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Sunday Jul 09, 2023
真の父母経 第192話
Sunday Jul 09, 2023
Sunday Jul 09, 2023
脱税容疑の裁判経過
ニューヨークの連邦地方裁判所は、一九八二年、真のお父様を脱税容疑の裁判にかけるための事前段階として、十二人の陪審員団を構成した。当初、教会側の弁護人は、裁判の公正性を理由に、陪審員による判定の代わりに判事による裁判を要求したが、ニューヨークの地方裁判所はこれを受け入れなかった。アメリカ政府の思惑どおり、一九八二年五月十八日、有罪評決が下された。ニューヨーク地方裁判所は、七月十六日、陪審員たちによる有罪評決を基に、献金百六十万ドルの利子十一万二千ドルに対する所得税と、五万ドルに相当する株式の配当金に対する税金として、一九七三年から七五年までの三年間で、七千三百ドルの納付義務があるにもかかわらず、これを脱税したとして、懲役十八ヵ月と罰金二万五千ドルを宣告した。弁護団は、十一月三日、連邦高等裁判所に控訴し、アメリカの宗教界と民間団钵は無罪請願書を相次いで提出した。アメリカの法廷でこのような評決が下されるや、アメリカでは、真のお父様の裁判に抗議する各キリスト教指導者たちによる「宗教の自由」大会が開催され、多くの良心的な人々が、「これは宗教弾圧である」と抗議デモを展開した。弁護団が控訴したが、一九八三年九月十三日、連邦高等裁判所で原審が確定し、八四年五月十二日、最高裁判所において上告が棄却され、刑がそのまま確定した。これにより、八一年十月十五日の起訴以降、八四年七月二十日の入監に至るまで、二年九ヵ月間続いた裁判は、事実上、幕を閉じたのである。
9 学校で、二人の学生が争うのを聞いてみると、互いに「自分が正しい」と言います。そうすると学校の先生は、とちらが公的かをもって判断するのです。簡単です。より公的なものを正しいと見なければなりません。私が裁判の法廷に出ていくとき、統一教会員たちが悲しむことはないのです。
アメリカ政府はアメリカのためだけに動きますが、私はアメリカ政府よりもっと次元の高い公的な道を歩んでいるのです。アメリカが私を批判し、私に何かの刑を負わせても、天の公法によって、私は勝利者として残るというのです。それが事実です。ですから、私は法廷に何回も立ちましたが、少しも恐れませんでした。統一教会は、神様だけを中心として、神様の心情世界のために行くのです。
10 今、アメリカで、お父様が脱税したと言って大騒ぎしています。私がこの国のためにどれほど多くのお金を使ったか分かりません。それは、アメリカが自由世界の中心国家だからです。衛星国家を犠牲にしても、アメリカを保護することによって、世界に公的な基盤を築くためです。アメリカが自由世界の中心なので、自由世界の一部を犠牲にしても、中心国家を生かすことにより、全世界が助かるというのです。
歴史はどちらに従っていくでしょうか。アメリカ国民も、行政府が行く道に従っていくのではなく、法廷闘争の道であっても、お父様が行く道に従ってくるだろうと考えるのです。アメリカの行政府がお父様の行く道についてくるというのです。現在のアメリカ国民の考え方よりも、さらに公的な考え方をもったアメリカ国民が出てくれば、彼らはすべて、お父様の後ろに従ってくるでしょう。ですから、私たちは勝利の道を歩んでいるのです。
11 お父様がアメリカのニューヨーク連邦地方裁判所の公判廷に立ったように、皆さんも今後、この宇宙の公判廷に立つ日が来るという事実を知らなければなりません。もし、お父様に対して一審の法廷で「罪がある」と言い、二審でも「罪がある」と言い、三審でも「罪がある」と言っても、天の国の法廷で「無罪だ」と言うときには、これがすべて否定されてしまうというのです。
天の国の法廷は、最高の歴史的最高裁です。アメリカ国民は、高等裁判所と最高裁判所まで上訴しますが、お父様には歴史的最高裁が残っています。皆さんも、いつかはこの法廷に立つようになっています。
お父様がもし歴史的最高裁判所に立つとすれば、生きてこの法廷で判決を受けるという事実がどれほど光栄でしょうか。死んでからその公判廷に立たなくても無事通過するので、どれほど光栄ですか。どれほど素晴らしいかというのです。皆さんは、死んでからそのような場に立ちたいですか、生きてそのような場に立ちたいですか。正義の道は、強く雄々しい道です。
そのように見るとき、お父様の思想がどれほど偉大で、どれほど素晴らしいでしょうか。どれほど驚くべき思想かというのです。このような何かがあるために、誰もが恐れるアメリカ政府を相手に、一人で闘っているのです。
12 お父様が脱税をしたという話が出た時、アメリカの食口たちさえも、火のないところに煙は立たないと考えました。アメリカの検察が、ありもしないことをお父様にかぶせて捕まえようといくら頑張っても、何も出てこないというのです。それでも、アメリカ国民はみな、事実のとおりに信じていません。お父様が、うそをついて詐欺を働く人だと考えているのです。一万ドルにもならない税金を納めなかったということで、今、調査をするために数百万ドルのお金を使いながら大騒ぎしています。どれほど愚かで、どれほど厚かましいでしょうか。第三者が、「百万ドルをあげるから、それを調査してほしい」と言えば、調査するでしょうか。罪があるのならば分かりませんが、罪がないのに、(罪を)なすりつけて大騒ぎしているというのです。
それは、イエス様の十字架の心情、怨讐を愛する心情をすべて感じることができる場だという結論が出てきます。そして、私は法廷闘争をしても、死にはしないだろうと考えました。イエス様の時代のローマとイスラエルの国のような立場に、アメリカと韓国があります。イエス様がローマの元老院に行って闘って勝ち、勝利の旗を立てていれば、キリスト教は血を流さなかったでしょう。ですから、ここで私たちが勝利すれば、世界の統一教会の宣教師が血を流す歴史は絶対にないと考えるのです。このような役事(働き)が起きます。
これを見るとき、今や私たちが闘える戦場、活動できる場が目前に迫ってきました。ですから、皆さんは総力を傾け、聖人の精神と義人の精神をもって突進しなければなりません。
13 私は陪審員を信じません。「陪審員制度は望んでいない」と言いました。それで、「陪審員は必要ない」と言ったのですが、アメリカの裁判所が無理やり採択したのです。お父様に対して「有罪だ」と言うので、全世界の統一教会員たちが一つになりました。このように見るとき、お父様は全体を歴史的に束ねるのです。そのように、束ねる一つの起源をつくって越えていく時です。
白人も涙を流し、黒人も涙を流し、黄色人も涙を流し、五色人種(すべての人種)が今回の脱税容疑で公判を行う期間に涙を流したでしょう。それは驚くべきことです。自分の国のために涙を流したのではありません。お父様と神様と世界のために涙を流したというのです。お父様一人のゆえに、世界人類が神様のために涙を流すことになり、お父様一人のゆえに、統一教会員たちが人類のために涙を流すことができたというのです。これは驚くべき歴史的な連結です。摂理史的に、すべてのものが連結されたというのです。
今回のことは、神様とお父様と全世界の人類が同じ場に立つことができる機会だというのです。ですから、歴史的な一つの転換期です。心情的に一つの高地を占領し、越えていく時だというのです。
14 今、法廷闘争をしながら「ワシントン・タイムズ」をつくっています。数千万ドルかかるのですが、そのお金を、世界とアメリカのために投資するのです。共産党を防ぎ、アメリカを救うために投資するのです。その次に、映画「おお!仁川」に五千万ドル以上を投入しました。お父様のためにしたのでしょうか。自由世界とアメリカのためにしたのです。それなのに、一万ドルにもならない所得税を出さないために、陰謀を企てて脱税をしますか。話にもならないというのです。
今後、アメリカは、この歴史的な恥をどこに行って覆い隠すのでしょうか。大変なことになったのです。顔も上げることができなくなりました。すべて記録が残っています。お父様の法廷闘争を中心として、アメリカはいつまでも批判を受けるでしょう。
アメリカにいる食口の皆さんは、このような国家的な恥と未来の歴史的な恥を防ぐために、一九八二年七月十四日の裁判まで、大同団結して、精誠の限りを尽くさなければなりません。皆さんは未来に責任をもち、今後、アメリカの恥を防ぐために全国で正義を叫びながら、アメリカ国民を正しい方向に向かせる機会にしなければなりません。皆さんの口が動かなくなるほど、疲れて目が開かなくなるほど、体が動かなくなるほど、前進に前進を重ねなければなりません。
15 私がアメリカ政府に引っ張られていくことはありません。アメリカ政府を教育し、アメリカの人たちを教育してでも、そのようにするでしょう。お父様が歩む生涯には昼だけがあり、夜はありません。夜はジャンプして越えていくのです。ここで私が何を求めていくのか、何を満たしていくのか、何を残していくのかが問題です。
私が脱税容疑で法廷に立つことによって、天が私のために悲しめば、私は「私のために心配しないでください」と言って天を慰めます。「日々、未来を確定させる時間をもっています」と言って天を慰めるというのです。天と地のことを考えてあげるのです。天を思い、人類を思うのです。
私が悪であれば、結局は下がっていかなければならず、アメリカ政府が善であれば、アメリカ政府が上がっていくでしょう。そのようなときは、上がっていくアメリカ政府をたたかずに、従っていかなければなりませんが、私が善のときは、アメリカ政府を捨ててでも、私は、私の道を行くというのです。ですから、昼夜なく最も困難な時に天を慰め、人類を愛せる人が聖人です。その道が、聖人の行く道なのです。
16 お父様が法廷の過程を経るからといって、アメリカに悪いものを残すことはできません。より良いものを残してあげなければならないのです。アメリカ国民に新しい精神を植えなければなりません。お父様のことを研究した人がこの法廷に来て、そこで(研究を)停止するでしょうか、跳躍するでしょうか。これは問題が大きいというのです。
私たちには希望があります。アメリカが公義の天理に従っていかなければならないのであって、公義の天理がアメリカに付いていくことはできません。公義に従っていく人は上がり、反対の道に従っていく人は下がっていきます。取り除くとすれば、誰が取り除くのでしょうか。宇宙が取り除くのです。この公法、公義が取り除くのです。お父様は一生の間、反対を受けました。この国を生かしてあげ、この国の未来の若者たちを生かしてあげるために、自由世界を生かすことのできる人をつくるために努力して、裁判にかけられたのです。
Sunday Jul 09, 2023
真の父母経 第191話
Sunday Jul 09, 2023
Sunday Jul 09, 2023
西大門刑務所での受難の意味
真のお父様の五度目の監獄となる西大門刑務所での受難は、一部のキリスト教指導者たちの扇動と、否定的な世論を背景にした李承晩政権が引き起こした宗教弾圧と見ることができる。天が下さった、大韓民国からキリスト教を基盤として世界的に広がっていく機会を失い、統一教会は再び荒野路程を経ていくようになった。
6 お父様は滅びませんでした。大勢の人たちが、「統一教会の文某は裸になって踊る」と言いますが、私が本当に裸になって踊って批判されたのなら、恨むこともないのです。裸になって踊るのを見物したこともないのに、裸になって踊る魁首にさせられています。そのようにして、大韓民国の国民が福を受けられるなら、いくらでもしなさいというのです。私という一人の人間を打って呪うことによって、この民族が福を受けられるなら、それは善いことです。
