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Tuesday Jul 18, 2023
真の父母経 第202話
Tuesday Jul 18, 2023
Tuesday Jul 18, 2023
2 堕落したあとからは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで、サタン王国になっています。この世界をどのように復帰するのでしょうか。個人を中心として、別々にここに植えるのです。反対になって引っ張っていかなければなりません。脱出しなければなりません。ですから、仏教のような高次的な宗教では出家をするのです。
そして、父と母を愛してはならず、兄や姉を愛してもいけません。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)という聖書の言葉は、逆説的論理ですが、それは、天の道を訪ねていく当然の道理的論理として受け入れなければなりません。ですから、お父様は、この世の中でこのような蕩減法を知って、個人から愛の焦点を合わせ、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛の焦点を合わせてきました。そうするたびに、サタンがこれを撃破するためにあらゆる力を使うのです。
ですから、宗教は迫害の道を行きます。社会で良いと言われる道を行ってはいけません。涙と血を流さなければならないのです。頂上に登ってはいけません。目立たない場所にこもらなければなりません。そこが安全地帯です。サタンは傲慢なので、困難な所を嫌います。ですから、最も悲惨な場所が安全地帯です。
3 お父様が二十代から四十代まで過ごしてきた期間は、涙のにじむ闘争期でした。皆さんはそれを知りません。監獄を自分の生活舞台のように思い、拷問を受けるその道を一生の蕩減路程、代価を払うべき当然の路程と思って歩んでいきました。お父様は、国家と宗教界の反対を受け、三千万の民衆(韓民族)が反旗を翻して、反対しない人はいないほど、悲しい立場に追い込まれた歴史を残しています。
4 神様が創造する時、すべての心情を万物に投入し、人間に投入しました。ですから、すべての物質を神様に捧げようとしなければなりません。それで、統一教会の標語が出てきたのです。「涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために流しなさい!」です。
そのように生きましたか。そのように生きていなければなりません。深刻な問題です。このように多事多端な蕩減路程です。個人のこの曲折を経ながら、零点をつくらなければならず、(そのために)障壁を壊さなければなりません。それをお父様がすべてしたのです。ですから、一生において重要な時には、監獄に入ったのです。
5 お父様の生涯を見てみれば、監獄にもたくさん行き、拷問もたくさん受けましたが、「ここで死ねば大変なことになる」と考えました。体に拷問の跡を残した立場、呻吟するその立場で死ぬとすれば、問題が大きいというのです
このような蕩減復帰の道に誰が責任をもつのかというのです。その立場で死を越えることができる感動と衝撃の涙を流せば、天がすべてを収拾してくれることを何度も感じました。拷問が問題ではなく、自分の苦痛が問題ではありません。使命を残して死ぬよりも、恐ろしいことはないというのです。
6 お父様は一生の間、自分を主張して生きてみたことがあません。監獄暮らしをするのと同じです。監獄に入った人は、御飯だけ食べ、おなかがすくときは我慢すればよいのですが、これはそうではありません。
そうして、地上では人がどんどん死んでいくのですが、それは、自分の手が切られるのと同じだというのです。それを感じなければなりません。涙なしに見つめることができない世の中であり、涙なしに神様と向き合うことができない世の中です。お父様は、冬に祈れば、綿のズボンがすべてぬれるほど涙を流しました。
7 お父様は、蕩減路程を開拓してサタン世界を克服し、勝利の基盤を築きました。それは、言葉は簡単ですが、実際は簡単なことではありません。想像もできない複雑な内容が絡み合っているというのです。一秒として失うことのできない緊張の生涯を掲げて越えてきたので、それ以上に深刻になれない人には、これを覆すことはできません。
8 お父様は、アダムに代わって来たので、世界的な蕩減路程を行かなければなりません。一対一の清算です。条件的な清算ではありません。皆さんは、条件的な清算をすることに問題はありません。
また、条件的な清算だけでなく、これからは歓迎できる条件です。自分の家庭が孝子の家庭になることを願い、国が忠臣の国になることを願い、世界が聖人の世界になることを願い、天地が聖子の天地になることを願うのです。
そのようになることができる教育をして、そのように導ける所は統一教会しかないので、世界がすべて願っていることをしなければなりません。このようにして、解放圏をすべてつくっておき、地上に定着できるその時から、「蕩減時代を越えた」と言うことができます。
9 父母は、死の境を越えている子女を見れば、じっとしていることができません。最後まで死力を尽くし、一言でも付け加えることによって復活するようになるならば、父母は万歳を叫ぶようになるでしょう。その境地にならなければ分かりません。
お父様は、一人でも生かすために生死を懸けて闘っています。人類の生命をめぐって闘ってきた生涯でした。それは霊界が知っています。そのような人は、天運が打つことはできません。
そして、いくら監獄に入ることになっても、むしろ反省するというのです。「私が果たすべき投入の限界までまだ至っていないのでこのようなことが起きた」と考えるのです。
それ以上にしなければならないと考えたときは、後悔がありません。後悔せず、忘れてしまいます。父母はそのような子女を見て涙を浮かべ、永遠を掲げて祝福するのです。心情圏には、そのような背後があります。
10 お父様は今まで、一生の間、蕩減復帰の峠を越えてきました。個人の峠を越え、家庭の峠を越え、氏族の峠を越え、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の峠を越えてきました。
世界が、これまでお父様に反対しました。そして、家庭的に父母たちが動員されて反対したのです。その次には、氏族、民族、国家を越えて世界が反対しました。すべての宗派が反対しました。しかし、除去することはできませんでした。
今になっては、そのように攻撃した側がみな、落ちていくのです。神様が公認します。攻撃して除去できなかったことによって、屈服するのです。ここで、お父様は戦いませんでした。神様の戦略戦術は、打たれて奪ってくるのです。神様の創造理想には、打つという論理がありません。
11 サタン世界を蕩減復帰していくとき、一番の近道は、その国で最も迫害を受ける道を行くことです。その国の監獄のどん底に、この直線の道が連結されています。垂直に通じる道は、受難の道であり、死の交差路のような監獄の道です。その道は、直線と通ずる橋と同じです。ですから、お父様は監獄を訪ねていくのです。それゆえ、天は監獄に追い込むのです。イエス様も、監獄を経て死にました。その国の主権者の怨讐になる立場が、監獄の底です。頂上に上がろうとすれば、監獄を貫いて上がっていく道が一番早いというのです。主権者を越えていく道で、義なる立場に立って(監獄に)追われるようになれば、主権者が悪なる立場に立つようになるときには、そこから出てくるやいなや、主権者の上に上がるのです。善なる人が監獄に入れば、その人の周辺全体が擁護し、押し上げてくれるようになっています。垂直線の段階に上がっていく一番の近道は、監獄の道を通して訪ねてくるのです。
ついに勝利者となる
真のお父様は、日本統治下で一度、北朝鮮の共産治下で三度、自由世界の大韓民国とアメリカでそれぞれ一度、合計六度にわたって、何の罪もなく監獄に入られた。打たれて奪ってくる蕩減復帰の原則を御存じであるがゆえに、耐えて、また耐えながら、ただ神様の摂理を一段階ずつ進めるため、監獄でもあらゆる受難を克服された。至る所に巣くうサタンの代表勢力に堂々と立ち向かいながら、暗闇の世を導く灯台の光となり、さらには、太陽の役割をされたのである。
そして、ついに真の父母様は、あらゆる反対と迫害を乗り越え、勝利された。
12 お父様が地上で監獄に行ったことがどれほど無念な事実か分かりません。皆さんと皆さんの先祖の体面と威信はどうなりますか。すべて首がかかっているというのです。この途方もない内容が連結されるのです。
何ゆえに六度も監獄に行ったのでしょうか。監獄に一度だけ行っても、赤線が引かれるのです。六度も行けば、それは、世の中に足を踏み入れて歩くことができない恥ずかしい姿になるのです。しかし、私は恥ずかしいと思いません。恥ずかしい国がそのようにしたのであり、死んではならないので私は生き残ったのです。監獄から生きて出てきたというのです。
Tuesday Jul 18, 2023
真の父母経 第200話
Tuesday Jul 18, 2023
Tuesday Jul 18, 2023
第五節 ダンベリー刑務所出監と真の父母様の勝利
「開天門の日」宣布
真のお父様は、一九八五年二月一日早朝、ダンベリー連邦刑務所からイースト・ガーテンにいらっしゃる真のお母様に電話をかけられ、霊界と肉界の門を大きく開いて連結する「開天門の日」を宣布された。そして、「これを通して地獄から天国にまで上がれる高速道路を築いた」と語られた。
1 お父様は、一人でゴリアテの前に現れたダビデのようにアメリカと闘っています。現在、闘い始めて十三ヵ月目です。十三数は、アメリカでは一番悪い数です。十三ヵ月間闘って終わらせるのです。四百日近く闘ってきているのです。
監獄に入り、天上にまで上れる道を開いておきました。地上地獄から天上まで高速道路を造ったのです。ですから、父母様として立ち得る条件を、監獄にいる期間にすべて立てました。
2 お父様は、一生を経ながら、父母の立場で子女たちが行くべき道に責任をもち、すべて築き上げました。皆さんが父母様を愛するその愛で、人類を愛する立場に立つようになれば、皆さんは父母様と一つになり、(父母様と)水平に立つようになります。そのようになれば、堕落した心情圏はその下に位置するようになるので、サタンが皆さんに手を出すことはできません。皆さんは、天の国に直通できるというのです。そのようなことを始めるためのものが、「開天門の日」宣布です。
私がダンベリーにいる時にしたのです。一九八四年七月から翌年一月まで、十三ヵ月の監獄生活の半分となる七ヵ月の期間に、監獄の一番どん底、地獄のどん底に入っていって門を開きました。その門を開いたので、心情圏を中心として、サタン世界を解放してあげられるのです。
3 一九八五年二月一日に、天上世界と地獄の門を開く「開天門の日」を宣布しました。極と極の位置に立てておいて連結したのです。平衡の極ではなく、垂直的な極です。これを連結する場で、初めて解決点が生じるのです。霊界と肉界を連結させるのです。神様の心をもって、愛の力が連結される業をしなければなりません。
4 地獄を解放しなければ、天国が完成しません。堕落する前は地獄がありませんでした。サタンの血で汚された根を天の血で清め、本然の根の形態を備えて再び実を回復するようになる時、天国の門が開かれるのです。
そのようなみ旨を知っている私たちが見るとき、天国の門が開かれる前に地獄が生じたというのは、悲惨な話です。「地獄がある」という話自体が悲惨なのです。堕落によって地獄ができました。地獄ができたので、地獄まで天国にしなければならないのです。真の父母は、地獄解放まで提示できる心情圏を、すべて展開させておかなければなりません。世界が切迫しているというのです。
5 霊界に行っている先君の王権を中心とした忠臣烈女たちが地上に降りてきて、「真の父母の王権を中心とした理想圏で、父母様にみな従っていきなさい」と言いました。霊界でも、父母様の知らせをすべて聞くのです。これからは良い知らせが入ります。みな「有名だ」と言うようになっています。ですから、「悪い」という言葉は消え、「良い、良い」といううわさが立って、霊界にいる自分の先祖たちがしきりに来て、教えてくれるのです。
霊界にいる善なる先祖たちが地獄にまで入っていって教育するのです。その門を私がダンベリーで開いておきました。一九八五年二月一日の午前三時に、監獄で、お母様と共に、地獄と天国に高速道路を造っておいたのです。
高速道路は通りましたが、準備をしなければなりません。車がなければならず、運転を習わなければならず、ガソリンがなければなりません。それは、皆さんにはないのです。自分の先祖たちがもってくるのです。自分の先祖たちが車をもってきてガソリンを入れ、運転を教えてくれて、善なる霊界に引き上げる運動を始めたというのです。
