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Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第10話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
第二章 イエス様の誕生とその目的
ー、イエス様の降臨の目的
神様の理想とイエス様の降臨
人間を救うためにこの地に来られる方とは、どのような方でしょうか。その方は人間を代表する立場にあるだけではなく、神様と永遠に切れない因縁を結んで現れる主人公であられます。
このような因縁と使命を帯びて、この地に降臨された方が正にイエス・キリストであられます。ですから、イエス様は福音を伝播しながら、「私は神様の息子だ」とおっしゃったのです。また、「神様と一体になっている」とおっしゃいました。
これは、驚くべきみ言です。普通の人には類を見ないみ言です。ですから、神様と愛を中心とした血統的に因縁をもって現れたキリストであられたので、歴史にない中心として、新しい変遷の役事を起こすまいとしても起こさざるを得なかったのです。そのような面で、イエス様の血と肉は、父の血と肉であり、すべてが父のものだったと言えるのです。このように神様とイエス様とは、切っても切れない因縁が結ばれていたのです。
ではなぜイエス様は、そのような方でなければならなかったのでしょうか。堕落した人間は罪悪の血統を受けて生まれたので、父の血肉に代わって接ぎ木をしてあげられる一人を、神様はこの地に送るしかなかったのです。このような摂理的な必然性によってイエス様は、この地に来なければならなかったのです。
イエス様がこの悪なる世に来られて叫ばれたみ言は、地の言葉ではありませんでした。イエス様のみ言は、今までなかった真なる真理のみ言であり、地上にあったものとはあまりにも異なる新しい理念であり、革新的な事実を提示するものでした。
神様は、自らの内的な理想を実体的に感じ得る一つの中心存在として、人間を創造されました。それで神様によって秘められた天の美と天の愛と天の栄光を、人間であるアダムとエバの生活を通し、生涯を通し、永生の路程を通して成し遂げ、いつの時も絶えることのない喜びの世界をつくろうとなさいました。
人間が堕落することによって、神様が意図されたそのような本然のみ旨は、根本的に途絶え、人間は願ってもいなかったサタンを神様の代わりに立てて、そのサタンの主管圏内にとどまるようになりました。神様に栄光と喜びを返し、神様に侍る生活をすべき人間が、神様の代わりにサタンを中心として、サタンに侍って従う侮辱の歴史を繰り返してきたのです。
神様には、人を中心として取り戻すべき栄光が残っており、人を中心として愛すべきみ旨が残っており、人を中心として勧告すべきことが残っているので、今まで摂理してこられたのです。サタンは反対に、神様の栄光、神様の愛、天の生命を破壊するための戦い、今日、人間を自らの手中に縛りつけて、これを神側に渡すまいとする戦いを続けてきているのです。
それゆえ、今や神様は、人を立ててサタンを恨み得る一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様にお返しすべき栄光を中心として、神様の代わりに人間から愛を受けているサタンに対して、抗議し得る条件を立てなければならないのです。
また神様の代わりに、サタンが全体の生命の権限をもっているので、神様はこれも抗議できる人を立てなくてはならないのです。このような責任が神様に残っているのです。神様が探し求めていらっしゃる創造本然の人間、サタンに対して攻撃できる一人の主人公が現れなくては、再び神様に栄光を返す道がなく、愛を返す道がなく、生命を返す道がないのです。
この一人の中心存在をお立てになるために、神様は四千年間、苦労しながら摂理をしてこられました。そうしてついに神様は、万民の前に探し求めてきた一人の信仰の中心、人間の代表的な中心を、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の生命を証するためにお立てになったのです。その方が誰かというと、イエス・キリストだったのです。

Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第9話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
この世に、そのようなことがあるでしょうか。これが聖書にある内容です。ところで、なぜそのようにしたのでしょうか。そのようにせざるを得なかったからです。堕落した結果がそうだったので、そのようにしなければ天道が解けないのです。