ですから、すべてを甘受しようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露からそのようにしたのであれば、私がそれを神様のみ前に神聖で義なるものとして紹介してあげましょう。
7 再創造の摂理は、お金によって成されるのではありません。権力によって成されるのではありません。知識によって成されるのではありません。真の愛によって、初めて成されるのです。
私は西大門刑務所に入りましたが、「大韓民国よ、滅びよ」とは言いませんでした。「キリスト教よ、滅びよ」とも言いませんでした。「彼らが気づかずにいる罪をお赦しください。哀れな大韓民国が犯した罪を蕩減するために、私にすべてを負わせてください。私を批判して福を受けられるのなら、どれほど良いでしょうか」という思いをもちました。そのような思いをもっているうちに、時代が過ぎ、一つの峠が過ぎました。
種を蒔けば、それを刈り取る時は、何百倍、何千倍になったものを刈り取るように、これからは、何十倍、何百倍も大きな愛の救いにつなぐことができるのです。天理の愛の道理を通して、生命の根が繁殖する原則に従って種を蒔けば、何百倍、何千倍のものを刈り取ることができます。この宇宙の愛の懐で、そのようなことが起きるのです。
8 お父様は、三千万の民族が「異端の魁首だ。滅びよ」と言っても滅びません。理由もなく打たれたのなら、損害賠償を受けなければなりません。このようなことをしようとするので、時にはみすぼらしい姿にならなければならず、時には後ろ指をさされなければなりませんでした。
この道を開拓しながら、あらゆる苦難に遭いました。そのたびに、「神様はこれよりもひどい風霜を経てこられたのに、私がどうしてこれしきの風霜を経ずにいられるだろうか!」と考えました。公的な立場で受けた、そのような事情が多ければ多いほど、人が手にし得ない宝物を倉庫いっぱいに満たすことができるのです。
9 韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一ヵ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。
正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしてもその時に受けた傷は、何ともないというのです。
10 平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。
困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。
11 孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。
天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。
12 今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。
その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。
これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。
13 私は、西大門の通りを、刑務所に向かって手錠をはめて歩いても、恥ずかしいとは思いませんでした。天地を見る時に、恥すかしいことはありませんでした。堂々としていたというのです。出所する時になって、四人ほどの看守たちが、「統一教会を信じます」と言ってきました。所長も私と何回か会いました。「世間で悪いと言われている男がこのような人だとは」と思ったのです。統一教会員たちが面会しようと、先を争うようにして門前に列をつくっていました。元気な青年男女たちが、明け方から列をつくって私に会おうとするのを見て、「ああ、よく知らなかったのだな」と感じたというのです。私たちは、そのような道を歩んできました。
皆さんは、過去に統一教会に反対していた教会と国から追い詰められ、追い出されて、囚人服を着ていたお父様を忘れてはいけません。囚人服を着て手錠をはめられ、裁判長の前に立ったお父様を忘れてはいけないというのです。今や無念なその時期を越え、私たちにも時が来ました。芽が出る春の日が来たので、地に種を蒔けば、芽が出るでしょう。
しかし、反対するところには芽が出ないでしょう。私たちが民族と同胞に代わって、これまで歴史的に築き上げてきた生命の偉業、愛の偉業をそのまま継承して立てるようになるとき、現在のキリスト教は今のところは私たちと怨讐になっていますが、その背後にいる数多くのキリスト教徒たちの行く道が、ここから開かれるのです。
第三章 ダンベリー刑務所での受難と真の父母様の勝利
第一節 真のお父様の脱税容疑での裁判
脱税容疑に関連した声明書の発表
真の父母様がワシントン大会をはじめ、アメリカで活発な活動を展開するや、これに反発する動きが組織的に起きた。その代表的な事件が、アメリカ下院の国際関係小委員会(委員長:ロナルド・フレーザー議員)聴聞会である。一九七八年三月二十二日から、四回にわたって朴普熙宣教師を証言台に立たせたこの聴聞会は、韓国政府がアメリカの議員たちに巨額のロビー資金を提供したという疑惑、いわゆるコリアゲートと結びつけ、統一教会の活動を阻止しようという政治的野心から起きたものである。
また、真のお父様は一九八一年十月十五日、脱税容疑でニューヨークの連邦地方裁判所に起訴され、数回にわたって法廷に出頭された。真のお父様は、そのたびに声明書を通して、アメリカを誰よりも愛しているが、いまだに人種差別と宗教的偏見が残っていると反論された。そして、アメリカと世界人類のために犠牲と奉仕の人生を生きてきたため、少しも恥じることはなく、潔白であることを言明されたのである。
1 統一教会は、日本で共産党を屈服させることにおいて、勝利の主軸になっています。これが国家的基準を越え、アジア基準を越えて、世界基準であるアメリカでも接戦になっていくので、全世界の共産勢力がお父様を攻撃するのです。ですから、あらゆる反対の嵐が全世界に吹いていきます。この嵐の影響を誰が受けたのでしょうか。今日の自由世界はもちろん、アメリカ自体も、キリスト教全体も、すべてがこの嵐を受けてお父様を総攻撃しています。お父様を擁護してサタン側に反対し、防御しなければならないにもかかわらず、反対の立場に立ってお父様と天の側に反対するというのです。
お父様は一人ですが、韓国までアメリカの影響を受けて、内的には支持するものの、外的には支持できない立場にあります。さらには、アメリカのカーター政府がコリアゲートと関連させ、フレーザー議員を立てて統一教会をたたき潰そうとしたのです。
2 ワシントン大会の会場に向かう時には、死刑囚が刑場に出ていくほうが易しいというくらい、本当に悲惨でした。しかし、神様の加護により、夢のようなことが起きました。地獄から復活したのです。ですから、このワシントン当局も突然、手を付けられなくなったのです。いつ市民と少数民族を通して、このような基盤をお父様が築いたのかというのです。
それで、彼らは延長作戦を取りました。徹底して世界的に締めつけていって、首を取らなければならないと考えたのです。フレーザー議員が代表してその仕事をしました。共産勢力とユダヤ人、キリスト教、アメリカ政府が一つになって攻撃を加えたのです。
アベルはいつも守勢に回り、カインはいつも攻勢をかけていたのですが、(それが)逆になりました。その時から、「フレーザー議員を攻めなさい!」と言ったのです。私が攻めていくことができるというのです。彼らが私たちを打つことによって、私たちが守勢から攻勢に転換しました。
3 アメリカでフレーザー議員と闘うときに、お父様が躊躇して「後退だ。世界を支配するその国と、どのようにしてぶつかれというのか」と、臆病者のように行動していれば、神様のみ旨を成就できず、完全に掃き捨てられてしまいます。
ゴリアテと戦ったダビデのように、何も恐れずに正面から攻めたのです。飛んでいく砲弾、飛んでいく矢のように、心臓部を突破していくという決意をもって、「お前が突破されるのであって、私が突破されるのではない」と言いながら進みました。このような闘いをしたので、アメリカが突破されたのです。今やどの角度から見ても、私たちが勝利しました。
4 お父様がアメリカで活動するのを見て、国会や国務省では大騒ぎです。そして、フレーザー議員が国務省と国会、共産勢力、ユダヤ教、キリスト教に代わって、統一教会に反対する旗手となって闘い、自分の力を過信して倒れたのです。全世界に知れ渡るほど大騒ぎをしました。ですから、国会議員たちがすべて私たちのPRチームになり、「ああ、おめでとうございます!」と言いながら、電話をかけて訪ねてくるようになりました。
それで、「勝った」と言って万歳を叫び、興奮している時、私は「あまり興奮せず、静かにしなさい」と言いました。負けた人は弱者ですが、天は弱者を打つようになっていないという話です。弱者を保護してあげるのが天の行く道ですから、「統一教会は、フレーザーに勝ったといってあまり喜ばないようにし、通りに出て踊ったり、自慢したりしないようにしなさい」と言いました。それはフレーザーに勝つと同時に、フレーザーの子孫にも勝つことなのです。その子孫たちが、お父様は素晴らしいと称賛するでしょう。
5 今回、フレーザー議員が選挙で負けたのは、お父様と闘って負けたからだということを、世の中はすべて知っています。一日に新聞の四面にわたって記事が出たのは、世界の歴史上、記録的なことでしょう。それが言論界の最後の攻勢だというのです。「フレーザーが勝つ」と言って喜んでいた共産勢力を、すべて一掃してしまいました。最後の闘いで、彼らが負けたのです。
ヤコブは天使と闘うとき、互いに組み合っていましたが、天使は、勝てそうにないので、ヤコブのもものつがいを外したのです。それでも、ヤコブは手を放しませんでした。そのようにして祝福してもらったのです。そのような闘いをしました。お父様は、その人々がいくら反対しても負けないというのです。神様が助けてくれるのかもしれませんが、お父様は頭が良いというのです。「文先生と闘っては利益にならない」として、「最も恐ろしい人」いう名札を付けられました
6 古今東西を問わず、義のために生き、神様のために献身してきた人々は、必ず険しい茨の道を行かなければならず、当代に大きな苦難を味わわなければなりませんでした。その代表的な方が、イエス・キリストであり、そのほかにも、世界の歴史時代に、その実例を数多く見いだすことができます。私は一生を捧げて、神様と世界の前に献身することを決心して以来、六十年の生涯を生きながら、多くの苦難を経てきました。このような歴史的教訓を知っている私が、どうしてこの時点まで来て、茨の道、苦難の道を嫌だと思うでしょうか。私はこのたび、アメリカ政府が私を告訴したことについて、無念であるとか、腹立たしいとか、恨めしいとは思いません。この機会が、誰よりも無念さを味わわされ、誰よりも恨めしさを味わわされ、誰よりも寂しさを味わわされた神様の苦痛に同参(一緒に参加すること)する機会だと考えれば、かえってこれが栄光の試練になることを主張したいと思います。私は、良心の呵責を感じません。私が歩んできた一生を振り返ってみるとき、真実に、神様のために生きてきた生涯であり、人類と世界の前に犠牲となり、奉仕する生活を送ったという確信があるため、私は世界のどのような法廷も、それ以上のものも恐ろしいとは思いません。私は今まで十年間、アメリカで、すべての心血を注いでアメリカを愛し、アメリカの精神と道徳の復興のために、血と汗を注いできました。歴史は、この事実を否認できないでしょう。
