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Monday May 13, 2024
御旨と海 第97話
Monday May 13, 2024
Monday May 13, 2024
善悪二つの世界
1981年 2月15日
先生の活動はただ単に宗教活動だけではありません。このために人々は、先生が実業家であるとか、学者であるとか、映画製作者であると言うのです。先生は人生のあらゆる側面を、同じ愛の原則でもって取り扱います。魚釣りに行く時ですら、それは自分自身が楽しむためではありません。先生は決して自分の根本的な使命から離れることはありません。だからマグロですら先生の方に引き付けられて来るのです。
いつも先生は二つの世界に、最も自然に生きています。つまり、高い世界と低い世界の間を行ったり来たりしています。朴先生が昨年の夏、南アメリカに行った時、彼は七カ国の大統領に会い、もてなしを受けました。彼がこのように非常な栄光を与えられたのは、彼が先生の補佐官であったからです。しかし、彼が帰って来てモーニング・ガーデンへ先生に報告に来た時、彼は家の中で先生を見つけることができませんでした。結局先生を見つけることができたのは、裏庭の物置で数人のメンバー達と魚釣りのために道具を直していた時でした。先生の人生においては、高いものと低いものの両極端を抱擁して来ました。神様の御旨は、これら二つの極端を調和することであり、神様の力のみがそれをなすことができます。真のムーニーというのは、愛の生命力を人格としたものです。だから我々は、この二つの世界を一つに結び付けることができるのです。
我々の身元
1981年 4月 1日
先生は、おそらく今年の夏もグロースターで背広の代わりに漁師の服を着て、魚釣りをしていることでしょう。たとえ皆さんが魚臭い漁師の着物を着ていたとしても、善なる側は同じであり、常に上昇して行きます。皆さんは、今いる所よりも下がることはありません。たとえ我々が乞食の立場に自らがいるのを見出だしても、我々はそれ以上下がることはなく上がって行くでしょう。先生は正しい伝統を残すために、ここに住んでいます。将来、若者達が、先生が刑務所で過ごした経験について学ぶ時、それは彼らの心に火を付けるでしょう。先生は刑務所の生活が将来のための強い伝統を残すことになるであろうことを知っていたので、刑務所の生活を耐え忍ぶことを決して厭いませんでした。
我々の理想的な家庭(第二部)
1983年 6月26日
皆さんがファンダレージングに出かける時「自分はこんな暑い日にこんな所にこうしているが、お父様はどこかで船に乗っているのだ」と考えるかもしれません。しかし先生が海に出かける時は、一日とか一週間、気晴らしで出かけるのではありません。先生はオーシャン・チャーチを人類のために創設しました。将来のためにその伝統を打ち立てなければなりませんでした。そのようなことをすることができる者は他に誰もいません。
先生はこれまで、オーシャン・チャーチについて幅広く語りました。だからアメリカのメンバー達の中には「もうオーシャン・チャーチについては何も聞きたくない」と考える人がいるかもしれません。しかし、誰がアメリカの海に対して責任を取ることができますか。どんなに難しかろうとも、先生はその責任を取るつもりです。それが先生の決意です。皆さんは海に行くのがどんなに嫌であろうとも、先生はこの国のために海に行き続けるつもりです。そのような基盤を造った後で、このメッセージがアメリカの若者に理解されることを先生は知っています。皆さん達は「先生の言うことは好きだけれども、先生のしていることは好きではない」と言うかもしれません。先生のしていることを好む人と、好まない人に分けることができます。皆さんアメリカの若い男達はどうですか。皆さんはオーシャン・チャーチを好きですか。皆さんは口でだけ忠実なのですか。
今年の夏のマグロのシーズンの間、我々は五十万㌦のお金を使うでしょう。毎年我々はマグロ釣りのためにお金を費やして来ました。しかしそれでも、我々はそれをしなければなりません。他の誰もそれをしている者はいません。マグロのシーズンは夏だけです。だから一年のその他の時期は非生産的です。だから先生はその他の魚、例えば、カレイ、平目、鯵などや、その他の魚をそれぞれ季節に従って捕ることによって、マグロ良を補うための全般的な計画を持っています。我々は成功する事業のための基準を打ち立てて、一年中様々な異なった魚を用いるようにしなければなりません。
皆さんが一度海に出れば、海を愛するようになるでしょう。しかしそうするまでは、海は、見知らぬ存在です。皆さんは先生がマグロ釣りの専門家として生まれたと思いますか。そうではありません。先生はイロハから学ばなければなりませんでした。そして毎日、来る日も来る日も働き続けて伝統を打ち立てました。今や先生は、他のマグロ釣りの漁師達の間で専門家として知られています。先生は計画を立て、そして七年ないし八年のシーズンに忠実に実行し、遂にマグロの釣り方を知るようになりました。そのようなことは単なる趣味としてとか、ただ海を楽しみたいと思っていろような人には到底達成することができません。
先生は昨日、神学校の七回目の卒業式で話をしました。その後、親や教師達が皆周りにいる時に、先生は魚を釣るための衣服に着替え、再び船に乗りました。ハドソン川は荒れていましたが、それでも先生は出かけました。それを見ていた人達は、先生を風変りだと思ったかもしれません。しかし彼らは我々の目標が何であるかを理解していません。先生の足が、毎日立っていることで腫れ上がっても、その足を叱りつけてそして働き続けるように命令します。このようなことは、楽しいからするのではありません。先生はこの仕事に非常に真剣なのです。
宗教指導者として、先生はマグロを殺すことを決して楽しみにしていません。マグロが血を出してそして辺りの水を染める時、そのような光景を決して楽しむことはできません。先生は深い祈りの中でそうしたマグロ達に詫びて、そして彼らが分かってくれるように乞求めるのです。先生は彼らに対して「お前達はアメリカの人々のために自らを捧げなければならない。なぜならば、アメリカの人達は神様と天宙にとってもっと重要だからです。先生は全人類のために捧げる供え物として、お前達を必要としています。だからどうかお前達自身を捧げてほしい」と言ってやります。神様と天宙はそのことを知っているので、神様と天宙は我々を助けてくれます。だから我々の海洋事業が栄えつつあるのです。皆さんはこのことをはっきりと理解しなければなりません。
人類のために海に出て行くことは、正しいことです。こういう観点から見ると、先生の伝統に従いたいと思う正義のアメリカ人は誰ですか。先生はそのようなアメリカ人を十年以上も探して来ました。ことによると、ここで基準を作るために日本から人々を連れて来なければならないでしょう。それからアメリカ人がそれを受け継ぐことができます。しかし、日本人が成功しないなら、韓国人を用いるつもりです。もし彼らが失敗すれば、正しい伝統を打ち立てるために、先生自身の息子、娘達を送るつもりです。そういう理由で今年の夏、祝福の子女達を連れて来ました。このようなことをするのは初めてです。しかし我々は海に対する目標を達成しなければなりません。
アメリカは海洋資源開発のチャンスを失うでしょう。なぜならば、その方面に対する主導権を取ろうとしないからです。他の多くの国々はアメリカ人から海を奪いつつあります。先生はオーシャン・チャーチの伝統を打ち立てるために、原理に従ってゆきました。そして、先生はアメリカ人にチャンスを与え、海における魚釣りに参加させるように奨励し、それを心待ちにして来ました。しかし、なおも皆さんがそれに応えないなら、他に何ができるでしょう。海を最も愛する人が、海の支配者となるのです。先生は、海を誰よりも多く愛そうとしています。
皆さんは、こういう先生の考えを退けてはいけません。それは非常に重要なことです。アメリカ南部にある造船会社は、マスター・マリン以外すべて倒産してしまいました。我々の会社もまたしばらくの間欠損を出しましたが、営業を止めませんでした。我々食口が行う事業は、愛に基づいています。もし皆さんの心情を本当に事業に投入するならば、決して失敗しないでしょう。なぜならば、神様と天宙が皆さんを支えてくださるからです。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第96話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
我々の義務と我々の使命
1980年10月 5日
我々はオーシャン・チャーチを始めました。世界は三分の一が陸地であり、三分の二が海であることは明白な事実です。人は海に棲むあらゆるものを食べることができます。海にある植物を含めて、あらゆるものを食べることができます。皆さんは、陸地息しているあらゆるものを食べることができますか。海には陸にあるものは何でもあり、それ以上のものがあります。何千種もの魚がいます。アメリカ人は陸地で育った動物の肉を好んで食べますが、しかし彼らは海の生物の肉を食べることを知らなかったのです。最近になってアメリカ人は、魚の方が動物の肉より良い蛋白質であることを学びました。そして彼らは、魚を汚染されていない自然食品であると考えまています。今や彼らは長生きできるように、魚を食べることにますます興味を持つようになっています。
ワイオミングで、ある牧畜業者が先生に、牛は大量に買えば一頭につき二十ドルから七十ドルで買うことができると言いました。ニューヨークでは牛肉は一頭四百ドル以上もします。大きなマグロは一ポンドにつき三ドル五十セントします。そしてマグロは千ポンド以上するものもいます。一年にもし大きなマグロを一本捕れば、それで約四千ドルの収入になります。マグロは産卵期には百五十万個の卵を産みます。しかし牛についてはどうですか。牛は一年に、一頭か、精々で二頭の子供を産むだけです。
牛を育てて一年中それを育てることの方が得ですか、それとも海に出かけて行ってマグロを一本捕ることの方が得ですか。先生は「牛」という名前よりも「マグロ」と言う名前の方が好きです。もし皆さんが一年にマグロを一本捕れば自分の生活を守ることができます。皆さんは自分に対して、なぜ上役からいつも頭の痛いことばかりをさせられるような平凡な仕事にしがみつかせているのですか。一年間家族を養うのに、たったマグロを二匹捕ることの方が良いではないですかと助言してみたらどうでしょう。皆さんが二匹マグロを捕ることに自信を持てば、生活に必要なお金を作ることには心配がなくなります。
