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Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第84話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
お父様の誇らしい子女の姿として立ててください
お父様!
広く高いあなたの性相の前に、
至極小さく卑しい自分の姿を表し、
あなたの哀れみと慈悲のみ手を
切に願う子女たちとなるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
能力の主体であられるお父様、
生命の原動力であられるお父様、
愛と心情の根本であられるお父様!
私たちはあなたのみ前に一つの実体として、
一つの枝と葉のような立場で
一切をあなたに任せ、
あなたが悲しまれれば私たちも悲しまなければなりませんし、
あなたが喜ばれれば私たちも喜ばなければなりませんし、
あなたが忙しく働かれれば私たちも忙しく働かなければなりません。
このような面で、
あなたと共にすべての生活環境に接していく
あなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の性相の前に
私たちの姿を表したとき、
果たして私たちは
お父様が願われた姿として、
お父様が喜ばれ、対することができ、
お父様が親しく尋ねてこられて、
ささやき声で行く道を命じてくださることのできる
息子・娘となっているかを考えるものです。
私たちがそのような息子・娘となるためには、
お父様のみ前に、
誰よりももっと親孝行の道理と忠誠の道理を尽くさなければならず、
生命までもお父様のみ前に捧げることができなければなりません。
私たちが
お父様の息子としての因縁をもてないときには、
生活舞台でみ旨の前に残ることができないということを考えますので、
木石のような私たちの心を溶かして、
あなたのお心に似るようにしてください。
お父様のご事情と私たちの事情が出会い、
私たちがお父様に吸収され得る因縁が
成されるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
流れていく歳月と共に、
はかない自分の生涯を、
嘆息するしかないものとして残してはなりませんし、
願いと共に
力強いあすを誓うお父様の息子としての権威をもって
喜びのひと日、
楽しみのひと日、
誇らしいひと日を迎えなければなりません。
み旨を知った私たちは、
お父様のたけておられることを知り、素晴らしさを体得しながら
あすの勝利者として、
きょうの建設者として、
歴史の勝利者として
堂々と権威のある立場に
立たなければならないということを知っています。
それゆえ、いつも
自らを置いて嘆息する、
自分を立てることのできないかわいそうな人となってはならないと、
自ら誓うことのできるあなたの息子・娘となるようにしてください。
今、私たちの心が、
あなたのお喜びになることのできる姿を備えるようにしてくださり、
私たちの体が、
あなたの願われる姿を備えるようにしてください。
私たちの体は勝利の生きた祭壇となり、
私たちの心は生きた祭物となって、
あなたのみ前に
永遠に捧げられ得るようにしてください。
そうして、
あなたがお探しになりたかった祭物がこれであり、
出会いたかった願いの実体がこれであると、
宇宙万象の前に私たちを立たせて誇るに
恥ずかしくない息子・娘の姿となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・二・二一)

Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第83話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
一生の季節を知るようにしてください
今まで統一教会員として、
時は近づいたけれども、時に対して分かる人がどれほどになるのか、
ひどく心配になり、
疑わざるを得ません。
時は時なりに過ぎていきますが、
今日、人は人なりに、
昔のその姿のままでいては、
何にもならないということを私たちは知っています。
春になれば
種を蒔く時として、種を蒔けば芽が出るでしょうし、
夏になればその芽が育つでしょうし、
秋になれば実を結んで、
冬になる直前には
取り入れる収穫期があることを知るものです。
このような自然現象の法則によって、
一つの生存体が
全生涯の過程を通して経ていかなければならないことを見るときに、
今日、
自分自体の一生の信仰生活において
春の季節を迎えた者がいるなら、
夏の季節を迎えるようにしてください。
夏の季節には
ぼうぼうと育つ葉が良いのではなく、
その葉を開かせる一つの茎が
どれほど貴いものであるかを分かるようにしてください。
その茎は「私」だけがもつことのできる茎として
花が咲き、実を結んで、
その実が
一年なら一年全体の価値を総合することのできる結実を