7 今日、神様の摂理から見るとき、アメリカが心を入れ替え、真実に神の国にならなければ、世界を共産主義の魔の手から救う道はありません。私がアメリカで手にしたものは何もありません。私は、世界の統一教会運動の総力をアメリカに傾注してきました。アメリカは、お金持ちの国、援助をする国として知られています。しかし、統一教会の場合だけは、それと正反対に、アメリカは統一教会から精神的、物質的に援助を受けてきた国なのです。もし私が、アメリカを愛し、このようにしてきたことが罪ならば、私はためらうことなく、断罪を受け、十字架の苦難を拒否することもありません。
8 今日、美しいアメリカ、偉大なアメリカに二つの弱みがあるとすれば、それは宗教的偏見であり、人種差別です。特に、人種差別の問題は、リンカーン大統領が血の代価を払ったにもかかわらず、いまだ未解決な部分として残っています。また、アメリカの現代史で、あの有名なマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は不義と闘い、高潔な祭物となりました。今やこの闘争は、統一教会の闘争になりました。東洋から渡ってきた統一教会の運動は、今日、アメリカで排斥されているすべての少数民族にとって代弁者となり、チャンピオンとなりました。私はこの機会に、アメリカで少数民族連合会を創設するに至りました。私は、今回の帰国に先立ち、その基金まで準備して帰ってきました。今、アメリカで燎原の火のごとく盛り上がっている少数民族連合の人権運動は、今後、一九八〇年代を走るアメリカにとって義なる運動になるでしょう。神様が生きていらっしゃり、真理があるとすれば、歴史はこの方向に流れていかざるを得ないのです。
Sunday Jul 09, 2023
真の父母経 第190話
Sunday Jul 09, 2023
Sunday Jul 09, 2023
5 無罪で釈放とは何でしょうか。無罪で釈放されたならば、大韓民国が私に補償しなければなりません。大韓民国は有罪だと宣布し、お父様は無罪だと言うのです。神様の法から見ると、「罪のない人に苦労をさせたとすれば、大韓民国、お前は有罪である。そして、文先生は無罪だということが分からないのか」と、このようになるのです。
大韓民国で反対する核心要員はキリスト教徒です。キリスト教徒は、神様を信じる群れでしょうか、神様に反対する群れでしょうか。「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一〇・三六)という聖書の聖句が成就しなければなりません。キリスト教が罪を犯してしまったというのです。罪を犯した人をかばう人は、関係者となり、その犯罪の共犯者になります。ですから、大韓民国が滅び、キリスト教が滅びることはあっても、お父様は滅びないのです。
西大門刑務所での受難の意味
真のお父様の五度目の監獄となる西大門刑務所での受難は、一部のキリスト教指導者たちの扇動と、否定的な世論を背景にした李承晩政権が引き起こした宗教弾圧と見ることができる。天が下さった、大韓民国からキリスト教を基盤として世界的に広がっていく機会を失い、統一教会は再び荒野路程を経ていくようになった。
6 お父様は滅びませんでした。大勢の人たちが、「統一教会の文某は裸になって踊る」と言いますが、私が本当に裸になって踊って批判されたのなら、恨むこともないのです。裸になって踊るのを見物したこともないのに、裸になって踊る魁首にさせられています。そのようにして、大韓民国の国民が福を受けられるなら、いくらでもしなさいというのです。私という一人の人間を打って呪うことによって、この民族が福を受けられるなら、それは善いことです。
ですから、すべてを甘受しようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露からそのようにしたのであれば、私がそれを神様のみ前に神聖で義なるものとして紹介してあげましょう。
7 再創造の摂理は、お金によって成されるのではありません。権力によって成されるのではありません。知識によって成されるのではありません。真の愛によって、初めて成されるのです。
私は西大門刑務所に入りましたが、「大韓民国よ、滅びよ」とは言いませんでした。「キリスト教よ、滅びよ」とも言いませんでした。「彼らが気づかずにいる罪をお赦しください。哀れな大韓民国が犯した罪を蕩減するために、私にすべてを負わせてください。私を批判して福を受けられるのなら、どれほど良いでしょうか」という思いをもちました。そのような思いをもっているうちに、時代が過ぎ、一つの峠が過ぎました。
種を蒔けば、それを刈り取る時は、何百倍、何千倍になったものを刈り取るように、これからは、何十倍、何百倍も大きな愛の救いにつなぐことができるのです。天理の愛の道理を通して、生命の根が繁殖する原則に従って種を蒔けば、何百倍、何千倍のものを刈り取ることができます。この宇宙の愛の懐で、そのようなことが起きるのです。
8 お父様は、三千万の民族が「異端の魁首だ。滅びよ」と言っても滅びません。理由もなく打たれたのなら、損害賠償を受けなければなりません。このようなことをしようとするので、時にはみすぼらしい姿にならなければならず、時には後ろ指をさされなければなりませんでした。
この道を開拓しながら、あらゆる苦難に遭いました。そのたびに、「神様はこれよりもひどい風霜を経てこられたのに、私がどうしてこれしきの風霜を経ずにいられるだろうか!」と考えました。公的な立場で受けた、そのような事情が多ければ多いほど、人が手にし得ない宝物を倉庫いっぱいに満たすことができるのです。
9 韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一ヵ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。
正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしてもその時に受けた傷は、何ともないというのです。
10 平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。
困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる、一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。
11 孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。
天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。
12 今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。
その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。
これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界により光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。
13 私は、西大門の通りを、刑務所に向かって手錠をはめて歩いても、恥ずかしいとは思いませんでした。天地を見る時に、恥すかしいことはありませんでした。堂々としていたというのです。出所する時になって、四人ほどの看守たちが、「統一教会を信じます」と言ってきました。所長も私と何回か会いました。「世間で悪いと言われている男がこのような人だとは」と思ったのです。統一教会員たちが面会しようと、先を争うようにして門前に列をつくっていました。元気な青年男女たちが、明け方から列をつくって私に会おうとするのを見て、「ああ、よく知らなかったのだな」と感じたというのです。私たちは、そのような道を歩んできました。
皆さんは、過去に統一教会に反対していた教会と国から追い詰められ、追い出されて、囚人服を着ていたお父様を忘れてはいけません。囚人服を着て手錠をはめられ、裁判長の前に立ったお父様を忘れてはいけないというのです。今や無念なその時期を越え、私たちにも時が来ました。芽が出る春の日が来たので、地に種を蒔けば、芽が出るでしょう。
しかし、反対するところには芽が出ないでしょう。私たちが民族と同胞に代わって、これまで歴史的に築き上げてきた生命の偉業、愛の偉業をそのまま継承して立てるようになるとき、現在のキリスト教は今のところは私たちと怨讐になっていますが、その背後にいる数多くのキリスト教徒たちの行く道が、ここから開かれるのです。
Friday Jul 07, 2023
真の父母経 第189話
Friday Jul 07, 2023
Friday Jul 07, 2023
10 すべての人が「死ね」と言い、「滅びろ」と言ったにもかかわらず、私は滅びませんでした。なぜ滅びなかったのでしょうか。人々が罵(ののし)れば罵るほど、私が孤独であれば孤独であるほど、涙を流して私を慰労する人が次第に増えたからです。
私が刑務所に入っていれば、我先にと刑務所に面会に行こうとするのです。また、統一教会員たちは、午前八時以降に面会ができるのに、夜中の一時から列をつくって座りながら待っているのです。それが、西大門刑務所での記録です。ですから、人々が「人々を狂わせるにしても、どうやったらあそこまで狂わせることができるのか」と言ったのです。午前八時が過ぎてから面会ができるのに、夜中の一時から列をつくっているというのです。前日から来て座っている人もいました。
11 私が西大門刑務所に数ヵ月間いた時、人々は私を「統一教会の文某」と呼びました。おかしな話のようですが、刑務所に入ってみると、自分を王様のように思っていない人がいません。すべての人が横柄に振る舞うのです。
しかし、私は、私を見て何と呼ぼうと、何も答えずに黙って座っていました。入ったその日から黙っていました。一ヵ月でもそうしていることができ、二ヵ月でもそのようにしていることができます。しかし、一、二週間ほど過ぎると、彼らが私に気兼ねするようになりました。朝、起きてみると、私が祈っているのです。それをどうして止めることができるでしょうか。私は、彼らの中で一番の厄介者と言われる人、みなから「死んでしまえばよい」と思われているその人を連れ、一言、二言、言葉を交わしながらよく諭しました。「以前はあれほど厄介者だった人が、文という人が来てからその人が変わった」と言われるようになりました。こうしてしばらくたつと、人が話したわけではありませんが、監房の人たちの間で、その人が文某の言うことをよく聞くと、うわさになったのです。なぜなら、私も彼らのことを思う立場に立ち、大韓民国に代わり、大統領ももち得ない心情をもって、現在の韓国の運命と未来の韓国の運命、そして、この民族がもつべき国民思想を中心として、彼らのために涙を流し、祈ったからです。心情の主人になっているからです。善なる責任者の前には頭を下げなければならないのが天理原則であることは間違いありません。
12 刑務所でお父様を苦しめた人たちの顔が今も目に浮かびます。監獄の中でお父様についてのうわさが広まっても、一言も語りませんでした。西大門刑務所にいる時、監房の中にいるすべての人たちが、お父様のことをとても慕っていました。ですから、訪ねてくる人がたくさんいました。私を冷遇していた人たちが会いに来れば、すぐに彼らの心を看破して、「これからはそのような気持ちで私の前に来てはいけない」と叱りました。
また、そこにいた、牧師だという人は、お父様が異端であり、怨讐の立場だといって、最初はものすごい剣幕で、「あなたが主張する教理とはいったい何だ」と言って食ってかかってきました。しかし、最後には決まつた時間に訪ねてくるようになり、とても親しくなりました。うわさが大きく広がったので、刑務所の所長までが会おうとしたのです。
