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Monday Aug 23, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第55話
Monday Aug 23, 2021
Monday Aug 23, 2021
新しい生命と許し、母の両輪として
人はみな、海を恋しく思うものです。普段の生活の中でも、ふと海に向かって走っていきたい衝動に駆られることがあります。また、青い海に思い切り飛び込みたいという気持ちになることもあるでしょう。海は母なるもの、母性の象徴です。海は母の懐のように、深く広がっているからです。
また、北米にあるナイアガラの滝や、南米にあるイグアスの滝の前に立つと、感嘆せずにはいられません。その雄大な景色に圧倒され、時には言葉すら出なくなります。
それらの滝は、大小様々な水流を集め、壮大な景色をつくり出しています。数多くの水流が、大きな水流に向かっていくのは、極めて自然なことです。それぞれ出発地は違えども、河川はみな等しく、大海を目指すのです。大きな水流に向かうのは嫌だといってぐずぐずしたり、停止したりすれば、その水は腐るしかありません。
よどんだ水が腐らざるを得ないように、様々ある宗教が自分たちの教理を絶対視してそれに執着していれば、流れが滞って変質したり腐ったりして、広い海に到達することができません。
今や、神様の本性について正しく説明できる宗教団体が現れなければならないのです。神様が人間を創造された根本目的は、人類の父母になることでした。その父母の前では、私たちはみな子女です。しかし今日、人類が神様の前に進み出ることがなぜ閉ざされているのかを、祈りながら研究してみなければなりません。
イエス様が誕生するまで、天は四千年という長い年月の間、人類を救うために歩んでこられました。四百年ではありません。四千年という歳月をかけて摂理される中でイスラエル民族を立て、ようやく「私の息子である」と言える独り子を送られたのです。
しかし、イエス様を迎えた家庭とイスラエル民族が責任を果たせなかったことにより、イエス様は十字架に追いやられました。十字架を背負って歩かれるイエス様をあとにして、家族はもちろん、弟子たちさえも裏切って逃け出しました。支えてくれる人は、周りに誰もいませんでした。十字架上で、ただ右の強盗だけが、イエス様が正しい人であることを証ししたのです。
これまで、この惨儋たる歴史について、キリスト教はもちろん、地上の誰一人気づきませんでした。
イエス様は真の父母として、堕落した人類を重生、復活させ、神様の真なる子女として歩むことができるように導くべき仲保者でした。まさしく、私たちの父母となる方だつたのです。しかし結果は、全く違うものとなってしまいました。責任を果たせなかったイスラエル民族がどのような蕩減を払うことになったか、歴史は如実に示しています。イスラエル民族は二千年間、国のない民としてさまようことになりました。これが歴史の真実であり、天の摂理です。
イエス様は再臨し、「小羊の婚宴」をすると約束されました。再臨の時を迎えたら、キリス卜教文化圏は最後に来る独り娘を迎えなければなりません。この重大な内容に関して、天は一度責任を果たせなかったイスラエル民族を、再び用いることはされませんでした。独り娘を誕生させる国と民族を、新たに選ばれたのです。
天は、紀元前には東夷民族と呼ばれていた韓民族を選ばれました。農耕文化を築いた韓民族は、天を崇拝し、平和を愛する民族でした。この韓民族のキリスト教文化圏から、独り娘が生まれることになったのです。
一七八四年、韓半島にキリスト教が伝わり、一九四三年、独り娘である私が誕生しました。韓半島は一九四五年に解放を迎えましたが、すぐに南北に分かれ、北は共産化されてしまいました。当時、私は北にいましたが、共産主義による統治下では無事に成長することができないことを天はご存じだったので、私が南下するよう、導いてくださったのです。
そして一九五〇年、韓国動乱が起きました。当時、韓国は北朝鮮の侵略を防ぐ準備が全く整っていなかったのですが、天は私を保護するため、国連の十六ヵ国が参戦するという奇跡のような出来事を起こされました。その時、ソ連は国連の常任理事国になっていましたから、韓国動乱への介入にソ連が反対していれば、国連軍は参戦できなかったはずです。しかし、ソ連がその時会議に参加しなかったため、参戦が可能となったのです。
私は一九六〇年に真の父母の位置に進み出ました。その後、夫と私は生涯をかけて、全世界に多くの祝福家庭を生み出しました。今では多くの宗教団体のリ—ダ—が真の父母の願いを受け、世界各地で祝福行事を行っています。
二〇一八年の年初に、私はムスリムの国であるセネガルでアフリカサミットを開きました。そしてその場で、アフリカが天のみ旨に従うというなら、私と共に歩まなければならないと語りました。すると参加した各国の首脳や族長、宗教団体のリーダーたちが、私の提案に対して全面的な支持を表明したのです。
ヨーロッハでは、仏教のリーダーが自分の団体の人々を祝福に導いています。ムスリムも独り娘である私の志に歩調を合わせ、全面的に従うと決意しています。アメリカのキリスト教の人々も同様です。
人類歴史はもうこれ以上、先延ばしにできない終着点に到達しました。今こそ、新しい天一国時代を切り開いていく時です。新しい時代には、それに合う新しい服に着替えなければなりません。天一国の民として、神様の子女となり、孝子、孝女、忠臣の中心人物になることができる時です。私は歴史の真実を話さなければなりません。ためらうことは何もありません。
二〇一八年八月、ブラジルで開かれた中南米ヮールドサミットでは、キリスト教はこれ以上新しい生命を誕生させることのできない「無精卵」と同じであると話しました。その場には力トリックの枢機卿をはじめ、教団のリーダーなどの宗教指導者たちが大勢参加していましたが、私は今ある宗教はすべて、真の父母を受け入れて祝福を受けてこそ、新しい生命を宿すことができると、ためらうことなく話したのです。彼らはみな、私の言葉に同意しました。
私は地上にいる七十七億の人類をみな、神様の真なる子女として生み変えなければなりません。それは私が独り娘、真の母、宇宙の母だからです。
聖書には、「人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイによる福音書一二章三二節)とあります。生命を得るためには、独り娘である母を通過しなければなりません。聖書は、母を否定する者には未来はもちろん、安らかなる死後の世界もないことを訴えています。私はいつも新しい生命を準備する、真の母です。常に心の扉を開き、七たびの七十倍までも許す、真の母なのです。
真の父母だけが人生の羅針盤です
一九六〇年に聖婚式をした後、私は不思議な夢を見ました。私一人、子供たちをおぶったり、その手を引いたりしながら、包みを頭に載せ、一寸先も見えない断崖絶壁の道を歩いているのです。幸いなことに、千尋の谷に落ちることなく、光を求めて進んでいくうちに平坦で大きな道に出たところで、夢から覚めました。
私たちの歩んできた道は、高い山があればそれを崩し、深い谷があればそれを埋めて越えていくような、苦難の連続でした。これまで、私たちのように切迫した心情で神様を解放しようとする人はいませんでした。私たちは聖婚以後、人類を救うために、世界中を回りました。どこにおいても、くつろぐことなどできませんでした。しかし、真の父母の道を歩みながら、私たち夫婦は常に一体となっていました。それは、神様の前に孝情の道理を果たし、平和世界を実現するための道でした。
その路程で過去数十年の間、受けてきた誤解と迫害は、本当に耐え難いものでした。韓国の歴代政権をはじめ、一部の宗教者などによる中傷や謀略も、あまりに悪意に満ちたものでした。
しかし、私たち夫婦はひたすら耐えながら、神様のみ言を伝え、真の愛を注ぎました。そのようにして、あらゆる試練を克服した今では、私を真の母として信じ、従ってくる人が百九十以上の国におり、日々増え続けています。
イエス様は、「私は神の息子であり、神は私の父である」、「私は独り子である」と言いました。独り子とは、天の父母である神様の初愛の実であり、初愛を受けることのできる王子を意味します。だとすれば、独り娘もいなければなりません。独り子は新郎であり、独り娘は新婦です。独り子と独り娘が出会い、結婚しなければなりません。それが聖書に出てくる「小羊の婚宴」です。この婚宴を経て、家庭を築くのです。天の父母様の願いとは、独り子と独り娘が真の家庭を築くことなのです。
人間の願いは、その真の家庭において、真の父母に出会うことです。人間は、真の父母の愛によって完成するのです。真の人間としてこの世を生き、永遠の生を生きるためには、真の父母に出会わなければなりません。たとえ死の道を行くとしても出会うべきなのが、真の父母です。歴史をすべて失い、後孫をみな失うことになるとしても、真の父母に出会えば、歴史を取り戻-未来も取り戻すことができます。
聖書には、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ョハネによる福音書一四章六節)とありますが、ここには「愛」が抜けています。愛がなければ、私たちは何もできません。
「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、天の父母のみもとに行くことはできない」
このように、愛を加えてこの言葉を新たに心に刻むとともに、このような愛を持たなければならないのです。
地上の七十七億の人類が一人残らず、この地に顕現した真の父母に出会わなければなりません。真の父母によって祝福結婚を受けてこそ、真の生命と真の愛の道に進み出ることができるのです。
