教指導者、学者の皆様と共に、神様と人類の希望を地上に実現することしかありません。
今、ここから私たちが一段階さらに進んでいく道は、教団間の和合に満足せず、学会、政界、言論界等の社会指導者と共に、世界平和のための汎統一機構を構成し、より積極的な対社会活動をすることです。宗教は、この機構が神様のみ旨を地上に実現できるように教育し、率先しながら、ために生きる道において模範にならなければなりません。
私たちは、もう一度、心霊を高め、天の声に耳を傾け、謙虚な姿勢で神様の勧告に従いましょう。そうして、神様がこの時代の宗教指導者たちに任せた使命を自覚し、人類の心霊を正しく指導して、新しい文化世界に霊的、精神的秩序を確立しなければなりません。
今回の会議が人間的な見識の次元を越えて、天の知恵を中心とした討議になることを願います。大会議長として組織と運営に模範を見せたシリア東方正教会のグレゴリウス司教の献身に敬意を表しながら、分科議長団と代表の皆様の労苦に感謝を申し上げます。皆様と皆様の教団と家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。ありがとうございました。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第132話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
13.新文化創建と宗教の役割
日付:一九九二年八月二十六日
場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル•ホテル
行事:第三回「世界宗教議会」
尊敬する各教団の最高指導者の皆様。各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。第三回「世界宗教議会」に参席してくださったことを歓迎しながら、韓鶴子女史と私の祖国である韓国、ソウルで皆様を迎えるようになったことを、うれしく思います。皆様が韓国にとどまられる間、満ち足りた有益な時間をもたれるよう祈ります。
宗教が追求してきた道
今回の会議は第三回「世界宗教議会」です。一九八五年に開催された第一回会議において、私は「世界宗教青年奉仕団」を創立し、また「世界宗教協議会」の最初の会議を発表したことがあります。
私が毎年支援しているこのプロジェクトは、昨年に発刊した『世界経典』とともに、全世界の宗教間の和合運動の最前線となってきました。特に各教団の青年代表たちが一カ所に集まって献身し、奉仕しながら他教団を理解し、和合の足場をつくったことは、幸いにも人類の未来のためになる伝統を立てました。
第二回会議は一九九〇年、アメリカのサンフランシスコで開かれ、正にその場で「世界平和宗教連合」を創設することを発表したのです。その翌年である一九九一年八月、ソウルで歴史的な「世界平和宗教連合|の創設大会がありました。そうして、今年には「国際宗教財団」とともに「世界平和宗教連合」が会議を共同開催するに至ったのです。
皆様が御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われることになります。ソウルオリンピックが開催された今から四年前、私は地球村の和合と交流協力の新しいぺージを開く「世界文化体育大典」に関する計画を公式的に発表しました。オリンピックは、大変重要な役割を果たしていますが、神様と縦的な価値および霊的な面が欠如しています。
宗教は、文化の中心なので、「世界宗教議会」と「世界平和宗教連合」は、「世界文化体育大典」の中心に位置するようになります。宗教的理想とその知恵と価値が、世界の中の教育、学問、芸術、体育、言論、政治、経済の根幹となり、その基準にならなければなりません。
「世界文化体育大典」は、人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を取り戻し、神様と人間と万物が調和された平和的な新しい文化世界を志向する歴史的な行事になるでしょう。
平和と幸福の世界を取り戻してきた道
尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちの世界が深刻な苦痛に陥っていることは、周知の事実です。たとえ冷戦は終わったとしても、世界随所で依然として紛争が起こっており、罪悪と憎悪と不義が猛威を振るっています。
物質的に豊かな先進国でも、絶望と霊的な貧困の中で苦痛を受ける人々が大勢います。多くの人々は麻薬と無分別なセックスの中に快楽を見いだそうとしますが、霊肉両面で破滅の道を突き進んでいます。誰がこのような罪悪と戦争と絶望の世界を望みましたか。誰も願いませんでした。
人類の本性は、どうすればこのような不幸を清算して、平和と幸福にあふれる世界を成し遂げることができるかという問題の解答を求めてきました。宗教が追求してきた道が、正にこの道ではありませんか。しかし、いまだに人類が願ってきた理想世界は実現されていないというのです。宗教の核心には、人類の不幸と苦痛の根源を明らかにしようとする欲求があります。私たちが苦痛の根源に対して無知ならば、苦痛をなくすことができる希望さえないのです。しかし、この問題の解決は、神様の啓示による知恵をもってのみ可能なことなのです。
