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Monday Jan 22, 2024
真の父母経 第389話
Monday Jan 22, 2024
Monday Jan 22, 2024
5 世界で多くの人が飢えて死んでいきますが、それに誰が責任をもつのでしょうか。その息子、娘たちは勉強もできずにいます。そのように流れていくことによって、ごみを燃やすための燃えぐさにもなれずに終わりを迎える場合が多いのですが、そのような子供たちを、金持ちの家の息子、娘以上に勉強させなければならないというのです。
学費がなくて勉強できなかったり、人々が飢え死にするのを防止することが、終末時代に人類が解決すべき最も重大な問題です。その問題を解決しようという人がいないので、父母様は、別動部隊をつくってでも、飢え死にする人々を助けてあげようとするのです。それが生活哲学になっているので、そのようなことを続けています。誰も、そのようなことを好みませんが、父母様は助けてあげようとするのです。
6 献金というのは恐ろしいものです。毒薬より恐ろしいのです。国のために血と汗を流して用意した、天に記憶される礼物を、自分の息子、娘と自分のために使えば、一族が滅びます。献金が入ってくれば、すぐ誰にあげるかを先に考えるのです。世界のより大きなもののために、国のために、どこに使うかを考えれば引っ掛かりません。それを正しく使う方法が分からずに、みな滅びるのです。
7 お父様は、自分のためにはお金を一銭も使いませんでした。お金について、正確に報告してきました。国税庁でも、「公的なお金は一銭も使わない。お金に関して間違いない人だ」と言っています。
皆さんが苦労して集めたそのお金を、欲しいと思うことはできません。真の父とは、そのような人ではありません。日本の女性食口が七年間、同じ下着を着て活動したという報告を聞き、痛哭しました。そのような日本民族を、忘れることはできません。そのような条件をもっているので助けたいのです。そのように苦労しているのを知っています。
8 統一教会に入ってきて、統一教会に頼って暮らそうという心をもってはいけません。統一教会にマイナスになり、世話になるのではなく、教会とこの運動にプラスになる皆さん自身にならなければならないのです。み旨の前にプラスになることができず、天のみ前に心配の対象になれば、行く道においてどれほど支障をもたらすか分かりません。お父様が一生において定めた標準はこれです。このみ旨が世界に越えていくまでは、自分の国や自分の親戚など、み旨の前に妨げになり得る人々は立てないと決心したのです。
9 今まで、父母様の目から涙の乾く日はありませんでした。今もそうです。公職にいる人は、足を安らかに伸ばして寝ることができません。心置きなく、一杯の御飯を食べることもできないのです。そのような立場で過ごしながら、ありとあらゆることを言われましたが、弁明しませんでした。神様が六千年間、弁明してきていたなら、この天地は残っていなかったでしょう。
神様の内的な心情をたどってみるとき、今日、私たちが受ける試練と苦痛は、あまりにも軽いのです。神様のみ前に自分を掲げて現れ、弁明するには、あまりにも不足だというのです。かえって、私たちは神様を慰めてさしあげ、神様のみ前に頭を垂れて恥ずかしく思うべき者たちです。困難な環境に追われれば追われるほど、自分自身を隠そうとし、恥ずかしさを感じなければならない立場であるにもかかわらず、弁明して進み出ようとしています。そのようにしてはいけないというのです。
10 困難なときであるほど、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。完全な主体を中心として、零の位置に立たなければなりません。零の位置に立つとはどのようなことかというと、太陽の光が射すとき、ちょうど垂直の位置に立てば、影が生じないのと同じです。正午になって、太陽の光の下に立てば、影が生じません。太陽が一番高い所にあれば影がなくなります。影がなければ、そこから新しいものが生じるのです。零の位置に立つので、そうなるのです。そこで心配しながら暮らす人は、失敗に終わります。
しかし、失敗したとしても、心配をしなければ、その人は次元の高い所で定着するのです。他の人々はみな倒れ、みな後退していなくなった場でも、心配をしないようになれば、また違う次元で、より高い次元で発展するのです。それが父母様の生活哲学です。統一教会は今まで否定を受けてきましたが、否定を受ければ受けるほど、その否定される場では低かったものが、より高い次元で成就されるようになるのです。ですから、完全な主体は完全な対象をつくり出すという原則を中心として、進まなければなりません。
11 お父様は、休みの日にも眠る暇がありません。無理をし続けています。話し始めれば、途中で終わらないからです。一生のうち、昼寝をしたことは数回しかありません。一九九〇年を越えてからは、疲れた場合に昼寝をしましたが、寝るとしても、一時間以上は寝ないのです。一時間以上寝れば、夜、眠れません。ですから、いくら疲れても昼寝はしません。それが習慣のようになっているのです。お父様は、普通、早朝の三時半になれば起きます。年は取っていますが、青年たちにも負けません。健康維持法を知っているからです。
12 天の国では、お金を持って暮らすことはできません。知識でも駄目です。愛の涙をたくさん流さなければなりません。宗教指導者は涙がなければ駄目なのです。お父様は、誰かが一言だけ話しても、痛哭する心情をもって一生を送っています。ここで抱いていたその思いが成就されなかったとすれば、霊界に行っても、休まずに働かなければなりません。仕事が山のように幾重にも積み重なっているのを知っているので、きょう一日を過ごしながら、一時間でも残っていれば、あすの一日を得るために、夜でもその仕事を終わらせようとするのです。
そうして、あすはもっと大きなことを、その次の日は、さらにもっと大きなことをしようとします。天のために天の塔を築くのです。天の塔を築くための煉瓦を、誰かが一個でも多く載せなければなりません。一生の間、自分のことを忘れてこのように生きてきてみると、今や、世界の頂上を越えたのです。
13 皆さんは、統一教会の発展をその国、その民族に連結させるために、数多くの同志が血を流し、夜も眠れずにいるという事実を知らなければなりません。私はそれを知っている人です。また、それを命令した人なので、夜も昼も負債を負わないように努力して生きるのです。
夜十二時を過ぎれば、「彼らが祈る時間になった」と思い、寝ずに彼らに対する負い目から抜け出そうと努力します。ですから、統一教会は発展するのです。
精誠と祈祷生活
真のお父様は、数多くの漢字の中からたった一字だけ選ぶとすれば、「誠」の字を挙げられるというほど、精誠の重要性を強調された。精誠とは、み言を生活の中で成し遂げることである。それが、天を感動させ、人を感化させることのできる信仰生活の基本となるからである。真の父母様は、精誠を尽くす人や、精誠を尽くした物を、常に何よりも貴く思われた、そして、祈れば神様が必ず成就してださるという信念をもって祈ることと、祈りに先立って実践することを強調された。
14 お父様は、監獄に入れば、監獄生活をする人々の親になり、労働現場に行けば、労働者たちの親になりました。アメリカのグロスターで七年間、船に乗りましたが、そのような思いで乗ったのです。「ニューホープ」に乗って回るとき、全員が昼寝をしていても、私は寝ませんでした。朝になって航海をしなければならないのに、船長が居眠りをしていれば、起こしたのです。船に乗っているとき、船室にベッドがありました。しかし、頭が痛くて一度横になったことはありますが、それ以外、横になったことはありません。そのように大変なのです。大海原を切って走るすべての船員たちの伝統を立てるべき責任があるというのです。親としての責任があると考るのです。
統一産業をつくったとき、青坡洞の本部から水澤里まで行ったり来たりしようとすれば、三時間、四時間近くかかりました。そのような距離を、一日に二回行ったことが無数にあり、三回行ったことも数えきれないほど多くありました。ベリータウンの神学校にも、三年間、そのように通いながら暮らしました。行きたければ、毎日行くのです。どこかに行っていて遅く帰ってくれば、その翌朝に行きます。精誠を尽くしに行くのです。
15 精誠とは、錨綱がない所に天の国の錨綱を降ろすようにすることです。一つ、二つと引っ掛けて、錨綱が伸びるようにするのです。精誠を捧げれば、錨綱がそのように降りてきます。降りてくるその錨綱に乗って、天の国へ自由に上がっていけるのです。なければ上がることができません。ですから、精誠を捧げて、錨綱をつないでおかなければならないというのです。錨綱をつないでおけば、これに乗っていくらでも上がっていくことができます。このようになれば、祈りの門が開き、精誠を捧げれば、それが錨綱を中心として横的に広がります。
祈り続ければ、次第に広がるのです。これが次第に広がれば、錨綱ではなく梯子になります。そこからさらに精誠を尽くせば、この梯子が山になるのです。そうして、その高い山の頂上で天の国と接し、連結されます。そうすれば、私が高くなるか、天の国が降りてくるか、するようになるというのです。そのように梯子を高くし、また霊界のすべての人が私を中心として精誠を尽くすことによって、地上に再臨できる道が近づきます。また、地上で私のために精誠を捧げれば、それによって高い山ができ、恵沢を受けることができる領域に上がるのです。
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第388話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
20 人は、言葉と行い、このすべてが端正でなければなりません。言行心事、言葉と行い、その次には、考えて働くことが端正でなければなりません。模範にならなければならないというのです。それでこそ、すべての環境に適応できるからです。
私たちはいずれにしても、「私」一人が生きていくのに、このようなすべての過程を経なければならないので、自分自身の生活と教会生活と社会生活を貴重に思うことができなければならないと考え、このような内容を伝達するのです。
今は昔とは違うからです。時が変わりました。そのようなすべてのことを備える時が来ました。これからは、実績をどのように表すかに力を注がなければなりません。今からの実績は、蕩減の実績ではなく、皆さんにとって利益となる実績として残るというのです。
21 物は、どこにあるか、いつでも分かるように片づけておかなければなりません。皆さんは、美しく手入れをし、整頓することができなければなりません。
私は、「日本がなぜ祝福を受けるのだろうか」と考えたのですが、それは日本人たちが環境をきれいにし、整理が上手だからだと思います。悪い霊人は、(環境が)悪くなるようにさせ、良い霊たちは、「きれいにして神聖に整備しなさい」と言うのですが、良い霊たちがたくさん来て助けてくれるので、日本がそのように早く発展したと考えるのです。私たちは忙しく活動をするとしても、今後、そのような面を生活化しなければなりません。
22 お父様は、人々が夫婦で生活をすることについて、いつも興味深く考えています。二人が一生涯、愛し合い、子女を生み、苦労を乗り越え、共に励まし合いながら、生涯にわたってマラソン大会を続けているのを見るとき、「何が、あのようにさせるのだろう!」という思いが湧くのです。それはお金でもなく、女性の力でも、男性の力でもありません。それを可能にするのは愛の偉大な力です。愛は、眠っている子女が、舌を出して母親のお乳を欲しがるのと同じです。子女が、泣きながらでもお乳を吸うように母親の懐を慕う心をもった幼子の立場と同じです。それは貴重なことなのです。