6 統一教会によって天国の門は開かれたのですが、まだお父様が行っていないので、天国に入った人はいません。私が探しに探し、底まですべてかき回して合わせてみると、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界、天の国の玉座まで直通できるたった一つの道があるというのです。
その道には、愛の旗で信号を送らなければならないのであって、それ以外の信号では通じません。行くことができないのです。天国に行く自信がありますか。愛の自動車を運転していくのです。そのようになれば、天使は愛の自動車に信号を遂り、天国に案内するのです。そこは高速道路になっています。
お父様はダンベリーで、お母様はイースガーテンで、初めて天と地が通じる門を開きました。ですから、天上世界に何千年も前に行った人々が天国に行こうとすれば、自分の子孫たちを通して、地獄を経由し、地上の位置に来なければなりません。天国に行こうとすれば、地獄に勝たなければなりません。地獄に勝った人が天国に行くのです。
7 私は、アメリカのどんな先祖よりも、血の涙を流しながら神様を紹介しました。ところが、彼らは反対に、自分たちの野心のために血を流させたのです。このようにして監獄に入って出てきたので、世界の長子権復帰が成立したのです。すべて、打たれて奪ってくる作戦を取りました。そこから世界復帰、天宙復帰時代になるのです。地獄世界解放のための闘いをしました。
アメリカで、一九八五年二月一日午前三時を中心として、開天門の役事を行ったのです。
私が自分自身のことをまず考え、統一教会を考えたならば、監獄に入りません。アメリカのことだけを考えるのではありません。地獄の門を開き、霊界に行っている歴史的カインを消化しなければなりません。そのようにしなければ、長子権の個人を復帰するための長子権の門を心情圏で開くことはできないというのです。
長子権の個人からすべて開いたので、世界史的な長子権を中心として出ていくとき、反対することはできないという結論が出るのです。
出監と真の父母様の勝利
真のお父様は、第二百十回アメリカ独立記念日の一九八五年七月四日、ダンベリー連邦刑務所を出所され、ニューヨークの外れにあるブルックリン、ハーフウェィ・ハウスに移監されたのち、残りの刑期を終えられ、一九八五年八月二十日午前零時、完全に出監された。模範囚に選定され、刑期が五ヵ月短縮されたのである。真のお父様はダンベリーでの受難を通して、真のお母様と一体となられることにより、世界的蕩減復帰路程を勝利に導かれたのである。
8 お父様がダンベリー刑務所から出てくる時には、多くの囚人たちが歓送しようとしました。そうして私が何日の何時に出所するかを彼らがあらかじめ把握したあと、「道に出ていって見送りしよう」と言っているのを刑務所の所長が知って、大変なことになったと考えたのです。文某が出ていく時、二百人近い人々がみな出てくれば大騒ぎになりそうなので、「午前八時に出所する」と言っておいて、七時に他の所から送り出したのです。
私が出発したあとに囚人たちがそれを知り、「全く、なぜそのようなひどいことができるのか」と騒ぎ立て、抗議したというのです。通りすがりのお客さんだと思っていた一人のアジア人が、荒々しく凶悪なその社会に入って、一年間で彼らと涙の交流をしたのです。
9 私がアメリカのダンベリーにある監獄に一年一ヵ月の間いた時、ダンベリーの多くの囚人たちが私を尊敬しました。彼らは、監獄から出ることになったら、自分がもっている貴い物を私にすべて預けて出ていき、統一教会を訪ねていくと言ったのです。今でも「訪ねてきなさい」と新聞に広告を出せば、訪ねてくる人たちが多いでしょう。
彼らに、「統一教会に行きたければ、監獄で訓読会をする時に参加しなければならない」と言うと、互いに「参加する」と言ったのです。そうすると、刑務所で問題になるというのです。七人以上集まらないように制限されているので、互いに先を争って集まろうとする環境がつくられました。
そのように暮らして監獄から出る時、その人々はお父様を見て泣きました。男性の囚人たちが、お父様のことが慕わしくて涙を流すとすれば、監獄生活を正しく送りましたか、送れませんでしたか。お父様が行く所は、どこでも問題になるというのです。
10 一九八五年は、アメリカ独立二百十年目になる年です。二百十回目の独立記念日の七月四日にダンベリーから出所したというのは、新しい歴史的次元、国家的次元に飛躍できる時代に越えていくことを示しています。独立記念日に解放されたというのは、新しい出発の表示だというのです。摂理史的な意義が大きいのです。ユダヤ民族がバビロンから二百十年目に解放されて故郷に帰ってきたという事実もそうです。新しい聖殿を造り、新しい国家理念をもって出発し、新時代に越えていくことを意味するのです。
ですから、一九八五年七月四日のアメリカ独立記念日は、お父様の日だというのです。そこには、そのような意味が込められています。年代的な期間で見てもこのような意義があり、このような摂理歴史が伴っていることを考えなければなりません。
今後、一九八六年七月四日になれば、お父様のことを思う人がアメリカに徐々に増えてくるというのです。そして、「統一原理」と「統一思想」を知る人々にとって、お父様がアメリカに来て監獄で過ごし、解放された日は、一生を通じて忘れようとしても忘れられない日になるのです。既に、独立記念日と言えば、お父様が監獄から出てきた日、解放された日であることを記憶せざるを得ないというのです。
Monday Jul 17, 2023
真の父母経 第201話
Monday Jul 17, 2023
Monday Jul 17, 2023
11 イエス様が十字架で亡くなったあと、三日と四十日を合わせて四十三日の期間に、イエス様が死の中から復活するなどの役事がありました。本来は、一九八五年七月八日にダンべリーから出てくる予定でしたが、七月四日に出てきました。七月八日からきょうの八月二十日までが、正に四十三日になる期間です。
イエス様が復活したのと同じように、イエス様が取り戻すべき復活圏、キリスト教文化圏を実体的に取り戻すためには、この期間にすべて、統一教会員として完全に立たなければなりません。アメリカ国民も、この期間にすべて回らなければなりません。ですから、この期間にお父様が復活するのです。昔、イエス様の時にはイエス様の弟子たちだけが復活の栄光を受けましたが、今や実体的にアメリカ国民まで合わせて、その栄光に参与できる基盤ができなければなりません。
お父様のことをサタンだと思ったのですが、分かってみれば天の人であり、私たちが反対すべき人ではなかったことをアメリカ国民が知るようになりました。そうして、キリスト教が悔い改めて立ち上がるということが、アメリカの中で今始まっているのです。
お父様がダンベリーにいた十三ヵ月の十三数というのは、イエス様を中心として十二弟子を合わせた十三数と同じです。この十三数は蕩減復帰数です。けれども、西欧社会では十三数が一番悪い数になっています。しかし、今や完全に蕩減復帰をしたというのです。
12 私が監獄に入る時は命懸けでした。そこでは、人を一人片づけてしまうことは簡単なのです。神様にとって、私の命が奪われては大変なことになるので、行くやいなや天が配置した人々がいました。そのような謎めいた内容が多くあるのです。夜になり、私が寝床に入って眠るときは、私を守ってくれる人がいました。夜十二時から早朝四時まで、眠らずに守るのです。それは、人間がしてくれるのではありません。私がダンベリーを出て、社会に出ていくための中間訓練場であるハーフウェイ・ハウスに行ったときもそうでした。出る前に、既に霊界通信網を通して、私を保護できるように一週間前から準備していたのです。黒人一人と中国人一人が待っていました。私が夜十二時から早朝五時まで寝るとすれば、その人々は交替でテレビを見ながら、ドアの所でしっかりと守っているのです。見張るのです。誰が保護したのでしょうか。神様が保護してくださったのです。
13 私が監獄から出てくると、アメリカの立派な牧師が十二人来て、私をつかんで抱きかかえたりして大騒ぎでした。私は会ったこともなかったのですが、その人々は、なぜそのようにしたのでしょうか。挨拶もしたことがなく、一度も会ったことがないお父様に対して、なぜ涙を流しながら喜んだのかというのです。
それは、アメリカという国自体に対する羞恥心と、お父様が宗教者として偉大な実績を積んで、善の道を中心として闘争したその価値を考えたからです。
自分たちの一生と比較するとき、みな頭を下げざるを得ないというのです。話をしなくても、老いたその人々が涙ぐみ、その青い目から大粒の涙が落ちるのを見ました。自分が監獄から出てくること以上に喜ぶのを見ながら、「善の世界はこのような所から、このようなチェーンがつながって発展するのだな」と思いました。滅びるしかないアメリカに、私によって新しい輪ができたのです。
難破して流されるしかなかった船に、錨の綱をくくりつける輪を、私がつくってあげたというのです。取り除く者がなく、切る者がない錨の綱でくくりつけるとき、アメリカは生きるのです。お父様が正義の綱でアメリカを愛したので、断ち切ることはできず、アメリカは復活してよみがえると考えるのです。
14 私がダンベリーに行くことによって、世界的な総蕩減をしました。ダンベリーに行ったのは、地上世界の全体から反対されるのを代表する立場で、十字架を背負っていったのと同じです。その十字架を背負った目的は、霊界の統一と地上の解放のためです。統一が目的だというのです。
ですから、私がダンベリーに行く時には、アメリカをはじめ地上のすべての団体が動員されました。ユダヤ教からキリスト教、宗教すべてが、その次にはアメリカから世界各国、すべてが動員されました。何しろ、中央情報局(CIA)を通して二十五ヵ国を調査したのです。このようにして、条件があれば引っ掛けて押し込めようとしました。そのように、世界的に自分たちのもてる力を尽くして反対したのです。
私たちがそのように反対を受けたのは、霊界を奪い返すためです。霊界を奪い返すことが目的です。私たちの統一基盤を打って倒し、破壊しようとしたのです。そこでは、お父様とアメリカ政府は一対一でした。言い換えれば、アメリカ合衆国が原告になり、私が被告になって闘ったのです。そうして、これをひっくり返しておきました。この事実は、霊界が統一圏に入ってきたことを意味します。ですから、一九八五年から約三年間、霊界が地上と歩調を合わせていかなければなりません。霊界の統一圏が広がったので、地上と歩調を合わせていかなければならないというのです。
15 歴史時代の宗教者の中で、世界的に最も迫害を多く受けた代表的な路程を歩んだアベル的な一人の人物が、二十世紀後半に現れたお父様です。そのような路程を歩みました。ダンベリー刑務所に放り込んで「滅びよ、死ね」と言ったのですが、神様が助けてくださり、滅びることもなく、死ぬこともありませんでした。分かってみれば、人類全体を救うための義人だったというのです。それでみな、頭を下げるのです。
16 神様が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。そして、人類が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。たった一つ、サタンが主張することがあります。「私が堕落したとしても、本然の原則的基準における父母の心情から見れば、神様は私を愛するようになっていて、神様の息子も私を愛するようになっています。そのように愛してこそ、天国に行くようになっているのが原理原則ではありませんか」と言うのです。このように言ってくれば、神様はどうすることもできません。ここにすべて引っ掛かるのです。
「天国に入れる資格をもった者になり、完成した人間の位置に上がろうとすれば、私(サタン)を愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、完成の位置に上がっていける道はありません」と主張するサタンの言葉に引っ掛かっているのです。
ですから、イエス様も十字架上で怨讐を愛しなさいと語り、お父様もダンベリーでアメリカ人全体のために祈って、愛の基準を立てたのです。
そのようにして、その愛の軸に、世界の数多くの民族が水平線で連結されています。アメリカに連結されたのです。アベルがすべて連結されたというのです。そのように連結された思想的基準の上では、サタンに侵害する権限はありません。