人間は真の愛のために生まれた存在
私はきょう、この問題に関する根本的な原因を明らかにし、その解答を提示しようと思います。神様は、人間始祖アダムとエバを造られて、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一・二八)という三大祝福を下さいました。
第一の祝福である「生めよ」というのは、すべての人間が成長して、神様を中心として完成した人格者になりなさいという意味でした。第二の祝福は、完成した男性と女性が真の夫婦となり、子女を生んで真の父母の道理を果たしながら、理想家庭を成し遂げなさいということでした。第三の祝福は、人間が神様から許諾された環境の中で、不便や不足のない地上天国の環境を所有しなさいということでした。
真の愛の本体であられる神様は、愛の対象であり子女として造られた人間が、真の愛の完成体となり、その次に真の愛による夫婦の理想を成し遂げて、天国の環境をもつことを願いました。
しかし、不幸にもアダムとエバは、神様が祝福として下さった愛を完成する前、未成熟の段階で非原理的な愛で堕落し、エデンの園から追い出されてしまいました。そうして、生命の根源である真の愛と本来の神聖な資質を失った人間始祖は、神様の祝福によらずに、サタンの愛を中心として結婚生活を始め、サタンの愛と生命と血統を、子々孫々に相続するようになったのです。
神様は、人間の堕落によって成し遂げることができなかった創造目的を原状回復し、人間を不幸から救援しようというみ意を抱かれ、宗教を立てて指導してこられたのです。したがって、神様は全人類を生み変えるために、偽りの父母になったアダムとエバに代わってメシヤ、すなわち真の父母をお送りにならなければならないのです。
神様の摂理の究極的、不変の目的は、真の父母を探し立てることです。真の父母は、真の愛の化身体であり、真の生命の種として来られます。真の父母から真の家庭が始まり、この家庭は、復帰されるべきすべての家庭の標本となるのです。
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Wednesday Mar 02, 2022
平和経 第131話
Wednesday Mar 02, 2022
Wednesday Mar 02, 2022
12.平和世界のための宗教の使命
日付:一九九一年八月二十七日
場所:韓国、ソウル、リトル•エンジェルス芸術会館
行事:「世界平和宗教連合」創設大会
尊敬する各教団の最高指導者の皆様。世界各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。私は一九八五年、アメリカのニュージャージー州で開催された第一回「世界宗教議会」の際に、創始者演説を通して三つのお願いをしました。
一つ目は、各宗教の伝統は互いに尊重しなければならず、少なくとも宗教相互間の衝突や紛争を防止するために努力すること、二つ目に、私たちは、宗教共同体として協力しながら世界に奉仕すること、三つ目は、宗教の使命を完遂するために、すべての宗教指導者が参席し、世界平和のための一つの組織として発展しようという内容でした。そして、ちょうど一年前、アメリカのサンフランシスコで開かれた第二回「世界宗教議会」において、私は「世界平和宗教連合」の創設を主唱しました。皆様を含めた志のある宗教界の指導者たちの協力とともに、きょうこの場において、世界のあらゆる宗教の指導者たちが同参し、世界平和のための宗教連合体が歴史的な誕生を迎えるのです。
今は、世界の宗教が世界平和の実現のための中心的責任を果たすために、積極的な実践の道に立ち上がるときです。幸福な人類の未来は、物質的繁栄を追求することだけで実現されるのではなく、宗教間の理解、精神的な和合を通して思想と文化、人種間の葛藤を克服してこそ迎えられるのです。ここで私は、「平和世界のための宗教の使命」という主題でお話しし、「世界平和宗教連合」の創設メッセージに代えようと思います。
神様の真の愛を中心とした、他のために存在する利他主義的創造理想とは、心と体が調和一体をなした理想体としての個人を通して、理想的な家庭、社会、国家、さらには理想世界を成し遂げるというものです。しかし、人間は堕落することによって、その心と体がサタンの偽りの愛を受け、自分を第一と考える個人となり、このような人々が集まった家庭、社会、国家、世界は、立体的に増幅された葛藤と紛争を自体の矛盾としてもち、相互不信と分裂、闘争をするようになるのです。言い換えれば、サタンの願いである自己中心主義によって、民主世界は個人第一主義化され、サタンと人類は滅亡に向かうのです。これを救うために、神様の真の愛を中心とした「頭翼思想」と「神主義」が必要なのです。
私たちの社会と世界の紛争が、サタンの偽りの愛による個体の中の心身の葛藤から始まったので、真の平和は、神様の真の愛によって、まず個体の中の和合統一を通してのみ達成されるのです。平和世界を実現すべき基地は世界ではありません。心と体がサタンの主管圏を超えて、神様の真の愛で調和一体を成し遂げた個人、さらにそのような男性と女性が夫婦として結合した家庭が、すなわち世界平和を生み出す場になります。偽りの愛によって心と体が一体化できなかった堕落の結果は、私たちをして生活の中で縦横、多方面で心的な面と体的な面との分裂、葛藤、混沌を経験させます。例えば、個人や社会の価値の体系が、精神と物質、宗教と科学、唯心論と唯物論、理想と現実の間で、多くの混乱を経てきました。