23 私はいくら忙しくても、毎日、一日も欠かさずに、眠っている子女たちの所に行って祈ってあげます。貴い生命の前に、父母の役割を果たすのは簡単ではないというのです。「私がお前にあげられるものは何だろうか。お前に負債は負わない。お前が寝る時間、私が福を願い、しっかりと抱いてキスしてあげよう。私には時間がなくて、いつもお前の手を握って歩くことはできないが、私が申し訳ない思いをもってお前を抱き、キスしてあげる、このようなことは永遠に残るだろう」、このように生活しているのです。
24 父母がけんかしながら、涙を流して争い、子女たちが泣きわめくようなことがあってはいけません。それは父母としてすべきことではありません。子女たちに対して恥ずかしいことです。子女たちは未来の神様です。神様の理想を未来の後継者たちが相続していかなければなりません。未来の神様にならなければならないというのです。そして、神様の実体対象にならなければなりません。
彼らは未来の神様なので、師の中の師です。子女たちはだませません。絶対にだませないというのです。既に、父母がうそをついているのを、言葉にはしなくても、すべて知っています。ですから、父母は師の中の師にならなければなりません。父母は第二の神様の位置に立って、師の中の師にならなければならないのです。彼ら(子女たち)の情緒的な標準にならなければなりません。「僕もうちのお父さんのような夫になり、うちのお母さんのような妻を迎えよう。もし駄目なら、育ててでもそのように導こう」と言えるようにしなければなりません。心情的教育は、そこからしなければならないのです。
25 私とお母様は、息子、娘の前では絶対に涙を流しません。彼らの前で涙を流す姿を見せてはいけないのです。その子女たちは神様です。父母は、自分の息子、娘に絶対に涙を流すところを見せてはいけません。幼い時は父母が一番です。世の中で最も貴い存在であり、神様の次に偉い父母だと思っているのです。国の大統領よりも、世界の聖人よりも、誰よりも一番貴いというのです。家庭がそのような心情のもとで進まなければなりません。
今まで、天国を築こうと歩んできた私たちですが、国を通しては絶対に天国を築くことはできません。家庭を通して天国ができるのです。その家庭は、父母様がいつでも行って暮らしたいと思う家庭であり、神様が暮らしたいと思う家庭です。その国の主権者であれば、主権者が暮らしたいと思う所なのです。
26 父母は、幼子のおむつを洗いながら、臭いがしても、赤ん坊がにこにこ笑う姿を考えながら、ただ喜ぶのです。考えるだけで、もう目に浮かびます。子女を愛する父母の心はそうです。
皆さんが神様を愛するとすれば、どのくらい愛しますか。神様を愛する場合、神様のものであれば、良くないものがないのです。いくら難しいことでも、難しいと感じません。深い谷間に埋まっている愛の綱がうなりを上げて出てくることのできる一つの動機になります。母親が苦労して働いていても、子女をさっと抱き寄せ、乳房が痛くて気が遠くなるほどお乳を飲ませる姿は、本当に素晴らしいというのです。
第二節 真の父母様の公的生活と精誠
公的な生活姿勢
神様のみ旨とは創造目的を成し遂げることである。真の父母様は一生涯、そのみ旨のために生き、そのみ旨のために死のうとされた。ただ、天のみ旨だけを考え、み旨だけのために生きてこられた。夜も昼もなく、ゆっくり眠ることもできなかった。世界を巡回されるときも、いつも強行軍をしながら、食口たちを激励された。真の父母様の生涯は、神様の解放と人類の救いのための公的な路程であった。個人の生活を顧みられないまま、公的なことのために自らのすべてを犠牲にされたのである。
1 お父様は、どこに行っても聖別して暮らします。どこかに行って座るときも、聖別して座るのです。そして、その場から出てくるときは、必ずそこに盾を立てて(サタンから守る対策をして)おいて、出てくるのです。「ここのどんな環境よりも高い場所に座ってから行く」と考えてこそ、サタンは付いてきません。座る場所、見る場所、どこが居心地がいいか、それを見るのです。このような生活をすれば、神経が最高に鋭敏になるので分かります。良くない環境に入れば、すぐに全身がぞくっとするのです。どこがどうだというのが分かるというのです。その時は、その場を避けなければなりません。それが生き残る道です。
それを知りながらその場に行けば、露見するようになっています。ですから、いつも明かりをつけて回るのです。電気で言えば、昼が千ワットの明かりだとすれば、私は千ワット以上に明るくして回らなければなりません。太陽の光の下で、さらに明るければ、日の光の中でも影ができます。それゆえ、絶対的に「ために生きる」愛を実践しなければなりません。そのようになれば、百ワット、千ワットが天から直接来るのです。発電所から直接ここに来るのです。いつもそれを考えなければなりません。
2 お父様に、自分のことを考える思いがあれば、今日、このような位置にまで来ることはできず、流れてしまったでしょう。どれほど人を慕ったかというのです。教会の引導者であれば、夜十二時になっても、別れることを嫌わなければなりません。別れても、「家に入る前にまた来たらよい」と考えなければなりません、愛の気持ちが途切れず、続かなければならないというのです。
人を慕わなければなりません。うれしくて、涙が先立つ生活をしなければなりません。涙なくしては天の国に入れません。その道は、よく食べ、豊かに暮らす道ではありません。天はそのような事情を抱えている人がいれば、天の秘密とあらゆるものを運んであげようとするのです。父母様は、神様の解放のために走っていますが、皆さんはそのみ旨の前に、どのように一つになれるかを考えなければなりません。
3 今まで私が苦労したとは考えません。鮭は、産卵して死んだあとに、子供に自分の体を食べさせようとします。最後には、自分にあるすべてのものを根こそぎ食べさせて逝こうとするのです。何も残さないで逝きます。私も、所有物を残そうとは思いません。私の所有権があれば、後代の万国の子孫たちに、所有権を用意してあげようと思います。自分のものにして隠しておき、使おうという考えはありません。誰かが献金をすれば、絶対にそのお金を使いません。そっくりそのまま補充して世界のために使うのです。
4 私は、お金があっても、良い家を建てたり、自分一身の享楽を夢見たりはしませんでした。しかし、民族のためにお金を使うところがあれば、借金を背負ってでも使うという信念をもって歩んできました。なぜでしょうか。
世界を愛される神様のみ旨を愛したという条件を残すべき使命を背負った統一教会の指導者だからです。指導者が生活の中でそのような条件を立てなければ、皆さんを教育できる教材を残すことはできません。その教材を残すべき責任があるので、悲しくても悲しい表情をすることができず、悔しくても悔しさを表すことのできない立場で、今まで開拓者の使命を果たしてきているのです。
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第387話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
9 お母様は、自分が良いと思うものがあれば、それを食口たちにすべて分け与えようとします。どこかに出掛けなければならないとき、着る物がないことがたくさんありました。自分だけを中心として喜んではいけないと考えるのです。
第一に、霊感が鋭いことについて天に感謝し、第二に、み旨に対して絶対に従順であろうとすることに感謝し、第三に、自分のものを、自分のものではなく世界のものとして、そのままためらわずに分け与えようとすることに感謝します。しきりに与えるので、かえって神様が心配されるほどの天性に恵まれているというのは、母としての性格を備えているということです。
それで、今考えてみれば、これまで私たちの家庭に多くの子女を下さったことや、これらすべてのことは、神様が私たちの家庭を祝福してくださったからだと思うのです。ですから、皆さんは自分を中心とした考えをもってはいけないというのです。
10 今まで、私は誰にも負債を負いませんでした。精誠を尽くすことにおいても、祈ることにおいても、負債を負いません。負債を負わないというのがお父様の哲学です。楽な生活をしようとは思いません。このような面に、誰よりも多くの神経を使うのです。統一教会の誰よりも、時間と精誠の量において何倍にもなる内容をみ旨のために投入しています。そのような面で、皆さんに負債を負わないというのです。
11 み旨の道を歩む時に、世話になろうという人は、父母の肉をえぐる人であり、骨を削る人です。私は、天のみ前に負債を負おうと思いません。負債を負わせようとするのです。神様が私の前に現れて、「そろそろ少し休みなさい」と言うそのような場でも、どんなことをしてでも行こうとします。それでも休まない私を見て、一人座って泣く神様を父として、侍ろうとするのが、生活哲学であり、志操です。それを誰かが教えてくれたのでするのではありません。
神様の心の底からにじみ出る感謝の応えとして、「一度会おう。会いたい」と言える父子関係のために、そのような絆のために、今まで生きてきてみると、天の保護を受けたのです。ですから、滅びませんでした。だからといって、私が立派だというのではありません。知れば知るほど、ますます下がっていかなければならないのです。
12 中心存在になれば、負債を負ったものはすべて返さなければなりません。また、中心存在は責任を負わなければなりません。私が一つ一つ見て回ることができなくても、道端で皆さんに会えば、私の財布にあるお金をすべて取り出してあげるのです。一銭も残さずにあげるのです。その一人は、一個人ではありません。統一教会員全員に、そのようにあげることはできないので、条件としてその人に与えるのです。私の精誠に従い、私が行く道を助けようという人は、私以上に福を受けなさいというのです。そうすれば滅びません。
私は三十代まで、み旨のためにそのように生きました。学生の時、父母がお金を送ってくれれば、かわいそうな人にすべてあげ、歩いて通いました。その時は電車賃が五銭でした。和信(ファシン)百貨店から鷺梁津(ノリャンヂン)に行くときは、必ず積善をしていきました。このように、万民の恨を抱き、「お父様、道端で乞食の生活をするこの民に、私が今与えるお金はいくらにもなりませんが、あなたの心の中において、民族解放とともにこの地の上に富が訪れ、万民が仰ぎ見る国になるようにしてください」と祈りながら、涙を流した生活が忘れられません。
13 お父様は、天のために同情してくれた、忘れることができない人々には、最高のものをもって報いようとする人です。み旨に従っていく道で皆さんに苦労をさせますが、お父様は無責任な人ではありません。苦労をさせれば、責任を負うというのです。地上で責任を負うことができなければ、霊界に行ってでも責任をもつというのです。ですから、お父様とそのような誓約をして行く人は、幸せな人だと思うのです。私は絶対に裏切ることができない人です。少しでも世話になれば、(それを返さない限り)気が済まない人です。根がそうなのです。神様がそうです。神様は、世話になったままでは我慢ができないお方です。自分のために十のことを尽くしてくれれば、その何百倍、何千倍にして返してあげようとするお方です。皆さんもそのような性分でなければなりません。
真の主人の人生と家庭生活
真の父母様は、孤独で寂しい御自身の人生を「ホルロアリラン」の歌詞に比喩されたこともある。原理を探し求めるときも、困難を窮める復帰摂理の路程を開拓しながら一歩一歩前に進むときも、ただ一人で闘い、勝利されたのである。また、真の父母様の万物愛は、この上ないものだった。堕落以来、真の主人を迎えることができなかったその恨と悲しみを知り、万物と交流しながら創造本然の愛と美を与え合う喜びを感じられたからである。そして、神様の創造理想は家庭を基盤として実現されるため、真の父母様にとって家庭は何よりも貴いものであった。真の父母様は、常に手をつないで歩かれ、公的、私的な場でいつも共に過ごされた。しかし、生涯全体が公的な生活だったため、忙しい日程の中で子女様と一緒に過ごす時間はほとんどなく、家庭を祭物にして人類一家族の理想を成し遂げることに全力投球されたのである。