真の父母こそが道であり、永遠の真理であり、命であり、愛です。ですから、真の父母がそばにいるということは、とてつもなく喜ばしい事実なのです。人間が神様からいただける最高のプレゼントとは、み言によって生まれ変わって真の父母の子女となり、そうしてさらに、氏族の真の父母になっていくことです。
六千年の間、父母を失っていた人類にとって、父母を見つけ出すこと、それ以上に幸せなことはありません。宗教を持つというのは、このように父母を捜すことです。そして、人間の究極の願いは、父母である神様のすべての祝福を受けることなのです。
私は真の母、独り娘として、そして宇宙の母として、すべての摂理を完成し、新しい時代を開きました。これからすべての人々がその事実を胸に刻み、真の父母の願いと一つにならなければなりません。そうしてこそ、真の父母の印を受け、平和の母、独り娘が導く生命の道を共に歩むことができるのです。

Sunday Aug 22, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第54話
Sunday Aug 22, 2021
Sunday Aug 22, 2021
その後、私はハデべ預言者と共に昼食を取りながら、会話を交わしました。これまでハデべ預言者が、霊的な啓示を受けたり、深刻に精誠を捧げたりするとき、いつも一人で籠もっていた山があるといいます。私が到着した十二月五日は、彼自身にとって霊的に非常に重要な日であるため、毎年この時期になると山に登り、精誠を捧げているとのことでした。
十二月五日というのは、南アフリカはもちろん、アフリカ全土で最も尊敬される人物の一人であるネルソン•マンデラ元大統領が逝去した日なのですが、ハデべ預言者がマンデラ元大統領の逝去を公に預言していたため、周囲を驚かせた日でもあるのです。
また、霊に憑かれたある少年が、天から来た異言を通して、「南アフリカを解放する指導者はハデべである」と証しをし、獅子の牙を体内から吐き出して彼に贈呈した歴史的な日だそう
です。この霊的なエピソードは、南アフリカで伝説のように伝えられている、非常に有名な話です。そのため、ハデべ預言者は毎年この日になると、自分に与えられた天の召命について感謝するとともに、山に登って決意を固め、誓いを捧げてきたそうです。
このような日に真の母が訪れたので非常に縁起が良いといって、彼は本来、山にいるべきところを、私に侍るためにしばしの間、山から下りてきたのです。昼食後、彼は再び山に登り、十二月七日に行われる行事のために、死生決断の精誠を捧げるとのことでした。
そのような彼に、私は温かい韓国の麵料理、チヤンチグクスを昼食として用意しました。御飯は愛です。天倫によって結ばれた母子間の愛を、私はチヤンチグクスを通して伝えたのです。
その年の夏、文総裁の聖和七周年記念行事に参加するためにハデべ預言者が韓国を訪れた際、発旺山の頂上で、行事のための特別精誠を捧げたことがありました。その時、私が彼と義兄弟として結んであげた家庭連合世界本部の尹焕鎬事務総長が、箸の使い方を教えたのですが、彼はもう箸を使って、チヤンチグクスを上手に食べられるようになっていました。韓国文化に対するハデべ預言者のこのような姿勢は、独り娘、真の母に対する愛と尊敬の、もう一つの表現でした。
摂理の春、私と共にいる時が黄金期
深い森の中に、小道があります。人一人が何とか通れるくらいの道です。最初にここを通った人は、手で木の枝を払いのけ、手に擦り傷を作りながら、額に汗を浮かべて通ったことでしょう。そういう人のおかげで徐々に道ができ、後ろの人たちは楽に行くことができるのです。私たちはその最初の人の苦労に深く感謝しながら、道をより広く、平坦にしていかなければなりません。
しかし、森に小道を造るよりも、人と人との間に道をつくるほうが、さらに難しいことです。木やとげの生えた藪とは違い、人には自身の意思があります。その意思に反していることには、心を開こうとしないのです。
私は生涯、人々が互いに心を開き、一家族になるようにするため、汗と涙を流しました。誰も行かない道を開拓し、最も険しい所に立って、世界の人々を抱きました。誰もが逃げ出したいと思うような状況の中で、人類の救いと世界平和のために、黙々と真の愛を実践してきたのです。私を非難した怨讐までも許し、包み込んで、感動の涙を流させました。
今や、私たちは摂理の春を迎えています。一年の始まりとなる春は、農家にとって最も忙しい季節です。未来の豊かな収穫のために、最善を尽くさなければならないからです。摂理の春を迎えた天一国の民は、本来神様が実現しようとされた本然の世界を建設するため、責任を果たさなければなりません。自分の氏族に責任を持ち、国家的な基盤においてメシヤの責任を果たさなければなりません。そのような天命があるのです。
困難でつらくても、摂理を終結させ、真実を明らかにしなければなりません。ひまわりのように真っすぐな姿勢で、私たちに与えられた責任を果たすならば、神様の夢、人類の願いは必ず成し遂げられます。問題は、真の母である私が地上にいる間に、その結果を神様に奉献できるかどうかです。それができてこそ、後孫に向かって、未来の人類に向かって、誇れる自分になるのです。このような時というのは、いつでも訪れるわけではありません。一人の人間にとって、独り娘である私と共に生きるこの時間は、その年齢を問わず、黄金期なのです。黄金期を逃してはいけません。
また、同じ時代に生きながら、真の父母が来たことも知らず、天の祝福と恩賜があることも知らないまま生きる人がいないようにしなければなりません。世界万民が、真の父母と共にこの時代を生きていることに感謝し、天に侍る立場で生きるように導かなければなりません。
私たちは、地上天国で生活してこそ、天上天国に行くことができます。したがって、私たちの目標も、私たちの行く先も一つです。それは、神様の前に誇らしい息子、娘として進み出る道です。神様が、「御苦労だった。我が息子、娘よ!」と言って抱き締めることのできる生活をしなければなりません。私と共に地上生活をしている今この時が、まさに黄金期であるという事実を、心から悟らなければなりません。
私の生活哲学は、「ために生きる」です。どこに行くにしても、他のために生きようとして
行くのです。世間一般の父母の愛よりも、兄弟の友愛よりも、さらに大きな愛を与えるため、茨の道を歩いてきました。
人間は、良いものがあれば自分のものとし、他の人にはそれよりも劣つたものを与えがちです。挙げ句の果てには、自分の父母に対しても、同じようにするのです。自分の利益だけを追求すれば、欲望の縄目に掛かってしまいます。他の人を前に立て、ために生きる生活をすれば、それが永遠の祝福と_由を得る近道となるのです。
私は困窮している人を見ると、自分が持っているものを与えずにはいられません。結婚指輪すら、手元にはもうありません。皆が良いものを他の人に与えることができれば、喜びの世界となります。これが私の生活哲学です。自分のためだけに生きる人は、すぐ壁にぶつかります。ですから、他の人のために与え、愛を持って生きなければなりません。
世の中の多くの人は、家庭連合が金持ちであると早合点しています。文総裁と私に対しても、お金がたくさんあるだろうと思っているのです。しかし私たち夫婦は、自分名義の家を持つたことすらありません。すべて、世のために使いました。私たち夫婦ほど、自身に対して徹底的にケチな人はいないでしょう。雨が降れば、異国の地で軒下に身を寄せて夜を明かしている宣教師たちのことが思われるのに、どうして私たちがおいしい御飯を食べ、安らかに眠ることができるでしょうか。
信徒たちの献金はすべて、学校を建てるなど、貧しい人々のために使いました。様々な企業
をつくったのも国を豊かにし、人々の働き口をつくるためであって、そのお金を所有しようという考えは、元からありませんでした。いくらおなかが空いていても、私以上におなかを空かしている人々がいるのだから、その人たちのことを思って我慢してきました。み旨の道を歩みながらも、所有欲を持っている人は、父母の肉をえぐり、父母の骨を削って生きる者です。私たちは天の前に負債を負ってはいけません。
私はいつも、愛を生活の中心に据えました。人生は、いつ終わるか分からないマラソンを走るようなものです。それを走り切るための力は、お金でもなく、名誉や権力でもありません。偉大な愛の力です。赤ん坊が泣けば、母親はどんなに疲れていても無条件にお乳を与えますが、そんな無私の愛こそ、最も偉大な愛です。人はなぜ生まれ、なぜ生き、どこへ行くべきかという問題も、すべて愛を中心として、考えなければなりません。
神様の心情を考えれば、自分が受ける試練や苦痛は、あまりにも軽いと思うことができなければなりません。神様の前で自分のことを弁明する資格などありません。困難にぶつかればぶつかるほど、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。生まれたのも、®分の意志で生まれたわけではないのです。神様のみ意によって与えられた人生を、価値あるものとして、忠実に、美しく生きなければなりません。子女や家族のため、妻や夫のため、全人類のため、全世界のために生きている、という思いを持ってこそ、自分自身が幸福になれるのです。
私たちにとって最も近い師は、自分の心(良心)です。困難にぶつかったり、困惑するよう
なことが起こったら、心に尋ねてみればよいのです。その心の中には、私たちを愛してくださる神様がいらっしゃいます。その本当の声を聞くことができなければなりません。心の中にいらっしゃる神様の声を聞くことができなければならないのです。自分を磨き続け、心がささやく声、神様が聞かせてくださる声を聞くことができる位置まで、進まなければなりません。
心は永遠なる、私の主人です。祈れば神様が必ずかなえてくださるという信念を持たなければなりません。心からの祈りは、神様とつながる確かな道なのです。真の祈りを捧げれば、最も困難な状況においても、天の父母様と真の父母の恩寵を受けられます。その恩寵のみ手に従って、天の国に向かって自由に、幸福な気持ちで上がることができるのです。