アメリカの漁港は衰退しています。それはなぜかと言えば、若者達が魚を釣りに行きたがらないからです。そこの町の人々は彼らの町が復活するのを見たいと思っています。彼らは、海にはすばらしい未来があることを知っています。我々の指導者達は、先生が選んだ町へ行って町の指導者達に話をして、そしてなぜ我々がそこに来ており、我々が自分達のお金で何をしようとしているのか、どのような活動をしようとしているのかを話すように指示しました。我々が本当に漁業をもう一度繁栄させようとすることに全力を挙げていることを人々が知れば、我々を応援しようというグループが現われ、そして我々の海へ行くクルー達を訓練するのを手伝おうとするでしょう。
我々は、海で働くことに興味を持っている若者にはプログラムを提供し、彼らに対して我々がどういうものであるかについて示すつもりです。そしてもし彼らが我々のように神様を崇拝することを好むならば、我々は彼らを志願者として受け入れるでしょう。五人の乗組員が集まればすぐ一隻の船を割り当てます。このようにして、三十箇所にあるセンターで誰がより良い質の人々を連れて来るかを競争するようになるでしょう。
オーシャン・チャーチは現在の州教会の制度と、どちらが多くの成果をもたらすでしょうか。仕事が拡大するにつれて、それぞれの船がその下に十隻の船を持つようになり、まもなく我々はアメリカ中の海岸自体に三十隻の大きな船と三百隻の小さな船を持つようになるでしょう。
マッチングを受けていないメンバー達は陸上の教会に属するメンバーと受けたいと思いますか。オーシャン・チャーチのメンバーと受けたいと思いますか。それは皆さん次第です。皆さんがその人と生活しなければならないのであって、先生ではないからです。このオーシャン・チャーチが軌道に乗った時には、人々はこれがその人々の町を復興してくれた記念碑として大事にするでしょう。アメリカは世界の四大漁場の三つを持っています。しかしアメリカはそれを利用していません。なぜならば、このアメリカでは魚に対する実質的な市場がないからです。我々の組織の良い所は、我々自身が自分の船を造り、自分自身で魚を捕り、そして我々の店で魚を売るということです。
アメリカの漁業は衰退しつつあります。その理由は、第一に海に出て行く生活は陸上の生活よりも厳しいからです。若者達は厳しい生活を望みません。第二の理由は、アメリカでは魚の物流経路が確立されていないということです。卸売り業者達は時には魚一ポンドにつき、たった五セントしか支払いません。これはばかげています。第三番目に、夫達が海に出かけていると、その家庭が崩壊し始めるということです。このような状況において、誰が海に出かけて行こうとするでしょうか。ただ統一教会のメンバーだけです。我々はこういうすべての分野においてのテストに合格します。
技術が進歩したために、自動操縦で船を操作することが簡単になりました。機械にどちらの方向に行くかを指示すれば、船は自動的にそのコースに従がって行きます。だから今や弱々しい若い女性ですらも、かつてはがさつな船長が座っていた船長の席に座ることができます。たとえ自動操縦によって船が操縦されているので何もすることがなくて居眠りしていたとしても、そのような女性を見て神様は何と心を引き付けられることでしょう。先生もそれが好きです。何とそのような女性は美しいことでしょう。
皆さん女性達、いつかそのような船長になるつもりがありますか。海には鮫がいることを忘れてはいけません。女性達でさえも行きたいとするならば、どうして男達は後ろに引き下がっていることができますか。皆さんはそのような男達は蹴とばさなければなりません。海に出かけたいと言う人達がいますから、第一の問題は片付きました。第二に、魚を販売することは我々にとって問題ですか。女性達はそれは問題ではないと言うでしょう。ただ第三に皆さん妻達は、夫が長い漁に出ている間に夫から逃げてしまいますか。たとえ夫達が六年間海に出かけて行ったとしても、夫達を捨てることはしませんか。このような海洋事業は、本当に統一教会のメンバーのために予定されています。
皆さんにとって重要なもの
1981年 2月 1日
統一教会には世界のいろいろな所から来ている五色の皮膚の人達がいます。我々の目標は、この人間を一つの家族に統一することです。統一教会の生活は複雑です。ただ単に日曜日の礼拝だけでなく、船を造ったり魚を捕ったりすることを含めて、あらゆる種類のことがあります。将来はさらにもっと夢のようなこともあるでしょう。
船を造ることにも同じ原理が適用されています。我々のメンバーは、最も素晴らしい船を、最も安い費用で造っています。彼らがそうすることができる唯一の方法は、犠牲的に自らを捧げることによってです。このような過程を通して最も美しい船が造られており、他の誰もそれと競争できるような船を持っていません。同じような精神で我々は世界を創り、国を創るのです。もし我々ムーニーが最も安い費用で最もすばらしい国を築くならば、共産主義が忍び寄る余地はないでしょう。
例えば、先生は漁場においてはいかなる競争相手も、先生を打ち負かすことができないような規範で働いています。一度先生が何かを宣言すれば、それは全世界の中をこだまします。人々は耳を傾けざるを得ません。先生は単純な原則に基づいて働いており、先生には計画があります。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第95話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
我々におかれた信頼
1979年 1月 3日
最近先生は、何人かの教会の長老達に世界を旅行し、統一教会の活動検討するようにと招待しました。彼らは先生が世界中で様々なことをしていることに驚き「レバレンド・ムーンにできないことは何もない。そして彼がしていないことは何もない」と言いました。先生は今日海へ行くつもりでしたが、天候が悪くて行けませんでした。人々の中には、先生はは安息日には休息すべきであるという人がいるかもしれませんが。神様にとっては安息日もまた働く日なのですから、多くの魚を必要とする人達のために海へ行って捕ることは、神様自身の基準に適うことなのです。我々の概念において、聖日というのはただじっとしている日ではありません。出かけて行って、喧嘩している人々を仲直りをさせることの方が遥かに良いのです。
歴史と記録の作る者
1979年 7月 1日
皆さんがマラソンで勝つためには何年かかりますか。三年ですか。十年ですか。無敵のレバレンド・ムーンにとっても、この路程を来るのに六十年かかりました。そしてまだその競争を終えてはいません。昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく「先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか」と思っていたことでしょう。
ある人が愛を占領する時に、その人は他のすべての権威と威厳をも占領するものです。記録を作る人こそ、神様と歴史が見ている人です。神様は、皆さんが記録を作るような者となってくれることよ期待しておられます。そして今が、それをなすための千載一退遇の機会なのです。先生は現在、漁業に多くのエネルギーを投資しています。それを成功させたいと決意しています。皆さんが先生の願い受け入れる時、皆さんもその分野のチャンピオンとなるように、仕事に本腰を入れるべきです。先生はすべての神学生と教会の指導者達が、一年半は海での任務を果たすために海に行って欲しいと思います。現在アメリカの漁業を指導し、主張する主人は誰もいません。なぜならば、この分野は神様が天の摂理のためにとっておかれた分野だからです。
もし先生が十分な魚を供給して、統一教会のメンバー達は六カ月の間、魚以外の何も、パンすらも食べてはいけないと言ったらどうしますか。我々は良い魚はすべて商売に使って、自分達は残り物を食べるつもりです。神様は我々が残り物だけを食べるべきではないと言われるでしょうか。それとも、神様はそのような我々に感動されるでしょうか。我々は誰のために苦労するのですか。神様と人類のためです。こうすることによって、神様を目に見えない網で包んで話いるのです。そして神様を我々の虜としているのです。そうすれば我々がすることはただ網を引っ張ることだけです。そうすれば神様は我々に従って来ざるを得なくなるのです。
摂理の歴史的観点
1979年 9月18日
皆さんは、力を受けるとゴムボールのように弾むことができる人ですか、それとも砕けてしまうような人ですか。我々はただ弾力性があるだけでなく、それと同時に忍耐強い人を必要としています。アメリカの宗教はハリケーンの中に捕らわれた船のようなものであり、政府もまたなす所がなく、またアンカーすらも持っていません。海が荒れて風が強く、船がコントロールを失って揺れ動く時、どうなりますか。そのような危険な状況の中に我々は生きているのです。
統一教会の中にいる我々にはアンカーがありますか。神様が我々のアンカーであり、先生はロープです。ということは、皆さんが生き残るためにしなければならないことは、ただロープにしがみついていれば良いということです。皆さんは直接にアンカーにしがみつく必要はありません。アンカーはいつも海中深くにあるからです。だから皆さんがしなければならないことは、ロープを握って、それにしがみついているということです。他の教会は美しい金のロープを与えているかもしれません。しかしそのロープの底にはアンカーがついていないのです。統一教会のロープは質素なものですが、しかし下にはアンカーがあります。自分達の美しいロープを宣伝する人達は我々を批判します。政府すらもそのロープがいかに大きいかを自慢し、また統一教会がいかに魚臭いかということを言っています。しかしながらその違いは、我々にはアンカーがあるが、彼らにはないということです。
MFTに対して
1980年 1月 2日
アメリカは海に取り囲まれていますが、海を征服したことがありません。先生はアメリカの漁業と港を再生させるために、漁業を率先して始めました。これは我々にとって誇りです。海には莫大な資源が眠っていますが、誰もまだそれを受け取った者はいません。我々はそれを神様から受け継いでいます。我々がしなければならないことは開発することだけです。
全体的な自己再評価
1980年 9月14日
皆さんは、自分は一生懸命働いていると思っているかもしれません。しかし先生の基準から見れば、皆さんは余りにもリラックスし過ぎています。先生が一日中魚釣りに出かけた時は、一瞬足りとも気を抜いたり、居眠りしたことはありませんでした。いつも先生の心は忙しく働いていました。先生は海の広大な水平線を見る時、平和な新しい世界の夜明けを見、かつ全責任が自分の肩にかかっていることを見るのです。だから一瞬足りとも怠けて過ごすことができるでしょうか。