創造理想によれば、心と体が理想的な神様の真の愛によって、個体の中で和合一体を形成するように、心と体の拡大の連結である心的世界と体的世界も、相克や闘争の関係ではなく、神様の真の愛で調和しなければなりません。心的世界を代表するものが宗教と思想の領域ならば、体的世界を代表するのは政治と経済の領域です。しかし、人間において心が主体であり体が対象であるように、宗教と政治の関係も、主体と対象の立場において、神様の真の愛で調和統一圏を成し遂げてこそ、理想社会が到来するようになるのです。
それでは、神様が聖人や預言者たちを地上に送られた目的とは何でしょうか。神様が願われる人格と生活の手本を見せながら、神様の真の愛のみ旨を万民に教育することです。特に、為政者や指導者たちに天道を教育し、実践させることによって、心の世界と体の世界が、神様の真の愛のみ旨を中心として和合するためです。
しかし、良心が願うとおりに体がついていかないように、多くの為政者たちは聖人や賢人を理解できず、その教えを受けずに警告を黙殺してきました。価値観の混乱、道徳的腐敗、麻薬中毒、テロ、人種差別など、現代社会の惨状と病弊に誰が責任をもてるでしょうか。
特に、いつの時よりも多元化した社会、また国際的に互いにもつれ合っているこの時代に、政治家たちの判断と選択に伴う責任はどれほど重大でしょうか。為政者たちが重要な事案を決定するときは、謙虚に天から聞こえてくる声に耳を傾け、天道に従って解決の道を探し求めていかなければならないと思います。
一方、私たちは、心の世界を代表する宗教自体が、平和世界を成し遂げるための主体的責任を全うできなかったことを反省しなければならないと思います。宗教が現実世界を指導し浄化する生命力をもつことができず、むしろ本来の使命に逆行していることを否定できないはずです。
各宗教は、神様の真の愛で内的純粋性と生命力を蘇生させなければならず、また果敢な自己改革とともに、神様の真の愛のみ旨の中において、兄弟宗教たちと一つの家族のように調和した関係を発展させていかなければなりません。神様とそのお方の真の愛の大きなみ旨に献身することが各教の使命ならば、教団自体だけの発展が宗教の目的になることはできません。神様は、経典研究と宗教的儀式よりは、神様の世界を救援しようとする大きなみ旨を知って、それを生活の中で実践することを求められます。長い間、宗教は、生きていらっしゃる神様をはっきりと目撃し、関係を結ぶことに失敗してきました。
私が知っている神様は、人間が論理を整えて集大成した教理の内容に執着されません。神様は、私たちすべての父母であられ、根源者であられるので、真の愛を中心として人種と宗派と文化を超越していらっしゃり、差別をしません。ですから、宗教者は、当然、万民救援とともに平和理想世界を実現しようという神様の真の愛のみ旨に、完全に従わなければなりません。宗教は、現実に安住することなく、生きていらっしゃる神様と共に、真の愛と真の生命力のある対話を行っていく、生きた信仰の道に進まなければなりません。
今の宗教的雰囲気ではいけません。新しい次元において、超宗教運動の推進力を通して、全世界的規模で破格の変革が要請されるのです。神様の真の愛の実践に誠実でない宗教者たちの偽善が、この地上に無神論者の拡散をもたらしました。
世の中は変わらなければなりません。各宗教は自浄努力で、新しい改革の主役にならなければなりません。すべての宗教は自らの利益を離れ、神様が願う世界救援のみ旨に従って、世の中の貧困と疾病と犯罪をなくすことにおいて先頭に立ち、終わりの日の暗黒世界に光明な光になって、政治、経済、社会の各界指導者を訓導しなければなりません。
尊敬する宗教界指導者の皆様。私は、神様の摂理の方向に従って世界を改革し、地上に神様の真の愛の理想を回復することに、あらゆる精誠を尽くしてきました。「国際宗教財団」(IRF)を中心として世界的に展開した「新超宗派研究協会」(NewERA)、「世界宗教協議会」(CWR)、「超教派牧師会議」(ICC)、「世界宗教議会」(AWR)、「世界宗教青年セミナー」(YSWR)、「青年宗教者奉仕団」(RYS)等の活動を通して、教団間の理解と和合と宗教者がすべき神様の真の愛の実践の手本を示しながら、平和世界理想のために尽力しています。五年前に世界の宗教指導者の合意と私の指示によって、今回出版した『世界経典』は、世界宗教の普遍的価値の内容が集大成された神聖な経典として、人類の心霊を照らしてくれる最高の光になるでしょう。特に一つの地球村家族として和合して暮らすべき青少年たちに、宗教と皮膚の色と文化の塀を跳び越えることができるように教育する、大切な教科書になるでしょう。
すべての人は、この経典を通して宗教的な無知と独善から抜け出すだけでなく、宗教の相互間には差別性より普遍的基台と共通性がはるかに多い、という事実を悟るようになると信じます。これまで『世界経典』の出版のために苦労してくださった各教団の監修委員と学者の皆様に、この場を借りて感謝と称賛を捧げます。