Thursday Aug 19, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第53話
Thursday Aug 19, 2021
Thursday Aug 19, 2021
長男らしく、彼は子供の頃から口癖のように言っていました。
「孝子という言葉は、僕のものだ!」
しかし、母親に対して心穏やかでなかったこともあるでしょう。友達の母親に比べて、持っているものが乏しくて質素に見え、なおかつ、いつも忙しくしていたからです。それでも彼は、そんな母親である私を慰めようと、大声で宣言していました。
「母さん!僕が大きくなったら、母さんに何でもしてあげるよ!」
一九七〇年代の初め、私たち夫婦がアメリカで活動を始めた頃は、どこに行っても東洋人は無視されていました。韓国人も日本人も関係なく、一様に「チャィニ}ズ」と呼ばれていた時です。文総裁はその時代に五十州を巡回し、講演をしました。私たちに共感する人もたくさんいましたが、嘲笑する人も多くいました。
孝進は父母の後をついて回りながら、その一部始終を見ていました。共産主義者などが父親の講演する先々に現れては脅してくる姿を見て、わずか十二歳であったにもかかわらず、「父
さんを守るために、僕があいつらと闘う」と言って向かっていこうとするのでした。
そのような中で、世の人々がみ言を受け入れられるように導くには、努力と時間が必要であることに気づいた彼は、「旋風を巻き起こして、効果的に伝える方法はないだろうか?」と考え続けました。
「まさにこれだ!」
彼が見つけて膝をたたいたのが、ロックでした。そうして、音楽によって人の心を変え、教会に導かなければならないと決心した孝進は、三年間で一万曲を作ったのです。一日に十曲近く創作するというのは、普通の人にとってみれば不可能に近いことです。それを三年間、絶えず継続するというのは、さらに難しいことです。
孝進は自分の体を顧みず、日夜、創作に没頭しました。それが父母を喜ばせることのできる孝情の精神であり、世の中のために自分が果たすべき使命だと感じたのです。その多くの歌の中で、信徒たちに最も愛されたのは「汽笛」です。
あなたの願われる自分を見つけよう
高鳴るこの胸は、あなたのために走る汽笛なのさ
歌に感銘を受ける人が増え、信徒も増えていくにつれ、サタンの焦りも大きくなったことで
しよう。
孝進は音楽に没頭し、昼夜を問わず作詞作曲をして、歌を歌うことに明け暮れましたが、二〇〇七年に韓国や日本で行ったコンサートが、生前最後の公演となりました。公演や連日の創作活動による過労で、二〇〇八年、天の国に向かったのです。
家庭連合の信徒たちは、音楽によって人々を神様の元に導こうとした孝進に、いつも感謝しています。孝進の火花を散らすような熱い音楽は、父と母のための孝情の表れでした。その孝情の精神を受け継ぐため、毎年秋、文総裁を追慕する聖和祝祭が開かれる時に合わせて、孝進を傯ぶ「孝情ミユージックフエスティバル」も一緒に開催されています。
父母のために自分は何をするか悩み抜き、その道を勇敢に進んでいく人が孝子です。そのような孝子は、常に侍る精神を持って人々に接するので、どこに行っても歓迎を受け、必ずや志を果たします。自分ではなく、他のすべての人に侍る「孝情」は、だから偉大なのです。
私は文総裁の聖和四周年の時、孝情の美しい種を世に蒔きました。韓国の伝統的な侍墓精誠の期間である三年が過ぎ、文総裁の追慕祭はそれまでとは違う形で開かれるようになりました。悲しみを乗り越え、新たな希望と平和を切り開く祝祭の場となったのです。二〇一六年八月、「天に対する孝情、世の光に」をテーマとして宣布し、掲げた追慕祭は、地球の至る所に愛の手を伸ばしていく喜びの場となりました。
追慕祭では、真の父母の足跡を振り返る一方で、多彩な文化公演も行われました。「御飯は愛である」をモット}に、「和合統ービビンパ分かち合い大祝祭」の時間も持ちました。大きな釜に御飯と選りすぐりの食材をたっぶり入れてビビンパを作り、信徒たちで和気あいあいと分け合って食べるのです。私も大きなしやもじを持って一緒に御飯を混ぜながら、世界人類が一家族として和合することを念願しました。
また、エンターティンメントだけでなく、様々なプログラムも行われました。一力月以上にわたって講演やセミナー、各種行事が国内外で開かれ、私たちの進むべき方向性を模索する貴重な時間を持ったのです。
夫が聖和した日、「草創期の教会に返り、神霊と真理によって教会を復興させます」と約束したことを、私は今も胸深く刻みつけています。妻として夫を慕う思いが決して消えないのと同じように、私の胸には孝進と興進の孝情が息づいています。その孝情が人々に伝わり、皆が他のために生き、侍りながら生活していくならば、そこが真の天国になるのです。
孝は、人間にとって何よりも重要な実践徳目であり、人生における永遠の柱です。親孝行は、父母が生きている時にしなければなりません。父母が旅立ってしまった後に、いくら親孝行するといってあがいても、遅いのです。今この瞬間がどれほど貴く、誇らしいかを知らなければなりません。このように崇高な価値を新たに発現させた孝情の光は、韓国から出発してアジアを越え、世界を照らす光として輝いています。
母の時間、御飯は愛である
聖婚直後、夫と向かい合って食べた初めての食膳、「水刺床」(韓国語で「王と王妃の平常時の食膳」の意)が、銀色に光るススキ野原のように、ほのかに思い出されます。ぼたん雪のような大粒の涙が、今にもこぼれそうになっている夫の瞳。そこには、神様のあふれる心情がそのままたたえられていました。
人類のために生きる真の父母の道を歩みながら、私たち夫婦は数多くの食膳を共にしましたが、その食事の目的はいつも同じでした。神様の前に孝情の道理を果たし、人類の救いと平和世界を成し遂げるためです。ですから、切迫した雰囲気の中で信徒と共に歩んだ三年の開拓伝道の間、ずっと麦だけで炊いた御飯を食べて過ごした時も、一日に二ヵ国以上をせわしなく巡回しながら、一口の水で喉を潤すだけで過ごした時も、夫と私は何の心配もせず、すべてを感謝と喜びで受け止めました。
毎年、私たちの誕生日を記念して祝福家庭をはじめ、多くの人を迎え、「水刺床(孝情宴)分かち合い祝祭」を開催するのは、どれほどうれしく、楽しいことか分かりません。祝福家庭は、真の父母が熱い涙を流す中、懐で生み変えた、天の血統を持つ真の子女です。天が立てた選民です。ですから、私は彼らを、「選民祝福家庭」と呼ぶのです。天上の夫、そして私は、
永遠にこの選民祝福家庭を愛するでしょう。何より、み旨のために孤軍奮闘してきた多くの子女の熱い涙と汗を、一時も忘れることはありません。
この祝祭では、参加者にお弁当を配り、共に食事を楽しむのですが、実のところ、私はこのィベントに関して、非常に残念な思いもあるのです。本来なら、愛する子女一人一人に、ゆらゆらと湯気の立つ温かい御飯を直接与えたいという切なる思いを禁じ得ないからです。
二〇一九年十二月、私は「大陸復帰」宣布の礎となる南アフリカでの二十万人の祝福式(祝福結婚式)を行うため、ヨハネスブルグに向かいました。
FNBスタジアムで開催されるアフリカ大陸レベルの祝福式(十二月七日)は、国家の復帰を宣布する段階を越え、大陸の復帰を宣布する驚くべき時代を開く歴史的行事でした。
降りしきる雨をかき分けて飛行機が滑走路に着陸します。空港に降り立ち、ラウンジに入ると、とても会いたかった人物が笑顔で立っていました。私の息子となったサミュエル•ハデべ預言者が、明るい笑みを浮かべながら、真っ赤な花束を持って迎えてくれたのです。
彼は私を見ると、まるで生き別れた母に出会えたかのように、「お母様!お会いしたかったです。お母様の家、南アフリカに来られたことを歓迎します」と挨格して、真心を込めて準備した花束を手渡してくれました。
ハデべ預言者と共に、彼の南アフリカ黙示録教会(神の啓示教会)の青年学生たちが南アフ
リカの伝統衣装を身にまとい、尊敬と謙遜の意を表して頭を下げながら、歓迎してくれました。続いて、ラウンジで華やかな歓迎公演が行われました。青年学生による公演チームは、「南アフリカを祝福するため、アフリカ全土を祝福するために、きょう、真のお母様が来られました」という意味の歌詞を付けた素敵な歌をアカペラで歌い、特別なパフォーマンスを披露してくれました。
「雨が降り続く中、到着しましたが、南アフリカやアフリカ大陸において、雨はとても貴い祝福であると聞きました」
私が挨拶すると、ハデべ預言者をはじめ、リーダーや信徒たちの大きな歓声が起こりました。

Wednesday Aug 18, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第52話
Wednesday Aug 18, 2021
Wednesday Aug 18, 2021
悪とは、自分が利益を得ることを目的にして与えることであり、善とは、与えて忘れてしまうことです。真の愛は、与えて、それを忘れてしまうとき、花咲きます。愛は与えれば与えるほど、減るのではなく、永遠に枯れることなく湧き続ける泉の水のように、さらに豊かになっていきます。愛の道では、本当に良いものを与えたとしても、不足さを感じるものです。良いものを与えても、それを誇りに思うのではなく、もっと良いものをあけることができなかったといって申し訳なさを感じるのが、真の愛です。
愛が円形に回るようになれば、終わることがありません。終わりを感じるような愛は、愛ではないのです。真の愛は永遠であり、不変です。いくら時代が変わり、環境が変わっても、真の愛は変わりません。真の愛は、誰もが願います。千年、万年経っても、真の愛は嫌になりません。真の愛は永遠の愛なので、春も真の愛、夏も真の愛、秋も真の愛、冬も真の愛を願います。幼少の頃も真の愛、大人になっても真の愛、年老いても真の愛を願うのです。