先生は誰に対しても、三十六家庭に対しても、その他の誰に対しても負債を負うことはないでしょう。これまでなして来たことに対する貸しを受け取るのです。例えば、漁業の分野においは、先生は過去六年間開拓の道を築いて来ました。皆さんは、第一回の国際マグロ釣り選手において、誰が勝ったか知っていますか。先生の船が最も多くのマグロを釣りました。先生はマグロ釣りにおいてすら二番になることを望みません。あらゆる分野において、あらゆる競争において先生はいつも一番でした。
毎朝先生は午前二時から三時には海に出て行きます。そして真夜中に戻って来ます。これまでマグロ釣りは楽しむスポーツでしたが、先生がそれを始めるとマグロ釣りは戦いとなりました。普通漁師は、午前九時か十時に出かけて行きます。しかし彼らが先生を打ち負かそうとすれば、もっと朝早く出て行かなければなりません。彼らが朝五時に出て来る時には、既に先生は外に出ているのです。先生がこれを始めた時、マグロの値段は一ポンド十セントでした。しかし今や、二ドル五十セントまで押し上げました。いずれは一ポンド五ドルまで上がるでしょう。このようにして先生はマグロを釣る漁師達に繁栄をもたらすつもりです。なぜならば、マグロ釣りの漁師達は過去において貧しい生活を強いられたからです。過去において何らの理由もなく先生に反対した人達は、今や先生が漁師達を助けており、また地方の経済を復活させているのだということを認めつつあります。ヨーロッパの指導者達が今回来た時、彼らは本当に一生懸命働きました。我々は多くの船を造っています。それは小さな船ばかりでなく、三十ないし四十フィートの長さの船を造っているのです。専門的なマグロ釣りの船は百五十フィートの長さがあり、二十五人の乗組員を運ぶものです。先生は将来そうした船をたくさん造るつもりです。そうすれば、先生は各国の責任者達をそれらの船の船長に指名するか、あるいは単なる漁師となるように指示するつもりです。彼らは右や左を見る時間はなく、ただ真直ぐに行くだけとなるでしょう。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第94話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
我々の新しく生まれた自己
1977年11月 1日
二週間前、先生はアメリカの造船の都として有名なアラバマに行って来ました。そこで我々の船を建設することができる造船所を買おうと見て回りました。皆さんは我々の工場が中途半端なものであって欲しいと思いますか、それとも一番であって欲しいと思いますか。それを口で言うことは易しいことですが、実現することは容易ではありません。我々が一番になるためには、誰よりも一生懸命働かなければなりません。それは厳しい仕事になるでしょうが、先生は皆さんを押し出すつもりです。アラバマとの造船所で女性はひとりも働いていませんでした。そこで先生は、これこそが我々が歴史を創ることができる一つの方法だと考えました。先生は、女性達を造船所で働かせようと思います。もし皆さん達が女性が溶接工になれば、皆さんの指や顔はそのあとがつくかもしれません。それでも構いませんか。今、一九七七年十一月一日午前七時四二分、皆さん女性達がアラバマの造船所の溶接工になりたいと誓いました。だから今日、あなた達男達は失業です。もし女性達がそれだけのことをするつもりがあるならば、男達はもっと一生懸命働に夜中まででも働かなければなりません。
先生は何年も前から、先生が決意して造船と漁業に介入しなければ、この国でこの二つの産業が生き残る希望はないということを知っていました。アラバマで二人のすばらしい人に会いました。それはこれまで生涯をかけて造船のために生きて来た父親と息子です。今はたくさんの人達が海に出かけるので、造船業は一つのブームの中にあると彼らは言いました。そこで先生はこう答えました。「それは本当なのかも知れないが、今後将来、二、三年経ったらどうなるだろうか」すると彼らは思慮深げに応えました。「レバレンド・ムーン、我々はそのことまで考えませんでした。あなたの考えは正しいでしょう。男達は何の強い熱意も持っていないし、またアメリカの女性達は、夫が海から帰って来るまで忍耐強く待つここができません」。
過去において、しばしば漁師の妻達は夫を裏切りました。そのような傾向をひっくり返すために、我々はどうすべきでしょうか。先生は、皆さんを溶接工と船の船長にするつもりです。しかし、我々の漁師達は妻が逃げ出すことを心配する必要はありません。もしムーニーがそのようにすれば、アメリカの残りの人達は、我々に負けて、すべてを譲り渡すなどということには決して直面しないでしょう。一度彼らが我々と競争しようと決意すれば、海洋事業は復活します。先生はアメリカの若者達が海に出かけたいという動機を持つように、彼らにビジョンと希望を与える決意です。海は広大で未開な領域であり、勇気ある人間によって利用されることを待っています。我々はそれを率先してやりたいと思います。アメリカは、海を征服することによって偉大な国家となるチャンスがあります。しかし、もしアメリカの人達が海を無視し、ただ自己満足した生活を望むのであれば、アメリカには世界を指導する国家となる希望はありません。アメリカはこのことに対して盲目です。
先生はこの道を先導しており、統一教会はそれに従って来るでしょう。先生は、あたな達美しい女性が船の船長となって海に出て行き、海のことについて非常に良く理解し、男達もその命令に従うことをいとわなくなる姿を見たいと思います。そうすれば、人々はムーニーの力を認識するでしょう。先生はまたあなた達女性を多くの会社の社長とし、そしてハーバード大学やエール大学を卒業して雇われる人達が全員、皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんは体が小さく弱々しく見えますが、しかし、船の上で男達が死を恐れる時には、皆さんのような女性達が指導権を握って命令を与え、そうした状況を乗り越えるでしょう。皆さんはまた、自分の赤ん坊を連れて行くことも考えて良いでしょう。先生はこのような考えで非常に興奮しています。先生は、アラバマでの事業を視察して歩くことを計画していました。お母様はそれを躊躇して「お父様、それは男の人の仕事です。だからあなたは行ってやってください。私は家に残ります」と言いました。しかし先生は、お母様にとにかく一緒に付いて来るべきだと言いました。
先生はあなた達女性が船の船長となり、皆さんの夫達が一等航海士となる制度を打ち立てるつもりです。だからあなた達男性も、船長が命令を与える時には、例え船長が自分の妻であったとしても、「はい、分かりました」と言わなければなりません。男達はそのことで気持ちが良いですか、悪いですか。もし皆さんが鍛えられた船長であれば、皆さんが男であれ女であれ何の違いもありません。クルーは従わなければなりません。
我々はこのような事業を始めることによって、我々のためだけに何百万ドルもお金を儲けようとしているのではありません。我々は世界を見ており、この国を見ており、そして本当に世界に変化をもたらすための準備をしているのです。将来我々が何千隻もの船を持ち、先生がアメリカ政府に対して「多くの農民達が何もしないでおり、そして何もしないことで政府から多くの補助金を受け取っています。それは何とばかげた制度でしょうか。アメリカ政府は穀物を育てないことに対して、農民達にお金を払っています。しかし、その間も世界の他の地域では、何百万の人達が飢えています。だから農民達にもっと穀物を作らせなさい。そうすれば、我々が貧しい人達に食料を与えるために、その食料を世界中に運びましょう。我々にはそれをする船があります」と言うことができます。
漁業には時期があり、一年に十二カ月漁ができるわけではありません。だから漁業シーズンでない時には、世界中に物を運んではどうでしょうか。皆さんは船を穀物で一杯にして、多くの人々が飢えている国へ向かう船の船長になるのです。どう感じますか。先生は、そのような船長として女性の中の最も小さい人を選び、それらの女性に公的な勲章を付けた特別な帽子をかぶらせようと思います。みんな夢を持つべきです。先生は誰よりも大きな夢を持っていますが、皆さんとの違いは、先生の夢は実現するということです。
ワシントン・モニュメント記念日にて
1978年 9月18日
先生はその当時魚釣りをしていましたが、しかし魚を捕ることだけが目的ではありませんでした。先生の心は完全にワシントン・モニュメントに集中していました。そしてそれ以外のことは何も考えませんでした。
我々の立場
1979年 1月 2日
我々はただお金を儲けるために、漁業を始めたのではありません。そうではなく、アメリカの経済を再建するために始めたのです。五年間、先生はその伝統を打ち立てるために、そして最善の道を見い出すために毎日働いて来ました。政府の役人の中に、先生がしていることを耳にした人がいます。そして彼らは、先生がアメリカが漁場を放棄することはできないと見通しているということに対し、何と先見の明がある人であろうかと言っています。五十年間、アメリカの漁場は衰退して来ました。しかし、やがてアメリカの漁場が、アメリカを養うことになるでしょう。先生は誰よりも遥かに早く出発しました。過去三年間、我々は何百万ドルものお金を投資して一ペニーも儲けませんでした。皆さんは諦めるべきだと思いますか。
永遠の幸福
1979年 2月25日
先生は農場に行けば良い農夫となります。水産のビジネスに入れば、先生は漁師の一人となります。先生は生の魚を食べることができ、また魚の内臓を手掴みにして食べることさえできます。先生のできないことは何もありません。もし鉱山に行けば、鉱山を掘ることがで自分の天職であるかのごとく、毎日一生懸命掘るでしょう。先生はスラム街に行って人々に話しかけ、そして彼らの心を勝ち得ることもできます。こういったことをすべてやらずして、自分の目的が何であるか知ることができるでしょうか。
統一教会二十五周年記念
1979年 5月 1日
統一教会は韓国で創設されましたが、それは地方の目的のために始められたのではありません。世界的な摂理のために宗教的な意味を持って始められたのです。一滴の水が山深くから出発し、山腹を滴り落ちて他の水と合流し小川となり、やがて大河となり、ついには海へと入って行きます。そのようにして世界中を駆け巡るのです。
文化というものは他の文化と混じり合います。そして、そのような中からすべての人々を向上させるような良いものが出て来るのです。これはまた宗教の発展についても言えることです。最初はわずかな人達が集まるだけです。それは丁度、様々な山から水滴が集まって来るようなものです。それからもっと多くの人達が一緒に集まり、川をなし、海へと流れて行って、常に人間の水準を高めるのです。