ユダは、タマルとそのような関係を結んだのち、自分の印を与えて別れました。舅のユダは道端でそのような関係をもったのですが、その相手が嫁であるとは知りませんでした。そうこうしているうちに、タマルについてうわさが広まりました。
寡婦が子を身ごもったので、「殺せ」と大騒ぎになりました。タマルは死ななければならない立場でした。そのとき、ユダは族長でした。そのうわさはユダの耳に入りました。それでユダの命令によって殺そうとすると、タマルは事情を話しました。自分は不法な行為をしたのではない、この子の父はユダであると言ったのです。
タマルは子供を生むことになります。その子供は双子でした。ところが、その双子が腹中で争ったのです。リベカは、自分の腹中でエサウとヤコブが争うので神様に祈祷すると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・23)とおっしゃいました。これと同じように、タマルの腹中でも争いが起きたのです。子供を生んでから交替するのではなく、腹中で交替しなければならないのです。
聖書の創世記第三十八章にこのような内容があります。ユダの息子が生まれたのですが、最初がペレヅで、そのあとにゼラが生まれました。彼らが生まれるとき、兄が先に出るために手を出しました。それでその手に赤い糸を結びました。ところが、弟のペレヅが兄を押し退けて先に出てきたのです。これが腹中の闘いです。
胎中で兄を押し退けて、弟のペレヅが兄として生まれることによって、兄と弟をひっくり返そうとする神様の摂理に勝利の結果をもたらすことになりました。これはとりもなおさず、人を逆に胎中に取り込んで、胎中で闘って兄弟をひっくり返した結果をつくったのです。このような歴史は、聖書以外にはありません。それゆえ、これは神様の摂理と言わざるを得ないのです。
胎中で勝ちましたか、負けましたか。勝ったので、その胎中を通して勝利したその基盤を通し、貞操をもって命を捧げることを覚悟しながら、その思想を受け継いだ女性を通して、神様のみ旨を立てることができたのです。
神様は、血統的に汚された血筋を交替するために、このように二千年の間、歴史的な摂理をしてこられました。そうしてヤコブを経て、ユダの家庭を通して、初めてこのことが決定されたのです。結局、血筋を中心として闘い、天の側が勝利した基盤を築いたのです。それゆえ、イエス様はユダ支派を通して現れなければならないのです。
イスラエル民族が、サタンの国以上の国を成し遂げるまで二千年という期間を待って、そのように清まった血統、勝利した伝統的な血筋の因縁をマリヤが引き継ぐ位置に立ったので、マリヤの腹中を通してサタンが讒訴できない、初めて神様だけが愛し得る息子として生まれた方が、イエス様なのです。
有史以来、このように血筋を清めて生まれた人は、イエス様しかいません。それゆえ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)という決定的なみ言を語ることができるのです。イエス様は有史以来、神様の愛を受け得る一番目の息子として生まれたので、ひとり子であると主張できるのです。

Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第8話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
それで母のリベカは、天側の息子であるヤコブと一つになり、自分の夫であるイサクを天使長の立場に立てたのです。そうして、天使長の長男であるカイン格のエサウが受けるべき祝福を奪って、天側に取り戻したのです。このとき兄のエサウは、ヤコブを殺そうとしました。それゆえヤコブは、ハランに逃げて、そこで二十一年間過ごすようになったのです。
そのようにしてヤコブは、兄エサウと交渉がうまくいき、命が助かったのです。自らの僕たちと、二十一年間にためた財物をお兄さんに与えてエサウの心を動かし、結局エサウは、ヤコブを殺さずに迎え入れるようになったのです。そうなることによって、死ぬべきカインのような立場ですが、死なない立場に立ったので、結局ヤコブは、エサウが屈服したという条件を立てたのです。そうして初めて「イスラエル」、すなわち「勝利した」という民族圏をもつことになったのです。
ヤコブは、ヤボク川で天使と組み打ちして勝利しました。それはアダムが霊的天使に敷かれて失敗したことをひっくり返し、人が天使を下に敷いたという条件を立てたのです。このように天使長の実体と同じ立場にあるエサウが、ヤコブに屈服する内的基準をヤコブが既に立てたので、外的なエサウも屈服するという結果をもたらしたのです。聖書を見ても、すべて否定できない事実です。
今から数千年前にあったことです。旧約聖書は、およそ八百五十年の間、数多くの人々の手によって記録されたものですが、このような体系を中心に記録されたということは、一つの思想的な主人がいて、預言者を通して記録したに違いないのです。ですから、「神はいない」とは言ってはいけません。