もってくることができるという事実を私たちが知り、
信仰生活も
そのような時があることを知らなければなりません。
私たちの一生を通して、
み旨を知った過程において、
どの時期が春の季節であり、
どの時期が夏の季節であり、
どの時期が秋の季節であり、
どの時期が収穫期であるかを分かるようにしてください。
収穫期を迎えるときには、
み旨を中心として全体を捧げ、精誠を尽くして
収穫しなければなりません。
そして、収穫したものを私たちのものとするのではなく、
お父様のものとして収穫してから、私たちのものとして受けるようになるならば
お父様と因縁を結んで、すべてのものを所有でき、
関係を結び得る価値があることを知りましたので、
復帰の路程を行く私たちにあっては、
すべてのものをまず私たちのものとするのではなく、
まずお父様のものとしなければなりません。
まず私たちの人格と私たちの生活を立てるのではなく、
お父様の人格とお父様の生活をまず立ててさしあげるべきなのが、
今日、召命を受けて従っていく私たちの立場であることを、
私たちがはっきりと知らなければなりません。
何よりも
一日の生活を通じた闘いで負けないようにしてくださり、
一ヵ月の生活を通じた闘いにおいても負けないように、
お父様、
祝福してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
万事があなたの勝利の基準と共にあり、
私たちの心がいつも
それに向かって勇ましく大胆に駆けつけ、
最後の勝利の場に参席できる息子・娘となるよう、
お導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・二四)

Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第82話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
人のための道を行かせてください
「私」のためのものは
復帰摂理路程においていつも怨讐であり、
人のためのものは
いつも私の行く道の前にある
すべての困難と受難の道を
平坦にする路程であることを私たちが知りましたので、
私たちが人のための道を行くようにしてください。
私たちの心霊が枯渇すれば、
それを私たち自ら解決するのではなく、
かえって人のためにもっと犠牲になるか、
人のためにもっと苦痛を受ける立場に立つことによって、
反作用的な行路を開拓することのできる道もあるということを
分かるようにしてください。
また、あなたのために精誠を捧げ、
より価値的な忠誠の度数を加えることによって、
あなたのみ前に接近する道もあるということを
分かるようにしてください。
問題は他人にあるのではなく、私にあるということを
分かるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
いくら冷たい風が吹いてきても、
「私」自体が服をよく備えて着るときには、
その冷たい風も関係なく過ぎゆきますが、
「私」自体がそこに対備することのできる能力がないときには、
それによって病気になり、
それによってずれるのが
現象世界でなされる原理であることを、
私たちは知っています。
したがって、今日の私たちの生活も
このような原則を基準として生活を改善し、
自分の生涯の路程に輝き得る、
天が願う価値を
誓うことができなければなりません。
そうしてこそ、お父様がお喜びになることのできる
息子・娘となれるということを
私たちが分かるようにしてください。
昔喜んだ
刺激的な息子・娘の立場では、
きょう喜ぶことのできる息子・娘とはなれないという事実を
知らなければなりません。
もっと喜ぶことができ、
価値的な刺激を感じることのできる息子・娘となるためには、
より一層困難で、
より一層高く、
より一層価値があり、
より一層責任をもつことのできる立場で
天が信じることができ、
天が願うことができ、
天が直接に相談することができる立場に立たなければならないことを知り、
より重要な責任をもつことが栄光であり、
人よりもっと困難な十字架の道を行くことが誇りであり、
人よりも奉仕的な生活をすることが
価値ある生活だということを知る、あなたの息子・娘たちと
なるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・二四)

Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第81話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
天を中心とする私たちの出会いとならせてください
愛するお父様!
過ぎ去った歴史の流れは
時には悲しく、時にはうれしいものでした。
人が知らない心の中に
天の悲しみが宿っていることを思うときごとに、
お父様に対して私たちは、
いつも不足であることを悟るようになるものです。
お父様!