一緒に監獄に入った弟子たちも、熱心にお父様に従って侍るので、人々が「世の中があれほど罵り、反対していても、あそこまで徹底しているとは。なるほど、統一教会の文先生はただ者ではない」と言いました。お父様の立場は、このように、卑しいように見えましたが、最高に貴い立場であり、誰かに「代わりになりなさい」と言っても代われない立場です。どんなに大口をたたく人でも、絶対にできないのです。
13 人々は、「文某は不気味な人だ」と言って、色眼鏡をかけて見ますが、過去を考えてみても、私は恥ずべきことは一つもありません。誰かがそうなるように仕向けたか、でなければ、私がそうだったのか、二つのうち一つのはずです。誰かがそうなるように仕向けたとすれば、それは、そのように仕向けた人の責任です。そのようにさせた人は滅びますが、そのようにされた人は栄えるのです。悪なるものは滅びるのであり、善なるものは栄えます。純粋で、天下の歴史が公証する真の立場に立った場合は、滅びることはありません。手錠をかけられて歩いていくとき、通りがかりの女性たちまでも、横目で見ながら顔をしかめるのを見て、「よしあなたたちが歩くその足取りは高潔に見え、ここにいるこの男は哀れに見えるが、まだ比較する基準が現れていないから分からないだけだ。しかし、その立場が明らかになる時には、正否の判決が下るだろう」と考えて、今まで歩んできました。
14 お父様は、統一教会を中心に大韓民国を率いて出発すべきでしたが、監獄に入りました。監獄に入ってからも、「いつ出られるのだろうか」とは考えませんでした。監獄で十年間暮らそうと、あるいはそこで死のうと、み旨のための道であると考えて、泰然としていました。ほかの人とは違いました。その場で修練をしたのです。
何の修練をするのでしょうか。このすべてのことをいかに是正して、今後、生き甲斐のある道を行くかを考えました。泰山が幾重にも立ち塞がっていれば、トンネルを掘って高速道路を造ってでも行くのです。そうして倒れれば、神様が責任をもちます。しかし、気力が残っているうちは、神様の助けは要りません。それまで、自分のために祈る必要もありません。そうして、私の気力が尽きたにもかかわらず、み旨に私が必要であれば、「協助しないでください」と言っても神様は協助されるのです。
15 今日、統一教会が前進していく立場で、皆さんの一日一日の生活全体を、どれほどその時間圏内で、実感をもって全体化し、展開させるかが問題です。その深さ、あるいは高さを、キリスト教が出発した当時と比較してみた場合に、私たちのほうが大きければ、私たちは急進的な発展、急進的な勝利を成し遂げるでしょう。それから、敗者の悲しみを味わわなければなりません。顔を上げられないほどに羞恥を覚えてみなければならず、恥もかかされてみなければなりません。お父様にもそのような時がありました。西大門刑務所に行く前に法廷に立った時、かつてお父様に従っていた人が、「北朝鮮でも監獄暮らしをして、ここに来ても監獄暮らしをするのを見ると、まだその癖を捨て切れていないのだな」と言いました。その言葉を、私は今も忘れずにいます。
私は一生の間、監獄を出入りしながら闘ってきました。このすべての怨恨を集めて進んでいけば、その怨恨をすべて解いて余りある時が来るはずです。ですから、疲れようにも、疲れることができません。いくら唇が腫れ上がり、体の調子が悪くても、得意げになっている怨讐の背中を、私が両足で踏み越えていくまで、私は行くつもりです。サタンに対して最後まで闘っていくのです。
第三節 西大門刑務所からの無罪釈放
無罪で終結した「七・四事件」
一九五五年十月四日、真のお父様は、ソウル地方裁判所で無罪判決を受け、釈放された。食口たちは、喜びと感激で真のお父様を迎え、三日後、奨忠洞(チャンチュンドン)から青坡洞へ教会を移転し、十日に出獄歓迎会を行った。真のお父様は、平壌で自ら作詞された「聖励の新歌」を歌われ、新たな決意をされた。
1 一九五五年、梨花女子大事件などによって、国家全体が騷ぎ立て、私を捕まえて監獄に入れようとしました。李承晩政権を中心として、そのようなことをしたのです。罪を暴こうとしたところで、私には罪がありませんでした。あらゆるひどいぬれぎぬを着せようとしましたが、罪として引っ掛かるものはなかったのです。
その時は、北朝鮮から下ってきたので、頭を刈っていて、私が軍隊に入隊しようとすると、人民軍ではないかと疑われ調査の結果、軍隊に入れなかったのです。ですから、軍隊に行きませんでした。環境のためにそのようになったので、罪には引っ掛かりません。ですから、無罪で釈放されたのです。
その事実を、キリスト教徒たちは全く知りません。その時、今のように宣布していればよかったのですが、そのような時ではありませんでした。私が行く道には、世界的基準を中心として背負うべき十字架があります。
個人的十字架の道で敗者にならず、勝者になったといって、誇ってはいけません。その個人的勝利基盤の上に、家庭的十字架が訪れてくることを忘れてはいけません。
2 お父様が監獄に入ったことは、新聞に特筆大書してうわさを立てておきながら、無罪で釈放されたことは、とても小さな一段の記事を書きました。(それで)今までそのことを知っている人がいなかったのです。その時、監獄から出てきて闘っていれば、どれほど格好が良かったでしょうか、(しかし、)闘わないことによって、根まで引き抜いてしまったのです。
歴史上でお父様に反対した人は、根まで引き抜かれます。(彼らの)子女たちは、自分の父母が正しい牧師であり、正しい忠臣だと思っていたのに、実は逆賊の立場にいたことを知るようになるでしょう。(自分の)父母が、天の道理を尽くした天地の大父母(真の父母)に反対した逆賊の立場にいたことが分かった時、その子女が、父母の墓を掘り起こす日が来るでしょう。うやむやにする話ではありません。
3 自由党政権の時代に、五大長官(大臣)が私をたたき潰そうとしました。当時、文教部、内務部、外務部など五つの政府機関に、李承晩博士が特命を下し、「統一教会をなくしてしまえ」と通告したのです。調査したところで、何があるでしょうか。自分たちがうわさをすべてでっち上げたのです。白白(ペクペク)教の教主の話をしながら、ぬれぎぬを着せておいて探ったのですが、何の罪状も見つかりませんでした。裁判をしても何もないので、約九十日後に出てきたのです。
当時、世の中はみな、(私のことを)罪人だと思っていました。私は世界でも、そのことで罵られながら歩んできました。それでも、なぜ四十年間、黙っていたのでしょうか。打たれて奪ってくるのです。最も悪い人だと思って私をたたき潰そうとしてきても、「あなたたちのほうが滅びる。私を一度打ってみなさい。打てば自分たちが窮地に追い込まれ、木っ端みじんになるだろう」と考えながら歩んできました。私は何も間違っていません。
4 一九五四年に、統一教会という看板を掛けて出発するようになりました。その時もやはり、韓国において国家的な反対が起こりました。全体が反対しました。監獄に入る事件が起きたのです。
三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。蕩減復帰がそのようになっています。間違いなく、公式は公式どおりに適用されていくのです。当時、大韓民国がお父様をたたいて踏み潰そうとし、キリスト教と政府が一つになって、ありとあらゆることをして葬り去ろうとしました。しかし、公判廷で無罪の判決を受けて釈放されることによって、統一教会は存続できたのです。
Tuesday Jul 04, 2023
真の父母経 第214話
Tuesday Jul 04, 2023
Tuesday Jul 04, 2023
世界平和青年連合」の創設と南北セミナー
一九九四年七月二十六日、百六十三ヵ国の代表たちが参加する中、アメリカのワシントンDCで「世界平和青年連合」創立総会が開催された。韓国で、一九九五年二月二十二日に社会団体として登録された「世界平和青年連合」は、左翼と右翼の理念を超越し、和解と利他主義的精神に基づいた真の共同体を志向している。「世界平和青年連合」は、中国の北京で韓国と北朝鮮の大学生たちが参加する中、数回にわたって平和セミナーを開催するなど、韓国と北朝鮮の青少年交流に大きく寄与した。また、世界各国に支部を置き、青少年純潔キャンペーン、エイズ予防教育など、多様な活動を展開している。
16 モスクワで世界平和のための国際大学生指導者セミナーを行ったのが一九九四年二月でしたが、この大会をやろうと言った時、皆が「来年の春になるまでは寒くてできません」と言うので、私が「国が滅んで死ぬというのに、冬が何だというのか!滅亡と死は冬でも訪れてくる。モスクワがいくら寒くても、急がなければならない!北京大会も陰暦の六月を過ぎてしまえば大変なことになる」と言って、大会をしたのです。
「世界平和青年連合」も、本来は急いで一九九四年六月に創立しようとしたのですが、延期して七月二十六日に創立するのです。
そして、アメリカでは大学と連結し、三千の大学で講演をしました。大学原理研究会の組織圏内に放り込むのです。韓国でも、二百の大学を大学原理研究会の組織圏内に入れなさいというのです。その目的は南北統一です。北朝鮮の大学生と韓国の大学生だけではできません。アメリカの大学生とロシアの大学生、中国の大学生、日本の大学生を動員しなければ、できないというのです。
17 「世界平和連合」の創設大会で、アメリカの元国務長官のアレクサンダー・ヘイグが演説したのですが、その時、彼を私の部屋に呼んで話をしました。「私がロシアの賢い青年たちとアメリカ最高の大学の学生たちを教育して、世界青年連合会をつくろうと考えているので、あなたも協力しなさい!」と言うと、いかにも軍人出身らしく、「間違いなくそのようにします」と言いました。それで今、それに対する計画を立てています。
アメリカの大学生たちとロシアの大学生たちを中心に、自由世界と共産世界として、思想的に対峙してきた代表的な二つの国家の若い青年たちで隊列を組んでおくのです。そのようにしてから、長期休みの期間になれば、世界各国の大学に行って教育するのです。そうすると、これが世界的な問題になるので、いくつかの代表的な新聞に感想文を掲載すれば、必ず多くの大学生が押し寄せてくるのです。そのようになれば、各国の一流大学を中心として、「世界青年連合」や「大学生連合会」をつくることができるのです。
18 「世界平和青年連合」には、大学生と中高生、十七歳(数え)以上はすべて入ります。そうして、大学を中心としてすべてのことを実践するのです。ですから、女性連合は、今住んでいる町の息子、娘たちが通う中学、高校、大学を訪ねて回りながら、教育しなければなりません。二世たちを収拾しなさいというのです。そうして、女性連合を前に立てて、大学と中学、高校の思想的な理論教化(を行い)、キリスト教文化圏の理論教化運動を展開するのです。
19 四十五歳から五十歳の年齢の人たちは、大学を卒業したあと社会に出て、最も活動している重鎮たちです。彼らさえ掌握すれば、世界は回っていくのです。大学生までは横的に家庭に縛られています。今からこの小学生、中高生、大学生たちを縦的に束ねなければなりません。彼らと社会人、大学卒業者たちまで、国家的に束ねなければなりません。そうしてこそ、世界と一つにまとめることができるようになります。
小学生、中高生、大学生たちは、家庭の母親の懐を出たり入ったりします。大学卒業者たちは、国家の懐に入った立場です。これは縦的です。小学生、中高生、大学生たちは、国家基盤です。彼らを世界基盤で、「世界平和青年連合」に連結し、すべての国家を率いていかなければなりません。
そのためには、二世を伝道しなければなりません。ですから、全世界の統一教会は、大学を基地にして伝道しなければならないのです。その次には、大学を中心として、同窓会を動かす活動を展開しなければなりません。それが、今後、私たちが世界を収拾できる一番の近道だと考えるのです。
20 「世界平和青年連合」の会員は、縦的な家庭、国家、世界、天宙を連ねる伝統を真の父母様から受け継ぎ、地上天国の根幹となり、環境全体に模範となって、発展的歴史を維持していかなければなりません。