双子のエサウとヤコブが闘って、どちらが勝ったでしょうか。ヤコブが勝ったでしょう?それゆえに(カインとアベルが)ひっくり返ったでしょうか、ひっくり返らなかったでしょうか。ひっくり返ったのです。何歳ぐらいにひっくり返りましたか。四十歳を過ぎてからです。四十歳を過ぎてから双子で生まれた兄弟がひっくり返ったのですが、生まれる前、腹中においては、まだひっくり返っていません。それでサタンがかみついてくるのです。
タマルを通した腹中復帰摂理
アブラハム、イサク、ヤコブ、三代目のヤコブにユダという息子がいます。ユダ支派を形成したユダは、ヤコブの四番目の息子です。四番目というのは、東西南北、春夏秋冬というように四番目から四方の基準が現れて、春の季節を迎えるようになるのです。それで四番目の息子が祝福を受けるのです。
ユダに嫁がいました。誰だか知っていますか。タマルです。タマルがユダの長男に嫁いできたのですが、その長男が子孫もいないまま死んでしまいました。ユダヤの国では、その昔、祝福を受けた血統は途絶えてはいけませんでした。また、女性が子孫を残せずに死ぬというのは、女性としての道理ではなかったのです。そうなれば、祝福を台無しにする女性になるのです。
それでユダヤの国の法には、兄が子供を生めずに死んだ場合、その兄嫁を弟が引き継いで迎えるようになっていました。それは悪いことではないのです。祝福を受けた女性を捨ててはならないことになっていました。外国に送り出してもいけませんでした。サタン側に送り出すことはできないということです。
それゆえ、弟が兄嫁を迎えて暮らしたのです。しかし、その弟も死にました。ですからタマルは、自分の一代において祝福された血族を残せないことに対して、命を失うこと以上に苦悩するようになりました。自分は死んでも、どうにかして祝福された血族を残さねばならぬという使命感、神様の祝福を残す道を追求する思いが、タマルは誰よりも強かったのです。
それを成し遂げる道があるならば、体面も顧みず、生死も意に介さず、命を懸けて行くという立場でした。そのような立場に立ったので、「大変なことになった」と思い、自分の舅と関係を結ぶ計画を立てたのです。それでタマルは、舅が羊の毛を切るために行き来する所を知っていたので、道端で遊女のように仮装をして舅を誘惑したのです。そうして舅と一つになって子を身ごもるようになりました。

Sunday Sep 01, 2024
イエス様の生涯と愛 第7話
Sunday Sep 01, 2024
Sunday Sep 01, 2024
人間は、父と母の愛を通して生まれます。ところがその愛が誤ったので、生まれるのも誤って生まれるのです。それはどうしようもありません。このように誤った愛を通して生まれることによって野性のオリーブの木になったので、その枝を完全に切ってしまい、真のオリーブの木の真の愛の枝を接ぎ木しなければなりません。数千年育った野性のオリーブの木の枝を完全に切ってしまい、精誠を込めて真のオリーブの木を接ぎ木しなければならないのです。
ヤコブとエサウを中心とした血統復帰摂理
神様は、これをひっくり返す摂理をしてこられました。ひっくり返そうとするならば、どこまでひっくり返さなければならないのでしょうか。兄弟同士ひっくり返したとしても、成長したあとにひっくり返したとするならば、それ以前が問題になります。四十歳にひっくり返したとすれば、四十歳以前まではひっくり返していない結果になるのです。それで四十歳以上の人は救いを受けるかもしれませんが、四十歳以前の人は救いを受けられないのです。サタンがかみついてくるのです。これがなかなか治らない病になっています。
それゆえ、神様は仕方なく再び摂理をされるのです。アベルが死んだあとにセツを立てて、セツの一族を中心として、どこを尋ね求めていくのかというと、女性の腹中を尋ね求めていくのです。堕落は腹中から起こったからです。愛の種は腹中を通して生まれました。それゆえ、腹中を尋ね求めて入り、ひっくり返すのです。これがどれほど途方もないことでしょうか。
腹中に入っていってひっくり返さずしては、サタンが生まれてくる生命自体を神側に送ろうとしないのです。ですから、人々を逆さまにひっくり返すためには、やむを得ず父母の腹中にまで尋ね求めて入り、闘って勝敗を決めるという、そのような闘いをしなければならないのです。それゆえキリスト教は、歴史上にかつてない、神様のみ旨に対する宗教であるということが、ここに明らかにされるのです。
これをカインとアベルの兄弟からひっくり返そうとしたのですが、それができませんでした。それで兄弟の位置を狭めていくのです。兄と弟をひっくり返せる交叉点まで尋ね求めていくのです。そのようにして、カインとアベルの代をセツが継いでそのみ旨に従わせ、ヤコブとエサウの時代が来るようになったのです。ところが、一段階近い位置に行こうとするので、双子を立てて摂理せざるを得なくなったのです。どれほど近づきましたか。兄弟は兄弟なのですが、双子の兄弟なのです。