私たちと出会うようになったこの因縁は、
私たちの能力で出会ったのではなく、
お父様を中心として
数千万代の先祖が橋を架け、
その土台を広げに広げた功績によるものです。
きょうこのように
出会うことのできるひと日をもつことができるようにしてくださった
すべての恩賜を、
私たちが有り難く感じることができるようお許しください。
人間同士出会って別れる場では
批判が加えられるものであり、
分裂を見るけれども、
天を中心として出会うところには、
おそれ多さと感謝と涙だけが残るということを
私たちは知らなければなりません。
ここに集まったあなたの子女たちが、
深い心の中で神様にもっともっと同情し、
私たちのお父様であられる神様を
愛さなければならないということを
はっきりと悟るようにしてください。
狂ったようにあなたを愛するために、
自分の体と心をすべて捧げ、
すべてのものを犠牲にしたとしても感謝することのできる、
神様が見て喜ぶことのできる
息子となり娘となるようお許しください。
一つしかない
あなたのその愛をすっかり譲ってくださりながら、
万民の前に誇りたい息子を
どれほど慕いつつお探しになられたことでしょうか?
またそのような娘をあなたはどれほど慕われたことでしょうか?
今、私たちのいらだった姿が、
あなたの性相に向かって一歩一歩前進していますので、
あなたが「早く来なさい」と呼ばれる時を待つ、
そのような姿の私たちとならなくてはならないのです。
苦難が来ることを避け、
またそのような苦難が来るかと心配する、
そのような息子・娘たちに絶対にならないようにしてください。
受難の歴史があるならば、そこには
人間同士の過ちがあったことは間違いないということを、
私たちはよく知っています。
お父様は背後で導いてくださったけれども人間が誤るとき、
天はいつも嘆かれ、
いつも切なく思われ、悲しまざるを得ない立場に立たれるということを、
私たちははっきりと悟らなければなりません。
人間が共々に協助し、共々に誓って
誤ることによって、
天が探してくださろうとする全体の福をひっくり返すことを、
絶対にしてはなりません。
このような事実を知って
自ら誓うことのできる
息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げながら、
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七一・一・九)

Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第80話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
無限に与えても恥じらい得る姿とならせてください
お父様は今まで
支配を受けずにこられたお方でしたが、
お父様のお心は
与えながらも恥じらいになられるということを、
私たちは知らなければなりません。
本然の純粋な愛をもって、
すべての愛を与えたかったのがお父様のお心でした。
しかし人間の堕落によって、
段階的に摂理してこられるお父様のお心には、
数千年間の切なさがこもっているという事実を、
私たちは考えなければなりません。
お父様!
復帰歴史過程で
蘇生時代、長成時代、完成時代という険しい峠道を
段階的に経なければならないお父様のお立場を、
私たちは知らなければなりません。
人間たちは
お父様のみ愛を受けつつも、
今日まであなたに感謝することを知らず、
恩を返すことも知りませんでした。
このような現実でも、
そうであるほど、いつかはみな与えようという決意をもたれ、
強く大胆に悲しい歴史を引っ張ってこられた、お父様の内心を
私たちは察する者です。
きょう、お父様の悲しかったお心を打ち明け、
世界を代表して、歴史を代表して、天宙を代表して
与えたかったご心情を吐露するこの時間、
あなたのみ前に全体を受けて
全体を与えることのできる息子・娘たちとなれないのではないかと、
恐れを感じるあなたの息子・娘たちが
この場に集まりました。
お父様、
万物を与えたい心に徹した人が、
それを受けることを切に願う人に出会うとき、
与えながらも頭を下げて恥ずかしさを感じる人であるならば、
この人はお父様の人であることが分かるのです。
すべて与えても、もっと与えられないことを恨みつつ、
もっと与えたくて
体と心を捧げ、燃えてなくなるようなことがあっても、
そのなくなること自体まで
否定する心をもつ人がいるなら、
その人は神様が所有なさるでしょうし、
天全体が彼に連結されるということを思うとき、
避けようとしても避けられない中心の位置で
お父様と連結できる息子・娘が、
この時間に現れるようにしてくださることを切にお願い申し上げながら、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・一〇・二五)

Tuesday Feb 04, 2025
父の祈り 第79話
Tuesday Feb 04, 2025
Tuesday Feb 04, 2025
温柔謙遜な姿勢で真の生活を追求させてください
世の中のためになり、
世の中で尊称を受けられる人は、
自分が偉いと主張する、そのような人ではありません。
自分の姿も表さず、
孤独な立場で苦労の道を編んでこられるお父様が
尊称を受けなければならない方であられることを、
本当に私たちは知らなければなりません。
ある喜びがあれば、
それをこの民族の誇りとするために
努力する人よりも、
その喜びをお父様のものとして帰し奉るために、
あなたを思い、黙々と苦労する息子と娘が
必要だということを悟るようにしてください。
ご苦労なさるお父様!