17 皆さんが復帰の道を行く過程では、豊かに暮らそうと考えることはできないようになっています。苦労しなければならないというのです。そして、夫まで監獄に送りながら、その夫のために精誠を捧げ、一家までも犠牲になろうとしなければなりません。そのような決意を固めるその場でのみ、天倫の歴史が連結されてくるのです。
今回、お父様は、お母様に対して有り難く思いました。ダンベリーを中心として、お母様はたびたび心情的に深い次元の谷間を経験しただろうと思います。そのように暮らしたので、基準が次第に上がってくるのです。今回、ダンベリーを通して、お父様の貴い価値がさらに分かるようになったというのです。
18 お母様が、私のゆえに苦労しました。監獄を信じることができますか。世界の共産党が狙っている状況なのに、そこは裸になって野原に横たわっているのと同じ立場なのです。お母様が涙を流しながら、そのダンベリーに毎日のように通いました。
イースト・ガーデンで生活しながら、涙を流さなかったと思いますか。日曜日の朝五時の敬礼式を行い、祈る時は涙を流しただろうと思います。子女たちも涙を流したでしょう。何のために、そのような涙を流したのでしょうか。
お父様はお金もあり、権威もあり、知識もあります。人々を指導することもできます。しかし、なぜ私がアメリカに来たのかというのです。なぜお父様が、争いを好む人になったのかというのです。それはひとえに、神様のみ旨のためなのです。
第六節 獄中での受難が示す教訓
復帰路程は蕩減の道
真のお父様は、準備されたキリスト教と中心人物たちが責任を果たせないことにより、六度にわたって獄中での受難を通して蕩減の道を歩まれた。そのような蕩減の道は、神様の恨を解怨成就しようという血と汗と涙の「天路歴程」(天国に向かって歩む道)であった。そして、真の父母様は、蕩減復帰摂理の縦的・横的八段階の過程を成功裏に締めくくられるのである。
1 復帰の道は、蕩減しなければなりません。復帰の道は、蕩減の道です。そこには、自分一身を中心として考え、「私はこのような立場でこのように生きなければならない」という観念がありません。全体的な観念がない中で、「天が残された受難の道を私が歩めずにいる」という事実を感じながら、一歩でも、より早くその受難の道を消化していかなければなりません。批判したり、難しいと思ったりすれば、消化できません。感謝の心をもって消化していかなければなりません。
皆さんと天の違いは、天は高く、皆さんは低いということです。ですから、自分はどのように天の掲げる位置に行くかを常に考えなければなりません。個人と天の違いは大きいのですが、どのようにして平準を取っていくかというのです。天は「私」を訪ねてこなければならず、私は天を訪ねていかなければなりません。私が天まで行くには、困難が大きいというのです。このようにして蕩減するのです。
Monday Jul 17, 2023
真の父母経 第199話
Monday Jul 17, 2023
Monday Jul 17, 2023
11 アメリカは、キリスト教というものが名前だけ残り、人本主義と拝金主義と共産主義が表面に立って国を動かしている立場にあります。今になってようやくアメリカ政府は、これがキリスト教にとって怨讐となり、キリスト教に反対するものになることが分かりました。国会では、宗教に有利な法の条文を何度もひっくり返し、自分たちの側に立って神様とは遠い立場に引っ張っていくことが分かりました。
ですから、お父様のダンベリー事件は、このような問題を掲げて、信仰の自由化運動による統合運動を提示できる良い機会でした。それで、監獄に入る前から信仰の自由化運動をするとともに、監獄に入ってからもキリスト教徒統合運動のための準備をしたのです。アメリカが持て余す共産主義に対処するための南北米統一連合運動(CAUSA)と、キリスト教再復興運動を中心にした神霊運動を連結させたのです。これがお父様の運動であり、統一教会の運動でした。
12 今までアメリカは、自分の国だけのためのアメリカだったのですが、それではいけません。世界のためのアメリカとして、世界を救い、世界をリードしなければなりません。ところが、世界をアメリカの支配下に置くことを願い、アメリカの利益を追求するために、神様も何もすべて放り投げたというのです。世界人類のための平和の世界創建ということを忘れてしまい、アメリカだけのための勝利的基盤を(国民に)相続させようとする態度をとってきたので、ここから神様の役事が離れてしまいました。神様が世界的に活動できる基盤が現れなかったというのです。
そこから、アメリカはだんだんと落ちていきます。それにより、カインが再び侵犯するのです。カインは、世の中の習慣性を中心とした伝統的な思想によって動きます。アメリカであれば、アメリカの生活を中心とした伝統があります。その習慣化された外的な世界基盤を中心として、そのもとにキリスト教をすべて追い込もうとするのです。ですから、その時からアメリカ政府がキリスト教に反対し、宗教の自由権を侵食して、学校で祈りを捧げることを問題視したり、キリスト教の学校に対する支援策を撤回したりするなど、次第に多の問題が現れ、それが、お父様がダンベリーに入る時に最高潮に達しました。そのような状況でダンベリーに入ることにより、初めて、そのようなことに対する覚醒が起きたのです。
13 イエス様の時代には、すべて失ってしまいました。弟子を失い、教会と国と世界と天地を失ってしまったのです。その失ってしまったものを、お父様がダンベリーから出てくることによって、すべて取り戻せる運勢圏になりました。これから世界を主導でき、リードできる実権をつくらなければなりません。
皆さんは八段階の蕩減路程について学びましたが、いつ誰が蕩減しましたか。皆さんができなかったので、お父様が長子の使命を果たすのです。アベルの証し人として、長子の使命を果たすというのです。このように、長子であるお父様を中心とした統一教会が、次子の位置から長子の位置に上がっていきます。昔の長子が次子の位置に立たなければなりません。逆さまにならなければならないというのです。
言い換えれば、長子だったサタン側のキリスト教が次子の位置に立ち、長子となった統一教会に順応してこそ、天の道理に従って回っていくことができるのです。蕩減復帰をしてこそ、長子権と次子権の基盤の上で父母様が世界的によみがえることができます。原理がそのようになっているので、この位置がなければ、世界を主導できる父母の世界圏が出てきません。サタンと闘って長子権を取り戻してくるのです。お父様が長子権を取り戻したので、長子と次子が回っていくのです。
ダンベリーに入った日は、一九八四年七月二十日でした。その時、黒人の代表と白人の代表が、お父様を中心として一つになりました。イエス様が十字架についた時は、イエス様を中心として二人の強盗が争いましたが、お父様の時代に彼らが一つになったという事実は、白人世界と黒人世界が連結される最上の橋が架かったことを意味します。
14 キリスト教の信者たちの中から、「神側にあるキリスト教が、政府や外的な人本主義思想、共産主義、唯物思想をもった人から指導を受けてはならない。キリスト教思想を中心として、アメリカを完全に元の体制に戻さなければならない」という覚醒が起きました。お父様がダンベリーに入ることによって、そのような運動が起きたのです。その運動も、組織も、お父様が始めたものです。
その時、七千人以上のアメリカの牧師たちを韓国に連れてきて教育しました。彼らは韓国に来て、「神様を中心としたキリスト教運動は、アメリカが一番ではない」ということを知りました。アメリカが一番だと思っていたのに、韓国のキリスト教が、外形的にではあっても、発展していたというのです。
15 私は、ダンベリーの獄中にいながら、七千人のキリスト教牧師の連合運動をしました。これは、旧約時代の七千の群れ、エリヤのところに残った七千人の群れと同じです。イエス様の時代にも、イエス様を中心として七千人が一つになっていたならば、イスラエルの国を動かしたでしょう。それを現実的自由世界の舞台で再現するのです。その時は国家基準でしたが、今は世界的基準なので、七万人の牧師を結集する運動を行うのです。
16 イエス様の前に、洗礼ヨハネを中心として七千の群れが結合していたならば、イエス様はあのように死ななかったでしょう。ですから、アメリカで七千人以上の牧師たちを中心として、三十二万人の聖職者に「統一原理」に関する内容を通告したのです。『世界への神の警告』という冊子を作って配布しました。そこには原理の秘密がすべて入っています。私の責任を果たしました。次子のアベル圏を中心として、長子圏を屈服させたのです。
監獄に入って、出てきてみると、「レバレンド・ムーンでなければキリスト教に新しい方向を提示してくれる人はいない」というのが、神学界の結論として出てくるようになりました。アメリカの朝野が、もはやお父様の思想でなければアメリカを収拾できないという結論を下しました。これからのキリスト教が行くべき方向、アメリカが行くべき方向を提示したのです。
17 イエス様の十字架路程の世界的な蕩減的同時性の時代を迎えたお父様は、仕方なく追われてダンベリーの監獄に入りました。それは、エリヤが祈った立場と同じです。アメリカのキリスト教が反対し、政府が反対しました。(お父様を)何とかしようと謀議し、自分たちのためにお父様が終わりになることを願ったのです。彼らは私の命を奪うことができなかったから奪わなかったのであって、奪える方法があったならば、ありとあらゆることをしてでも奪ったでしょう。しかし、自分たちの思いどおりにできなかったのです。
そこでお父様は、キリスト教の牧師を七千人以上集めて教育しました。原理の本から「勝共理論」「統一思想」、今まで語った重要な内容を抜粋して獄中で作った『世界への神の警告』という本も送ってあげました。
お父様が監獄に入ることによって、アメリカのキリスト教界では「政府が宗教を弾圧している」と言って、四十の教団が団結する運動が起きました。それで、お父様がいる獄中に入り、一週間ずつ自分たちも苦難に同参しようという「同苦の会」というものをつくって運動を展開するようになり、アメリカ全域で問題になったのです。
18 お父様は、ダンベリーにいながら、キリスト教の指導者七千人以上に対する教育を始めました。そのようにしてから、南北米統一連合運動を活発に展開し、また、キリスト教の牧師七万人を教育しました。四年間でそのようにしたのです。これが、キリスト教に基盤を築くための計画でした。
私たちがアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。アメリカでキリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによって、アベルとカインが一つになるのであり、キリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによってアベルの立場になり、アメリカ政府はカインの立場になるのです。
これらを、神様の思想、真の父母の思想をもって一つにするのです。これが神様の目的です。このような基盤を築いたあとに、アメリカは本然の神様の側になるのです。アメリカの最後の目的は、神様の理想世界です。本然の地上天国です。それが最終的な目標です。それは、アメリカの目標であると同時にキリスト教の目標であり、統一教会の目標でもあります。このような基盤を築けば、世界人類を教育することは問題ありません。
Friday Jul 14, 2023
真の父母経 第208話
Friday Jul 14, 2023
Friday Jul 14, 2023
6 今日、私たちは北朝鮮と対峙しています。ですから、常に北朝鮮が韓国にスパイを浸透させようとするのですが、どこに浸透させるのでしょうか。統と班に浸透させるのです。それを点として線で結び、それに乗って中央にまで上がっていくのです。中央の頂上は指導体制が一つです。そこに向かっていくのです。それで、ある程度まで数が確保されるときには、地下組織を上部から編成し、統一的体制を形成します。そのようにして編制一元化を企てることが共産主義の戦略です。
ですから、私たちが注目すべきことは、敵がどこから浸透してくるかということです。統と班を通して浸透してくるというのです。それゆえ、この統と班をどのように組織化するかが問題です。私は「南北統一運動国民連合」をっくって、統一教会の組織、「国際勝共連合」の組織、「南北統一運動国民連合」の組織、新たにこの三つの組織に編成しました。
統一教会が頭であり、国民連合は足です。しかし、復帰時代には、頭からするのではなく足からするのです。大韓民国の国民が同じ軸を中心として回らなければなりません。そのような意味で、国民連合を中心として一つになりなさいというのです。国民連合を中心とするのですが、統と班に行って、一つになりなさいということです。