ここでまた闘わなければならないので、ヤコブとエサウが闘うことになったのです。イサクは誰を祝福しようとしましたか。兄エサウを祝福しようとしたでしょう?しかし、このエサウを祝福するようになれば大変なことになるのです。それで母のリベカが後ろ盾して、ヤコブを助けてあげるようになったのです。ここから母子協助が出てくるのです。
女性が先に堕落したので、神様の息子、娘を解放させるために、生まれるに当たっては女性が協助しなければなりません。女性が、サタンに引っ張られていくのではなく、神様の前に行くための助けをするのです。
ここでのイサクは、天使長の立場です。リベカは、自分の夫であるイサクをだます工作をして、ヤコブにすべての祝福を受けさせます。ところが、聖書を文字どおりに受け入れるとすれば、兄をだました詐欺師のヤコブが、いかにして神様の祝福を受けられたのかという疑問をもつことでしょう。しかし、奪われたものを取り返さなければならないので、そのようにしなければならないのです。天使長に奪われたものを取り戻すのです。
エサウとヤコブの路程において、母と息子が合同工作をして、誰をだましましたか。父をだましたでしょう?イサクをだましました。この三人はアダムとエバ、天使長と同じ立場です。イサクは天使長と同じ立場であり、息子のヤコブは将来来るべきアダムと同じ立場です。したがって、希望の息子として生まれ得る立場です。そして母のリベカは、エバと同じ立場です。堕落したエバは、神様の息子を身ごもれなかったという側があるので、希望の息子を出産することが願いなのです。

Saturday Aug 31, 2024
イエス様の生涯と愛 第6話
Saturday Aug 31, 2024
Saturday Aug 31, 2024
抜き取ってしまうべき偽りの血統
サタンとは何でしょうか。神様の姦夫です。神様にとって愛の怨讐である姦夫のことです。
神様は、これを許せば天理の原則から外れるので、許すことができないのです。それゆえ、今日、サタン世界の人間は、百回、千回許すことができても、サタンだけは絶対に許せないのです。それで大審判があるのです。大審判とは、誰を審判するのかというと、人を審判するのではなく、人間に対して主人のように君臨しているサタンです。
祈祷をするとき、神様のことを何と呼びますか。神様を主人と呼びますか、父と呼びますか。父と呼ぶでしょう?本来、生まれるときはみな、神様の直系の息子、娘の血筋を受け継いで、神様の愛の中で永生できるように生まれるべきなのに、エバが怨讐サタンに強奪されることによって、偽りの血統を受けてこの世に生まれたのです。
サタンが本来の父を殺してしまい、母を奪って生んだ子供たちが、今日、堕落した世界の人間なのです。これはいくら腹を立てたとしても、仕方のない厳然たる事実です。ですから、皆さんの血と肉には、すべて神様の怨讐であるサタンの血が流れています。神様の怨讐の血が流れているのです。これを抜き取ってなくさなければならないので、今日、宗教では体を打つようにするのです。体を打つ運動として、「体を打ちなさい!犠牲になりなさい!断食をしなさい!」というのです。今日、この地上に生きる世界の人類はみな、サタンの子供たちなのです。
では、アダムとエバが仮に堕落しなかったら、どうなるのでしょうか。神様の基準に上がって、神様を中心として三位一体になったことでしょう。そうして、ここから生まれた子女たちはみな、天国に行ける息子と娘になるのです。そうなっていたら、祈祷や宗教は何のために必要でしょうか。信仰という名詞は、人間には必要でなかったでしょう。父を信じるのですか。父は救い主だとか、救ってほしいとか、何を祈るというのですか。ただ父の懐にぱっと飛び込み、父に乗っかって座り、ひげを抜いても平気なのに、信じるとは何を信じるのでしょうか。
野性のオリーブの木と真のオリーブの木
聖書を見ると、カインとアベルが互いに争いますが、それもアダムが堕落したからです。アダムが堕落することによって、人間は神様もサタンも対し得る中間位置に置かれるようになりました。それゆえ神様は、アダムとエバを中心としては、救いの役事、すなわち復帰ができないのです。なぜでしょうか。彼らは堕落した張本人だからです。
善悪の実とは何でしょうか。善悪の実は、ただの善悪の実でしょうか。聖書は、はっきりとせず曖味です。善悪の実を取って食べてから、なぜいちじくの葉で下半身を隠したのでしょうか。なぜ、こともあろうに下半身を隠したのかというのです。恥ずかしいから隠したのです。それならば、なぜ恥ずかしいのでしょうか。
今日、私たちが堕落した社会の慣習的な観念をもって、「恥ずかしいと思うから恥ずかしいのだろう」と言うとすれば、それは話になりません。恥ずかしいのならば、なぜ下半身だけ恥ずかしいのかというのです。恥ずかしいならば、目は恥ずかしくなく、鼻は恥ずかしくなく、耳は恥ずかしくなく、頭は恥ずかしくなく、手足は恥ずかしくないのでしょうか。