14 お父様は、鉱山でトンネルを掘るチャンピオンです。坑木(こうぼく)まで設置できる人です。私は石炭を掘る人になっても、追い出されて監獄に入り囹圄 (牢獄・獄舎)の身になったとしても、死ぬ前にこのような世界を通してみ旨の版図を築いておいてから逝こうと考えたのです。ですから、炭を焼くことまですべて知っています。それゆえ、商売でも何でも、すべてに精通しているのです。
いくらヘリコプターに乗せられ、パラシュートで動物たちの棲む谷間に投下されても、飢え死にしません。動物たちが棲む所にも、食べる物はすべてあります。毒きのこはどのようなもので、草はどのようなものが食べられるか(を知っていて)、魚がいれば、釣り竿を自分で作れるので釣りもすることができます。魚を三匹だけ捕まえれば、一日は食べて暮らせます。このようにして、いくらでも生きていけるのです。そのため、生活の恐怖がありません。ですから、統一教会員は、「三十三歳まで苦労しなければならない」というのが生活哲学です。
15 お父様は、空を掛け布団にして、どこに行っても幸せに暮らします。友達がたくさんいるのです。自然すべてが神様の被造物ですが、その自然を友達にして暮らすことができるので、寂しくありません。ですから、幸福な生活をし、どこに行っても一人で生きていくこともできるというのです。それゆえ、幸福の先祖になることができ、血統の先祖になることができます。血統に似なさいと言い、生活方式に従いなさいと言うのです。そのようにしなければ、天国に行けません。それは、経験と実験を済ませた結論なので、正しい結論にならざるを得ないのです。
16 お父様は、何も持たずに南米に行きました。すべての人が「行ってはいけない」と言いました。アメリカに私を愛する人がたくさんいます。行けば追い出されると思って、行ってはいけないと勧告した人が多くいるのです。そのような学者たちもたくさんいました。
「行けば滅びることもある」と思って行った人が、滅びましたか、栄えましたか。滅びるとまで覚悟して行けば、滅びません。このような普遍的な思想をもち、それを自分の生涯の哲学として活用できる人が、知恵深い人です。これが生活哲学になっています。
ですから、できないという思いをもったことがありません。他の人ができないということも、私が手を付けさえすれば、三年以内にすべて成し遂げるのです。そのようにしないからできないのです。釣り場に行けば、世界的な記録を打ち立て、運動をしても、すべての面でチャンピオンです。
17 私は、家に行って部屋に入れば、靴下を脱いでしまいます。ネクタイも、特別な日でなければ締めません。締めずに節約して、飢え死にする世界の人々を助けてあげようというのです。空気が澄んでいるときは、服を一日着ても襟が汚れません。ですから、服を一日だけ着て洗濯しようとはしないのです。
ところが、脱いでおくと、持っていって洗ってしまいます。私は、服を脱ぐとしても、そのようにできないようにしておくのです。また、洗濯かごに入っていれば、取り出してまた着ます。そのように生きなさいというのです。節約して残し、世界の飢え死にする人々を助けてあげようと考えているのです。
18 きょう、私は公式の席上にワイシャツを着て、ネクタイを締めて出てきましたが、これはナイロンですから、いくらもしません。このように暮らすのです。今着ているこの上着は十三ドル、ズボンは七ドルを出して、この前買ったのです。合わせて二十ドルです。このベルトも、値段は安くても、わに皮でできたものよりもっと丈夫です。まさかこのように安物を着ているとは、夢にも思わなかったでしょう。このようなことまで話すのは、皆さんが「お父様の生活の内面を知りたい」と言うからです。このような素朴な生活をしています。自分に対しては質素なのです。
19 私には、自分の所有になっているものは一つもありません。すべて教会を建てるために使いました。私のように節約する人はいません。私のように、自分には無慈悲なけちん坊はいないでしょう。きょうは皆さんが来るというので、スーツを着て出てきましたが、ネクタイをしないでスーツを簡単に着れば、どれほど節約になるでしょうか。これは上と下を合わせて五十ドルあれば買って着ることができます。私はそのようにして暮らしています。そのようにして、どこにでも行くのです。なぜでしょうか。真の父母の名をもった人として、負債を負って生きることはしないというのです。夜も昼も時間を超越して生きるのです。
雨が降る日には、世界の統一教会の宣教師たちが、軒先を眺めて涙を流しながら、食事もできずに夜を明かし、父母様の「万寿無疆」を祈っているはずなのに、私が大の字になって眠り、御飯を食べることができるでしょうか。その思想は、高貴な思想です。そのような思想をもって、一族のために苦労し、投入して、忘れてしまいなさいというのです。そうすれば間違いなく中心存在になります。中心存在は、責任をもたなければなりません。
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第386話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
第三章 真の父母様の生活哲学と公的生活
第一節 真の父母様の生活哲学
真の愛に基づいた生活哲学
真の父母様は、人間が行くべきサタン屈服のための典型路程を歩まれた。蕩減復帰路程は、誰も行かない道を開拓し、地獄の底まで降りていかなければならない苦難の歩みである。真の父母様は、誰もが避けたいと思う状況でも、神様と人類の解放のために、真の愛を実践された。また、御自身の生命を狙った怨讐までも赦して抱かれ、人並み外れたその苦労は、神様までも感動させた。真のお父様は、常に投入し、忘れてしまわれた。死の脅威が常につきまとう興南肥料工場で強制労役をする時も、生命に値する握り飯を他の囚人に分け与えられ、人の重荷まで代わりに背負われた。真のお母様も、困難な食口たちの事情に接すれば、いつも温かい愛のみ手を差し出された。真の父母様は、いつどこでも、御自身の最も貴いものを惜しみなく与える生活をされたのである。
真の父母様のこのような生きざまは、神様を中心とした真の愛の生活哲学を示すものであり、天一国時代を生きていく私たち人間が守るべき生活原則でもある。
1 父母様の生活哲学は、「ために生きること」です。どこに行くにしても、ために生きるために行くのです。ですから、一つにするために精誠の限りを尽くして投入します。一〇〇パーセント以上投入すれば、一つになるようになっています。自分の父母の愛よりも、兄弟の愛よりもさらに大きい天の愛に触れれば、サタン世界の愛の圏内から離れて、天の側に移動していくのです。そのような原則的な力が倍加する、天の再創造の摂理観が現実的生活舞台に連結されることによって、神様の息子、娘の権勢を備え、全体を相続するようになるのです。一つになるためには投入しなければなりません。また、受けた人は、損害を与えてはいけません。必ずそこに感謝の行為を加えることによって、永続的な循環運動が可能になり、大宇宙世界と「私」が関係を結ぶことができるのです。
2 皆さんは、二つのものがあるとき、良いものは自分がもち、父母にはあまり良くないものをあげようと思ってはいけません。自分が直接比較して、二つのうち良いものをもとうとすれば、それは堕落した世界の伝統によるものなので下がっていき、二つのうち良いものをあげようとすれば、前より上がっていくのです。間違いなく上がります。それゆえ、神様を愛し、息子、娘を愛さなければなりません。そうすれば、地獄はなくなります。二つのもののうち、良いものを父母にあげることができ、良いものを息子にあげることができる世界は、正午定着の光り輝く世界になります。これが生活哲学の基本になっていなければなりません。父母様もそうです。貴いものがあれば、天のみ前に、子孫たちに譲ろうとするのであって、(自分が)使ってしまおうとは考えないのです。
3 皆さんが父母様を愛していることを知っています。私も皆さんを愛しています。皆さんを愛していますが、神様を中心として、神様の愛を通して愛しているのです。その神様の愛は、世界の人類の中にとどまる愛であって、統一教会の中にとどまる愛ではありません。世界にその愛を残してあげ、その愛を植えてあげるためには、皆さんを立たせて、そのようなことをせざるを得ないのです。皆さんを犠牲にし、苦労させるのは、世界を代表した愛の結実をもたらすことに貢献することによって、神様の愛を受けることができ、人類の愛を受けることができる統一教会の人にするためです。
神様の愛を受け、人類の愛を受ける人を育てるのが、統一教会の目的です。皆さんは、統一教会内で愛を受ける人ではありません。統一教会内で愛を受け、統一教会内で愛の欽慕を受ける人ではなく、神様の愛と人類の愛を受ける人にならなければなりません。ですから、私は皆さんを統一教会の中でだけ愛するより、人類と神様の愛の中で愛そうというのです。そのような師になろうというのです。このような観点を今までの宗教は提示できませんでした。このような志を立てそのように指導しようとする私自身が模範にならなければならないというのが一生の哲学です。
4 私はスーツを着るのが嫌いです。ネクタイを締めないで生活します。なぜでしょうか。ネクタイを締めてスーツを着る費用の十分の一を節約しようというのです。飢えて死んでいく大勢の人を助けるために、夜も昼も身もだえしているのです。このような人がたった一人いるというだけでも、この地上の人類の前に希望的な痕跡ではないかと考えて生きる人です。
水安堡(スアンボ)に行くと、私の泊まる部屋があり、浴室もありますが、きれいに造られています。浴室に入ると、いろいろなタオルがあるのですが、私がタオルを使うときは、いつも小さい物を使います。大きなバスタオルを使ったことがありません。なぜなら、そのタオルの代金を節約しなければならないからです。
そうして、一銭でも残し、飢え死にする人々を助けてあげなければなりません。私が家に入れば、靴下を履かないのも、それによって精誠を尽くし、その人々を助けてあげ、その人々が行く道を開拓しなければならないからです。真の父母の名は、恐ろしいのです。
5 お父様は、人間が本来行くべき道を行く人、すなわち、神様が願う人、神様が同情でき、神様のみ前に今まで流してみることのできなかった新しい涙を流せる人が、自分の生涯においてどのようになるかを考えてきました。
「今まで流せなかった新しい涙を流して死のう」というのが、生活哲学です。他の人のためではなく、お父様のために死んだ人がいるとすれば、お父様は、千年、万年、歳月が流れたとしても、その人を忘れられないでしょう。死ぬとしても、そのような心情と内容をもって、そのような場で死ななければなりません。
そのようにむち打たれ、血を吐きながら死ぬのが神様のためであるとすれば、神様はその人よりさらに深い悲しみの涙を流し、もどかしく思われるでしょう。そうすれば、そのとき神様は、歴史時代の誰よりも、私を通して悲しみ惜しむ事情を残すのではないでしょうか。
お父様は、今までこれを、畢生(ひっせい)の願いとして歩んできました。そのような意味では、このような道を行く人が世界万民の中に多くいるとしても、お父様ほどになっているでしょうか。そのような人はいないというのです。
*畢生(ひっせい):一生を終わるまでの期間。一生涯。終生。
6 自分のためだけに生きる人、絶対的(に重要な)環境を尊重できない人は、無限なる発展の世界で、限界を露呈します。無限なる限界を自分が越えようとする前に、その本体である神様を立ててこそ、限界の基準を越えて無限なる発展の世界に越えていくのであって、そうでなければ越えることができないのです。今や最後まで来ました。何をもって生きるのでしょうか。愛をもって生きるのです。それが環境創造です。
環境を備えることができなかった人は、どこに行っても自分がとどまる場所すらありません。自滅する道を行くというのです。力が出ません。周辺の環境が喜ばず、力が伴わないのです。環境が次第に遠く離れていきます。昔は慕わしく思っていても、嫌うようになるのです。もっと慕わなければならないのですが、もっと慕うことができる道がありません。それは、自分自身を中心として境界線を張ったからです。「私」を中心として動こうと思えば、そこで定着し、その峠を越えられないので、宇宙との相関関係、相応関係の位置に入っていくことができないのです。原則に一致していない相対的存在は消えてしまいます。父母様は、そのような哲学をもって生きるのです。