人類の上中下時代を連結し、直線的な縦的伝統を生活圏で確立しなければなりません。上中下時代とは、老年時代、中年時代、少年時代を言います。老年層の信頼を得て、青少年層の模範にならなければなりません。青年たちは家庭と学校を離れるのではなく、新しい家庭と新しい学校教育の結実体として、家庭と社会で責任をもち、教示する人にならなければなりません。青年たちは、家庭天国理念を完成し、道義的世界の具現に生涯の中心を捧げなければならず、心身一体生活の中心的標本となって、国家の公益を常に追求しなければなりません。
21 「世界平和青年連合」が重要な団体になります。青年たちは卒業生です。ですから、学校とは距離があります。社会に出ていっても、学校の後輩たちが誇ることができる組織をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、正しい卒業生となり、称賛を受けられるのです。そうして、原理研究会と卒業生が一体にならなければなりません。また、同窓たちを同化させなければなりません。自分の村に同窓生がいれば、その村の主力部隊にして啓蒙し、民度を高める活動をしなければなりません。そして、左翼思想に対峙できる徹底した教育をしなければなりません。北朝鮮と対峙しているので、これから思想闘争をしなければならないのです。統一が成し遂げられたとしても、思想闘争は避けられないため、準備しなければなりません。ですから、共産主義に対抗できるよう教育を急がなければならないのです。
22 国家を新たに発展させる方法は、青年の再教育、家庭倫理の確立以外にはありません。ですから、国連大学をつくろうとしているのです。そして、大学連盟をつくって、どの教団を中心とした大きな大学であっても今回コディアクに呼び、「すべて同じ学制で編成して、希望する大学の卒業証書を何枚でもあげられるようにし、世界的指導者に育てよう」と話しました。国境、民族、人種を超越した場で、世界を神様の代わりに改革できる指導者をつくろうという運動が、「世界平和青年連合」です。
23 長い間、世界平和を実現するために、多くの機関を創設してきました。「世界平和女性連合」、「世界大学原理研究会」、「世界宗教会議」、「世界平和のための頂上会議」、「科学の統一に関する国際会議」、「世界言論人会議」、そして、「世界平和教授アカデミー」がそれです。
今や、今日の人類の救いの先鋒に立つために、「世界平和青年連合」を創設するのです。私は、若者が神様と家族と国家を愛し、最高の道徳的基準によって生きていけるようにするため、私のすべての清熱を尽くします。より具体的に「世界平和教授アカデミー」と衛星システムを連結し、国際教育高速道路をつくります。これは、世界のすべての若者たちに、最高の教育の機会を提供してくれるでしょう。私は、百六十四ヵ国のすべての会員国が、若者の精神道徳の回復のための教育プログラムに同参することを促します。「世界平和青年連合」を代表し、私たちはみな、愛と平和の世界創建のために精進していきましょう。私は皆さんの支持を通して、神様の祝福が永遠に共にある、第三の至福千年を成し遂げることができると確信します。
Tuesday Jul 04, 2023
真の父母経 第213話
Tuesday Jul 04, 2023
Tuesday Jul 04, 2023
8 お母様が、韓国の四十の大学で巡回講演をする目的は、大学を動かすためです。そうして、大学を中心として、運動圏を教育しなければなりません。彼らをソ連に連れていこうとしているのです。ソ連には、私たちの食口がたくさんいます。そこで二十一日修練をするのです。モスクワに連れていって、私たちが三週間だけ連れて回りながら、見学をさせてあげ、教育をすれば、すべてが回ります。そうして、韓国と北朝鮮の学生たちと、ソ連の学生、中国の学生たちが一つになり、アジア地域で共産主義思想に対峙できる連合会をつくるのです。いずれにせよ、共産主義は崩れるようになっています。ソ連がそうでしたし、中国も崩れています。「『統一思想』は、共産主義に代わる思想である」と言って教育するのです。北朝鮮の学生たちに、道を開いておかなければなりません。一番早いのがそれです。摂理的に見るとき、韓国と北朝鮮の学生たちは、カインとアベルです。そのようにすれば、父母は自然に一つになるのです。
9 韓国の四十の大学でのお母様の大講演会は、キリスト教と運動圏が分立され、私たちと一つになるきっかけとなりました。摂理史的に見るとき、これは蕩減路程で、この上なく必要な条件です。お母様を中心として、運動圏の学生たちと大学原理研究会が、大学で再び基盤を築かなければなりません。韓国の運動圏の学生たちをアベルとみなすなら、北朝鮮の学生たちは完全にカインです。韓国にいる運動圏の学生たちは、表面は赤いのですが、中は白いというのです。しかし、北朝鮮にいる学生たちは、完全に赤いのです。
今から、韓国の運動圏の学生たちと北朝鮮の学生たちを、モスクワに連れていって教育します。ここに、日本の朝鮮総連と民団の学生、日本の学生が加わるのです。韓国の学生たちを中心として、アメリカと中国、ソ連の学生たちが連合し、北朝鮮の学生たちを同化させなければなりません。ですから、私たちは最善を尽くして、北朝鮮にこれを知らせたのです。今、モスクワで世界平和青年運動の組織を編成しようとしています。そうして、超国家的に思想を超越して、青年運動を展開するのです。これは、大学原理研究会だけではできません。社会基盤がないので、大学を中心として、同窓生たちを束ねるのです。同窓生と学生は、カインとアベルです。彼らを束ねて組織をつくり、世界的に大運動を展開しさえすれば、急進的な発展を遂げることができます。ですから、お母様と「世界平和女性連合」と学生連合が、一つにならなければなりません。
二世を中心とした大学統一運動
真の父母様は、戦争を経験していない二世の大学生と青年を中心に、「頭翼思想」を理念とした南北統一運動を継続して展開された。一九八六年五月十五日に結成された「南北統一全国学生総連合(統学連)」と、十月十一日に発足した「全国大学教授学生南北統一運動連合(教学統連)」を中心に、活発な南北統一運動が展開された。大学教授と大学生に正しい南北統一の理念と座標を提示されたのである。
10 今は二世の時代です。二世を収拾する時だというのです。誰が彼らを収拾して、新しい理念を教育するのかというのです。韓国には、彼らを教育する団体がないと考えなければなりません。それは、現実的に現れ、歴史的に現れた事実です。
ですから、大学で「南北統一全国学生総連合(統学連)」と教授たちも動員しなければなりません。世界にないことが起きたのです。そのようにするのは、縦的なカインとアベルを一つにするためです。師弟関係も父子関係も縦的なカインとアベルです。強力な体制を中心として、進むべき時が来たのです。
11 南北を統一するのは、お父様でなければできません。教授と学生が連合し、その社会の有志と連結して、二世の若い青年たちを一つに束ねなければなりません。道なら道の大きな会場で大会をして束ねなさいというのです。そして、組織編成をしなければなりません。一つにならなければならないのです。
ですから、「全国大学教授学生南北統一運動連合」をつくりました。全国にいる教授と学生が一つになりなさいというのです。このような組織は今までなかったのですが、お父様によって初めて、歴史にないことが起きたのです。
12 一九八六年一月二十四日、漢南国際研修院に教授たちが集まり、新たな決意をしたのちに対社会活動を始めました。二月十七日から全国百六十六の地域で大学教授巡回講演会をするという、驚くべき歴史的一ページを記録するようになったのです。また、それから五ヵ月後には、世界の碩学たちを中心として、皆さんが協力し、全国二百三の地域で歴史的な新しいみ言の砲門を開きました。
これは、世界を越えて、歴史的に記念できる一つの記録になるでしょう。そこに名高い学者たちが動員され、先頭に立ったという事実は、驚くべきことです。このようなことができる団体をつくったのですが、その名称が「全国大学教授学生南北統一運動連合」です。お父様はこれに対して、多くの希望をもっています。
13 お父様は、一九八六年二月から「世界平和教授アカデミー」に所属する教授を立てて、全国で講演会を開催しました。それは、最高の知識人たちがお父様のために一つになったことを宣布する式です。この教授たちを中心として、お父様が地方にいる教授たちの所に行って教えるのです。お父様が教える際には、彼らが反対せずに歓迎しなければなりません。このようにすることによって、上は教授たちから、下は村人まで、完全に外的な基盤が一つになる立場に立つようになるのです。
「国際勝共連合」を中心として、カイン圏である国とアベル圏である統一教会が完全に一つになったというときには、政府も統一教会に付いていかなければなりません。このようになれば、世界的見地から、南北統一の運勢圏が私たちに訪れるというのです。
皆さんは、統一教会と勝共連合を中心に完全な国家組織として一つになり、南北統一をしなければなりません。神様の側ですべてのものが一つになれる環境を韓国につくったので、サタン側のカイン圏を吸収しなければなりません。今や、韓国を中心として、アメリカと日本、さらには中国まで連結させることができる垣根を巡らせたのです。
14 お父様が「全国大学教授学生南北統一運動連合(教学統連)」をつくり、教授たちと学生たちを束ねておきました。この時、韓国では学生たちが民主化を求めるデモをして大騒ぎしていました。私たちは彼らを収拾するために時局(に関する)講演をしたのですが、その時、運動圏の大学生たちが民主化を求める勢力と共に私たちに反対し、キリスト教もこれに加勢して反対しました。ですから、教学統連が先頭に立って、大学生と一般国民を教育しなければなりません。最後に私たちが立てなければならない所が、統、班、面、里です。
私たちがその闘いで勝利するか失敗するかという問題は、どこにかかっているのでしょうか。今後、若い二世たちを動員して、一世たちを収拾しなければなりません。これは、イスラエル民族が四十年後にカナンに復帰し、二世たちを中心として国を建てたのと同じです。ですから、二世圏が主動となって建国の歩みをしなければなりません。それが正に大学です。
二世は大学生と中高生です。二十歳前後の青少年たちを糾合しなければならないというのです。二世たちと教授たちが一つにならなければなりません。これは縦的なカインとアベルです。兄弟は横的なカインとアベルです。このようにして、教学統連が縦横に一つにならなければなりません。一つにならなければ、影響を与えられないのです。
15 一九九四年に入り、運動圏の学生たちがデモを起こしているのですが、ここに宗教界が影響を及ぼしています。このような運動圏を、大学原理研究会を中心として収拾しなければなりません。そのようにして長子権復帰をするのです。最近、運動圏の学生たちが原理研究会に協助し、大学でのサークル登録を手伝っています。去る二月にモスクワ、六月に北京で世界平和のための国際大学生指導者セミナーをした時、私が金日成主席を動かし、北朝鮮の大学生たちをそこに参席させて、韓国と北朝鮮の学生たちを会わせました。私がそのようにしてあげたのです。
自分たちがいくら会おうとしても、会うことはできません。南北統一を主導する人はお父様しかいません。これまで、北朝鮮の学生たちと韓国大学総学生会連合の責任者たちが会おうと苦心したにもかからず、会えなかったのですが、私が会わせてあげたのです。このように、統一のための主導的な役事を、お父様が行っています。
今までその基盤を築き、国家を超越して、韓国と北朝鮮を統一できる学生大会を糾合した立場に立ったので、これを後押ししてあげなければならないというのです。それで、全国の二百の大学に原理研究会を再び登録して、共産党以上のブームを起こせる活動をするようになりました。