私は、世界平和のための心的であり主体的である「世界平和宗教連合」の創設に続き、あすには体的であり対象的である「世界平和連合」を本芸術会館で創設する予定であり、このために全世界から指導者たちが到着しています。この二つの機構が内外に調和、協力しながら、天意に従って真の愛で統一を実践するならば、平和世界は実現されるでしょう。ここに、神様の真の愛によって、心と体の統一と世界を越えて宗教と政治が統一されることによって、平和の世界が訪れるのです。
尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちが真実の目でこの時代を見つめるとき、今こそ宗教者の信仰だけでなく、実践の行動まで求められる切迫した時であることを知るようになります。
人種間の紛争や宗教戦争などの不幸な闘争をはじめとして、無神論、快楽主義、世俗的人本主義、そして真の宗教に対する歪曲などが蔓延することによって、引き起こされたこの世界の問題は真に深刻です。西側社会においては、共産無神論が立つ場所を失ったと安心する風潮もありますが、これは本質を知らずに下した速断です。神様を中心とした新しい真の愛の覚醒運動が、社会全般にわたって起きない限り、西欧社会が中心となった現代文明の没落は、共産圏の没落よりもさらに悲惨な形で近づくでしょう。世界をこのまま放置できません。時間がありません。誰がこの世代に責任をもつことができるでしょうか。軍人でも政治家でも科学技術者でもありません。正に、私たち宗教界が責任を負わなければなりません。
私は皆様の積極的な協力を要請します。「世界平和宗教連合」の運動を通して、歴史的な伝統宗教が調和しながら、世界平和に向かう実践運動として前進するとき、世の中を導いていく精神的基礎が固く立てられ、神様の真の愛を中心とした平和理想は完成されるでしょう。結局、全世界の宗教界が統一された方向をもつとき、統一された平和世界は到来するのです。
「世界平和宗教連合」の未来と各教団を代表した皆様と皆様の家庭に、神様の御加護があるとともに、皆様が世界平和を増進させる真の愛の人になることを祈りながら、これで終わりたいと思います。ありがとうございます。
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Tuesday Mar 01, 2022
平和経 第130話
Tuesday Mar 01, 2022
Tuesday Mar 01, 2022
神様とサタンの対決の場である中東
地球で最も深刻な緊張感が、どうして中東で繰り返しているのでしょうか。軍事的侵略者が偶然に、中東のある国家から出たからですか。でなければ、中東地域が、石油が豊富だからですか。違います。いくら鋭利な分析力をもった天才だとしても、また歴史と政治の知識にいくら通じていたとしても、それに対するより深い現実的原因を説明するには足りません。これは正に、この地域が神様とサタンが対決を繰り広げる所だからです。
中東の多くの預言者が神様の啓示を受けました。神様のメッセージは、単純に中東の人々だけのために予定されたのでしょうか。もちろん違います。神様のメッセージは、世界のすべての人々の人生を導かれるために下さいました。
したがって、中東の現在の緊張と衝突は、この地域の人々だけの問題ではありません。全世界の運命が中東の発展にかかっています。神様のビジョンを全世界の人々が活用できるように、偉大な預言者たちは、闇の勢力と戦わなければなりませんでした。それと同様に、皆様の平和仲裁者の使命は、宗教戦争と人種間の紛争で世界を支配している悪魔の力を否定し、全世界の平和のために神様のみ旨を知らせることです。
人類歴史は、善と悪の絶え間ない闘争歴史でした。神様の愛と心情に一致した社会と人間の生に復帰する過程では、当然のことです。私たちがこの過程をもう少し詳しく調べるならば、偉大な聖人たちや預言者が悪の勢力を屈服させた原理が分かります。サタンは常に神様より先にその勢力圏を形成します。
そして、サタンはその強い力で神側を攻撃し、神様のみ旨を破壊しようとします。サタンが常に先行します。勢力圏の形成も先であり、攻撃も先です。実際、攻撃はサタンの専有手段です。攻撃を先に受ける側は、いつも神側です。それにもかかわらず、神様は原理に従って準備をします。
天の側は先に攻撃を受け、苦痛と犠牲を克服して繁栄しました。言い換えれば、天の側は犠牲の代価を払い、不義に打たれながら、道理に従って勝利してきました。皆様は、預言者ムハンマドが生きている間、彼をマッカ(メッカ)から追放させた悪の勢力たちをよく知っています。ムハンマドがすべての氏族と民に、平和と兄弟主義に立脚した希望のメッセージをもたらしたとき、悪を中心とした政府勢力は、神様の使者とその追従者たちの命を奪い取ることに彼らの力を動員しました。
そのため、イスラームを信じる群れは、これらの侵略と不義に耐えなければなりませんでした。神様の「打たれて復帰してくる法則」によって、ムハンマドと彼の追従者たちは、これらの勢力を完全に屈服させることができたのです。結局、ムハンマドは栄光ある勝利者として、カアバ(KAABA)に帰ってきて、それを神様に捧げました。
しかし、彼についての話は、神様のこの原理を示す単純な話ではありません。イエス様とアブラハム家庭、そして他の預言者たちについても、それは同じでした。実際、皆様が今日の世界のどのような宗教を調べても、その宗教が正に打たれて復帰してくる自己犠牲と蕩減の原理によって繁栄したという事実を、明らかに知るようになるでしょう。