また聖書を見ると、生まれ変わらなければならない(ヨハネ一ニ・3)という聖句があります。生まれ変わらなければならないという言葉は、誤って生まれたことを意味します。人がこの世に生まれるときは、何を通して生まれるのでしょうか。善悪の実を通して生まれるのでしょうか。違います。愛を通して生まれるのです。人は親の愛を通して生まれるのです。
しかし人類始祖は、愛を通して生まれたことは生まれたのですが、神様が愛し得る、万宇宙に誇り、宣布できる喜びの愛を通して生まれなかったのです。神様が非常に悲しまれ、サタンが非常に喜ぶ愛を通して生まれたのです。

Saturday Aug 31, 2024
イエス様の生涯と愛 第5話
Saturday Aug 31, 2024
Saturday Aug 31, 2024
愛は絶対的なので、愛の関係を結ぶようになれば、全宇宙がその前に主管を受けるようになっています。創造原則がそのようになっているので、サタンが先に占領したものを神様がその原則を無視して、ただで奪ってくることはできないのです。もし神様の愛と一つになっているならば、誰が切るでしょうか。切る者はいないのです。
では悪魔サタンとは、何者でしょうか。神様を中心として見るとき、神様の愛の怨響です。すなわち姦夫なのです。これを許してしまったら、天地がひっくり返ってしまうので、本然の愛を取り戻すためには、許すことができないのです。これを審判せずしては、取り戻せないのです。それゆえ、不倫なる愛の関係を、神様は一番怨讐視するのです。これが拡張したので、神様は安着できないのです。
愛というのは、独りでいるときに生じても、愛は相手から来るという事実を知らなければなりません。愛の根拠地がどこかというと、私ではなく相手なのです。その高貴なる愛を受けようとするなら、頭を下げなければなりません。今日、この世の愛はすべて誤った愛です。このような血統的な問題があるために、神様も六千年間、苦労してこられたことを知らなければなりません。
ローマ人への手紙第八章23節を見ると、「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられる(養子となる)こと、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」とあります。養子になるというのです。神様の前には直系の息子になれないのです。養子というのは血筋が違います。
聖書を見ると、長子は祝福を受けられませんでした。神様は、悪魔サタンの子が初めて生まれたのを見たとき、どれほどあきれたでしょうか。打ち殺したかったことでしょう。アダムとエバも一度にみな、打ち殺したかったことでしょう。しかし、人間を創造されるとき、永遠であられる神様の前に絶対的な相対として創造されたので、破壊してしまえば神様の創造原則から外れることになるのです。創造原則から外れてしまうので、殴ろうとしても殴ることができず、打とうとしても打つことができず、破壊しようにも破壊できない立場に置かれているのです。
それでは、誰ゆえに失敗したのでしょうか。悪魔サタンゆえです。ですから、奪い返してこなければならないのです。奪う際には、悪魔サタンがすべて所有したので、サタンが前から引っ張っていけば、神様は後ろからついていくしかありません。それゆえ神様は、取り戻してくる計画を誰からすべきかというと、サタンが一番目の息子を引っ張っていったので、二番目の息子からしなくてはならないのです。
天使がアダムを主管しました。僕が息子、娘を支配したので、反対に天の側の人が僕を逆に支配しなければならないのです。コリント人への第一の手紙第六章3節を見ると、「あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である」という聖句があります。天使までも審判しなければならないというのです。それほどまでに途方もなく、それほどまでに高貴な人間なのに、今日の人間は、美人とか美しいものがあれば、「天使のように美しい」と言います。天使は比べるものではないのです。それゆえ、サタンよりもましでなければなりません。
神様が本来、主管すべき人は、サタンよりもあとに生まれたという人ではありません。サタンよりも先に生まれたという人を主管しなければなりません。生まれたのは、サタン側が先に生まれたのですが、天の側が先に生んで愛さなければならないのです。ところが、左にいるべき悪魔サタンが右に行き、右にいるべき神様が左に来たのです。これを逆にして正さなければならないのです。正すには、あとに生んではならないので、先に生まれたという立場を探し求めなければならないのです。