もし先生が今年の夏マグロ釣りに行くとしたら、先生と一緒に行こうと志願するのは誰ですか。女性達はどうですか。先生は船を一隻持っていますが、それに何人乗れるか限界があります。だから先生は皆さんのすべてが乗ることのできる船を、もっともっと多く造ろうと思います。そうそれば我々は、一大艦隊を持つようになるでしょう。女性を船長にするでしょう。そうすれば皆さんの夫達も船長になって欲しいと思いますか。ということは、皆さんが漁師と結婚したいということですか。
イエスはペテロに漁師となれと言われました。漁師となることは決して悪いことではありません。しばしばアメリカの女性達は、男性達よりも強い者がいます。だから先生は二百海里の制限は、アメリカの女性達のために神様が取っておかれたのだと思います。先生はそのことを信じているだけでなく、そのことを知っておられます。皆さんが船一杯の魚を捕る時に、先生は皆さんを認め、受け入れるでしょう。
我々が造船業をするための新しい土地と建物を手に入れたことを皆さんは知っていましたか。皆さんは金持ちとなるために何をしますか。この国の漁師達は、最も給料の少ない専門家の部類に入ります。だから我々は彼らのために最も良い学校と、最も生活水準を築いてあげようと思います。今は人々が楽しみのために海岸に行きますが、近い将来いつの日か、彼らは海岸へは仕事をするために来るようになり、その代わりレクレーションのために山に行くようになるでしょう。もしそのようなことが自然に現われないならば、先生がそれを作るつもりです。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第93話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
我々の誇り
1977年 6月 5日
先生はニュー・ホープ号と呼ばれる船で海に出かけます。人々は先生がただ楽しみのためだけにニュー・ホープに乗ってい行くと思うかもしれません。しかし、毎日先生は多くの材料を集めています。神様は海の下に無限なる資源を隠しておられます。そして海は将来、世界の発展の鍵となるでしょう。
海の事業を開拓する路程において、我々は時々何らかの犠牲を払わなければならないことを先生はよく知っています。いずれも我々は、何百隻もの漁船を持つことになり、それらの中には海で遭難するものもあるかもしれません。しかし、たとえ夫や兄弟を失ったとしても、それが我々の開拓の熱意を妨げることはないでしょう。なぜならば、その仕事は人類のためであるからです。
我々は海を支配する者となりたいの思います。海は陸地よりも二倍大きいのです。さらに海の下には広大な資源があります。困難も克服する国が、海を征服するでしょう。我々は陸地を主管することを最初に学びました。それと同じ開拓精神で、我々は海をも征服することができるのです。
我々の戦いは今陸地で行なわれています。そして我々は迫害の嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者とならなければなりません。そうすれば本当の嵐が来る時でも、我々はそれらを歓迎することができるのです。アメリカにやって来たピルグリム達は開拓者でした。そうでなければ、特に嵐の季節に太西洋を横断するようなことはしなかったでしょう。彼らは不確かな運命が自分達の先に横たわっており、生命の保証もないことを知っていました。彼ら以前にその新世界に到着した人はほとんどいませんでした。しかしそれでも彼らは出かけて行きました。神様に対する希望と信仰によって困難を克服しました。今二十世紀における我々もまた、神様に対する信仰を持って荒海に乗り出す船のように前進しつつあります。いかなる迫害やいかなる風が吹こうとも、我々は神様に対する信仰を持っているのです。
広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して「二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします」と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう。そのように確信しなければなりません。
こういうことはすべてと統一教会における我々の誇りです。漁師の生活は困難であり、汚いものであり、時には荒々しいものであって、しばしば泥棒やうそつきに見られて来ました。ではなぜ我々がそのような生き地獄として知られているような事業の中に乗り出して行かなければならないのでしょうか。地獄の底に降りて行って、改革することにより、そこに天国をもたらすことにより、地上天国の到来を早めることができるのです。
神様の願い
1977年 6月19日
美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれます。海では、何マイルも何マイルも青い海でしかなく、しばらくすれば、その青い色は退屈なものとなってしまいます。しかし、もし突然遠くから黒い船が近づいて来るのを見れば、その黒い点が皆さんのすべての注意を引き付けます。そしてその黒い船が白い帆を上げる時、それはますます心を興奮させ、ドラマチックなものに見えてきます。その黒い船が多彩な旗を掲げるならば、それは本当に豪華なものとなります。自分の周りにあるものが、すべて青いために、そのような白い帆を掲げ、多彩な旗を立てた黒い船を見ただけでも満足するようになるのです。それが先生の言うドラマチックというものです。
先生は、多くの議論を引き起しています。それは、白人文化は広大な海のようなものであって、その中に一つの黄色い点が現われ、それが人々の注目を浴びているからです。アメリカ人の中には、先生を歓迎しない人々がいます。しかし神様はその広大な海を航海していて、人間の現在の文化には退屈しておられるのです。そこに突然、先生が黒い船のように現われました。神様はその視線のすべてを先生に集中させています。先生は白い帆を掲げるだけでなく、いろいろな国々の多彩な旗も掲げています。皆さん、自分を神様の立場において、そのような小さな船が白い帆を掲げ、多彩な旗を振っているのを見下ろしてご覧なさい。それは本当に小さな劇的な光景です。
皆さんは、そのように多くの注目を引いている船の船員です。白人、黒人、黄色人、赤色人や褐色人が祖国に対して手を振っています。我々の船には、このような大いなる興奮と活動があるのです。
再会の心情
1977年 9月11日
皆さんは、暗い世界に光を与える灯台である、という信仰と確信を持たなければなりません。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするからです。厚い霧に包まれている時こそ、ますます光を放たなければなりません。逆境であればあるほど、その光はより違大なものでなければなりません。
先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。
先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。
これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました。
今年の夏は、お金を儲けるという点では余り稼ぐことはできませんでした。しかし、伝統という点では、何十億ドルもの価値のあるものを得ることができました。そのような伝統に従うことによって我々の運動におけ漁業の花が咲き、そして将来、アメリカのすべての漁業に対して多くの貢献をなすようになるでしょう。今や、先生が魚釣りの伝統を打ち立てたことによって、誰でも、例え女性達でさえも海に出かけるのを躊躇しないでしょう。もし先生が臆病であれば、誰も真剣に行こうとしないでしょう。しかし、今や人々は先を争って行こうとしています。これまでは先生が、いつ、どこで魚を捕り、またその魚がどれ位の大きさであったかを記録したものがあります。将来、漁師達はその記録に挑戦しようとするでしょう。
魚釣りは信じられない位つらい仕事があっても、先生は統一教会の後孫達に残す伝統のために、何ら躊躇することなく自分自身を与えたいと思ったのです。先生はこのように過去の七十日間を働いて来ました。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第92話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
統一教会二十三周年記念日
1977年 5月 1日
皆さんはこうしたことをただ知るだけでなく、それに対する責任を取らなければなりません。先生以上に皆さんは、この国を神様のもとへ復帰するために出かけて行って、人々を目覚めさせなけばなりません。先生は若者達がこの国に対しての責任を持つ者になるように、若者達を訓練しようと決意しています。例えば、先生は神学生達を訓練しています。彼らは現在新しい魚釣りの網を作っています。先生はまたどういう種類の若者であるかを見るために、ハドソン川の氷つくような水の中で魚釣りをさせたことがあります。彼らはお金を作るために網を作ったり、魚を釣ったりしているのではありません。鉄のような強い意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った若き指導者となるためにそうしているのです。
先生は皆さんに説教するだけではありません。先生がやるとすればどんなことでも誰より以上にすることができます。神学生達は先生がただ理論を持っているだけではなく、経験からしか得ることのできない知識を持っていることを知り、先生を再発見しつつあります。先生は魚釣りの研究をし、魚釣りのためのいくつかの道具を考案しました。例えば時々、釣り針が魚の口に引っ掛かってしまって、その針を取り出すために非常に難航する時があります。そこで先生は、釣り針を押し出して簡単に取り出すことができるような小さな道具を発明しました。
先生が自分でこの道具を作るために金属を切るのを見たあるメンバーは「お父様、どうしてそんなに苦労されるのですか。道具屋へ行って道具を買ったらいかがですか」と言いました。そこで先生は「アメリカにはそのような道具がない。もし先生がそのような道具を買うことができれば、なぜ先生が自分で作らなければならないか」と答えたのです。先生はベリータウンで皆さんが見たことがないような新しい網を考案しました。それは一方通行の網で、一度魚が網の中に入ればもう出てくることのできない網です。