このように攻撃されたからといって、全知全能であられる神様が、そのやり方を変えるだろと考えるとすれば、それはどれほど愚かでしょうか。真理は決して変わりません。第一に、攻撃はサタン側に属し、第二に、天の側は攻撃を受けても忍耐し、蕩減と犠牲を払ったあとに勝利を得るのです。
この二つの事実は、政治、経済、軍事学などの基本原理を越えた真実であり、永遠の真理です。その唯一の真理は、すなわち神様の真理であり、復帰の法則になるでしょう。
打たれて取り戻してくる戦法を通した復帰と勝利の原理以外にも、不変の歴史的原理がありますが、それは神様が常により大きな目的のために生きる人々を支援するということです。例えば、自分自身のためだけに生きる人と自分の家族のために生きていく人々がいるとすれば、神様は自分の家族の利益のために生きる後者を支援するでしょう。家族のために生きる人は、自分以外の家族のために自らを犠牲にするからです。
一方で、自分の家族のために生きる人と自分が生きる地域の利益のために自らの愛する家族を犠牲にする人がいるとすれば、神様は地域のために生きるその人を後援するでしょう。これもやはり、神様の変わらない真理です。
一方、私たちはこの原理を知って、その原理に従って生きた標本として、預言者たちを挙げることができます。預言者たちは、自らの氏族や部族のために生きましたか、でなければアラブ民族のために生きましたか。そうではありません。彼らはある特定のグループや氏族に限定されず、常により高次的な目的のために生きました。
預言者たちのメッセージは、神様と霊的に交流するすべての貴重な方々のためのものでした。もし、最も偉大な人が私たちの中にいるとすれば、彼は世界のために最後まで努力する人でしょう。また、最も大きな目的があるとすれば、それは神様のために生きることです。神様にどれほど近づきつつあるかを調べてみる最も良い方法は、自らの言葉と生活がより大きな目的のためになっているかを調べればよいのです。
すべての行為は、人類全体の利益のためのものでなければなりません。単に一団体や一つの民族、宗教あるいは氏族だけのためのものではいけません。神様に最も近い人がいるならば、全体の利益のために生きる人でしょう。ですから、中東の現状が一時混乱するとしても、私たちは、あらゆる分析と洗練された解釈に依存しようとする誘惑に打ち勝たなければなりません。私たちに重要なことがあるとすれば、神様の摂理の原則、すなわちサタン側は攻撃をし、天の側は全体目的のために個体を犠牲にするという法則が、決して変わらなかったということを記憶することです。
宗教間の紛争解決の道
宗教指導者たちだけが、このような真理と平和の方法を知っています。したがって、私たちは神様のみ旨と神様の原理を知らせる伝達者にならなければなりません。平和は私たちにかかっています。
私たちは、現状について、私たちの同志、すなわち私たちの意見に従う政治および軍事指導者に話をするとき、どちらか一つの国家の利益を考えるのではなく、何が全世界のために最も利益になるのかを考えなければなりません。また、私たちは一様に、真の愛に立脚して、人のために生きていかなければなりません。
この時代、最も大きな不幸は、中東でのユダヤ教とキリスト教、イスラーム間の戦いです。アメリカだけでなくヨーロッパ、中東など、全世界がこの点を悟るべきでしょう。私があらゆる国の指導者たちに、このメッセージを送る理由がここにあります。
人はただ一つの目標のために生きなければなりませんが、それは中東の状況を宗教間の紛争から保護し、安全にすることでしょう。宗教指導者である私たちに、最も大きな責任があります。中東紛争が平和的に解決されるよう、私たちがあらゆる力をすべて注ぎましょう。私は今までお話し申し上げたとおり、平和のために夜も昼も心から祈ります。宗教指導者の皆様も、一緒に同参してくださることをお願いいたします。
いま一たび、神様と人類の平和のための皆様の神聖で崇高な愛に衷心から感謝申し上げながら、皆様と皆様の家庭とこの世界に、神様の祝福が常に共にあることを祈ります。ありがとうございました。
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Monday Feb 28, 2022
平和経 第129話
Monday Feb 28, 2022
Monday Feb 28, 2022
11.イスラームと世界平和の定着
日付:一九九〇年十月二十一日
場所:エジプト、カイロ
行事:世界宗教協議会イスラー厶指溥者会議(代読)
尊敬する宗教指導者、学者、そして内外の貴賓の皆様。このように重要な会議に参加してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。平和のための本会議を、開催直前にお知らせしたにもかかわらず、このように参加してくださった皆様の歩みは、神様の大きな喜びになると思います。
平和の根源は神様
皆様も御存じのように、私たちは驚くべき緊張感の中に囲まれています。政治および経済的対立と歴史的怨恨が極に達し、ついには、誰が見ても私たち人間の生存が大きく脅威にさらされていることが分かります。被造万物のように人間も絶滅の危機を迎えており、緊急な対策を講じなければなりません。これこそが、私たちがあらゆる分野で多大な活動を見せている理由でしょう。