統一に備えた組織強化および教育
真の父母様は、韓国の経済成長と八八ソウルオリンピックなどにより、南北間の格差がますます広がり、北朝鮮の韓半島赤化統一に対する野心が大きくなるにつれ、汎国民的な勝共および統一運動の発展が、より一層、切実な問題になると語られた。特に、北朝鮮が韓半島での総選挙を提案してくることに備えて、徹底した「勝共思想」教育を実施しなければならないことを強調された。このため、末端の行政組織である洞、統、班、また面、里、班まで組織を緻密にし、強固にすると同時に、共生、共栄、共義の「神主義」すなわち「頭翼思想」を根本理念とする思想武装教育を本格的に展開された。
7 アメリカやソ連、日本は、韓国と北朝鮮が闘うことを願っていません。どのようにしてでも平和が持続することを願っています。中国も、一九八八年以降には方向転換し、自由世界と連結される道を開いていこうとしているのに、韓国と北朝鮮の間に紛争が起きれば、自由世界と関係を結ぼうとしていたことが一大打撃を受けるようになるので、紛争を願わないというのです。
世界情勢がこのようになっているので、北朝鮮は、間違いなく韓国と北朝鮮の総選挙を提案してこざるを得ないと思います。そうして、北朝鮮は「できる限り短い期間、四十日以内に総選挙をしよう」と言うでしょう。このように提案してくれば、韓国政府は受け入れざるを得ません。ところが、北朝鮮は、韓国の行政機関に対処するすべての組織から、市、郡と面、里、統、班まで、二重に組織しています。韓国の面、里、統、班まで二重編成をしておいて待っているのです。自分たちの計画どおり、ただそのまま全面的な宣伝攻勢に出てくるというのです。
韓国では、このような北朝鮮に対して備えておいたものが何もありません。神様の摂理から見るとき、悪魔は最後まで、限界に至るまで攻撃して、ようやく後退します。彼らが総攻勢に出るとき、韓国はそれを防ぐことができないと考えたので、お父様は解放後の四十年間、これを防ぐための準備をしてきました。
8 八八ソウルオリンピック大会を中心として、北朝鮮は隅に追いやられ、本当に困難な立場にあります。ですから、危険だというのです。金日成主席の性格から見るとき、「中国もソ連も信じることなく、行動を起こして韓国を急襲し、拳で握ってしまえばよいではないか」と考えるというのです。しかし、そのような攻撃ができなくなれば、必ず、「韓国と北朝鮮の総選挙をしよう」と言ってくるでしょう。「韓国と北朝鮮の総選挙をしよう」と言えば、ソ連も喜び、中国とアメリカ、日本も喜ぶようになります。不可避的に、そこに引っ張られていかざるを得ないというのです。
ですから、重要なことは、南北統一の雰囲気を造成することです。それで、韓国に「南北統一運動国民連合」をつくったのと同じように、世界に「東西南北統一運動連合」をつくらなければなりません。東洋と西洋の問題は、文化の格差です。文化的背景が違います。それが東西問題であり、南北問題は貧富の格差です。世界のいかなる国であろうと、ここにすべて引っ掛かっているので、「東西南北統一運動連合」をつくるしかありません。
9 自由民主主義の体制と共産主義の体制は、根本的に違います。自由民主主義体制は選挙によって大衆が指導者を選びますが、共産体制は労働者、農民、すなわちプロレタリアートの独裁政権です。ですから、反対する人は消してしまいます。共産党が指名すれば、いつでもその人は一〇〇パーセント当選するのです。独裁体制を永続化する方便として、そのようにしているというのです。
それゆえ、統一された体制をどのようにつくるかが問題です。そのようにするためには、思想的な面で民主体制と共産体制を越えることができ、消化できるもう一つの統一的な思想がなければなりません。そのような理論的基盤の上で統一体制を形成しなければならないというのです。統一体制の形成には、韓国が一つのモデルです。韓国を中心とした「南北統一運動国民連合」の形態をかたどってつくったのが、世界の「東西南北統一運動連合」です。韓国が正に世界のモデルになります。それに世界が付いてくれば、すべてが統一的世界体制に越えていくのです。
10 南北統一のために、どのように活動しなければならないのでしょうか。面と洞の単位を中心として活動しなければなりません。第一は、地方の面を中心とした里と班の強化、里と班をすべて教育しなければならないということです。面を中心とした里と班の教育です。第二は、都市の洞を中心とした統と班の教育です。
第三は、会館、教育場所の確保です。面単位を中心として教育できる場所を決定しなければなりません。第四は、後援会を結成しなければなりません。後援会さえ結成すれば、すべてのことが解決します。このように後援会をつくり、後援会に加入したすべての会員たちは、北朝鮮解放のために毎月、いくらかの会費を出すようにする運動をするのです。そのようになれば、これを中心として、里長と統長と班長を通して全体会議を行い、準備資金を集めることが可能です。最後に五番目は、後援会を中心として基金を確保しなければならないということです。
11 統一教会が一九六八年に「国際勝共連合」をつくってから、二十年間で、三泊四日の正式教育を受けた人たちが九十万人を超えます。誰ももつことができなかった、このような人的財産を連結させたというのは、誇るべきことです。
「国際勝共連合」だけでなく、私たちの教会が教育した人も、二百万人を超えます。二百万を超えるこの人々は、統一教会員にはなりませんでしたが、全国津々浦々に私たちの人脈として連結され、脈を打ち、血が通う基地になっているというのです。このような事実を政府も知らず、どの党も知りませんでした。
お父様が、一日でどこかの大会場、どこかの体育館を用意して大会をすると宣伝すれば、私に会うためにすぐに駆けつける隠れた人々がたくさんいるというのです。私たちは、これまで統と班の組織を結成してきましたが、お父様が話したこのような背後の人的資源が多くあるのです。これを基盤として、下部構造と上部構造を連結できる中枢的、中間的橋梁の基盤を拡張させるために行ったのが、韓国の指導者たちのアメリカ研修です。
韓国で政治家たちが地方自治制について議論し、大きなことを言っていますが、お父様の基盤を凌駕できるいかなる団体、いかなる政党もないと考えるのです。韓国だけでなく、日本とアメリカでも、このような実質的基盤を築いています。
今や行動を開始し、韓国から北朝鮮に潮水が流れ込んでいける力の橋頭堡を形成しなければならない時になりました。それができる人は、お父様しかいません。
12 「統一原理」と「頭翼思想」は、悪魔の世界では恐ろしいものですが、神様の世界では驚くべき武器です。韓国と北朝鮮の住民すべてに「頭翼思想」、神様の思想、「神主義」を教育するのです。
これが統一の最も早い答えになることは間違いありません。今、中東で起きているユダヤ教とイスラームの根深い争いを和解させることにも、「統一原理」」が必要です。シリアとエジプト、イエメンのイスラームの核心指導者四十人が、既に四十日教育を終えました。これは、兄弟ではできません。父だけができるのです。父母が来て、お互いが兄弟であることは間違いないと教えてあげるときには、一つになるのです。その父母が神様です。(父母なる)神様を教えてあげれば、すべて統一されるのです
13 私は、一生を通して共産主義と闘ってきた人です。私は、共産主義者たちから何度も命を脅かされ、一触即発の危機から命を守ってきました。しかし、私は、ある特定の共産主義指導者に反対したのでもなく、また社会主義に対して反対したのでもありませんでした。私は、創造主であられる神様を否定する唯物論に立脚した共産主義哲学が、真理でないことを知った人です。私は、神様の実存に対する徹底した体験と所信をもった者として、私たちの世界と人類が神様を求め、神様のみ前に帰らなければ、究極的に、人類は滅亡せざるを得ないと固く信じた人なのです。
そのような意味で、今日の自由主義世界、または資本主義世界が正しく進んでいるとは絶対に考えていません。かえって物質万能の資本主義世界の中に、唯物論と無神論の澎湃(ほうはい:物事が勢いよく起こるさま)が、過去の共産主義に劣らず、世界と人類の将来を脅かしていると考えています。
もし、宇宙の根本であられる神様がいらっしゃらないとすれば、この世の中に絶対価値の基準はあり得ません。そうなれば、人間の道徳と倫理の基準が成立せず、その社会は、人間が万物の霊長となり得る何の哲学的根拠ももち得ないのです。正にこのような無神論的物質万能主義から今日の世界のあらゆる難問題が派生し、世界に氾濫する民族紛争の悲劇、各宗教間の戦争と殺傷、麻薬による犯罪、フリーセックスによるエイズのような病気がもたらされているのです。
私は、このような問題を解決するための根本的な治癒策を見いだそうと苦心してきた人であり、その解答を神様から啓示を通して得た人です。すべての人間が、唯一なる天地の大主宰であられ、父母であられる神様を知り、その子女になることが、世界平和のための急務だと考えます。私は、左翼でもなく、右翼でもありません。私は、中心に立って頭主義、すなわち「頭翼思想」を宣布し、「神主義」がすなわち「頭翼思想」であることを宣布しました
Friday Jul 14, 2023
真の父母経 第207話
Friday Jul 14, 2023
Friday Jul 14, 2023
22 お父様は、一九六〇年代から勝共活動を展開しようと考えていました。その時から、法務部(日本の法務省に当たる)の対共関係の部署を通して、刑務所のスパイたちに勝共教育をしました。それを見ても、時は必ず訪れてくることが分かります。
一九六〇年から十年間、統一教会が歩んできた道は受難の道でした。しかし、これからは変わるでしょう。国家のために活動する統一教会なので、統一教会が発展できる外的な環境を国家がつくってくれるでしょう。私たちが勝共教育をしてきたのですが、勝共修練会で修練を受けてきた人々を見てください。なぜ、それほど変わるのかというのです。わずか数日問の教育を受けて、どのようにしたらそのように変われるのかというのです。
地方の有志たちを集めて教育したときにも、最初は自分たち同士で争い、ありとあらゆることが起きましたがあとから、「なぜ、五日間の教育を受けてこれほど変われたのか」と、彼ら自身もそれを不思議に思い、感嘆するほどでした。明らかに、理解できない何かがあるというのです。いくら尋ねてみても、彼らも「なぜそうなのか分からない」と言うのです。
23 「国際勝共連合」の活動が良い成果を収めているという事実を、大韓民国の人たちはみな知っています。ですから、内務部(日本の総務省に当たる)や情報機関では、自分たちの情報要員を秘密に送り込み、勉強させています。すなわち、国家観を担当する教授や、共産主義批判を担当する教授たちに教育を受けさせて、立体的に分析、報告させているというのです。
ところが、彼らが「これからはこのような教育を、国を挙げて行わなければならない。今まで、共産主義に対する批判はすることができたが、それを克服できる代案が分からなかった。しかし、今ようやくそれを学ぶことができて痛快だった」と報告するので、情報機関が驚きの目で見つめるようになったのです。
24 私たちは、反共闘争をしてきました。ところが、韓国政府は私たちを歓迎しませんでした。政府に隸属した多くの団体が、私たちの前で押されていき、勢いを失っていく環境になるので、かえって私たちに反対したのです。その機関長たちは、ありとあらゆる圧力を加えて私たちを消そうとし、当局と歩み寄って数多くの迫害を加えました。しかし、真理と公義は勝利するのです。
韓国では、一九七一年の一年間だけでも、千人以上のキリスト教牧師たちに勝共教育をしました。過去五年間に、合わせて六百五十万人を教育したのです。今になって、韓国における反共戦線の橋頭堡が統一教会であることを知り、すべて押し寄せてきています。今や、大学でも私たちが中心になっており、思想界でも既に中心になって、公務員、あるいは教育機関の思想講座は、私たちが担当するようになりました。
一九七一年にも「統一思想」を中心として、韓国の著名な教授四百人を教育しました。内的にはキリスト教を擁護し、外的には共産主義を防がなければならないのですが、それをする人が、私たち以外にはいません。反共戦線では、日本と台湾など、アジアの最先端で闘っています。
25 一九七九年十月の大統領殺害事件以降、統一教会は何をしたのでしょうか。金日成主席が韓国を侵犯できる良い機会だと考えたので、「国際勝共連合」を中心として七十万人の会員を確保し、団結大会を行いました。命を懸け、莫大な資金を投入しました。政府がこのようなことをしなくても、国民が何と言おうとも、これを抱き、基盤を築いて闘わなければなりません。