昨日、先生はベルベディアの人達と会う約束があったので、新なたインスピレーションが沸き、その網の作り方を神学生達に指示することに追われ、一晩中休まずに働いたので、ベルベディアへ時間までに到着することができませんでした。
神様に属する物と人間に属する物
1977年 5月15日
先生がしばしば海に出て行くのは、世界の経済が広大な資源に依存しているからです。未来は、世界の海により多くの注意を払っている人のものとなるでしょう。さらに歴史上、多くの人達が戦争や事故で海で死にました。先生はそれらの人達を慰め、その人達のために蕩減を払いたいと思っています。時々、先生は危険な嵐が来るということを聞くと、わざと海に出かけて行ったりします。
多くの人達は、先生がただ楽しむために海に行くと思っています。しかしそのような天候の中で海に出かけて行くのは決して楽しいものではなく、必死なる戦いなのです。先生はそのような環境の中で死んだ多くの人達を開放するために、そういうことをしなければなりません。一九七五年に、先生は海で死んだ人達のために、お母様と娘の一人と共に海で特別の儀式を持ちました。その時、船の船長ですらどのような儀式が行なわれていたか知りませんでした。
神様に感謝しましょう
1977年 5月29日
ベリータウンでの魚釣りで何百匹もの鯉を捕りましたが、それを指揮する際に先生は、宇宙の被造物が人間の食料になるために殺されているということについて考えました。ベリータウンでもっとも多くの鯉を収容するために池の底をさらったので、六匹の大きな亀が住み家を失いました。先生は彼らに対して申し訳ないと感じて、彼らをハドソン川に放しました。その時「お前達は、広い世界の中に行ってそこで生きなさい」と心の中で思いました。
先生は魚釣りに行くと、最初に釣った魚は逃がしてやりました。鯉のような低級な生物であっても愛を理解することができ、誰かが自分の存在する目的を理解してくれる時には、彼らはその人のために死にたいとさえ思うようになるのです。このような意味で、鯉達が彼らを愛してくれる人のために自らを捧げる時、それは犠牲となるのではありません。これが被造物に対する神様の考えです。統一教会のメンバー達によって愛され、その価値を分かってもらうことによって、すべての被造物は感謝し、また自分達が創造された目的のために生き、かつ死ぬことを誇りに思うのです。
愛は崇高なものです。愛のために生き、愛の中で死ぬことは常に幸福をもたらします。皆さんの死の瞬間が来る時に、皆さんは愛について考えながら微笑むでしょう。そしてその瞬間、皆さんの愛する人によって抱擁されることが喜びとなるでしょう。
もし誰かが「レバレンド・ムーンがハドソン川でたくさんの鯉を捕えたということを知っている。それらの捕えられた魚達は、死ぬ時にレバレンド・ムーンを呪うに違いない」と言ったとします。皆さんはそれに対してどのように答えますか。先生の説明を聞く前であれば、皆さんはどう答えてよいか混乱したと思います。しかし今や、皆さんは鯉達が神様を中心とする人々の血となり肉となるならば、彼らはその生涯を全うしたことになるということを知っています。鯉達がこれ以上必要とする大義があるでしょうか。このように皆さんがどのような動機を持っているかによって、皆さんの行動には天地の差ができるのです。
この原理は、鯉と人間の両方に同じように当てはまります。だから、我々が自らに尋ねなければならい究極の質問は「自分は神様の愛のために死ぬ覚悟ができているだろうか」ということです。皆さんの答えはどうですか。もし皆さんの答えが「ハイ」であるならば、皆さんの死は死ではありません。皆さんの肉体の精神は、全人類と全宇宙の精神と肉となるのです。このように皆さんが自分の生活をより高い水準のものを中心とする時、皆さんは永遠い生きるのです。
神様は我々のみを頼りとしておられる
1977年 6月 1日
昨日、先生はマンハッタン・センターで修士号を持っているメンバーがペンキをはがしているのを見ました。皆さんは、そのような仕事をするのが嫌いですか。あるいは、どんな仕事も感謝の気持ちを持ってしますか。先生は自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしく思いません。ベリータウンでは、先生は学生達に魚釣りの網を作る仕事を教えました。教授達でさえも驚きました。その当時、神学者の会議が開かれており、訪問していた学者達たちがベリータウンで先生を見ることができるとは決して予想していませんでした。そこで彼らは、先生が学生達と何をしているのか見ようと近づいて来ました。先生がそのような卑しく下賤のことをしているのを見て、驚くと同時に感動しました。このように皆さんの前にあらゆることをしました。最も卑しい仕事すらしたのですから、皆さんは先生に対して言い訳することはできません。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第91話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
既に出版されている御言葉からの抜粋
1974年~1983年
ベルベェディア修練生に対して
1974年 8月29日
資格のある指導者になるためには、皆さんは無条件にもって修練が必要であることを知らなければなりません。皆さんはどのように話をし、他人に説得するかについて知らなければなりません。先生は毎日フリー・ボートやロングアイランドに魚釣りに行きます。人々の中には「ああ、レバレンド・ムーンは世界的に有名な説教者だ。それなのになぜ彼は魚釣りなどに興味を持つのだろう。彼はそういうことは忘れるべきだ」と考えています。
過去と未来の世代
1976年 8月 1日
先生は今日もまたボストンへ向かって出発します。先生には重要な使命があるのです。先生が海へ行くのは楽しむためではなく、統一教会の将来の経済基盤を造るためです。それが先生の目標です。我々が工業や技術における進歩に勝つことができる方法はありません。ただ一つあるとすれば、それは海と海産物という文字通りまだ手が付けられていない分野においてです。最近、国際法が変わってアメリカは海岸線から二百海里の水域に対して管轄権を主張することができるようになりました。そうすることにますます取り組むべき領域があることになりますが、アメリカ人は海に対して関心を払わず、海洋事業に対しても余り投資しません。そのためアメリカを取り巻いている海の宝庫が、文字通り手を付けられずにいるのです。先生は統一教会の将来の経済基盤は、海の領域であることを感じています。以前、先生は三年したら海の宝庫を探究していくことを約束しました。
先生は、皆さんを訓練しなければなりません。人々は先生を批判して、レバレンド・ムーンは自分は大西洋でヨットに乗って楽しみながら楽をしていると言います。しかしそれほど真実から遠いものはありません。皆さんの中で、両親から多くの財産を相続する人はそれほどいないと思います。だから先生は皆さんに対して責任があるのです。先生は皆さんがどのようにして自分自身の生活をしていくかについて、計画を始めなければなりません。皆さんは祝福を受け、そして祝福の結果として神様は皆さんに子供を授けるでしょう。皆さんは子供達を養って行かなければなりません。皆さんがこの戦いをするためにワシントンに行っている間、先生は十年先を見て、将来の経済基盤を準備するために海に行くのです。海に行くということは、先生がこれまでなした中で最も疲れることです。しかし先生は皆さんの誰よりも、肉体的な困難をもっともっと耐え忍ばなければならないと決意しています。
今や我々が世界的な組織を開拓して来たために、我々の運動はこの新しい産業において急速に成長することができるのです。この領域においてすらも先生は先駆者として、開拓者としての役割を果たしたいと思っています。
完成と感謝
1976年10月 3日
皆さんはこの世界を復帰するための経済基盤創造に参加したいと思いますか。先生は今漁場を始めつつあり、その目的を心に抱いて、今年の夏、マグロの輸出を試してみました。一日の昼であれ夜であれ、どのような時間であれ、また天候がどのようであれ、先生は海に出て行きました。もし海が荒れていると、ニューホープ号の船長は、海に出て行くかどうかをよく尋ねたものです。しかし今や、彼は状況がどのようであれ先生が海に出て行くつもりであることを知っています。
神学校を終えて、修士号を持っているメンバー達も、海で働くことになるかもしれません。我々の船の船長は、博士号を持っている人であるかもしれません。笑ってはいけません。アメリカの漁場に衰退をもたらしたものは、そういった自分を卑下する態度なのです。先生がこの国の漁場を復活しなければ、この国は死んでしまうでしょう。先生は死にかけている海洋事業を復興することにより、アメリカに貢献するつもりです。我々は現在、母船を買う構想を持っており、それはカリブ海で楽しむための巡航とは違います。その目的は海の宝を捕ることです。先生は魚の臭いは好きではありませんが、我々は神様の仕事のために偉大な経済基盤を創造することができます。魚を捕ることが目的ではなく、共産世界を開放することが目標なのです。だから前進しなければなりません。祝福前の女性達が、漁師と祝福されるのを望まないのであれば、今すぐ教会を去るべきです。もし船乗りと結婚することを望まないなら、皆さんは教会以外の誰かと結婚しなければならないでしょう。
海には、我々の手によって収穫されることを待ち望んでいる広大な宝庫が横たわっています。しかし現位のアメリカの漁場は、若者が海に出て行って一生懸命働くことを好まないので、死にかけています。彼らが三カ月間海に出て行って帰って見ると、妻がいなくなってしまい、お金も無駄になっていることに気が付きます。だから彼らはもう二度と海に出かけて行きたいとは思わないのです。たとえ結婚していないとしても、彼らは海に出て行くことに興味を持ちません。なぜなら海は時により天候が非常に荒れるからです。漁師と結婚する女性の皆さんは、神様と人類のために夫が働いていることを誇りに思わなければなりません。
先生は海によって、いかにより崇高な者となるかということを経験しました。海においては、神様に対する信仰を必要とします。なぜならば、完全に神様に頼らなければならないからです。それからまた男達が海に出かけて行く時には、自分の家族を決して忘れません。先生自身の経験でも、家にいる時よりも海に出ている時の方がお母様や子供達のことを考えました。それはなぜかというと、海においては次の瞬間に何が起こるか決して分からないからです。海にいる時には、他のどんな場所にいる時以上に、自分の妻や子供達を愛し、祈ります。ニュー・ホープ号がドッグに帰って来て、お母様と子供達が先生を待って手を振ってくれる時、先生は神様に出会ったような気がします。夫が海における激しい仕事から戻って来る時に、その夫を愛することのできる女性達は、神様の目において最も崇高な模範的な妻となるでしょう。