孤独なお父様!
目をつぶり、
唇をかみ、
舌をかみながら耐えてこられたお父様の悲しみの極限のご事情が
本当に分かる息子・娘であるとするならば、
千年の恨みを抱かれたお父様が、
一日の生活の中で満足を求める人間を通してでは
慰労をお受けになることができないということを、
切実に感じなければなりません。
そのようなお父様のみ前に
温柔謙遜な姿勢を備えて、
真なる生活はもちろん、
生涯を捧げてでも
涙を禁じ得ない感激の生活、
おそれかしこまる生活、
改心の生活をすべき
歴史時代を経ていく人類の姿であるにもかかわらず、
かえってお父様にご苦労をかけ、
お父様にもっと重い十字架の荷を抱かせ、
お父様を孤独な道に追い込んだ私たちであったことを
悟らなければなりません。
それだけでなく、
悪なる血統を受け継いだ後孫として、
天の側に立つ人を討つ先鋒の位置に立っていた
私たちの立場であったという事実を知って、
全天地間のその何ものによっても、
あなたのみ前に許しを求めることのできない自分であることを
発見しなければなりません。
そうして
嘆息と悲しみの中で、
お父様のみ旨の前に恨みを結ぶようにした自分の生命を、
お父様のみ前に捧げようとする心をもってこそ、
真にお父様を尋ねることができ、
お父様に対し得る私たち自身となることを
悟らせてくださり、
これが私たちの生涯において
何よりも重大事であることを
感じるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・九・二七)

Sunday Feb 02, 2025
父の祈り 第78話
Sunday Feb 02, 2025
Sunday Feb 02, 2025
新しい芽とならせてください
お父様!
私たちはお父様の真の種となり、
真の木として成長して
花を咲かせ実を結び、
再びあなたの懐に抱かれることのできる
数百個の結実として現れなければなりません
そうですので、
春の日を迎えて
私たちを真の種としてお蒔きになり、
自由天地で
真の木として成長するようにしてくださって、
あなたの慰めとなることができるようにしてください。
また、そこから漂う花の香りの中に
実を結んで、万国に満たし、
終わりの日の喜びの宴をなそうとされるあなたの願いを
成就してください。
お父様!
私たちがお父様を
本当に愛するようにしてください。
私たちがお父様に今まで親不孝したのは、
悪なる環境で育ったからであることをよく知っています。
お父様!
私たちが望みがいっぱいの環境の中で、
公的なお父様の愛を中心として
一つの種として真の沃土に根を打ち込み、
根を中心として芽が伸びていき
一つの木が育つ法則と同じように、
私たちも新しい芽を必要とするこの環境を
重要視しなければなりません。
お父様!