愛する人に出会えば、永遠に花を咲かせたいと思います。特に男女の愛には、男性と女性を一つにする力があります。お互いが完全に愛し合うということは、相手が自分の中におり、自分が相手の中にいるということです。人間が求めるものの中で、最も貴いのが愛です。人はみな、貴い物、貴い人、貴い愛を求めて生きていくのです。真の愛を抱けば、いかなる悲しみと苦痛も、喜びに昇華します。
他のものはすべて、与えればなくなってしまいますが、愛は与えれば与えるほど、より多く返ってきます。愛を受けようとする思いが、愛を与えようとする思いに変わるとき、平和な世界が訪れるのです。
天に対する孝情、世の光に
私は時々、江原道平昌郡にある発旺山に登ります。標高千四百五十八メートルの山の麓には、リゾ—卜地としてよく知られている「龍平リゾート」があります。国民的ドラマとして人気を博した「冬のソナタ」のロケ地にもなった所です。
山頂に登ると、世界に一つしかない珍しい生え方をした木があります。全く別の二種類の木が一体となり、まるで一本の木のように生えているのです。樹齢数百年にもなるエソノコリンゴの木が母親で、それに抱かれるようにして育ったナナカマドの木は息子です。お互い支え合いながら仲良く生きるこの母子の木を、私は「マユモク」(「世界で唯一のナナカマド」の意)と名付けました。
この嚴理木は、古木となったエゾノコリンゴの木の中が空洞になり、そこに鳥が落としていったナナカマドの種が発芽し、根を張ってできたものです。エゾノコリンゴの木は、まるで赤ん坊を育てるようにナナカマドの木に栄養分を与え、自らの懐で少しずつ育てていきました。
ナナカマドの木は次第に大きくなりながら深く根を下ろし、まるで母親を養うように、エゾノコリンゴの木を支えて共生しています。空洞部分では、二種類の木がそれぞれ花を咲かせ、実を結ぶようになりました。植物ではありますが、まるで母子の間で交わされる美しい愛と思いやり、深い情が表現されているようで、これ以上ない孝情のモデルとなっています。
「孝情」という言葉に初めて接する人は、ほとんどが首をかしげます。何となく分かりそうであっても、その意味を正確に述べることは容易ではないからです。
「真心を込めて親孝行するという意味でしょうか?それとも親孝行の気持ちという意味ですか?」
ある人は、こう尋ねたりもします。
「もしかして、このヒョデョンというのは、效情のことですか?」
「效情」とは、韓国の言葉で「真の情を尽くす」という意味なので、それほど間違った解釈ではありません。しかし、私が初めて使った「孝情」という言葉は、それよりもさらに深くて広
い意味を持っています。
「孝」は、東洋にだけある言葉です。強いて英語で言うならば、「フィリアルデューティ(Fialduty)」です。しかし、これでは「父母に対して果たすべき子供の義務」という意味になるので、孝の深い意味を表現していることにはなりません。孝を義務としてのみ感じるのならば、心からにじみ出る思いで父母を敬うことはできないし、愛することもできません。孝は韓国の美しい伝統であり、生きていく上での根幹です。これほど重要で価値のある孝が近年、徐々に色あせてきているのは、誰にとっても心痛いことに違いありません。
孝情を考えるとき、私はいつも、胸の奥深くに宿っている長男の孝進と次男の興進のことを
田必^>まt
先に霊界に旅立ったのは興進でした。冷戦真っただ中の時代に、父親を守るため、まだ幼いながらも勇敢に先頭に立った息子でした。私たち夫婦が韓国全土を回りながら勝共決起大会をしていた頃、共産主義の信奉者たちが殺害予告をして脅してくるということがあったのですが、そんな時は、興進がいつも腕をまくりながら言うのです。
「父さんは僕が守ります」
韓国で行った全国勝共決起大会の最終日、光州で文総裁が講演をするために演壇に上がろうとした時、着けていたはずのネクタイピンがなくなっていることに気がつきました。私は不思議に思いました。
「どこに行ったのだろう?いつなくなったのだろう?」
その時、太平洋を越え、アメリカのニユーョークにいた興進が交通事故に遭ったのです。ちょうど、文総裁が光州で壇上に上がり、講演を行っていた時刻でした。興進の運転する車の前方から、大型トレーラーが横滑りしながら迫ってきたのです。衝突の刹那まで、興進はハンドルを回し続けましたが、トレーラーを避け切ることはできませんでした。
ところで、普通は左ハンドルの車で右車線を走っていて、前からトレーラーが道を塞いで迫ってくれば、反射的にハンドルを左に切り、自分の座っている側が正面衝突するのを避けるはずです。しかし、事故後に地面に残ったタイヤの跡を調べてみたところ、興進の車はハンドルを右に切っていたことが分かりました。彼は助手席に座っていた後輩を助けるために、あえてハンドルを右に切り、天の国に昇っていったのです。
あとで明らかになったことですが、文総裁に危害を加えょうとする人々が、聴衆を装って光州の会場に入ってきていました。しかし、舞台のある前方に向かおうとした彼らは、立錐の余地もなく詰めかけた観衆の中に入っていけず、計画が水泡に帰していたのです。
文総裁を標的としていたサタンは、その期待が外れるや否や、代わりに興進を狙いました。興進は、「父さんは僕が守ります」と言った約束のとおり、犠牲の供えものとなったのです。
興進が生まれた時、彼が生後三日目になるまでなかなか目を開けなかったため、とても心配したのですが、「最後、父母に最も大きな孝行をして逝ったのだ」と私は思いました。その深い孝情を、家庭連合の信徒たちは余すことなく胸に刻んでいます。
長男の孝進は音楽が好きでした。今日、家庭連合の信徒の中に音楽をたしなむ青年たちが多いのは、孝進の影響が少なくありません。

Wednesday Aug 18, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第51話
Wednesday Aug 18, 2021
Wednesday Aug 18, 2021
第九章
神の国は私たちの中にあります
一番大事な教えとは何でしょうか
世の中にはたくさんの教えがあります。家庭では父母が子供たちに言い聞かせる教えがあり、学校では先生からの指導があります。物事の理を究明する科学や、貧困から抜け出せるように導く経済学もあります。また、社会に出れば、先輩が職場生活における正しい姿勢を教えてくれます。それらの教えはどれも重要であり、人生をより明るく、知恵深いものにしてくれます0知識と知恵は、私たちがいつまでも追い求めるべき大切な価値です。
それではあらゆる教えの中で一番大寧な教えとは何でしょうか?
それは宗教が説く教えです。宗教の「宗」の字は、「おおもと」、「中心」を意味します。すなわち宗教の教えとは、あらゆる教育と真理の中で、一番の教えだということです。
孔子、釈迦、イエス、ムハンマドをはじめとする多くの開祖たちの教えは、時代を超えて人間の良心を守り、文明を導く原動力となりました。したがってすベての宗教は、罪悪世界を清算して神様と人間が願う理想世界をつくる、人生のパートナーなのです。
今日まで、利己主義が一般的なものになっているのは、胸の痛い現実です。科学技術の発展により、生活水準は上がっていますが、人々は日増しに利己主義になり、自分の国や社会、ひいては家庭に対しても責任を持とうとしません。
離婚率が日々上昇しているというのは、夫婦がお互い結婚に対して責任を持とうとしていない証拠です。父母が子女に対して相応の責任を果たそうとせず、子女は父母を見捨て、ひたすら自分の欲望と欲心のみを満たそうとしているのです。御自身の子女として倉造した人間のこのような姿を御覧になりながら、神様はどれほど胸を痛めていらっしやるでしょうか。
今日まで、世界中で多くの宗教が登場してきました。果たしてこれらの宗教は、私たちに何を教えてきたのでしょうか。すべての宗教は、まず神様について、正しく教えなければなりません。その.際、神様の存在を知らせるのも大切ですが、神様と人類との関係を明らかにすることが何よりも重要です。神様がいらっしやるとすればどのような方なのか、神様の愛はどのようなものなのかを一つ一つ教えてくれる宗教が、真の宗教です。
私は五大洋六大州を巡り、数百キロ、数千キロを移動しながら、地の果てまでみ言を伝えるために尽力しています。そうして行く先々で、神様が準備された義人に出会っています。神様はどれほど困難な状況にあっても、義人を探し求めてこられました。
聖書に出てくるソドムとゴモラは、倫理が失われた、淫乱の都市でした。神様は最初、そこに正しい者が五十人いたら滅ぼさないと言われました。それに対してアブラハムが、少しずつ人数を少なくしながらお願いし、最後に「十人いたら滅ぼさない」という言葉を引き出したのです。しかし結局、神様のみ意にかなう義人がいなかったため、ソドムとゴモラは天から下っ
た炎で焼かれてしまったのです。生き残ったのは、ロトとその娘たちだけでした。
神様は、私が行く先々で、多くの義人を準備してくださっていました。国と民族を超え、どこに行こうと、義人が待っていたのです。ですから私は、信徒に対しても、天が準備した義人を探しなさいと話しています。
二〇一八年十一月、私は黒人と白人の人種差別問題で凄絶な痛みを経験した南アフリカ共和国に行きました。その国は、二十数年前に私の入国を許可しなかったことがあるのですが、今や国を挙げて歓迎してくれるようになったのです。私はその苦しみの大地で、アフリカサミッ卜と三千組の祝福結婚式を主宰しました。六十ヵ国以上から約一千人の:>1?が参加したアフリカサミットでは、アフリカに平和を定着させ、より豊かにしていくために、私の提示した案を推進することを決議しました。
このサミットには、南アフリカで初の黒人大統領となったネルソン•マンデラ元大統領の誕生百周年を記念して、彼が残した民主主義の遺産を心に刻みつけるという趣旨もありました。国会議員であり、ネルソン.マンデラの孫に当たるマンドラ.マンデラ氏は、心から湧き出るような雄弁を通して私を証しし、聴衆から大きな拍手を浴びました。