Monday May 06, 2024
御旨と海 第90話
Monday May 06, 2024
Monday May 06, 2024
神様の摂理が我々を待っている
アメリカは可能性を持っています。皆さんはどう思いますか。アメリカ人が魚を好きになる時、彼らが魚を買うために使うお金はもっと増えるはずでしょうか。それとも、もっと多くのお金を麻薬に費やすはずだと思いますか。数年前、アメリカ人は麻薬のために、一年間で四百億ドルのお金を使うという統計を聞きました。その数字は今では二倍になっているに違いありません。誰かが今晩言ってましたが、麻薬のために二千億ドル以上ものお金が費やされたということです。少なくとも魚は、アメリカ人にとって良い栄養のある食料です。だから毎年少なくとも、二千億ドルの三倍の魚が売られるべきです。すなわち、アメリカ人は六千億ドルを魚に費やすべきだということです。皆さんはそうなるべきだとは思いませんか。恐らくアメリカにはお金がたくさんあり過ぎて、それをどうしたら良いのか誰も分かりません。だから、我々が海に出かけて行って、その余ったお金を魚の餌として与えましょう。「本当に多くの魚がこの国を養うために死んだのであり、彼らは蕩減を払ったのです。だからその現金のいくらかをその魚のためにばらまいてやりなさい」と先生が言うかもしれません。
もし我々がそれらのお金のいくらかを海にまいて、海の波がそのお金を南アメリカまで持って行ったとしたらどうでしょうか。あるいは南アメリカの漁師達が、その運ばれてきた多くのドルに出くわしたならばどうでしょうか。彼らは魚を釣る代わりにドルのお金を取るでしょう。そして最終的には、国際間の負債を支払うでしょう。それは良い考えではありませんか。皆さんはどう思いますか。この魚のビジネスと海の摂理は、ムーニーがなすべきことです。他の誰も我々に代わることはできません。そうするためには覚悟と運動が必要です。あと二十年したらどうなるでしょうか。我々開拓者達は、彼らが既に成し遂げた以上のことを成し遂げるでしょう。皆さんは二十年経ったらどこにいるでしょうか。だからキリギリスのように今日を怠けていて、そして他の者に従属するような者になってはいけません。
皆さんはこの運動がどこから出発したかを考えなければなりません。四十年前、先生はたった一人でした。友達もなく、家もなく、お金もなく、組織もありませんでした。先生は全く一人でした。兄弟もなく、家族もなく、親もいませんでした。彼らは理解してくれなかったのです。先生の親は、先生のことを心配しました。彼らは「ああ、私達の息子は非常に能力がある男子なのに、彼は奇妙な方向へ行こうとしている」と考えました。だからその当時、先生が持っていた唯一の味方は誰だったでしょうか。時々、先生は「たとえ自分一人となったとしても、決して諦めません」と泣き叫ぶ時がありました。神様が先生の唯一の味方であり、神様だけが先生と共にいてくれました。これが出発でした。
今日、もし皆さんが神様は自分の唯一の味方であると考えれば、将来について心配する必要はありません。神様は皆さんを守り導いてくれるでしょう。それが鍵です。それが最も大切なことです。皆さんは神様に対して「もし神様が早朝四時に起きるのであれば、私は早朝三時に起きます。一時間あなたを負かします」と言って、神様と競争しても良いでしょう。また皆さんは「神様、もしあなたが汗を流したいのであれば、私は汗だけでなく涙と血を流したいと思います」と言っても良いでしょう。皆さんはグロースターのキャンペーンの話を知っていますね。先生が朝四時に出発して行ってみると、漁師の中にはもっと早く出発し始めた人達がいると聞きました。それで先生はさらにもっと朝早く出かけるようになり、遂に午前一時に出発して、一晩中、海に留まっていたのです。そうすると、他の漁師達はそれ以上競争することができませんでした。このように我々はグロースターで勝利し、彼らの尊敬を勝ち取ったのです。
親というものは、常により遅くまで、より一生懸命働き、そしてより朝早くから仕事を始めるものです。親の心というものは、親がもっともっと一生懸命に働いて、そして翌日の準備をしている間に子供達には休んでいてほしいと願うものです。親の心というものは、最後の最後まであらゆることに気を配り、あらゆることを見守りたいと願うものなのです。皆さんは朝早く起きていると思ったかもしれませんが、しかし皆さんが起きる前に神様は既に起きておられ、皆さんの前におられたのです。神様がこのように常に一歩先へ行っておられるということを皆さんが悟る時、皆さんは決して疲れることはできないでしょう。諦めることはできません。皆さんは常に「私は神様を慰めてあげたい」という気持ちを持つでしょう。しかし神様は常にそこにいて、皆さんに慰めを与えておられるのです。このようなことを理解すれば、皆さんは神様の心の重荷を軽くするために、あらゆる努力をしたいと思うでしょう。そのような心と気持ちを持って皆さんが前進するならば、皆さんは決して失敗することはないでしょう。
これは先生が皆さんに対して与えたいと思う証です。先生はこのような証をもって、生涯をかけて生きてきました。そして今なおこの国をつかみ、この国をひっくり返して、神様の下へもたらしたいという目標を持っています。それは夢のようなことです。しかしそれは実現されるでしょう。神学校を卒業した者達に先生がこの夢を与えたならば、その夢を達成するつもりがありますか。皆さんは疲れているかもしれませんが、先生は決して疲れません。皆さんは疲れ、後ろに下がり落後するかもしれません。しかし先生は決してそうなりません。先生は必ず最終的には目標を達成し、そして皆さんより先にいて、皆さんが帰って来るのを待つでしょう。この時、恥じる気持ちを持って先生の所に来てはなりません。恥ずかしい息子、娘であってはなりません。
「お父様に対しては、決して恥ずかしい息子、娘とはなりません」と約束する人は手を挙げて、「約束します」と繰り返しなさい。これがアメリカの本当の希望であり、世界は我々が考える以上により良い世界となるでしょう。皆さんはどこへ行っても難しい仕事を探さなければなりません。いつも「何であれ、最も困難な仕事を自分はします」と考えなさい。もし皆さんが最も困難な仕事をするならば、既にそこに親がいるのを見いだすでしょう。親はいつももっと困難な仕事をしに行くのです。だからそこで、真に神様を見いだすでしょう。
台風がやってくるかもしれませんが、しかし皆さんは「いかなる台風も私のワン・ホープ号の進路を妨げるものはないだろう」と言いなさい。そうすれば神様が共におられるでしょう。神様は「私の息子、私の娘よ、お前は本当に私の子供である。良く来た」と言うでしょう。これは先生の日常生活の秘訣なのです。それは先生の日常生活の心情です。今、時計を見てみなさい。時計を見る時、それが既に真夜中であれば、皆さんは「ああ、もう遅い」と思うでしょう。しかし、皆さんの考えはもう既に遅れています。もし神様が、朝三時に仕事を始めようとしておられると皆さんが考えるならば、「ああ、まだ真夜中だ。まだ早すぎる」という具合に言うでしょう。そのように考えるのです。
皆さんは、神様に抱きかかえられることを楽しみとしていなければなりません。そうするためには、少なくとも朝三時には仕事を始めなければなりません。そのような状態で皆さんは疲れて、ちょっとの間でも車の中で居眠りをするでしょう。その時に神様が皆さんの所にやってきて、啓示を与えるのです。八時間も眠って、目を覚まして幸せな気持ちで「ああ、今日はまたどこかへピクニックに行こうかな」というようなことを言っているのであれば、決して啓示を受けることはありません。決して神様に出会うことはありません。
皆さんは、サタンが行くことのできない道を選ばなければなりません。そのような道とは最も厳しい道なので、サタンは「ああ、駄目だ。自分はそのような道を行くことができない。お前は私なしに行きなさい」というようなものでなければなりません。皆さんはそのような路程を選ばなければなりません。そこには神様だけが待っておられます。そして、皆さんだけが神様に出会う機会を持つことになるのです。
皆さんは「自分は一生懸命働いてきた。それで、もうこの仕事には飽き飽きした。それは単調だ。これには何の喜びもない」と考えるかもしれません。皆さんは、一味違った人間にならなければなりません。明日を楽しみにしなければなりません。
皆さんは、明日、その翌日、あるいはこれから十年、二十年後に、素晴らしく刺激的なことが起こることを期待しなければなりません。常に人生に刺激を感じ、そして決して疲れてはなりません。そういう人がレバレンド・ムーンの望む種類のムーニーです。先生は、このような種類の人を神様の祝福を持って常に祝福するでしょう。
今日は皆さんが自らを再発見することができる特別の機会です。このようにして今晩先生の話を聞けたということは、歴史的な事であり、光栄な事です。皆さん一人一人、使命に向かって出かけるのです。力を持って、また天に不屈の精神と決意を誓って行きなさい。先生は常に皆さんと共にいるでしょう。オーシャン・チャーチと海洋ビジネスは、神様の摂理です。先生は以前、何度もそのことを宣言しました。今晩再び宣言します。これらは摂理的使命なのです。したがって、この御旨に命懸けで歩むものは誰でも、神様の祝福と守りを受け、栄える者となるでしょう。
いつの日か、皆さんの誰かは国の指導者や立法者、上院や下院の議員になるでしょう。先生は不思議な人間です。アメリカの人々は、先生がアメリカだけで有名であると思っているかもしれません。しかしアジアに行けば、そこではもっと有名であることを知るでしょう。南アメリカに行っても同じであり、アフリカに行ってもそうです。今晩、先生と共にいるということは貴重な機会です。非常に貴重なことです。先生が皆さんと顔を突き合わせて皆さんに話す理由は、皆さんが少なくとも先生に従い、先生と一つになろうとしているからです。
もし先生が真の父母という位置を打ち立てることができなかったとしたならば、他の誰が今日の世界に明確なビジョンを与えるでしょうか。他の誰が明確な導きと方向性を与えているでしょうか。先生は、最も厳しい逆境の中で働いてこなければなりませんでした。しかし今や、そのような迫害の時は去りつつあります。世界はまもなく、先生が誰であるかを知るようになるでしょう。我々は、非常にユニークな人間になろうとしています。我々の前途には刺激的な未来が横たわっています。どうかその日を楽しみにして、一生懸命仕事をしてください。神様の祝福がありますように。

Monday Apr 15, 2024
御旨と海 第89話
Monday Apr 15, 2024