神様のみ旨によって、そのようにしたのです。反共戦線を構築し、韓国の地から共産主義を防ぎ止めなければならず、青少年たちの淪落を防がなければならず、没落していくキリスト教を復興させなければならないというのです。もしキリスト教が受け入れなければ、キリスト教を差し置いて、統一教会の基盤をもってしなければならないというのです。
26 一九八三年にお父様が韓国の為政者と関係者たちに会った時、彼らは非常に驚きました。それは、お父様が常に永遠の真理の側に立っていることを知ったからです。その時、韓国の国民は、大韓航空機撃墜事件とミャンマーのラングーン爆破事件によって、大きな苦痛を受けていました。しかし、彼らと会った時、彼らは、一筋の希望を見いだしたという表情で、お父様を迎えたのです。
国民は士気が大きく低下し、落胆した表情をしていましたが、共産主義に勝つ方法をお父様から見いだせるのではないかという希望を抱いていました。全国勝共決起大会の時、「共産主義に勝てる」というお父様の明快なメッセージに接し、すべての国民が歓迎しながら拍手で応えてくれたのです。お父様は、絶望の中で怒りを静めようとしている彼らに、希望を次き込んであげたのです。
27 私が勝共運動をする目的は、共産主義者たちを滅ぼそうということではなく、真の真理と真の愛によって彼らを解放して生かしてあげるためです。これが目的なので、今、水に溺れて苦しんでいる共産世界を、私心なく犠牲になって助けてあげようとするのです。
一九八九年十月十二日に開催された「世界平和教授アカデミー・ソ連重鎮言論人招請懇談会」に、私の招請でソ連の著名な言論人たちが韓国に来て参席しました。そして、帰国する時、彼らは断ろうとしたのですが、私が説得して彼らを平壌に送り、金日成主席にメッセージを伝えさせました。
そのメッセージの内容は、第一に、私は彼の怨讐ではないということであり、第二に、韓国赤化の野心を捨てなさいということであり、第三に、世界的な趨勢に逆行せず、真理に帰り、門を開いて手を広げれば、私たちは兄弟になって、みな一緒に繁栄し、幸せに暮らせるというものでした。
28 金日成主席を生かしてあげ、一人の証人として立てなければなりません。お父様はやはり偉大だと証する証人が必要です。私は、反共指導者ではなく勝共指導者です。共産党を滅ぼそうとするのではありません。共産党を救ってあげようとするのです。神様は善なる人を中心として救うので、(善の人を)滅ぼそうとする人は滅びていき、善の立場で打たれる人は栄えていくのです。これが天理の行く大道です。
第二節 「南北統一運動国民連合」
「南北統一運動国民連合」創設の背景
一九八七年五月十五日、ソウルのリトル、エンジェルス芸術会館において、「南北統一運動国民連合」が創設された。これに先立ち、五月四日から韓国の十大都市で、南北統一運動国民大会が開催された。真の父母様は、「国際勝共連合」の活動基盤を南北統一運動に転換させるため、汎国民運動である「南北統一運動国民連合」を立てられたのである。
1 お父様は、光復直後にキリスト教とキリスト教文化圏を中心とした国、カイン圏とアベル圏の世界的な国家が一つになれなかったことに代わって、一つになったという条件を立てるとともに、韓国が南北に分かれてお父様を追放したので、韓国に戻ってきて再び国民を収拾して蕩減復帰するのです。それで、「南北統一運動国民連合」をつくりました。
カナン復帰路程で、イスラエル民族がヨルダン川を渡ってカナンの地に入るのと同じです。結局は、北朝鮮に入っていかなければなりません。カナンの地にはカナン七族が暮らしていました。共産圏を中心として、そのような怨讐たちが私たちを狙っているというのです。私たちが入っていって、彼らを消化しなければなりません。
2 お父様が行く道は、新しい祖国を求めていく道です。定礎石を据えるべき最後の息詰まる帰着点に向かって前進しています。この国で行われた一九八七年の「四・一三護憲措置」から「六・二九民主化宣言」までの多事多端な環境の中で、「南北統一運動国民連合」というタイトルのもと、ここに鉄柱を差し、「あなたが退くか、私が退くか」という闘いを繰り広げたのです。
お父様はたった一人で走ってきました。一介の男として、個人を代表し、一族の族長を代表し、一国の民族を代表し、世界の万民を代表する立場で、それだけでなく、歴史時代に来ては逝ったすべての聖人、賢哲たちを代表して神様の愛の恨を解いてさしあげることにおいて、「私を手本にしなければならない」という権威をもち、追われてもこの道を死なずに走ってきました。
この事実は、私が優れていたからできたのではありません。神様もお父様を持ち上げて、誇りたいというのです。怨讐たちが自然屈伏し、自分の息子、娘よりも、自国の国民よりも先にたたえる歓声が、地上から湧き上がることを願う神様なので、お父様が試練の舞台を克服するとき、助けるのではなく激しく追い立てたのです。そこに、歴史にない賞を与えるための神様の愛があったというのです。それを知ったので、私は死ぬことなくこの場まで来たのです。
3 北朝鮮の人々は、金日成主席が命令さえすれば韓国を侵攻できる武装を完備しています。しかし、武装完備したその力、すなわち欲心によって押す力と、統一教会が愛によって押す力があるとき、宇宙の力はどちらを協助すると思いますか。天運は、私たちを協助するというのです。
ですから、「私の家庭を祭物の立場で犠牲にしてでも、北朝鮮にいる数千、数万の家庭を救おう」という真の愛の心をもたなければなりません。そのような心が芽生えるときに、北朝鮮は崩れるようになります。自然に根の下のほうから腐るようになります。生命の要素はすべて(根から)上がってくるので、そこでは死、死亡の世界が始まるのです。結局、統一教会が準備できていないために、北朝鮮が残っているのです。ですから、これを準備するために、お父様は「南北統一運動国民連合」をつくりました。
4 韓国を統一するというのは、世界全体を統一するのと同じくらい大変なことです。しかし、これが摂理的な焦点になっているので、すべてが一つにならなければなりません。一つになるためには、二つになるという過程を経なければなりません。そのようになってこそ、二つをすべて消化できる能力をもてるのです。その基盤の上に、一つの存在として残るようになります。
ですから、皆さんは罪悪に満ちたこの世界を統一しなければなりません。罪悪の世界を統一するためには、まず罪悪の世界で麴にならなければなりません。麴になろうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。それは、力でするのではありません。愛でするのです。涙と血と汗を通してしなければなりません。
ですから、私たちは責任を果たさなければなりません。その責任を果たせば、統一の理念がこの地上に立てられるのです。したがって、私たちがやらなければならないことは、私たちの理念を基盤として、三千里半島から共産党を追い出すことです。アジアから追い出さなければなりません。この地から追い出さなければならないのです。
5 韓半島の韓国と北朝鮮さえ統一されれば、民主世界と共産世界が一つになるのです。これは、ユダヤ文化とギリシャ文化が一つになるのと同じです。これが一つになれば、東西が統一されるのです。宗教世界と文化世界、神本主義と人本主義、すべてのものが統一されます。
北朝鮮では金日成主席を「父」と言い、韓国では私を「父」と言って、二人の父が闘っています。一人はサタン側のメシヤであり、もう一人は天の側のメシヤです。二人のメシヤが闘うのです。そうして、お父様は上がっていき、金日成主席は下がっていきます。このようになることによって、世界の問題はすべて終わるのです。
Wednesday Jul 12, 2023
真の父母経 第206話
Wednesday Jul 12, 2023
Wednesday Jul 12, 2023
11 一九六五年十月、江原道で民間人家族がスパイに殺害される事件が起きましたが、その事件によって、与党と野党が口をそろえて、「江原道を反共模範道に指定し、反共闘争を強化しなければならない」と言っています。江原道が反共の模範道になり、これが次第に他の道にまで拡大していかなければなりません。そうして、十九歳から五十五歳までの男性たちによって反共組織を編成しなければならず、統一教会も反共闘争を強化しなければならないのです。このような局面なのですが、政府には反共闘争に対する理念的な代案があません。
私たちの勝共運動が、江原道から起きるようになった原因がここにあります。一列になって進んでいた群れ全体が回れ右すれば、一番後ろにいた人が先頭になるのと同じように、江原道は私たちの国で一番後れた道ですが、摂理的に見るときには、一番近い道になるのです。
また、江原道には軍の部隊がたくさんいますが、私たちが願うとおりに、これから統一教会の思想によって韓国軍を思想武装させることができます。そうして、北朝鮮までも思想的に押して上がっていくのです。
12 神様を身代わりし、民族のために立ち上がった皆さんが反共講義をするのは、幾人かの人のためではありません。復帰途上で、共産主義は必ず打ち破らなければならないサタンの勢力だからです。神様が、勝利する民族を立てようと苦心されているので、民族全体が歓迎するその日が来るまでは、自分たちが歓迎を受けることはできないという考えをもたなければなりません。
民族が歓迎するとき、皆さんが前に立つよりも、先祖として来ては逝ったすべての義人たちを前に立てて、神様を喜ばせてさしあげようという謙遜な心をもって向き合わなければなりません。もう皆さんは、歓迎を受ける場にいてはいけません。それは過程的な現象です。まだ皆さんには、越えていくべき峠がたくさん残っており、駆けていくべき道がたくさん残っています。その道を行くのに妨げとなる要件があっても、それを必ずや越えていこうという皆さんにならなければならないのです。
13 最近、地区長たちの報告によれば、地区長たちが道で人気者になったというのです。道知事が表彰しようとし、内務部の長官(日本の総務大臣に当たる)が表彰しようとするというのです。それは、理念的に見て、国が私たちを失ってはならないと認識したからです。昔は、お父様が少しでもどこかに出れば監視をしていた各警察局の情報課が、今や「統一教会でなければ駄目だ」と言う段階に変わりました。日陰が日向になり、日向が日陰になるのと同じ道理です。
彼らは、ますます急変する世界情勢のもと、さらには反共体制を強化すべき国家的な危機に直面した時点で、自分たちの生命と財産を失うことを恐れ、少し間違えば自分たちが死ぬだけでなく、親族や氏族まで死んでしまうこともよく分かっているのです。
14 ある地域長が、反共講師としてある地方に行った時のことです。講演会場には町の有志たち、警察署長から郡守に至るまで、公務員たちがみな集まっていました。ところが、「反共思想講座に責任をもった先生が来る」と言っていたのに、その先生は来ないで、どういうわけかぼさぼさ頭の青年がとぼとぼと歩いてくるというのです。最初は、彼のことを講師の使いをする人かと思い、「君、どこから来たのかね。講師の先生はいつ来られるのかな」と尋ねてくるので、彼は当惑するしかありませんでした。「きょう、講師として統一教会の誰々が来ると言っていたのだが、どうなったのか」と聞いてくるので、「私がそうです」と答えると、そのぼさぼさ頭の青年が講師だとは思わなかった彼らは、ひそひそと話し始めたというのです。自分の息子と同じ年頃の若い青年が講師とは、これ以上に恥ずかしいことはなかったでしょう。
しかし、自分たちが公文で招請したので、壇上に立たせないわけにはいきません。それで、二時間半にわたって講演をしたところ、仰天したというのです。反共講師である私たちの地域長たちは、大体が二十代の青年です。このような人々が群守や警察署長の友達になりました。
いくら理念が良いとしても、実績がその理念の基準に及ばなければ、その理念は価値を表すことができないのです。しかし、実績が理念の基準を越えるときには、その実績以上に、理念の価値が上がっていくのです。私たちは実績をもって闘わなければなりません。私たちは何ももたずに出てきましたが、忍耐心をもって実績を積み、近隣の人々を糾合しなければならないのです。
「国際勝共連合」の創設と勝共運動の展開
真の父母様は、国民啓蒙運動として、一九六五年十一月十日、反共啓蒙団を公式的に発足された。そして、一九六八年一月十三日、韓国全土の各道に組織された反共啓蒙団を一つに統合し、「国際勝共連合」を創設された。「国際勝共連合」の設立目的は、内的には韓国の国民を「勝共思想」によって思想武装させるためであり、外的には世界的に拡大する共産勢力に対処するためであった。