青年時代を美しく装わせてください。
そうして、
あなたに因縁づけられたこの者たちの行路をお守りくださり、
その環境の土台を中心として
育つことができるようにしてください。
この者たちを真の芽となるようにしてくださって、
この民族とこの国とこの世界の前において
すべての人類が望み見ることができ、
すべての人類を抱き得る新しい生命の木となるようにしてくださり、
新しい花を咲かせて実を結び、
万国に蒔かれて残ることのできる
息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを
切にお願い申し上げます。
そうしようとするならば、
私たちは強くなければなりません。
お父様、
この国が
公的な神様のみ愛を中心として
永遠に結束することができ、
どのような力でも引き離すことができず、
どのような逆境でも変えさせることができないという
信念に燃えるよう許諾してください。
このような試練に耐えるためには、
十分な栄養素を補充しなければなりません。
この民族に残っているすべての悪の要件を除去できる
生命力をもった息子・娘となるよう
お導きください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・八・二三)

Sunday Feb 02, 2025
父の祈り 第77話
Sunday Feb 02, 2025
Sunday Feb 02, 2025
お父様に向かう欽慕の心情に燃えさせてください
お父様! あなたが神聖だと認定なさることができ、
あなたがためらわずに尋ねてこられ得る
この場とならなければなりません。
お父様の息子がいて、娘がいる場、
お父様が必ず自由にお尋ねになることのできるこの場となるよう、
お許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
虚空を眺めながら、
答えのない泣き叫びの声を張り上げ、
疲れる人々となってはなりません。
罪悪の境界線を踏んで越えていかなければなりません。
このような私たちを、
切ないみ手でつかまれるお父様の感触を感じながら、
「お父様」と叫ぶことのできる喜びのひと日を
迎えるようにしてください。
お父様のご心情をもって、
全天下をすべて抱き寄せ愛しながら、
自ら酔うことのできる境地を
私たちに許諾してくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様!
欽慕の心情に燃え上がる切実なる心と共に、
私たちが自分の意志のまま
「お父様」と呼ぶことのできる自由な環境を
許諾してください。
「すべての万象と共に
私たちの高貴さを称賛してください」と、権威をもって
お父様のみ前に誇りたいのです。
すべてのものを私たちのためにお造りになったことを知るものです。
高貴な姿をもって、
隠然たる中にお父様を呼ぶことのできる立場に、
あなたの息子・娘たちを連結するようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様のために泣き叫んできた過去のことを、
今日私たちが
はるかに眺めるだけではいけません。
過去のすべての内容が、
現実の材料として登場するようにしてください。
そうして、
今日のすべての事由が
現実と未来を連結させ、
過去それ自体が
今日を証すことができるようにしてください。
そうして、
お父様に侍ることのできる息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
全体を受け
神聖に保護してくださいますことを切にお願いし、
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・八・九)

Friday Jan 31, 2025
父の祈り 第76話
Friday Jan 31, 2025
Friday Jan 31, 2025
お父様の生命の脈拍を大切に保つ子女とならせてください
人間は
お父様の愛のために生まれた存在ですので、
愛を離れては生きることができません。
愛のために生まれ、
愛でお父様に侍り奉らなければならず、
主体であられるお父様のみ前に
相対として互いに愛し、
愛されなければならないという事実を考えるとき、
その無限なる価値ゆえに
ここに現れたあなたの息子・娘であることが分かるようにしてくださいますことを、
切にお願い申し上げます。
お父様と関係のない出会いは
無用のものです。
毎日習慣のように出席することは、
お父様のみ前にはプラスにならないということが
分かるようお許しください。
尊いあなたのみ前に、
無限であられる愛の主体のみ前に、
無限な生命の源泉であられるあなたのみ前にひれ伏した者たちの中に、
軟弱な者がいるでしょうか?