Monday Apr 15, 2024
神学校を卒業した者、手を挙げなさい。皆さんがグロースターに来た時「ああ、自分はそこに行って魚釣りをしなければならない」と考えていましたか。それとも皆さんの思いは燃えるような熱意に満たされ、海に出たいというような欲望で満たされていましたか。どちらですか。もう何日も過ぎました。皆さんは海を経験し、先生の話を聞きました。冷めた心を持ってはいけません。もし皆さんがまだそのような冷めた心を持っているとしたならば、どこか間違っているのです。もう既に皆さんは、何かが皆さんを磁石のように引きつけるような、そういう気持ちを感じているべきです。皆さんは先生が感じるように感じるべきです。多分、皆さんの中には「私はこのことを初めて味わってそれで十分だ。もう十分過ぎる。私はここに戻って来ないつもりだ。」と言う人もいるかもしれません。皆さんの中にはそういう具合に考えている人がいるかもしれません。そのように考える人は手を挙げなさい。誰もいませんか、信じられません。時々、皆さんは先生と共に永遠にいたいと願い、また時には、皆さんはその考えを変えるのです。アダムとエバも神様と共に永遠にいたいと思いましたが、彼らもまた変わっていきました。先生が皆さんを見ていると、皆さんの顔の幾つかは「ああ、明日は風が二十五ノットになって、波が八フィート以上の高さであれば、先生は我々を出かけさせないだろう。だから波が八フィート以上になってくれたらいいな」と言っています。普通の天候であれば、波の高さは二から六フィートとなります。だから皆さんの中には毎晩「明日は天候が悪くなって、ここに留まっていることができたらいいな」と考える人がいるかもしれません。あるいは皆さんの中の他の人は、毎日台風が来てくれることを祈っているかもしれません。そういう種類の人達は時間とエネルギーをただ無駄にしているだけです。そういう人はどこにも到達しない行進をしているだけです。
先生は多くの人々にとって今なお謎であり、神秘です。実際のところ、先生は単純な人間でここへ魚を釣りに来ています。しかしその間も、アメリカの最高の指導者達が先生によって心を動かされ、また世界の指導者達も動かされつつあります。先生は、こういうことを知る時間をいつ持つのでしょうか。皆さんは先生がこういうことを、ただ座って何もしないで頭をうなだれ眠っているだけで、達成していると思いますか。すべてがこのようにして起こるものですか。このアメリカには、二億四千万の人達が住んでいます。しかし、それらの人達はこの国を救うことはできません。もしできるならば、彼らはこの国を救ってしまっていたでしょう。そう思いませんか。しかし、彼らは救うことはできません。ただ一人の人しかこの国を救うことはできません。何故だと思いますか。レバレンド・ムーンのみがこの国を救いつつあるのです。何を持ってでしょうか。
アメリカの人達は誇り高い人々です。彼らは自分の国に誇りを持っています。しかし現在、この国は衰退しつつあります。どうして我々は、このような状能を許すことができるでしょうか。我々はこのようなことを許すことはできません。極めて深刻な状態であり、アメリカ人は皆それを知っています。しかし、誰もそれに対して立ち上がる者がいないのです。たった一人の人間がここに来て「自分がアメリカを救うつもりである」と言いました。何を持ってでしょうか。先生はどのような力を持っているというのでしょうか。アメリカは科学力、経済力、軍事力を持っています。アメリカはいろいろな多くの分野において一番です。それなのになぜ、たった一人の人間がこの国に対して立ち上がり、この国を救うことができると言うのでしょうか。この国を救うことができるのは何でしょうか。それはただ神様の愛です。神様なくして希望はありません。これが問題です。アメリカ人はこのようなことを知りません。彼らは神様の親の愛について知りません。彼らは神様の目的を知りません。それゆえに彼らは、アメリカの目的を知らず、目標に到達することができないのです。
先生は「これが神様であり、これが神様の愛です」と、はっきりと教えるために来ました。先生はこれら二つの点を明確に理解しています。ところがアメリカ人はこれらのことを明確に理解していません。これが問題です。だから先生は皆さんを教育しているのです。神様は愛を中心にして地上に住むことができます。霊界においては神様がおられ、また地上界には真の父母様がいます。我々は真の愛を持って、すべてのことを主管することができるのです。
多くの人達が「ああ、統一教会、それは単なる小さな一つの教会に過ぎない。我々はそれについて考える必要はない」と考え続けるならば、決して真理を見いだすことはないでしょう。我々の教えは、ただ統一教会のためだけのものではありません。皆さんは「真の父母は、私の父母である」ということを知り、そう言うことができなければなりません。我々に敵対するものがいかに強大であろうとも、彼らは決して我々を打ち負かすことはできないでしょう。我々は世界の四方八方から迫害されてきました。しかし、我々は決して打ち負かされませんでした。皆さんはどうですか。この点が分かりますか。皆さんはどこに立っているのですか。今までどこへ行こうとしてきましたか。皆さんは強い立場を取らなければなりません。この世界には強力な国々があります。皆さんはそのことを真剣に考えなければなりません。いかにして、この世界の悪を打ち負かすことができますか。ただそれは、真理によってのみ、愛によってのみです。皆さん、今こそ分かりましたか。皆さんにとって神様とは誰ですか。「私の親です」と言えなければなりません。「神様は真の父母の親ばかりでなく、私の親である」ということを、立ち上がって誇りを持って言うことができなければなりません。そしてこの地上において、真の父母は私の親ですと宣言することができるのです。これをもって我々は前進して行くのです。これが我々の知るべき最も大切なことです。
だから、我々が何に取り組もうと、それがオーシャン・チャーチであれ、海の事業であれ、それを義務感からするのではありません。皆さんがすることは何であれ、皆さんのものであるということを理解しなければなりません。皆さんは自分のしていることを見て、そして誇らしげに「それは私のものだ」と言うことができなければなりません。ワン・ホープ号の船を見てみなさい。誰がその船を造りましたか。先生がそれを率先し、ミスター神山がそれを組識して造ったのです。しかしそれは誰のボートですか。それは皆さんのものなのです。
オーシャン・チャーチがそれらのものを所有していますが、その船の責任を誰か他の者が取ると考えてはいけません。皆さんが船で海に出ていく時には、皆さんの責任であることを知らなければなりません。それからフィッシング・ギア、これは誰が設計しましたか。先生がしたのです。しかし、皆さんがそのフィッシング・ギアを使う時には、それは誰のものですか。それは皆さんのものです。このように、皆さんは愛着と責任を持たなければなりません。
我々が前進する中心は何ですか。真の愛のみです。真の愛を持っていれば、皆さんの業績は永遠に続くでしょう。真の愛を持ってすれば、皆さんが成し遂げたことは永遠に消えることはないでしょう。皆さんの心の内容についてはどうですか。もし皆さんの中で「自分は水準から余りにも遠く離れ過ぎてしまっている」と考える人がいるならば、今こそもう一度考え直すべきです。
皆さんの中のある人が、今年の夏の訓練を終えて学校へ戻れば、「ああ、彼らはそれぞれの場所に戻って行くんだな。自分も行くことができたらいいのにな」と考え始める人もきっといるでしょう。皆さんはたった数日、あるいは数週間、余計に滞在するだけだとしても、皆さんは既にそのように考えているのです。もし皆さんがそのように考えていないとすれば、先生の考えと経験は間違っていることになります。しかし先生は滅多に間違えることはありません。皆さんの残りの人はどうですか。残りの人はまだまぐろを釣っていないから、どこへも行ってはいけない使命を持っています。だから皆さんはまぐろを捕るまでずっと追って行かなければなりません。北極までもまぐろを追って行かなければなりません。
皆さんは「オー・ライ」と言うでしょうが、それは今晩皆さんが先生の話を聞いたからです。しかし皆さんは、先生の話を聞く前から「オー・ライ」と考えるべきでした。また皆さんは「ああ、お父様、あなたは真の父母です。あなたは私を愛していらっしゃるはずです。それなのに、どうしていつも私に不可能な仕事をさせようとされるのですか」と考えるかもしれません。いつもこういうふうに考える人は負けな人です。
基盤を造るための代価
今晩、朴大佐が言論人のアジア旅行について話した報告について、これまで聞いたことがなかったでしょう。「お父様はこういうことをいつなしたのだろうか。こういったことはどうして起こっているのだろうか」と不思議に思っているかもしれません。皆さんは何らつらい仕事をすることなく、ただ今晩それについて聞くことによって、それらすべてのことを相続しているのです。しかしそれは、容易なことではありません。それはこういうことです。皆さんがハーバード大学から博士号を受け取ったら、その時誰もが皆さんを褒めることでしょう。しかし、皆さんがそれまでにどれだけの苦労と困難を通過したかということについては、誰も理解しないでしょう。二十年もかかったかも知れないし、一年しかかからなかったかもしれません。確かなことは、それをできるだけ早く成した人は誰であれ、それだけ多くの苦労をしたということです。
先生がアメリカに来てからの十四年間に、先生は歴史上かつてなかったことを成し遂げました。アメリカ歴史上、これらのことを想像した人さえいませんでした。しかし皆さんは、その背後にいかに多くの困難や苦痛があったか理解できないでしょう。すべて先生一人で通過してきたことなのです。誰も先生が来ることを歓迎しませんでした。誰もダンベリーに行きたいとは思いませんでした。先生は目標を達成するために一生懸命働き、犠牲を払ったのです。努力の実りだけをただ受けたいと願う人がいるとすれば、それは泥棒の心を持っているようなものです。皆さんは、それに値する代価を支払わずして、貴重な宝物を得ることはできないのです。
アメリカ人は懐疑的な人達でした。特に若者は、先生がなそうとしている目標や方法に懐疑的でした。彼らは、先生を百パーセント信じて従ってきたのではなく、半信半疑でした。今や、彼らは自分達が間違っていて、先生が正しかったことを悟っています。その瞬間、彼らは先生のなしたことの業績をつかみたいと願いました。それは不公平なことであり、不可能です。