残酷な悲劇を防止しようとする努力の一環として、指導者たちは自分たちの良心作用によって必死に解決策を模索し、ある者は軍事的解決策を、また他の指導者たちは政治や経済的解決策を提示します。しかし、そのような解決策は、一時的に平和に寄与するかもしれませんが、恒久的な平和を定着させるための根本的な代案には、決してなり得ません。真の宗教者と信仰者だけが闘争の本質と原因を理解することができます。そして、無秩序の真の原因を知る人だけが、このような問題を解決することができます。そのため、このように緊急に皆様に会議の参加を要請したのです。
もちろん地上の平和には、究極的に人間の政治、経済、言論のようなあらゆる分野からの洞察力が必要です。しかし、平和の根源は神様にあり、その平和は、自分たちの人生を神様のみ旨に合うように生きる人々を通して、この地に実現されます。
世界平和は、究極的に神様のみ旨に対して、人間が従順に従うかどうかにかかっているということを悟った私は、既にかなり前に「国際宗教財団(IRF)」を創設しました。統一運動の草創期から、私は常に私たちの財源の大部分を、他宗教のために捧げてきました。大部分の統一教会の信者たちが、十分に食べることもできなかった一九五〇年代には、宗教間の和合のために私が使う資金について、彼らが不平を言いました。
私は、統一教会の信者たちが苦労する姿を見るのがつらかったのですが、サタンが人類の未来を破滅させるために、究極的に人種間の紛争や宗教戦争を起こすという事実をよく知っていたので、忍耐して耐えていこうと、お願いしました。宗教者たちの間に真の愛と和合と協力を強調しながら、四十年以上の間、私は「国際宗教財団」に、あらゆるものを捧げました。
あらゆる高等宗教から「国際宗教財団」の偉大な宗教指導者および平和の仲裁者たちは、今やサタンの計画を未然に防止し、恒久平和を切り開くべき偉大な使命をもちました。
皆様がよく御存じのように、サタンは人類を破壊と暗黒に追いやるため、常に攻撃してきました。今世紀にかけてサタンの計画は、神様を否定する共産主義を通して攻撃することでした。国家の抑圧と統制によって、全体の国民には神様の真理のみ言の聴取が禁止されたのです。神様がいない社会を建設するという名分のもとに、数百万人を虐殺しました。この反逆者、悪魔サタンの計画は、六十年以上の間、繁栄し、世界の三分の二を制覇しましたが、いかにして、今この帝国が一日で没落するようになったのか、政治学者たちでさえも説明できずにいます。しかし、霊的な洞察力をもった方々は、それが神様のみ業だったのであり、天法に従って生きる方々の力がその原因になったという事実を、はっきりとお分かりになるでしょう。また、ついにはサタンを屈服させて、邪悪な恐怖政治を終わらせるようになることを、はっきりとお分かりになるはずです。
サタンは人類を破滅させるために、最後の大攻勢を展開しています。その戦略は、共産主義よりも一層悪辣で脅威となる二つのもの、すなわち宗教戦争と人種間の紛争を起こすことです。
今日、私たちが、正にそのような破壊的な人種間紛争が起きる直前の危機に置かれていることが誰にでも分かるでしょう。もし、そのような問題が勃発して人類を暗黒の中に追い詰めるならば、人類は蹂躙され、破壊された地球星で、辛うじて生を維持することになるでしょう。また氏族、宗教、民族が、彼らの思考を自分たちだけの利益にのみ限定させるならば、利益を得る唯一の存在は、神様の敵であり、人類の敵であるサタンだけでしょう。
このような理由ゆえに、永遠であられる神様は、この二つのことに関心をもっていらっしゃいます。なぜ神様は預言者に預言を与え、世界の宗教を立てるのでしょうか。もちろん、それは堕落した人間を神様のもとに帰ってくるようにして、その祝福のみ旨と完全に一体となった一つの平和世界をおつくりになるためです。
人間は世界に対して、神様が展開しようとされた理想を知らなければならず、なぜ神様が預言者たちに啓示を下さったのか、その理由を知らなければなりません。どこの誰も言葉だけでなく行動において、神様の根本理想を預言者ムハンマドよりも深奥に表現した人はいないでしょう。
限りない愛をもたれた神様は、いくら取るに足らない人だとしても、その人の滅亡を願われないでしょう。宗教間の闘いが神様の希望と正反対になるという事実を知っても、私たちが知らないふりをしてやり過ごしたとすれば、どうなるでしょうか。純真無垢な子供たちを破滅させ、人類を言うに言えない暗黒世界に引きずり込もうとするサタンの計画に、私たちの力を貸す結果になるでしょう。
人種間の紛争においても同じです。私たちは一つの先祖から生まれた一家族です。神様は、すべての人種が一つの兄弟姉妹として、調和をつくりだして生きることを願われます。預言者ムハンマドはこの事実をよく知っており、歴史もまた、彼が生涯を通してこれを理解していたことを明確に見せてくれています。人種と宗教の間の平和と和合と協力のために、神様の全体の計画を知らせることが、この時代の私たちの至上課題です。