7 完全な主体と完全な対象が一つになったものは、天理が保護しなければなりません。人間の事情と歴史的変遷が、これを動かすことはできません。いくら大韓民国の国権をもってしても、完全な主体の前に完全な対象となり、垂直を守っていく人は、打って倒すことができません。その人を打っても、天地が根と芽をしっかりとつかんでいるので、打って倒す存在がいないというのです。いくら大きくても、打った人が砕けるようになっています。それが生活哲学です。
神様を上にお迎えし、その下の垂直の位置で軸となって侍っている限り、それを神様がつかんで放さない限り、これを打った人が砕けるようになっているのです。これは家庭を代表し、氏族、民族、国家、世界、天宙を代表する柱になっていて、柱を保護できる天運が支えているため、打つ人は必ず砕けていくというのです。
8 父母様の生活はそうです。お金ができても自分が使おうという考えはありません。いくらおなかがすいても、私よりもっと空腹な人がいるので、そのような人のために残したいと思い、一時間、二時間、三時間、耐えて耐えるのです。他の人がおなかをすかせていれば、私よりその人に与え、その人が食べられるように、福を祈ってあげるのです。その人が食べられるように福を祈ってあげれば、その人が食べて福を受ける際に、同参(一緒に参加する)者になります。カインのために生きる人は、カインの福を相続できるのです。カインは変わりますが、私は変わらないので、しきりに上がっていくというのです。
み旨のために生きる人は、ヒマラヤ山脈のエベレスト山より高く上がり、太平洋の一万メートル以上の深さの所に根を下ろすというのです。
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第385話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
29 自分自身の利益だけのために生きる態度を取れば法に引っ掛かりますが、自分の利益のためではなく、全体の利益のために行った結果に対しては、どこからも手を付けることができません。神様も天国と地上も認めざるを得ないのです。そのような公認を受けるので、数千年が過ぎてもその法は変わりません。
絶対的な法の正義を立てていく生活をするようになれば、蕩減復帰や地獄というものはあり得ません。完全に解放圏と、釈放圏になるので、その基台の上で動く人は、永遠に神様と共に天宙が保護し、育ててくれます。相続権を伝授するのです。同居権、同楽権のすべてのもの、共同の価値として認定するすべてのものを伝授して、相続を受けるようになるのです。(545-050; 2006/11/18)
30 主権者と国民によって国家の善悪の基準が決定されるとすれば、この宇宙の善悪の基準は何によって決定されるのでしょうか。
神様は宇宙の主権者であり、主人公です。その次が、世界の人になります。国民を代表しているのと同じように、世界の人になるのです。ですから、その主権者と世界の人が合わさって、一つの憲法が出てこなければならないという話が成立します。それゆえ、この宇宙の善悪を分ける憲法が出てこなければならないという話も、妥当なのです。
各国の法は、その国の主権者と国民の意思によって設定されていますが、この大宇宙の世界の人々と大宇宙を主管する主権者が一つになった共同意思によって、宇宙の不変の憲法は設定されていません。人類の良心が変わらず、人間の理想と希望が変わらない限り、人類の生活を保障することができ、神様と人類が喜ぶことのできる憲法が出てこなければならないのです。(079-175; 1975/07/27)
31 皆さんの先祖と一族の前に、恥ずかしくない堂々とした皆さんにならなければなりません。判事である神様から称賛され、愛される自らの姿にならなければなりません。耐え難いことを耐え、困難な立場を克服し、環境を収拾するために自分を犠牲にしたという事実を、神様のみ前に証してもらうことができなければなりません。神様のみ前に誇ることができるその何かを、何としてでも勝ち取らなければなりません。
皆さんは宇宙において、どこにも行くことができません。自分勝手にどこかに逃げていくことはできません。宇宙の法と秩序圏内から抜け出せない人間だというのです。道に従っていかなければならないのです。中心思想と愛の秩序、人倫、家庭、社会、国家、世界、天宙、神様全体に通じる、公式的な憲法基準を中心とした、宇宙法の統治下に生きている自分であることを知らなければなりません。自然をはじめとするすべての法が支持し、擁護し、解放圏を手にできる道は、愛し、ために生きる道しかないのです。(117-313; 1982/04/11)
32 永遠なる故郷の地、永遠の国に行って、一日だけ暮らすのではありません。永遠なる世界の生活法度を学ばなければならないというのです。一ヵ月の生活も同じです。男性と女性が暮らし、父母が暮らし、子女が暮らし、孫と孫娘が暮らし、氏族が暮らし、民族が暮らす伝統的なすべての事実を知らなければなりません。
皆さんの一身と一族が暮らすその国の民として生きなければならないのですが、そうでなければ、どこに行っても制裁を受けます。国境があって、この国境を越えることができないのです。国でも何でも、どこに行っても引っ掛かってしまいます。犯罪的条件に引っ掛かって、四方に絡み合い、生きる道を求めていくことができないのです。ですから、本郷の地を中心として、生活の訓練を徹底的に受けていかなければならないというのです。(310-112; 1999/06/15)
33 「家庭盟誓」で「天一国主人」と言うことができるのは、中心の根となる父母が、超民族的であり、超国家的な霊界と肉界、過去、現在、未来のすべてを一代で清算して、開拓したからです。アダムとエバが一代で滅ぼしたものを、真の父母が一代で清算し、天の国の憲法を中心として家庭と国を構成する内容になり得る三六〇度圏の方向を新たに制定しました。それゆえ、その新しく制定したものは、どこかの国の憲法や国権、伝統では評価できません。ですから、その内容は新しい文化と、新しい伝統と、新しい歴史の上に立てておかなければならないというのです。(493-021; 2005/04/18)
天一国憲法の制定方針
天一国憲法(教会法)は、天一国国民の権利と義務を規定しており、実体的天一国を定着させ、完成するための天一国生活規範と、天一国の運営に関する内容を収めている。真の父母様は、二〇〇一年、神様王権即位式で血統を守ること、人権を蹂躙しないこと、公金を横領しないこと、そして真の家庭を築くことの重要性を強調され、「これが天一国憲法の基礎になる」と語られた。また、天一国の憲法には、運営組織として、行政を担当する天政苑、立法を担当する天議苑、司法を担当する天法苑、財政を担当する天財苑、民意の取りまとめと報道および広報を担当する天公苑の五院を置いている。
34 今や、天が王権を手にしたので、法を中心として治めなければなりません。神様王権即位式の時、天の国の憲法三ヵ条に関する概要が発表されました。そして、家庭に関する憲法が発動したのです。そのとおりに生きれば、宗教は必要ありません。家庭が一つになり、神様に侍って暮らすのです。
エデンの園で堕落したというのは、何でしょうか。アダム家庭を中心として、神様と共に暮らせなかったということです。父母として侍ることができませんでした。ですから、父母に孝行しなければならず、その父母が願う国の忠臣、世界における聖人、天地における聖子の道理までも果たさなければなりません。そうすれば自動的に成就されるものなのですが、それを成就できなかったというのです。(349-100; 2001/07/14)
35 これから皆さんが守るべき鉄則があります。第一に、死ぬようなことがあっても、血統を汚してはいけないということです。
第二に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはいけないということです。男性も女性も、黒人も白人も平等です。人権を差別し、人権を蹂躙してはいけないというのです。自分と気が合わないといって、自分勝手に人事措置をしてはいけません。そのようにいい加減に人事措置をすることはできません。自分よりも善なる先祖をもつ人たちはいくらでもいます。何代もせずに大統領になる人が出てくる人の首を切ってしまえば、自分の先祖がすべて音を立てて崩れるのです。人権を正しく指導するには、真の愛、ために生きる愛をもってしなければなりません。そのように生きる人が主流です。神様の天地創造はそこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうことは、赦すことができません。これが罪の中の二番目の罪です。
第三に、公金を盗んではいけないということです。公金を思いのままに使ってはいけないというのです。この三つです。(342-298; 2001/01/13)
36 心に恥ずかしくない自分自身にならなければならないというのが、第一条件です。
天の国の憲法が必要であり、国法が必要であり、家庭的な法が必要ですが、まず自分の心を治めなければなりません。心を治めることができなければ、天下が正しく立つことができないのです。これが一番の問題です。
心の基が水平にならなければなりません。それにより、「私」の心がどこを歩き回っても中央に立てば、これが全体の水平の中心になるのです。そのようにして、個人的中心から八段階まで上がっていかなければなりません。(516-236; 2006/02/07)
37 神様と霊界についてはっきりと教えてあげ、天一国時代の法を適用する時が来たので、救援摂理は適用されません。父母様が教えてあげたあとは、皆さんと寄り添って一緒に暮らすことはできません。はっきりと見せてあげ、すべて教えてあげたので責任を負わないのです。
父母様がこの地上に天の道理を立ててあげ、蕩減をすべてしてあげ、教えてあげたのに、それも信じることができずに霊界に行ってどうするのでしょうか。
霊界の実相をくまなく記録して送ってきたものも、すべて教えてあげました。霊的な真の父母である神様も、実体の真の父母も、責任を果たしたというのです。そうして、天一国を宣布しました。さらに、憲法についてのことも話しました。(365-196; 2002/01/08)
38 真の父母、真の師、真の王の代身者として、無形の神様のみ前に皆さんの家庭が実体になってこそ、天国に入ることができます。それでこそ、神様の創造理想が完結するのです。そのため、天の国の新しい憲法を設定したというのです。すべての霊界の実相は、み言と一致した内容です。ですから、皆さんの家庭がこれを地上で結実させて収め、天の福をいっぱいに積んでおく実体にならなければなりません。このみ言のすべてが、その背後に行かなければなりません。
実体を完成した家庭になることによって、地上と天上に神様がとどまれない所がない、また主管できないものがない、全体、全般、全権、全能の時代になります。神様が考えるとおりに、一方的にすべてのことを成就できる完成の世界になるというのです。(602-257; 2008/11/16)
39 立法、司法、行政と、言論、金融まで合わせて、五つの機関を中心に、国連の憲章を改正するための準備をしています。立法、司法、行政、次に第四権として言論界が入ります。その次に第五権が金融界です。
それに関する憲法を作らなければなりません。最も恐ろしいのが言論界です。私が自分の髪の毛についてすべて知り、産毛一本についてもすべて知っているのと同じように、世界に隠すものがありません。そのような透明体のような、六つの角がはっきりとした水晶体のような世界にならなければなりません。その世界は、うそが通じません。秘密がなく、すべて表れるのです。(426-107; 2003/11/19)