皆さんはそれを受ける準備ができていません。皆さんの器は、先生が与えたいと願う宝物を受けるだけの用意ができていません。だから、受ける宝物は用意されていますが、器がまだ用意されていないのです。だから宝物を後に置いて、受ける器を用意しなければならないのです。その間に、誰か一生懸命働いている他の人がやってきて、その宝物を取ってしまうかもしれません。しかし先生はそうなってほしくないと思います。先生は皆さんにその宝物を受け取ってほしいと思います。だからこそ、先生は皆さんを苦労と困難な道へ送って、皆さんが待っている宝物を受けることができるようになってほしいと願っているのです。
七年前、六十一人のメンバー達がニューヨークに呼ばれてきました。彼らに対して先生は百ドル札を与えて、「皆さんはフィッシュ・ビジネス、シー・フード・ビジネスの開拓者達です。さあ、行って開拓し、繁栄を持って戻ってきなさい」と言いました。今年はその同じグループが戻ってきて、漁業の分野で最も強固な基盤を築いたことは疑いないという報告をしました。そのような基盤が今、国中に広がりつつあり、シー・フードの分野の人達はムーニーがどこにでもいると認めています。そして、その人達は「ムーニーがこれ以上進出してこない唯一の場所は、太平洋の中だけだ。ムーニー達から逃れるためには、太平洋に飛び込むしかない」と思っています。なぜ日本のメンバー達は勝利を収めているのでしょうか。それは彼らが「私はこの事業に責任があります。これは他の誰の事業でもありません。自分の事業です。それは天のお父様の事業です」と考えているからです。そのような考えを持って、誰よりも素早く、一生懸命働いています。
彼らがこのように前進し、心と魂を完全に一体化させて前進していく時に、神様の恵みが常に彼らと共にあります。その結果、彼らの事業が飛躍的に発展しているということです。それに基づいて、我々はさらに数百名のメンバーをもって同じように道を開拓するつもりです。各自が丁度、種のようなものです。彼らは、出発のために同じ額のお金を与えられるでしょう。そして彼らが最初の開拓者と全く同じ道を歩むならば、間違いなく成功するということを先生は知っています。
こうした先輩達の方法を相続しなさい。皆さんはそうする能力と潜在的可能性を持っています。皆さんは、彼らの成果の二倍も三倍も成し遂げることができます。

Monday Apr 15, 2024
御旨と海 第88話
Monday Apr 15, 2024
Monday Apr 15, 2024
海の道
1986年 8月28日 モーニング・ガーデン
皆さんは誰ですか。ここで何をしているのですか。皆さんはどこへ行こうとしているのですか。どこへ行くつもりですか。目的、あるいは目的地がはっきりしたものでなければなりません。さもなければ、目的のない行進をしたことになるでしょう。もし皆さんが神様に会って、「神様、あなたはどこへ行こうとされているのですか」と尋ねれば、神様は何と答えると思いますか。神様は御自身がどこへ行こうとされているか知っておられ、また御自身が何を願っておられるかを知っておられます。神様は、はっきりとした願い、目標、目的を持っておられます。
その目標は、小さな村や町や市や国だけのものですか。それとも全宇宙のためのものですか。もちろん、小さなものは大きなものの一部です。しかし、重要なことは、どんなに小さかろうと、大きかろうと、すべて究極の目標や目的につながっているということです。その究極の目標、目的とは何でしょうか。一言で言えば、それは一つの世界――平和な世界、理想の世界、完全なる世界ということです。
それはこの地上での目標のみならず、霊界での目標でもあります。従って(霊界と地上界の)一つになった世界、これが目標なのです。この目標は神様だけで達成できるでしょうか。それとも他に誰かを必要とするでしょうか。皆さんは原理を知っているので、その答えを知っています。原理は、神様だけではその目的を達成できないことを教えています。神様は、人間を必要としておられます。
重要なことはこういうことです。神様は、そのような世界をいかにして創るかを知っておられます。神様はその世界の構造を知っておられます。しかしながら、問題は人間がその神様の計画を理解していないということです。それゆえに、神様は人間を準備するために、前もって神様の計画を発表しなければなりませんでした。適当な時、神様が人間の道を導き、人間に対していかに生きるべきかを教え、無知に陥らないようにするためにメシヤを送られるということです。
歴史を通して、人間は価値を追究して来ました。しかし、その価値を自分なりの方法で解釈してきたのです。言い換えれば、人間は自分自身の幸福というものを追求してきました。例えば、日本は日本中心の目標を持っています。中共では、マルクス・レーニン主義が自分たちの国にとって良いだろうと考えました。しかし、それが間違いであることを発見しました。このアメリカでは民主主義が自分達の国にとって最善であると考えています。それぞれの国が何らかの目標を打ち立ててきましたが、今日、そうした中でもがいています。
我々が目指している究極の目的
「最も近く、最も価値あるものとは何か」ということを考えてみましょう。人々はこういうものを至る所で見つけようと探していますが、余りにも遠くを見過ぎています。彼らは自分自身を遥かに越えた所を見ているのです。皆さんにとって、とても近くて価値あるものは何でしょうか。皆さんは真の愛と言うでしょう。よろしい。しかし、その愛にどのようにすれば火をつけることができるでしょうか。その愛の本質、起源は何ですか。
真の愛はどのようにして始まるのでしょうか。それは兄弟や友人から始まるのでしょうか。真の愛の起源は神様から来るのです。それゆえに、人類の根本的な関係は神様と一つになるということです。しかし皆さんが人類と言う時、男と女の両方を意味します。最もダイナミックな関係は男女の間で起こります。そのような関係が神様を中心としている時、それは真の愛の三位基台となります。神様と男と女です。これこそが全ての人類の必要を満たす、基本的で最も本質的な関係です。
男と女に対する神の位置は何でしょうか。教師でしょうか。どのような教師でしょうか。どうも教師というのは、真の愛の関係を十分に表現し得るものではありません。教師以上のものでなければなりません。では主人というのはどうでしょうか。主人と僕でしょうか。これもまたぴったりではありません。それは真の愛というものに十分つながりません。そうして真の愛に最もぴったりした概念に到達します。親のみがそのような種類の愛を含むことができるのです。さて、最初の人間であるアダムとエバが親であれば、神様から離れることができるでしょうか。神様とは何でしたか。もし我々がアダムとエバを親と呼ぶことができるならば、神様に対してはどのように呼ぶことが適当でしょうか。
幸いなことに人間は霊というものを持っています。人間はその存在の一部として霊的なものを持っています。人間には二つの面があります。霊と肉体です。このようなわけで我々には肉の親と同時に霊の親というものを持つことができます。神様は人間の魂の中に宿ることができ、我々は神様を我々の霊の親として持つことができます。また肉の親として我々の肉親を持つことができるのです。真の愛を中心として、神様は地上の親と一つになって住みます。このような基準が生まれなければ、霊界と地上界を一つにする道はありません。これがまさに、神様が人類を目覚めさせようとしてこられた中心点であり、焦点なのです。我々がこの目標を知る時、神様と人間の間のこの関係において、我々は何であり、どこへ行くのかということが分かるようになります。我々は霊的にも肉的にも真の愛を具現するものです。我々は神様の似姿とならなければなりません。我々が目指している究極の道は、真の愛の完全な似姿になることです。それゆえに神様は、このような真実の基準、すなわち真実の愛を受肉しようとしている人達と共にあるのです。神様は常に彼らと共にあるでしょう。
皆さんが親にしっかりつながっていて、しかもその親達の中に神様が臨在されている時には、皆さんは真の愛をつかんでいます。では神様の愛はいかにして我々の中に住むのでしょうか。神様は真の愛のみを中心として人類の中に住み給うのです。これこそが人類が歴史を通して追求してきた最高の理想です。では皆さんはどういう人達ですか。ムーニーとは誰ですか。我々はこのような理想を宣伝し、それを成就し、それを現実のものとしようとしている人間です。
もし皆さんが自分自身を切ったとしたら、その中に何があるでしょうか。どんなに多くの場所を切ったとしても、その中にあるものが同じであるということが分かるでしょう。もっと多くのムーニーであり、さらに多くのムーニーであり、さらにムーニーです。皆さんの体はムーニーの塊なのです。真のムーニーはサタンによって消化されることはありません。真のムーニーは、真の愛の精神の人格化されたものであり、真の愛の権化なのです。それゆえに、真のムーニーとは本物の金のようなもので神様の本当の精神を含んでいます。そのような人に対して、サタンは何らの主張もすることができないのです。
皆さんはここに物差しを持っています。皆さんは、ポンドとかインチということで測ります。一インチとか一ポンドというものには、その本来の基準があるのです。その基準は二つの異なったものですか、一つだけですか。アメリカのどの工場や家庭でも、インチやポンドを用いて物を測る道具を持っています。そしてそのインチやポンドがどれだけあるかによって長いとか短いとか、あるいは重いとか軽いとかということになるのです。しかし皆さんがどこへ行こうとも、一インチは常に一インチであり、一ポンドは常に一ポンドです。統一教会の一番最初の本来のインチは何でしょうか。
皆さんは直ちに「お父様です」と言いましたね。だから先生は、皆さんがそれほど馬鹿でないことを認めることができます。どうなりますか。皆さんは自分がどういう人間であるかということを見て、そして先生の物差しに合わせて測ってみると、自分がどれだけのものであるかということを見いだすのです。そして皆さんはそれを見て「ああ、自分は少し背が低い」とか、「自分は少し軽すぎる」等と言うのです。皆さんはこういった種類の物差し、測る能力を持っていますか。どこにあるか先生に見せなさい。驚くべきことは、皆さん一人一人がこのような物差しを持っているということです。皆さんはこのことを心の中で知っています。皆さんは、内的に自分がどこにいるかを測る能力を持っているのです。
そもそも、皆さんはどうしてここに来たのですか。皆さんがここに来たのは先生のゆえです。先生がいなければ、誰もここには来なかったことでしょう。皆さんは、先生がある種の海洋事業を始めようとしていることを知っています。また、先生が、海に対するあるビジョンを持っていることを知っています。そして、皆さんは「もしお父様がこのことに興味を持っているならば、自分も興味を持たなければならない」と自分に言い聞かせ、それゆえに来たのです。