神様が啓示した真理の一部分だけを追求する人は、他の人々に本来のみ旨とは逆のことを伝播して神様に背くようになります。私たちは、神様の啓示を理解するために、私たち自身を宗教指導者や霊的な指導者たちに任せたように、完全に大衆や政治、経済、そして軍事指導者たちに頼ることはできません。人類は神様の起源と平和および兄弟の幅広いビジョンについて、教育を受けなければなりません。今世紀の人類歴史にあって、宗教戦争や人種間紛争以上に、神様に大きな苦痛と不快感を与えるものはないでしょう。
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Monday Feb 28, 2022
平和経 第128話
Monday Feb 28, 2022
Monday Feb 28, 2022
しかし、現実世界は、神様が理想とされていた本然の世界ではなく、罪悪と闘争と苦痛に満ちた地獄世界になりました。自然界と霊界は、本然の秩序の中にありましたが、ただ人間始祖だけが病気にかかり、むしろ自然界と霊界にまで害を与えています。このように病気にかかって故障した人間世界について、宗教的には堕落したと表現します。神様はこのような世界を原状に戻そうとする救援摂理をされるようになり、またその救援摂理は復帰摂理であり、すなわち再創造摂理だと、私は今まで教えてきました。
天意に従って、復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的をもっているのです。メシヤの使命を、神様の愛を実現する真の父母の使命として理解する場合、私たちはこの使命を追求し、成就するために召命を受けています。またメシヤの使命は、今まで神様に反対してきたサタンを追放し、その文化生活圏を追放し、またその血統を天の側に転換させることによって、神様を中心とした理想世界に変えなければならず、実際にそれがすべての宗教が遂行すべき、宇宙史的な使命なのです。
聖書に記録された神様の最初の息子と娘だったアダムとエバは、神様の真の愛の中で育ち、また結婚の祝福を受けて罪のない子女たちをもつことによって、彼ら自身が真の父母となり、直接天国に入っていくようになっていたのです。そのようになっていたならば、この世界は地上天国となり、神様の真の愛と神様の生命と神様の血統を受け継ぎ、永遠な神様の理想家庭がつくられ、国家と世界まで神様が直接主管する血族になっていたでしょう。
ところが、アダムとエバが未完成期に天使長と不倫な性的関係を結び、天使長はサタンになり、アダムとエバは悪の先祖になって、死亡の世界が始まったのです。すなわち、この世界はサタンの血族になってしまったのです。
このようにサタンは淫乱の神となったため、神様は淫乱を最も嫌われます。ソドムとゴモラ、ローマ、そして今日のアメリカとヨーロッパも、淫乱で滅びていく時に遭遇しました。アダムとエバが青少年期に淫乱の種を蒔いたので、今日、青少年たちを通して淫乱の実を刈り取られるのを目撃するとき、私たちは終わりの日になったことを知り得るのです。人類はサタンの愛、生命、そして血統から解放されようとするので、真の父母を再び探さなければなりません。そのお方が、正にメシヤとして来られるお方なのです。
アダムとエバが堕落して、本然の責任を果たせないことによって、神様は真の子女を失い、人類は真の父母をもつことができない一大悲劇がもたらされたのです。その結果として、神様の真の愛と真の父母理想を具現する実体がなくなりました。この悲劇的失敗を正し、原状回復をするように指導する目的のもとに、神様は宗教を立てました。
これに対し、メシヤは真の父母として、これまで偽りの父母が植えた偽りの根を抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもってくるお方です。神様は、宗教を創設し、メシヤを遣わすことが本当の理想ではありませんでした。神様の不変の目的は、真の愛の家庭と国家と世界の実現です。
宗教はこの目的にどれほど寄与するかによって、その価値が付与されます。このような点から見るとき、宗教の目的が達成されれば、真の愛と真の家庭が現実化されるのです。これと反対に、このような目的に寄与せずに、その宗教自体だけのために存続する宗教は、たとえ神様を口実にしても、神様とは関係がないのです。人間の家庭を見ても、血縁と兄弟関係は父母を前提としてこそ存在します。この世の中が真の愛と真の家庭の領域に入るためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命を果たすために、神様は私を召命しました。この目的のために、私はすべてのものを捧げてきたのです。
私が世界的に展開している統一運動をはじめとして、超宗派的な活動はもちろん、学術、教育、言論、科学技術、企業、金融など、各分野で展開してきたすべての事業も、すべてこの目的のためです。私は苦難と迫害の峠を越え、死地をかき分けてきながらも、自分を生んだ父母よりも、自分の兄弟よりも、世界の五色人種を愛そうという、ために生きる父母の心をもって生涯を生きてきました。真の愛が訪ねていく道は直短距離を通るようになります。真の愛の実践には、前提条件や言い訳があり得ず、そのどのようなものも障害になりません。ただ自己犠牲によって、ために与える道のみを直行する道です。全人類が真の父母を迎え、真の愛の生活をしない限り、世界平和は実現されません。真の父母の理想と世界平和の理想は直結しています。すべての国家と民族と文化と宗教が、互いに一〇〇パーセント以上ために生き、寛容でありながら、和合することによって、世界平和を成し遂げなければなりません。