Tuesday Jul 04, 2023
真の父母経 第205話
Tuesday Jul 04, 2023
Tuesday Jul 04, 2023
第一章 南北統一運動と北朝鮮訪問
第一節 勝共啓蒙運動と「国際勝共連合」
韓民族覚醒のための啓蒙運動
真の父母様は、一九六〇年七月二十日から四十日間、韓国全土の四百十三の地域に、七百人以上の人々を派遣して行った啓蒙運動を皮切りに、国民教育を大々的に展開された。神様の復帰摂理から見れば、世界の中心国家である韓民族の運命は、世界の運命と直結しているため、韓民族に対する啓蒙運動は、世界人類を覚醒させる前哨戦のようなものであった。それゆえ、若者を動員し、韓民族の摂理的使命に目覚めさせる国民運動として、勝共活動を始められたのである。勝共運動は、既存の反共政策が限界に至ったことを認識した土台の上で始まり、共産主義理論の限界と虚構性を論理的に批判し、その代案を提示することにより、国民思想運動として大きな役割を担った。
1 韓民族はかわいそうな民族です。長い歴史路程を経てきましたが、他の民族の前に豪語して進み出られるいかなる内容ももち得なかった民族です。もっているものもなく、誇るものもありません。
しかし、この民族が二十一世紀の新文化時代に、神様が願われる心情を抱き、人類の悲しみと苦痛を抱き締めて身もだえする民族になれば、さらには、神様の悲しみと苦痛を抱いて身もだえする民族になれば、世界を指導し、天の愛を受ける民族となるでしょう。
2 今日、韓民族のことを世界で一番哀れな民族だと言いますが、お父様は韓民族に一番の希望をもっています。民主世界と共産世界が対峙していますが、韓民族は絶対に哀れな民族ではありません。この韓民族に天的な動きがあるとすれば、韓民族は生きるのです。歴史は韓民族の歴史に、世界は韓民族の世界になってしまうでしょう。これは、私の言葉ではありません。分かってみれば、そのようになっているので話すのです。
歴史の背後から付いてこられる神様の解怨成就は、悲しみの路地裏から成し遂げられてきました。そこから喜びの基盤がつくられ、足場ができてきたのです。ですから、韓国は世界で問題になり、全世界のキリスト教の中で問題になるでしょう。これからは、統一教会が世界的な問題として台頭するでしょう。それは、自慢ではありません。よく祈る人は分かるでしょう。霊通した人は、証するのです。しなければ、天上の法に引っ掛かります。ですから、皆さんもしっかりと覚悟しなければなりません。途中でやめてはいけません。私たちの前にいかなる迫害が来ても、問題視しないという信念をもたなければならないのです。私たちが倒れたとしても、天のみ前に立てようとする忠孝の伝統を立てなければなりません。忠男、忠女の伝統、烈男、烈女の伝統、孝子、孝女の伝統さえ立てておけば、統一教会は使命を果たすのです。
3 三千万の民族(韓民族)が神様を知らなかったとしても、神様は韓民族の歴史と共にいらっしゃいました。義の心情を抱き、忠臣の道理を立てるために刑場の露と消えた、ある忠臣がいるとすれば、神様はその人の足跡とその人の心情、またその人が属している民族と共にいらっしゃったのです。
今日の「私」は、負債を負った者です。韓民族は、負債を負った民族の中(でも、より多く)の負債を負った民族です。かわいそうな人を救おうとする神様であり、堕落した子女を抱いて痛哭される父母の心情をもった神様であれば、豊かに一暮らす民族よりも、貧しい民族を見つめながら、より哀れに思われるでしょう。韓民族は、他の民族に誇るものは何もありません。持つべきものを持てませんでした。すべて奪われてしまい、すべて失ってしまいました。
ここで、再び私たちが何かをもつことができるとすれば、私は「血が沸き立ちながらも、行くべき道が分からずにさまよっている青年男女たちの心の中に、イエス様が神様に対して父と呼んだ燃え上がる心情をもたせてください」と願うのです。彼らがそのようになれば、この韓民族を他の民族が支配することはできないでしょう。私たちを哀れに思って御覧になる父の心情の前に、「(天の)お父様!私はこのように活動しました」と進み出る息子、娘が多くいれば、神様はこの世界と主義、思想を新たに生まれ変わらせるでしょう。そのような青年男女、そのような民族がいるとすれば、彼らは世界を支配するのです。
4 神様の願いが私たちの肩にかかっています。私たちは、天の主権を民族と人類と天宙に立てなければなりません。神様は、皆さんが自覚し、勝利の実績を残すことを待ち望んでいらっしゃいます。それはほかでもない、失われた天の民族と国土と主権を回復することです。
韓民族は、自覚することができずに眠っています。自分がどのようになっているのか、国土がどのようになっているのか、主権がどのようになっているのかを知らずにいるのです。私たちは彼らに、失われた民族と国土、主権を天宙に立てなければならないことを悟らせてあげなければなりません。命を懸けて回復させなければなりません。私たちは、天の民族と国土と主権を取り戻すために悔い改め、天の勇士として闘志をもって勇進すべき使命を帯びていることを、自覚しなければならないのです。
お父様も、責任を自覚してからは、寝ても覚めても、食べるときも、ただこれだけのために生活しました。自覚できない韓民族を自覚させる責任を負ったので、自負心をもって進むようにお願いします。
5 この地球上で最も大きな事件が起きたのですが、その事件が正に、共産主義の出現です。これがなぜ大きな事件なのでしょうか。厳然と生きていらっしゃる神様に対して、「死んだ」と言うからです。言い換えれば、共産主義は、神様が厳然と生きていらっしゃるにもかかわらず、「いない」と言うのです。罪の中で最も大きな罪とは、明らかにいるにもかかわらず、「いない」と言うことです。目をらんらんとさせて生きているのに、その人のことを「死んだ」と言えば、怨讐の中の怨讐になるのです。
自分の父母が生きているのに、「父母は死んだ」と言えば、それ以上の不孝はありません。それと同じように、神様が生きていらっしゃるにもかかわらず、「神は死んだ」と言うならば、それ以上の怨讐はないのです。この怨讐の主人公が共産主義です。ですから、共産主義に関するすべてのものを打破してしまわなければなりません。それゆえ、「勝共思想」で思想武装しなければならないというのです。
6 自分が最も愛するものは、自分だけでなく、家族全員が愛し、民族も愛し、さらには、全世界の人類が愛し、天と地、すべての存在が愛するものでなければなりません。それは、自分が愛する息子でもなく、夫婦でもなく、父母でもありません。それは、正に神様です。心情の流れる道筋の根として連ねることができ、誰も動かすことがてきず変更することができず、引き離すことができない、そのような中心的心情の主体である神様だというのです。
神様を愛するときには、民族的な隔たりも、いかなる伝統的な隔たりもありません。民族を超越し、伝統を超越し、環境を超越した立場で、万民が共通に愛し得る主体が神様です。人間が神様と自分との関係を知って、縁を結ぶ立場に進むようになれば、神様を愛さざるを得ないようになっているのです。ですから、神様は一体の場をつくるために、この世界を収拾してきています。それで、まず希望の一点を探し出すために、今まで思想と理念を中心として闘ってきたのです。これが今日、民主と共産の対決にまで至りました。
しかし、この世界は民主主義でも駄目であり、共産主義でも駄目だというのです。この二つは、より優れた一つの理念で糾合されなければなりません。全世界の人類は異口同音に、「一つの理念を追求し、(それを)謳歌できる時代に越えていかなければならない」と言っています。ですから、私たちは、神様と人類を一つにすることを一つの希望として、その途上に立っているのです。
7 今日の世界は、民主世界と共産世界に分かれています。ところが、民主世界が共産世界に追われている状況です。それは、民主主義に共産主義を凌駕できる思想的な内容がないからです。ですから、私たちがこれから、共産主義を凌駕できる主義と思想を立てなければなりません。それが天宙主義です。
天宙主義を中心として共産主義を批判できる道を模索しなければなりません。このことを一九六二年から準備し、一九六五年に始めました。共産主義に勝てる団体は、正に全国で大きく成果を収めている勝共啓蒙団です。
8 私たちは、世界的に拡大している共産主義を打倒するために闘っていかなければなりません。共産主義が世界の三分の一をのみ込み、民主主義の宗主国であるアメリカまで、その組織に引き入れようとしています。ところが、統一教会が、「共産党を打ち倒そう」と言いながら立ち上がって闘っているのです。このような私たちに対して、世の中の人々は関心がありませんでした。しかし、彼らは誤解していたのです。
最近、立場が逆転しました。今や「統一教会の講師でなければ駄目だ」と言って、車で探し回りながら、先を争って講師を連れていこうとしています。彼らは、統一教会が「共産党に勝とう」と言っているので、「勝共啓蒙団」という名前まで付けてくれました。ヤコブには、天使がイスラエルという名前を付けてくれました。ヤコブがそのように勝利したのと同じように、私たちも実権を握っていかなければなりません。共産党を自然屈伏させるのは、私たちでなければならないようになっています。思想的な面で、「統一思想」でなければならないというのです。
9 皆さんは、統一の理念をもって壁を越え、境界線を越えて、三千里半島と三千万の民族(韓民族)の前に進み出なければなりません。道端にいる青年たちであっても、連れてきて「統一理念」で教育しなければなりません。今、韓国の実情は、そのようなことが起きなければならない時です。そうでなければ、滅びるようになるというのです。
そして、この道を行くには、父母の心情をもち、僕の体で、涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために注がなければなりません。そのようにしてこそ、皆さんの涙と汗と血の価値を、人類と地と天が分かってくれるのです。
神様は祭物の足場に乗ってこられます。ですから、統一教会の信徒は、個人的な祭物時代を経て、民族的な祭物の責任を果たし、世界的な祭物の道に進んでいかなければなりません。
10 民主世界の主体国であるアメリカを中心とした国々が、「神は死んだ」という内容をもって、一九六七年に世界を大きく騷がせました。歴史上に恨を残す出来事です。「神は死んだ」と言うのですが、三年以内に復活する時が来るというのです。イエス様は三日目に復活しました。死んだので、再び生きる時が必ず来るというのです。
それでは、このような役事(働き)を誰がするのでしょうか。今日の民主世界のキリスト教ではできません。世界的な思想をもった共産主義を凌駕できる理論を、キリスト教は備えることができていません。共産主義を凌駕できる理論をもった統一教会がしなければならないのです。ですから、統一教会は反共思想だけでなく「勝共思想」を掲げてきたのです。「共産党に理論で勝たなければなりません。「共産主義理論は、これこれこのような所が間違っている」と批判するだけでなく、その代案までも提示しなければなりません。
現在、統一教会が「勝共思想」をもって先頭に立っていますが、統一教会はまず、世界に向かって「神様は生きていらっしゃる」と宣布しなければなりません。今日の世界は、神様の運勢がそがれていく、最後の峠道に直面しています。そのような運命の道で、新しい理念を中心として、共産主義の無神論思想を退け、民主世界を神様の側に導いていく使命を、統一教会が果たさなければなりません。
Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第204話
Monday Jul 03, 2023
Monday Jul 03, 2023