その次には、悪魔サタンよりも愛さなければならないのです。悪魔サタン側の息子よりも、天の側の息子のほうを愛さなければならないのです。愛そうとするならば、サタンと血統的な関係をもってはいけません。それで母親の胎内に取り込んで、再び息子が生まれて出てくるようになるとき、サタンは讒訴条件をもてないのです。そのようにして神様は、愛し得る息子を探し求めるための運動をしたのです。

Sunday Aug 25, 2024
イエス様の生涯と愛 第4話
Sunday Aug 25, 2024
Sunday Aug 25, 2024
サタンと血縁関係を結んで堕落した人類
創世記には、アダムとエバがサタンの誘惑に遭い、善悪の実を取って食べたとあります。取って食べるときは、目で見て、手で取り、口で食べたはずです。それならば、目を隠し、手を隠し、口をふさがなければならないのに、いきなり下半身を隠しました。こうしてエバが堕落したのです。
その次には、何も知らないアダムに向かって無理やりに、善悪の実を取って食べるように言いました。手で取って口で食べたはずなのに、取って食べたアダムも下半身を隠しました。人には、傷のある所を隠す本性があります。男性は顔に傷があれば、何とかして顔を隠そうとします。ましてや女性は、小さな傷があってもそれを隠そうとするのです。結局人は、傷のある所を隠したがるのです。アダムとエバが下半身を隠したということは、その下半身が傷になったからです。それは否定できません。
ヨブ記第三十一章33節に、「わたしがもし(アダムのごとく)人々の前にわたしのとがをおおい、わたしの悪事を胸の中に隠したことがあるなら」という聖句があります。結局は、恥ずかしい所を隠したのです。
それでは、人類始祖が不法なる不倫の貞操関係によって犯した事件があったという観点から、聖書を再び調べてみましょう。ヨハネによる福音書第八章44節を見ると、イエス様が不信仰な人たちに対して、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と端的に結論づけて語っています。それから不信仰なパリサイ人に対して、「まむしの子らよ」(マタイ一ニ・34)と指摘して宣布したのです。
これらのことを見ると、堕落した私たち人類は、血統的な関係で犯行を行ったと結論づけることができます。堕落しなかったなら、私たち人間は完成して聖殿となり、神様の体となり、神様の神性を受け得る神聖な体になっていたことでしょう。そのようなことが、神様の愛の中で成就されなければならなかったにもかかわらず、その体をサタンが侵犯することによって、サタンの僕となり、悪性を受けた人間になってしまったのです。
堕落しなかったなら、アダムとエバは神様の体になり、神様の愛の中で一つとなり、家庭を築いたことでしょう。そこに息子と娘が生まれれば、その息子と娘は、神様の息子、娘であると同時に、アダムとエバの息子、娘になるのです。神様が直接主管する家庭になり、氏族になり、民族になり、世界になり…。そのようになれば、地上に自動的に天国が形成されるはずでした。
ところが、悪魔サタンが侵入し、血統的に蹂躙することによって、アダム、エバと一つになり、子孫を繁殖したのが堕落です。その子孫が世界的に繁殖したのが、今までの人類なのです。
堕落しなかったなら私たち人類は、神様と共に真なる父母(アダム家庭)を中心として形成されたはずですが、堕落することによって、偽りの父母と偽りの息子、娘ができてしまいました。真なる世界の代わりに、悪なる世界になったということは、人類にとって恨めしいことであり、神様にとっても恨めしいことになったのです。
このように(サタンが)血筋を通して侵入してきたので、自動的にアダムの家庭を中心として繁殖していきました。悪魔サタンが、人類の中心になったのですから、サタンはこの世の王にならざるを得ないのです。それと同時に、私たちは切っても切れない悪魔サタンの血筋を受けて生まれたのです。血統的に原罪をもって生まれたのです。
神様の血統を受け、永遠に神様の愛を受けるべきこの体が、神様の怨讐であり、本然の人間に対しても怨讐である悪魔サタンの血を受けて、地獄に引きずられていかざるを得ない恨めしい立場にあるという事実を、今まで知りませんでした。神様を中心として平和な天国で理想的に楽しく暮らせる家庭をサタンが奪い、不幸と地獄の世界をつくったのです。それによって、神様は追い出されたのです。

Sunday Aug 25, 2024
イエス様の生涯と愛 第3話
Sunday Aug 25, 2024
Sunday Aug 25, 2024
人間は真のオリーブの木になれず、野性のオリーブの木になったので、切ってしまわなければならないのです。そして、再び真のオリーブの木に接ぎ木しなければ、救うすべがないのです。