「神アフリカプロジェクトを通して新しい希望とビジョンを下さった韓鶴子総裁は、私の祖父のように、この時代における平和のアィコンです。韓鶴子総裁と共に、マンデラ大統領の遺業を引き継ぐアフリカにならなければなりません」
続いて開かれた祝福結婚式には、二十ヵ国以上から約三千組が参加し、私を真の母、人類を救う独り娘として受け入れました。「あとの者は先になる」(マタイによる福音書一九章三〇節)という聖句のように、南アフリカやジンバブエ、セネガル、そしてアジアのネパールは、これまで恵まれない、曲折の多い痛みの歴史を経てきた国々ですが、独り娘を信じることによって'今や輝かしい光を発しているのです。
インドの詩聖タゴールは、韓国を称える美しい詩を書きました。当時の韓国は、日本の統治下で苦しみの日々を過ごしており、地球のどこにあるのかさえ、あまり知られていない国でした。それにもかかわらず、タゴールは「コリア、その灯火が再び明かりを照らす日に、あなたは東方の明るい光となるだろう」と予言したのです〇光とは、真のみ言■、新たな真理のみ言を意味しています。彼は、韓国で真のみ言が登場し、人類の灯火になって世界を照らすだろうと予言したのです。
私はその真理の灯火である新しいみ言、「統一原理」で全世界を照らすために、東奔西走しています。土を耕して畑とした今、あとは種を蒔き、深く根を下ろす作業が残っています。その大切な仕事を果たすため、私たち皆が先頭に立たなければなりません。
今や全人類が、真の父母を待ち望んでいます。誰もが、真の父母の愛と生命、血統を受け継いだ、真の息子、娘にならなければなりません。そうしてこそ、真の幸福と永生の門が開かれるのです。
真の愛の人とは「自分がない人」です
夫は私のことを、「自分がない人」だと言いました。「タンスが空っぽになるまで分け与える」と言われることもありました。私はどんなものでも、ただ後生大事に保管し、取っておくということができません。み旨のために昼夜なく苦労している信徒を見ると、いつもいたたまれない気持ちになり、何もかも与えてしまわずにはいられないのです。
青坡洞教会や漢南洞の公館にいた時も、京畿道加平郡にいる今でも、宣教師や客人が訪ねてくると、タンスを開けて服や靴をあげてしまいます。夫の服やネクタイもみな、新しい持ち主となる人の元に行きました。苦労している信徒を見れば、小さなものでも渡して送り出すことで、気が休まるのです。
アフリカや南米の貧しい町に行ったときは、いくら忙しくても、孤児院や貧困で苦しむ人々を訪ねるょうにしていました。スケジユールがあまりにも押していて立ち寄ることができないときは、心からにじみ出てくる真の愛の表現として、「国際救護親善財団」や奉仕団体を通じた支援、多くの奨学金支援などを行ってきました。困難な状況を目にすれば、決してそのまま通り過ぎることができなかったのです。
「生命が先でしょうか、愛が先でしょうか?」
こう尋ねれば、ほとんどの人は「生命が先だ」と答えます。「生命があってこそ愛することもできますから」というのです。
しかし、本当は愛が先です。あらゆる存在の出発点は、生命です。しかしその生命は、愛によって宿ったものです。ですから、生命よりも愛が先なのです。私たちの心と体は、父母から出てきました。父親と母親の愛がなかったならば、私たちはこの世に存在していません。ですから、命を捨てることはあつたとしても、愛を捨ててはならないのです。
人間は愛によって生まれ、愛の道を歩み、愛のために死ななければなりません。しかし、瞬間的な愛、条件的な愛に溺れてはいけません。永遠で純粋な愛を持たなければなりません。
私たちに必要な愛とは、絶対的な愛であり、真の愛です。真の愛とは、ために生きる愛、すなわち仕えてもらうことを願うのではなく、他者に仕える愛です。
また、真の愛は絶えず許す愛です。イエス様は、「七たびを七十倍するまで」(マタイによる福音書一八章ニニ節)許しなさいと言い、十字架上で自分に槍を向けるローマ兵士を前にしても、「彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書二三章三四節)と祈られたのです。
夫の文総裁も、日本統治時代に京畿道警察部で刑事からひどい拷問を受けたことがあるにもかかわらず、日本人刑事の命を助けました。一九四五年に韓国が解放を迎えた後、刑事たちは
すぐに日本に撤退できずに隠れていたのですが、韓国人に捕まれば、殺されるしかない立場に置かれていました。そのような刑事たちを、夫は夜のうちに密航船に乗せ、逃がしたのです。怨讐と言える相手を許し、逃がすというのは、簡単にできることではありません。既に心からすべてを許し、怨警の顔を見ながら、そこに神様の顔を見いだそうという努力をしていない限り、実行できないことです。怨讐を怨讐として考えず、むしろその人のために祈り、許すこと。これは、「自分がない生活」をしていてこそ、可能なことなのです。

Wednesday Aug 18, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第49話
Wednesday Aug 18, 2021
Wednesday Aug 18, 2021
一本のあばら骨が意味すること
西洋には「偉大な男性の背後には、必ず偉大な女性がいる」という格言があります。このように、男性がより完全になるようにサボートする存在が、女性です。妻がいなければ、夫は完全にはなれません。また、女性が沈黙せざるを得ない社会では、平和と正義を実現することはできません。
さらに、女性は母の使命を全うしなければなりません。その使命とは、子女を生み、人格を備えた正しい人間として育て上げることです。それは女性だけが持つ権限であり、責任でもあります。
私は、女性たちが夫や子女から、あるいは社会から認められていない現実を、いつも残念に思ってきました。
女性はそれぞれの時代において、苦難を前にして大きな役割を果たしてきました。特に家庭連合の女性たちは、真の父母のみ言に従い、神様に#:る真なる娘、真なる妻、真なる母の責任を果たすため、世界各地で汗を流してきました。それは簡単なことではありませんでしたが、彼女たちは決して弱音を吐かず、活動に取り組んできたのです。
これまで多くの女性たちがしてきたように、世の中の風潮に従って男性の真似をしたり、その中で女性の地位だけを高めようとしたりしてはいけません。聖書には、「神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り」(創世記二章ニニ節)とあります。男性と女性は、対立する関係ではありません。真の愛によって自分のものを相手に与え、相手を完成させて、一つになることで、互いを共有する関係なのです。女性は、単なる男性の補助者や保護対象ではなく、神様のもう一つの性を代表した立場であり、男性を完全にもする、独立した人格体なのです。
今こそ女性は、天の法度に従い、真の父母に侍って、新しい心情文化世界を築く主人公にならなければなりません。堕落性を脱ぎ捨てて、新たにつくり上げる本然の文化、人類が切に探し求める愛と善の文化を花咲かせなければなりません。家庭の中でも真の愛の化身として、夫を抱き、真の父母の心情をもって子女を育てなければなりません。
神様の祝福が根を下ろし、本然の愛があふれる家庭を築く主役は、女性です。真なる娘の道と共に、真なる妻の道、真なる母の道を歩まなければなりません。
今後訪れるのは、女性の母性と愛、異なるものを一つに結ぶ力に基づいた、和解と平和の世界です。女性の力が世を救う時代が到来したのです。
女性は時代をそのまま映す鏡
「大会の許可は出せません」
「え……、どうしてですか?これは政治集会ではなく、女性大会です。ですから、大会を開催させてください」
「女性だろうと何だろうと……とにかく、絶対に許可できません」
一九九三年の秋、モスクワで世界平和女性連合の大会を開くことにしました。二力月ほど前から準備して、すべてのスケジユールが決まっていたのですが、突然ロシア当局が動いて、大会を開催できないようにしたのです。
当時、ボリス•エリツィン大統領が開放政策を通して改革を推し進めていましたが、その一方で、彼らは国内で行われるあらゆる集会に神経を尖らせていました。政治と関係のない女性大会であると説得しても、取り付く島もなかったのです。その後、厳戒態勢の中ではありましたが、無事大会を開くことができたのは、奇跡でした。
ソビエト連邦が解体されてからまだ間もなかった当時、ウクラィナなど、周辺国に住む信徒は、私がモスクワに来るという知らせを聞いて大いに喜びました。その信徒たちがモスクワに行こうとすれば、お金を払ってビザを取得し、何日も列車に乗らなければならないため、費用がとてもかさみます。しかし、そうやって数力月分の収入に匹敵するお金をかけて遠い道のりを来た彼らに対し、ロシアの役人たちは、大会とは別に私と会合を持つことを、許可しませんでした。
私は宿泊先で、ロシアが真の民主主義国家に生まれ変わるょう祈りました。そうしてベランダに出てみると、眼下に、信徒たちが集まっているのが見えました。彼らは顔を上げて私を見つめています。私も、彼らをじっと見つめました。私たちは言葉を交わすことすらできませんでしたが、お互いの切実な思いは、ひしひしと感じることができました。
「今は互いに抱擁もできず、手を握って挨拶を交わすこともできないが、いつかきっと熱い涙で会うことができるだろう」
そう固く信じました。彼らの頰を伝う涙を、私は今も鮮明に覚えています。
それから二十三年が経過した二〇一六年、韓国.慶尚北道の慶州で国連主管のもと、国際会議が開かれました。国連事務総長をはじめ、NGOの代表など百ヵ国から集まった四千人以上の参加者が、どうすればもっと明るい世の中をつくっていけるか、真剣に議論を交わしたのです。

Tuesday Aug 17, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第48話
Tuesday Aug 17, 2021