40 五権分立の統合的な一つの平和世界が開門されることを宣布するようになれば、天の国の憲法を制定するのです。私たちは、天の国の基礎的な憲法の草案をすべて準備しています。それまでも国連に持っていって証しながら、採択できるようにするのです。その憲法の草案はカイン世界の内容を重要視しましたが、私たちだけが適用できる憲法を備えて、天の国の憲法を制定しなければならないというのです。
そのあとに、四十日間、総会を開いて整理し、国連総会の決議をもって宣布してこそ、天の国の憲法制定が可能なのです。そのような諸々のことを集約させて、この期間に行わなければなりません。また、一つしかない天の国の憲法宣布まで行ってから、五権分立の時代として、平和世界の出発を宣言しなければなりません。(606-091; 2009/01/07)
41 アベル国連をつくって憲法を制定することにより、天下を思いどおりにできるようになります。その憲法がある限り、構造的な実体を形成するに当たって、その法に合うようにすれば、公認せざるを得ません。このような段階に入りました。
ですから、今、三権分立に関する法的な条件を備え、その次に言論界と金融界まで加えれば、五権時代になるのです。五権時代になれば、完全に世界を抱くことができます。天の国の行政組織をもって世界を抱き、神様の園の主人の役割を果たしてみようというのです。それは夢ではありません。現在、完成時代を越えているのです。(588-073; 2008/04/12)
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第384話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
21 これからは法的管理に入るので、昔のような、赦すことができる時代とは違います。過ちを犯したアダムとエバを直接処断したのと同じように、即決処分される時代になるというのです。今、新たに入ってきた人々も、世の中の法をすべて知っているのですから、今設定された、世の中の法より何百倍も恐ろしい天の国の憲法を守るべきことを知らなければなりません。今まで別の国に対して忠誠を尽くした自分の先祖たちを代表し、その何百倍、何千倍、さらに忠誠を尽くさなければならないというのです。
ですから、自分のすべての所有物や国、息子、娘まで、自分が勝手に管理することはできないというのです。アダムとエバが神様に管理されたのと同じように、神様の息子、娘に戻り、神様が直接管理する時代に入るので、自分勝手に計画したものをそのまま進めていっては、その子女たちの行く道が塞がります。そのような恐ろしい時代が来るというのです。(511-286; 2005/10/14)
22 霊界で今まで問題になったことをすべて引っ張り出して、父母様が解放したので、霊人たちが地上に降りてくることに対して矛盾はありません。すべて祝福を受けました。地上に残った人々には天使圏の家庭が降りてきて、一対一で責任をもつのです。ですから、地上の家庭を収拾するのは問題ではありません。皆さんが話を聞かなければ、霊界が連れていくのです。そのような大変革時代が訪れるというのです。それゆえ、今までは皆さんを保護しましたが、これからは(天法を守らなければ)保護しません。
天法が成立したので、その天法を中心として、憲法と法によって天と地、地獄と天国を分けるようになっているのであって、蕩減法を適用して分けるようにはなっていません。新しい法によって治める新しい国の形態を備えるべき時になったというのです。王権時代が訪れたので、今や天の国を編成しなければなりません。超民族、超国家、超世界の一つの国を築かなければならないのです。(346-204; 2001/07/01)
天一国憲法の制定目的
天一国創建の摂理史を明らかにした憲法の前文は、憲法の制定目的とは何かを明らかにしている。天一国憲法(教会法)は、天一国の国民がみな、真の父母様が生涯を通して示してくださったみ言を実体化していけるように導く法度、規範、指針であり、天一国を定着させ、完成できる普遍的で実質的な生活体制、家庭体制、国家体制、世界体制を備えるために制定された。そして、天一国憲法は、神様と真の父母様に侍り、国境、人種、性別、文化、宗教などにおける、すべての障壁を超越する真の愛の心情文化を燦爛と花咲かせる中で、理想家庭を通した心情文化世界を定着させることを目的にしている。
23 神様のみ旨が成就された世界になれば、その時の法は、世の中の法であると同時に、天の国の法になります。ここで用いる憲法は天の国の憲法になり、天の国の憲法はここで用いる憲法になります。そのような法を神様はもっていらっしゃいますが、私たちに適用できない立場にいらっしゃるので、悲しい神様になっているのです。
それでは、いつその憲法の宣布式をするのでしょうか。これが今、私たちのモットーです。そのためには、世界を舞台にして天の国を探し出さなければなりません。今、皆さんの国はありません。この場は、この上なく制限された場ですが、皆さんだけを中心とした場ではなく、数千億になるすべての霊界の霊人が注目する場です。数多くの民族と数多くの歴史時代の功臣たちが望むその天の法度をもって、皆さんを評価していることをいつも考えなければなりません。そのような観点から見れば、皆さんが動いたり座ったりする、すべてのことが法制化されなければならないというのです。(066-298; 1973/05/16)
24 アダムとエバが永遠不変の天道に背いたために、法を適用して処罰されたのと同じように、法に背いた人は、必ずその法の統治を受けるようになります。刑法の統治を受けざるを得ないのです。恐ろしい時代が来ます。そこには父子の関係もありません。それをきれいに選別することができなければなりません。
サタンのものになり得るもの(罪)はすべて燃やし、なくしてしまわなければなりません。粛清と同じように、(罪を)きれいに整理しなければなりません。整備ではなく、整理してしまわなければならないのです。灰までなくなり、影まで見えないように、きれいに整理しなければなりません。そうして、その安息圏の上に絶対「性」を中心とした真の愛の血統を連結させるのです。お母様の体を通して再び生まれてこそ、天の国の息子、娘になることができます。そのようにするとき、歴史的結実体が収穫されるのです。
その息子、娘をもって国を建て、天地に堕落の影もなくなった世界にならなければなりません。そのようにしてこそ、父母様も定着し、神様と苦楽を共にしながらみ旨を完成して、真の父母の位置を完結し、万事亨通(すべてが思いどおりにいくこと)の解放、釈放の王権を相続することができるのです。そうすれば、万事が思いどおりに運びます。そのようになれば、天国について説明する必要もありません。(606-224; 2009/01/13)
25 愛の力、愛の生命力を保護するために、すべての法が活用されざるを得ません。宇宙は、存在圏のためであれば、すべてのものが和合し、一つになろうとするのです。法はそれを保護し、一つになるためのものです。和合するためのものなのです。善なる世界は、変わらない世界なので、神様がとどまることのできる世界です。また、その世界は、愛を中心とした生命力をもった世界なので、その世界こそ、神様がとどまることのできる世界なのです。
愛という言葉は、自分のためのものではなく、相対のためのものであることを知らなければなりません。神様が宇宙を創造したのは、神様御自身のためではありません。相対を造るためです。ですから、神様が相対のために宇宙を造ったとすれば、その神様の相対になることができるのが人間なので、人間のために宇宙を造ったという話になるのです。(111-171; 1981/02/15)
26 天運の終着点はみ旨の完成世界にあるので、完成した人々が暮らす所は、神様が法を中心として絶対的に保障する世界にならなければならないのです。そのためには、善主権が私自身を通じ、家庭を通じ、民族を通じ、国家を通じ、世界を通じて、天宙まで連結されなければなりません。
そのような世界で、「私は道理に順ずる法の統治を受けることができる人である」と言える人にならなければなりません。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界的にそのようにならなければなりません。神様の摂理は、そこに向かっていくでしょう。天運の方向も同じです。天運は、一つの善の主権世界に向かっていくでしょう。
行くときには、ただジャンプして行くのではなく、個人を通して越えていくのです。家庭を通して越え、氏族を通して越え、民族を通して越え、国家を通して越え、その次に世界を通して越えて、霊界と肉界が一つになるようにし、善の主権を中心とした善の憲法を宣布するでしょう。そのあとは、後代の人々が個人を越え、家庭を越えるとき、争うことなく道理に従って進むことができます。その時が、地上天国時代です。(078-139; 1975/05/08)
27 神様は、天上世界と地上世界を主管する主人であり、王なので、その国と世界は神様に主管される国と世界に違いありません。それゆえ、そこは地上では地上天国であり、天上では天上天国に違いないのです。これは当然の結論です。このようになったとすれば、この地上に、人類歴史に悲惨な歴史はなく、今日、アメリカ人や韓国人、あるいは黒人、白人、黄色人などという、民族や人種の分裂は起きず、この世界はアダムの子孫として、単一民族、単一文化、単一世界になったでしょう。その世界は、今日、私たちが暮らしている民主世界でもなく、共産世界でもありません。神様が、永遠の主権者として、天の憲法によって永遠無窮に統治する世界です。(074-173; 1974/12/09)
28 今まで神様の救援摂理において、旧約の法など、統治してきた多くの法がありましたが、救援摂理を越えた完成摂理時代に、神様のみ旨、神様の目的が果たされた善なる世界で統治できる法はありませんでした。ですから、今後、法が顕現する時代が来るのですが、これは一個人が順応すべき法であり、一家庭が順応すべき法であり、国家が順応すべき法であり、全世界が順応すべき法です。
この法は、地上でのみ順応すべきものではなく、永遠なる天の世界でもそのまま順応しなければならない法です。この法の統治を受け、この法によって訓練された人は、霊界に行っても自動的に生活環境の保護を受けることができます。そのような法の時代が来るというのです。
その法が設定される時が、善主権時代です。その世界は、次元の高い世界です。それは、私たちが平面的な世界観で見る法ではなく、立体的な面において見る法です。その世界まで私たちは行かなければなりません。(078-136; 1975/05/08)
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第383話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
天一国憲法の制定とその必要性
二〇〇〇年の序盤から、真の父母様のみ言に従い、憲法制定のための基礎作業が進められた。二〇一三年の天一国基元節宣布とともに、天一国が創建されたので、天一国の憲法が出てこなければならないという真のお母様のみ言により、制定作業が本格化した。真の父母様のみ言は、天宙的勝利の報告であり、生涯路程は、すべての人間が従うベき人生の典型である。これに伴い、天一国憲法(教会法)制定の原則は、天一国理想の地上実現、真の父母様のみ言を中心とした制定、天一国国民の信仰確立とビジョンの提示、超国家・超人種・超文化・超宗教的普遍性、満場一致制の指向、ボトムアップ式無給奉仕制の採択など、九つに定めた。このような原則に従い、み言選集と「家庭盟誓」などのみ言研究を通し、天一国憲法の概念と体系を整理して、天一国国民の生活指針と規範を導き出したのである。真の父母様は、憲法の必要性について、様々な観点からみ言を語られた。
第一には、神様王権即位式を挙行して天が王権を手にしたため、法を中心として治めなければならないというものである。第二に、天一国を宣布したため、国権を立てる法を制定する時が来たと考えられた。第三に、天一国の統治と定着のためのものとして、新しい国を中心とした理想の実現は、法を通して成し遂げられるため、法が必要であるというものである。