もしいるならば、その自分の存在の価値を忘れるほど、
全体の前にお父様の認識を表面化させる立場で、
倒れながら
お父様を待ち焦がれる心をもった者となるようにしてくださいますことを
切にお願い申し上げます。
お父様の裾をつかんで、
お父様の首を抱き、
切なる心でむせび泣きながら、
「お父様の懐に抱かれるひとときを迎えるようにしてください」と絶叫し、
心の中に染み込んでくる、お父様の生命の脈拍を
大切に保つことのできる子女となるために、尋ねてきた群れだということが
分かるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
あなたの愛が
私たちの深い心の中からほのかに流れ出て、
心情と心情を結ぶことができ、
あなたのお心の根本に流れる、その血の脈拍が
私たちの心を奮い起こすようにしてください。
本質的な愛の脈拍に
私たちのすべての血が染み通るようにしてください。
そうして、
あなたの勇気と共に
憤怒の心をもって闘わせてくださり、
お父様の怨恨の脈拍が私たちに伝わってきて、
生涯の瞬間瞬間を越えていける力の源泉となることができるよう、
お父様、
ほのかな中に自身を省みるようにしてくださり、
因縁を結んでください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・六・七)

Friday Jan 31, 2025
父の祈り 第75話
Friday Jan 31, 2025
Friday Jan 31, 2025
感謝の生活をする私たちとならせてください
お父様!
私たちがお父様の精誠を知る息子なら、
眠りから覚めても
罪人の恥ずかしい姿を隠すことのできない心苦しい気持ちで、
ひれ伏すまいとしてもひれ伏さざるを得ないことでしょう。
朝の食膳に向かう場で、
「私」がこのご飯を食べて何をするのかを、
自ら尋ねる自分となるようにしてくださり、
昼の食膳に向かうときには、
今まで「私」が何を残したかという問いに、
恥ずかしい姿で自責する自分となるようにしてくださり、
夕べの食膳に向かうときには、
一日を清算するに不足のない一日を送ったかを、
自問することのできる自分となるようにしてください。
お父様のものとして一日を始め、
お父様のものとしてこの時間まで来たのか、
またお父様は「私」に
どれほど関心をもっておられるのかを考えるときに、
価値あるように過ごすべき一日を、
何も残せず空の体をもって
この世の心で過ごした一日ではなかったかを考えて、
惜しむ心でお父様のみ前に涙をもって謝罪し、
床に就くことのできる子女たちとなるようお許しください。
私たちは
感謝する生活をしなければなりません。
むち打たれるような場でも、
血を吐くような場でも
感謝の生活をしなければなりません。
数多くの先祖たちが
そのような場でお父様を裏切ったので、
そのような歴史的な悲しい恨みのご心情を抱いてこられたお父様に、
孝の中の孝の道理と、忠の中の忠の道理を
全うすべき私たちであることを知るものです。
ここで私たちが
恨みと不平をもっては、
その立場に立つことができないということが分かるようにしてくださり、
そのような自分を発見することを
恐れる姿となるようにしてください。
この世では哀れで弱い人であっても、
このような人以上に恐ろしい人はないということが
分かるようにしてください。
私たちの体が疲れて、
持ちこたえることができないほどの立場にいるとしても、
お父様は
これよりもっとひどい受難の道を克服してこられつつ、
私たちを恋しがられたという事実を思いながら、
私たちがこの受難を越えてくることができてこそ、
お父様の悲しい過去を
慰労してさしあげることのできる息子となるという事実を発見し、
行くべき自分として聖別して、
お父様のみ前に
祭物として完全に捧げられる息子とならなければなりません。
私たちは感謝して生活することしかありません。
一人の男性の前に結ばれた妻が不足だとしても、
生涯を通して奉仕できるその何かがあるので、
その妻を下さったことに感謝しなければならず、
あるいは子供が「私」に十字架の一生をくれても、
そうすることのできる立場を準備してくださったことに感謝しなければならず、
環境が「私」に
生涯を支えることのできない絶望のどん底に追い込んだとしても、
それをどのような条件を立ててでも
感謝の因縁として残して倒れようと言うことのできる息子となり、
お父様の人となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げ、
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九七〇・三・一四)