15 なぜ「国際勝共連合」をつくったのでしょうか。権力構造の、ある象徴的な一つの目標にするためにつくったのではありません。終局の目的達成のため、韓国に必要であり、世界に示し得る実績基盤に連結できる思想をもった団体がなければならないと考えたのでつくったのです。
私たちは、いずれにせよ思想戦の関門を通らなければなりません。何らかの主義をもったと誇る国でも、民主主義を追求しているアメリカでも、これから思想戦の関門で落伍する立場に立つようになれば、流れていってしまうのです。
私は、そのような面で終始徹底している人です。これから迫りくる世界の思想戦で、誰が主役になるのでしょうか。深刻な問題です。
16 私が今まで韓国で、教団を後援して超教派運動を進め、勝共活動をしているのは、南北統一のためです。南北の統一は、世界統一の起源になることを私は知っています。南北の解放は、世界の人類解放の起源になります。その根は一つです。その根が韓国にあるというのです。ですから、韓国解放のために生涯を捧げて闘ってきたのです。
今や、影響を及ぼし得る世界的な基盤を築きました。南北の分立は、私たちの民族が求めて起きたことではありません。強大国によって起きたことなので、これを解くことも、強大国の頂点を追い立てながらしなければならないのです。このように操ることができる背後をもたなければ、解放は不可能です。
17 私たちは、共産党を韓半島から追い出さなければなりません。韓国の歴史は、世界の歴史を縮小させたものです。ですから、韓半島は北朝鮮と韓国を中心として、民主世界と共産世界の最前線になっています。休戦ラインにある板門店は、世界で一つしかない討論の場です。これは、神様とサタンが対立している門と同じです。ですから、今や韓国が世界的な主導権を握ることができる新しい時代が来たのです。
ここで、共産主義を凌駕できる理念をもって、休戦ラインを押して越えていくことができ、キリスト教の腐敗性を抑制して新しい世界に駆けていける力の母体、団結の母体になれるのは、統一教会しかありません。ですから、統一という名前を中心として、世界的な新しい理想をつかんで前進していくのです。
18 お父様は、反共という言葉が好きではありません。しかし、反共をしなければ勝共が出てきません。反共をしてからさらに準備して、勝共をしなければならないというのです。
今からは、私たちが共産党に対して攻勢をかけなければなりません。お父様がこのための挙国的な団体を組織しようと計画し、かなり進んだのですが、世の中から反対を受けるようになり、今に至るまで延期されています。大変ですが、私たちは何としてでも、この段階を越えなければなりません。そうして、韓国を動かし、ひいては日本と中国を含むアジア全体を動かさなければなりません。今後、韓国とアメリカに世界的な反共団体をつくろうと思います。そうして、他の反共関連団体をすべて吸収し、新しい思想と理念で武装させて、反共指導要員を養成しようと思うのです。
19 私たちは、神様が喜ばれる道を求めながら、迫害を受ける道を歩んできました。それで、お父様は、今まで歩んできた道について考えてみました。ある時代の一時を思って神様に祈ったことが、そのとおりになりました。北朝鮮に入っていって祈ったその内容が、的中したというのです。韓国に来て、困難な峠を越えながら神様に談判祈祷をした、その時のことが思い出されます。神様が私をこのように苦労させるのは、滅ぼすためでもなく、死に追い立てているのでもありません。大きな誘惑と波風から抜け出し、希望の一時を迎えさせるための神様の摂理であることが分かりました。
私たちは寝ても覚めても、統一を考えなければなりません。第一次七年路程を歩みながら、私たちでなければならないという言葉が広まり始めました。国だけでなく、アジアが生きようとするなら、共産党を屈服させなければならないというのです。
20 「国際勝共連合」は、文字どおり、共産主義をこの地球村から追い出すことよりも、共産主義に勝利して消化できる運動をする連合体です。連合というのは、組織体を意味します。一人だけではできません。必ず組織体が必要だというのです。
共産主義は、世界的な組織基盤の上に立っています。その組織基盤が国家です。ですから、共産主義者たちは、世界のいかなる主義も消化できると考えるのです。「今日の民主主義も、私たちが行く道の前には必ず終わりを告げる。私たちだけが勝利する」と言うのです。共産主義は世界的な基盤、すべての国家を合わせたその基盤の上にあります。世界に向かって前進するそれ自体にもやはり、国々だけではなく、国家を連結させた世界的基盤があるからです。
ですから、共産主義を防ぐためには、私たちもそれ以上の組織的基盤が必要です。個人に連結された関係から、家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越えなければなりません。それを克服し、それ以上の目的に向かって、一つの連結体をつくっていかなければなりません。そのように、切っても切れない関係の上で、世界的な共産主義、国家の上に立っている共産主義を防ごうというのです。
21 これから「国際勝共連合」の活動は、教会より先に立たなければならず、国より先に立たなければなりません。私たちは今、宗教の次元を超え、国家の次元を超えて、どの団体よりも先頭に立つことができる活動をしています。ですから、私たちの幹部たちに講義をするように指示しています。皆さんは「国際勝共連合」の活動を中心として、挙国的に新しい方向を定め、闘っていかなければならないのです。そのような段階に入ってきています。
統一教会の活動を通しては、国を率いていくことができません。キリスト教や数多くの教団が反対するというのです。しかし、「共産党に勝利しよう」と主張することに対しては、すべてがもろ手を挙けて歓迎するのです。私たちが勝共教育をするようになれば、宗派を超越することができます。
Monday Jul 10, 2023
真の父母経 第196話
Monday Jul 10, 2023
Monday Jul 10, 2023
23 イギリスで、責任者が報告した内容があります。ある婦人が、霊界で興進君と共に活動している背景を教えてくれたのですが、聖フランチェスコはイタリアで死んだにもかかわらず、一度もイタリアに行けなかったというのです。ところが今回、興進君が霊界に来て配置することによって、初めてイタリアに行けるようになり、「どれほどうれしいか分からない」と言っているというのです。
また、ドイツの南部にいた一人の主教は、ドイツで死んだもかかわらずドイツに行けなかったのですが、興進君に「ここで監督しなさい」と言われ、ドイツに来て働くようになり、「真の父母様に協助できる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたというのです。その報告はすべて、お父様が語ったことと一致するのです。
霊界にいる人々は、興進君のことが分かりませんでした。「あの東洋の少年は誰だ。イエス様がそわそわしている」と言って不思議そうにしているので、興進君が「私が興進である」と言ったそうです。
するとイエス様が、「自分はオールド・キリスト(Old Christ)であり、興進君はヤング・キリスト(Young Christ)である」と言ったというのです。
第三節 ダンベリー刑務所での受難と獄中生活
聴聞会での証言とダンベリー収監
一九八四年七月二十日、アメリカのコネティカット州ダンベリーにある連邦刑務所に収監された真のお父様は、収監の前日に発表した声明書を通し、この事件の発端は脱税問題ではなく、政府の権力濫用による宗教迫害であると主張された。これに先立ち、六月二十六日には、アメリカ国会の上院司法委員会憲法小委員会の聴聞会で、堂々と無罪であることを証言された。
1 私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました。
神様は一九七一年、私に対して、「アメリカに来てキリスト教信仰の復活運動を展開し、この国の霊的基盤を回復させなさい」と命令されました。アメリカで信仰なき生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時期に、霊的覚醒を起こすために私を送られたのです。私自身は、共産政権の監獄で、死ぬ直前の状況まで耐え抜きました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせる神様のみ旨のためであれば、むしろ監獄に行くことを願います。皆さんが私の活動を理解するならば、本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たと信じられるでしょうか。
事件の発端は、税金問題ではなかったのです。これは、政府による教会内の問題に対する侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信念と活動以外に、いかなる理由もありません。これから私は教会の世界本部を、この国のために祈り続けるダンベリー刑務所に移すでしょう。私が神様に感謝することは、人類の歴史上、最も困難な時期に、私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的な覚醒運動に火をつける道具として用いていらっしゃるということです。神様の祝福がアメリカに臨むことをお祈りします。
2 私がダンベリーを訪ねていく時、世界の統一教会員たちは、「お父様が行かれたらどうなるのですか」と言いましたが、「今から新しい世界が始まることが分からないのか。ダンベリーの向こう側に天が何を準備しているか皆さんは知らないが、私はきょうそれを目にしている。アメリカの全国民が頭を下げ、世界の人類が屈眼する希望の土台を築く太鼓の音の響きが、皆さんには聞こえないのか」と答えました。夢を抱いてダンベリーを訪ねていったというのです。
監獄に入る時は、アメリカの朝野に影響を与える力をもった男が、敗者の悲しみの道を行くかのような姿でしたが、私は敗者ではありません。「あすの朝が明け、この門を開いて出てくれば、あなたたち(アメリカ政府)は秋を迎え、私は春の園を迎えて、新しい芽を出すだろう。あなたたちは、この青い園に足を踏み入れることができないという千年の恨を抱くだろう」と言いながら、堂々と夢の道を歩んだのです。
3 一九八四年七月二十日は、本当に永遠の歴史の中から抜いて消し去りたい日でした。お父様はダンベリーに出発する瞬間にも、皆さんを激励し、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。二十日の夜十時にイーストガーデンを出発し、ダンベリー刑務所までお供いたしました。何回も唇をかみながら、固く決心しなければならないと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙をこらえることはできませんでした。車から降りる前にも、御自身に差し迫ってくることについては少しも心配されず、かえって私(お母様)を慰めるため、とても気を遣われる姿を目にしながら、私はただただ、どうすればよいのか分かりませんでした。
お父様は出発する前に、「私は監獄まで解放しに行く」と語られ、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈りなさい」というみ言を何度も繰り返されました。そして、二十二日のきょう、早朝にお父様が私に電話を下さり、皆さんに「神様の召命を受けた者として、キリスト教を燃え上がらせよ」と伝えてほしいと言われました。お父様の自由を保障できるかどうかは、皆さんにかかっています。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今までしてきたことと、また、今指示しているすべての内容を、あらゆる精誠と積極的な活動によって、必ずや成就してください。皆さんの精誠に神様が感動し、サタンは手を挙げ、歴史は新しい時代を迎えるでしょう。(真のお母様、1984/7/22)
4 お父様の恨がいくら多いといっても、神様の恨に比べることはできません。「(天の恵みを)そっくりそのまま与えよう」と思っていたら、監獄に行くことになったのです。日本帝国主義の統治下でも監獄に行き、北朝鮮に入っても監獄に行き、大韓民国に来てからも監獄に行き、アメリカに行っても監獄に入ったのです。ソ連、中国の監獄まで見据えながら行動しました。死ななければ、監獄に行くのです。