10 二十世紀の文明の発展は、知識の上で、公式の上で、法度の上で実現されました。最後に残るのは法度です。信仰だけで救いを得るのではありません。国の憲法を中心として部門法ができていて、国がその法の上に立っています。このような法がなければ、裁判ができないのです。ところが、神様の憲法がなく、天の国の憲法がありません。天の国の部門法がありません。ですから、サタン世界を審判することができないのです。
今、この地に生きている神様の息子、娘は、天の国の憲法を知らず、部門法を知りません。自分勝手です。あちこちに戦場がつくられていますが、これをどのように収拾するのですか。ですから、天の国の憲法によって、国の形態はどのようになっており、家庭から氏族、民族がどのように拡大されてきたかという、理論的にはっきりとした法が立てられなければなりません。(456-166; 2004/06/28)
11 再臨主は何をもってくるのでしょうか。法をもってきます。審判の公法をもってくるのです。審判権をもってくるというのです。そうして、それによって審判するのです。サタンが誇っていた国家基準以上の国が、神様を中心として建てられなければ、そのような天の国の憲法を立てることはできません。世の中の国に憲法があるように、天の国にも憲法がなければならないというのです。(065-195; 1972/11/19)
12 天の国を治めることのできる憲法を地上で作らなければなりません。地上で完成できる解放的条件を設定しなければならないのです。ですから、実体的体制を備えなければなりません。家庭的体制、氏族的体制、国家的体制を、実体的な圏内で保護できる法が出てこなければならないのです。神様のみ言を通して実体が出てくるのと同じです。み言が中心です。法が中心です。
法を中心として、絶対に順応できる世界に越えていかなければなりません。地上と天上世界にサタンが残した歴史的なすべての法と実体を否定し、天国に一元化しなければならないのです。(325-160; 2000/07/01)
13 大統領も、憲法が制定されたあとは、大統領の思いのままにできません。その憲法をけさ制定したのに、翌日の夕方に「放り出してしまえ」と言う人は、大統領になれません。千年にわたって王でいようとすれば、千年法を立てて、それを実践できなければなりません。これを一瞬にして覆い隠して行動しようとする人物は、愚かな王です。その日暮らしの王にしかなれません。天宙を統一して大法度を立てたそのお方が、ある日、気分が悪いからといってすぐに変更することができますか。大道、大義によって立てられた天法に従って行わなければならないというのです。(0745-234; 1974/12/31)
14 天の国の憲法、天の国の各部門の法を中心として、体制を完全に再構成することができます。法の絶対権限を立てなければなりません。法の上に家庭が立ち、法の上に国が立つので、法を絶対に守護し、絶対に実践する世界に越えていかなければなりません。裁判長は、法廷で法をもって裁くのです。部門に誤った部分があれば、該当する法に従って裁かれるのです。
六法全書があれば、六法全書によって各部門に対するすべての法が存在するようになります。法を中心として、その部門の善悪を選び分けていきます。何かが誤れば、法廷で解決できる方法を取っていくのです。ですから、法を絶対に守護しなければなりません。原理のみ言も絶対に守護しなければなりません。法の中の法が原理のみ言です。(324-140; 2000/06/18)
15 家庭が平和になるためには、絶対真の愛の憲法を中心として、あらゆることが公式化されているので、そこに順応しなければなりません。ある人が主張して、変えるようにはなっていません。ですから今後、政治体制は管理体制に移行していきます。いかにして、世の中のすべての人々が平均的に、格差なく豊かに暮らせるかという問題を中心に、管理体制によって回っていくのです。
ですから、個人的管理、家庭的管理、氏族的管理、民族的管理、国家的管理、世界的管理まで、すべて愛を中心として成し遂げられるのです。これは、家庭が拡大されたものです。家庭を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階と同じように、公式的に発展していくので、既に行く道はすべて整っています。ですから、政治の方向を通して、闘争や排斥がない中で安着できる、公式化された管理体制に転換するというのです。(303-194; 1999/08/25)
16 天の国があれば、天の国の王宮法があります。縦的基準として、天の国の王宮法があるというのです。天の国の王宮法を中心として、縦的な理想的基準に従って、国の憲法が制定されなければなりません。聖子は、天の国の王宮法を守れる人です。その国に王宮があれば、王宮法を守らなければなりません。天の国の王宮があり、神様を中心とした直属の隊列に通ずる皇族圏の法があるとすれば、この法を守ることができなければならないというのです。(168-184; 1987/09/20)
17 憲法であれば憲法を中心として、各部門に対する法があります。憲法を中心として、部門法がすべて連結されているのです。今後、み言の骨子を中心として、天の国の憲法が制定されます。建物の建築であれば、建築に関する法があるのです。電気であれば電気、機械であれば機械に関する法があります。そのような法がなければ、その部門が生じません。法があってこそ、それに従って正誤を判断することができ、国家の水準も、世界の水準も、最高の法的基準によって、相対的に照らし合わせ、合っていてこそ認定するのです。
今までは法を立てずに生きましたが、今や天のみ旨を中心とした法的時代に入ります。神様が創造理想的な法を立てたのですが、人間が法のとおりにせずに堕落したので、これから本然の時代に帰れば、法絶対体制になるのです。それは、個人の利益のためのものではありません。平和の利益のための法です。世界平和、天地を一つにできる平和の理想を中心とした法であって、個々人の利益のための法は、今後存在しないのです。(515-032; 2006/01/21)
18 国家時代を通過して世界時代に進み、祝福を受けるようになれば、報告書を書かなければなりません。そうして、そこに合格してこそ、初めて天国入籍となるのです。父母様の家庭でも、全員が集まり、誰が原則に一致した生活をしたかを、公的な議論によって決定するのです。家庭全体のためにより犠牲になり、よりために生きる人でなければならないというのです。自分を中心としてはいけません。
それは統一教会全体が知り、父母様の一族がすべて知っているというのです。それが決定されたあとは、世界がすべて法的時代に入ります。天の国の憲法時代に入るので、いくら天に近い人でも、法に引っ掛かれば法的処罰を受けるようになります。その法に相反しない後継者を探して立てるために、歴史は永遠に続くのです。(128-112; 1983/06/05)
19 神様の王権時代は過ぎていったので、皆さんは国家王権を求めなければなりません。皆さんの王権、皆さんの国です。神の国は、世界を越えて天宙です。その位置にまで連結させなければなりません。それで、皆さんは、何があっても国を探し出さなければならないというのです。今や入籍時代になりました。入籍をするときは、内容と外容が一つにならなければなりません。その国が天に入籍しなければならず、大統領や長官、局長まで入籍できる位置に立ってこそ、国家基準を越えていくようになります。
これから皆さんの心と体は、どのようにしてでも一つにならなければなりません。強制的にでも一つにしなければならないのです。今や、強制的に行うことができる時が来ました。憲法ができたのです。法があります。以前は法がなかったので、神様が治めることができませんでした。創造の法だけがあり、堕落して破壊されたものを処理できる法がなかったので、治めることができなかったというのです。今や、そのようにできる法が出てきたので、恐ろしい時代が来ます。皆さんに対して責任を追及するのです。(356-056; 2001/10/08)
20 摂理のみ旨は、韓国を中心として祖国光復をすることです。神様の祖国と神様がこの地上に出発させた故郷の地の光復が実現されるのです。神様の祖国と神様の新しい摂理の出発が展開します。
エデンの園の堕落していない新しい出発と連結されてこそ、すべての歴史が清算されます。整備されるのです。ですから、救援摂理時代は過ぎ去ります。その時代が過ぎれば、法的時代に入ります。天の国の法的時代に入るので、何千年、何万年たっても、一分一秒違わない役事を行うのです。救援摂理時代は過ぎ去り、本然の創造理想世界が新しい出発をします。天の国の憲法を中心とした法的時代に入るのです。(611-024; 2009/05/04)
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第382話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
第四節 天一国憲法(教会法)の制定
天一国憲法の理念
真の父母様は、二〇〇一年、天一国宣布に関するみ言を語られて以降、天一国を治める憲法の必要性について強調された。そして、憲法がどのように制定されなければならないかについて詳細に説明された。天一国憲法は、神様と真の父母様を中心とした内容でなければならず、数多くのみ言のうち、核心を収めた「家庭盟誓」が、その基本精神となる。真の父母様は、「家庭盟誓」が成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法のようなものであることを強調された。したがって、天一国憲法は、神様の真の愛と、真の父母様のみ言の核心が要約された「家庭盟誓」を最優先にして制定された。
1 国家法を見れば、すべて「何々をしてはならない」というものです。何かの過ちを犯せば、「刑法何条何項によって何年の懲役」だとしながら罰を下すようになっています。善は自由と解放が宿っていて、宇宙が保護、育成するものであり、世界と共に権限と権勢が共にあるものですが、悪は制裁を受けるのです。宇宙の公義の前に制裁を受けなければならず、国家の制裁を受けなければならず、社会全体の制度の前に制裁を受けなければなりません。悪を歓迎する存在は一つもありません。ですから、万宇宙に悪が存在することはできないのです。
今日の世の中の法は、制裁の法度です。堕落した世の中には、善に対する報賞法がありません。最後に、公義によって裁きを受ける日が来れば、神様は悪の法を片づけてしまい、善の法を立てるようになります。その時は、善なる人に賞金を与える時代になるのです。皆さんは悪なる世の中で排斥され、悲しみを味わっても、善なる法と価値を中心として活動しなければなりません。
いつかは天法、すなわち天的な憲法を中心として、善に対する報賞を定めた法ができるでしょう。天理の公義に従って、そのような法が出てこなければなりません。その世界が、正に地上天国です。地上天国が成し遂げられる時、皆さんは報賞を受けるでしょう。(016-134; 1966/01/02)
2 統一教会は今後、善なる法を作る運動をしなければなりません。善なる人々が一ヵ所に集まり、国際的な法を作って、善なる行いをした人を選定し、賞金を与える時代が来なければならないのです。そして、悪は制裁を受けなければなりません。善は保護、育成されなければなりません。そこに自由と解放が宿っており、真理が永遠に共にあるのです。人類に希望を宿らせ、天国を築くようにさせるのです。(そのようにすることによって)神様と対応でき、神様と同席できる権限が生じるのです。(016-135; 1966/01/02)
3 善は、原則によって回っていきます。善は原則に立脚したものです。憲法が定めた基準に従って善悪を区別するのと同じように、人間と神様の関係にも、一つの原則があるというのです。アダムが行かなければならない第一の道は、神様と一つになることです。その次には、エバと一つにならなければなりません。そのように一つになったアダムとエバが神様と一つになったあとに、その家庭が一つにならなければなりません。それが、正に法だというのです。