ですから、人類歴史は宗教とともに出発したのであり、宗教は人類とともに流れているのです。なぜそうなのでしょうか。希望の道を発見しなければならないからです。神様は人間が堕落したその日から、創造主としての責任を担われ、堕落した人間を救う摂理を展開するために、歴史過程を経ながら今まで苦労してこられたということを私たちは知らなければなりません。
神様の約束を果たすために、神様のみ旨を中心としてこの地に来られた方が、イエス・キリストです。彼は過去の歴史時代において、人間が僕の立場にあるとき、神様と結んだ約束を果たして、養子と真の息子の因縁をもてる立場を立てるために来られたのです。僕が忠臣の道理を果たすときには、養子の位置に立てるのです。それゆえ、復帰摂理歴史を経てきながら、イスラエル民族に僕として忠誠を果たし得る土台を築かせ、養子の因縁を結ぼうとしてこられたのです。
養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。これが旧約時代と新約時代が連結する歴史だということを、私たちは知らなければなりません。
旧約を信じてきた人々は、僕として養子の恵沢にあずかることを望むのですが、それが正にメシヤが来ることを望む理由です。すなわち、メシヤによって僕の悲しい境遇を越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いなのです。養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。
そのようにして、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えられる恵沢にあずかることを望みながら歩ませたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神様のみ旨です。ゆえに彼らは、僕の境遇を免れ、神様の相続を受け得る圏内に入れる特権的なその時を願ってきたのです。それがイスラエルの選民思想なのです。
イスラエル民族を、世界を代表した民族、外的世界を相続できる民族として約束し、イスラエル民族とユダヤ教を指導してこられたのです。ここで、息子と養子が一つにならなければなりません。僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。そうしなければ、天国に入れません。言い換えれば、神様の血統ではなく、サタンの血統を受け継いで生まれた息子が、神様の前に養子として公認されれば、直系の息子は、アベルの立場でカインの立場にある養子を復帰しなければならないのです。
このような歴史的な因縁があるので、世界的な因縁を代表した教団と国として、養子圏の立場に立たなければならないのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。そして、直系的権威に立たなければならないのが、神様を中心としたイエス・キリストが提示したキリスト教とこれを中心とする世界国家でした。
このように、世界を代表したイスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に捧げるようになれば、一国と一教団を捧げることによって、すべての国とすべての宗教を統合し得る権勢をもって来られるイエス様と、連結されることが起こるようになるのです。
すなわち、イスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に奉献してこそ、イエス様がもってこられた天上・地上天国を、この地上で相続し得る圏内に入れるのです。イスラエルの国が僕として責任を果たし、イエス様を誠意を込めて迎えなければならなかったにもかかわらず、反対したためにその道が途切れてしまったのです。

Sunday Aug 25, 2024
イエス様の生涯と愛 第2話
Sunday Aug 25, 2024
Sunday Aug 25, 2024
第一章 イエス様誕生前の摂理
ー、メシヤ降臨のための血統復帰の摂理
神様は一つの特定の民族に約束をなさり、希望をもたせ、その民族を通して摂理を進めてこられました。その特定の民族が、イスラエル選民です。それでは、そのイスラエル民族の目的とは何でしょうか。世界の国を占領することではありません。イスラエル選民の願いは、世界を征服することではなく、メシヤを迎えることです。メシヤとは何でしょうか。救世主です。
救世主とは何でしょうか。真の人間の原型です。工場に行ってみれば鋳型というものがあります。ある物がつくられているのを見ると型があって、そこに材料さえ入れれば、ガチャンガチャンと何千個でも何万個でも同じ物が出てくるでしょう?救世主とは、そのような鋳型のような人間なのです。すべての人間のモデルなのです。
その方が来られることによって、その方と一つになれば救われるのです。質は異なっていてもいいのです。質は異なっても、形さえ一つになれば救われるのです。人がみな、イエス様と同じになることはできません。形さえ同じならばいいのです。丸い形ならば丸い形として、全く同じでなければなりません。そこに角があってはなりません。角があれば、その角を切り捨てなくては、合格品になれないのです。