しかし、私は死ねません。監獄に行くようになっても、滅びることはできないというのです。私が監獄に行けば、監獄の壁を貫いて出てくるのです。アメリカのダンべりーの監獄に入る日、世界の統一教会員たちが来て、止めどもなく涙を流すのを目にして唖然としました。「皆さんはダンベリー刑務所の鉄の門だけを見つめている。ダンベリーの塀の向こう側の世界は見ることができずにいるが、私はそれを見つめている」と言いながら監獄に行ったのです。
解放のラッパの音が聞こえ、刈り入れの収穫の歓声が聞こえてきます。見ていなさいというのです。間違いなく跳躍が起きるのです。跳躍が起きなければ、跳躍が起きるように指導して教えなければなりません。今や、アメリカが私の世話にならなければならない時が来たのです。
5 神様が人を愛するとき、愛のふろしきを倉庫に残しておいて、八〇パーセントだけ愛したとすれば、欲深い人はじっとしていません。倉庫をすべてかき分け、なめ尽くすように探してみて、間違いないというときに、初めてこちらに振り向くようになるのです。人間はそのように欲深いというのです。神様は、神様の愛を残らず受けさせるために、そのように欲張りな人間を造りました。ですから、愛に乗っていく欲心は、千年の歴史が歓迎するのです。それゆえ、私は、愛に乗ってアメリカに行ったのです。
今、前面では反対していますが、また裏面では歓迎するのです。上は反対しますが下は歓迎し、現在は反対しますが未来には歓迎するというのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか。ですから、私は心配しませんでした。監獄に入って横になっていても、どれほど気持ちが楽だったか分かりません。よく消化できます。どれほど気楽か分からないのです。他の人々は「死ぬ」と言って大騒ぎなのに、私はよく眠ることができ、よく食べることができました。監獄が問題ではありません。
尊敬を受けたダンベリー刑務所での収監生活
真のお父様は、世界的なゴルゴタの峠を越えるときも、決して挫折されなかった。罪なき監獄生活ではあったが、かえって模範的な生活を通し、刑務所にいる人々に大きな感動を与え、アメリカのために祈られた。アメリカに対する神様のみ旨があるがゆえに、アメリカを愛さざるを得なかったのである。真のお父様は、ダンベリー連邦刑務所に収監されている期間も、中断することなく摂理を率いられ、真の愛の生活を通して、囚人たちからも尊敬を集められた。特に、刑務所の雰囲気を一新して愛の環境をつくられた。
6 ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三ヵ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。
それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。
7 アメリカの監獄に行って愛そうという心をもった人が、監獄にいる一人の人を愛すれば、それはアメリカの国民全体を愛したという条件的立場に立つのです。その場には天地が同伴します。ですから、私はアメリカを愛したというのです。誰よりも愛しました。誰もが嫌だと思う監獄の囚人たちを、私は誰よりも愛したのです。そのような(愛の)表題を掲げて出てきて叫んでも、それに対して、「違う」と言うことはできません。そこにいた人々が証するのです。
差し入れをもらって、良いものがあれば、私のところに持ってきてくれようとするのです。そのような監獄生活を送るのは簡単なことではありません。人のために尽くしてあげなければなりません。ために生きるところから新しいものが創造されるのです。そして、ために生きる人が、その創造されたものを所有するのです。天理原則がそのようになっています。ですから、神様の創造は、ために生きる心情圏の園から始まったというのです。
8 ダンベリー刑務所に入っている時、どのようなことがあったでしょうか。統一教会を信じたのち、出ていったという人が、手紙を送ってきました。その人は七年間ファンダレイジングをしながら苦労し、あることがきっかけで離れたのですが、離れてみると、その七年間に学んだことによって、空腹の時には稼いで生きていける人になり、困難な時も自分が同情されることを願うのではなく、同情できる人になったそうです。
また、「統一原理」は、天下において合わない所がないというのです。その人は大学院を出たのですが、大学に行っても、そこの先生が未来のための道を示してくれたことはなく、自分の父母も、誰も、未来のために道を示してくれなかったそうです。しかし、たった一人、東洋から来たお父様からこのようなことを学べたので、心から感謝しますと書いてありました。
私はその手紙を監獄で読みながら、「よし!レバレンド・ムーンは死んでいない」と思いました。お父様は、死にゆくアメリカの人々を復活させ、新芽が芽生えるようにしているというのです。国を愛する若者たちを、アメリカの新しい未来のために支柱となる核心的な要職に配置したので、このアメリカは刷新されるでしょう。
Monday Jul 10, 2023
真の父母経 第198話
Monday Jul 10, 2023
Monday Jul 10, 2023
第四節 獄中での平和運動とキリスト教指導者たちの糾合
「共産主義の終焉」宣布と多様な勝共運動
真のお父様は、一九八五年八月、スイスのジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」で、ソ連帝国の滅亡を預言した「共産主義の終焉」を宣布するようにされた。そして、中南米の赤化防止のため、「ワシントン・タイムズ」を通してニカラグアの支援活動を行われるなど、獄中でも、世界平和のために休むことなく多様な活動を展開された。
1 ダンベリーの獄中で、「共産主義の終焉」を宣布しました。私が監獄にいるとき、「世界平和教授アカデミー」の国際会議の責任者であるカプラン教授が三度も訪ねてきて、「終焉」という言葉をやめて、「ひょっとしたら(maybe)そうなるかもしれない」という言葉を使おうと言いました。ですから、「五年以内に事が起きれば、どうするつもりか」と尋ねました。五年以内にそのようになったのです。共産世界が滅びることを知っていた人は、お父様一人しかいません。言論界ゃ宗教界をはじめ、誰も分かりませんでしたが、世の中が反対するお父様だけがそれを知り、「共産主義の終焉」と天の国の開門を宣布したというのです。
2 アメリカは私に反対しましたが、私はアメリカを愛しました。アメリカ人以上に国のために生き、国を愛する位置に上がっていかなければなりません。そのようにしなければ、復帰歴史が成就されません。アメリカの国民の中で、自分の国を愛し、そのために尽くす愛国者たちよりも、私がその人々以上にアメリカを愛したという条件を立てられなければ、帰る道がありません。
ですから、「ワシントン・タイムズ」を造る時、最初に支払うお金を法廷のテーブルで決裁したのです。私をたたき潰そうと、すべてが追い立てるその中で、アメリカを生かしてあげるために「ワシントン・タイムズ」を造りました。
3 お父様がもっている武器は、愛です。アメリカも、私がダンベリーにいながら生かしてあげたのです。ダンベリーにいる時、「ワシントン・タイムズ」に「インサイト」誌と「ワールド・アンド・アイ」誌を創刊するように指示し、六つの団体をつくりました。それをつくったので、今日、世界的な基盤を築くことができたのです。
4 アメリカのレーガン大統領が、ニカラグアに対する千四百万ドルの支援案を国会に提出しましたが、拒否されました。だからといって、アメリカに住む二億四千万の民がいくらでもいるのに、神様は何がもどかしくて、ダンベリーにいるお父様を夜中に起こし、呼び出して命令を下されるのでしょうか。「あなたがすぐにしなければならない」と言われるのです。それで、すぐさまお母様に電話をしました。「『ワシントン・タイムズ』が生死を懸けて、ニカラグアの支援問題を解決しなければならない」と言ったのです。これは、言論界ではあり得ないことです。
その時は、レーガン大統領はドイツに行っていて、アメリカに不在の時です。責任者たちを呼び寄せ、「『ワシントン・タイムズ』が中心となってアメリカ国民を通じて千四百万ドルの募金を集めよう」と言ったのです。「私たちが責任をもとう」と言って立ち上がりました。それをしなければ、一ヵ月以内に、私が即刻、現金で支払うつもりでした。それで、「論説を書きなさい。宣布しなさい」と言ったのです。偉大な指導者は、先頭で宣布して、後ろに消えていくのです。「編集局長に直接電話をかけて伝えなさい」と言いました。そうして、「ワシントン・タイムズ」がこの募金運動を行って、ニカラグアを後援したいと思うすべての国民を動員したのです。
お父様の立場を神様が助けてくださり、巨大なアメリカの世論が七週で完全にひっくり返りました。このようになって、国会で二千七百万ドルの支援案を再度審議して、通過させたのです。
5 神様が、ニカラグアをはじめとする南北米を中心として、地上天国の基地をつくろうとアメリカを祝福してくださったにもかかわらず、南米を失ってしまいかねない状況に置かれるようになりました。神様が、アメリカには大統領もいて、牧師をはじめとするありとあらゆる人がたくさんいるのに、監獄に入っているお父様を訪ねてきて、「アメリカを救いなさい」と指令を下さなければならない悲惨な事実を、皆さんは考えてみたでしょうか。
その時、皆さんがお父様の指示を疑うのと同じように、「これは神様の命令なのかどうか分からない。少し待ってみよう」と考えていれば、どうなるでしょうか。お父様に直接命令を下したので成功したというのです。一日か二日遅れるだけでも駄目なのです。その時は土曜日の夜で、次の日が日曜日なので、アメリカの政府機関がすべて休む日です。その時は、仕事をしていないことを、神様はすべて知っているのです。もし月曜日の夜にそのようなことをしていれば、「ホワイトハウスと組んでやった」と言われる可能性があるのです。
6 神様は、お父様が監獄にいる時も休まず指示を出しました。ニカラグア問題を解決するために、ありとあらゆることをしなさいと言ったのです。お父様のゆえに、アメリカの世論がニカラグア問題を中心として沸き立つので、国会で棄却されていた支援案を再び通過させたのです。
お父様が「ニカラグアに二千七百万ドルの支援をしなさい」と言いました。もしそのようにしなければ、ニカラグアは共産勢力の手に渡り、メキシコからグアテマラ、ホンジュラスなど、五ヵ国も共産化され、本格的な戦闘態勢に入ったでしょう。国会でも、自分たちがしなければお父様が一人ですべて支払ってしまうことを知っているので、恥ずかしいこともあって支援案を通過させざるを得なかったというのです。そのようにせき立てたのです。
7 ダンベリーの監獄で六つの団体をつくりました。信仰の自由のために、九日間でつくったのです。そのような役事を一気にすべてしてしまいました。このように怨讐国家を救うためにつくられた体制が、今や厳然たる現実的社会の中枢的な場で問題になったのです。それに対してアメリカ国民は、反対するのではなく、付いていかなければなりません。そのように歓迎できる条件をつくっておきました。
それは、根本に帰っていける道をサタンが塞いでいるからです。自由世界を主導するアメリカをサタンが阻んでいるので、天のみ前に、アメリカ国民がアメリカを愛する以上にアメリカを愛したという条件を立てて、神様の判定を受けるのです。神様のみ前に愛を中心として、どちらがより秀でているかという価値基準を決定し、ダンベリーでの勝敗を競ってきたのです。
アメリカのキリス教聖職者の糾合と原理教育
真のお父様に対する宗教弾圧に抗議する集会が、アメリカの四十教団の聖職者たちが参加し、一九八四年五月三十日、ワシントンDCのローズ会館で開かれたのに続き、六月十一日にはニューヨークのシェラトン・ホテルでも開催された。このような宗教の自由と和合のために集まった聖職者たちを中心に、アメリカのキリスト教再復興のための活動が展開された。併せて、真のお父様は、ダンベリー刑務所に収監中の一九八五年二月二十八日、三十万人以上のアメリカの聖職者たちに、宗教の自由と和合を促す親書と原理講義のビデオテーブ、そして、『原理講論』をはじめ、み言集を送られた。また、キリスト教の聖職者七千人に対する教育を指示され、彼らを韓国と日本などに招請して、「統一原理」公聴会を実施された。