尊敬する宗教指導者の皆様。私はきょう、皆様の前に「世界平和宗教連合」の創設を唱えます。根幹の外的な世界情勢は冷戦の終息、東西和解に進んでいます。対決と分裂を克服し、人類一兄弟、世界一家族として和合していく統一の時代を指向しています。
二十世紀を締めくくる最後の十年は、神様が人類に本然の世界へ復帰できるように許諾した貴重な機会です。私は既に去る六月一日、外的基台として「世界平和連合」の創設を提唱し、アメリカ、ソ連など、世界各国の指導クラスの要人数万人が呼応してきています。この機構の目標を達成するための内的基台が存在しなければならないのですが、それが正に「世界平和宗教連合」です。
数多くの人々が真の和合と一つの世界を成し遂げるために苦労してきましたが、どうして真の調和一体の世界がまだ成就していないのでしょうか。誰もが和合を願いますが、真にその動機がどこから来るのか知らずにいるのです。真の和合と一体の動機は、自分の相対、息子、娘、隣人、国家、世界のような相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。自らが本心を中心として、調和一体を成し遂げた心と体をもつ和合の実体になったかどうかが問題です。人間が神様と真の父母の心情をもつようになるとき、初めて人のために生きることができ、また相手と真に和合する真の愛が中心となった生活を貫くことができます。
これらは信仰の領域です。究極的平和世界の実現のための宗教の役割は絶対的なので、これから宗教者たちが宗派の壁を崩し、神様が願う目的のもとで、連合された力によって世界平和具現に立ち上がらなければなりません。世界平和のための宗教者の役割が不足だったことを自省し、世界和合の動機であり根本要素である真の愛を、宗教の中で啓発し、これを実践する「世界平和宗教連合」運動を大々的に展開すべきときです。
尊敬する宗教界指導者の皆様。神様は宗教者たちの実践と模範を求めています。宗教のために神様が存在するのではありません。世界のために生きる本然の状態に回復させようとする、神様のみ旨を成就するために宗教が立てられました。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、真の父母の宗教です。真の父母の心情を抱いた宗教、真の愛を実践する宗教こそ、葛藤と不正に満ちた今日の世界において、神様のみ旨を実現する宗教になるでしょう。
歴史的に見れば、今まで養子レベルの宗教、庶子レベルの宗教、子女レベルの宗教などの各レべルの宗教があります。しかし、そのどのレベルを問わず、宗教は自分の宗教が第一であり、自分の宗教を通さなければ世界平和を成し遂げることができない、という偏狭性から抜け出さなければなりません。そうして、すべての宗教の教えは、究極的に真の父母レベルの宗教に吸収され、統合されなければならないのです。そのようになれば、すべての宗教が体験している宗教の斜陽化も終わるのです。真の愛を中心として絶対的にために生きる立場に立った宗教は、互いに統合して世界平和を成し遂げるために、そして地上の天国のために前進するでしょう。
このようなことを知れば、私たちは今、世界が直面した深刻な問題を解決するためにも、真の宗教者の実践生活を見せなければなりません。世俗化された信仰から生活信仰に変える問題から、混乱した価値観の再確立、荒廃した人間の本性の回復、道徳基準の高揚と退廃文化の清算などの問題の解決は、すべて永遠の神様の真の愛と真の父母様の真の愛主義によってのみ可能になるのです。
今日、世界の若者たちは、私たちの前に置かれた、このような偉大な機会を直感的に認識していると思います。宗教指導者としての私たちは、今日の若者たちに対して真の師の役割を果たさなければなりません。永遠に不変な絶対価値の基準である真の愛を指向して、私たち自らの心身の統一はもちろん、唯心論と唯物論の世界までも連結、統一させなければならないのです。そのことこそ、世界平和の土台をつくることになります。
このような基盤の上に、私たちは内的世界である宗教界を統一し、外的国々を統合して、結局は永遠の世界平和を成し遂げなければならないのです。このような目的を達成するためには、すべての宗教者たちが、男女を問わず責任的役割を果たさなければなりません。
多くの若者たちが真の愛に飢えています。他のために生きる人生を実践するのが真の愛です。したがって、宗教指導者である私たちが、神様の真の愛と真の父母様の絶対価値の道を手本として見せなければならず、宗教の伝統も真の愛の道に進む姿を見せなければなりません。そのようになれば、神様と人類が一つになって新たな希望の世界に前進するようになり、神様の創造理想も達成されるようになるのです。したがって、新しい時代が開かれたことをはっきりと見せましょう。
結論として、今回の大会の期間、皆様の活発な議論が、神様のみ旨のもとで真の宗教の具現と真の愛の発見に連結され、世界平和に対して大きく寄与することを願います。神様の祝福が常に共にあることを祈ります。
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