Tuesday Aug 17, 2021
犠牲という一輪の花を捧げる
「この結婚には、絶対反対だ!」
「すぐに取り消せ。こんな結婚式が世の中のどこにあるっていうんだ!」
「私の娘を連れていった上に、こんな結婚をさせるなんて……ああ、悔しい」
建物の中では新郎新婦たちが花束を持って厳粛に立っているのと対照的に、外ではその親たちが群がってわめき立て、暴れています。挙げ句の果てには、練炭の灰を投げつけ、それが中にいた新婦にかかるということもありました。
一九六〇年代、統一教会の合同結婚式が行われるょうになった時、世間は非常に驚きました。そして、本来祝われるべき神聖な結婚式の場が、反対する親たちによって、修羅場になったのです。その時に受けた迫害と非難は、筆舌に尽くし難いものでした。しかし痛みと反対を乗り越え、合同結婚式はこれまで半世紀以上の間、世界各地で行われてきています。
昔も今も、家庭連合の合同結婚式は、愛と犠牲の象徴となっています。本来、愛には犠牲が伴うものです。「愛とは、自分を捨てる痛み」と詠った詩人もいます。自分を捨てなければ、真の愛を実らせることはできません。
男性は女性のために、女性は男性のために生まれました。ですから愛する人のために、自分自身を喜んで犠牲にし、奉仕するのです。
「あなたは良い大学を卒業し、良い職場にも勤めています。しかし、あなたの相手となる女性は学校をまともに出ていないし、家も貧—^いです。それでも結婚-^ますか?」
こう聞けば、ほとんどの人が首を横に振るでしょう。しかし、家庭連合の信徒たちは大きな声でこう答えるのです。
「はい、ありがとうございます」
結婚とは、互いに不足な部分を補い合いながら、相手のために一生懸命、生きていくことです。家庭連合の新郎新婦はその真理を感謝して受け入れるのですが、親たちは必死になって反対するのです。中でも最も強い反対に遭ったのが、韓国と日本のカップルでした。
「私が日帝時代に受けた苦しみを考えると、今でも虫唾が走る。なのに、その怨警の国の娘と結婚するとは……。うちの家系に日本の嫁を入れることは絶対にできない!絶対ダメだ!」イエス様は、「怨讐を愛しなさい」と語られました。怨讐を愛してこそ、平和な世界を築くことができるのです。しかし、それを普通の人が実践するのは、簡単ではありません。親に認められない悔しさを抱いたまま、唇を嚙んで合同結婚式を挙げた新郎新婦たちは、結婚後も茨の道を歩みましたが、中途で投げ出すことはしませんでした。彼らは子女を生み、幸せに暮ら—^ています。
二〇一八年の秋、希望前進大会が京畿道加平郡の清心平和ヮ—ルドセンターで開催されました。「孝情スピーチ」という時間に、全羅南道の長城教会に所属する女性が舞台に上がり、証しをしました。
彼女は日本で公務員として、不自由のない生活をしていましたが、祝福結婚をして、一九九八年に韓国に嫁いできます。甘い新婚生活を期待していた彼女でしたが、実際にはそのような平凡な幸せすら、訪れることはありませんでした。
てんかんの持病があった夫は、普段は落ち着いていても、ストレスを受けると発作を起こしました〇そのうち、薬の副作用からか、次第に無気力となり、どんなことにも関心を持たず、感動を覚えることもなくなっていったのです。彼女は、夫と離婚して日本に帰ろうという思いで頭がいっぱいになったといいます。
そこで、HJ天宙天寶修錬苑に行って解決を願う祈りを捧げたら、少しは気持ちが楽になるだろうと思い、修錬苑で神様にすがって祈ったのです。
すると数日後、突然、天から声が聞こえてきました。
「愛する我が娘よ!私がお前を愛するほどに、私はお前の夫のことも愛している。体が弱く、寂しい思いで暮らしているかわいそうな息子だ。お前が私の代わりに、面倒を見てくれないだろうか?」
彼女はその場で心から悔い改め、痛哭しながら赦しを乞いました。
その後、心を開いて夫を愛していく中で、神様は彼女に、かわいらしい男の子を授けてくださいました。すると夫にも、変化が現れたのです。体が健康になり、働き口も見つけられて、家庭が安定しました。今は五人の子女を育てながら、幸せに暮らしています。
大会が終わって少ししてから、在韓の日本人宣教師の集会を持ったのですが、韓国全土から四千人を超える日本人婦人が集まりました。ちょうどその日が誕生日だった数人の婦人にささやかなプレゼントを渡しながら、私は彼女たちに、今まで夫から誕生日プレゼントをもらったことがあるかと尋ねてみました。するとほとんどの人が、生活に追われるばかりで、誕生日も忘れて過ごしていたというのです。しかし、それに不満を持っている人は一人もいませんでした。
彼女たちはこれまで、長い人で三十年間、韓国で生活しながら、困難にぶつかるたびに神様のみ旨と真の父母を思い、乗り越えてきました。さらには、日本の過去の過ちを代わりに蕩M:するという覚悟で、犠牲を払って歩んできたのです。どれほど貴いことでしょうか。柳寛順烈士の精神を胸に刻んで、韓日和合のための活動もしています。
幸福は、あらゆるものがそろっている状態で訪れるとは限りません。不足なものがある中でも感謝の思いを持てば、知らず知らずのうちに訪れてくるものなのです。自分よりもはるかに恵まれない人、さらには自分の怨讐の国や民族、家系の人と結婚するときこそ、まさに神様の役事が起こり、天運が宿る幸福が訪れるのです。財産や職業を問うてはならないし、容姿に心を惑わされてもいけません。本物の人格を備えた、温かい心の持ち主となることが、最高の配偶者になる道なのです。そのようにして、自らの愛をすべて捧げるとき、価値ある人生となるのです。
韓国、そして世界各地で開催されてきた家庭連合の合同結婚式は、人類歴史上、最も神聖で貴重な行事です。これまでに祝福結婚をした新郎新婦は、数億組に上ります。今や世界のどの国に行っても、祝福家庭が必ずいます〇韓国人の夫と日本人の妻、アメリカ人の夫とドィツ人の妻など、国際家庭が幸せに暮らしています。言語の違いや生活習慣の違いなどはいずれ克服できます。大切なことは、夫婦が互いに愛し合い、神様のみ旨を実践しながら生きていくことなのです。

Monday Aug 16, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第50話
Monday Aug 16, 2021
Monday Aug 16, 2021
世界平和女性連合はその場で、これまでの公正で幅広い活動が認められ、主要NGOとして選ばれました。モスクワで、当局の反対により集会を開けなかったのがつい昨日のことのようですが、世界平和女性連合は今や、国連が積極的に後援する重要な団体になりました。地球の至る所で献身的に歩んできた女性連合の平和精神と奉仕の実践が、光り輝いた瞬間でした。
その出発は、一九九一年に遡ります〇同年九月、日本で東京大会を開き、首相夫人など約七千人の女性代表が出席する中、「アジア平和女性連合」を創設したのです。私は創設者として、「アジアと世界を救う真の愛運動」というテーマで講演をしました。
翌九二年の四月、七十ヵ国以上から十六万人の女性がソウルに集まりました。参加者たちの乗る四千台近いバスが蚕室総合運動場に向かったため、ソウル市内の交通網が麻痺してしまうほどでした。女性時代が宣布される現場を目撃したいと願う人たちが、それほどたくさんいたということです。
こうして、その日誕生した世界平和女性連合は、決して世の中のありふれた女性団体の一つではなく、新しい時代を映す鏡になることを示したのです。
同年九月には、日本の東京ド—ムで「世界平和女性連合創立記念日本大会」を行い、五万人の聴衆に向かって講演を行いました。準備期間はわずかでしたが、沸き立つ情熱をすべてぶつけ、深い共感を呼びました。
私の講演は、これまで男性が主導してきた戦争や暴力、葛藤を終わらせ、愛と平和のあふれる理想世界に向かって進むための羅針盤となるものでした。その後、私は世界を巡回しながら女性指導者たちを激励し、皆が共感する真の女性運動を展開していきました。その中でモスクヮにも赴き、数多くの女性や信徒たちと喜びの邂逅を果たして、大会を成功裏に終えました。
女性はこれまで、女性の持つ真の価値を知らない男性たちから、正当な待遇を受けられずにいました。それを打破するために女権拡張運動や女性解放運動にも身を投じてきたわけですが、それらは主に男性を相手にした闘争的で政治的な運動でした。
しかし、私は世界平和女性連合を通して、皆が女性の真の価値に目覚め、女性自身はもちろん、男性までも包容して発展していく運動を展開したのです。
女性が時代をそのまま映す鏡となるためには、まず自分自身が清く純粋でなければならず、自らを従えることのできる強い内面の力を持たなければなりません。孝行心を持って親に保る真なる娘となり、貞節と献身をもって夫を支える真なる妻になるべきです。また、愛と精誠によって子女を育てる、真なる母とならなければなりません。そうして、神様に侍る真の愛の家庭を築き、平和世界を実現する先頭に立つ、真の女性指導者にならなければならないのです。
砂漠の真ん中で針を探す
砂嵐がびゅうびゅう吹き荒れると、目を開けることもできません。砂は目の中や服の隙間に、容赦なく入り込んできます。太陽も、ぎらぎらと照りつけてきます。
砂漠では、たった一歩を踏み出すことさえ、非常に骨が折れることです。旅行客はせいぜい数日過ごすだけですが、そこで暮らす人々は、日々苦労が絶えないのではないかと、不憫にも思えます。しかし、実際にそこの人々は、砂嵐や熱い日差しを友のように考えていることでしょう。本当の意味で生活を苦しいものにする原因は、ほかにあるのです。
古代文明の発祥地であるナイル川の周辺。そこにそびえるピラミッドは、四千五百年前に建設されたものです。あのように途方もない重さの巨石を運び込み、建設することは、今日の科学技術をもって—^ても簡単ではありません。