8 カナンの福地に入るのは、アメリカ政府に対して勝利するとき、可能になります。簡単です。裁判をする前にこのようなことが分かったので、万全の準備をして、アメリカ政府の背後の深い所まで動かせる基盤を築いてきたのです。昔のモーセのように失敗するお父様ではありません。カナンの福地に入ることもできずに死んだモーセと同じではないというのです。イエス様が十字架で亡くなって失ったものを復帰できる時が来たのです。キリスト教は、ローマ帝国を中心としたユダヤ教と同じです。そして、今、お父様はその時のイエス様と同じです。イエス様が十字架を背負う時は、ユダヤ教とローマ全体が分かれていきましたが、お父様が十字架の過程を越えていくこの時、統一教会員たちは逃げていきませんでした。十二弟子は逃げていきませんでした。キリスト教が反対する立場ではなく、歓迎する立場で、キリスト教の四十の教団が一丸となって宣誓をしたのです。ですから、アメリカ政府が「レバレンド・ムーンを支持し、協力する」と一言だけ言えば、すべて終わるというのです。
9 イエス様は、ユダヤ教とユダヤの国の歓迎を受けられなかったことを収拾し、反対の立場を中心として、再びユダヤの国とユダヤ教が協助できる基準を復帰するため、第三の舞台に進み出た時、迫害を受け、闘っている中で十字架を背負いました。
これと同じように、お父様も今日、国家的基準である韓国から、キリスト教と世界基準においてまで歓迎を受けられなかったことによって、第三者(無関係)の立場で追われるようになりました。ですから、そうならないためにアメリカに来たのですが、アメリカでもやはり反対を受けたのです。反対を受けながら、最後にはダンベリーの十字架まで掲げて立て直さなければならない運命の道を行きました。洗礼ヨハネがイエス様に侍ることができなかったことによって、ユダヤの国とユダヤ教の反対はもちろん、そこにローマの反対まで加わったことは、恐ろしい事実です。
統一教会が韓国で基盤を築けず、反対を受けることにより、キリスト教とアメリカの反対はもちろん、さらに世界的基盤をもった共産主義の反対を受けているという事実は、イエス様の時と全く同じ立場です。ローマが反対したのは、自由世界のアメリカが反対したのと全く同じです。ですから、アメリカの監獄に入って何としてでも教会を動かし、連合運動を起こさなければ、問題が大きいというのです。
10 私がアメリカに来た目的は、キリスト教を救うためです。キリスト教の牧師たちを何としてでも動かして、アメリカを神様が願われる方向に導いていきながら、世界のキリスト教を連合し、世界の国家を神様のみ旨の真ん中に引っ張っていこうというのが、神様のみ旨です。ですからアメリカの教会の牧師たちに対して、神様のみ旨の方向に向かわせることが、私がアメリカに来た目的です。
荒野四十年路程を経て、今やイスラエル民族が新しい地域に大移動をするとともに、定着しなければならない時が来るというのです。統一教会は、どこに行って定着するのでしょうか。神様が願っているアメリカに定着して、新しいアメリカをつくらなければなりません。新しいアメリカ、理想的なアメリカをつくることを神様が願われていると知っているので、お父様はアメリカに来たのです。
新しいアメリカをつくるためには、共産主義に対して勝利しなければならず、家庭破綻と青少年の淪落を防がなければならず、キリスト教の新しい復興を起こさなければならないというのです。そのようにしなければ、アメリカを生かす道がありません。
Monday Jul 10, 2023
真の父母経 第197話
Monday Jul 10, 2023
Monday Jul 10, 2023
9 私がダンベリーから出たあと、そこの責任者が、「一人の影響がここまで大きいとは思いませんでした」と語っていたという話を聞きました。お父様が監獄にいる間、酒を飲んでいた者たちは、酒を飲むとき陰に隠れて飲み、大麻のようなものを吸うときもお父様の目に映るかと思い、森の中に入って隠れて吸い、けんかをしていても、お父様が来るとやめたのです。なぜ囚人たちが、それほどおとなしくなったのか分からないというのです。
ところが、お父様が出ていって三日もたたないうちに、昔のとおりに戻ってしまったというのです。それを見て、「このような監獄世界で、語ることなく影響を及ぼして帰っていくとは、あの一人の人がどれほど偉大な力をもっていたのだろうか!」と話し、それが話題になったというのです。それは、私がした話ではありません。法務省の調査官たちが行って調べ、私に報告したのです。
私は監獄に行っても、どこに行っても、愛を中心として何かを残そうと身もだえしています。そのようなつらい人生行路を歩んでいくというのです。そのような世界の歴史的な代表者がお父様です。
10 私がアメリカに行って、ダンベリーでの監獄生活をしていなければ、アメリカのことがよく分からなかったでしょう。ダンベリーは小さな社会ですが、その国の一番悪いものと一番良いものがすべてありました。一番良い人と一番悪い人に会うことができました。私が彼らを心情的に一致させ、ひざまずかせて訓示できる立場に立ったのです。それは未来にアメリカ国民を教えていける心情圏の蕩減条件基盤になりました。ここでアメリカを完全に学び、知ることができました。その囚人たちは、ため息しか出ないのです。アメリカに対して、自分たちは間違ったことをしていないと思っています。
そこの監獄にいる賢い囚人たちは、会議をして、私がそこに入って間違ったことをすれば、私の命を奪おうと約束していました。そこでは、一晩のうちに人一人の命を奪うのは簡単です。普通なのです。それを私は知っています。その社会と闘うことなく、同化させていかなければなりません。結局、六ヵ月後には、彼らがみな、私を尊敬するようになりました。それがお父様の能力です。
11 ダンベリー刑務所にいる時、私は昼食時間にもよく仕事をしました。そのように過ごしているので、刑務所の炊事場の責任者が私の所に来て、「もう昼食の時間ですから、早く食事をしてください」と声をかけてくれました。人は、そういうものなのです。私が昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと、私のところに来ては促して食事をさせてくれ、自分の物をよく分けてくれたりしました。人の良心は監獄でも同じです。そのように生きれば、監獄に行っても友達ができ、私を擁護する人が現れるというのです。皆さんは、このことを忘れてはいけません。これは最も貴い話です。
天からそのように受け取ったので、受けたとおりに、その伝統を伝授しなければならないのです。他のために生きようとする人は滅びません。(そのようにして)滅びの道に進めば、宇宙が保護します。死の道に進めば、反対に命を奪おうとした人が死ぬのです。うまくいかないように思え、滅びるように思え、消えてしまうように思えるのですが、生き残り、栄え、発展するというのです。反対なのです。それは、神様が保護するからです。宇宙が保護するからなのです。
12 私は監獄生活もたくさんしましたが、全体のために生きる生活をしたところ、監獄で私のために命を差し出して従う人々をたくさん目にしました。工場で働くときも、彼らはお父様のそばに来て働こうとします。
ダンベリーでもそのように過ごしていると、ある人が「お父様と親しくなりたいのだが、近づき難くて話ができない」と言ったそうです。何度も私の所に行ってみたのですが、口が開かなくて話ができなかったというのです。それが不思議だというのです。お父様にはそのような何かがあります。
荒々しく拳を振り回していた人々が、なぜそのようになったのか分からないというのです。それでも、私に対して好感をもつのです。お父様には不思議な力があるということです。
神様の心情と、神様はどのようにいらっしゃるかを知り、全体のために生きようとしていくと、話をしなくても自然に権威がつくのです。
13 ダンベリー刑務所にいる人々の年齢の割合を見ると、三十歳前後の人が多くいました。それを越えると、だんだん少なくなっていきます。そこに入ってきた人の中の相当数が、麻薬のゆえに来た人々です。そして、大概、キリスト教の信仰をもっていた人々です。ほとんとがプロテスタントかカトリック信者の家庭の人々なのです。
そのような若者たちがそのようになったという事実は、ブロテスタントの指導者である牧師やカトリックの神父たちが、責任を果たせなかったことを意味します。彼らが悔い改めなければならないと切実に感じました。私がアメリカで新しい旗を掲げて現れて、そのように腐敗し、死の道に落ちていく若者たちにどれほど影響を及ぼしているのか、良い面で影響を及ぼしているのか、悪い面で影響を及ぼしているのかという問題を中心として、深刻に分析せざるを得ませんでした。
14 私が監獄に行っている時、本当におもしろかったのは、必ず天が相対する者を連れてきてくれたということです。本当に不思議です。ダンベリーに入ると、あるイタリア人がいたのですが、彼は私に会うと、訳もなくうれしくなるというのです。なぜそうなるのか不思議だというのです。御飯を食べて働きに出れば、お父様がいるかいないか一度来て確認してこそ心が安らかになるのですが、それはなぜかというのです。自分の妻と初めて愛する時も、このようなことはなかったと言いながら、本当におかしいというのです。
お父様といれば天下万事に心配がなく、一人で離れていれば、だんだん心配になるというのです。それで、私が寝るとき、その人が夜を徹して護衛をするということが起きました。それは、命じたからといってやりますか。お父様を保護しなければならないことが分かるというのです。自分は眠らなくても、守ってくれました。それは、自分から願ってするのであって、強制ではありません。自分の心がそのようになるのです。
15 お父様は、一度決定して実行したからには、その結果が悪かったとしても、不平を言いません。私はアメリカに来て迫害を受け、ダンベリーに行ってきましたが、それに対して不平を言わないのです。それがアメリカ社会を知り、アメリカ人を知り、西欧社会の制度を知るのに役に立つことはあっても、損害にはならないというのです。ですから、アメリカの人たちが知らない監獄の世界まで、私は知っているのです。
アメリカの実情を誰よりもよく知る人です。監獄まで知っているというのです。その監獄まで、これから天国化しなければならないのですが、その使命は簡単ではありません。
私が監獄にいた時、監獄にいる人の中で私に従ってこようとする人が本当にたくさんいました。だからといって、私が説教をしたわけでもありません。話はしませんでしたが、毎日過ごす生活を通して彼らに影響を与えたのです。ダンベリーにいた人々に、私が「集まりなさい」と言えば、恐らく監獄から出てきた人は、みな来るだろうと思います。多くのアメ力人たちは、(お父様のことを)「嫌だ、嫌だ!」と言うのですが、監獄にいる人々はお父様を歓迎したというのです。
16 ダンベリーの監獄に大きな岩があるのですが、今も懐かしく思うのが、そこに座って休めたことです。土曜日と日曜日は休まなければなりません。かといって、寝てばかりいられません。夏は部屋に座っていると息苦しいので、山のやや小高い場所にある岩の所に行って寄り掛かって座り、グウグウいびきをかきながら居眠りをして、はっと目を覚ましたことが何回もあります。それがどれほど懐かしいか分かりません。今まで私は、そのように寝てみたことがありませんでした。心置きなく、四肢を伸ばして眠ることができますか。公的な人は大変なのです。
17 アメリカの監獄に入っても、心配はしませんでした。監獄がどれほど気楽か分かりません。私は、以前は三時間しか寝なかったのですが、そこでは八時間寝なければ御飯をくれないのです。ですから、眠れなかったことをすべて蕩減しました。遊ぶこともできないほど忙しく生きてきたのですが、そこでは、休みの日になると、終日二十四時間、遊ぶしかありません。一日中、本を読んでも、誰も恨み事を言いません。ですから、「神様、ありがとうございます」と言ったのです。反対のことが起きるというのです。
分かってみれば、こちらからあちら側に行かせるための天の作戦でした。私がすることを、サタンはできないのです。私は二つの面をすべてこなしましたが、サタンは二つの面をこなすことができません。一つの面の専門家にしかなれないので、両面の専門家には負けるしかないのです。解放圏に向かっていくときにサタンが付いてくることができないので、アメリカが屈服し、世界が屈服するのです。今や、私に反対する人はいません。
18 イエス様も、十字架上で「怨讐を愛しなさい」と語り、お父様も、ダンベリーでアメリカ国民に対する愛の基準を立てました。お父様は、ダンベリーで怨讐を愛しました。ダンべリーに入ってみると、囚人たちが何人か集まって座れば、みな刑務所の職員たちを批判し、政府を批判していました。ところが、お父様は批判をせず、同情して彼らを感化させました。結局は、彼らが尊敬できる愛の環境で束ねたのです。お父様の愛に同化させました。愛はすべてのものを治めるのです。お父様は監房にいるのですが、彼らは我知らずお父様を尊敬し、お父様の愛に包まれていくようになったのです