第八篇 南北統一と世界平和の実現
真の父母様は、人類始祖の堕落によって生じた地上地獄と天上地獄を撤廃し、創造本然の地上・天上天国を創建するため、生涯にわたってすべてのものを捧げられた。実に、その路程は人類が行くべき永遠の典型路程であり、鑑とならざるを得ない。この路程を踏んでいくことにより、地上と霊界で、神様と人類が夢見てきた平和な理想世界が実現されるのである。
真の父母様は、世界平和の実現のためには、無神論を掲げる共産主義勢力の拡大を防がなければならないと考えられ、南北に分かれた韓半島の統一のために、「国際勝共連合」や「南北統一運動国民連合」など、多くの機関を立てられた。
そして、共産主義の心臓部であるモスクワでゴルバチョフ大統領に会い、無神論を捨てて神様の元に再び帰るよう勧告された。続いて、北朝鮮を発ってから四十年以上を経て平壌を訪問し、金日成主席との会談を通して南北交流の扉を開かれた。
特に、真の愛と「頭翼思想」を根幹として南北統一と世界平和のビジョンを提示され、一九八五年八月、スイスのジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」で「共産主義の終焉」を宣言し、共産主義と民主主義の理念戦争の幕を下ろすよう導かれた。
真の父母様は、世界平和実現のためには国際的な勝共運動が必要であると考えられ、日本とアメリカなどの地で多くの活動を展開された。特に、南北米の平和のために「南北米統一連合(CAUSA)」と「中南米統合機構(AULA)」を結成し、蒙古斑同族を世界平和運動の中心に立てるため、「蒙古斑同族世界平和連合」を創設された。さらに、世界平和のためには国連が改革されなければならないと考えられ、「世界平和連合」と「世界平和超宗教超国家連合」、「天宙平和連合」などを立てられたのち、宗教を上院とする平和国連のもとに世界が結集しなければならないことを強調された。
また、真の父母様は、実質的に世界を一つに結び得る国際平和高速道路の建設を提案され、日韓海底トンネルとベーリング海峡トンネルの建設のために、各種の国際会議と学術・広報活動などを展開された。そして、国境の撤廃を通して、神様が何よりも願われた「神様のもとの一つの世界」が、この地に実現されると考えられ、地球村を一つに連結し、円満に交流させるために尽力されたのである。
Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第203話
Monday Jul 03, 2023
Monday Jul 03, 2023
13 私は、私自身を管理し、天のみ旨を選別していく正当な人生を、日陰のもとで送りました。サタン世界より、もっと日陰である監獄に入っていっても(そのように)暮らしたのです。むしろ監獄が避難所になりました。
私が監獄に入った時、私の父と母がどれほど泣いたか分かりません。私が「勉強をしたら、国を生かす」と言って、父と母が世話をしてくれたのに、学校を卒業してから監獄に入るとはどういうことかというのです。
私は監獄を訪ねていきました。共産世界に入っていって、誰よりも共産主義を分析しました。アメリカの監獄、日本の監獄、韓国の監獄、北朝鮮の監獄をすべて経験したのです。
14 北朝鮮に行って、三度も監獄暮らしをしました。共産主義に対して少しの未練ももたせないための天の作戦であり、共産圏内にあるキリスト教に関心をもたせなようにしようとする神様の作戦でした。共産圏内にある教会も信じることができないように、すべて切ってしまう作戦であり、その国も信じられないように切ってしまう作戦でした。一切を否定させるための作戦だったのです。韓国で反対を受けさせるのも、アメリカで反対を受けさせるのも「未練をもってはいけない」ということです。すべて切ってしまうのです。
今やすべての峠を越え、過ぎし日を振り返ってみれば、これはすべて、天がより貴いものを与えるための作戦だったのです。より大きいもの、より貴重なもの、より無限なものを与え、祝福の道を開拓するための神様の祝福だったというのです。ですから、今後は、定着したものを誰も占領できません。それこそ、このような受難の道を通して、サタンが占領していたすべてのものを完全に取り戻し、引き渡そうとする天の愛だったというのです。
15 今まで、私は、迫害を受けるのが好きで、このことをしたのではありません。悪口を言われるのが好きで、このことをしたのではありません。嫌ですが、嫌な味よりもっと良い味があるので、このことをしてきたのです。霊界に一度行ってみれば、どこの誰に対しても羨む必要のない味があるので、このことをするのです。このみ旨の味を知り、この世界を捧で打てば粉々になってすべて砕けるという実感が湧くので、このことをするのです。
皆さんは、お父様が生来、体が鋼鉄のように丈夫で、健康だからそのようなことをするのだと思うかもしれませんが、そうではありません。嫌なことをどうしてするのですか。一年、二年だけしてみなさいというのです。死んでしまうでしょう。それを良いものと思うから耐えられるのであって、疲れてやりきれないと思えば耐えられません。これを全うすれば、素晴らしい何かがあるので、このことができるのです。
16 神様は、私を愛していらっしゃいます。それを、私はよく知っています。しかし、私は生涯を捧げて神様を信じてきましたが、神様のみ前に抗議したいと思う時が一度や二度ではありませんでした。私が死地に入ると、神様は「知らない」とおっしゃるのです。
しかし、分かってみれば、「知らない」と言う父母の心は、どれほど胸が痛むだろうかというのです。助けてあげられるのなら、手足をおとなしく縛られたままにしておくのではなく、動いて千回でも、万回でも助けてあげたいでしょう。しかし、そのようにしてしまっては、統一教会の文という人が行く運命的な道を解決できないので、神様はそのような場で、第三者の立場に立たざるを得なかったのです。
17 私が道を歩む中で孤独なときに、神様が私を呼んで、「誰々よ、私がいるではないか」と言って勧告してくださったことを思い出します。そうすると、孤独な立場が問題ではありません。「私一人だと思ったのに、あなたが私と共にいらっしゃるのですね」と言って、力強く歩いていくのです。
ある時は、道を行く乞食を見ながら、「あの乞食が、私を訪ねてきた(天の)お父様の姿であればどうするか」と思って、痛哭に痛哭を重ねたこともあります。このような心をもって、どんなにみすぼらしい服を着た乞食だとしても、その手を取って人知れず痛哭できる皆さんにならなければなりません。私はそのような立場を何度も経てきました。
苦痛の中に一人いる孤独な立場で、「お父様は薄情な方でもあられるな。お父様は無慈悲な方でもあられるな。責任だけ任せておいて面倒は見てくださらない」と考えることもあました。ところが、そのたびに神様は、「誰々よ、お前が乞食を抱きかかえているとき、私が共にいた。誰々よ、お前が塗炭の苦しみの中で哀れな人と共に涙を流しているとき、私が共にいた」とおっしゃいました。
ですから、この道を行かずにいられますか。それで、イエス様も、「空腹のときに食べさせ、かわいたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し」(マタイ二五・三五)、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ二五・四〇)とおっしゃったのです。
18 神様の戦法は、打たれながら奪ってくるというものです。サタンは先に打って滅ぶのです。第一次世界大戦の時も打った側が滅び、第二次世界大戦の時も打った側が滅びました。第三次世界大戦は思想戦ですが、共産主義が世界を打っています。
ここで私は、最も代表的に打たれています。大韓民国が私に反対し、アメリカが私に反対しました。また、日本が私に反対し、中国が私に反対し、世界が一つになって私に反対しましたが、反対した悪なる世界の福を引き継いでくるのです。悪魔は、天地のすべての福を引き継ぐことができません。「終わりの日」になって、サタンはこの福を真の人に引き継いであげなければならないのです。
19 お父様は、神様のみ旨を疑つたことがありません。さらに、神秘的な未開拓の地を知りたいという気持ちで訓練しなければ、その時まで知っていたすべての基盤が流れていってしまうのです。次元の高い基盤を相続するためには、必ずその基盤に相当する蕩減を払わなければなりません。ですから、迫害を受けるようになるのです。
しかし、その迫害は悪いものではありません。それは、自分を完成させてくれるためのものです。ですから、監獄に行くことが問題ではなく、生死が問題ではありません。そのように生きて死ぬようになれば、霊界で何十倍、何百倍貴い所に行くことを知っているので、何の不平も言う必要がないのです。
20 監獄に入っていき、むち打たれて血を吐きながら倒れる時にも、神様のみ前に自分自身を心配する祈りはしませんでした。「お父様、私は、昔の預言者たちやイエス様と違います」と、心の中で誓いながら耐えてきました。「神様、私を助けてください」というような、つまらなくて男らしくない、弱々しい祈りはしませんでした。ただ神様のためにだけ祈り、それ以外には祈らなかったというのです。
神様が期待と希望をかけているのに、囹圄(牢獄・獄舎)の身になったと言って泣き顔で「助けてください」と祈ることはできません。日本統治下で、日本人たちに追われ、北朝鮮でも共産党に追われ、民主世界でも追われました。しかし、追われたとしても、世界に進んでいくのです。いくら迫害して追い立てても、行くのです。
21 イエス様は十字架を前にしてオリーブ山で祈るとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言いました。私の思いというのがどこにあるでしょうか。(弟子たちは眠りました。)このことでサタンに引っ掛かったのです。イエス様の思いと神様のみ意が一つにならなかったというのです。
そのことを知っていたので、拷問を受けて血を吐く場でも、「私はイエス様と違います。私の血は神様のみ意のためのものです」と言いました。神様のために血を根こそぎ捧げようと考えたのです。
私は困難なことがあっても祈りません。天が知っているのに、「神様、私を助けてください!」と祈ることはできません。全体が生きることができる方向を、私の体で教示するのです。そのような目標を中心として、今まで絶対信仰、絶対愛をもって歩んできました。一生の間、血の涙が流れる谷間を越えながら、神様を愛し、一体の心を抱いて進むのです。
22 お父様は一人です。夜の灯台のようなことをしています。夜、船に乗っていく人には灯台が貴重ですが、昼は、誰も灯台を重要視しません。灯台守を好む人はいません。その灯台守の役割をするのです。昼には分かりません。ですから、どのようにして灯台を昼間の太陽に変えるかというのです。それが蕩減復帰です。人間を中心として光を放ち、永遠に、神様の本然の太陽のように変えてしまおうというのです。灯台を太陽に変えなければならないのですから、それがどれほど難しいでしょうか。そのようなことを考えてきたのです。
監獄に入っていても、「第二の監獄はどこだ。第三の監獄はどこだ」と考えながら歩んできました。第六の監獄に行きながら、第七の監獄まで考えた人です。ソ連と中国の監獄に向かっていくべき道が残りました。それを準備していましたが、神様が守ってくださいました。その代わりに、死ぬ前に監獄以上の国を訪ねていくのです。ですから、ソ連に行きました。ソ連に行く時も、周囲から「どうか行かないでほしい」と反対を受けました。夜の監獄を解消するために、昼の監獄を訪ねていくのです。私が監獄に行き、私によって助けになったならば、昼になるのです。