さらに根本的な疑問は、彼らがなぜそのような建築物を建てたのか、ということです。それは、肉身がある時の生活よりも、永遠の世界での生活を追い求めたからです。人類は本心の作用により、神様の元に帰りたいと願っています。彼らは地上生活よりも、永遠の世界、霊界での生活をより重視して生きていたのです。
一九六九年の世界巡回の際、私たち夫婦は中東のイスラエルに立ち寄りました。私たちが到着したのは、とりわけ暑さの厳しい日でした。イスラエルは、面積が韓国の五分の一しかない小さな国です。聖書に出てくる場所を訪ねて一周したのですが、わずか四時間で回り切ってしまいました。私たちは巡礼をしながら、普段はこのように平和な所なのに、どうして絶えず紛争と葛藤、そしてテロが起こるのだろうかと、疑問に思いました。
中東は二千年前にイエス様が誕生した、神聖な地です。もともと、優れた文明によって世界の文化をリードしてきた優秀な民族の居住地でした。しかし今日、そこは宗教間の葛藤が絶えず起き、痛みを抱え続ける場所となっています。「世界の火薬庫」という不名誉な名前が付けられても相変わらず、一日も途切れることなくどこかでテロが起きて、善良な人々の命を奪っているのです。
私たちは、爆弾やテロ、様々な衝突が繰り返される中東の真ん中で、危険を顧みず、和解と愛によって平和を実践する活動に早くから取り掛かりました。六〇年代の中盤以降、ヨーロッパの宣教師たちが次々とヨルダン、イラン、レバノンに向かいました。その中には女性信徒も大勢いました。
彼女たちは他のどの大陸の宣教師よりも、多くの苦難に遭いました。試練や迫害は日常茶飯事で、追放されることもしばしばあったのです。いくつかのイスラーム国家では、宣教そのものが厳しく禁止されていたため、ややもすれば命を落とす可能性すらありました。それでも彼女たちの献身により、人々は少しずつ心の扉を開き始め、教育と奉仕に参加することを通して、理解を深めていったのです。
私たちはムスリムの指導者を、少ない時は数-^--多い時は数百人ずつニューョークに招待し、新しいみ言、「統一原理」を伝えました。そうして、その内容に感服したムスリムの人々が祝福結婚式に参加するようになったのです。これは歴史上初めての、偉大な宗教和合の瞬間でした。
私はこれにとどまらず、また中東に渡って、トルコで「真の父母と成約時代」というテーマで講演を行いました。ところが、その講演でィスラームについても、ムハンマドについても言及しなかったところ、聴衆の半分が退場してしまうということがありました。
ィスラエルのエルサレムで講演を行うことを決めた時は、大きな議論が巻き起こりました。「そこは今、戦争の本場のような所なのに、なぜ行かれるのですか?」
「テロが収まった頃に行かれるほうが良いと思いますが……」
しかし、私は銃刀や砲煙を意に介さず、エルサレムに行きました。ユダヤ教の人たちによる反対で講演会場の予約が急遽キャンセルとなり、急いで場所を移さなければならなくなったり、大会で多くの人々が、自分の考える内容とは違うといって、途中で席を立ってしまったりもしました。しかしそれでも、私は屈したり落胆したりせず、最後まで講演を行ったのです。人類救済のために出発した私を、何ものも遮ることはできませんでした。
信徒たちは、中東へ行くこと自体が極めて危険であり、そこの人々の意に沿わない講演をすれば、激しい反対や嘲笑を受けるだろうと心配して、私を引き止めました〇しかし、私はそれ以上に危険な所を何度も越えてきていたので、少しも躊躇しませんでした。私を待っている人が一人でもいるならば、地球の果てまでも訪ねていって救いの門を開くのが、独り娘の使命なのです。
二〇〇〇年代に入ってからは、それまでとは異なる次元で中東平和運動を行いました。その一つがユダヤ教徒とキリスト教徒を和解させることです。教会から十字架を降ろす活動では、十字架を担いでエルサレムの街を行進し、イスカリオテのユダがイエス様を売り渡して得た銀貨三十枚を使って購入したという「血の畑」に、十字架を埋めました。その場にいた一人のユダヤ人女性は、ユダヤ人の二千年の怨恨が解かれていくのを感じたと証言しました。両宗教の和合のために、「エルサレム宣言」も発表しました。
また、万王の王として人類を訪ねてこられたにもかかわらず、十字架にかけられ、み旨を成し遂げることができなかったイエス様の心情を解放するために、イエス様の戴冠式を行いました。その場には、イエス様に反対したユダヤ教の人々も参加し、式典をさらに意義深いものにしました。宗教指導者をはじめ、七十ヵ国以上から来た三千人を含む、総勢三万人以上の人々が集ったこの戴冠式には、イスラエルとパレスチナの人々も大勢参加していましたが、彼らがみな、そこで熱い抱擁を交わしたのです。
これらすベての中東平和運動の根底には、私たち夫婦の志に従った女性信徒たちの献身があります。彼女たちは見知らぬ土地、過酷な自然、砂嵐が吹き荒ぶ砂漠を舞台に、十年以上の間、自分の家庭のこと以上に投入し、献身的に活動してきたのです。
私たち夫婦が中東を初めて訪れたのは、もう五十年も前のことです。熱風の吹く砂漠に最初に足を踏み入れた時のときめきと憂いは、今も鮮明に覚えています。その時、中東の様々な国を巡回しながら、すべての国が一丸となって平和を実現できるよう、切に祈りました。まさに砂漠の真ん中に立ち、一人で小さな針を探すような心情でした。しかし私は、平和な世界をつくるまでは、決して背を向けないと決意しました。
独り娘が共にいるのに、いまだそのことを知らずにいる人々によってテロが行われているのは、悲しいことです。しかし、この悲劇の悪循環にもようやく終わりが見え始めました。中東の地にも、人類を救うための独り娘のみ言を受け入れる人々が少しずつ増え、真の平和が根を下ろしつつあるのです。

Thursday Aug 12, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第47話
Thursday Aug 12, 2021
Thursday Aug 12, 2021
第八章
家庭は最も貴い宝石です
自らの命までも捧げる家族愛
「愛している」
これは最も甘い言葉であり、あらゆる命が宿る時になくてはならない言葉でもあります。しかし一方で、原理を外れると、これは無責任な言葉にもなるのです。愛は人間にだけあるのではありません。神様は動物にも、愛と繁殖の権利をお与えになりました。ですから動物もつがいとなり、子供を産んで育てるのです。しかし動物には、オスとメスの間における責任はありません。一方、人間においては、愛の自由と共に、必ず責任が伴うのです。
夫婦が愛の神聖さを信じ、責任を果たすとき、幸せが宿る家庭が築かれます。人はみな、真の愛によって真なる夫婦となり、子女を生んで真なる父母にならなければなりません。「家和万事成」という言葉は、昔も今も、変わることのない価値を教えてくれます。幸せな家庭を築く上で最も重要な要素が、真の愛です。それは、愛せないものまでも愛し、時に、自らの命までも喜んでなげうつことができる愛なのです。
二〇一九年の初め、中米のベリーズで、非常に心痛い事件が起こりました。一九八八年に祝福を受け、み言を伝えるため、九六年に夫人がベリーズに赴いた後、家族で現地に移住していた家庭があつたのですが、ある晚、彼らの家に強盗が銃を持って押し入ったのです。当時十九歳だった息子が、先に襲われた父親をかばって代わりに銃弾を浴びて亡くなり、父親も重傷を負いました。
私はその報告を受け、しばらくの間、目を閉じたまま、何も言葉にできませんでした。皆が常に平坦な道を歩むということはできませんが、このような事件は、本当に胸が痛みます。私は誰よりも、家族と別れる苦しみ、それも今生の別れとして家族を送り出す苦しみを知っています。私もまた子女を四人も先に送り出しま-^た。
ベリースの寧件で子供^'親を力ばったように、親もまた、子供が危険にさらされたときは水火も辞せず、助けようとするものです。家族愛は、神様が本来願われていた愛であり、中でも親子間の愛は神様の愛をそのまま表す、最も献身的な愛です。
このように外から突然降りかかる不幸もありますが、一方で、家庭内のことが原因となって起こる不幸もあります。私たちが生きるこの世界がいまだ平和でない主な原因の一つが、夫と妻の不和です。地球には七十七億の人が住んでいますが、突き詰めれば、それは二人に集約されます。男性と女性、すなわち夫と妻の二人です。
無数の人間が共に暮らし、様々な関係を結ぶ中で、毎日複雑な問題が起きているように見えますが、実のところ、あらゆる問題が、男性と女性の二人の間で起きたことが発端になっているのです。その二人がお互いを信じ、愛し、責任を果たせば、誰もが夢見る、幸せな世の中になるのです。
幸福は、自分が暮らす家庭で平和を実現することにより得られます。真なる父母と真なる夫婦、そして真なる子女が平和な家庭を築くなら、幸福は自然に訪れます。仲睦まじい家庭を築くには、父母と子女、孫が心を一つにしなければなりません。
その家にいくら難しい出来事が起こつたとしても、父母が子女を愛する心、祖父母が孫を愛する心は変わってはいけません。孫は祖父母を尊敬し、愛さなければなりません。このようにして、三代が一つ屋根の下で共に暮らす家庭が、一番幸せなのです。
父母が子女のためにしたのと同じように、子女が親にすることができれば、その子供は本物の孝子です。忠臣になる前にまず孝子となり、兄弟姉妹も愛さなければなりません。
また、男性も女性も、結婚するまでは真なる孝子、孝女にはなれません。結婚して夫婦となり、親に自分の子供を見せてあげてこそ、真の孝子、孝女と言えるのです。
家庭は、世の中で一番大切で、幸福な場所です。父母がいるからうれしく、兄弟姉妹がいるから温もりを感じるところです。
人は誰しも、故郷を慕いながら生きています。異郷の地に住んでいたとしても、心の底から慕わしくなるのが故郷であり、本郷の地です。中でも、その切ない郷愁を最も強く感じるのが、家庭なのです。

Thursday Aug 12, 2021
自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第46話