法は、人間が守るべき道理を意味します。神様とアダムが一つになり、アダムとエバが一つになり、その次に息子、娘と一つになるのが法です。私たちの原理に出てくる三対象目的が、神様の法度です。それが原則です。この原則に合わないものは悪です。(073-085; 1974/08/04)
4 神様のみ旨には摂理の法があり、その法の統治を受けるようになっているのであって、ただ大ざっぱな計算でするようにはなっていません。その法が天法です。
これは、万民、誰に対しても共通に適用されます。世界を一つと考え、そのような法を適用するので、その法に統治されるのです。ですから、いくら反対を受けても、その法の基盤を広げるために、このようなことをするのです。皆さんがこれをやめて、「私は神様を愛する」と言っても、絶対に通じません。天法を知らなければならないのです。父母様と約束しておいて、「それはしてもしなくてもよい。適当にやろう」と言えば、通じません。途方もないみ旨であればあるほど、途方もない法があるというのです。天法をいつも考えなければなりません。天命です。社会の何かの名誉や体面、威信では通じません。天命によって生きなければならないのです。
神様のもとに帰ることに対して、不平を言う人は誰もいません。神様のもとに帰るに当たっては、「そうです。正しいです」という賛美があるだけです。それが原則であり、理想です。
皆さんは神様のもとに帰っているでしょうか。神様に願いがあるとすれば、人間たちに何を願うでしょうか。「昔のような原則に立ち返りなさい」と言うでしょう。ですから、皆さん自身がその原則に立脚して生きなければならないのです。(103-240; 1979/03/01)
5 堕落した人間の世の中には、天の父母から受け継いだ家法がありません。すべて、堕落した家法です。数多くの民族であれば民族が、すべてまだら模様の文化圏を中心として引き継いできた、習慣的で伝統的なものです。ですから、神様が喜ぶことができる、単一文化圏を中心とした歴史的伝統が立てられなければなりません。
それゆえ、皆さんが家庭をもてば、家法による統治を受けながら生きていかなければなりません。その時は、言語も一つではありません。言葉も、これからはすべて革命をしなければなりません。アダムとエバが神様の息子、娘であるとすれば、神様を中心として学んだその言葉をアダムとエバは話し、アダムとエバの息子、娘は、アダムとエバが話す言葉を学ぶので、言葉が自動的に統一され、文化も自動的に統一されるのです。歴史も二つはあり得ず、一つです。(065-196; 1972/11/19)
6 み言が今後、憲法になります。み言はお父様が勝手に語ったのではなく、神様の指示に従って語ったのです。私の思いのままに語ったものは、一つもありません。
神様は、お父様に対して無慈悲なお方です。天法を永遠の法として立てるために、霊界にいるすべての人々が注目する中、お父様が代表的な道を行くとき、一点一画でも手加減できる過程があるとすれば、そのようなことは指示しないというのです。十回実践するとしても、百回試験します。そのように、この道を歩いてきました。(360-174; 2001/11/15)
7 神様が願う天法とは何でしょうか。神様の創造理想の法です。そして、神様の理想を完成するためには、四位基台を完成しなければなりません。そのようにしてこそ、愛が生じるのです。神様の創造理想を中心として、その理想を実現できるみ言があります。そのみ言が真理です。統一教会の原理のみ言は、堕落した世界において絶対的な天法です。
法というのはみ言です。何章何条という、その何条の言葉が法だというのです。その次に、法は、人としてできているかを判断するのです。法は判断するものです。み言のとおりになったのか、実体になったのか、人としてできているのかを判断するのです。皆さんがそのようになれば、法がある国はどこでもはばかりなく通ることができるのです。(103-234; 1979/03/01)
8 統一教会にも法があります。第一の法が、統一教会のみ言です。原理のみ言が法だというのです。皆さんは法をすべて、守っていますか。断食をし、約婚をして三年間は離れて暮らし、結婚して四十日間聖別するなど、複雑な法があるのです。国の法を破れば、捕まって刑務所に送られるのと同じように、統一教会の法を破れば、報いを受けることを知らなければなりません。
家庭教会は、人間が家庭を求めて越えていくに当たって、一つの法度になるのです。その法に、このようにしなさいとあるのに、したければして、したくなければしないというのであれば、それは通じないというのです。(103-235; 1979/03/01)
9 神様はお父様に、愛は直短距離を通るということと、宇宙の根本は父子関係であるということ、この二つしか教えてくれませんでした。それをもって、すべて解かなければなりません。この父子関係の父子は、世の中の血統をもった父子ではありません。新しい根源から解いていかなければならないのです。堕落を知らなければ分かりません。
私は根本をすべて明かしました。それが宇宙の法です。天法です。お父様が祝福家庭をつくったのではありません。宇宙本来の公式的な法度です。法度に合うので、天国の神様のみ前に行くことができるのです。お父様のみ言を絶対に実践し、絶対に遵守して、基盤を築かなければなりません。(376-315; 2002/04/29)
Thursday Jan 11, 2024
真の父母経 第381話
Thursday Jan 11, 2024
Thursday Jan 11, 2024
14 天の伝統を立てなければなりません。常に真の父母様のみ言を訓読しながら生活する皆さんにならなければなりません。皆さんが生活し、皆さんが働く場所で、父母様にどれくらい絶対的に侍って生活するかによって、その結果が違ってくるという事実を知るでしょう。絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、ために生きる生活をするようになれば、天の大きな祝福があるでしょう。(真のお母様; 2013/03/22)
15 皆さんは今後、お父様が霊的に共にいらっしゃることを体恤するようになるでしょう。お父様が約束されました。お父様にお目にかかりたければ、多くの実績をもってきて、お父様にお会いしてください。お父様は普段、手足を人にお見せになることはありませんでした。「監獄でも自分の体を保護した」と語られました。どこでも、どんな人の所にでも行って、霊的な役事をされると思いますか。一糸乱れず、心を一つにし、志を一つにして、原理を中心として進みましょう。基元節を前にして、すべての統一家の食口たちは、自らを再整備しなければなりません。(真のお母様; 2012/10/25)
第三節 天一国三大経典の編纂
天一国経典の編纂と伝統確立
天一国の三大経典は、真の父母様が一生涯、語ってくださったみ言を主題別にまとめた天一国経典『天聖経』、真の父母様の生涯路程と業績を収めた同『真の父母経』、そして、世界平和を実現するために、地球村の至る所で宣布された講演文をまとめた同『平和経』のことを言う。真のお母様は、真のお父様の聖和直後、真のお父様の伝統と遺業を伝承するための最も重要な課題として、経典の編纂を指示された。後代に永遠に指針となる教材教本にしようとされたのである。このように、天上の真のお父様と一心、一体、一念、一和、一核の立場において摂理を経綸される真のお母様は、天一国経典の編纂を通し、神様と真の父母様の伝統を確立するためにこの上ない精誠を尽くされた。
1 お父様のみ言を早急に整理、整頓しなければなりません。多くのみ言がありますが、それが整理できていないままになっています。あらゆる書籍がそうです。二千年のキリスト教の歴史を見ても、聖書一冊でこのように全世界にイエス様のみ旨を広げてきたわけですが、お父様のみ言が整理、整頓されなければ、未来に混沌が訪れるでしょう。
後代の人が見ても批判できない原理原則によって、根も一つであり、幹も一つであり、実も一つである永遠のみ言として残さなければなりません。すべての人々がその日その日を生きていくうえで、み言が生活基準になり、標柱になり、生活指針にならなければならないのに、いまだに整理、整頓されていません。ですから、とてももどかしかったのです。
例えば、原石があるとしましょう。いくら貴い原石でも、磨いて光が出るようにしなければなりません。お父様のみ言は、一言で言って、原石は原石ですが、精製されていない原石と同じなのです。私(お母様)までそのままにしておけば、誰がこれを磨きますか。皆さんはもちろん、誰にもこのことはできません。私がしようとしていることは、天を栄えさせようとして行っていることであり、み言が永久に保存されることを願って行うのです。後代にいくら有能な人が現れたとしても、このみ言には手を付けられないようにするためです。それは、私にしかできません。(真のお母様; 2013/01/07)
2 皆さんは、私(お母様)くらい摂理歴史を知り、原理を知っていますか。既に成し遂げられた状態しか分からないでしょう。ですから、私がするとおりに従ってきなさいというのです。すべて皆さんの後代のためにしているのです。
皆さんが天命を全うして霊界に行く時に、この(天一国経典)『天聖経』を抱いて行くようにするために、新たに出版しました。そうして、お父様に、「私が生きている間、お母様の教育を受け、お父様のみ言を愛して抱いてきました」と申し上げなさいというのです。私は地上できれいに完成、完結、完了しようというのです。(真のお母様; 2013/01/07)
3 私たちは、真の父母様に感謝しなければなりません。私たちは、み言を通じて蕩減の原則を知ったのであり、その蕩減を通じた復帰の原則を通過しなければ前に進めないことを知りました。ですから、皆さんも父母様と同じ心情圏に立たなければならず、さらには同じ心情圏で生きなければなりません。
真の父母様の立場から見れば、真の家庭の子女たちも、この点では皆さんと全く同じです。今後、私(お母様)が生きている限り、私は、皆さんと真の家庭が真の父母様と同じ心情圏に正しく近づけるように天の伝統を立てていくでしょう。その伝統を立てるために天一国経典を編纂するのです。(真のお母様; 2013/04/20)
4 み言は真理です。原理です。そして、皆さんは、真の父母様に愛をもって心情文化世界を築いてさしあげることができなければなりません。そのために、皆さんが最善を尽くしてくれればと思います。皆さんは、どのような生活が、天上にいらっしゃるお父様の教えどおりに生きることなのか、よく知っているでしょう。皆さんは、お父様のみ前に成熟した息子、娘として立とうと誓わなければなりません。(真のお母様; 2012/09/03)
経典の編纂過程と摂理的意味
天一国経典の編纂は、第一に、蕩減復帰摂理路程を歩まれた真の父母様のみ言と生涯路程および行跡を、永遠の歴史的遺産として伝承し、第二に、天一国のビジョンとその民たちの生活指針を立てるというところに大きな意味がある。最後に、訓読を通して人格化が成され、その地平が世界と天宙まで拡大されることを意味する。三大経典のうち、二〇一三年の基元節に天一国経典『天聖経』・『平和経』が奉献された。日本語版は、その年の真のお父様の聖和一周年に奉献され、英語版は二〇一四年の聖和二周年に発刊された。スペイン語、フランス語をはじめとする他の言語での発刊の準備も、続けて進められた。『真の父母経』韓国語版は、二〇一五年の基元節に奉呈された。
5 お父様の業績は、堕落した人類の前に宝石のような真理の「真のみ言」を下さったことです。このみ言が散り散りにならないで美しい宝石になり、(天一国経典)『天聖経』という本の中にひとつなぎになっていることを思うとき、あまりにもうれしく、感謝です。今、私たちは、天一国時代に拍車を加えるべき立場ですが、このみ言こそ、天一国の実質的な中心になります。結実です。柱です。このみ言と一つになり、皆さんが与えられた立場で責任と使命を果たしていくならば、天はどれほど喜ばれるでしょうか。