23 お父様は今まで、一生の間、迫害を受けて追われましたが、滅びませんでした。本質的方向があるからです。自分を中心としてこのようにしたのではありません。より善なる人のために、より善なる位置のために、より未来に近づくことができる事情を標準としてそれを主張し、それを中心としてそこに合うように教育し、そこに合うように生きようとしてみたところ、迫害は受けるのですが、天地すべてがお父様を擁護するのです。
男性なら男性が行くべき道、家庭なら家庭が行くべき天理原則があります。その原則に一〇〇パーセント符合するときには、天地がすべて協助するようになっているのであって、破綻させることはできません。破綻させれば、天地のすべてが壊れていきます。この自然のあらゆる原則基準が混乱し、崩壊してしまうのです。
24 天国に入るためには、完成したアダムの位置、天使長が最後まで保護できる祝福の位置に立たなければなりません。そのような原理基準があるので、サタンの讒訴を越えて、怨讐を愛したという条件を立てなければ、天国に入れないのです。怨讐を愛さなければ、行くことができません。私も一生の間、このことをするのです。
ダンベリー刑務所に入っても、そのことをしました。私がダンベリーに入る時、アメリカの朝野で歓呼しましたが、私はダンベリーで彼らを愛しました。本然の愛をもって愛したので、サタン世界は頭を上げることができません。それを克服していきました。そこから新しい世界が開かれるのです。
25 世界各国が方向を失ったとき、お父様が中心になって、昼夜なく行くべき方向を開拓してきました。お父様が蕩減の道を経てくる時には、自分という意識がありませんでした。イエス様も十字架に釘打たれたとき、自分という意識がありませんでした。イエス様はローマ兵士らについて、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と祈ったのです。そのようにして、未来にローマを占領できる条件を立てたのです。お父様も同じです。
日本の監獄、北朝鮮の監獄、韓国の監獄、アメリカの監獄まですべて通過してきましたが、そのたびに忘れなかったのは、愛の綱を切ってはいけないということでした。獄中にまでも、愛の綱を引き入れたのです。電線はどこを通ろとも、それを連結すれば、発電所の電気が切れない限り、電気がつくようになっています。神様の愛の電気も、電線さえ連結されていれば、どこでも電気がつくようになっているというのです。皆さんもそこに連結されれば、その電気によって復活すると同時に、新しい生命を得ることができます。
このように、はっきりとした希望の道があるというのです。それが私たちの幸福です。そうして、十字架の道を笑って越えていく立派な人間になるとき、サタンは後ろを振り返ることもなく、逃げ出していくというのです。このような人になるとき、復帰完成という結論が出てくるのです。
Monday Jul 03, 2023
真の父母経 第195話
Monday Jul 03, 2023
Monday Jul 03, 2023
14 霊界にいるキリスト教の霊たちが、イエス様を中心として地上に降りてきて協助しようとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。地上に存在するキリスト教が統一教会に反対するところでは協助できません。祭物を捧げた団体を通して、地上世界で横的に発展していくところに協助するのです。
今まで、霊界に行っているすべての霊たちと、真の父母の血族が霊界に行って、直接的に関係を結んだことがありませんでした。そして、霊人たちの願いは、真の父母と心情的絆を地上で結ぶことです。それができないので、地上にいた真の父母の息子を送れば、霊界に行ったその息子と関係を結ぶことによって、興進君を通して地上に降りてきて、キリスト教を協助し、消化する運動に協助できるというのです。それによって、イエス様を中心としてキリスト教の霊界が地上に再臨し、霊界全体が再臨できる環境が広がっていくのです。
文興進様の祝福結婚と霊界の総司令官
真の父母様は、一九八四年二月二十日、アメリカ、ニューヨークのべルベディア修練所で、文興進様と朴薰淑様の祝福結婚式を挙行された。聖和五十日目に開かれた文興進様の聖婚式により、天上と地上が一つになる契機が整った。真の父母様は、統一式と「愛勝日」の基盤の上に、文興進様に祝福結婚と養子を約束され、この土台の上で、霊界を解放するための真の愛の全権大使であり総司令官であると祝福してくださった。
15 イエス様は三十代で亡くなりましたが、興進君は十七歳で逝きました。それは、世界史的な原理結果主管圏が直接主管圏に連結される条件になります。父母様の愛を神様の愛の代わりに受けられる位置にいるというのです。ですから、サタンの干渉圏を越えるのです。
もちろん、天使長の保護も、保護ではありますが、原理結果主管圏内にいても、真の父母の保護のもとにあるというのです。そのため、地上で結婚させてあげられるのです。イエス様は、地上の真の父母の基準に通じる道を願います。地上では真の父母の基準の上でその蕩減条件を立て、復活する時にも真の父母の愛の圏内で復活するので、サタンの干渉を受けないというのです。それを地上に連結し、五十日目に祝福してあげたことは、驚くべき事実です。二千年後にイエス様が来て、成し遂げようとしたすべてのことを、一度にすべて成就したというのです。それは、第二アダムが原理圏内で祝福を受けたことを意味し、第一アダムが未完成だった基準を中心として、完成基準を立てたことを意味します。アダムが堕落する時は、長成期完成級ですが、これは、完成級の真の父母と直接連結される時なので、直接主管圏に入っていくというのです。ですから、今や霊界は、自動的に順応する時代に入るようになります。
16 一九八四年二月二十日は、興進君の聖和後、五十日になる日ですが、これはイエス様の当時の五旬節と同じです。百二十人がマルコの家の屋上の間(屋根裏部屋)で聖霊降臨とともに火を受け、世界的役事が起きたのと同じように、きょう興進君と薰淑さんが結婚することによって、百二十ヵ国の王たちがこの地に来て復活し、世界的役事を展開できる運動が起きると見るのです。
これは五旬節を代表したものです。霊界にある百二十の王権が臨むことができ、地上と一つになるのです。そうして、百二十ヵ国の中で、父母様に侍ることのできる一つの国さえできれば、そこから天国が開門されるのです。
17 興進君の新婦である薰淑さんが、一人で暮らしても神様のために忠誠を尽くし、真の父母のために精誠を捧げる孝女、孝婦となる立場に立つとき、祝福を受けた家庭は、三年路程や七年路程に対して不平を言える条件がなくなるのです。皆さんがサタンの讒訴条件を抜け出せる一つの起源と伝統が地上に現れるということです。これが、皆さんにとって最もうれしい知らせです。
皆さんが地上で相対をもっているのに、不平を言うことができるかというのです。サタンが讒訴できない基準を、私が皆さんにプレゼントとして与えるのです。皆さんが霊的に薫淑さんと一つになる時、サタンは皆さんの家庭を侵犯できなくなります。ですから、薰淑さんに代わって生き、興進君に代わって生きるという思想をもてば、サタンを除去できる途方もないことが起きるというのです。それで、祝福家庭に対して、三年路程に出発しなさいと厳命を下しました。
18 興進君の結婚式の日であるきょう、三年路程に出発しなさいという厳命を受けた祝福家庭は、夫と妻が今晩、互いに手を取り合って悔い改め、あすから新しい道を行かなければなりません。
ここで重要なことは、第一に、興進君に新婦がいなければ王国圏が成立しないということであり、第二に、霊界は天使世界と同じ立場にあるので、王権をもったその王と民がアダム世界である地上に来て、サタンの組織を奪い返し、天の国の王国圏を相続しておかなければならないということです。天使世界に相当するその天使たちが、アダムとエバが堕落する前に保護、育成していたのと同じその原理原則に従って、この地上世界を保護、育成しなければならないからです。
ですから、神様と神様に侍る天使たちが、神様に反対する天使たちを追放するのです。私たちが占領し、私たちが操ることのできる、真の父母の愛を中心とした原理結果主管圏だと主張できる時になったので、これが可能なのです。
その次に、第三は、皆さんに福をもたらすことができる灯台ができたということです。そうして、真の愛の橋になるのです。薰淑さんと興進君を中心として、真の愛の橋が架かったのです。ですからもはやサタンは干渉できません。それが原理観です。
19 心情圏を中心としてイエス様と興進君を見るとき、興進君が兄です。霊界に先に行ったイエス様は、長子の立場にいますが、その権限を次子に渡して、心情圏の基盤の上で真の父母の愛を中心とした本然の基準と通じなければなりません。そのようにしなければ、天国に入っていける門に連結されないのです。楽園の門が天国と通じる道が現れないというのです。ですから、五十日目に興進君と蒸淑さんの結婚式を地上でしてあげて、地上に往来できる立場に立てたのです。結婚させて地上と連結させました。
20 興進君を祝福してあげることによって、その相対が地上に残っているので、地上と天の国に愛の橋梁が架かり、イエス様が来て父母様の家庭と統一教会に協助できるようになりました。この道を開いてあげたので、イエス様を中心としたキリスト教は、地上の統一教会と一つにならなければなりません。
ですから、キリスト教を信じて先に逝った霊人たちは、天を協助する天使長のような立場で、地上の再創造過程を経るアダムとエバを協助するのです。天使長がアダムとエバを協助しなければならない道理に従って、統一教会とキリスト教が連合運動をするところに協助するというのです。そのため、地上の連結とともに天上の連結、心情圏の統一が起きることにより、今までキリスト教をよく信じて逝ったすべてのキリスト教の先君、先王が、霊界で各国家と区別されていたのが、すべて連結されるようになったのです。
神様の愛の心情圏を中心として国家を超越し、一つの統一圏を形成するという目的達成のために跳躍することが不可能だったのですが、今や、地上の心情圏と天上の心情圏を連結して統一圏を設定することによって、相対圏を形成できる恵沢の時代に入っていくというのです。それは、興進君と薰淑さんを結婚させたからです。
21 今まで来ては逝った統一教会の協会長や他の人々は、教会基準であって、国家や世界を蕩減する基準にはなれませんでした。しかし、興進君の場合は違います。国家的次元です。ですから、天の国の名分を身代わりできる司令官、霊的世界の主体が現れるというのです。地上と霊界を連結できる主体が現れるというのです。
結婚した人ではできません。結婚しなかったので可能なのです。霊界の人々は、まだ結婚していません。私はこのようなことを知っているので、今回、興進君に、「君に養子を選んであげよう」と約束しました。国家的基準で養子を選んであげることができるのです。
養子を設定してあげるというのは、理想相対を備えた父母と同じだということです。ですから、霊界は、未婚の女性と男性のように、結婚したいと思う人々が暮らす所ですが、結婚していない人々が暮らすその霊界の司令官になり、中心になるのです。
統一家では、世界のすべての運勢を集めて祭物的な立場で捧げるようになりました。ですから、興進君を愛さなければなりません。
22 興進君が霊界に行く前の一九八三年十二月三十日(現地時間)、統一式を終えてから祈祷をして、「君は地上を離れても、地上にいるのと同じように、君に養子を選んであげ、息子の隊列に同参させてあげよう」と約束しました。そのためには、地上で祝福をしてあげなければなりません。そのようにしなければ、そのことは不可能なのです。
神様は地上世界を救うためにメシヤを送りましたが、真の父母は霊界、霊的世界を救うために、父母様の代わりに全権大使として愛の王子を送りました。イエス様もその位置に行けませんでした。しかし、神様が、歴史始まって以来初めて、「私の息子」と言って愛することができる十代(の人)をもったというのです