人間世界に歴史上初めて、神様が描いた最高の型として、「人はこのようでなければならない」という、その型を代表して来られる方がメシヤなのです。イスラエル選民は、そのメシヤが来ることを願ったのです。今日の世界もそうです。今日、世界中の宗教は、すべてメシヤ思想をもっています。
メシヤは生命を中心とした心の愛と、生命を中心とした最高の人格の標準になる方です。この方を一つのモデルにして、今までサタン世界で受け継いだ信念や愛の感性をすべて埋葬し、無の状態にしなければならないのです。そして本来、堕落していないアダムの体と同じ、本性である心の愛を中心として一〇〇パーセント和合できる体を見つけなければなりません。次に、本然の心の愛を実体の体と結びつけて、堕落の因縁を抜け出した一人の男性にならなければならず、神様の体、すなわち内的な聖殿を築き、神様と一つになって登場できる一人の男性にならなければなりません。このような男性がメシヤです。
メシヤとは何でしょうか。人類で初めて、神様の愛を中心として生まれた愛の先祖です。したがって、イエス様や再び来られる主は、本然の心を中心とした愛の世界の父、宇宙の愛の父になるのです。私の心と体は互いに離れられません。体は心の愛を受けなければならないのです。
心と体が一つとなった立場に立っていない人間は、そのような立場に立っているという条件を立てて、神様に接ぎ木をしてもらわなければなりません。メシヤと堕落人間は種が異なるので、幹を切って接ぎ木されなければなりません。これが今までの復帰摂理の経路です。

Sunday Aug 25, 2024
イエス様の生涯と愛 第1話
Sunday Aug 25, 2024
Sunday Aug 25, 2024
はじめに
文鮮明先生は、世界の宗教界、学界、政界など各界の指導者から、八つの分野について最もよく知るチャンピオンであると言われています。八つの分野とは、以下のとおりです。
(一)神様
(二)サタン(悪魔)
(三)人間
(四)霊界
(五)イエス様
(六)聖書および各宗教の経書の核心内容
(七)人類歴史
(八)真の家庭の価値
本書は、文先生が今日まで語ってこられた説教(『文鮮明先生御言選集』)の中から、イエス様の生涯に関連するみ言を抜粋し、編集した『イエス様の生涯と愛』(二〇〇二年、韓国・成和出版社発行)を翻訳し、整理したものです。
二千年前に人類救済のためにイエス様が、どのような心情と事情の中で歩まれたのかを理解することができるとともに、自分自身があたかもその場にいたような錯覚すら覚えることでしよう。また、聖書に登場するマリヤ、ヨセフ、洗礼ヨハネをはじめとするイエス様の周りの一人一人には、どのような使命があり、どのような責任を果たさなければならなかったかについても明確に記されています。
一般的に、キリスト教の信仰を受け入れることの妨げになっている理由の一つに、マリヤが聖霊によってイエス様を身ごもったことや、イエス様が十字架にかかったとき奇跡が起きずに亡くなられたことが挙げられます。今日まで誰も明確に解くことのできなかったこれらのことについても、文先生は聖書の記述に沿って詳しく述べておられます。
文先生は、一九四一年から二年半、日本に留学されました。その後、再来日されたのは一九六五年一月のことです。約二十一年ぶりに日本の地を踏まれた文先生は、日本統一教会の青年たちに多くのみ言を語られるとともに、教会員と交流の場をもたれました。そのとき、ある青年がイエス様の人物像について質問をしました。
そのとき文先生は、天井を見られてからすぐに下を向かれました。そのときボタボタと水滴が畳に落ちる音がしたのです。それは、イエス様の心情をよく御存じである文先生が、悲しい孤独な道を歩まれたイエス様を思って流された涙でした。
イエス様は、三十三歳で十字架にかかって亡くなられました。一般のキリスト教では、イエス様は十字架で死ぬために来られたというのが定説です。ところが本書で文先生は、イエス様は死ぬために来られたのではなく、結婚し、神様を中心とした家庭を築き、地上天国を創建しなければならなかったと説かれます。それだけでなく、イエス様は十七歳、二十七歳、三十歳のときに結婚したいと家族に告げたと、文先生は語られています。
文先生が解かれた内容は、今までのキリスト教の教理と異なる点があるため、文先生は世界的に迫害の道を余儀なくされました。しかし現在、世界の多くの有識者が文先生の人格と教えと活動に感動し、神様を中心とした世界的な運動と基盤が築かれつつあります。
本書を通じて、神様がイエス様と文先生に託された神様の理想(神様のもとの一つの家族)が、一日も早く、世界に実現されることを祈るものです。
二〇〇九年六月吉日