Thursday Aug 12, 2021
Thursday Aug 12, 2021
世の中を新たにする天地開闢鮮文学堂
I九八九年十一月三日は、私にとって忘れることのできない一日です。その日、韓国.忠清南道天安市の成和大学で開かれる昇格および本館竣工記念式に参加するため、私は信徒たちと共に現地に来ていました。するとそこに、ソウルから電話がかかってきたのです。
「洪順愛お母さまが危篤状態です。もうあまり時間が残されていません」
私は記念式が終わった後、急いでソウルに戻りました。意識が次第に薄れていく母を囲んで、信徒たちが聖歌を歌っていました。私が抱きかかえると、母は少しの間、目を開いて私をじっと見つめ、■また目を閉じました。それが私と母の、この世での別れでした。
母が聖和した時、同じ氏族として訪ねてきたのが、私がのちに鮮鶴平和賞の委員長を委嘱した洪一植博士です。彼は生涯を大学教育に捧げてきた人で、孝の思想に造詣が深い大家です。
洪博士から見て、母はおばのような立場に当たるため、彼は母の聖和式に来て、礼を尽くしたのです。
洪博士は一九七〇年代に『中韓辞典』を作ろうとしていたのですが、当時は韓国社会が中国語の必要性を認識できておらず、政府や大学でプロジェクトを支援しようとする人はいませんでした。そのことを知り、文総裁と私は彼の仕事を快く手伝ったのです。それがきっかけで、彼は統一運動に積極的に協力してくれるようになりました。
母は成和大学が正式に大学として昇格し、本館が竣工することをとても喜んでいました。その記念式が行われる日まで、意識が途絶えないようにしていたのです。
その後、成和大学は鮮文大学として新たに生まれ変わり、今や世界の名門私立大学として成長しています。その始まりは、一九七二年まで遡ります。その年、京畿道九里市にあった中央修練院に統一神学校を開校し、将来大学へと発展できるよう、礎を築いたのです。
「成和大学」という名称を経て、約二十年後の一九九四年、「鮮文大学」という新しい名を持つようになったこの学校は、今や韓国を代表するグローバル大学となりました。私たちは「天地開關鮮文学堂」という揮毫を掲げて、鮮文大学の設立精神としました。この言葉には、天地間のすべての原理と道理を人々に教育することによって、新たに変化を起こす、という根本哲学が含まれています。
しかし、大学教育を始めた当初は、様々な困難にぶつかりました。統一教会が運営する大学、という先入観を持たれていたためです。私たち夫婦は学問が発展することを願って、全面的な支援をしました。海外の有名な博士を招き、講演をしてもらうということも頻繁にありました。たった一時間の講演のために、数千万ウォン(数百万円)を払ったこともあります。学校の隣に飛行機が離着陸できる場所を造り、専門分野を担う海外の学者が直に大学を訪問できるようにするという計画まで立てたほどでした。
文総裁は教授陣を非常に尊重しましたが、与えられたミッションを彼らが疎かにすることは決して許さず、教授を評価するのは設立者や他の教授ではなく学生であることを強調しました。そのように精誠を込めて投入する中で、徐々に優秀な学生やその父母たちに支持される大学へと変貌を遂げていつたのです。また、外国人留学生が韓国内で最も多い大学となりました。最近では様々な評価で最優秀ランクに認められるとともに、政府が主管する教育事業に何度も選定され、実績を築いています。
鮮文大学は伝統を重んじつつ、時代を変革していく大学です。学生を教えるに当たって模範となるため、そして世界の知識人たちと学問の交流を図ることができるように研鑽を積むため、夜でも研究室の明かりが煌々と輝いています。その光は、明け方になっても消えることはありません。深く根を張るほど木がよく育つように、深く学問を研究し、深く教えるほど、大学が成長するのです。
鮮文大学は、企業と社会が求めるカスタマィズ型の教育カリキュラムを実施して社会で活躍できる人材を育成するとともに、学問を発展させるために海外交流を積極的に支援することで、世界の名門大学へと生まれ変わりつつあります。鮮文大学を設立した目的は、韓国だけのためではなく、世界のためなのです。
世の中の勉強をすることも大切です。良い大学に行き、良い職場に勤めることも大切です。しかし、それは地上での生活のためにすることにすぎません。私たちには、永遠なる天上世界があることを知らなければなりません。
二世圏の若者たちは、ダィヤモンドの原石です。磨けばどこに行ってもキラキラと輝く、最も価値ある宝石になるのです。私は鮮文大学を世界的に優秀な大学、世界最高の大学にし、卒業生が世界に出て、「鮮文大学出身です」と_信を持って言えるようにします。
鮮文大学は今後も、グロ—バル人材を育成していきます。中でも神学科は、誰もが行きたいと思うような士官学校として、世界的な指導者を育成する役割を担うことでしょう。
生捱をかけて私たちが設立してきた学校は、幼稚園から大学院に至るまで、世界各地に非常に多くあります。それは、より多くの人材が、神様の心情を抱き、平和世界を築くことに献身できるようにするためです。子女が神様のみ旨の中で純潔を守り、美しく成長できるよう、父母として、情熱を持って汗を流さなければなりません。息子、娘を自分の子女としてではなく、建学理念を通して神様の子女として誇らしく育てることが、私たちの真の願いなのです。
青年学生連合は私たちの未来であり、希望
「文総裁の使用されていたへリコフターをお売りになるらしいですよ」
「歴史的に貴重なものなので、博物館に展示して保管すべきではないでしょうか?」
文総裁の聖和後、私が最初に取り組んだのが、未来を担う人材を育成するために「圓母平愛奨学苑」を設立することでした。伝道をし、伝統を相続することも大切ですが、後代を育成できるようにしっかりとした基盤を準備することも重要だったからです。そのため、文総裁が使用していたへリコプターを売却して元手とし、様々な事業の収益金を合わせて、毎年百億ウォ
ン(約十億円)以上のお金を奨学金として使えるようにしたのです。
これを通して、韓国はもちろん、日本、東南アジア、アフリカなど、世界中の優秀な学生に奨学金を支給し、彼らが勉強に打ち込めるように支援しました。周りからは、文総裁が使用していたへリコプタ丨を処分することに対して残念に思うという声も多く寄せられていましたが、私は未来を担う人材を育てるため、決断しなければならなかったのです。
私はこれ■まで、地の果てまでみ言を伝え、多くの人々が祝福結婚式に参加できるように心血を注いできました。しかし、それに劣らず大きな比重を置いていたのが、未来を担う人材を育成することなのです。
子供たちがコマを回すとき、最初は大変ですが、一度回り始めれば、力を加え続けなくても回るようになっています。奨学財団も同じで、最初に設立する時は大変ですが、一度設立すれば回っていくようになり、後進を育てるに当たって大きな役割を果たすことができるのです。
教育には時間がかかります。特に青少年教育は、なおさらそうです。彼らが美しく、正しく成長できるように垣根をつくって風を防ぎ、二十四時間、見守らなければなりません。人が誕生するまでには、母親のおなかの中で十力月という期間を過ごす必要があります。そのように長い準備期間を経て誕生したとしても、その赤ん坊がすぐに歩き出すことはできません。成長期間がさらに必要なのです。
一九九四年、文総裁と私がアメリカのワシントンDCで創設した「世界平和青年連合(YFWP)」は、韓国では一九九五年に社会団体として登録されました。青年連合は左翼と右翼の理念の壁を超え、和解とために生きる生活を通して、真の愛を実践する共同体を目指しています。中国の北京で韓国と北朝鮮の大学生が参加する中、平和セミナーを開催するなど、南北の青年交流にも大きく寄与しました。また、世界各国に支部を置き、青少年純潔キャンぺ一ン、エイズ予防教育など、様々な活動を展開してきました。
二〇一七年二月には、「世界平和青年学生連合(YSP)」という新たな名称を掲げ、京畿道加平郡にある孝情国際文和財団の大講堂で総会および出征式を行いました。私は参加者に、「天一国建設のための精鋭部隊になってほしい」と呼びかけました。同年六月、タイのバンコクで一万二千人の青年が参加して行われた「YSPアジア•太平洋圏創設大会」では、「孝情の心情文化の主役となり、世を照らす灯火になろう」と訴えました。
二〇一九年九月、アフリカのサントメ•プリンシぺという国で、アフリカサミットと祝福行事が行われました。そして、祝福結婚式の翌日には青年や学生が四万人集まり、「青年学生平和祝祭」が開かれたのです。
美しい海を望む広場全体が若者たちで埋めつくされる中、「孝情文和苑」という組織の主管のもと、「YSP青年学生歌謡祭」や多彩な孝情文化公演、アーティストによる特別公演が行われました。これはサントメ.プリンシぺにおいて、若者による最も大きな祝祭、国のすべての青年や学生が参加した国家レベルの祝祭となったのです。首相夫人をはじめ、大臣がみな出席し、この青年学生祝祭を祝いました。
私は集まった青年たちに、希望と励ましのメッセージを惜しみなく伝えました。
「サントメ.フリンシぺの希望は皆さんです。ヒユアウォー夕ーである皆さんによってこの国に天の父母様の願われる地上天国ができるのです」
十八世紀、フランス革命が起きた当時、ルイ十六世は自国の民を信じることができず、スイス人の傭兵に頼りました。こうして、スイス人の傭兵が、フランスの王宮を守るために戦うことになったのです。彼らは最後まで一人も逃げ出さず、責任を果たしました。現在、バチカンを守っているのもスイス人の傭兵です。
今、真の父母を迎え、神様の夢を成し遂げるための天一国の役事が起こっています。天一国時代、真の父母に侍る青年学生連合は、まさにスイス人の傭兵のように、いかなる困難に遭っても決して退かない、不屈の精神を持たなければなりません。青年学生連合の一人ひとりが、真の父母を誇り、み旨をかなえる孝子、孝女、天一国の忠臣の位置に立っているのです。