私たちには、今なお天が願われるみ旨の前に果たすべき責任が残っています。全世界の人類を一日も早く天一国の民として導いてあげるべき責任が、私たちにあります。先に来た者としての責任があるというのです。天一国の孝子、忠臣の位置、主人の位置にみな立つことができます。しかし、皆さんが現実において怠けていれば、天は待ってくださいません。
皆さんがどのように実践躬行すべきかを再度決意し、(天一国経典)『天聖経』・『平和経』の出版記念式を期して、天が私たちに下さった宝石のようなこのみ言を中心として、全人類の救援に総力を尽くしてくれることを願います。(真のお母様; 2013/06/10)
6 み言は私たちの根本です。私たちの人体で言えば、脊椎です。脊椎に問題があれば、すべての臓器がゆがんでいきます。そして、病気になります。とても重要だという話です。天一国経典が出てくることによって、私たちはお父様と共に生活するようになるのです。正に神霊と真理で一つになって生かされるようになるというのです。ですから、これが、どれほど皆さんにとって生命のみ言となるでしょうか。
渇いた人がいてはいけません。皆さんの子孫のために、このみ言が皆さんの中で息づいていなければなりません。そして、皆さんだけがそのようになるのではいけないのです。「私たちは環境創造をしなければならない」と言いました。私たちによって善の版図が大きくなれば、暗い影は自然に消えるでしょう。なくなるようになります。(真のお母様; 2013/08/24)
7 皆さんが生きている時に一人でも(多くの人に)真の父母様を教えてあげなければなりません。私たちが生きている理由は、天地人真の父母様を教えてあげるためです。それを忘れてはいけません。それがなければ皆さんの生命もないのです。それを思うと、私(お母様)は一日が千年のようです。お父様の歴史的な全生涯を中心として、後代のために残すべきことが重要です。
私は、お父様のみ言を天一国経典として整理して、皆さんが毎日持ち歩くようにしたいと思っています。キリスト教徒たちが聖書を毎日持ち歩くように、私は、お父様のみ言である(天一国経典)『天聖経』・『真の父母経』・『平和経』を、皆さんの懐から離すことのできない本にしたいと思いました。この本を通して多くの生命を救うことができるので、これは道具です。どれほど貴い道具か分かりません。人類を生かすみ言が出てきたので、これを、生命を生かす道具として活用しなければなりません。(真のお母様; 2013/04/15)
8 皆さんの先祖たちを解放してあげなければなりません。先祖を解怨し、すべての蕩減から抜け出すことができる環境をつくって熱心に伝道しなければなりません。伝道するときには、死生決断、全力投球をしなければなりません。そのようにするために、み言のエキスのような(天一国経典)『天聖経』・『平和経』を私がつくりました。今、「一人でも多くの人に、真の父母様を知らせなければならない」と言って、夜寝なかったとしても努力する皆さんにならなければなりません。そして、実践躬行しなければなりません。(真のお母様; 2013/06/23)
Monday Jan 08, 2024
真の父母経 第380話
Monday Jan 08, 2024
Monday Jan 08, 2024
5 お父様の聖和以後の四十日の間は、お父様と私(お母様)が一心一体となって新たな摂理的出発をするための準備期間です。
家を一軒買ったと考えましょう。まずその家に入れば、何からしますか。まず明かりからつけるでしょう。そして、要所要所にあるべき物を配置するでしょう。
すべて整理されれば、その時から生活が始まるのです。私も、お父様も、聖和以後の四十日間は本当に重要な期間です。
私が「神霊と真理によって草創期の教会に戻ります。生きた教会運動をします」と申し上げると、お父様は「オンマ、本当に、本当にありがとう!」とおっしゃいました。(真のお母様; 2012/10/05)
6 真のお父様の聖和を経てみると、やるべきことがあまりにもたくさんあります。一から十まで皆さんは理解できずに成し遂げることができませんでしたが、今や、私たちのすべきことが分かったので、変わらない愛と精誠でそれを完成できるよう、各分野で助け合い、皆さんが受け持った責任を全うしなければなりません。
私たちは、この時代にお父様に侍り、祝福を受けた子女として、お父様のみ言を直接聞いて成長しました。
み言どおりにすべて成し遂げてさしあげることはできませんでしたが、今からでも十年を一年のごとく考えながら、死生決断、全力投球、毎日毎日そのような生活をしていかなければなりません。(真のお母様; 2012/09/17)
真のお父様の伝統相続
真のお母様は、聖和式後、三日目となる二〇一二年天暦八月二日(陽暦九月十七日)、清心平和ワールドセンターで挙行された三日礼拝兼、世界指導者特別集会において、参加者たちに「中断なき前進」を指示された。特に、真のお母様は、真の父母様の伝統伝承、祝福家庭の理想完成、氏族メシヤの使命と責任完遂、心情文化共同体の実現など、今後、統一家の行く道を提示された。真のお母様は、聖和式後、四十日礼拝まで、真のお父様の霊前に一日三回、食事を準備してお供えし、天上の真のお父様と一つになって、天一国実現のために精誠を尽くされた。そして、四十日礼拝の直後、一九七〇年代に真のお父様が歩まれた、アメリカのラスペガスからニューヨークまでの五千六百キロを横断する聖地巡礼を行われたのち、基元節の準備と天一国経典の編纂、天一国憲法の制定、グローバルな人材の育成など、伝承事業を展開された。
7 皆さんは、天国に行くのが大変でしょう。私が皆さんに責任をもつことはできません。(ですから、)教えてあげてから逝くのです。そして、服でも何でも、もっていた物をすべて広げて、分け与えてから逝こうと思います。私が残すものは、遺物とみ言です。実体は霊界に行きます。皆さんはどのようにして付いていくのですか。遺物とみ言が梯子です。私が愛していた以上にその物を愛し、そのみ言を愛し、実体を愛さなければなりません。そして、家庭を愛し、国を愛し、天地を愛さなければなりません。(399-672; 2002/12/19)
8 私は既に、この生涯を苦労で出発したので、苦労によって終えようと決心しました。私が享受できる福を、統一教会と息子、娘に残してあげてから逝くのです。この残してあげる福の上に、千年、万年、未来の歴史とともに、愛の根を下ろすように祈りました。
この伝統が続く限り、この恩賜の福が続く限り、統一教会は滅びないと見るのです。お父様は千年の歴史に責任をもち、身もだえする男です。ですから、私が動ける限り、安らかに横になって死ぬという考えはもちません。どこに行っても、途中で客死するとか、壇上で倒れるつもりです。その場が天上世界に帰る一つの基地になるでしょう。そのように決めたのです。(264-185; 1994/10/09)
9 私(お母様)は、お父様と約束しました。「どんなにみ旨が大変でも、自分の代で終わらせます」と言いました。そして、お父様に「神様の創造目的を、創造理想世界を成し遂げてさしあげます」と言いました。「私が必ず成し遂げてさしあげます」と言ったのです。そのために、私は変わらないでしょう。
お父様が逝かれる前、お父様は私に「本当にありがとう」とおっしゃいました。「本当にすまない、本当にありがとう」とおっしゃいました。私は、皆さんと一緒に、お父様が残されたみ旨を成し遂げてさしあげたいのです。落伍者となる息子、娘がいないことを願います。それが私の願いでもあります。お父様も願われることです。
お父様を送ってさしあげながら、私の心が痛んだのは、このように苦労して逝かれるべき方ではないからです。救世主、再臨主、真の父母として来られた方が、監獄から出発されてはいけません。天はすべて準備したのに、人間の目が見えず、耳が遠く、その準備した環境を失ってしまったために、地獄の底から始められたというのです。今まで、お父様以上に大きな業績を残した人はいません。一つの心情文化世界、統一された一つの世界、それが私たちの夢です。それを必ず成し遂げなければなりません。(真のお母様; 2012/09/03)
10 皆さんには、誇るべきものがありますか。お金を誇りますか、学識を誇りますか。何を誇りますか。お父様は、聖和後、本郷苑にいらっしゃいますが、私(お母様)は毎日参拝しています。
韓国の名家では伝統的に、父母が亡くなれば、その墓の傍らに小屋を建てて三年間暮らします。家に行ったり来たりするのではなく、山の中でまともに食べることもできず、きちんと着ることもできずに暮らすのです。寒い冬にも火を焚かずに暮らすのです。韓国では冬に雪がたくさん降ります。そのような所で、土に埋められた父母と共に三年間暮らすのです。そうしてこそ、孝子だと言われるようになります。皆さんはどうですか。皆さんは、真の父母様に侍るように、み言を毎日訓読しながら、真の父母様が残してくださった伝統を受け継いでいかなければなりません。(真のお母様; 2012/10/27)
11 私たちが死を覚悟せずに、いつこのみ旨を成し遂げてさしあげるのでしょうか。これまで、多くの人たちは、待遇を受けることばかり願いました。お父様にお返ししたものがあまりにもありません。皆さんも麻の服を着て、贖罪の祈りを捧げなければならないでしょう。
きょう、お父様にもう一度誓ってください。お父様も、霊界で新しい出発をされるこのとき、私たちも地上で相対にならなければなりません。「地で解けば、天でも解かれ、天で解けば、地でも解かれる」とあります。今は、お父様から受けた愛に対して報いることのできる期間です。(真のお母様; 2012/10/25)
12 皆さんは、生涯を終える前に、父母様と同じ時代に生きていた弟子、または祝福家庭として責任を果たす立場にならなければなりません。人類が待ち望み、天が待ち望んでいた真の父母様が来られて、摂理歴史を完成、完結、完了され、また新たな時代を切り開いてくださったということを、一目で見ることができる生涯博物館である「天地鮮鶴苑」を造らなければなりません。私(お母様)はそのようにすると決心しました。
皆さんは幸いにも、新しい時代、新しい歴史の天一国時代において、先祖の位置に立つことのできる特別な恩恵を受けました。ですから、今後、父母様と縦的基準を立て、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の位置で、皆さんがどのように人生を生きたのかという記録が地上にも残るようになり、霊界にも残るようになるでしょう。
父母様がいらっしゃる間には、父母様が新しい歴史を出発されたので、すべてのものを開拓してくださいました。私が地上で生きている間に、お父様の遺業を磨き上げて、後代まで光を放てるように伝統を立てるつもりです。特に、お父様が残されたみ言を完璧に整理、整頓しようと思います。そのようにすることが、お父様の意志であり、私の意志です。(真のお母様; 2013/05/13)
13 私(お母様)はお父様が聖和されたあと、生涯博物館を造ろうという計画を明かしたことがありますが、その名称を「天地鮮鶴苑」に決めました。この「天地鮮鶴苑」博物館は、超現代的で多目的な文化空間として造り、誰でも入場して、全体を一度見て回り、出るときには入会願書を書くことができるように造らなければなりません。それだけ、ここには感動的なコンテンツを備えなければなりません。一日が二十四時間では足りないと言えるほど、真の父母様の生涯を振り返ることのできる空間にしなければならないのです。
天の父母様の願いは、一つの世界、すなわち、天の父母様を中心とした平和な地上・天上天国を実現することです。真の父母様は蕩減復帰を勝利した基盤の上で、地上・天上天国を実現できる新しい時代を開いてくださいました。今や祝福家庭の皆さんは、一つの生命を誕生させるために母親が十ヵ月、苦労しなければならないように、人類が神様の懐に帰ってくることができるよう、多大な努力を傾けなければなりません。皆さんは新たに誕生した生命が、この「天地鮮鶴苑」を経ていけば、自ら成長することができるように、力を合わせなければなりません。(真のお母様; 2014/11/12)